「……ぐぅっ」
アルビオンの、何処とも知れぬ茂みの中。
ジュリオ・チェザーレは自分の操る動物に引きずられながら呻いていた。
ワルドから逃れるために、至近距離での発火爆撃を繰り出し、そのおかげで追撃を逃れることができた。
だが、当然ながら無傷とはいかなかった。身体の所々は焼け焦げている。
ジュリオは起き上がった。口の中に溜まった血を吐き出す。そして、自分を引っ張ってくれた背後の狼を撫でた。
「ははっ、くすぐったいよ……」
狼はぺろぺろと頬を舐めてくる。操られての行動とは言え、このあどけない仕草に心を温かくさせた。
「ぐっ……」
やがてジュリオは完全に立ち上がる。もう少し寝ていたいが、相手がそれを許してくれない。
残弾はもうない。今装填している二発で最後だ。炸裂弾も、もう使い切ってしまった。『ヴィンダールヴ』の力はまだあるとはいえ、これが決定打になるとは正直言い難い状況。
歯を食いしばって、歩き出す。
(愚物、凡愚、頼りない。か……)
分かっている。そんなこと。所詮この力は、『もらい物』に過ぎない。
本来、この力を授かるべき本当の人物………ロマリアの教皇が召喚した『彼』は、剣心や志々雄、刃衛にも劣らない傑物なのだろうということは……分かっている。
自分だって、一度彼と喧嘩したのだ。一方的にボコられただけだったが。
その時の、心底自分を野脇の石ころにしか見ていないあの目は…今でも鮮明に思い出せる。
『――――
「げぼっ、ごっ……!!」
ジュリオは吐血した。息を荒げて、膝に手を突く。腹から流れる血を、抑えようとした。
傷は深くないが、それでも歩くたび激痛に襲われる。それに耐えながらも足に力を入れた。
「まっ、たく……。少しぐらい……話を聞いてくれても、良いじゃないか……!!」
やりきれない声を、ジュリオは上げた。
このままでは、ハルケギニアは滅ぶというのに……皆、目先の事しか見てくれない。
血の跡を道に残しながら、やるせなさそうにジュリオは……召喚されたかの者の顔を思い出し、呟くのだった。
「なあ、エニシ……ぃ!!」
アルビオンの草原。
月夜が照らす草原の中、二人のメイジが斬り合っていた。
剣劇の音が、火花が、静とした夜空に響き渡る。
「ほう、なかなかやるようだね。随分鍛えたんじゃないかいルイズ!!」
余裕しゃくしゃくの笑みで、ワルドはルイズと斬り合った。
ルイズは無言で、ワルドの嘲笑をやり過ごす。一々付き合っていてはキリがない。
むしろ相手の隙を探ろうと、色々思案を巡らせているのだが……やはり相手は元魔法衛士隊隊長。笑いながらも一切隙を見せてこない。
むしろ挑発しながら此方の隙を引き出そうとしているのだろう。油断なく此方を狩りに来ているようだった。
一方のワルドもまた、才はあるとはいえ……まだまだ未熟であるルイズの剣技にここまで警戒しているのは、理由がある。
(―――来るか!!)
