るろうに使い魔‐ハルケギニア剣客浪漫譚‐   作:お団子

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第百幕『復讐の先に見えたもの』

 

「はあああああああああああああああああ!!」

『水精霊騎士隊』陣幕の中、アニエスの怒号が響き渡る。

 軽く剣を打ち合うだけだと思っていた観戦組……ギーシュ、マリコルヌ、ギムリ、レイナールらはこれを見て一瞬竦んでしまった。

 型や流派のない、武骨な剣なれど、経験と気迫だけで、あの剣心と剣を交えているからだ。

 

「すげぇ……」

「声って、あんなに出るもんなんだな」

 

 想像以上の激戦に、口々にそう言い合う。

「なあ、ケンシンの奴、押されてないか?」

「いやまさか、そんなわけないだろう?」

「でもよお……」

 一方の剣心は、アニエスの峻烈な剣さばきを前にしても一歩も引かない。引かないが……反撃らしい反撃もしていない。

 それが学生たちには「防戦一方なのでは」という不安になったようである。

 しかし、確固たる意志をもってギーシュは首を振る。

「彼の強さはもう、間近で見ただろう。彼は胸を貸しているんだ。そういう人なのさ彼は」

「そーだな。俺が見た限り、相棒は全然本気じゃねえぜ」

 ギーシュの隣に刺さっているデルフもそう補足する。「じゃあ何で反撃しないんだ?」という疑問に対しては。

「これは別に決闘じゃねえ。あのアニエスの剣士さんも、今の全力を相棒にぶつけているだけなのさ」

 と応える。

「ま、おめえさんらはこの闘い、見ていて損は無いと思うぜ?」

 鍔を鳴らしながらそう呟くデルフを他所に、再び大きな剣と剣が交わる音が聞こえた。

 

 

 

 

 

第百幕『復讐の先に見えたもの』

 

 

 

 

 

「だあっ!!」

 一際大きな声と共に、アニエスは剣を振りかぶった。

 剣心はそれを、柄で受け止める。

 攻撃の発生先と威力を的確に見極め、微細な動きでそれを成すのだ。

 柄で防がれるとは思ってなかったアニエスは、すぐさま剣を戻し今度は刺突を放つ。

 確実にその姿を捉えた筈だが……次の瞬間、標的はすぐに消えた。

 

「龍鎚閃か!?」

 

 アニエスは素早く空を見るが……降りしきる細雪以外、何もない。

 しまった!! とアニエスはとっさの判断で背後を向いた。剣心は上空ではなく、回りながらすれ違いざまに背後へ移動したのだ。

(龍鎚閃ではなく、龍巻閃の動きだったか――)

 もし彼が本気だったら、すれ違いざまに後頭部を強打され、意識を飛ばしていたことだろう。

 このようなやり取りは既に十回は越えている。いずれも実戦ならば致命で終わっていたと断言できる。

 

 こうして戦ってみるとよく分かる。自分の剣が、如何に児戯に等しいか。

 だが、それを屈辱とは捉えてない。そんな資格が無いことくらい、百も承知だ。

 

 むしろ自分の今の気持ちを汲み取った上で、こうして剣を振り続けられる現状に感謝をしているくらいだ。

 

 だが、やはり心の底にある、澱は消えそうもない。

 コルベールを見逃して、後悔はないと断言はできる。

 

 しかしそれでも一度振り上げた拳の振り下ろし先を……どうすれば良いか、未だ持て余しているのだった。

 それがそのまま、彼女の不調に繋がっている。アンリエッタにも指摘された「覇気がない」状態なのだった。

 剣と剣が、再び交わる。火花の後、鍔迫り合いに持ち込んだ。

 その時にアニエスの目には、彼の逆さまの刃が映り込んだ。

 コルベールが言っていた、「懺悔の象徴」。それを見た時、思わずアニエスは、剣心に問うた。

 

「聞いていいか? 貴殿はその剣を携える前は……何人斬った?」

「……――」

 

 それを聞いた剣心は、静かに口を開く。刹那強風が吹きすさび、ギーシュ達に何の会話をしているかは判別できなかったが、アニエスだけはちゃんと聞いていたらしく、驚きで目を見張った。

