月影永理の暴走   作:黄衛門

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第53話 深淵の底でゾディアックは嗤う(後編)

 どろり、と落ちたのは、黒い蛇だった。まるで、血を凝固させたように黒く、鱗全てが瞬きする。

 辺りに漂う、腐った血の臭い。水銀のように重い空気が降りかかる。

 それ(・・)……いや、彼らは、その姿を見て言葉を失った。

 もはやその表情は、異形の悪者という風でもない。せせこましく人を殺す怨霊でもない。ただの脅える、ただの高校生へと戻っていた。

 

 どろり、と凝固された血のような肉片が落ちると、そこに埋め込まれていた幾つもの顔が苦しみ、息絶える。

 それがまるで引っ張られるように上へと伸びると、グネグネと蠢き、次第に形を作っていく。

 

 それは、蝙蝠のような黒い羽を付けたクサリヘビだった。

 

 腐った肉とガソリンを煮詰めたような臭いを無遠慮にまき散らす液体を滴らせ、それらが床を音を立てながら溶かしていく。溶けた床からは嘲るような笑い声を幻視させ、気を狂わす。

 液体のように肉がこぼれ落ち、ごぽりと音を立てる。

 永理はそんな臭いのど真ん中で、狂ったように嗤っていた。

 

「ばっ……馬鹿な! 馬鹿な馬鹿な馬鹿な!!」

「ありえん! あり得てたまるか! あってたまるか! こんな事が!!」

 

 彼らは、永理が呼び出した神を見て動揺していた。

 彼らの使役するモンスター達も、暴力的な恐怖に身動き一つ出来ない。

 それは、その恐怖は決して、目の前の邪神だけが原因ではないだろう。むしろその逆、その後ろで嘲笑しているものにこそ、真に恐怖しているように見える。

 

「あり得ないなんてことの方が『あり得ない』』のだよ、小僧。……もっとも、現実を認めたくないという気持ちは分かるがね。分かるからこそ、面白い」

 

「なぜ、なぜ我が敵に味方するのですか!?」

「我らが希望を、渇望を叶えてくれたのではないのですか!?」

「「お答え下さい、神よ!!」」

 

 永理(・・)は先ほどまでの嘲笑はどこへやら、狂信者のように跪き、神託を待つそれを面白く無さそうに見下す。

 永理(・・)は頭をかくと、けだるさを混ぜた声で命令を下す。

 

「……アーカナイト・マジシャンを攻撃」

 

 地の底から響き渡る、纏わり付くような低い声だった。

 THE DEVILS ERASERからしたたり落ちている闇より深い泥が、鎌の形状を作り出す。

 アーカナイト・マジシャンは魔法の矢を放ちそれらを破壊しようとするが、飛び散った先から次々と、無限に鎌は作られていく。まるでアーカナイト・マジシャンの努力を嘲笑うかのように。

 そして魔力が付き、床へ力尽きへたり込んでしまったアーカナイト・マジシャンに、ゆっくりと鎌が忍び寄る。

 暗黒の鎌の群れが、じっくりと、いたぶるように迫りくる。アーカナイト・マジシャンは杖を振りながら後ろへと下がるが、彼女の力は取るに足らない。もはや、鎌一つすら壊す力も無いのだ。

 やがて鎌が、彼女の足を縫い付けた。

 アーカナイト・マジシャンの身体を泥の鎌が引き裂き、貫く。それと同時に、彼らは手札も落とし、足を押さえて、カブトムシの幼虫のようにうずくまる。

 アーカナイト・マジシャンの引き裂かれた体躯に、生き物のように泥が入り込む。服の上からも分かるくらいぼこり、と主張をし、身体中を駆け巡る。そのたびにアーカナイト・マジシャンの口から悲痛な叫びが、血の泡と共に漏れ出る。

 

「THE DEVILS ERASERの効果。私の攻撃力は、相手の場に存在するものの数×1000ポイントの数値となる。

 そして、破壊したモンスターの痛みを持ち主に与える……ああ、安心したまえ。ゲームに干渉するものではないからね」

 

 くつくつと嗤いながら、覚えの悪い子供に教えるように言う。とはいえ、彼の言葉は聞こえていないだろう。いや、聞く余裕すらありはしない。彼らには、人が感じ得られるだろうすべての痛みが、同時に襲ってきているのだから。

 やがて指を鳴らすと、アーカナイト・マジシャンの全身が、まるで彼岸花のように切り開かれた。それと同時に彼らも大きく痙攣し、尿を漏らす。

 

