ポケットモンスター ZERO 血鋼の凱歌   作:伊月遊

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第二話

 

 

「畜生っ……! 畜生めがっ……!」

 

ジェルジュ・ベルナートはそう吐き捨てる。

だがその言葉すらも、置き去りにした仲間達には届いていなかった。

 

走る。

走る。

走る。

微塵足りとも後ろを振り返らず。

湿った洞穴の中を、ジェルジュは走り続ける。

ただひたすらに。

がむしゃらに。

 

ノクトゴーグルの滲んだ緑色が猛スピードで後方に流れていく。

苔でぬめった岩床も、子供の背丈ほどある転がった石も

男は難とせず飛び越えていく。

それは男が卓越した身体能力を有している証拠でもあった。

 

しかし、そんな物は"奴"に通用しない。

彼よりも優秀だった部隊員達は次々と殺られていった。

ヤンも、アリサも、マーベリックも、全員殺られた。

そして一番出来の悪い自分が生き残った。

たちの悪い冗談である。悪夢なら早く覚めてほしいと思った。

しかしジェルジュには今まさに迫り来る明確な脅威が、紛れもない現実として襲い掛からんとしていた。

 

彼の背後には明かり一つない闇が広がり、何も見えない。

しかし、確実に"奴"は近付いている。それがジェルジュには分かった。

しゅるしゅるとなにか柔らかいものが蠢く音、酸を薄めた様な臭気、計器の狂ったn波反応、それと首筋を撫でるあの冷気。

何よりもあのおぞましいあの気配が、自身と"奴"の距離が縮まっていない事を示していた。

なので彼は足を緩めない。持てる全力で走り続ける。

 

走ること暫し。

時間的にはニ分も経ってはいないだろう。

彼のノクトゴーグルに、やっと激しい月明かりが写り込んだ。

洞穴の入り口が見えたのである。

 

しめた、と彼は思った。

このままならば逃げ切れる、そう思ったからである。

 

その刹那。

彼の背後に強烈な圧を持った何かが襲いかかった。

 

「っ!?」

 

ごおごおと音を立て、巨大な圧力が彼に迫る。

後ろを振り返る暇は無い。

ジェルジュは身を投げる勢いで洞穴の外に飛び出した。

 

草むらに転がり、即座に伏せる。

その頭上を、息を呑むほど大きな、超質量の何かが飛び抜けていく。

 

水、である。

ホース車の放水。それを数十倍に圧縮したような、冗談のような太さを持った水。

最高速度の電車のそれと形容すれば正しいだろうか。

それはまるで死を具現化したかの如き、死神の鎌であった。

触れれば、死ぬ。本能でそれが分かる。

 

見上げ、息を呑む暇もなく、横に転がり斜線を外す。

そうしてすぐさま立ち上がり洞穴から距離を取った。

 

やがて轟音は少しづつ弱まり、辺りがしんと静まり返る頃には、死の水砲が洞穴の入り口をすっかりと削り取ってしまった後であった。

 

ノクトゴーグルを千切るように外し、彼は思わず目を疑う。

天災が如き、特異を含んだ悪意の塊。

魔獣のおぞましき破壊力に、彼はただただ言葉を失っていた。

 

不意にあの、しゅるしゅるという蠢く音が聞こえる。

ジェルジュは喉奥に悲鳴を隠し、すぐさま近くの木に身を隠した。

一呼吸。

隠れながら、音を立てずに洞穴を覗く。

 

のっぺりとした洞穴の闇の中、月明かりに光る二つの光点。

目である。

それに続いてゆっくりと、顔が現れた。

 

「……っ!」

 

神話に謳われる異形、それが顕現したかの如き異様である。

巨大な蛇、いや、ナマズであろうか。

真っ先に目に入るのは目の冴える蒼き鱗、それが甲冑の様に全身を覆っている。

大の大人程の大きさをした頭には、兜のような三本の角。そのすぐ下には、魚類を思わせる顔と、光無き瞳がギョロリと怪しく光っていた。

腹は不気味に白く、ぬめぬめとした光沢を放っている。

 