「……そんなにか」

 それと同時に、アニエスは剣を弾いた。剣を構えながら、二人は再び対峙する。

「私利私欲……ではあるまい。貴殿もまた、その時は『王国の剣』だったのか?」

「そんな大層なものではござらん。ただ言われるがままに人を斬ったのは、事実でござる」

「その様子だと、恨みも相当買っただろう」

 剣心は深く頷いた。アニエスは少し、顔をしかめた。今の彼は、コルベールと同じ顔をしていたからだ。

 悔恨。その二文字がくっきりと浮かんでいる。

 殺人の数がそのまま罪の重石になるのであれば……恐らく彼は、コルベールとは比較にならないだろう。アニエスにもそう思わせた。

「私も今は『王国の剣』だ。貴殿の立場も、少しは理解しているつもりだ」

 だが……と、アニエスは剣を振り上げた。剣心もそれを受け止める。

 先の問答で、少しは動きにブレがあるかと思ったが、依然剣心の表情は、体裁きは、微塵の揺らぎもなかった。

 コルベールとは違い、今の自分と過去の自分にきちんと折り合いをつけている目だ。その目には強い意志が宿っている。

 

(確かに、あ奴が羨むのも分かる気がするな…)

 

 恐らくその目に光を宿すまでに、相当な地獄を見た筈だ。

 今携えている逆刃の刀といい、彼は本気で今の自分の信念を、墓までもっていくつもりなのだろう。

「……」

 アニエスはしばし、剣を下ろして佇んだ。剣心も同じように剣を下ろす。ただ、まだ終わりではないことは察していたのか、刀を鞘には納めようとはしなかった。

「ん? どうしたんだ?」「終わりか?」学生たちが口々にそう言いあう中、アニエスはすまなさそうな顔でこう言った。

「済まない。貴殿が私の復讐に何の関係もない。むしろ、この国を救ってくれた英雄だという事は重々承知しているのだが……」

 そう言いながら、ゆっくりと剣を構える。

 

 

「ここから先、貴殿を故郷の敵と思って打ち込んでもいいか?」

 

 

 アニエスの中にある澱……復讐という名の炎はまだ、完全には消え去ってはいない。コルベールを見逃すために無理やり沈下させたが、まだ燻ぶっているのは否応なく理解していた。

 この澱を取り払いたい。そのためには殺意を持って、思い切りぶつかりたい。

 彼からすれば、理不尽に思うだろうが……逆に言えば、彼以外に、こんなことは頼めないのだ。

 全力をぶつけてもそれを全て受け止め、かつ今の自分の気持ちを完全にくみ取ってくれる人物は、今目の前に対峙している男以外に、できないのだから―――。

 そして案の定、剣心は優しい微笑みをアニエスに向けた。

 

「拙者でよければ。アニエス殿の澱を、取り払う手伝いをさせてもらうでござるよ」

「……本当に、ありがとう」

 

 アニエスは心の底から感謝を述べた。そして早速、目の前の男を、故郷を、家族を、友人を、恩人を奪った憎き敵……という認識を頭の中に叩きこむ。

「っ……ああああああああああああああああああああああ!!」

 刹那、先程の怒号とは比べ物にならない気迫が、陣幕に充満した。

 

 

 

「なっなんだ!?」

 思わず、ギーシュ達たちは叫んだ。

 今アニエスの周囲には、気迫が形となって迸っていたからだ。

 舞い散る細雪は彼女の気に充てられ、はじけ飛んでいく。

「まっ、魔法か何かか!?」

「でも、あの人って元平民って聞いたけど……」

 その理解不能な現象に思わず疑問を口々にするが、ギーシュやデルフはこの正体を知っていた。

 

「ねえコーチ、あれってまさか」

「そうか、坊主も宝探しの時に見たことあるか。そう、あれが『剣気』だ」

 

『剣気』

 それは、一流の剣客が放つ裂帛の気合。

 自制していた、底に抑えていた感情を解き放ったことで、ついにアニエスもその域にまで至ったのである。

「覚えておきな坊主ども。剣で上を目指そうっていうのなら、あれぐらいはできねえと相棒には一生及ばねえぜ」

 刹那再び始まる、より強烈な剣戟を見ていた学生組たちに向かって、諭すようにデルフはそう言うのであった。

 

 

「――はあっ!!」

 アニエスは怒号とともに剣を振り下ろした。怒りの衝動赴くままに。

 しかし動きは盆雑にはなっておらず、むしろ洗練されている。

 襲い来る猛攻を、剣心は逆刃刀で防ぐ。キィン! と甲高い音が周囲に響き渡る。

「はあああああああああああっ!!!」

 剣を戻し、今度は連続で刺突を放つ。いずれも殺気を漲らせた連撃だ。まるで憎悪を込めるかのように。

 剣心からすれば、いわれのない憎悪であろう。だがまるで自分の責のように、真正面から受け止めていた。

 紙一重でかわし、身を翻し、時に剣の腹でいなしていく。

 