「カードをセットして、ターンエンドだ。さあ、続けたまえ」

 

 彼の言葉に、彼らは答えない。答えられない。返しのある針を全身に抜き差しされているような痛みが走り続けているのだ。

 もはや、デュエルをする余裕も無い。彼らは覚悟ある英雄ではなく、生を望んだだけのただの人間なのだから。

 とはいえ、これでは面白くない。彼はひもを引っ張る仕草をした。

 すると彼らは、まるで操り人形のように、無理やり立たされる。しかし手は自らの首に伸ばしており、しきりに頸動脈辺りをひっかくように動かしている。

 

「私とのデュエルで途中退席は存在しない。さあカードを取りたまえ、時間はあまり残されていないのだからね」

 

 彼らの首に、荒縄が食い込むようにくっきりとへこむ。

 腕が、まるで人形劇のように意図せず動き、彼らは驚愕と恐怖の形相で、勝手に引かれたカードを見る。

 

「なっ、なにが……お前、何をした!?」

「もうやだ、やだよ……なんで、どうしてこんな目に。なんで私たちが」

 

「……ふむ、会話で時間を繋ぐ……というのは、デュエリストとしてはエンターテインメント的では無いな。よし、こうしよう」

 

 彼がぱちんと指を鳴らすと、空気が変わった。

 

「なっ、なんだ……また何かが起こるのか!?」

「かーくん帰ろう、もう帰ろうよ。こんなところいたくない! 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!」

 

 まるで、墨汁をしみこませた真綿に閉じ込められたような、途轍もない不快感が肌を刺激する。憎悪にまみれた世界に戸惑う彼らに、彼はくつくつと笑う。

 

「なに、気にすることはない。少しペナルティを追加させてもらっただけだ。普通にプレイする分には何も問題ないが……遊戯(ゲーム)に関係ないもので時間を延ばしたりすれば……」

 

 彼はそこで「おっと」とわざとらしく言葉を区切り、どこからか取り出した同じ機種・壊れる前のものと同じ傷のPDAを取り出し、何やら設定した。

 精神崩壊している男性の半面と、怯えながらも気丈に振る舞う女性の半面。彼のようなものにとっては、人の恐怖は数多い愉悦の一つとなる。

 

「さっ、続けたまえ。私が君を操作しては面白くない。それではエンターテインメントではない。人の死は喜劇的で悲劇的で、それでいて楽しさに溢れていなければならない。未知とスリルこそが世界で最も楽しく美しく醜く脆い。私を楽しませろ……そうでもしないと釣り合わん」

 

 最後諦めたように、小さな声で彼は呟く。

 彼らにはその言葉の意味は理解できなかった。理解する余裕も、戦術を組み立てる余地もない。脳のキャパを占めているのは恐怖、根源的かつ生理的な恐怖だけだった。

 太ももから、熱いなにかが垂れ流れる。それすらも判別できない。男の半面は、泣きじゃくりなにもできそうにない。もはやただの障害だ。

 

「……二分経過」

 

 彼がそう宣告すると、突如として彼らは息苦しさを覚えた。

 まるで、臭い川で溺れるかのような苦しさ。吐き気と苦しさだというのに、苦しみに身を任せることもできない。無理やり正気を保たれている。それが、さらに心を苦しめる。

 もし正気を無くせたらどれだけ楽なのだろうか。もし死ねたならば、どれだけ幸せだろうか。それをまともにされている狂った思考の中で、何千万と吊り上げられる。

 

「苦しくて気が狂いそうなのに狂えない、中々につらいでしょう? 解決は簡単、ゲームを続けるだけ。ついでにヒント、もう一度言おう。THE DEVILS ERASERの攻撃力は、相手の場のカードの数×1000となる」

 

「……はっ、発動! 魔法発動! 闇紅の魔導師に対し発動! 魔導加速! デッキトップからカードを二枚墓地へ送り、魔力カウンターを二つ乗せる!! さらに魔法が発動したことにより、闇紅の魔導士に魔力カウンターが一つ乗る! これで闇紅の魔導師の攻撃力は3800! 貴様の切り札の攻撃力を超えた!!」

「ねえ帰ろう、もう帰ろうよかーくん! こんなくらいところやだ!! わたしもうやだよ!!」

 

 女は男の言葉に耳を傾けず、必死に彼に食らいつく。

 彼はそれに対し心からの嘲笑と賛美の拍手を送る。

 

