光が、衝撃が、草木生い茂る広場に迸った。
それに巻き込まれたエルザは、ただ、抗えない衝撃と暴風に飲まれていった。
声すらまともに上げられない。上下左右の空間すら、まともに把握できない。そんな流れのまま、ただひたすらに吹き飛ばされていく。
最後に彼女が視認したのは、大きな滝つぼ。どうやら崖まで飛ばされ、そのまま落ちている最中らしかった。
「――――っ――――ぁ――――!!」
何の声を発しているのか、自分でもよく分からない。
重力になされるがまま、エルザは落ちて行った。
「―――はあぁ……っ」
「ルイズ殿!」
ルイズは一息ついた後、滝汗を流しながら崩れ落ちそうになった。その体を、剣心が支える。
「済まなかったでござる。遅れてしまって……」
「いいわよ。ケンシンが姉さまを助けに行ってたのは、知ってるから……」
不思議と、中々来なかった剣心に対する怒りや失望はなかった。自分の力で、吸血鬼と渡り合ったからであろうからか。
勿論、自分の一人だったらあのまま喰われて終わりだった。ギーシュ達の助けがあったらからこそ掴んだ勝利だ。
それでも、剣心の手を煩わせることなく、自力でこの場をしのいだという事実は、ルイズの内面を大きく成長させていたのであろう。
ただ―――。
「ごめん、あの子、取り逃がしちゃった……」
憂うような目で、視界の先、エルザが吹っ飛んでいった方向を見やった。
自分達がいる草原の先には、大滝の流れる音が聞こえる。夜なので見えないが、多分大きな崖が広がっているのだろう。
そこへ落ちて行ったのは、何となくわかってる。……それで良しとしてしまったのだ。
本気で彼女を殺そうと思えば、出来た筈だった。
二度目の泣き落としは流石に騙されなかったが……、それでも爆発の中心位置を、ルイズは無意識にずらしてしまったのだ。
直撃させれば、そのまま消滅にも追いやれたはずだった。でも、それをしなかった。出来なかった。
妖魔とはいえ、自分やギーシュ達を殺そうとしたとはいえ……、殺すことに拒否感を覚え始めていたのだ。剣心の、正確には抜刀斎時代の夢で、斬られて死んでいく人々の顔を、何度も見てしまったから。
なおのこと、自分がそれをすることに、恐怖を感じてしまった。
それに、裏切られてしまったとはいえ、ルイズはルイズなりに、子供を助けようとしたのだ。彼女を殺してしまったら、その気持ち全てに嘘をついてしまうという、そんな強迫観念があった。
(弱いのかなわたし? 甘いのかしら―――)
ルイズはそんな疑問を抱えた瞳で、剣心を見る。剣心は何を言わず、ルイズの桃髪を優しくなでた。
「お疲れでござるよ。よく頑張ったでござるな」
「……うん、ありがとう」
その声を聞いて、ルイズは内心、はにかんだ。
そして再び、エルザが飛んでいった方向を見る。吸血鬼ならば、あれでもかろうじて生きているのだろう。ただ、暫くは動けない筈だ。それぐらいの手痛い傷は負わせたと思っていた。
ここでだんだん、瞼が重くなる。
虚無を使いすぎたせいで、眠気が襲い掛かったのである。
ルイズは剣心の優しい顔に視線を映しながら、やがて意識が遠のいていった。
「くー」
ルイズは安らかな顔で剣心に身を預けた。可愛らしい吐息が微かに漏れる。
剣心は彼女を背負った。そして、まずは突き刺さったままのデルフを見つける。
「かなりの修羅場だったようでござるな。忝い」
「あぁ……、相棒がいてくれればこんなことにゃあならなかったんだろうが、まあ娘っ子や坊主共には良い経験になったんじゃねえか?」
いつもの様子で、デルフはカチカチ鍔を鳴らした。先ほどまで剣心に愚痴をこぼしていたが、大体吐きたいことは吐いたために今はすっきりしているようだ。
剣心はデルフの柄に手をかける。
「ずっと考えていたのでござるが、お主は拙者よりギーシュ達に振られた方が、良いのではござらぬか?」
「………」