「わたしは……かつて、故郷を滅ぼされた……!」

 やがて、怒りを零すかのような声色でアニエスは語り始める。

 

「村を、家族を、友人を、恩人を……! すべて炎に奪われた!」

 憎悪を込めるような目線を前にしても、剣心はひるまず、静として聞き入る。

 

「許せなかった。わたしからすべてを奪ったあの男たちを……。だが同時に、そのうちの一人に命を助けられた。それが――」

「コルベール殿、でござるか」

 剣と剣で再び鍔ぜりあう。その際で剣心が尋ねた。

 アニエスは小さく、頷くことで返す。

 

「そうだ。あ奴は許せぬ。この身体が幾たび滅ぼうとも、あ奴を呪うことだろう。だが……」

 ガキィン!! と剣をはじいて再び二人は距離をとった。

 剣心は変わらず、泰然とした態度でアニエスを見据える。

 対する彼女は……ここで初めて怒りではない、寂寥を含んだ表情で、続けた。

 

 

「わたしは、あ奴を許した。許して、しまった……」

 

 

 そう語るアニエスの瞳から、一粒の涙がこぼれおちた。

 やりきれない思いが、今も渦巻いているのがわかる表情であった。

 

「貴殿に問う!! 貴殿は何を思ってその剣を振るうのだ! 貴殿のことを呪いし者が目の前に立ち塞がった時、どんな綺麗事を述べてやり過ごすつもりなのだ!!」

 

 剣を突きつけ、アニエスは叫んだ。

 聞きたかった。彼もまた、コルベールと同じ業を背負う者ならば、何と言って、どうやって納得させるのかを。

 コルベールをして「眩しい」と言わしめる彼は、いったいどんな答えを以て、その逆の刃を掲げているのか……。

 やがて剣心は、憂うような眼をして話始める。

「拙者も、ある意味ではコルベール殿と同じでござる。何人も殺してきたし、何度も死のうと考えた」

 剣心は目を伏せる。その脳裏に、かつて京の夜で斬殺してきた者たちの顔が思い浮かんだ。

「そして実際、アニエス殿の言う通り、拙者のことを呪う者とも、何人と対峙した」

 続いて自分を恨みし者たち。『人誅』の名のもとに罰を下そうとしてきた…かの義弟の顔がよぎった。

「だが、死で罪を贖えるとは、どうしても思えなかった」

「……なれば、貴殿は何が償いになると思っているのだ?」

 コルベールは「研究」で人々の助けになればと、影ながら動いていた。ならば彼は、何を以て償いとしているのか。

 アニエスの問いに対し、剣心は確固たる目を持って言った。

 

「巡るめく思いの中で、拙者が見出したのは、『原点』でござった」

「原点?」

 

 ここで剣心は顔を上げ、アニエスを真正面から見据えていつ続けた。

「この目に映る人々を守りたい。困っている人の助けになりたい。一人でも多くの、笑顔に会いたかった」

 再び脳裏によぎるのは、ウェールズのことだった。彼だけは、明確に取りこぼしてしまった。

『ガンダールヴ』との不和が、あの悲劇を生み出してしまった。そしてアンリエッタの笑顔を、奪ってしまった。

 だからこそ、今わの際で交わした約束は必ず守り通せねばと、逆の刃を握って告げる。

「全ては拙者の過ち。いかな罰でも受け入れるが……今は罪とともに殺めた者たちの思いを背負い、拙者は戦い続ける」

 最後に思い浮かんだのは、自分をこの地に呼び出した少女の顔だった。

 思い返せばまだ、彼女のちゃんとした笑顔を見れていない。彼女が笑って自立できるようになるまで、助け続けるつもりであった。

 

 

「剣と心を賭して、この闘いの人生を完遂する。それが、拙者が見出した答でござる」

 

 

 逆刃刀を前に掲げ、決意を持った表情で、剣心は言い切った。

「……それが、地獄巡りをして得た答えなのか」

 アニエスは冷静な目でもって、剣心と、彼の掲げる逆刃刀を見据えた。

 険しき道だ。ある意味、コルベールよりも厳しいものだと思える決意。

(あ奴が羨むのも、分かる気がするな……)