ワルドは目を見開いた。刹那、ルイズの姿が消えたのだ。
「後ろか!!」
刹那、背後から飛んでくる刺突をワルドは捌く。キィン!! と、互いに木製の杖なのに金属音が鳴り響く。
「それも虚無の力というワケかい。随分と技が増えたなルイズ!!」
ルイズはキッとワルドを睨みつけた。
『加速』。エルザ戦の時に身につけた新たな呪文。
詠唱の手軽さ、性能、どれをとっても単騎で使う分には取り回しがしやすく、扱いやすい便利な呪文だ。
これを剣技と絡めることで、実力に遥か開きがあるワルドと、何とかやり合っていた。
しかし、便利な事ばかりではない。欠点も二つある。
一つは、停止直後の反動が凄まじく、使用後はどうしてもこけてしまう。ジョゼフのように筋肉を覗かせる程鍛えていれば、そんなことはないのだろうが……。まだ鍛錬に発展途上な今の身体では、急激な速度の変化についていけないのだ。
二つは、使用中は別の呪文と併用できない。使うと『ブレイド』は解けてしまう。
先の攻防は、『前転しながらワルドの背後に素早く回り込み、ブレイドを唱えながらワルドに斬りかかる』という形で行ったのであるが……どうしても手間が増える分、相手に対応できる暇を与えてしまっている。
「ふぅっ、はあぁ……っ」
ルイズは肩から息をした。先ほどから『加速』を中心とした戦闘を繰り広げているのだが、やはりワルドに対しては決定打とならないようだ。
段々と体力が削られていくにつれ、焦りが生じ始める。
「ふっ、まあここまでやるとはね。素直に褒めてあげようルイズ。『烈風』殿の教育が、よほどよかったようだね」
一方のワルドはまだ息一つ切らしていない。利き手を失くしたとはいえ、腐ってもスクウェアクラス。その差は埋めようがない。
「始祖ブリミルは、詠唱中の隙を『ガンダールヴ』に埋めて貰っていたようだが…」
「なら始祖は、きっと……身体を鍛えてこなかったのでしょうね」
息をしながらも、ルイズは混じりっ気のない笑みを浮かべて言った。
ワルドは顔をしかめる。
「……まったく、きみも使い魔に似て減らず口が増えてきたな。昔のきみは泣き言ばかりだったというのに」
「ワルド、やはりあなたは、わたしのことを全然知ろうとしてくれなかったみたいね」
息を整えたルイズは、すっと杖を前に構えながら、続ける。
「泣き言しか言えない自分が嫌だったから、弱いわたしが嫌いだったから……それを変えるために、忘れたかった剣を再び手に取ったの」
ルイズの言の葉には、『強さ』が込められていた。真剣に強さというものに、目を向けている顔。
それを正面から見つめながらも、しかしワルドは嘲笑を崩さなかった。
「そうか……だが」
刹那、今度はワルドの姿が消える。
ルイズは目を見開いた。上からくる。
まるで剣心の龍鎚閃を放つかのように、『フライ』で上空から飛んだワルドが殺到した。
「それだけでぼくに勝とうというのは……やはり軽んじられているようにしか見えんぞ! ルイズ!!」
ルイズは『加速』で逃げた。ワルドは着地と同時に詠唱。『ライトニング・クラウド』だ。
素早く動き回る手合いに対し、流石に『ライトニング』は当たらない。なのでわざわざ『雲』を作ってゆっくり後隙を狙おうとしていた。
作り出した黒雲から、稲妻が迸る。それが『加速』がきれたルイズを狙おうとした瞬間―――。
「ガアッ!!」
「ぐっ―――!!」
今度はカラスの群れだ。それがワルドの顔面を覆った。
刹那、ルイズに飛んでいくはずだった稲妻は大きくそれていく。
また『ヴィンダールヴ』か。こちらが攻撃する瞬間を的確に狙ってくる。正直うっとおしい。
「砕け散れ!!」
『ライトニング』を放ち、周囲にいた鳥を全滅させる。その隙を狙って、ルイズが突進してきた。
「何だその攻め方は! そんな愚直な攻めが通用するとでも―――」
ワルドはルイズに向かって杖を突き立てる。『エア・ニードル』だ。
それがルイズの身体を抉った……そう、視覚上は。
「―――!?」
次の瞬間、ルイズの身体は靄となって消えたのだ。
「幻影か!!?」
しまった、内心ワルドは叫ぶ。
アルビオン空戦で受け取った報告を失念していた。『敵艦隊は突如背後に現れ、そして何事もなく消えていったと…』
その正体が、あの幻影なのだろう。
「チィ!!」
ワルドは舌打ちした。見ればルイズは、軍杖を鞘に納めている。
ここにきて、抜刀術の真似事か。
直剣が抜刀術に不向きなことなど百も承知。一度『本物』を見ているのだ。それと比べれば、拙劣の一言に尽きる。
「ははは!! ここにきて使い魔の真似事か!!」
ワルドの嘲笑に構わず、ルイズは地を蹴った。