珍しく、デルフは黙った。剣心も剣心で、色々考えた末にこういった話を切り出していたのだ。
自分にはもう、逆刃刀がある。魔力を吸い取る能力も現状、そこまで剣心にとって重要というほどでもない。切ろうと思えば、火だろうが氷だろうが鉄だろうが斬れるからだ。
ただ、デルフ自身は剣心にとってもかけがえのない友だとは思っている。彼を活用できないことに、申し訳なさは感じていた。
「なあ相棒」
そんな中、デルフはおもむろに言った。
「俺も俺でね。色々考えたんだ。確かにこっちの方が剣としても監督役としても楽しいし、坊主共もちゃんと成長し始てるからな。……そっちの方が良いのかもなあって」
「デルフ」
「ま、そんな顔をすんな。誰に振られようと、俺の相棒はお前さ。ケンシン。その気になったらまた、振ってくれればいいさ」
「……済まないでござるな」
剣心はそう言って、背中にルイズ、右手にデルフを持ったまま、今度は水精霊騎士隊の所へ向かった。
「大丈夫でござるか?」
「ああケンシン、遅いよもう!!」
「いやあ、あれが吸血鬼か……、マジでヤバかったな」
助かった学生組は、銘々そんなことを呟く。彼らなりに、吸血鬼と対峙して生き残ったことに喜びを噛み締めていた。
「おいおいギーシュ! お前平気か!!?」
そんな中、マリコルヌがギーシュの元へ駆け寄る。彼だけはエルザによって地面に何度も叩きつけられていたのだった。
今は両足が地面に生えているかのような感じで、頭から真っ逆さまに土に潜り込んでいるようだった。
「だ、だしてくれぇ~」
「よし任せろ」
ギムリがギーシュの両足を掴んで、思い切り引き抜く。
遅れて、上半身が土で汚れたギーシュが顔を出した。
「はぁぁぁ、死ぬかと思ったよ……」
「お前、あんだけ叩きつけられててよく生きてたな」
「ああ、ぼくも一瞬、ヴァルハラから天使さまが手を振っているのが見えたからね」
ギーシュはそう言って、薔薇型の杖をくるくる回した。地面に叩きつけられる直前、とっさに『錬金』を唱えて土を柔らかくしたのである。
おかげで傷はそこまで深くはない。昨夜の剣を『土くれ』に変えた経験が、活きた格好だった。
ここでギーシュも、剣心が来ていたことに気付く。
「おおケンシン、来てくれたんだ! ってことは吸血鬼は……!」
「拙者が来た時にはもう、ルイズ殿がほぼ終わらせていたでござるよ」
それを聞いたギーシュは、心底ほっとして胸をなでおろした。何だかんだ言って、やはり吸血鬼は怖かったのである。
「結局ぼくたちは、あわあわしただけだったなぁ……」
自嘲気味にそう呟くギーシュ。学生組も、最初に捕まってしまったせいで大した役には立ててなかった、それはみんな、分かっていることだ。
殆どルイズが頑張ったのだ。自分達はそれでいいのか……と。
「いや、んなことねえぜ」
それを遮ったのはデルフリンガーだ。
「コーチ、でも……」
「まず最初にだ。おめえさんたちが向かった頃には、既に娘っ子は捕まってたんだ。最終的には自力で脱出してたとはいえ、おめえさんらの時間稼ぎが、娘っ子にとって大きな助けになったはずさ」
つかそれは! 本当は相棒がやる筈なんだがな! とデルフは締める。剣心も困ったように「おろろ……」と呟く。
「ようはこの闘い、誰が欠けても勝ちはなかった。そう言うことでござろう」
そして最後に剣心は、ギーシュの肩を叩いて言った。
「強くなったな、ギーシュ。その調子で頑張るでござるよ」
それを聞いたギーシュは、何ともこそばゆい表情をした。
「へへ、まあ、そうだね……」
こんな風に直球で、剣心に褒められるとは思ってなかった。素直に嬉しいという気持ちが心を温かく満たしていく。
「さあ、行こうか」
そして剣心は、被害に遭った屍人鬼を、学生たちと一緒に運びながらその場を去った。
「――――……」
「どうした相棒?」
「いや、何でもない」
