るろうに使い魔‐ハルケギニア剣客浪漫譚‐   作:お団子

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第百十三幕『「サウスゴータは燃えているか」』-其の壱・『等活』-

 

 

 降臨祭終了。午前零時二十三分頃―――。

 

「ぁ……、はっ、はあっ……!!」

 荒廃と火災漂う中、少女…アンリエッタは走っていた。

 上空から睨むガリアの船から、ひっきりなしに砲撃音が轟く。

 ドン、屋根が砕ける。ドン、壁が吹き飛ぶ。ドン、地面が揺れ大きなへこみが出来上がる。

 

「はっ、ああっ!!」

 その揺れに耐えきれず、転んでしまう。服や肌はもう、至る所が煤けており……威厳ある女王という風貌とは、かけ離れた姿であった。

 素足で走っていたため、足の裏が痛い。ガラスの破片や尖った小石が食い込んで、血が出ていた。

 杖はある。『水』魔法で治療したかったが…そんな時間も余裕も、今の彼女には無かった。

「ぁ、あぁ……ぁっ!」

 

 歯を食いしばってみる光景は…赤い焔。焼けた大地。逃げ惑う人々…。

 

 何故? 民には先に避難勧告を出したはず…。そんな疑問が頭を支配する。

 だが今……燃える炎に怯えているのは自軍の兵ではなく…この町に住む民の姿。

 

「お前らの所為だ!!」

「だからいったのだ!! わしらの平穏を汚すなと!!」

「何が女王だ! この人殺しどもめ!!」

 レコン・キスタの恐慌に誰よりも怯えていた市民は、自分の姿を見るなり口々にそう叫ぶ。

 それ以上何かしては来ないのだが…その罵倒に、野次に、アンリエッタは心を痛ませる余裕すらなかった。

「…アニエス!! アニエスは何処ですか!!」

 必死になって、一番心に置く忠臣の名を呼ぶが…、返ってくるのは悲鳴、砲撃、衝撃音のみ。

 

「ケンシン殿!! ルイズ!! みんな、何処に行ったの!!?」

 

 みんな、無事なのだろうか?

 しかし、そんな心配をするまもなく、彼女には災難が訪れる。

 建物の上の瓦礫が、彼女の真上に落ちてきた。アンリエッタは気付かない。このままでは瓦礫の下敷きに―――。

 

「危ない!!」

 そう言って瓦礫を宙に押しとどめたのは、魔法衛士隊、最後の隊となってしまったマンティコア隊の隊長、ド・ゼッサールだった。

 ここでアンリエッタは、真上に瓦礫が差し迫っていたことに気付いた。

 

「あ、ありがとうございます……」

「いえ、それにしても良かった。早くに陛下を見つけられて……」

 と、人の良いこの隊長は安堵の表情を浮かべる。ウェールズによるかどわかし、『元素の兄弟』による誘拐で、さんざんアンリエッタを探していた彼は、この混乱の中、すぐに敬愛する女王陛下を見つけられたことに安心を覚えたようだった。

 

「ここはわたしたち魔法衛士隊が護衛します。さあ、ご命令を」

 見れば、数人の隊員が後からやってくる。彼らが護衛についてくれるようだ。

 アンリエッタは混乱しながらも、すぐに告げる。

「と、とにかくわが軍の状況の確認と……あと、逃げ遅れている民の避難を!」

「承知……と、言いたいのですが、肝心のポワチエ元帥が、何処に行ったのか……」

 苦い顔で、ゼッサールは答える。そう、こんなにも軍の統率が取れていないのは……指揮官のド・ポワチエ元帥がいなくなっているからである。

 何なら参謀総長のウィンプフェンも……いや、彼の事は忘れよう。『あれ』はもう、駄目だ。

「ならばわたくしが元帥の代わりに指揮を執ります。混乱している兵を集めてください。一度体制を立て直さねば―――」

 

 その時だった。

「うわあああああああああ!!!」

 突如差し迫る『蒼い焔』が、集まっていた兵たちを吹き飛ばした。

「――――っ!?」

 あまりの高熱に、アンリエッタは目をつむって腕で顔を覆う。

 そして、見る。

 

 

「さっきの話の続きだぜ。お姫さま」

 

 

 燃え盛る大通りの先……十メイル以上ある距離の道の真ん中に、男が聳え立っていた。

 

 

「あんたは『地獄』を、信じるか?」

 

 

 アンリエッタは、怒りと屈辱と……恐怖が綯交ぜになった表情で男を見る。

 

 

「修羅が蠢く、現世(今この瞬間)こそ―――」

 

 

 対する……包帯を体中で覆い、路傍で燃え盛る兵の死体を見据えるその男、志々雄真実は、悠然とした声で、更にこう告げた。

 

 