そして、その存在を一目で異様たらしめているもの。

その巨大な蒼きナマズは、まるで重力を感じさせないように、宙を舞っていた。

つまりは空を飛んでいるのだ。

羽ばたきすらせずに、なんの推進力をも使わず、自在に、うねるように、空に"居る"のである。

 

その姿は、お伽話に出てくる、龍そのものであった。

 

ジェルジュは目を見開きながら、人生最大の努力で必死に息を殺す。

冗談にしか思えない。

あれだけ巨大な生物が、あんな風に空を飛べるはずが無い。ありえない。

しかし、"ありえない"というのが、この世界では既に過去のものである事を、彼は知っていた。

"あの日"以降、目の前の馬鹿げた現実ですら、全ては起きうるようになってしまったのだ。

 

僅かな、しかし彼にとっては永遠にも等しき時間が経つ。

しゅるしゅるという蠢く音とともに、ナマズは浮遊しながら辺りを見回す。

そうして何も見つからない事が分かるやいなや、そのまま振り返り、洞窟の中へと姿を消してしまった。

 

暫しの間。

 

ジェルジュは腕の計器で反応を確認し、異形が十分に遠ざかった事を確認する。

そうして崩れる様にへたり込み、思い切り息を吐き出した。

 

「……くそっ」

 

そうして掠れた喉で呟くと、彼は天を仰ぐ。

先ほどまでの喧騒が冗談のように、静かな夜の海に、大きな月が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、お前達が乗っていたヘリはコンゴ上空にて鳥形魔獣、ピジョンの群に遭遇し、抵抗虚しく撃墜されたという事だな?」

「ええ、そうです」

 

私がそう言うと、牛革張りの椅子に座ったこの部屋の主は、静かに手元の書類へと目を落とす。

がっしりとした体躯の角刈りの男で、浅黒い顔には二つの鋭い眼と、無数の傷跡が刻まれている。

乱雑に書類の積まれた重厚な机の上で、その男、ShAFT極東支部長 ランド・マクレガンはおもむろに顔を上げた。

 

「無線部からの報告ではイワークという魔獣と交戦したという話だが、"それ"の卵は取り逃がした、ということで合っているな」

「そうですね。……まあ、申し訳ないとは思っています」

「責めているのでは無い。寧ろその状況でよく生き残った、いい働きだと感謝するよ。セレステ・篠田少尉」

 

そうしてマクレガン支部長はその強面を少しだけ柔和の色に染める。

 

「観測班からヘリのレコーダーデータが送られてきたよ、あのピジョンの大群に良くあそこまで対抗したものだ」

「……もう少しだけ私がマシなら、彼は死にませんでした」

「マティアスは任務を全うした。そして、君も生き残った。それだけの話だよ、篠田少尉」

「はい」

 

それだけ。

マクレガンは言う。私と全く同じ考えのことを。

そう、それだけだ。

何人も死んだのだ、そしてこれからも死ぬ。

何人も何人も、死ぬ。

遊びではない、こっちは戦争をやっているのだ。

それも、とびっきりでかい、種としての生存戦争というやつを。

乾いた心を奮うように、私はあえて無表情のままこうしている。

 

それに気付いているのかいないのか、眼の前の男はそのままの口調で早々に話を先に進める。

 

「さて、早速だが次の任務だ。生き残りを祝してたっぷり休暇でも与えたい所だが、生憎とShAFTは未だ人材不足でね」

 

特に君の様な優秀な人間は、と無表情に言いながら、マクレガン支部長は私に一枚の書類を差し出した。

私はそれを受け取り、軽く目を通す。

事務的な文字が並べられた書類に目を落としている私に、マクレガンはそのままの調子で続ける。

 

「一週間後、君には東ヨーロッパのベラルーシに飛んで貰いたい」

「ベラルーシ、ですか?」

「ああ。その西、リトアニア国境付近のヴォロノヴォという町に行って欲しい」

 