 罪から逃げず、真正面から立ち向かのうであれば、自然その答えにたどり着くのだろう。だが、それを自身の決意とするまでには、何度も何度も悩みぬいたのであろうことは、理解できる、

 できるが……、あえてアニエスは尋ねた。

 

「その綺麗事で、貴殿を呪った者たちは納得したのか?」

「……納得、してくれたかどうかは拙者の一存で決められるものではない。ただ――」

 

 剣心は、アニエスに見せるように逆刃刀を突きだした。

 血の一滴もついていない、銀の煌めきが、細雪と交わる。

 

「血と罪で汚れた身にとって、この綺麗事だけは最後まで綺麗でありたい。何が来ようと、この答えを曲げる気はもう、ござらん!」

「……そうか」

 

 アニエスは瞑目する。やがて、目を見開き剣を再び構えた。

「問答はここまでだ。いくぞ」

 そういうや否や、アニエスは一足飛びで再び斬りかかる。

「はあああああっ!!」

 再び、周囲が気迫で覆われる。細雪は飛び散り、二人の熱気が充満していく。

 剣心と闘うにつれ、アニエスの動きもだんだんとキレを取り戻していく……どころか、更に上がっているようにも見えた。

 心の内に溜まった澱が、どんどんと消えていくのを感じる。

「あああああああああああああっ!!」

 型も流派もない、我流の剣法だ。気迫と経験、それだけはアニエスの培ってきた自信だった。

 その気迫が体中を駆け巡っていくのを感じる。それが剣の振りに、一段とキレを見せ始めていた。

「ああああああああああああ――――!」

 だが、その動きに、気迫に、剣の方がついてはこれなくなっていった、

 幾百回と剣が交わる、その最中、ついにアニエスの握る剣が、根元から折れた。

 

「――――っ!!」

 だが、アニエスは止まらなかった。

 剣が折れた。それだけで闘いできませんなんて言い訳にもならない。

 リッシュモンにやった時のように、折れた根本を剣心に突き立てる。

 しかし剣心は、それを刀の柄部分で受け止め、さらに粉々にした。彼女の手元に残ったのは、鍔から先がなくなった……剣だったものの握り部分のみ

 

「まだだああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 だがまだ、アニエスは止まらなかった。

 そのまま拳を握り締め、そのまま剣心に殴りかかる――。

 

 対する剣心は、あろうことか構えを解き、その拳を見つめていた。

 ドゴォ! という打撃音が、あたりに響いた。

「!?」

 それを見てアニエスは一瞬驚愕する。どうせこれも何らかの対処をすると思って疑わなかった。

 だが剣心は、それを真正面から受け止めた。

 左頬に、拳をめり込ませながら剣心は尋ねる。

「澱は、取れたでござるか?」

「――あっ……」

 呆気にとられつつも、アニエスは拳を引っ込める。そして慌てたように弁明をした。

「すっ、済まない! てっきりかわすものと思ってたからつい……!!」

「大丈夫でござるよ。アニエス殿が気にすることではござらん」

 頬をさすりながら、いつもの微笑みをうかべて剣心は言った。アニエスも、頭の中がかなり鮮明になっていることに気づく。

 ようやく、本当の意味で、澱みが取れたような、そんな感覚であった。

「もう良いのでござるか?」

「……ああ、ようやく全ての靄を、吐き出せたようだ」

 感謝する。 そう言って満面の笑みで、アニエスは手を差し出した。剣心もまた、それに応じるのであった。

 

 

 降臨祭最終日、午前九時半頃―――。

「ほらそこ! お前だお前!! たるんでるぞ!!」

「そ、そんなこと言ったってぇ……!!」

『水精霊騎士隊』の陣幕にて、アニエスの怒号が響き渡っていた。

 あの後、怨讐から吹っ切れた彼女は、時間つぶしとばかりに学生組の面倒を見始めたのであった、

 メイジではない自分は、作戦室では役に立てない、どころか、周囲から蔑みの目でもって睨まれる。

 ならばその間、彼らの稽古をするのも悪くはないと思っていたのだった。

 先ほどの柔和な笑みはどこへやら、厳しい鬼教官のような面で学生組……とりわけマリコルヌを睨み据える。

 

「まずは腕立て百回、腹筋百回、それが終わったらサウスゴータ一周だ。昼までにこなせ。でないと昼飯抜きだ」

「なっなんでそこまで……!」

 