「『地獄』と呼ぶに、ふさわしいと思わねえか?」

 

 

 人の本性は、修羅。そしてこの現世こそ、地獄。

 

 それにまだ理解の及ばないこの少女……アンリエッタは、只何も言えず、身を震わせることしかできなかった。

 

 

るろうに使い魔

ハルケギニア剣客浪漫譚

 

アルビオン動乱編 第百十三幕

 

 

 サウスゴータ上空。

 ガリアの両用艦隊、旗艦『シャルル・オルレアン』号船上にて。

 三年前、狩猟の最中の『事故』で、亡くなった王弟の名がつけられたその巨艦の艦砲は今、火を噴いていた。

 

「……しかし、これでよろしいのでしょうか?」

 艦隊参謀のリュジニャン子爵は、線の細い顔を曇らせる。サウスゴータはトリステイン・ゲルマニア連合軍の占拠地になったコトは聞いている。同盟を結んでいないとはいえ、そこにこんな砲撃を加えては、両国の信用を著しく損ねるのは目に見えていた。

 

「さあな。まあ、国王陛下の命令だ。政治批判は我々のするところではない」

 そう言うのは子爵の前に立つクラヴィル卿。長年ガリアの艦隊を見てきた男でもあった。しかしその本質は愚直な軍人、その典型。上司の命に頷いて頷いて今の地位へと上り詰めた……言わば王の忠実なる『駒』であった。

 

 だからこそ、このどう見ても今後の政治交渉に支障をきたすような行為を、『王がそう命じたから』で忠実に実行するのである。

 まあ、肝心のその国王が…何を考えているのかすらさっぱり分からぬ『無能王』なのであるが…彼が上司である以上、いつも通り何も言わず考えなかった。

 

「何かお考えがあるのでしょうかな…これではガリアがトリステイン・ゲルマニア両国の背中を突き刺したようなもの…まさか、アルビオン側に寝返るおつもりなのか…」

「寝返るのではなく、寝返ったのだがな」

「まったくだ。子爵、貴様は心配性が過ぎる。これもまた、高度な政治判断なのだろう。それで納得しろ―――って」

 

 ここでクラヴィル卿は、一気に目を丸くして隣を見た。いつの間にか、ガリア国王ジョゼフが、そこに立っていた。

 

「国王陛下!!!?」

「い、一体いつからここに…っ!!?」

 同じくリュジニャン子爵も、唖然としていつの間にかいるこのガリア王の背を眺めた。

 しかしその問いにジョゼフは答えない。ただ、冷たい目を向けて一言。

 

「『いつから?』 余がこの船に乗るのに、いちいちお前に許可を取る必要があるのか? 偉くなったものだなあクラヴィル卿」

「も、っ…申し訳ございませぬ!!」「ご無礼をお許しください!!」

 

 二人はすぐに片膝をついてやり過ごした。こうやって阿って今の地位に、二人は上り詰めたのである。

 震えながら謝罪をする二人を優雅に通り過ぎながら、ジョゼフは言った。

 

「まあよい。今の余は機嫌が良い。些細な無礼など気にもならぬわ」

 そしてジョゼフは帆柱に背をやって腰掛けた。椅子も使わず座り込むその姿は、とても威厳ある王とは言い難い。だが周囲の兵や作業員は何も言わなかった。

 やがて懐から、王は何かを取り出す。それは古ぼけたオルゴールのようであった。

 それを地面に置き、そして目をつむり、耳を傾け始める。

 しかし周囲は首をかしげる。なにも、そのオルゴールは音楽を紡がないからだ。はたから見れば狂っているかのような行動だが、やはり諫言する者は誰一人とていなかった。

 

 やがて、王は目をつむりながら、近くで働いていた水兵に、静かに尋ねる。

「――――か」

「…え、何がですか?」

 聞き取れなかった。思わず、若い水兵は聞き返してしまった。

 しかし、そんな無礼を気にすることなく、今度ははっきりと、こう言った。

 

 

 

『「サウスゴータは燃えているか」』

 

 

―其の壱・『等活』―

 

 

 

 ここで時計の針を少しだけ、巻き戻す。

 

 降臨祭最終日、午後五時頃―――。

「失礼する!! 急報だ!!」

 

 アニエスはそう言いながら、サウスゴータの指令所まで訪ねてきた。マチルダより貰った敵編成の情報をその手に持って。

 そこには敵が、どの場所どのタイミングで狙ってくるかの詳細が事細かに書かれていた。まさに値千金の情報。

 これを早速アンリエッタに届けねばと、指令所の扉を開けようとした時だ。

 

「何の用だ。ド・ミラン殿」

 ドアノブに手をかけようとした時、先に出てきた人物がアニエスを睨み据える。

 参謀総長のウィンプフェンだった。元より深いしわをさらに深くしながら、尋ねた。『成りあがりが』、そんな侮蔑を含めた態度を隠そうともしない目だった。

 

