降臨祭九日目、午後五時三十分頃――。
「あーつかれたぁ!!」
「今日はここで飲もうか!」
「お、いいねえ!」
シティオブサウスゴータはまた、俄かに活気づく。残り少ない休みの時間を精一杯楽しもうと、店へ繰り出す人々で溢れかえる。
しんしんと降り積もる雪の空はもう、真っ暗闇となっていた。冬なので夜の時間が速いのである。
サウスゴータの外は天幕の灯りがそこここに広がり始め、人の往来で騒がしくなり始める。
そんな中、ギーシュ達四人組は、鍛錬を終えた夜を酒で楽しもうと、繰り出してきたのである。
「呑気だねえきみたち。この街に吸血鬼が潜んでいるかもしれないってのに」
先の闘いで女王から褒めの言葉を受け取ったことで、すっかり舞い上がっているギーシュ達。その中でただ一人、レイナールだけが浮かない顔をしていた。
街の様子を見る限り、吸血鬼の件は伏せられているようだった。実際に会った自分達だけが、この街に鬼が潜んでいる事を知っている。
そう思うと浮かれる気持ちにはなれない。
しかし、そんなレイナールの肩をギムリはバンバンと叩いた。
「大丈夫だって! おれたちは『屍人鬼』だって倒したんだ! 吸血鬼だって大したことないさ!」
「そうそう、それにいざとなったらケンシンが何とかしてくれるって!」
「まあ、それはそうだね」
剣心のことを引き合いに出されると、確かに安心はできる。レイナールは頷いた。彼だったら吸血鬼でも後れは取らないという、信頼がこの時点で構築されているのだ。
「そんなわけで、昨夜の戦勝を祝ってパァーっとやろうじゃないか! なにより、今日は彼が愚痴に付き合ってほしいようだしね」
ギーシュはそう言って、背中に担いだデルフリンガーに顔を向ける。
今日も今日とて厳しく指導していたこの剣だが、どうやら昨夜であまり良い扱いをされなかなかったことにかなり不満を持っているらしい。
人間だったら、間違いなくへべれけになるまで飲み倒すのだろう。それぐらい鬱憤を溜めているのが分かったので、こうして持ってきたのである。
「ありがとうよ坊主……、ったく相棒の野郎! もう俺はアッタマきたぞ!! あんなやつは絶交だ絶交!」
「ははは、大変だねえコーチも」
マリコルヌは憐憫の表情をインテリジェンスソードに向ける。彼らの間ではいつの間にか『コーチ』という呼び名が浸透しているようであった。
「いっそのこと、コーチも逆刃になればいいじゃねえか」
「それは娘っ子にも言われたけどよ……、そんなに簡単なこっちゃねえんだ。いっそ錆び錆びに戻ってやろうか? って考えてる途中だ」
「そんなことになるんだったらぼくはもう振るわないなあ。今日みたいに」
「お前! 俺直々のコーチングを受けてそれはねえんじゃねえか!!」
今日、ギーシュはデルフリンガーを直に振るトレーニングを行っていた。剣心があまりにも使ってくれないため、暇を持て余したデルフがギーシュに頼み込んだのである。
ギーシュもギーシュで、見てくれが良くないこの剣をどう扱ったものかと考えていたのだが、あんまりにもかわいそうだったのでその提案に乗ることにした。
デルフリンガーは大剣である。これで素振りするだけでも結構体力を使う。そう言う意味では鍛錬にももってこいというのもあった。
そんな会話を交わしながら、ギーシュは『魅惑の妖精』亭の看板を見て驚きの声を上げた。
かつてチクトンネ街で、可愛い女の子が給仕をしている事を思い出し、店前で足を止める。
「ここにしようか。可愛い女の子がたくさんいるんだ!」
「お前、モンモランシーはどうしたよ」
「ていうかケティとはその後どうなったの?」
「もげろ、爆発しろ」
「ままま、いいじゃないか、ほら、だまされたと思ってここは付き合ってくれたまえよ……」