『ブレイド』を纏った斬撃が、ワルドを襲う。
しかし、ワルドはすっと、余裕の笑みで回避する。
何もかもが下らぬ。ここにきてこんな居合もどきを繰り出すとは…。
「さらばだルイズ。所詮きみの実力などこの程度…―――」
そう、ワルドは油断しないという心構えをしながらも、最後まで心の底ではルイズを舐めきっていた。
なまじ幼少期を知っているからこそ、「大したことはない」という心象が抜けきってなかったのである。
だから、ここにきてまた失念していた。
剣心の、飛天御剣流の抜刀術。その本質は―――。
「――――『爆発』!!」
隙の生じぬ、二段構え。
懐に備えた、幼少期から使っている杖を向け、小規模な『爆発』を唱えた。
「―――ぐぉおおおおおおお!!」
まるで警戒していなかったワルドは、これをもろに喰らった。
長い詠唱はできなかったから、威力はかなり小規模だったが……虚を突くには十分な威力だった。
ワルドは吹っ飛び、草原の中転がっていく。
「だから言ったでしょう? もう、今までの『ゼロのルイズ』じゃないって」
軍杖と指揮棒状の杖二本をそれぞれ手に持ちながら、ルイズは言った。
「……そう、だな。悪かった。舐め過ぎていた」
一方のワルドも、ゆったりとした動きで再び立ち上がる。
負傷はそこまでではなかったが、完全に今の攻防は『してやられた』。それがワルドの最後の慢心を、すっと打ち消していた。
「ここからはなりふり構わずきみを殺すとしよう。そう、なりふり構わずね」
先ほどの嘲笑とは違う、異質な笑みを浮かべるワルドを気味悪く思いながらも、ルイズは油断せず杖を構えた。
小さい杖を懐にしまおうとしていたルイズは、ここでふと、あることに思い至る。
(――そうだ、わたし、杖が二本使えるんだった)
今更ながらの思考。杖が二本あるという現状の様子に、まだ慣れてなかったのもある。
だが一度思い至れば、即座に発想の幅を広げられる。
(これなら『加速』中でも―――!!)
ルイズは無意識に笑みを浮かべた。何というか、どんどんとやれることの幅が広がってきているようで、楽しく思えてきたのだった。
そうしているうち、ワルドが動いた。
「ユビキタス・デル・ウィンデ!!」
再び、ワルドの周囲に『偏在』が現れる。その数四体。
それを一気に襲わせる。人海戦術。それが一番手っ取り早くルイズを葬れる。そう思っての行動だろう。
「『加速』!!」
一方、ルイズは再び消える。襲い掛かってきたワルドは素早く周囲を見渡した。
確かに早いが、『ブレイド』を唱え直す関係上、どうしても『間』がある。それを知っているからこそ、余裕で対応しようとした矢先―――。
「ぐぅおっ!!」
偏在の一体が悲鳴を上げた。そのまますっぱりと斬られて風とともに消える。
「何ッ!?」
他の偏在が呻いた。更に速くなっている。否、動きに手間が消えたような感覚。
そう、ルイズは小さい方の杖で『加速』を唱え、軍杖に『ブレイド』を唱えて斬りかかったのである。
これなら、いちいち剣の呪文を唱える必要もなくなる。
片手は塞がるが、動きにハリが出てくるようになったのだ。
「ならばこれでどうだ!!」
『エア・ニードル』を唱え、偏在の一体が斬りかかる、『加速』が終わる隙を見計らったのだ。
しかし、ルイズは素早く呪文を唱えていた。
「『幻影』!!」
正確に頭を突かれたはずのルイズが、靄となって消える。
人一人分の映像、それも数秒で良いのであれば、『幻影』の呪文もそこまで長期詠唱しなくてもいい。それを闘いの中で見出したのだ。
さらにルイズは、そこでできた隙を使って先ほどより少し長く詠唱する。
そしてそのまま、今度は偏在に斬りかかった。
対抗しようとして杖を翳した偏在は……ここで驚愕する。
剣の軌跡が、残光が、一気に増えたのである。まるで複数の剣が同時に襲い掛かってくるかのような現象。間違いなく『幻影』の効果によるものだった。
どれか本物か分からず、たたらを踏む偏在は真一文字に斬られた。
ここで、二体の偏在が躍りかかった。転がりながら『加速』で逃げたルイズは、ここで杖を突きつけ叫ぶ。
「『解除』!!」
偏在が一体消えた。しかし……その消えた偏在の背後からさらに別の分身が姿を現す。
ジュリオにやった時のように、偏在を盾とし『解除』をやり過ごしたのである。
しかしまだ距離がある。ワルドは『魔法の矢』を唱えた。
ルイズも同じく、軍杖で『魔法の矢』を唱える。『ブレイド』同様、こちらも系統に拠らない魔法のため、使えるようになったのである。
互いの魔法の矢が直撃する。瞬間、その場で爆ぜた。