一瞬だけ、剣心の視線が鋭くなった。そしてどこか遠くを睨んでいた。
それを不思議に思うギーシュ達だったが、剣心はそう返すだけだった。
「……行ったか」
剣心達が去った後、茂みの森からそんな独り言が響き渡る。
やがて蜃気楼のようにその場が歪んだと思うと、一人のエルフがその場から現れた。
エルフ……アリィーは険しい表情で思案に暮れる。
「やはり、観察していて正解だったな。あれが『虚無』……か」
アリィーもまた、蛮人たちの使う魔法については、聞きかじり程度であるが知っている。
自らの魔力を使って様々な現象を起こす系統魔法。分類して火、水、風、土の四つに分かれる。だが、そのどれもに該当しないゼロ番目の系統、虚無。
聞けばそれは、悪魔ブリミルがかつて操った業。空気中の更に小さな『粒』に影響を及ぼす、強力な魔法と聞いていた。
その正体があの『爆発』や『幻影』、『高速移動』ならば、納得はいく。
恐らくはあの桃髪の少女が虚無の担い手なのだろう。そして彼女を守るかのように聳え立った剣士……あれが彼女の使い魔か。
(攫えるか……?)
一瞬そう考えるも、「いや、まだだ」と自ら却下する。
まだ情報が足りない。そんな状態で挑んでも、難しいだろう。
相手の吸血鬼は決して弱くはなかった。いやむしろ、あの精霊の行使力は相当なものがあったとアリィーは思っていた。
事実、エルザの操る魔力は他の吸血鬼とは比較にならない規模であった。志々雄に出会って以降、上等な血を浴びるほど飲んできたため、魔力や身体能力が格段に高くなっていたのである。
それこそ、下手なエルフより強力な行使力を、あの吸血鬼は誇っていたのだ。何せアリィーが契約の上書ができなかったほどである、『反射』はできてなかったため、ビダーシャルほどではないだろうが……。
そんな彼女が、虚無の担い手に敗れた。
そしてその担い手を守護するかのように立ち塞がった使い魔、緋村剣心。
一見で分かった。隙が無い。
眠ったルイズを抱えていた間、デルフやギーシュと駄弁っている間、奴はずっと周囲を探っていた。恐らく自分の気配を、朧気ながら探っていたのだろう。
戦闘中、アリィーは精霊の力を使って、自身の周囲一帯を『結界』で覆っていた。普通の手合いであるならば、自分がここにいることすら悟られない筈だった。
だが……蛮人達が立ち去ろうとして、此方も動こうとした瞬間、まるで牽制するかのように目線を、こっちに向けていた。
それに嫌な予感を覚えたアリィーは、結局動くことができなかったのである。
あれほど強力な護衛が彼女を守っているのであれば、一筋縄ではいかないだろう。
「もう少し、考えて立ち回るか……」
虚無の担い手を、ここで見つけられたことでまずは良し。今後どう動くかは、明日考えるとしよう。
アリィーはそう考え、ひとまずルクシャナの元へと向かった。
降臨祭九日目、午後八時四十五分頃―――。
「そうですか、吸血鬼を撃退できましたか……」
連合軍作戦指令室、その隣の個室で、アンリエッタは剣心からの報告を受けていた。
ルイズは更にその隣室で寝かせている。気持ち良さそうにに夢の世界へ旅立っているようだった。
そんな眠りについている彼女を、エレオノールが何とも言えなさそうな顔で、優しく頬を撫でていた。
「これで、少しは楽になると思いたいですわね…」
テーブルに地図を広げていたアンリエッタは、険しい顔を崩さずそう言った。
とりあえず、諜報員を担っていたであろう吸血鬼を撃退できたのは、朗報なのは間違いない。
「ケンシン殿のお話を聞いて、すぐに土系統専属のメイジ達に、この街の測量に当たらせました。……彼女も、協力を惜しまないそうです」
エレオノールの顔を思い浮かべながら、そう言うアンリエッタ。彼女も専攻は土系統なため、サウスゴータの地中調査に身を乗り出したのである。