男共の
「いらっしゃい! ってあれ!? あなたいつぞやの!」
「やあマドモアゼル。覚えてくれて恐縮だね」
対応したのはジェシカだった。ギーシュを見るなり驚きの声を上げる。
ギーシュはさっと薔薇状の杖を取り出し、彼女を口説きに入る。それを軽く受け流しながら、ジェシカは一際大きなテーブルへと一行を案内した。
「じゃあ、ここで一番高級なワインを出してくれたまえ」
「かしこまりましたぁ!」
給仕の子が快活な声で注文を受け取る。やがてタルブ産の高級ワインがギーシュ達の杯になみなみと注がれていった。
「じゃあ昨夜の闘いと、これからの戦勝を祝って!」
「乾杯!!」
楽しそうに、杯を触れ合わせる学生四人組。そして暫くは夕食をつまみながら、デルフの愚痴に耳を傾けていた。
「昨夜よう……本当に、本当に久々の出番だったってぇのに……、相棒の野郎、火だけ吸い取ってはいオシマイときたもんだ、俺は吸引機じゃねえっつうの! 剣としての矜持が! あるっつうの!!」
「苦労してるんだねぇ、コーチも」
「なんてことだ! 一杯やろうじゃないか!!」
飲んではいないのに、誰よりも酔っぱらた口調でぐちぐちするデルフ。
彼も大変なんだなあ、と思いながらワインを煽っていたギーシュは、ふと周囲を見やった。
周りはきわどい恰好をした女の子が忙しなく歩いている。そんな中で、ふと天幕の端を見ると、そこには見慣れた桃色の髪がちろりと見えた。
「あれ!? ルイズ!?」
「あ、ギーシュ! あんたも来たの?」
「うん、ついさっきね」
ギーシュは杯を片手に、ルイズの席に向かう。マリコルヌ達もルイズに気付いていたが、デルフの愚痴にまだ付き合わされていた。
ここでギーシュは他にもシエスタと、少女がちょこんと座っている事にも目が行く。
「その子は?」
「ちょっとね。色々あって」
ふーん、とギーシュは頷いた。少女はギーシュがメイジだと気づいたのか、ぶるぶると身を震わせルイズの方へと寄った。
「どうしたんだい?」
「実は……」
シエスタがこの少女、エルザの身の上についてをギーシュにも話す。
「というわけで、メイジの方をこの子は畏れているのです。どうかご理解いただければと思います」
「成程ね、でも何でルイズは大丈夫なのかい?」
「ほら、あそこ」
ルイズは後ろ指で、立てかけた軍杖を指さした。杖を遠くに離していることで、エルザの信頼を得ているらしい。
「まあ分かったよ。ぼくはあまり近づかないほうが良いみたいだね」
「そうして頂戴。あ、そうだ、あんたたちケンシン見なかった?」
「いや、今日は姿を見せてないね。どこ行ったんだい?」
逆に質問し返すと、ルイズは見る見るうちに不機嫌になった。ギーシュも内心、地雷を踏んだと察する。
「あぁ……ハハハ、じゃあぼくはこれで……」
そう言って、再び学生組の机に帰った。
「はぁ、どうやったら相棒が使ってくれるかねえ……」
「まだぼやいてたんだ」
再び席に戻ったギーシュは、マリコルヌ達がまだデルフの愚痴に付き合わされていることに苦笑した。
(ルイズといい、コーチといい、ケンシンも大変だねえ)
能天気にもそう思いながら、ギーシュはワインを呷る。程よい気分になり、顔が少し朱に染まる。
暫くは再び給仕の女の子に目と向けていたが、やがて怒鳴り声があたりに響き渡った。
ギーシュは声のする方へ目を向けた。天幕の隅で、カップルらしき二人が口げんかしている。
帽子をかぶっているせいか、顔はよく見えない。はたから見ると違和感を覚える二人組だった。
「だからさぁ! もう過ぎたことじゃん!」
「そういうわけにもいかないだろ! 大体きみはいつだってそうだ!」
「はいはいわたしがわるぅございましたよはいこれでもういいでしょ!」
