降臨祭最終日、午後四時半頃―――。
「うぅ…ひぐっ…ぅ…」
サウスゴータの中央広場で、ルイズは泣いていた。
今だ、夢の時のショックから抜けられないのであった。
「うわあああぁ…ぁ…」
思い出せば出すほど、涙があふれて止まらない。
巴と剣心は恋仲だった…どころか、結婚までしていたという事実に。
それと同時に、自分はこんなにも剣心のことが好きだったのだという、そんな想いにも駆られていた。
でも、そんな想いはもう、金輪際届くことはない。それがルイズにとって、一番悲しかった。
ケンシンは、わたしのこと…そういう風には見てなかったんだ……。
嗚咽をこぼしながら、その事実から目を背けるように何度も首を振った、
じゃあなんでわたしを助けるの? 使い魔だから? ルーンがまだ、主人を守るように仕向けているから?
だとしたら、自分は極悪人なんじゃないかとすら思ってしまう。二人の仲を、引き裂いてしまったようなものなのだから。
異国の地で自分の旦那が、わけもわからぬまま別の人間の使い魔にされてしまったら、巴は何を思うのだろう? そう思うと身震いが止まらない。
少なくともルイズ自身は絶対に発狂するだろう。そして……使い魔にした主人を絶対に許さないことだろう。
どうしよう……。
もう、まともな顔で剣心に向き合えない。
でも、彼とここで永遠に分かれる…という選択肢だけは、未だに取りたくないと思っていた。
(最っ低ね。本当にわたし……)
ここまできてなお、未練がましい思いにすがる自分に幻滅すら覚えてしまう。
涙をこぼしながら、また赴くままにどこかへ歩き出そうとした。
「ミス・ヴァリエール!!」
その声を聞いて、ルイズは足を止めた。
振り返れば、息を切らしたシエスタがそこにいた。
「良かったぁ。やはりここにいたんですね」
シエスタはルイズを見つけるなり、胸をなでおろしてそう言った。
「シ、エスタ……」
一方のルイズは、涙と鼻水でぐちょぐちょになった顔をシエスタに向ける。
「ミ、ミス・ヴァリエール…その、お顔が大変ひどいことになってますよ…!」
シエスタはハンカチを取り出すと、ルイズの顔を拭いてあげた。鼻水は消えたが、まだ目からは水があふれ出てくる。
「大丈夫ですか…! 何をそんなに悲しんでいるんです…?」
その問いに、ルイズはしばし黙ったままだった。ただ、なんとなくその理由は察しがついている。
少なくとも、長時間放置されたからでは絶対にない。剣心は怒っているとずっと思っていたようだが、この涙は絶対そのことにないことは確かである。
「…っ…てた…」
「はい? なんです?」
「ケンシン、トモエと結婚……してた!」
その言葉を聞いて、シエスタもついに固まってしまった。
しばらく、シエスタもまたふらふらとして近くにある木の丸椅子に座り込む。
覚悟はしていた。分かっていたはずだ。
でも…やはりルイズ同様悲しみで、金縛りにあってしまった。
(やっぱり、あの時聞かなくてよかった…)
もし剣心から直に聞いてしまったら、エルザを失った悲しみとも合わせて崩れ落ちてしまってたかもしれない。少なくとも、ルイズを励ましに行くことは無理だった。
まだ、自分とルイズは同じ悲しみを共有できる。だからこそ、シエスタはルイズの元へ向かったのだ。
「結婚…していたから何です? それで諦めるつもりなのですか?」
それを聞いて、ルイズは泣くのをやめた。
「なんですって…?」
「だって、そうじゃないですか。どんな映像が見えたのか存じませんが、ミス・ヴァリエールはそれだけで、今までケンシンさんに抱いていた想いを、全部ゴミ箱に捨てるって言うのですか? できもしないくせに……」
ルイズは見る見るうちに顔を真っ赤にしていく。ほかに広場に人がいることも忘れて、大声で怒鳴った。
「あんたに!! 何が!! 分かるっていうのよ!」