「バトルだ! 闇紅の魔導師でTHE DEVILS ERASERを攻撃!!」

 

 闇紅の魔導師が杖に炎の鎌を灯し、恐ろしく冒涜的な蛇の神に切りかかる。

 深紅の弧を描き、THE DEVILS ERASERに振り下ろされる。肉が飛び散り、そのまま連動するようにほかの部位が溶けていった。

 

「素晴らしい、良い覚悟だ垣山。だが、残念。ああ本当、とても残念だ。一手遅かったな」

 

 隠し切れない嘲笑を含ませながら、彼は一枚のカードを発動させる。

 それは、攻撃反応型のカードでもなければ、攻撃無効系のカードでも、ダメージ無効ですらない。

 

「速攻魔法、神秘の中華なべ。生け贄に捧げたモンスターの攻撃力か守備力の数値ライフを回復する。THE DEVILS ERASERを生け贄に捧げることで、攻撃力分のライフを回復」

 

 THE DEVILS ERASERの攻撃力は3000、ライフを回復したとしても受けるダメージは変わらない。

 THE DEVILS ERASERが肉をドロドロに溶かし、骨だけになる。液状化した肉が永理の躰の穴という穴に入り込む。肉体の内側が破裂し、筋肉と骨とが飛び出したかと思うと、それを塞ぐように黒いタールが埋めていく。

 

 そして、邪神の射程内に闇紅の魔導師は、入ってしまっている。彼の足元に残っていた泥が、永理の身体ごと闇紅の魔導師を刺し貫く。

 無数の針が次々と、狂ったように永理ごと闇紅の魔導師を貫き続ける。骨と肉と臓物の雨を浴び、彼は恍惚の笑みを浮かべる。

 

「おっと、言い忘れていた。THE DEVILS ERASERの効果……このカードが墓地へ送られたとき、場のカードすべてを破壊する」

 

 泥は広がり、すべてを飲み込みはじめる。そう、『全て』を。

 エンディミオンの人々の悲鳴が、断末魔が各地で巻き起こり、狗の形状に固体化された泥は建物内の生き物すべてを噛み殺しまわる。

 建物から次々と血が流れ、魔法が飛び交い、誤射により同族を殺す。泥は魔法を受けても傷一つ無く再生し、あるものは犯し、あるものはただ食らう。男も女も、子供も大人も妊婦も腹子も区別なく。

 貫き、噛みちぎり、引き裂き、犯し……それらがすべて、泥を介して彼の脳髄に直接入り込んでくる。

 

「さて、どうかね少年少女。君の創り出した世界の痛みは」

 

 心底楽しそうに彼は問いかけるが、彼らは何も答えない。ただ恐怖により、封印していた記憶を無理やり思い出させられていた。

 無理やり犯された女の記憶、それを目の前で見るしかなかった男の記憶、戯れに何度も刺された記憶、お互いを抱きしめながら死んだ、最後の記憶。最悪の記憶。

 彼らは、泥のように黒い吐しゃ物を吐き散らしながら嗚咽を漏らす。顔はあらゆる液体でぐちゃぐちゃになり、手に持っているカードはもはやゲームに使えないほど握りしめられている。

 

「デュエル以外の長考……いや、雑考時間が三分過ぎた」

 

 彼は待ってましたとばかりに手を鳴らすと、突如として彼らの首が吊り上げられる。吐しゃ物が放物線を描きながら、てるてる坊主のように吊られて揺れる。息が詰まる。意識が遠のく。だが、全身を貫く痛みによって、現実に戻されてしまう。

 カードは彼らの手を離れ、彼らの目の前に展開されている。もはや、考える脳は持ち合わせていない。デュエリストとしての誇りも持ち合わせていない。あるのはただ一つ、早く楽になりたい、これだけだ。

 

「さてどう出るかね? 早く思考を働かせたまえ、君の頭は飾りかね? そうではないだろう、思考し愚考し足掻いてくれ。さあ私を楽しませてくれ!」

 

「た、ターンエンド……げほっげほっ!」

 

 絞り出すように出された言葉と同時に、彼らは床へと落ちた。

 ウジ虫のように動く彼らを、彼は冷めた目で見下し、軽薄な口が開く。

 

「ドロー……私は、君が人間だから、困難に立ち向かえる人間だと思ったからこそその躰を与え、役割を与えたんだ。遊城十代や万丈目準、丸藤亮に立ち向かうばかりか恩神に歯向かうばかりか、それすらも満足にできぬ愚図だったとは……ああ、失望したよ。全く、これ以上無いくらいに失望した。残念だよ」