「いやっ、だからだなぁ……! ここはある意味では敵地で――」
「もういいわよアリィーの馬鹿! 知らない!」
そう言って女性らしき一人が席を立つ。どうやらトイレに向かったらしい。
残った男と思しきもう片方は「はぁ……」とため息をついていた。余程苦労しているのが遠目からでも見て取れる。
この奇妙ななりの二人に興味を持ったギーシュは、好奇心を露に男性の方へ席に詰め寄る。
「あはは、きみも大変そうだね」
「…………」
「何があったかは知らないが、まあ女性は薔薇だと思えばいい。どんなに怒られても決して逆らわず、思いのまま受け止めてあげるのがコツさ」
未だモンモランシーとも仲を取り持てていないわりに、知った風な口調で諭すギーシュ。
対する男は黙ったままだった。未だに帽子すら取らない。普段だったらその態度に無礼を感じただろうが、酒で気分が良かったのであまり気にしなかった。
「ま、ここで会ったのも何かの縁さ。どうだい、一杯ぐらいは付き合ってはくれないかい?」
と、杯を傾け男にそう言う。こうするのも、あの女性の顔を一目見たいという下心ありきではあるのだが。
対する男は、あまり慣れ合うのが苦手なのか嫌いなのかは分からないが、やがて観念したように、卓にあったグラスを手に取った。
「……こうすればよいのか?」
言語こそガリア語で流暢だが、あまり作法には詳しくないようなぎこちなさで、男は杯を触れ合わせた。
「ところできみ、一体どこの国から来たのかい? もしかしてガリアから?」
この戦で、ガリアが味方に付いているのは知っているギーシュは、呑気な口調で尋ねる。
「……まあ、そのようなものだ」
男はつっけんどんな口調でそう返す。
「へー、彼女とはどんな関係?」
ずばり切り出すギーシュ。男はしばらく黙ったままだったが、やがて「……婚約者だ」とぼそりと答えた。
「おお! ではもしかして観光目的かい! 確かにここサウスゴータは歴史ある古都だからねえ。一目見たいと現れるカップルはそれなりに多いと聞くよ!」
いずれはぼくもモンモランシーと……と、そんな事をギーシュはぼやく。完全に酔いが回っているせいか、目の前のこの人物を不審人物とは微塵も感じていないようであった。
「まあでも、そろそろ戦が始まるからね。観光はほどほどにした方が良いと思うよ」
「そうか、忠告済まないな」
「いいさいいさ。ここで会ったのも何かの縁ってね」
男の方はもう、いい加減に帰ってもらいたそうな対応を取っているが、ギーシュはそれに気付かない。
そんな折だ。帽子をかぶった女性が再び卓へと戻ってきた。
「あれぇ……! アリィー、そいつだあぇれ?」
「……ルクシャナ、きみ相当酔ってるな」
「えへへぇ! 良いお酒! うちの国とは大違いぃ!」
女性がへべれけになっているのを見て、男、ことアリィーは気まずそうな口調で言った。
余計なことまでベラベラするじゃないかというような表情を浮かべる。
「これはこれはマドモアゼル。あなたの未来の婚約者を少し借りていましたよ!」
薔薇状の杖を差し出し気障な格好を取るギーシュ。この二人はそろって酔っているのであった。
「ああそう! いいわよこんなやつあげるあげる! 口を開けばうるさいことばぁぁっかりなのよぉ! わたしは知見を広めたいってなんろもなんろも……」
そういいながら再び酒を煽る。まずい、とアリィーは身を乗り出した。
「おい、もう出るぞ。それ以上飲んだらきみ――」
「やぁーだ! やぁぁぁぁぁだ!! 帰りたくない!! もっといろんなとこ回るの!!」
女性は立ち上がって駄々をこね始める。声が大きいせいか他の客の注目も少し浴びる。
やがて、女性はバランスを崩して倒れた。帽子がはらりと、宙を舞う。
(まずい――!)