「ええ、分かりませんよ! 分かりませんけど! ミス・ヴァリエールは臆病者ってことだけは分かります!!」
シエスタも立ち上がって怒鳴り返した。
「ちゃんと聞いたんですか!? ケンシンさんに! 真っ向からトモエさんとの関係を!! 夢の記憶をのぞき込んだだけで、昔のケンシンさんの事を知った気になっているだけじゃないですか!!」
「そ、そんなことないわ!! 大体平民のあんたは分からないでしょうけど、人の過去をとやかくほじくり出すのは、トリステインの貴族にとっては恥ずべきことなの!!」
「それでミス・ヴァリエールはみるみる弱っていって、ケンシンさんを訳も分からず立ち往生させているのですからお笑いです! 要は逃げてるだけじゃないですか! ケンシンさんの気持ちや、過去と向き合う自信がないから!! そんなんでよく主人が務まりますね!!」
「何よ! 逃げてるとか臆病者とか、あんたにだけは絶対言われたくないわ!!」
互いに唾がかかるほどの勢いで、怒鳴りあう二人。周囲の反応など、気にするそぶりは一切なかった。
「でも、そんなミス・ヴァリエールの中でも、ひとつだけ偽りのないものがあるでしょう?」
「何よ!?」
「ケンシンさんのことが好きっていう。その気持ちだけは本当なのでしょう!」
ここでルイズはうっ…と言葉に詰まった。昔だったら、恥やら外聞やらプライドやらルーンが使い魔だから…とか、とにかく言い訳で逃げたかもしれない。
「さあ!! もう逃げるのをやめにして、声を大にしておっしゃってください!!」
でも……真摯に自分を見てくるシエスタを見て、ついに、観念したかのように、叫んだ。
「……そうよ! ケンシンの事が好きよ! 大好きよ!! 使い魔とかどうでもいいわ! ケンシンと一緒にいたい! 離れたくない! ずっと側にいてほしいわよ!」
拳を握り締め、顔を真っ赤にして、ついに認めた。
心臓がばくばくと激しく動いているのがわかる。一生分の勇気を、使い果たしたかのような徒労感が身を包んだ。
「とうとう、認めましたね。ミス・ヴァリエール」
対するシエスタは、茶化すようなことは一切せず、慈愛のような目でルイズを見た。
「ではそれを、今度はケンシンさんに直に伝えましょう」
「はあぁあ!! 何言ってんのよあんた!!?」
頭からボン!! と爆発音を鳴らしながらルイズは叫ぶ。
先ほどの言葉だって、声にするのだってかなり労力を使ったのだ。それを直に、剣心に言う!?
「だってそれが、悩みに悩んで悩みぬいた末に、ミス・ヴァリエールがたどり着いた『答え』なのでしょう?」
「……うん」
小さく、頷くルイズ。「でしたら…!」と、力強くシエスタは続けた。
「ケンシンさんは、ミス・ヴァリエールの導き出した答えに対しても、怒ったり茶化したりせずちゃんと真正面から受け止めてくれるはずです!! それはミスも分かっているでしょう?」
それを聞いて、ルイズはしばらく黙った。頭を抱えて悩んで…やがて、ポツリとこう続ける。
「……もしそれで、振られたら?」
「その時はその時です。潔く吹っ飛びましょう」
「あんたも?」
「わたしは最初から二番目の席狙いですから」
しれっとそう言うシエスタ。思わずルイズは突っ込んだ。
「てかそういうあんたは告白したの? トモエとの関係をちゃんとケンシンに聞いたの?」
「告白はしましたが、トモエさんとの関係は…まだです」
ルイズは絶句した。
「はぁああああ!! 何よそれ!! それであんた人の事を臆病者だの逃げ腰だの貧乳だのさんざん言ってたわけ!? 本っっっ当にいい度胸しているわね!!」
「貧乳は言ったことありませんわ。ケンシンさん、あまりそういうところに注目しませんし」
そういいながら胸を少しそらすシエスタ。その胸は豊満であった。