ガワや速度は間違いなく『魔法の矢』そのものだが、触れると『爆発』する特性自体は引き継いでいるようだった。
一瞬怯む偏在に向かって、ルイズは二本目の……小ぶりの杖で『魔法の矢』を放った。
それが偏在にぶち当たる。
「『爆発』!!」
瞬間、偏在は今度こそ木っ端みじんに吹き飛んだ。
偏在たちをすべて退けた。ルイズは自分がどんどん成長していくような、そんな楽しさを闘いの中で感じていた。
「終わりよ、ワルド!!」
高らかにそう叫ぶが……しかし、依然本物のワルドは薄笑いを浮かべたまま。やがて楽しそうに呟く。
「ほう、なかなかやるようになったねえルイズ。『虚無』をそこまで使いこなすか。だが……」
そこでワルドは片手を上げた。すると森林の奥が突如爆風で包まれる。
「ぐわぁっ!!」
やがて出てきたのはジュリオだった。遅れて遠隔操作していた偏在がやってくる。
痛みで呻くジュリオに向かって、偏在は容赦なく踏みつけた。
「がっ!!」
「ジュリオ!!」
慌てて駆け寄ろうとするルイズに向かって、本物のワルドは行く手を阻むかのように立ち塞がった。
「さあルイズ。再び選んでもらおうか。彼を助けたくば、大人しく杖を捨てたまえ。勿論両方ともね」
偏在がジュリオに向かって杖を突きつける。ウェールズの時を思い起こさせるかのような口調で、ワルドはルイズにそう嘯いた。
「ワ、ワルド……! あなたって……人はっ!!」
ルイズは怒りで歯ぎしりしながらワルドを睨む。
奴は最初からこれを狙っていたのだ。思えば、通りで偏在を簡単に倒せたと思った。
あれは全て、時間稼ぎだったのだろう。ジュリオを炙り出し、人質にするために……。まんまとしてやられたのだ。
色々怪しくて思うところはあるものの……それでも本気でジュリオを見捨てようとは、ルイズも思ってなかった。
「言っただろうルイズ。ぼくだってなりふり構ってられないんだ。きみの命を確実に頂戴するためなら、汚い手だってなんだってやる」
ワルドもまた、ここでルイズがジュリオを見捨てるとは毛ほども思ってなかった。
なぜなら、彼女は緋村剣心の主人だから。
使い魔の心情信念を慮っているということは、報告で知っている。となれば、ここで誰であれ、人質に取られた手合いを見捨てるようなことはしない筈なのだ。
だって、剣心ならば絶対に助けるだろうから。
故に、この戦略をされたらルイズは屈するしかなかった。だからこそ、ルイズも歯噛みして悔しがっているのである。
「ぐっ……くそ!!」
逆に人質にされたジュリオもまた、悔しがった。
偏在は冷たい目で此方を睨んでくる。何かしようとすれば、すぐに風の刃が首筋を狙うことだろう。
自分が弱いせいで、大切な虚無の担い手の動きを鈍らせてしまっている。屈辱以外の何物でもない。
「やめろ……っ! ルイズ! ぼくは見捨てて逃げてくれ!!」
呻くように、ジュリオはそう叫ぶしかなかった。しかし――、
「貴様は黙っていろ」
そう言って、刺された腹を思い切り踏みつける。
「ぐあああああああああああ!!!」
ジュリオの悲鳴が平原に響き渡る。
「止めて!!!」
ルイズは叫んだ。本物のワルドは以前鋭い目で此方を睨んでいる。わずかでも口語を唱えたら、即座にジュリオの首を飛ばす腹積もりらしい。
「ならばどうすればいい?」
「くぅ……っ!!」
ルイズは苦しそうに目を瞑るジュリオを見た。
その姿が……かつてのウェールズの姿をいやおうなしに想起される。
ひとしきり拳を震わせた後、ルイズは息を吐きながら……ついに二本の杖を地面に放り投げた。
「これが闘いというものだよルイズ。最後に一つ、勉強になったね」
ワルドはゆっくりと詠唱を開始した。遊びはしない。確実に仕留める。『ライトニング・クラウド』を唱え、稲妻が迸る雲を作り上げた。
「あなたは本当に、何もかもを捨ててしまったのね……。貴族としてのプライドも、大切な思い出も、何もかもを……」
そう言ってて、ルイズはどんどん悲しくなっている気持ちを覚えた。本当に、どうして彼はこんなにも落ちぶれたのだろう。そんな思いが去来したのだった。
「思い出だけじゃ人は進めない。それだけだよルイズ」
分かったような口調で、ワルドはそう言った。杖に魔力が溜まる。稲光が辺りを包み込む。
その光の中……ルイズが見たのは、ワルドの首にかかったロケットだった。
何で最後にそれに目をやったのか、自分でもよく分からない。だが……、不思議と視線は、殺意迸る雲ではなく、其方へと行ったのだった。
「これで本当に、さよならだ。愛しのミ・レイディ」
それを最後に、ワルドは杖を振り下ろさんとした時―――。
ヒヒィーン!!