アリィーは素早く女性ことルクシャナをかばって身を乗り出す。誰の目にも見えないように。
帽子が飛んだルクシャナは、見られたらまずい尖った両耳が露出していた。
こうなっては致し方ない。あまり自身の姿を変えたくなかったが、そうも言ってられなくなった。
「我らを纏う風よ、我らの姿を変えよ」
「ううん何だい? 大丈夫かい?」
ぼそぼそと何かを呟くアリィーを、心配げに見つめるギーシュ。やがてアリィーもまた帽子を取る。
「ああすまない。転んで頭を打ったのではと思っただけだ」
「えへえへへぇ……、アリィーのえっちぃぃ」
完全に酩酊していたルクシャナはそんなことをぼやいていた。アリィーは酔いの回った彼女を介抱する。
ようやく判明した二人の素顔を見て、ギーシュは驚いた。あまりに綺麗な金髪を湛えた二人組だったからだ。
一瞬エルフなのか? と疑ったが、二人の両耳は人間の耳である。さる高貴な人なのだろうと、この時ギーシュは思った。
「いい加減帰るぞルクシャナ。まだ今晩何処に泊まるのかすら決めていないというのに――」
「待って、アリィー、動かさないで……、吐きそう……」
今度は具合を悪くしたようだ。顔を青くしたルクシャナが口元を両手で抑える。
流石のギーシュも一気に距離をとる。見かねたスカロンが「吐くならあちらでお願いしまぁぁす!」と手際よく案内する。
「やば、ちょっと……もう……!」
そんなうわごとを呟きながら、ルクシャナはスカロンと共に天幕祖の外へと消えていった。
「……大変だねぇ、きみも」
特大のため息を吐くアリィーに向けて、憐憫の表情をギーシュはした。
「ああ、全くだ」
今度はつっけんどんな対応ではない、心底同意するかのような声で、アリィーは返した。
「びっくりした、エルフかと思ったわ」
一連の騒動を遠目で見やりながら、ルイズはそう呟いた。
午後からやってきてお酒を飲んでいたせいで、女性の方はへべれけになっているようだ。
この時までずっと帽子をかぶっていたからずっとルイズは不審に思っていたのだが、先程露になった耳の長さから、エルフではないと判断した。仮にエルフだった場合、この店は騒然となっていたことだろう。
恐らくガリアの高貴な貴族なのだろう。
まあ、ガリアの貴族が何でこんな店にいるのか。それはそれで疑問に思うのだが、ギーシュの絡み酒の対応を見るに、そこまで不信は感じなかったため、目線をシエスタに向けた。
「あんた、何やっているの?」
「何って、ケンシンさんのためにマフラーを編んでます」
シエスタは今、白のマフラーを手ずから編んでいた。もう完成はしているらしく、細部を整えている段階だ。
隅に『シエスタ』と、名前をさり気無く入れているのは、抜かりが無いというかなんというか。
そんなことを考えていると、シエスタは一度手を止め、床のバスケットの中にある、もう一つのマフラーを取り出した。
「冬のアルビオンは寒いからね。これを巻けば暖かくなるわよ」
親し気な口調で、エルザの首元にマフラーをかける。エルザははにかんだ様子で「ありがとうお姉ちゃん」とお礼をした。
「こっちは、ケンシンさんの分として……と」
「わたしのは無いの?」
「欲しいのですか?」
「あんた……っ、本当にいい度胸してるわよね」
「冗談ですよ。ただわたしの作ったものを、ミス・ヴァリエールが素直に受け取ることに、ちょっと驚いだだけです」
そう言ってシエスタは、再びバスケットからマフラーを一枚取り出した。どうやらルイズの分も作っていたようだった。
「ケンシンさんのついでにはなりますが、よろしければ」
「……まあ、礼は言っておくわ」
言い方に引っ掛かりを覚えるも、寒さには勝てないルイズは素直に受け取った。首に巻くとほんのりと暖かみを感じる。