それを見てちょっとぐぬぬ…するものの、そういえば胸の大きさで剣心の取り合いをしたことはないことを思い出し、少し優越感にも浸る。
しばらくそうやってにらみ合っていた二人だったが、やがて、シエスタはクスリと笑った。
「やっと、元の調子を取り戻してきましたね。ミス・ヴァリエール」
「あっ…」
「それでいいのですよ。ミス・ヴァリエールは。なんでも抱え込まないで、吐き出したいことは吐き出しちゃえばいいんです」
「あんた、まさかそれだけのためにここに来たの…?」
ええ、とシエスタは頷いた。「なんでそこまで…」と、ルイズは思わず尋ねた。
「なんでって、ミス・ヴァリエールをほっとけないからです」
「どうしてよ…?」
「ミス・ヴァリエールは、わたしとは真逆のような人ですから…。貴族と平民、性格体格、気構えの在り方…まるでコインの裏表のようですね」
でも……と、シエスタは続ける。
「ケンシンさんを心から好きっていう気持ちだけは、一緒なんです。それだけで何というか、ミス・ヴァリエールとは一緒にやって行けるんじゃないかって、そう思わせてくれるんです」
それを聞いて、ルイズは押し黙ってしまった。「勿論、ケンシンさんが一番ですけどね!」とそこだけは譲らないように言葉を締めた。
「ミス・ヴァリエールがずっと泣いていたら、ケンシンさんも悲しみます。お願いですから、もっと気を強く持ってください。逃げずに…立ち向かってください。昨夜のように…」
そして、今度はシエスタが泣き出してしまった。ルイズは慌てて彼女に駆け寄る。
「わたしには…屍人鬼に立ち向かう力も勇気も…ありませんから…」
「シエスタ…」
「もしわたしも魔法が使えたら…エルザちゃん…助けられたのかな…」
ルイズはハッとした。そう言えば…エルザは実は敵だっていうことを…伝えてなかったっけ。
彼女を喪ったという事実は、シエスタは大いに傷ついてしまったようである。
かといって、実は敵でしたなんて言っても…それはそれでショックが大きいことだろう。どちらにしろ、落ちこんでしまうことに変わりはない。
ルイズは一度…大きく息を吸って…そして吐いた。そして、今度は自分がシエスタを勇気づける番だとばかりに、言った。
「エルザのことはごめん。あんたにも辛い思いさせちゃったみたいね…」
「ミス…は…大丈夫なのですか…?」
「わたしは平気よ。そうね…こんなところでうじうじしてられないわ…」
ルイズは涙をぬぐった。
「もう逃げるのは止めにするわ。ケンシンに…ちゃんと伝える。わたしの想い」
それでどうなるかは分からない。もしかしたら…無情の答えが返ってくるかもしれない。
でもそうすることがルイズにとってのけじめだと思ったのだ。巴と剣心、二人の仲を無理に引き裂いてしまった自分への…。
と、ここでシエスタは、はっとしたように詰め寄った。
「ああ!! そうだミス・ヴァリエール!! それなのですが…」
「御取込み中失礼。今よろしいかな? 見目麗しいお嬢様方」
不意にかかった声に、ルイズはシエスタはを下がらせ、其方を見やった。
声の主。それはジュリオだった。
「ジュリオ! あんた何しに来たのよ!?」
「ケンシンなら今、サウスゴータを離れたよ。…最後の担い手を助けにね」
不意にかかる言葉に、ルイズは頭を殴られたかのような衝撃が走った。
「なっ…またわたしを置いて行ったの!!?」
「置いて行くも何も、ミス・ヴァリエールは先ほどまで泣いてたじゃないですか」
シエスタの言葉に、うっ…とルイズは言葉に詰まった。確かに、泣いている人間を無理に動かすなんてこと、剣心はしない。
「あ…あなたは?」
「やあ、タルブで会ったけど改めて。ぼくの名はジュリオ。以後お見知りおきを。心安らぐ香りを纏うお若いレディ」
そう言って、優雅な仕草でシエスタの手の甲にキスをした。「まあ…」と呆気にとられるものの、反応自体は驚きだけで、特に照れたり頬を赤らめることなかった。