 パァンと、間髪入れずに張り手が飛んだ。マリコルヌはそれ以上何も言わずに訓練を始める。

 メイジたる自分たちが魔法も使えない貴族もどきに命令される。普通なら屈辱と思うだろうが、先の剣心との戦いでアニエスの実力を間近で見ていたからこそ、文句は大けれど表立って反抗する者はいなかった。

 それに、彼女はアンリエッタ近衛の隊長である。女王の近衛隊長という身分は、規模は違えど格としては元帥に匹敵する。

 

「いやあ、良かったなあ坊主ども。握られてるからわかるんだけどよ、この女隊長、やっぱりなかなかの腕前だぜ!」

 

 アニエスの手に握られているデルフは嬉しそうにそう言った。

「忘れるな。戦はいつ始まるかもわからん。なればこそいつでも動けるよう体を鍛えろ」

「でも戦って明日だよね? 今日は休んでも……あっ、はいすみません何でもないです」

 反論しかけたレイナールだが、彼女の一睨みですぐさまトレーニングを再開する。

 今までは自主練だったため、各々のさじ加減で訓練していたが、アニエスの課すそれはまるで別次元の地獄であったのである。

 自分たちがやっていた訓練が、まるでお遊びとしか思えないような、そんな様相を呈していた。

「はあっ、はあぁ……っ!」

 ここでギムリがぐったりと倒れる。そんな彼に向ってアニエスは容赦なく水をかける。

 冬の季節に冷水である。たまらないとばかりにがばっと跳ね起きた。

「な、なにすんだよ!」

「起き上がらせたやったんだ犬。感謝しろ」

「い、犬って……!」

「名前で呼んでほしいか? だったら人並みになってみろ」

 そう言って対抗心を煽る。ギムリはぐぬぬ…と歯を食いしばったのち、再び腕立ての続きに入る。

 

 

 やがて時間も経って。午後十二時半頃――。

「終わった! 終わったぞおお!!」

 アニエスの課したトレーニングを先にこなしたギーシュが、力なくそう叫ぶ。今さっき、サウスゴータを一周してきたのである。

 どうだ! とばかりにアニエスを見るギーシュだったが、間髪入れずにこう言った。

「そうか、なら次は剣の稽古だ」

 デルフを放り投げ、アニエスは木剣を携えニヤッと笑う。

「喜べ。私が直々にお前の腕前を見てやる」

「えええええ!!? 今から!?」

 もうすぐ昼前である。ようやくご飯にありつけると思っていたギーシュは大いに呻いた。

「まだ昼飯も、他の者も来てないだろう? 余暇みたいなものだ。なんなら褒美と思ってもらってもいいぞ? いいからかかってこい」

「良かったじゃねえか坊主。格上に見てもらう機会ってのはそうそうないぜ?」

 ギーシュに掲げられたデルフもそう言った。仕方なさそうにギーシュは構えるが、その空いたすきっ腹に容赦なく木剣を撃ち込まれた。

「いだぁ!! な、何するんだ……!!」

「戦でそんな隙をさらす方が悪い。実戦で構えるが成立するのは一流の剣士だけだ」

 彼のようにな。とアニエスは、いつものように薪を割ったり配膳を整えている剣心を見やった。

 主夫としても堂の入ったその動きに、一瞬苦笑してしまう。聞けば彼はこの十日間、ああやって学生たちの面倒を見ていたようであった。

「お前は彼に、剣を教わったのか?」

「まあその、簡単な防御のイロハぐらいは…」

「ならばそれを見せてみろ。わたしの剣を、やり過ごしてみよ」

 アニエスはそう言って、ギーシュに向かっていった。

 

 

「で、どうだったよ?」

 さらに時間も経って、サウスゴータから帰ってきた学生たちがそこ此処に集まりだした頃。

 ギーシュは体の色んなところに痣を作りながら伸びていた。その隣で同じように倒れているデルフが、アニエスに尋ねた。

「正直、攻撃は単調の一言だ。評価してやることはできんが……防御についてはまあ、悪くはなかったな」

 そういうアニエスの体には傷一つなかった。ギーシュの攻撃をすべてかわし、いなし続けていたのである。

 ただ、攻撃を受け止めるときの動きに関しては、かなり洗練されていたとは思っていた。

 

「みんな、そろそろご飯ができるころ合いでござるよー」

 