シエスタは再び剣心用のマフラーを編み始める。手を動かしながら、シエスタはおもむろに言った。
「トモエさんって、編み物もお上手なんです?」
「そういえばしていたわね。あんた以上じゃない?」
「……じゃあ、お料理は?」
「うーん、食事を運んでいるのは何度か見たけど。出来るんじゃないかとは思うわ」
「お掃除は!?」
「それもしてたわね。手際よかったわよ」
「……高貴そうな方なんですか?」
「まあそうね。わたしたちの国で言う、貴族みたいな印象はあったわね」
「でも、わたしのように魔法は使えないと」
「ええ、それは確かよ」
矢継ぎ早に質問をぶつけてくるシエスタ。その様子だけで、巴に対し静かな対抗心を燃やしているのが何と無しに伺える。
というかルイズもルイズで、巴は剣心をどういう風に見ているのか、逆に剣心も巴をどう見ているのかすらよく分かってないのが現状だ。
そもそも、ルイズも巴を剣心の恋人とは思ってもいないし、認めたくはなかった。
「……会ってみたいです。トモエさんに」
やがて、シエスタは確固たる口調でそう言った。
「ミス・ヴァリエールの魔法で、何とかなりませんか?」
「何ともならないわね。ってか、会ってどうするのよ」
「それはもう、ケンシンさんを月一でもいいからお借りできないかの交渉を」
「嘘ね。あんたが月一で満足するはずがないじゃないの」
「……バレましたか」
てへ、と舌を出すも、表情は真剣そのものであった。本当に二番目の席を狙っているかのような顔。
ルイズは少しもやもやする。巴のことは認めたくはない。かといって、シエスタのような覚悟や気持ちを持っているわけでもない。そもそも、自分が剣心のことをどう思っているのかすら、整理が追い付いていない状況なのだった。
「ユキシロ・トモエさん、かあ……」
「というより、ケンシンに聞けばいいんじゃないの? トモエとはどういう関係かって」
「ミス・ヴァリエールは聞かないのです?」
「何でわたしが? 知りたいのはあんたでしょ」
「……ずるいです。じゃあわたしも聞きません」
「何よそれ……」
そう呟きながら、編み物に手を止めるシエスタ。いい時間なので小腹が空いたのである。
「ミス・ヴァリエールはこの後、どこかに行かれる予定はあるのですか? よろしければ夕食もおつくりしますけど」
「ケンシンがどこ行ったのかにもよるけど、まあそうね。お言葉に甘えさせてもらうわ」
あれからずっとこの天幕にいたが、いつまで経っても剣心は帰ってこない。
後で『爆発』の刑ね。そんなことを頭の隅に考えながら、ルイズはふとエルザの方を向いた。
「エルザはそれでいい? ここの人たちなら、あなたを悪いようにはしないわよ」
と、くねくね踊りながら接客するスカロンはなるべく見ないようにしながら、ルイズは言った。
エルザはしばらく考えるような顔つきの後、うんと頷いた。
降臨祭九日目、午後六時頃――。
「ん、んう……っ……」
エレオノールはゆっくりと瞼を開けた。
身体は横に倒されているらしい。目を開けた瞬間に見たのは、あの男たちが何か掘り進めているような光景。
ボロボロのマントを翻す男たちのほかに、オーク鬼やオグル鬼なども見かけた。巨大なつるはしを使って壁を掘っているようだった。
「ん、う……ぅ!!」
エレオノールは声にならない声を上げた。両手は後ろ手に、両足も縛られている。
口には布の猿轡を噛まされており、くぐもった呻き声しか上げられなかった。
もがこうとしても、縄はびくともしない。眠らされる前から身体を巻き付けてきた魔法の縄のようだ。この状態では杖を振ることもできない。
段々と状況が理解し始めた時、エレオノールの中にある恐怖という感情が、どっと押し寄せてきた。
わたし、どうなるの?