なにせ危うく殺されかけたのである。妹の件もあり、レコン・キスタを許せないという気持ちは、かなり強まっているようだった。
「して、どうでござるか…?」
剣心は神妙な顔で尋ねる。とはいえ、答えはある程度予想していたようだが。
「ええ、ケンシン殿の仰る通りでした。この街は五芒星状に通路ができているのですが、その各頂点五か所。ここだけ異様に地盤が『薄い』という報告を受けました」
星の紋様……その先端を順に指さしながら、アンリエッタは話す。「ああ、すみませぬ。正確には四か所ですね。一か所は潰れたようですし」と、次いでエレオノールを助けた坑道口を指さした。
「そこから、戦闘を仕掛けてくるやもしれぬと」
「ええ、明日で降臨祭最終日。その日の夜十時には、各王を呼んで和平交渉が行われます。良くも悪くも、ここで戦端が開かれることでしょう」
アンリエッタは確信を持った目でそう告げる。剣心も、その判断はおおむね正しいと踏んでいた。
「交渉は十中八九、決裂に終わるでござろうな」
「ええ、これはいわば余興みたいなもの。対抗策として、この四点の侵入予想地に、軍を配置します」
こちらの軍は六万。連勝を続けて士気は高い。対して相手は、推定では四万と聞く。戦力差だけで見れば、此方が勝っているのは確かだ。
しかし相手は狡猾で隙が無い。この程度の差など、あってないようなものだとアンリエッタは思っていた。
それに、戦地はここサウスゴータになるのはもう揺るがない確定事項だ。こちらは守る側の闘いになる。空で砲撃を仕掛けようとすれば、味方も巻き込んで混乱することだろう。
「思えば、制空権は取られても良かったのですね。最初からこうするつもりだったのでしょうから……」
それに、敵は吸血鬼でさえ下僕にしているのだ。しかも『アンドバリの指輪』を使った偽りの忠誠ではない。その力とカリスマで、吸血鬼さえ心酔させてしまう手腕を、向こうは備えている。
「奴らは間違いなく、交渉決裂の混乱に準じて、『十本刀』相当の手練れを街に放ってくるでござろうな」
「軍の編成や配置、対抗策はこちらで詰めておきます。ケンシン殿は……その、シシオ・マコトをお願いしてよろしいでしょうか?」
その言葉に、剣心は力強く頷いた。
「承知」
そして再び、時は流れる。
二つの月が、地平線の彼方で沈む頃―――。
降臨祭十日目、午前七時頃―――。
降臨祭も遂に、最終日となった。
いつもは歓談で溢れる街道も、明日の戦に向けての配置や編成、準備などで大忙しとなっている。
なにせ明日の総攻撃案はとりやめとなり、今夜行われるだろう、敵軍の奇襲への対応に、兵隊たちは追われている状況だった。
アンリエッタはド・ポワチエら上層部を権威と理詰めで説き伏せ、ここサウスゴータに防衛陣を敷くことを決定させたのである。
「本当に、奴らは地中から攻めてくるのでしょうかな?」
ド・ポワチエは最後まで懐疑的であったが、事実推測地点の場所は土系統専属の貴族により、柔らかくなっているという報告を受けている。
「やらないよりはやったほうが良いでしょう。今夜を無事しのげましたら、その時は改めて進軍を提案します」
そう言うことであれば……と、ド・ポワチエは渋々ながらも、侵入口へ兵を重点的に配置することに同意したのである。
「各地にそれぞれ精鋭を並べ、通路に槍兵やバリケードを設置しましょう」
「屋上や周囲の建物にメイジと弓兵を並べます。地中から出てくるモグラどもを集中攻撃いたしましょうぞ」
「ウィンプフェンよ、備蓄周りの準備はお前に一任するぞ」
「あと、住民や慰問隊への避難勧告も進めてください」
「はっ!」
アンリエッタの周囲では、そんな風に軍議が進んでいく。
剣心達のおかげで、こうやって敵を迎え撃つ準備ができたのは本当に行幸だった。
だが……それでもアンリエッタの胸中は不安で満たしている。
敵は本当に、思惑通りに攻めてくるのであろうか……?