聞きながら書類の文字をざっと流し読んでいく。

概要はこうだった。

近頃リトアニア南東部、ベラルーシ国境付近の森林地帯にて魔獣の目撃証言が多数出ているという。

付近の村々は退避を行ってはいるが、近くにはリトアニアの首都であり、国交の要でもあるヴィリニュスには今も大勢の人間が住んでいる。

今現在被害は出ていないという報告が上がっているが、今後どうなるかは不明である。

 

「それにまた、『北』というのがまずい」

 

言ってマクレガンは苦く歯を噛む。

そう。彼の言う通り、北。地球の北部に魔獣が現れるという事は、人類の生存圏に関連する大事であった。

 

地球の北部に魔獣が現れる事は殆ど無い。

理由としては単純で、この馬鹿げた悪夢のような事態は、モザンビーク。つまりアフリカ大陸の南部から始まった物なのだから。

”それ”は初め、アフリカ南部の大きな湖、ニアサの魚介類に住み着いたのだと言う。

それが渡り鳥や人の手によって、こうして現在は世界各地にばらまかれた。

それから魔の獣、ノアと名付けられたウイルスが、世界の半分を焦土と化すまで、10年と掛からなかったという。

現在に至っては南半球はほぼ全滅に近く、年々その被害状況を示すノア・ラインと呼ばれる北緯線は上がり続けている。

 

それがここ数年、奇妙な事が続いていた。

今回のリトアニアの件もそうだが、度々魔獣の発見報告が北部にて上がっているのである。

確かに渡り鳥が偶然そこにウイルスを撒いてしまう事はありえない話では無い。しかし、それが頻発すると話は別である。

それも先に挙げたノア・ラインを大幅に上回る様に、それも飛び地に、ひょいと現れてしまうのだ。

まるで何か大いなる悪意が、動いているかの様に。奇妙で、奇怪で、気味の悪い話。

 

「『巣』の報告が上がっている。今回の任務はその殲滅、及び可能な範囲での原因調査だ」

「なるほど。ところで、何故私なんですか? 位置的にロンドンか、レニングラードの連中に任せれば良いのでは」

「生憎だが先ほど言ったように人手不足でね。どこも手が空いてないのさ」

「それで、はるばる極東に連絡が来た、と」

「まあそういう事だな。優秀な人間はどこもかしこも引っ張り合い、困った物だ」

「同意です。私たちが手暇になれば、少しはこの世も平和になっている事なんでしょうにね」

 

「違いない」とマクレガンは皮肉げに笑った。

 

「さて、まず君には今回の任務に当たってヴォロノヴォの町で先遣調査している隊員と合流して欲しい」

「先遣隊が?」

「そうだ。今回の任務は彼と組んでを行う形となる。実際には現地の支部にバックアップを要請はするが、"ちょっとした手違い"でね、主動となる部隊は君たち二人に"なった"」

「はあ」

 

マクレガンの言い方から察するに、恐らくは先遣隊はその一人を除いて全滅したのだろう。

そんな状況にも関わらず任務の続投を行える精神は讃えるべき物だとセレステは僅かな好奇心を覚えるが、すぐに興味の対象を別に移した。

 

二人。

殲滅任務の部隊としてはあまりに乱暴な人数であり、はっきり言えば自殺行為とも言うべき話である。

だがそれは人同士での争いの話である。

対魔獣に関して言えば、人員が多くても余り意味が無く、寧ろ足手まといになりかねない。

これは戦争であり、戦争では無いのだから。

それに、"私が投入されるような状況"なのだ。真っ当な話のはずがない。

 

「さて、以上となるが何か質問はあるかね」

 

と、マクレガンは簡潔にそう言う。伝えるべき事は全て伝えた、と言わんばかりに。

その未知なる任務にセレステは怖れる事無く、平然と書類から目を離して、それからさらりとこう言った。

 

「特に。強いて言えば、その男が見れる顔ならありがたいですね」

「彼にそう言っておくよ」

 

その言葉に、マクレガンは私への信頼とともに苦く笑うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば」

 

部屋を出ようとした私に、マクレガンは忘れていたと声を掛ける。

 

「三研の連中が君を呼んでいたよ、帰ったら例の経過報告を出してほしいとね」

「はあ」

 

その言葉に対し、私は思わず嫌そうに顔を歪める。

それを見たマクレガンは苦く笑った。

 