一頭の馬の鳴き声が、草原に響きわたった。
「――!?」
それを聞いて、ワルドは一旦放つのを中断する。
あの馬……鞍や馬具がついている。だが乗り手は何処にもいない。
その瞬間、寒気と怖気で、ワルドは全身が震えあがるのを感じた。
この恐怖、この骨の髄から震わせるような圧倒的な……怖気。久しく忘れていた、この感覚。
ワルドは空を見上げた。
月光と共に、一筋の影が此方へ殺到してくる。
恐らく馬の乗り手であろうその影は、馬の背から一気に跳躍し、ワルドの元へ殺到してくる―――。
「あっ―――わっ―――」
慌てたワルドは、ルイズに撃つはずだった『稲妻の雲』を、その上空への影に向かって放つ。
しかし影は身を翻してそれを回避。刹那鯉口から覗く光に、ワルドは恐怖を覚える。
まさか、奴がもう、ここへ来たのか――!
「-龍鎚閃-!!」
その言葉と共に着地、そして衝撃音。ワルドは吹っ飛んでいった。
目をつむってやり過ごしたルイズは、ここで自分の盾になるかのようにやってきたその影の、名前を呼びかける。
「ケン、シン……」
「また間一髪のようでござったな。ルイズ殿。つくづく申し訳ない」
剣心はいつものように優しい微笑みに、謝罪の念を込めた様子で、ルイズにそう言った。
「……はあっ、はあっ」
転がりながら起き上がったワルドは呻いた。体中が冷や汗で蝕んでいくのが分かる。
鍛えてきたはずだ。たとえ利き腕をやられたとしても、それでも彼らに追いつくために。
杖を振った。魔力を上げた。なりふり構わず戦うすべも覚えた。
なのに、彼に会った瞬間『勝てない』。そんな思考が体中を支配したのだ。
これはもう、思考云々の話じゃない。本能と言ってもいい。ただ、『格』が、違う。
分かってたはずだ。でも抗いたかった。だがやはり……無理だ。それが最後に達した結論。
怒り、憎悪、嫉妬、それらの感情を滲ませながら、三度相対することとなった『ガンダールヴ』こと、緋村剣心を睨みつけた。
「ワルド。お前は本当に、何も変わっておらぬようだな」
対する剣心は、ただ冷たい声でそう告げる。逆刃刀を此方に構え、悠然とこちらに歩くその姿勢は……油断がない癖に余裕があるような風情を感じさせる。
それがまた、ワルドの癪に激しく触っていた。
「くるな!! 人質がどうなっても良いのか――――」
刹那、パァン!! と発砲音が空に響いた。それと共に、ジュリオを押さえていた筈の『偏在』が、跡形もなく消えた。
「やっと来てくれたかい。遅いよもう……」
銃口から煙を立ち上らせながら、呻くようにジュリオは呟いた。
ワルドは気付いてなかったが……先の空戦、実は『ダータルネス』方面に誘導しながら戦っていたのである。
そしてこれまた偏在に気付かれないように、狼を一匹草原に放ち、剣心に助けを求めるように探らせていたのであった。
伝説の『ガンダールヴ』なら、主人の危地には必ずはせ参じると、分かっていたからこその動きであった。
結果的には何とか間に合った。ジュリオは剣心がやってきて倒れる本体(ワルド)の隙を突き、懐に忍ばせた拳銃で厄介な偏在を撃ち殺したのであった。
人質もなくなった。ワルドは怒号と共に『偏在』を繰り出した。
「くっ、くそおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
体中を迸る怒りで、何と八体まで召喚できた。それを全て、一斉に襲わせる。
ルイズを、ジュリオを再び人質に取る予定だった。
しかし――。
「飛天御剣流 -九 頭 龍 閃-」
九瞬一撃の斬術。一人一撃。八体いたワルドは瞬きで消えた。
「ごっ……お……」
そして最後の刺突。柄尻による攻撃が、本体ワルドの鳩尾に深く入った。