まだ何かあるんじゃないか? そう思えてならない。
しかしもう、そんな考えに割く時間が無いのも事実。間諜も退けたのだ。現状、これで進めるしかない。
アンリエッタは再び、ド・ポワチエに尋ねる。
「アルブレヒト三世は、今日の夕方にここへ来られると聞きましたが」
「ええ。この蜘蛛の大陸で起こったこと全てはもう、報告済みです。ハルデンベルグ侯爵の殉職についても」
そうですか……。とゲルマニアのトップが来る時間帯を確認した後、アンリエッタは椅子の背に重心を預けた。
この時、時計の短針は午後一時を指していた。
昨日からずっと寝てないのである。身体の方が、そろそろ限界に来ていた。
「元帥、わたくしは少し寝ます。何かありましたら起こしてください……」
「陛下!? 何もこんなところで寝なくとも」
「いいのです、仮眠ですから……」
それを最後に、目を閉じたアンリエッタは、泥に沈むかのような勢いで眠りの世界へと入っていった。
さて、軍議の方はこんな風に推移していた中。
降臨祭十日目、午前八時半頃―――。
ここで時計の針を、朝にまで巻き戻す。
「済まないな。本当に……」
「いやなに、拙者でよければ何時でも大丈夫でござるよ」
水精霊騎士隊、陣幕内にて。
細雪で銀が混じった地面を歩きながら、剣心とアニエスは対峙していた。
二人の手には木剣ではなく鉄製の剣が握られている。勿論剣心は逆刃刀だ。アニエスが、実戦での立ち合いを所望したのである。
しかしアニエス自身、勝つために挑むのではない。むしろ今の自分を乗り越えるために、彼の胸を借りるつもりでここへ来たのである。
そうでなくば、自分は一生、役立たずで終わってしまいそうだから―――。
「―――……」
アニエスは瞑目した。あの夜の惨劇が、鮮明に甦る。
鵜動刃衛との闘い、コルベールの悲しそうな表情、死の世界へ旅立ちかけたタバサ…。皆、自分の不甲斐なさ故に起こった事だ。
剣を握る手に、力を込める。
「学院が大変なことになっていたことは、シエスタ殿から聞いたでござる。……まさか左様な事になっていたとは、申し訳ない」
剣心はすまなさそうな目をした。先ほどアニエスの口から、学院で起こった惨事についてを聞いていたのだ。
あの刃衛が生きていて、その結果コルベールやタバサが死にかけた。おまけに隊士だけとはいえ、多数の死者も出したという。
「貴殿が謝ることではない。軍服に身を包んだ以上、皆戦で果てる覚悟はできている。……むしろ、発端は私の不甲斐無さからだからな。復讐に身を任せ、やるべきことを見誤ってしまってな」
恨まれるのも当然だな。と、アニエスはそう続けた。
「このままでは、私は『シュヴァリエ』のマントを返上しなくてはならなくなる。それ自体にもう未練は無いのだが……それだと私を見出してくれた女王陛下の御心を裏切ってしまう。それだけは御免被りたい」
ゆっくりと、剣を構える。剣心はそれを静かな目で見据えた。
「だからこそ、今一度自分を鍛え直したいのだ。そう考えた時……貴殿の顔が真っ先に思い浮かんだ」
「そうでござるか」
「一から十まで、全て私のわがままだ。それに付き合って頂き、本当に感謝する」
歓談もここまで。と少し笑って話していたアニエスは、ここで表情を変えた。
彼女の周りに殺気が迸るのを感じる。正真正銘、全霊をぶつけようとしている。そんな顔だ。
ここから先は、剣で語る時間だ。剣心は何も言わず、逆刃刀の鯉口を切った。
「いざ」
「尋常に……」
陣幕の外で見学しているギーシュ達を横に置き、刹那、二人は駆けた。
「「勝負!!」」
その瞬間、刃と逆さまの刃が、火花と共に交わった。
剣を振りながら、アニエスは自分がここへ来る前のことを思い起こしていた。
降臨祭前のある日、ゲルマニア、フォン・ツェルプストーの屋敷にて。
「……大分良くなりましたわね」
「ああ、きみの献身的な介護のおかげだ。何から何まで、本当にすまないね」