「まあそんな顔をするな、"あれ"でもイアルスの肝入りプロジェクトなんだ。仲良くしてやってくれ」

「おもちゃの兵隊作って遊ばせて、肝入りですか」

「遊び相手が見つかって彼らは喜んでいるよ」

 

そうマクレガンが口端を苦く歪めると、私はいよいよ大きく溜息をつく。

それから「失礼」とだけ告げて、部屋を後にした。

 

蛍光灯に染まった無機質な廊下を歩く。

しんと静まり返る廊下に、軍用ブーツのカツカツとした足音が響く。

三研は確かこっちだったろうか、ここは相変わらず無駄に広い。

 

ShAFTという組織がある。

Special Hazard Area Free Tacticsの略称で、直訳すると特別災害指定地域解放部隊となる。

対魔獣専門のPKO団体であり、2025年に設立。

公表されている主な活動は 「人類の軸」 として、魔獣の襲撃で"特別災害指定地域"と認定された箇所を人間の手に取り戻す事である。

具体的なところを言えば、人間の生活圏の防衛、治安維持。また、それに害為す魔獣の掃討、討伐。などなど。

さながら現代の十字軍、解放軍のような謳いではあるが、しかし実情は異なる。ShAFTは設立当初から極秘裏に、とある任務に従事している。

 

イアルス。

そう呼ばれる機関に対する、研究協力である。

協力と言っても多岐に渡り、サンプルとなる魔獣の拿捕や、または生態の調査。はたまた機関の警護など、研究に関わる様々な物がある。

要するにShAFTという組織は、元よりそのイアルスという研究機関の下部組織であり、イアルス子飼いの私兵とも言える存在なのである。

 

イアルスの研究施設は巨大だ。

この極東支部でもプラントが4つ、各種研究室が計30。ShAFT関連の各種施設なんかも無数にある。

他にも機械工作室や資材室や、研究員やShAFT隊員の宿舎、それから食堂なども合わせると、その敷地は膨大な物になる。

その研究はどれも機密のオンパレード。当然警備は厳重である。

研究エリア内の入り口はどれも四層に分かれており、この施設に入る者はそれぞれで熱、光、消毒液などによって厳格に滅菌処理が行われるのだ。

 

白い廊下を歩いていると、やがて何人もの警備員が物々しく立ち並ぶエリアに辿り着く。

そうして幾つかの認証と、例の除菌が始まる。

 

針の山を彷彿させる様な警備員達の刺す視線や、うんざりするような芋洗いを経た上で、私はとある扉の前に立っていた。

巨大な施設の一角に、その部屋は存在する。

第三生体工学研究室。通称、三研。

ここで研究されている内容は、イアルス機関の中でも特にユニークと言われている。

私が研究室の自動ドア横にある網膜センサーにおもむろに右目をかざす。

電子音。間もなくして研究室のドアが開かれた。

私はその中へ足を踏み入れる。

 

中は以前と相変わらず、乱雑としていた。

走り回ったり激しく言い争いをしている研究員達、床に投げ出されっぱなしの書類の山。床や壁に走る大小のケーブル類。よく分からない装置類や怪しげな実験器具などなど。

この部屋の中でまだ整理されているものといったら、せいぜいが研究員達の机と、部屋の奥に見える"あれ"くらいであろう。

整然と横一列に並べられた、13台の透明な筒状の装置。

この研究室で最大にして唯一の研究物である、人造魔獣"μⅡ"の培養ポッドである。

透明な筒の中には薄い藍色の培養液が満たされ、そこに昨夜私のポシェットに入っていた魔獣と同型の生き物が、コポコポと泡を立てながら浮かんでいる。

この筒と、それからあのボールの中でしか生きられない、醜く、歪な生き物。

 

「そんなのに助けてもらった、私も私だけどね」

 

そう独りごちながら皮肉げに口端を持ち上げる。

と、音で気付いたのか、ドアの近くの席に腰掛けていた研究員がこちらへ近付いてきた。

歳の頃は二十そこらか。幼い顔立ちを眼鏡に隠した、腰まである黒髪が特徴的な女性である。

 