「女王陛下に謁見願いたい。緊急の報だ」

 一方のアニエスも、毅然たる態度でそう返す。侮蔑の視線など、今更気にしては女王の近衛は務まらない。

 

「後にしろ」

「わたしは、いついかなる時でもご機嫌を窺える許可を、陛下より頂いております」

「その陛下は今仮眠を取っておられる。貴重な休息のお時間を踏み荒らすほど、貴様は偉いのか?」

 

 それを聞くと、アニエスもぐむっ……と口ごもってしまった。確かに、扉口の隙間からは椅子にもたれかかって寝入っているアンリエッタの姿が見える。

 アニエスはかなり逡巡した。ここは心を鬼にして彼女を起こすべきなのだろう。それぐらい重大な情報でもあるからだ。

 

 だが……同時に彼女がここに至るまで、寝ずにずっと地図や指令所と睨めっこしている姿も見ている。そして今夜はずっと、戦で神経をすり減らし続けるのだ。

 そのしばしの休憩を、邪魔する権利などあるのだろうか……とも思っていた。

 

「魔法も使えん貴様はこの指令所じゃ役立たずだ。要件ならわたしが聞いてやる」

 

 そう言って、ウィンプフェンはアニエスと共に廊下に出た後、後ろ手で指令所の扉を閉める。どうあっても彼女を部屋に入れないという、暗い意志を垣間見た。

 アニエスは再び考えた。この男に、話してもいいものかと。

 

(ただ、吸血鬼問題はもう解決したのだったな)

 

 間諜についての炙り出しは、昨日ルイズ達が解決してくれた。流石にもう、スパイなどいないだろう。

 こうやって疑ってばかりかかっては、身動きできないのも事実。仕方なしに、アニエスは紙を手渡した。

 

「これを…」

「何だこれは…?」

 

 ウィンプフェンは紙を見受け取りそれを広げる。読み進めていくうちに……みるみる参謀総長の顔が赤くなっていった。

「貴様、これをどこで…?」

 

 震え声で尋ねる。そこに乗っていたのは敵軍の襲撃日時、場所、編成が事細やかに書かれていた。

 

「女王陛下が秘密裏に侵入させた密使より、得た情報です。間違いはないかと」

 ちょっと考えながら、アニエスは言った。流石にマチルダの事を、ここで公にはまだ話せない。本当のことは後で、アンリエッタに直接伝えよう。

「陛下が、まさかそんなことを……」

 ぶつぶつそう言いながら、眉間に深いしわを作るウィンプフェン。

「これを女王陛下に伝え、反撃の糸口にと役立てていただきたい。わたしからは以上だ」

「わかった。陛下には確かに伝えておく」

 懐に紙をしまい込みながら、ウェインプフェンは言った。そして踵を返して部屋へと戻っていった。

 ご丁寧に『ロック』の呪文まで駆けている。余程わたしを入れたくないのか……と、アニエスは眉間にしわを寄せた。

(とりあえず、今はこうするほかないよな……)

 立ちすくんでも仕方がないので、アニエスは外を出た。

 

 

 

 降臨祭最終日、午後六時頃―――。

 

「ゲルマニア皇帝、アルブレヒト三世のおな~り~~ぃ!!」

 ゲルマニアの国旗を翻した荘厳な馬車が、サウスゴータの町中を進んでいく。 遂に、ゲルマニアの皇帝もサウスゴータへ来たようだった。

 馬車の行き先には、かつてトリステイン軍がアンリエッタを迎え入れた時のように、ゲルマニアの軍人たちが両脇に構え、皇帝の到着を歓待した。ただ、その数は決して多くはない。

 良くも悪くも野心と勢力争いが渦巻く国である。本気で忠誠を誓う者が、トリステインより多くはないのは致し方ないことなのだろう。

 それを横目で見ながら、アニエスは未だフーケを求めてあくせく走り回っていた生徒たちの回収にあたっていた。

 

「まったく、当てもなく走り回っていたのか。犬でももっと考えて動くぞ」

 と、ぜぇぜぇ息を零してへたり込むマリコルヌたちを見据えて言った。

「そ…そんなことを言ったってぇ…」

「ギーシュのへぼがちゃんと指示しないのがいけないのさ…」

 と、責任転嫁する学生も其処此処にいる始末。

 

「まあ実際、指示が拙劣なのは確かだが、諫言もせずに従ったお前らも大口叩く権利はないぞ。間違っていると思うならちゃんと進言できてこその軍隊だ」

 いつまでお遊び気分でいるつもりだ。と、更にアニエスは続けた。

「ってか、ギーシュはどこ行ったんだ? それにケンシンも…」

 今更気付いたかのように、レイナールはずり上げた眼鏡を持ち直して周囲を見た。

 アニエスはここで、フーケとは既に接触したこと、今はわけあってサウスゴータを離れている事を伝える。

 