他の女性なら、これだけでおとせるのだろうが…さすが剣心一筋と決めただけのことはあって、これしきでは揺らがないようだ。
「で、あんたは何でそれを知ってるの?」
少々強引にジュリオからシエスタを引きはがしながら、鋭い目でルイズは問う。もう、さきほどのようななよなよした態度は消え失せ、貴族としての毅然な態度が見られた。
すると、その問いに応えるように、一羽の小鳥がジュリオの肩に止まった。
「少々、話を聞かせてもらっただけさ。この子を通じてね」
「…それも『ヴィンダールヴ』の能力ってワケ?」
ジュリアは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
小鳥を通じて、視界と聴覚を共有する。そうやってフーケの会話を盗み聞いていたようだ。
「言っただろう? 『虚無』の集結はぼくらロマリアが命を懸けて成すべき国是。手段なんて選んでられないってことさ」
「………」
「きみだって、最後の担い手をレコン・キスタに渡すわけにはいかないだろう?」
ルイズは思案する。それは確かにそうだ。
それに、教皇が探している『火のルビー』は、剣心が持っている。ロマリアの動きは、ある程度御せるはずなのだ。
ならばここは、素直に話を聞くのが得策か。
「ケンシンはすでに動いている。目的地はウエストウッドという、森の中にある村らしい」
「当然、あんたもいくのでしょう?」
「勿論、というより、きみが来るのを待っていたんだ。まあぼくは、自分で言うのもなんだけど堪え性はないから、こうして向かいに来たんだけどね」
そうやってウインクをした後、ジュリオは口笛を吹いた。遅れてアズーロが彼の隣に現れる。
「さあ、乗りたまえ。今ならケンシン達に余裕で追いつく」
ルイズは少し嫌そうな顔をしたが、四の五の言っている状況でないことも理解していた。
「変な事したら、あんたを叩き出すからね」
「乗り手のぼくを追い出すだって! きみも相変わらずだね」
ルイズはジュリオと共にアズーロに跨った。
「じゃあシエスタ!! 行ってくるわ!!」
「ええ!! お気を付けください!! 無事に帰ってきてくださいね!!」
手を振って見送るシエスタを背に、ルイズ達もまた、ウエストウッド村へと向かった。
その様子を、陰で見ていた二人の人影があった。
「…行ったようだな」
「ええ、そうみたいね」
正体はエルフのアリィーとルクシャナだった。遠目でルイズを観察していたのだが、先程彼女は白竜に乗って飛んで行ってしまった。
「放っておいてよかったの? 今なら攫うことだってできたでしょうに…」
「使い魔の動きが読めないからな。安全に動くに越したことはない」
アリィーは慎重に慎重を重ねるかのような声色で言った。
ルイズを探していた剣心を見つけた時、そのまま尾行できるかと思ったが、やはり奴は鋭い。何度か、見つかりそうになった。
結局、剣心を尾行して情報を得ようとするのはリスクが大きいという事で、主人であるルイズの方を探していたのである。
そのルイズを見つけたのはついさっき。丁度ジュリオがルイズと話し始める頃合いであった。
そしてその話しぶりから、どうやらあの月目の美男子も虚無の担い手…その使い魔であるようだった。
流暢に動物や竜を操っている。エルフでもない人間にそんな芸当ができるとは思えない。どうやら『動物を操る力』というのが、奴の力の一端なのだろう。
「ともあれ、行先は分かった。ウエストウッドか…そこにも担い手がいるらしいな」
「続々と虚無が集まっているわね。これヤバいんじゃないの?」
アリィーはふむ…と思案する。今日まで情報収集に徹していたが、明日には蛮人たちは敵軍に攻撃を仕掛けるらしい。当然、虚無の担い手もそれに合わせて動くことだろう。