痛みで一瞬、視界が暗く翳る。だがワルドは憤怒と執念でこれをやり過ごす。
「まだ、だ。まだ……!」
震える動きで杖を上に掲げる。『ライトニング』を放つつもりだった。
その瞬間、今度はドォン!! という銃声が再び響いた。
「がああああああ!!!」
ワルドは悲鳴と共に倒れた。左腕を、狙撃されたのだった。
ジュリオが放った最後の銃弾は、ワルドの左ひじを砕いた。これでもう、左腕すら満足に使えなくなってしまった。
「どうだい……! これが凡愚の意地……ってやつさ!」
息も絶え絶えながら、ジュリオはそう言った。
「きさまあああああああああああああああ!!」
怒りで一瞬、ジュリオの方へと向きなおるワルド。しかし彼の懐にはまだ、剣心がいる。
剣心は刹那の動きで刀を納め、抜刀術の構えを取った。それを見たワルドは悲鳴を上げた。
ルイズのそれとは比較にならない気迫、堂に行った構え、慣れている所作。
瞬撃の閃光が、ワルドの横腹を深くえぐり、そして吹き飛ばしていった。
「ぐぅあああああああああああああああああああああ!!」
回転しながら、ワルドは草原を無様に転がり吹っ飛んでいく。
その合間、首からかけていたロケットの、紐がちぎれた。
「――あっ……」
それにいち早く反応したのが、ちょうど二本の杖を拾っていたルイズだった。
月夜に煌めく、銀色の蓋の光を覗かせながら地面に落ちたロケットを、ルイズは手に取った。
蓋の中にあったのは……若い女性の肖像画。
過去の記憶で、この人がワルドの母なのだという事は知っている。
貴族のプライドも、故郷も、家も、全てを捨てたかと思っていたのに……これだけはまだ、首にかけていた。
それが……ワルドの微かな『弱さ』であり『人間性』なのではないかと、ルイズはこの時強く思った。
「あっ、があぁ……っ」
一方でワルド本体はまだ、気絶してはなかった。
剣心に対する怒りと憎悪で、『精神が肉体を凌駕している』状態であるようだった。
しかしもう両腕は無残なもの。もうまともに、杖を振ることすらワルドはできなかった。
「はあっ、はあっ……」
そんなワルドに、剣心はゆっくりと近づいていく。ワルドは今、大岩に背を預けもたれかかっている。
逆刃刀を納め、憐憫ともいえる目をこの『閃光』の名を冠した男に送っていた。
「ワルド。何がお前をそこまで――」
「言うな! 何も、言うな!!」
ワルドは叫んだ。この男……剣心に憐憫なんてものを向けられているのが腹立たしくてならない。
だからこそ、作り笑いを浮かべてまでこう言った。彼の古傷を抉るために。
「ふふっ、ふはははは!! いや全くもって見事。あの時より、動きがさらに洗練されておるなぁ……っ!!」
狂ったように笑いながら、ワルドは続ける。
「さぞ悔しいだろうなぁ。それだけの強さを持っておきながら……ウェールズをみすみす死なせてしまったのだからなぁ……!」
剣心の顔が一瞬歪む。あの時はルーンとの不和が原因だった。もしそれが無かったら…守れたはずだった。ワルドもそれを分かって言っているのであろう。
「聞いているかルイズ! お前がウェールズを殺したんだ!! お前の弱さと、ルーンが! 王子を死に至らしめた!! どれか一つでも無かったら……結末が変わっていたかもしれないなああああああああああ!」
大笑いするワルドは、ここで盛大に吐血した。だが、それでも狂ったように笑い続ける。
やがて、剣心の隣にルイズもやってきた。
「ワルド、これ……」
ルイズはそう言って、ロケットを見せる。瞬間、ワルドの表情が変わった。
「貴様っ、ルイズ……!」
「言ってたわよね。この女性。あなたの母さまだって」