「いいえ、これでもまだ十分なお礼はできておりませんわ」
そんな会話をしているのは、キュルケとコルベールだった。
今は白いベッドの上で、暖めたタオルで先生の身体を拭いていたのである。
ツェルプストー家の医療やキュルケの献身的な介護により、背中の銃弾痕や切り傷も徐々に快方に向かっていた。
「私なんかより、ミス・タバサを看なくて大丈夫なのかね? 彼女は……」
「先ほど様子を見てきました。まだ目を覚ましてないけど、容態は安定しているそうよ」
身体を拭き終え、服を着せる手伝いをしながら、キュルケは言った。
あの激闘以降、タバサは未だ目を覚まさない。ただ、それは仕方のないことだとも思う。
身体の半分近くを斬られているのだ。生きているのが奇跡と医者のメイジは言っていた。
何処とも知れぬメイジの少女や教師を診ることに、両親はいたく不愉快な様子を見せていたが、キュルケは気にしなかった。
「ごめんなさい先生。あたしがもっと強かったら……あんなことには……」
「いや、いいんだ。結果的には生徒が全員無事だと知ってよかったよ」
コルベールは屈託のない笑顔を向けた。それを見たキュルケは、また少し、頬を朱に染める。これが、自分の求めている本当の情熱なのではないのだろうか? そんなことを考えてしまう。
しばし、沈黙が訪れる。
「先生、あたし……」
その時だ。ノックの音が聞こえた。
仕方なく会話を切ったキュルケが立ち上がって扉を開けると、ここツェルプストーに勤める執事が入ってきた。
「客人です。何でもトリステインから来た貴族の方とか」
「トリステイン? 学院の人かしら?」
「いいえ、何でも王宮から……ええと、確か『ド・ミラン』と名乗っておりました」
それを聞いたキュルケは目の色を変えた。その名前で誰が来たかすぐに察したからだ。
「ミス・ツェルプストー。入れて御上げなさい」
同じく悟ったコルベールが、先にキュルケにそう言った。
「なっ、なんでですか!? だってあいつ……!」
「頼む」
真摯な目で、キュルケに頭を下げるコルベール。それを見てしまっては、キュルケも何も言えなくなってしまう。
あの女…アニエスが、かつてコルベールにより故郷を滅ぼされたことは知っている。だからこそ、彼女に対し強くは出れないのも分かっている。
「……分かりましたわ」
キュルケも最終的には折れたのか、先に席を立った。
キュルケは屋敷の入り口前まで来た。扉を開けると、そこにはアニエスが立っていた。
「………」
「………」
互いに顔を見合わせるなり、憮然とした表情で睨み始める二人。先に動いたのはアニエスだった。手に持っていたバスケットをキュルケに差し出す。
「……これ」
「何よこれ」
「果物だ。良ければ……と思ってな」
キュルケはそれを手に取り、中を改める。確かに中にはメロンや葡萄、桃や梨などのフルーツが入っている。
「彼女……は健啖家と聞いているからな。起きた時に……と」
「ふぅん、そう……」
どうやらタバサのためにと持ってきたようだ。今一つ面白くなさそうな顔をするキュルケだったが、素直に受け取った。
「これを届けにゲルマニアまで? わざわざご苦労様」
「彼女には、借りが沢山あるからな」
そこでしばらく会話は途切れる。キュルケは「帰れ」という目線を送っているが、アニエスはその場から動こうとはしない。
「……先生に会いに来たの?」
一つため息を零しながら、尋ねる。
「ああ、そうだ」
これだけは譲れないとばかりに、アニエスは頷いた。
そして力強い目でキュルケを見据える。
「どうしても知りたいのだ。あの夜、あ奴は何を思って故郷を燃やしたのか……、そして何故私だけ生かしたのか。その心情をきちんと理解せねば、私も前へと進めない」
アニエスの言葉を聞いたキュルケは、大きくため息を吐いた後、アニエスを招き入れる。
「……分かったわ。とりあえず入りなさい」