 剣心の暢気な声が聞こえてくる。それを聞いた学生たちは彼を慈愛の天使のような目で見つめていた。

「おお昼飯!! 昼飯!!」

「ありがてぇ、この地獄から解放されるぅ……」

「始祖よ、彼と巡り合わせていただき心から感謝いたしますぅぅぅ!!」

「おおげさでござるな」

 這う這うの体で配膳を受け取る学生たちを見やりながら、苦笑する剣心。ただ、学生組からしてみれば、先ほどまで地獄のような訓練を課せられていたのである。そんな中彼の柔和な笑顔に救いを見たものは、決して少なくなかった。

 

「はい、アニエス殿も」

「ああ、助かる」

 

 アニエスもまた、剣心から配膳を受け取った。

「そういえば貴殿の主人はどうしたのだ? 見当たらないが……」

 銘々食事にありつく騎士隊を見ながら、ふとそんな疑問を投げかけた。よく見ればルイズがいないのだ。

「ルイズ殿は、まだ疲れが取れていないようでござる」

 剣心はそう言いながら目を伏せた。アニエスが学生組をしごいている間、時折ルイズが寝ている部屋の様子を何度も見ていたのだが、彼女はまだ目を覚ましてなかった。

 外傷自体は簡単な擦り傷程度で、それはもうアンリエッタの水魔法で完全に治癒している。それでも起きないのは、虚無の魔法を使いすぎた反動からくるものなのかもしれない。

 聞けば、彼女は吸血鬼相手にかなり無茶をしていたようである。助けるのが遅くなってしまったことに、若干の後悔を剣心は覚えていた。

 

「拙者がもっと早くに、ルイズ殿のもとに向かっていればな」

「だが、貴殿がいなくばエレオノール殿は助けられなかった。それも事実だ」

 

 エレオノールが危篤に陥っていると、あの時点で判断して動けたのは剣心一人だけなのだ。彼が動かなければ、彼女は間違いなく死んでいた。

 エレオノールもそれは分かっているのだろう。妹が目を覚まさないことに関して、文句を言おうにも言えない、もどかしそうな顔をしていたのを思い出す。

「あまり自分を責めるな。貴殿とて体は一つしかないのだ。やれることにも限度があるのは、貴殿が一番よく分かっているのだろう?」

「……済まないでござるな」

「まあだが……、あまりこのようなことを起こさぬよう、きちんと話し合った方がいいのかもしれないな。貴殿らの場合」

 聞けば、ホーキンスから受け取った手紙の内容は、ルイズには話さずに来てしまったらしい。そのせいで長い間、彼女と離れ離れになり敵に付け入るスキを与えてしまったようだ。

 信頼できると思った場面はきちんと任せる剣心だが、どうしても火急となると一人で突っ走ってしまうのは、明確な悪癖だなとアニエスは感じていた。

 

「貴殿の速さについてこい、というのは彼女にとってはまだ酷かもしれんが……、もう少しだけ、主人に合わせてあげる要領も持ち合わせた方が、いいと思うぞ」

「そうでござるな。助言忝い」

 

 この国に来て以降、ルイズは明確に成長している。少し前ならば、吸血鬼相手に何もできなかったであろうに……、ギーシュ達の助けもあったとはいえ、それを退けるくらいにまで急成長を遂げていた。

 だが、急な成長は時に大きな歪も生みやすくなる。せっかくここまで順当に成長しているのだ。ここであらぬ方へ向かってほしくはない。

「……拙者、食事の片づけが終わったらまたルイズ殿の様子を見てくるでござる」

「ああ、それがいい。貴殿も昨日は走り回って疲れただろう? 少し彼女のもとでゆっくりするといい」

 ここは私が受け持つ。

 そう言った瞬間、学生組から絶望の声がこだました。

 

「ええええええええええええケンシンいっちゃうのおおおおおおおおおお!!?」

「待って行かないでこの鬼教官を残してかないで!!!」

「あああああああああもういやだあああああ!!」

 

 阿鼻叫喚。その文字が似合うような面々をする水精霊騎士隊たち。

 それを面白がりながら、アニエスは心底愉しそうにこう告げるのだった。

「そうかそうか、それだけ叫ぶ気力があるのならば、もう少ししごいても大丈夫そうだな」

「ひぃいいいいいいいいい!!!」

「安心しろ、明日のことも考慮して、夕方までに留めておいてやる。だがそれまでは徹底的にやるぞ」

 再び、アニエスの怒号と学生組の呻きが陣中に木霊する。それを背面で見やりながら、剣心は片付けの雑務に入った。

 

 

 

(っ……あれ、ここは?)