この状況では、自分がヴァリエール家の貴族ということすら通用しないのだろう。
やはり、殺されてしまうのだろうか?
その考えに至った時、エレオノールは暴れた。嫌だ、死にたくない。
これによって、相手も何人かはエレオノールが起きたことに気付いたようだが、そんなことはお構いなしとばかりに穴を掘る。
男どもは、縛られた自分を見ても誰も何もしようとはしなかった。『そういう目』ですら見てこない。
思考がまるで存在しないかのような、そんな感覚。
ただ、黙々と掘っている。声すらろくに発さない。それがエレオノールにとって恐ろしく感じた。
「伝令、伝令」
やがて、冷たい声が坑道を響く。男の一人が穴を掘っている者たちに告げた。
「クロムウェル皇帝より、『ここは廃棄せよ』」
「サー」
「爆破で潰せとのお達しだ。敵がここを嗅ぎつけるやもしれぬ」
縛られたエレオノールを指さしながら、そう続ける。エレオノールは戦慄した。十中八九、自分はそれに巻き込む形で殺されるのが、嫌でも分かってしまったから。
(誰か……!)
一粒の涙を流しながら、エレオノールは猿轡の奥で呻いた。
降臨祭九日目、午後六時五分頃―――。
「……結局、全部回る羽目になってしまったでござるな!!」
既に夜の帳が降りたシティオブサウスゴータ。魔法のロウソクでまばらに光る建物の屋上を、一つの影が走る。
緋村剣心だ。
第二候補へ行ってもそこにエレオノールの姿はなかった。結局剣心は、虱潰しとばかりに残りの、地図に書かれた鉱山口の全てを当たったのである。
そして何処へ行っても彼女の姿はなかった。第一候補の坑道は管理人に言い含めていたため、優先順位を下げたのだ。
だが、思い返せば彼女は自分に良い印象など持ってはいない筈だ。強引に入ってしまった可能性もある。
とにかく、剣心は念の為にとまた、第一候補の坑道へ向かっていた。
もう意地だ。例え怒られようともエレオノールの安否を確認したかった。
建物の屋上を、緋色の影が翻る。
剣心は今、使いもしないのに逆刃刀を抜いていた。『ガンダールヴ』の力も引き出し最大限の速力を発揮していたのだ。
「頼むから、何も起こらないで欲しいでござるよ……!」
目的地までまだまだ距離がある。ルイズの長女の安否を確認するため、剣心はひたすら駆けた。
降臨祭九日目、午後六時三十分頃―――。
「おまちどうさま」
シエスタはそう言って、野菜を煮込んだスープとパン、鳥のローストやサラダと料理をルイズ達の卓へと並べていく。
「わあっ! 美味しそう!」
「学院の食事には劣るかもしれませんが、よろしければ是非」
ルイズは早速料理に手を付ける。午後の鍛錬は休んだが、不思議と腹が減っていた。
サラダを皿にとりわけ、その上に切り分けた鳥を乗せる。フォークでさらに細かく切り分け、口に運んだ。
「うん、美味しい」
「おほめにあずかり恐縮です」
満足そうに頬張るルイズを見て、丁寧な態度で接するシエスタ。
「で、トモエさんと比べてどうです?」
「比べてってあんた、わたしは夢を見てるだけなのよ。向こうの世界のごはんなんて食べられるわけないじゃないの」
いやはや、大した執念だわ。ルイズはひとりごちた。どうやら対抗心でこの料理を作ったらしい。
「あ、でも純粋に気になります。ケンシンさんの世界って、どんな料理が出るんです?」
「そうね、まあ野菜とか焼き魚かしら。あと『味噌汁』ってスープも出てたわね。あ、あと『米』ね」
「コメ?」