帰る手段をまだ確立していないが、ここで手を拱いても仕方がない。
(そろそろ、動く必要がありそうだな…)
昨夜受け取ったマッダーフたちの連絡を見るに、やはり哨戒を抜けてこの白の国へ来るのは相当なリスクを伴うようだ。援軍は残念ながら、期待できそうもない。
「ルクシャナ、きみは帰る用の竜を確保しておいてくれ。竜の思考を操るのは邪道なのだが、致し方ない」
「え、それって…わたしにここに残れってコト!?」
ルクシャナは叫んだ。どうやら一緒に連れて行ってもらえると思っていたようだ。
「そうだ。騎士でもないきみに危険な目に遭わせられない」
「何言ってるのよ! わたしだってそこらの蛮人に遅れなんてとらな――」
「だめだ!! 絶対に来るな!!」
しかしアリィーは、大声でルクシャナの抗議を遮った。
「悪魔の技の担い手たちは、ぼくらが思っているよりも脅威かもしれない。そんな危ない連中が集うところに、きみを行かせるわけにはいかない!!」
アリィーの脳裏に過る言葉。『人間を、甘く見るな』。
まだ実際に相対したわけでは無いのに、なぜかこの言葉は真実のようにも思えていた。
少なくとも、向こうは自分よりも強力な『行使手』だった吸血鬼を退けるほどの、力を持っている。
流石に楽観視はできない状況なのは、アリィーもよく分かっていた。だからこそ、婚約者を危険な目に遭わせたくはなかった。
一方のルクシャナはしばし「う~~~」と、唸っていたが、やがて仕方なさそうに首を振った。
「…分かったわ。今回だけはあなたの言うことを聞いてあげる」
「? そうか…」
彼女の言葉に、アリィーは少し呆気にとられる。何て言うか…物分かりが良すぎると思ってしまったからだ。
譲らない時のルクシャナは本当に、何処までも頑固に食いついてくる。それを知っていたからこそ、ちょっと疑問を覚えた。
だから、くぎを刺すように言った。
「いいか、ここで別れるからと言って、余計なことは絶対にするな。ここは敵地だという事を忘れるんじゃないぞ…」
「分かってるわよ。わたしだってそこまで馬鹿じゃないし」
そういって、口語を唱える。風の精霊を行使し、顔を変えたのだ。『変化』と呼ばれる呪文である。
それにより、蛮人に姿を変える。他のエルフと違い、ルクシャナはあるべき姿を変えることに抵抗が無い変わり種であった。
変わった顔を見て、アリィーはため息をついた。今のルクシャナは、白粉を塗りたくって目の周りを青く塗りつぶした道化の顔になっていたのだ。
「まったくきみらしいな。だけどそれじゃ別の意味で蛮人共の目を引く」
仕方なしに、アリィーも『変化』の呪文を唱える。ルクシャナの顔は再び変わり、いつもの美貌に戻り、今度は耳が人間並みに小さくなる。
「これでよし。では頼むぞ」
そういって、アリィーはルクシャナを置いて去った。ウエストウッドに向かうために。
対するルクシャナは、いなくなった未来の旦那に向けて、思うような声で言った。
「アリィー、あなた気付いてないの? この街の精霊たち、鳴いているのよ」
ある意味、学者肌のルクシャナだからこそ気付いた違和感。自然の精霊が、ざわついているような感覚。
「その精霊たちが教えてくるのよ。そう遠くない未来、この街で何かが起こるって…。だから、担い手のことはあなたに任せるわ。わたしはこっちを調べてみるわね」
得も言えぬ予感を感じるからこそ、ルクシャナはあえて残った。精霊たちが感じる不安や畏れの正体を探るために…。
「とりあえず、あの子…メイドって、蛮人…じゃなかった、人間は言うのね。いろいろ聞いてみようかしら?」
そう言って、ルクシャナは天幕に戻っていくシエスタの後を追った。
降臨祭最終日、午後六時頃―――。
太陽が、地平線の彼方へと消えていく。
いよいよ始祖の降臨祭最後の夜が、始まった。