 まどろみの中、フーケはゆっくりと目を開けた。

 どうやら寝ていたらしい。ふかふかのベッドから起き上がると、見慣れた木造りの天井が目に映った。

(えっ、ここって……まさか!?)

「ああ良かった。目を覚ましたのね。マチルダ姉さん」

 そう言って部屋に入ってくる人影を見て、更にフーケ……否、マチルダは目を丸くした。

 それは自分が妹のように大切にしている少女。綺麗なブロンドの髪を揺らし、物憂げながらも柔和な優しさをたたえた、かつての上司の忘れ形見。

 

「どうしたの一体? 家の外で倒れているのを見つけた時は驚いちゃったわ」

「わたしが、家の外……?」

 

 マチルダは首を傾げた。今置かれている状況もそうだが、彼女から告げられるその話の内容にも、まったくと言っていいほど統合性が取れないのだ。

 自分は先ほどまで、ハヴィラウンドではなく、ニューカッスルの地下空洞にて、作戦準備の手伝いをさせられていたのだ。そして疲れて……そこから先は覚えてない。

 

「ねえマチルダ姉さん。もし困ったことがあったらわたしにも相談してね。わたしだって、少しは姉さんの助けになりたいの」

 

 スープの入った皿を渡しながら、少女は心配そうな表情でマチルダを見た。

「えっ、ああぁ……っ」と、いまだ状況が呑み込めないマチルダは言われるまま皿を受け取った。

 スプーンを動かす前に周囲を見る。やはりここは自分にとって見慣れた家。窓を覗けば、子供たちが和気あいあいと遊んでいる風景が目に映った。

「あの子たちは、元気でやってるかい?」

「ええ。マチルダ姉さんがいつも仕送りしてくれるから。こっちは何の問題もないわ」

 少女はクスリと笑う。屈託のない笑顔だ。本当に、悩みを抱えていないのだろうとわかる顔。

 そう、マチルダがフーケと身をやつして金をためた理由も、すべてはこの孤児たちのためであったのだ。

 彼女や、子供たちを助けられるのであれば、自分の命すら惜しくない。

 仕送りの出どころはどこからかというのは、この少女には伏せていた。自分がいま、何の仕事をしているのかも、教えてはいない。

 

(この景色を守れるなら、わたしは何だってやってやる――――)

 

 そう、決意を固めた時だ。

 コンコンと、扉をたたく音が聞こえた。

「はぁい」と、少女はパタパタと扉の方へ向かっていった。

 スープを啜っていたマチルダは、ここではっとする。

 待て、いったい誰が来たのだ?

 しかし止める間もなく、少女は扉を開けた。

 

 

 

 

「よう、ここがてめえの隠れ家なのかい? マチルダさんよ」

 

 

 

 

「ああっ、ああああ……っ!」

 マチルダは絶句した。

 恐れていたことが、ついに起こったことに絶望していたのだった。

 扉から現れてきたのは、あの包帯男……志々雄真実だった。

 見れば、周囲にはあの蒼い炎が猛っている。更にそこからワルド、メンヌヴィル、クロムウェル、ダミアンと『十本杖』に名を連ねる精鋭たちが入ってくる。

「当たりですな。ここで間違いないかと」

「あっあなたたちはいった――――」

 言うや否や、志々雄は強引に少女の首筋をつかんだ。

 とっさに杖を取り出そうとしたが、首を強く締め付けられた反動で落としてしまったようだ。

「っ――!!」

 今度はマチルダが杖を構えようとしたが、その前にワルドに抑えられてしまう。

「今更、無駄なあがきはよせ。我々が本当に何も気づいてなかったとでも?」

「やめて! わたしはどうなってもいいから! その子には手を出さないで!!」

 マチルダは必至で叫んだ。少女は首ごと持ち上げられて、苦しそうな顔を浮かべている。とがった両耳が、力なく垂れ下がっていた。

「やはり、エルフを匿っていたか」

「ってえと、こいつが……」

「はい。最後の担い手で間違いないでしょう」

「にしちゃあ、呆気ねえな」

「使い魔がいないからでしょうな」

 志々雄は悠然と、愛刀『無限刃』を手にかけた。

「やめて! やめてください!!」マチルダはより一層大きく叫ぶが、それで止まるはずもなく。

 見れば、外の風景もまた炎が広がっていた。遊んでいた子供たちは、みな倒れており、血を流している。無事な子は、一人もいなかった。

 自分の守りたかったものが、一気に蹂躙されていく。だけど、それを止める手立てがない。

 ふとマチルダの脳裏に、かの言葉がよぎった。

 