「まあ、わたしたちの世界で言うパンみたいなものかしら。それを『箸』っていう二本の棒を使って……こう、つまむの」
「つまむ?」
「そう、つまむの」
「……よく分からない食器をお使いになるのですね。向こうの方々は」
「うん、そうね」
フォークを手で転がしながら、呟くルイズ。その間にもシエスタは色々聞いてきた。
ルイズもルイズで、シエスタはこの手の話を共有できる数少ない相手だったので、色々話してあげた。京都のこと、祇園祭のこと、幕府や藩のこと。
勿論、剣心が人殺しをしていたということは伏せた。
「うわあ、ケンシンさんから聞いたコトと本当にそっくりですね。いつか行ってみたいなあ……」
思うようにつぶやくシエスタ。そして「いつかわたしも、そのニホン料理というものを作ってみたいです」と、続ける。
「そうしたら、ケンシンさん……喜んでくれるかな」
結局、そこに落ち着くらしい。ルイズは呆れのため息をつく。
「シエスタ、あんたねぇ……」
そこまで言いかけた時だ。
「ごめんなさい、おにく、だめ」
同じように食事をしていたエルザが、肉だけ取り出してシエスタの小皿に取り分けていた。
「なによあなた、そんなに好き嫌いして。そう言えばお昼も肉は駄目って言ってたわね。ちゃんと食べないと身体は頑丈にならないわよ」
「うぅ、でもだめ……」
ルイズは嗜めるが、エルザは涙目だった。顔も青くしていることから本当に駄目なのだろう。
「あのねえ、確かにあなたは不幸な目に遭ったのかもしれないけど、こうしてご飯にありつけるだけまだ恵まれているのよ。世の中には食べたくても食べられない人なんて沢山いるんだからね」
「まあまあミス、そこまでにしてあげましょうよ」
シエスタは気にしない様子で、エルザに渡された鶏肉を頬張った。美味しそうに顔を綻ばせるシエスタ。
やがておもむろに、エルザは言った。
「ねえお姉ちゃん、鳥さんって、生きてたんだよね?」
「んぐっ、ええそうね」
何を言い出すんだろうこの子? そんな顔をするシエスタとルイズ。しかし二人を置いてエルザは続ける。
「お野菜も、スープのものも、元は全部生きてたんだよね? 全部殺しちゃうんだよね? どうしてそんなことをするの?」
「どうしてって……?」
哲学的な質問を急にぶち込まれて、ルイズは困惑した。とりあえず、すぐに思いついた答えをエルザに返す。
「まあ、パンだけじゃあ飽きちゃうから?」
「パンを作る小麦だって、摘んじゃうんだよね? それって結局殺しているのと、同じじゃないのかな?」
「う……」
子供にやり込められてしまった。妙に博識なこの子を少し、ルイズは異様に思った。
答えに詰まってしまったルイズに代わり、今度はシエスタが答える。
「まあ、生きるため、ですよね。言ってしまえば」
「生きるため……」
「そうです。食べなければ死んでしまう。でも誰だって死にたくはないでしょう? そういうものです」
「ふぅん、そういうものなんだ……」
よく分からない問答に、しばしルイズ達の卓の空気は固まる。エルザは未だに「よく分からないなぁ……」と呟いていた。
そんな折――。
「きゃああああああああああああああああ!!」
「ばっ、化け物ぉ!」
その声に、ルイズ達はハッとなった。
悲鳴は天幕の外から聞こえてきた。ルイズは慌てて軍杖を手に外に出る。
「なっ――!!」
外に出たルイズは目を見開いた。
昨夜のように、平民らしき男が、腕を振り回しながら街の外を暴れていたのだ。