「ここが―――」
「そう、あともう少しさ」
馬で飛ばしていた剣心、フーケ、ギーシュの三人は、何事もなく無事ウエストウッドの森へとたどり着いた。
流石に太陽が消えて辺りが暗くなっていたが、曇り空一つない二つの満月が、周囲を明るく照らしていた。
生い茂った森に入口らしき道が伸びている。言われないと気づかないが、何度も往来があったような形跡はしっかりと残っている。
「ああ、どんなレディなんだろうな…アルビオンのさる高貴な方だから、相当綺麗なんだろうなぁ…」
ギーシュは能天気にそんなことを呟く。フーケはあきれたようにため息をついた。
「いっとくけど、テファに手を出したら本当に殺すからね」
「わ、分かってる分ってるよ…」
そんなやり取りをしていた時だ。剣心は、懐からフーケの杖を手に取ると、それをフーケに投げ返した。
フーケは一瞬、呆気にとられたような顔をしたが、投げ渡わせた杖を受け取った。
「…いいのかい?」
「いざ闘いになった時、子供たちを守る力がいるでござろう?」
「……ありがとうね」
フーケは複雑な表情を浮かべて、そう返した。
(もうちょっと早く、あなたの優しさに気付いていればな…。そうしたら、こんなことには…)
「何か言ったでござるか?」
不思議そうな顔で聞く剣心を見て、フーケは優しさと切なさを浮かべた顔で、言った。
「いや、何でもないさ」
フーケは馬に鞭をうった。彼女を先頭に、剣心達も後に続く。
やがて、木々が広がり、藁ぶきの家々が姿を現した。
だが―――。
「―――!?」
フーケは絶句した。剣心やギーシュも驚きで目を見張る。
村から、家から、黒煙が立っている。
焼けたような、すすけた匂いが立ち込めている。
子供たちの快活な声は、聞こえてこなかった。
「嘘………嘘でしょう!?」
「マチルダ殿!!」
剣心の呼び声に耳を貸さず、フーケは慌てて馬を降り村に向かう。
そこには、明らかに荒らされた形跡がそこかしこに散見される惨状が広がっていた。
「エマ!! ジム!! ジャック!! サマンサ!! サム!! いたら返事をして!!!」
フーケは大声で何度も叫ぶ。だが、答えを返す者は皆無だった。
「テファ!! テファアアアアアアアア!!」
可愛い妹分の名前を呼ぶが、やはり返事は返ってこない。叫びながら駆けまわるフーケは、丁度足元に何か落ちているのに気づく。
それは、ティファニアが使っていた杖だった。
「あの子の杖!! 何でここに!?」
フーケは杖を拾い上げる。嫌な予感が膨れていく。
それを振り切るように、より一層大きな声でフーケは叫んだ。
「うわあ、これは酷い…」
ギーシュも思わず呻いた。家は屋根が崩れ、黒煙が伸び、壁に、剣が生えている。
地面には至る所に槍や剣が突き刺さっているのが見えた。
ギーシュはあきらめの境地で首を振った。この惨状では、もう…。
しかし、フーケは未だ認めたくないかのように、声を張って叫び続けた。誰か一人でもいい。誰か――と。
「……」
一方の剣心は冷静に物を見ていた。確かに周囲は荒らされているが…不思議と、血の匂いを感じないのだ。
(わざと荒らしたような感じでござるな…)
志々雄の仕業か? と思ったが、こんな芝居がかったことを奴がするだろうか? という疑問に駆られる。
しばし考えていると…小さく、何か此方に呼びかけるような声が、薄っすらと聞こえたような感じがした。
剣心はその方向を見る。剣や槍が突き刺さった家が、一軒立っている。
「マチルダ殿、あの家…」
「えっ…あっ…そうだ!!」
今更気付いたかのように、フーケは家を見た。その目には涙が溜まっている。
「もし何かあった時は、迷わずあの家の地下に隠れるようにって、あの子たちに言い含めていたわ!!!」
フーケは勢いよく家の扉を開けた。一見するとただの倉庫のようにも見えるが、床に小さな扉らしきものがついている。