憐憫の表情を浮かべながら、滔々と語るルイズ。それがまた、ワルドの癪に触っていく。
「教えて。あなたが変わったのって……この人にあるんじゃないの? だって、このロケットだけ肌身離さず持っているってことは……」
そう言った瞬間、ルイズは目を見開く。ワルドは風石で操作できる義手をぎこちなく動かし、マントを翻した。
そこには……大量の爆弾が詰め込まれてた。
「さらばだルイズ! そしてガンダールヴ!! このまま道連れだ!!」
マントから爆弾を取り出し、地面に叩きつける。
ワルドの真意を悟った剣心は、ルイズを抱えてその場から緊急離脱した。
ドォォォン!!
爆発音がアルビオンの草原に響き渡る。
「こほっ、けほっ……」
ルイズは煙にせき込みながら、まずは抱きかかえている剣心の顔に目を向けた。
「ありがと、ケンシン」
「ルイズ殿が無事でよかったでござるよ」
次いでルイズは、爆炎で立ち上る煙の方を見やった。そこにワルドの死体はない。
「ワルド……死んだの?」
恐る恐る尋ねるルイズに対し、剣心は「いや」ときっぱりと答える。
「あの義手、中に『風石』を詰め込んでいたのでござろう。いざという時の脱出用として」
要は、爆発を『ブラフ』として逃げ出したという事なのだろう。少なくとも見渡す限りでは、ワルドの姿は見当たらなかった。
「そう……」
ルイズは手に残ったままのロケットを見た。
彼が変わった原因、それはこの女性にあるのではと気になっていた。
だとするなら……それを調べていけば……彼の心を引き戻すきっかけを作れるのではないか。そんなことを考え始めていた。
剣心ばかりに頼ってもいけない。もう反故になったとはいえ、彼はかつての婚約者。決着をつけるのも、自分ではと思うようになり始めていた。
ルイズはロケットを懐にしまった。そして……剣心の顔を再び眺めた。
そして思い出す。そういえば……自分は昼頃、彼を拒絶してしまった。
どんな顔すればいいのだろう。そんなことを考えていると、先に剣心の方が申し訳なさそうにこう話しかけてきた。
「昨夜はすまなかったでござるな。もし怒っているのであれば……ここで謝りたいのでござるが」
「あっ、え?」
「本当に、申し訳ない。先ほどもまた、ルイズ殿を危険な目に遭わせてしまって」
ルイズの手を放し、距離を取って頭を下げる剣心。
それを見たルイズは真面目に困惑した。そりゃあ言いたいことはあるが……それをずっと気にかけていたのかと思うと、こちらも申し訳ないという気持ちが湧いてきた。
「いいの、違うの、ただ……」
そこまで喋って、ルイズはふらついた。強烈な眠気にまた、襲われたのだ。
違う、違うの……言わなきゃ……伝えないと。
わたしの、きもちを。
しかしもう、口がうまく動かなくなっていく。『虚無』を無意識に乱打したツケが、ここで出てきた恰好であった。
「また……独りぼっちは……や、だ……」
結局、そんなことしか伝えられない自分は嫌になる。
離れるのを本能で嫌がるように、剣心に寄りかかりながらまた、ルイズは眠りについた。
「……ルイズ殿」
剣心は眠ってしまったルイズを優しく抱き留める。よく見ると、目には一筋の涙がこぼれていた。
(表面上は強がっていても、やはり寂しい思いをさせていたのでござろうな)
まだ彼女からは当分離れられないな……。そんなことを考えながら、剣心は再び彼女を背負った。
そしてその足取りで、倒れているジュリオの方に駆けよった。
「ジュリオ殿!」
「ああ、良かった。てっきりそのまま、ぼくは忘れ去られるのかと思っちゃったよ」
倒れていたジュリオは開口一番、ニヤッとそんなことを言っていた。しかし……彼の傷は悲惨なものだ。
顔には蹴られた跡、口には吐血したであろう跡、腹からは血がこぼれている