 

 所詮この世は弱肉強食。

 

 

 志々雄は刀を完全に引き放ち、目の前の少女に突きつける。

 

 

 強ければ生き。

 

 

「やめてええええええ!!」

 その叫びもむなしく、志々雄はその刀を少女の、その豊満な胸へと容赦なく突き刺した。

 鮮血が、零れ落ちる。それと共に、炎はより大きく猛っていく。

 

 

 弱ければ――。

 

 

「思った通りだ。どうやらエルフの血は最上級の餌になるようだな!!」

 刹那、悪鬼の高笑いが小屋中に響いた。心臓を貫かれ、倒れ伏した少女は、涙をこぼしながら、マチルダの方を見た。

「どう……して、マチルダ……ねえさ……」

「違うの! ダメ! 行かないで!!!」

 

 

 死

 

 

「テファアアアアアアアア!!」

 そこでフーケは、本当に目を覚ました。

 上体を起こし、汗だくで動悸が激しい。体中を脂汗が覆っていた。

「はあっ、はあっ……」

 先ほどのは全て夢。

 それを理解するのにすら、今のフーケは数秒を要した。

 そうとは思えないくらいに、あの光景は迫真に感じていた。

 

「テファ……」

 

 フーケは自分の体を抱きしめた。いったいどこが、彼女にとって安全なのだろうか? 仕事に携わっている間、ずっとそんなことを考えていた。

 

 今起きたここはニューカッスルの城跡地……その地下に広がる秘密基地であった。

 

 王党派を潰した後も、志々雄はこの地下空洞を広げて有効活用していたのであった。表向きはハヴィランドを居にしているが、誰も潰した跡地に本拠地を構えているとは微塵も考えないだろうという、その隙をついていた。

 

 拡張した軍港自体はホーキンスも熟知しているが、ここを拠点としているという事実を知るのは、志々雄とその直属部隊『十本杖』の面々のみ。基本的にここで働く者たちは皆、『アンドバリの指輪』で蘇らせた哀れな死人なのである

 死人を作業要員として日夜酷使させている。そのおぞましい発想には、かつての仇敵たるフーケですら身の毛もよだつ考えだと思わせていた。

 そしてフーケは降臨祭開始から今日まで、ずっとサウスゴータ襲撃作戦の測量をやらされていたのだった。

 地形に明るいのと、彼女自身も強力な土系統のメイジだということで、引っ張りだこにされたのである。

 サウスゴータの地下は風石の採掘で比較的空洞が広がっている。それを利用しアリの巣のように通路をつなげていったのである。

 さすがに兵士数万人を一気に送れる広さではないものの、数十人が往来できるくらいには充実した通路が出来上がっていた。

 

 こうまで効率よく進んだのは、志々雄がニューカッスルを抑えた際、いざという時のためにと、既に準備を開始させていたことが大きい。

 つまり、攻め込まれても巧みに反撃できるよう、先読みして仕組んでいたのだ。

 すでに吸血鬼を密偵として差し向けていたことといい、フーケは志々雄の手練手管にもただ圧倒されていた。

 間接的にではあるものの、フーケにも志々雄の恐ろしさが、だんだんと分かっていったのだった。

 それが、あの夢につながったのであろう。

 

「………」

 もう一刻の猶予も許されない。

 今日で降臨祭最終日。仕事はもう、全て済ませた。

 念のためと、懐に隠し持っていたスキルニルに自分の血をしみこませ、分身を作り出すと、再びベッドで寝入るよう命じた。

 

「これでしばらくは、ばれないはず……」

 

 フーケはいそいそと、部屋を出る。誰にもばれないようにと。

 こっそりとかの孤児院の元へ向かって……孤児たちを別のところへ逃がすよう動くつもりであった。

 

 だが、孤児はともかく半分エルフの血を受け継ぐ彼女を受け入れてくれる場所など、どこにあるのだろうか――。

 

 そう考えた時、いつも思い浮かんだのは、かの緋色の髪をした異国の男。

 自分を倒し、ワルドを退け、あの志々雄をして対等だと言わしめる男。緋村剣心。

 事情を話せば彼なら、決して、彼女を悪いようにはしないはず――。

 その一縷の望みに、全てをかけた。

 

「待っててね、テファ……」

 あの夢のような悲劇は、絶対現実にはさせない。

 確固たる意志を以て、フーケは地下坑道からサウスゴータを目指した。

 

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