アニエスを屋敷に入れたキュルケは、そのままコルベールがいる場所へと案内する。
剣や武器は没収しなかった。コルベールが「そういうのはやめてくれ」と、強く懇願されたからだ。
「ちょっと歩くわよ」キュルケはそう言うと、中庭へ出て壁を杖で小突き、細道を抜け出て外へと向かう。
腰まで届くほどの長さの草木をかき分け、人気のない方向へと徐々に向かっていく。
ツェルプストーの領地とは微妙に外れた、誰もいない園地。管理する者がいなくなって既に寂れ、細雪が仄かに舞い落ちる外の中。
「やあ、良く来てくれたね」
コルベールは、辛そうな表情で横になった丸太の上に腰かけていた。寒さ防止のために毛布で包まっている。
そんな彼を改めて見たアニエスは、少し語気を強めて言った。
「ああ、来るさ。お前が生きている限り、どこまでもな…」
アニエスはそう言いながら、コルベールを睨み据えた。
「ミス・ツェルプストー。ここまで案内してくれて本当にありがとう」
コルベールはここで、キュルケに自分の杖と共に、手紙を渡す。
「これは……」
「遺書だ。もしここで何かがあったとしても、その手紙の書いてある通りにしてほしい」
それを聞いたキュルケは悲鳴を上げた。
「そんなっ! できるわけないじゃないそんなこと! あたしは先生を死なせないためにここへ運んできたというのに!」
「それでも、この問題は私と彼女が解決すべきことなのだ。人を殺すという事は本来、それぐらいの重みがある。ミスを私を反面教師にして、胸に刻んでほしい」
「でも……!」
「済まない。ミス。私と彼女の二人にして欲しい」
キュルケは目の色を変えた。そして静かに首を振る。遺書と教師の杖を握る手が、震えだした。
しかし、コルベールはそれ以上何も言わず、子をあやす親のような目を彼女に向ける。それを見ていたキュルケは……最終的に頷く。
「……分かりましたわ」
果たして、キュルケは素直に去っていく。
「余程好かれたようだな。事件前は貴様のことを嫌っていたようにも見えたが」
「彼女は良くも悪くも、情熱的に生きる子だからね。あれでも精一杯、自分に出来ることを探しているのだ」
アニエスは「そうか……」とだけ呟いた。そして改めて、コルベールの隣に座り込む。
長年追い続けた、二十年来の仇。
故郷を、全てを灰燼に帰した男。それが目の前にいる。
だが、不思議とアニエスは冷静だった。銃で一度、彼の背中を打ち抜いたことが起因しているのだろうか……。
そんなことを考える内、コルベールから先に口を開いた。
「私のことを、殺したいかね?」
「……ッ!」
「もしそうなら、遠慮なくやりたまえ。貴官にはその権利がある」
「なんだと?」
「先も言ったように、遺言はすでに伝えてある。ここでなら、何か不都合があっても明るみに出ることはない」
それを聞いたアニエスは、唇を歪めた。
「今更、言い訳や御託を並べる気はない。私が語った心の内は……あの夜話したことで全てなのだ。それ以上も、以下もないのだ」
コルベールは目をつむった。彼女の言葉を、動きを待っているかのようだ。
しかしアニエスは静かに、問いかける。
「貴様はあの後、軍を辞めたそうだな。あんな場末の一室に籠り、何をしていた?」
「……研究さ」
それを聞いたコルベールは話した。魔法とは違う、別の動力を見出しかけている事、それを使えば、平民たちにもより良い生活を与えられるのではないかという事。剣心のいた世界では、自分達のそれよりもはるかに技術が進んでおり、それをいつかは見てみたいという事を。
それを話す時のコルベールは、子供のように目を輝かせて身振り手振り伝えてくる。
一昔前であれば不愉快に思えただろうその笑顔も、今のアニエスは不思議と受け入れていることに気付く。
「私は、研究に打ち込んだ。一人でも多くの人間を幸せにすることが、私にできる贖罪と考えた。いや、贖罪などとは傲慢だな。これは『義務』なのだ。私には『死』を選ぶことすら、赦されないのだ」