ここまでくると、フーケもこの地下から、何人かの声が聞こえてくるのが耳に入った。
フーケは地下室へつながる扉を開けた。
「マチルダおねえちゃん!! 怖かったよぉぉ!!」
「ジム!! エマ!! みんな!!」
地下室にいた子供たちは、フーケの姿を見るなり泣きながら駆けよった。フーケは子供たちをまとめて抱きしめる。
「良かった…本当に良かったわ…みんな無事なの?」
「うん、ぼくたちは…でも…テファお姉ちゃんが…」
テファの名前を聞いて、フーケははっと顔を上げた。そう言えば、彼女の姿だけが見当たらない。
「テファは!? テファはどうしたんだい!!?」
その問いに、子供の中でも小さな女の子、エマが、涙をこぼしながら言った。
「テファお姉ちゃん…攫われちゃった…鎧を着た人形さんに…わたしたちをかばって…」
「なん…だって…!?」
その言葉に、フーケはがんと頭を殴られたような衝撃が走った。
周囲を散策していた剣心は、やはりぬぐえない違和感を感じていた。
「どうしたよ相棒? 浮かねえ顔して」
ギーシュの背中にあるデルフリンガーが、剣心の様子に疑問に思ったようだ。
「いや…ちょっとな…」
そういいながらも忙しなく、辺りの様子を探る剣心。ギーシュはそんな彼を見て立ち尽くしていた。
「…これは?」
やがて、剣心は家の壁で、剣で刻まれた紋様を見つける。
それは二つの杖を交差した紋様…ガリアの紋章であった。
「これ、ガリアの紋章じゃないかい? 何でこんなところに」
能天気にそう言うギーシュだが、剣心はその言葉で確信した。
「そうか、これはガリア国の仕業か」
「ええっ!?」
剣心の言葉に、ギーシュが叫んだ。ここにきてまさかのガリアが出てくるとは、思ってなかったからだ。
「でも…何で? ガリアも虚無を狙っているってことかい?」
「そこまではわからぬ。だが、不思議と腑に落ちるのでござる」
志々雄がこんな甘い采配をするとは思えない。だから別の者の仕業というのは当たりがついていた。
それがガリアというのであれば…納得も行く。
どうやら奴らが、いち早く最後の担い手の所在を掴んでいたようだ。
もう少し散策しようとした剣心は、背後から飛んでくる叫び声で足を止める。
「あっ!! あいつだ!!! あいつがテファお姉ちゃんを攫ったんだ!!!」
「おろ?」
剣心は後ろを振り向いた。見ればそこには、フーケに連れられた子供たちが、怒りの表情を此方に向けていた。
「テファお姉ちゃんを返せ!! この!!」
そう言って、ジムが石を掴んで剣心に投げつける。他の子どもたちもそれに倣って、地面に置いているものを投げつけ始めた。
「ちょ、ちょ! どういうことでござるか!?」
「そうだよ! しっかりおし! 彼はわたしの連れだよ!!」
あわあわして避ける剣心と、それを必死に止めるフーケ。ギーシュはただ「どういうこと?」という疑問を向けていた。
しかし、ジムは涙声で叫んだ。
「ぼく隠れて見たもん!! こいつがテファお姉ちゃんを気絶させて縛って肩に担いでいったのを!! 赤い髪で顔にバッテン傷があったんだもん!!」
それを聞いて、剣心は驚きの表情を浮かべた。確かにそれは自分である。子供たちがでたらめを言っているようにも見えない。
フーケも驚きで一瞬剣心を見るが…すぐ冷静になってジムに聞いた。
「それ…一体いつ頃のことだい?」
「一時間ぐらい前だよ! 急に兵隊の人形さんがやってきて…あいつら…お姉ちゃんの魔法が通じないみたいだった…」
他の子どもが、泣きながらそう説明した。
フーケは思案する。ゴーレム相手ならば…『忘却』は意味をなさない。操り手を倒さねば、意味が無いことを知っていた。
そして一時間前という話が本当なら…その時間、自分らはウエストウッドにむけて馬を走らせていた途中である。少なくとも、剣心本人の仕業では無いことだけは確かだ。