「失礼ですが、どちら様でしょうか」

「あら、そちらのボスかドクに聞いてない? セレステよ。セレステ・篠田」

「……すいませんが、面会証明書をお持ちでない方はお通しするなと上から言われておりまして」

「証明書、って、そっちから呼んどいてそれは無いでしょ」

「しかし決まりは決まりでして」

 

と困った表情で語る若い研究員。

だが困ったのはこちらも同じである。恐らく今の私は目の前の彼と同じ様な表情をしているだろう。

 

「おいおい、ウチの若いもんを虐めんでやってくれ」

 

と背中越しに聞き覚えのある低い声。

振り返ると白衣姿の、頭が禿げ上がった初老の男が立っていた。この研究室のチーフ、藤元源助である。

若い研究員が助かった、というように小さくため息をつくと、その彼を労うように源じいは口を開く。

 

「彼女はわしらが呼んだ客じゃよ、通してやれや」

「ほらね、私が言った通りでしょ。源じい、なんとか言ってやってよ」

「ロラ君は自分の仕事を全うしているだけじゃ。そんな事を言うでない」

「……ま、良いけどね」

 

と、ロラと呼ばれた眼鏡の研究員は 「失礼しました」 と一礼して、自分の席に戻っていった。

それを見送るや否や、私はすぐに源じいの方を向き直す。

 

「源じい、使ったわよ、”あれ”」

「おお、通信班から聞いておるぞ。どうじゃった?」

「てんで駄目ね。カカシくらいにしか使えないわ」

 

「せめてもう少し動いてくれないと」と言いながら、私は横にある培養ポッドを見やる。

それを聞いて源じいは「ふむ」と顎を撫でながら呻く。

 

「まあ、じゃろうな。なにせまだまだ試作も良いところ、まともに使いこなしておるのはせいぜいお前さん位じゃて」

「あれで使いこなしてる事になるのかしらね」

「現段階では、じゃよ。ま、焦るな。今現在も研究は進めておる、もうすぐ多少はマシなもんが出来てくるじゃろ」

「どうだか」

 

言いながら、私はポッドの中で蠢く物体を見つめていた。

白く濁ったぬめり気のある表皮に、歪にゆがんだ頭。

赤い瞳は細く遠くを見つめ、何も映していないかのように、いや、実際何も見えていないのだろう。

己が何者なのか、これからどうなるのか、何一つ分かっていない、分かろうとも思わない、哀れな生き物。

三妍が作り出したいのは、完成された兵士としての魔獣なのだという。

あの日世界にばらまかれたノア・ウイルス。癌やAIDSに続く新たな驚異としてこの世に現出した、魔獣と呼ばれる存在。

奴らを滅するには、奴ら自身をぶつければ良い。そんな安直で、それでいて的を射た発想から生まれた生き物。それがこのμⅡなのだという。

ただ魔獣を殺す為だけの存在。水様液に揺らされて何も映さない瞳を、私は哀れには思わない。

寧ろその純粋な存在目的に対し、少しの羨ましさすらあった。

 

「ま、使えればなんでも良いけどね」と私が独りごちると、源じいは不思議そうな顔をする。

それに私は「ううん、なんでも」とだけ答えた。

 

「そんな事より、いつもの借りるわよ」

「おう、帰ってくると言ってたからの、綺麗に掃除しておいたぞい。さっきの彼女がな」

 

「あら」と先ほどの若い研究員をチラリと見やると、彼女は少し照れたように顔を伏せる。

そんな彼女にウインクを飛ばしつつ、私は"それ"に近付いた。

 

様々な色をしたコードが繋がれた大仰な機械、その中心に人型の窪みがある。

私は迷いも無くその窪みに身を横たえる。

それを見届けると、老いた研究者は慣れた手付きで近くの端末を起動した。

 

「次はいつじゃ?」

 

高速なキーボードのタイプ音に反し、彼はゆったりとした口調で言う。

 

「一週間後。アバラが幾つかと、他にもやられてるわ、大丈夫?」

「ふん、こいつがあれば二日で走り回れるようになるわいな」

 