「すまないでござる。ルイズ殿を」
「いいんだ。連れ出したのはぼくだしね……」
ここでジュリオは、素直にここまでの経緯を話した。虚無の担い手をどん欲に求める姿勢に一瞬、剣心は顔をしかめたが……。
「とにかく、傷が深い。これを」
それはそれ、これはこれ。
剣心は水魔法がかかった塗り薬のポーションを、ジュリオに渡した。訓練でよくギーシュたちが怪我をするので、平民でも使える高価な手持ち薬はそれなりの数、袖に入れてあるのだった。
手のひらに収まるほど小さいが、効果は『水石』から抽出しているだけあって高い。アンリエッタからの頂き物であった。
「はは、ありがとうね……」
受け取ったジュリオは、蓋を乱暴に投げると、腹に全て塗った。効き目は覿面であり、血はすぐに止まった。
「ああ~、きく。これ高価な奴だな。ぁあ~良い」
「良かった。後アズーロにもこれを」
そう言って、薬をもう一個ジュリオに手渡す。彼の竜も気絶するほど敢闘したという事は、先程聞いていた。
「至れり尽くせりだな。まあでも、ありがたく恩恵にあずからせてもらうよ」
「お主には、タルブで助けてもらった礼があるでござるよ」
「ははっ、そうだね! じゃあこれで貸し借り無しってことだ!」
受け取りながら、子供のように笑うジュリオ。それを見据えながら、……冷静な顔で、剣心は尋ねる。
「まだ、話せぬのでござるか? お主らの真意」
「………」
それを聞いたジュリオは真顔になる。そして…彼にしては珍しく、本気で悩んでいるような表情の後、聞き返した。
「きみは、もし……ハルケギニアが滅ぶ『大災厄』が近々起こるって言ったら、どうする?」
ジュリオは内心思う。つくづく馬鹿げた、荒唐無稽な言葉。
こんなことを言ったって、信じる人間など存在しないだろう。
どうせ彼も、真には受けない筈。そう思っていたが、剣心だけは、馬鹿にも、呆れるような様子を見せなかった。
「……それを止めるために、『虚無』がいるという事でござるか?」
真剣な表情だった。きちんと、思案してくれている表情。それを見たジュリオは……一瞬、本当に声を失った。
「真意は分かった。けど…まだ、何か隠しているのでござろう? 例えばその銃にしても」
剣心は鋭い目線を、ジュリオの手に握られている……空の回転式拳銃に向けた。
やはり、気付いていたのだろう。これは『自分の世界』から来た物であるという事は。
どんどんと此方の抱えている秘密を暴かれていく感覚。果たして、良いのか、悪いのか。
そんなことを考えながら、結局ジュリオはまだ、ここでの詳しい話は避けた。
「……まあ、それはまたおいおい話すさ。それより気を付けた方が良い。ここへ来る途中、ガリアの『両用艦隊』に鉢合わせた。奴ら雲中航海で隠れながら、サウスゴータに向かっている」
それを聞いて、剣心の表情が再び変わった。そうだ、こうしている場合ではない。
剣心はここで、ジュリオにティファニアのこと、そしてジョゼフと接触を図ったことを報告する。
そして、今夜零時を丁度に、サウスゴータを襲撃すると。
「そうか……なら、早く行った方が良い」
そう言うと、口笛を吹いた。剣心が今乗ってきた馬が、彼のすぐ隣にまで近づいてくる。
「ここからサウスゴータはどんなに見積もっても、三時間はかかる。ぼくもアズーロが復活したら、すぐに向かうよ」
「忝い。では」
途中で振り落とされないよう、剣心は自分とルイズを紐で密着させると、颯爽と馬に乗り、そして走らせた。
後に残ったジュリオは、思うような声で、ぽつりとつぶやいた。
「正直に話した方が、彼との協力を得られるのかな? はは……どっちが正しんだろう……ね」
次回投稿は10月頃に開始します。