それを聞いたアニエスは、静かに問う。
「貴様は、生きて世に尽くせば、罪が消えるとでも思っているのか? 貴様が世に尽くすことで、私の家族の、友人の無念が晴れるとでもいうのか?」
「いや、晴れぬ。晴れるわけがない」コルベールは断言する。
「罪は消えぬ。いつまでも消えぬ。この身が滅んでも、罪は消えぬ。罪とはそういったものだ。彼を見ると、よく分かるよ……」
コルベールは目を伏せた。彼……は、おそらく剣心のことだろう。
「彼もまた、罪に苦しんでいると。貴様だから分かったのか?」
「ああ、あの逆さまの刃は、間違いなく生き死に悩んだ者の葛藤の現れだろう。だが、彼は逃げずに闘っている。私からすれば、何とも眩しいことよ……」
コルベールの心は、どうやら剣心と出会った事で大きく変わっているように見えた。アニエスは引き続き、彼の言葉に耳を傾ける。
「私には斯様な勇気がなかった。だから、別の路で今を生きる人々の助けになれば……と、研究に打ち込んだのだ。だが、彼を見ていい加減、逃げるのをやめにしたかった。私も彼のようにもっと、積極的に立ち向かうべきなのだ……」
だが……。とコルベールは振り返って言った。
「貴官が今の私の行動を、心を『傲慢』と断ずるのならば、私はもう何も言えぬ。だから、貴官に私の死を委ねる。私にとっては、死を選ぶことすら傲慢だが、唯一、私の死を決定できる人物がいる。……それが貴官だ」
コルベールは其処で一度、言葉を切る。アニエスは静かに聞いていた。
「あの村の唯一の生き残りである貴官だけが、私を彼らの慰めのために殺す権利を持って いるのだ。だから、貴官の魂が、『許さぬ』と叫ぶのであれば、遠慮なく、やりたまえ」
コルベールはそう言って、最後にキュルケとはまた別の遺書をアニエスに手渡すと、目をつむって静かになって頭を垂れた。
次の瞬間、何があっても受け入れるという気持ちが、嫌でも伝わってきた。
アニエスは、暫く黙ったままそれを見ていたが……次の瞬間、手に持っていた遺書を細切れになるまで破り捨てた。
「立て。立って背中の傷を見せろ」
それを聞いたコルベールは、言われた通り毛布を取って上半身を脱いだ。
背中には、銃痕と引き攣れた様な火傷の痕が覗いていた。
アニエスの記憶が、二十年前へと遡る……。
燃え盛る村の中…、自分は誰かに背負われていた。引き攣れた火傷のあとが目立つ醜い首筋を持った男であった。
気づくと自分は浜辺で毛布に包まれて寝ていた。その男は、自分の命を救ったのである。
皮肉なものだ、とアニエスは呟いた。
自分の村を焼き、そして自分を救ったのが、目の前の男ということということに……。
「百二十九人だ。覚えておけ。貴様はその十倍、いや、百倍の人間に尽くせ」
コルベールは悲しげに首を振った。
「百三十一人だ」
「なんだと?」
「妊婦の方が二人いた」
それを聞いたアニエスは空を仰いだ。
やがて、確固たる目をもって、最後にコルベールにこう告げた。
「私はお前を決して赦さぬ。幾たび生まれ変わっても、お前を呪う」
だが……、とアニエスは続けた。いい加減、自分への気持ちの決着を付けねばとする、強い決意を持った眼であった。
「復讐は鎖だ。どこかで誰かが断ち切らねば、永遠に伸び続ける鎖だ。私がお前を殺せば、 お前の生徒……とりわけ彼女が私を恨むだろう。決して私を、赦さぬであろう」
ここで一度、奥の木で隠れている人影に注視する。彼女が耳をそばだてているのは、コルベールもアニエスも知っていた。
「ジャン・コルベール。だから彼や……貴様の生徒たちに感謝しろ。私は今日、その鎖を断ち切ったことにしたのだから…。私の憎しみは、その銃弾をもって終わりとする」
それを聞いたコルベールは、静かに涙を流した。アニエスはそんな彼に向かって毛布と服を投げ渡す。
そして再び、今、刃を打ち合う剣心と向き合った。