そう言って老研究者はいつものように高く笑う。

 

この装置についてはあまり良く知らないし、何か名前が付いていた気もするがそれも良く覚えていない。

ただ言えるのは、これに横になるとどんな怪我でもすぐに治る事と、私は五回もこれに命を救われている事と、それからこれが魔獣の"何か"を利用した物だという事だけである。

はじめは実験用ラットになったような不快さを覚えたが、今ではすっかり慣れたものである。

使えるものは使う、それが生き延びるのには重要。

それがたとえ敵であっても、なんでもだ。

 

間もなくして猛烈な眠気が襲ってくる。

いつもの事だ。

 

「よろしく源じい」

「良い夢を」

 

大きくあくびをして、そうして私は目を閉じる。

次に目を覚ます頃にはまた、次の戦場だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緩徐導入完了。反射抑制問題なし、対象βバイタルオールグリーン、N波定着反応安定しています」

 

モニターに踊る様々なグラフや文字列。それらを観測しながら、ロラ・デシャンは逐一報告する。

報告する先はこの研究所の長、藤元博士である。

やがて全ての報告を終えると、藤本は「随分と馴染んできたのぅ、順調順調」と嬉しそうに笑う。

ちらりとモニターから顔を上げ、見やる。

視線の先には静かに眠る女性が一人。

様々な計器に繋がれたまま、その顔にはまるで緊張の一つもない。

自分の身に、何が行われているのかも知らず。

 

「まだ慣れんか、ロラ君」

 

思考のまどろみが唐突に、老いた声によって打ち消される。

はっと息を呑んで顔を上げると、視線の先には老研究者が一人。

無表情のままじっと彼女を見つめる藤本の姿があった。

その目はまるで心中を見透かしているかのようで、ロラは思わず顔を伏せる。

 

「……慣れませんよ、こんなの」

 

自身の声が微かに震えているのをロラは自覚していた。

抑えていた感情をぽつぽつと現れ、それを隠しきれないのが自分で分かる。

だがそれを止める気にはなれなかった。

 

「こんな動物実験も済んでない臨床試験、いきなり人で試すなんて……どうかしてます。しかも、こんな実験……倫理的に……」

 

感情に任せて好きに言う。

科学者として自身も従事しているというのに、この言い草だ、と、自身の頭の冷静な所が笑っている。

それを聞いて、老人は「ふむ」と顎を小さくなでた。

その表情はひょうひょうとしたいつもの笑い顔で、そこからは何一つ感情が読み取れない。

 

「ロラ君の言いたいことは分かる。しかしの、儂らには、もう時間が無いんじゃ」

 

言いながら老人はポッドに眠る彼女を見やる。

 

「人に残された時間は残りわずか……いずれの滅びは既に見えておる。それに抗うが為にな、儂らはこんな手を使うしか無いんじゃ」

「それで、彼女はどうなろうとも?」

「ロラ君は知らんかったかの。彼女はの、望んでこの実験に参加しておるのじゃよ」

「……望んで?」

「うむ」

 

そんな話聞いたことも無かった。

 

「彼女は言っておうたわ、『今日生き延びるためなら何だって使ってやる』とな。

彼女は詳細は知らずとも、薄々分かっておろう。こいつが、”クナブラ”が人の理を外れた物だと言うことが。それでも彼女はこいつを使っておるのじゃよ」

「クナブラ……」

 

卵のような装置に包まれ、静かに寝息を立てる彼女。

その姿は、まるで親に抱かれる子を思わせる。

ラテン語で「ゆりかご」の意味を持つそれは、今は彼女を包むように、微か胎動とともにそこへ鎮座していた。

 

「そこまでして、人が生き延びた先には何があるのでしょうか?」

「さあて……分からんな。それこそ神のみぞ知る、といった話よ。

儂らは科学者であって神学者ではない。研究対象があり、仮説があり、検証できるものがあればそれを行う。

それはかつての世の中となんら変わらん」

 

そう言って老人は目を細め、セレステに目をやる。

視線の先で柔らかに眠る彼女を、老人は暫くの間見つめていた。

 

 

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