「どういうことだい? ケンシンが二人もいるってことかい?」
同じように訝しんでいたギーシュが、剣心に疑問を投げかける。
「もしかしてきみって、双子の兄弟がいたり?」
「いや、拙者は天涯孤独の身。両親ともすでに死別しているでござる」
「あ…そうなの…なんかごめん…」
さらっと出てきた言葉に内心衝撃を受けながら、おずおずとギーシュは謝った。
「今更、あんたを疑っちゃいないよ。ただ…」
「なんでござる?」
心当たりがあるかのような表情をするフーケに、今度は剣心が尋ねた。
フーケは口を開こうとして、とっさに叫んだ。
「ミスタ! 後ろ!!」
フーケがそう発した時は、剣心も既に反応していた。
鎧を着こんだ人形の一体が、剣心に斬りかかってきたからだ。
鉄剣を、鉄ごしらえの鞘で受け止める。その瞬間、斬りかかってきた人形は横一文字に真っ二つになった。
飛天御剣流‐双龍閃・雷‐。鞘で受け止めた時から、既に仕掛けていたのである。
人形であることは既に察していたため、斬る瞬間逆刃刀を裏に返して斬っていた。
「なるほど、どうやら潜伏をしていたようでござるな」
敵は自分たちが来るのを待っていたようだ。見れば、村の周囲からわらわらと武器を持った人形たちが現れる。
そいつらは皆一様に、ガリアの紋章を腹部分に刻んでいた。
まるで自分たちの仕業ですと言わんばかりの自己主張に、フーケはぎりと歯を食いしばった。
そしてその一団から、ぬっと一人の人形が、姿を現す。それは―――。
「あっ…ああああっ!!!」
「あいつだ!! こんどこそ本当にあいつだ!!」
「あいつが…テファお姉ちゃんを…!!」
子供たちが再び、悲鳴をあげた。
まるで人形の軍隊を指揮するかのように、向こうからも『緋村剣心』がやってきたのである。
「ケンシンが…二人!?」
それを見たギーシュが叫んだ。確かに相手は剣心と瓜二つの姿。
だが、此方を見る目は…殺意に満ち満ちた表情をしている。
言ってしまえば、人斬り抜刀斎のような様相をしているのである。
「確かに…拙者でござるな…」
自分と向き合う、という奇妙な体験に一瞬呆気にとられるも、剣心は冷静に状況を推察する。
服装だけでなく、ちゃんと十字傷も見事に再現しているのだから恐れ入る。
そのうち、フーケは言った。
「あれは恐らく『スキルニル』さ。でも何でガリアが…?」
「『スキルニル』?」
「端的に言えば、血を媒介にそっくりの人間に化ける魔法人形さ」
フーケの説明に、剣心は若干目を見開かせた。
いつ血を採取されたのか? と疑問に思ったが…そう言えばヴァリエール邸での闘いで、そこそこ負傷してしまったたことを思い出す。
その時か…と、剣心は自分に化けた人形を見つめた。
「気を付けておくれよ。『スキルニル』は元となった人間の能力も完全に複写するのさ。多分…飛天御剣流とやらもね…」
「な…なんだって!?」
ギーシュは叫んだ。飛天御剣流の恐ろしさを誰よりも知っているからこそ、絶望するかのような表情をした。
だが、剣心はあまり衝撃を受けるようなこともなく、スキルニルを睨み据える。
「なんにせよ、今は時間が無い」
逆刃刀を構える。その瞬間、剣心の人形も腰に差している剣を抜いた。
こちらは逆刃刀ではない。鉄の直剣である。当然、『不殺』などという、戦闘に不純な思考は消しているようである。
そう言う意味では、剣心というより『抜刀斎』に近い様相をしていた。
「こ奴らを倒し、一刻も早くティファニア殿を助けに行くでござるよ」
「分かった!!」
ギーシュも、デルフを抜いて構える。フーケも杖を手に取った。
「『拙者』は拙者が相手する。他をギーシュ、そしてマチルダ殿に任せても?」
「ああ、雑魚の掃討は任せな!!」
人形軍団との、闘いが始まった。