 

 戦略も何もない、ただの諦め……彼にとっては、面白くない。全く以て面白くない選択である。

 なにか驚きを、予想もできない動きをしてくれなければ。そこまで考え、彼はふと自嘲気味に己を笑う。

 昔はこんな思考ではなかった筈だというのに……。

 

「魔法発動、死者蘇生。私は墓地から、人造人間サイコ・ショッカーを攻撃表示で特殊召喚する。バトルフェイズ」

 

 暗黒の霧が立ち上り、一挙に凝縮されると、その中からサイコ・ショッカーが姿を現す。

 残りライフは2400、サイコ・ショッカーの攻撃でちょうど削りきられるライフだ。 

 

「まっ、待て! お願いだ、待ってくれ! 次こそは必ず! 必ず使命を果たしてみせる!」

「やだ、またあの闇に戻るのは……やだよ、ごめんなさい、ごめんなさい」

 

「安心したまえ、君たちの闇には戻さないよ」

 

 彼はにっこりと笑い、手を下す。

 それと同時にサイコ・ショッカーの胸から放たれた電撃が、彼らの身体に直撃する。

 

「闇が天国と思わせてやるよ」

 

 彼らの悲鳴が暗闇に響き渡る。ローブが焦げ付き、焼けた肉に張り付く。

 彼らが完全に動かなくなったのを確認すると、サイコ・ショッカーは攻撃の手を辞め、彼に話しかけた。

 

『まだ完全に乗っ取り切れてはいないようだな、ファラオ』

 

「……ふん」

 

 彼━━ファラオは面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 面白くなさそうに彼らの亡骸を蹴飛ばすと、腕がぱきりと割れた。芯まで炭化したのが、断面から見て取れる。

 

「全く、使えない連中だ。他の人間を殺せば終わる話だったというのに、なぜよりにもよってこいつを……」

 

 彼らの亡骸を足で踏みにじりながら、ファラオは毒づく。

 足りない魂を集める為に蘇らせたというのに、何の役にも立たない無能。ファラオが彼らに抱く評価は、それだけだ。

 

「ところでハゲ、他の精霊はどうした? あの虫やらゾンビやらは?」

 

『……貴様が出た瞬間にカードへ引っ込んだよ』

 

 サイコ・ショッカーの返答を聞き、ファラオの頭にふと疑問が浮かんだ。

 ファラオの司るものは恐怖である。それに中てられ、月影永理の精霊たちはカードの中へと引っ込んだのだろう。であれば、目の前のこのモンスターはなぜ、平気でいられるのか。

 

「貴様は恐れないのか……阿呆か、それとも気狂いか」

 

『さあな、そのどちらかもしれんし……どちらでもないかもしれん。狂人は自らを狂人と自覚できぬが、常人が自らを狂人だと感じることも無かろう』

 

「……違いない」

 

 サイコ・ショッカーの返答は彼好みだったのだろう、くつくつと嗤いながら同意していた。

 もっとも、サイコ・ショッカーの本心は違う。というより、それよりも気がかりなことがあったのだ。

 

『それで、ここからどうやって出るのだ?』

 

 サイコ・ショッカーの疑問は最もだ。地下深い崖の下、酸素も無く声も届かない暗闇の世界。そんなところに空所の手が伸ばされることなぞ、ありはしない。

 救助は、自分の安全が確立されていない限り行われることはないのだから。

 だが、それこそ愚問である。彼はファラオ、計画通りには全然行ってないが、その力は神にすら届く。

 

「THE DEVILS ERASER」

 

 彼が命じると、足元に浮かび上がる無数の泥が巨大なクサリヘビの形となる。

 そして彼が天を指さすと、THE DEVILS ERASERの触手が鋭く伸びる。

 

「これで良し」

 

『……無茶苦茶だな、貴様』

 

「王たるもの、この程度の発想力は必須であろう」

 

 当然のようにファラオは言葉を返し、触手を登っていく。

 触手の感触はかなりネバっとしており、あまり心地いいものではない。が、我慢してその触手を歩く。

 これよりほかの手段は、残念ながらファラオには思いつかなかった。王とは時に、我慢を強いられるものなのだ。

 

 

 ━━そして

 

「……あっ」

 

 踏み外しても泣いたりしないものなのだ。

 




 右脳は左半身動かして左脳は右半身動かすらしい。
 つまりあしゅら男爵はTSの化身だった……?
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