「ええっ!? な、何かぼくたちの知らないところで事が進みまくってない?」

 当然、話を聞いた学生は握然とした。しかしアニエスは肩を竦めるだけ。

「要は、お前たちは彼女の思惑にまんまと嵌ってしまっただけだ。彼女は最初からケンシン殿だけを狙っていた。それだけのことだ」

「で、何でケンシン達はサウスゴータを出てったんだい?」

「さあな」

 アニエスはすまし顔をして、それ以上喋ろうとはしなかった。詳細を話すとエルフが絡んでくるからだ。まだ学生たちには刺激が強すぎる。

 しかし学生たちは「何だよう教えろよぅ」と、やいのやいの呼びかけてくる。いい加減業を煮やした彼女は、「整列!!」と怒声をかました。

「は、はいぃい!!」

 昼間の、鬼のような顔に戻っているのを見た学生たちは、慌てて横隊に並んだ。びしっっと気を付けして待つ学生たちを、アニエスは眺めながら続ける。

「まだまだお前たちは元気が有り余っているみたいだからな。ついでだ。行進や基本教練についても今からみっちり叩き込んでやる」

「ええっ!! もう夜だよ!! 今から―――」

 口答えしたマリコルヌの頬に、間髪入れず張り手が飛ぶ。ぶたれたマリコルヌはもう、何も言わなくなった。

 

(あれぜってぇわざとぶたれにいったよな)

(何か彼、だんだんおかしくなっていってるよね…)

 

 ひそひそ声で話すギムリとレイナールだったが、次の瞬間飛んできた視線の圧を感じ、すぐさま気を付けの姿勢に戻った。

「全く…そんなことではいざとなった時にすぐ死ぬぞ。人間の真価は上手くいっている時ではなく、困難の中にこそ輝くってことを、いい加減覚えることだ」

 そう言って彼女は、学生たちを『水精霊騎士隊』の陣へと連れていった。

 

 

「やれやれ、彼女も大変だねえ」

「元平民のくせに、良くやるよ……」

 呆れ半分、関心半分といった様子で、学生たちを鍛えるアニエスを見るのは、トリステイン最後の魔法衛士隊である。マンティコア隊の連中であった。

 

 グリフォン隊はワルドの裏切りとタルブの戦役、ヒポグリフ隊はウェールズ捜索の途中で全滅したため、彼らが最後の衛士隊を担っていた。

 そんな彼らは、今夜九時に行われる『和平会談』…アンリエッタの護衛役に抜擢された。その準備で大忙しである。

 

「気を抜くでないぞ。和平交渉がどう進むのかによって、我らの動きもガラリと変わるのだからな」

 

 隊長、ド・ゼッサールは口ひげをしごきながら油断なく隊を見つめる。彼らも軍人である故、政治考察はしないし、できない。ただ彼らは、女王陛下から課せられる命を忠実にこなすのみ。そのために日夜、訓練に明け暮れてもいるのだが…。

 

(とはいえ正直、この練度ではなぁ…)

 

 と、内心呻いてもいた。マンティコア隊は、他二隊の残った兵をかき集め一つ衛士隊としているのだが、そのせいで未だ指揮系統が今一つ決まらない。

 それぞれ、名前のある幻獣を駆る魔法衛士隊は、それゆえに「その幻獣に対する思い入れ、プライド」が強く、隊長である自分の命をしばしば聞かないことがある。

 おまけに戦に勝っているとはいえ、隊員はタルブ戦からこっち、確実に消耗している。激戦の中では隊員の安易な補充もままならない。『死人』が紛れ込むことがあるからだ。士気が今一つ上がらないのはそのせいだ。

 

 正直、新設された『銃士隊』の方が……悔しいが、行進や規律、士気が高いやもしれぬと、隊長は考えていた(その銃士隊も、学院襲撃事件で兵の数は大幅に減ってしまったが…)

 

 

「まったく、こんな有様、烈風様には見せられぬな……」

「そう思うのならもっと精進なさい。ド・ゼッサール」

 

 

 ゼッサール隊長は「はぃぃいいいいいい!!」と、これ以上ない情けない声で、気を付けの礼を取っていた。

 それを見た周囲の隊員が、不思議な面持ちで隊長の方を見る。

「あの、隊長、いかがされましたか?」

「へっ!? えっ、いや……あれ?」

慌てて隊長は後ろを振り返る。しかし、見れど振り向けど誰もいない。

「あ、いや何でもない。準備を進めたまえ?」

「はぁ? 了解しました……」

 隊長も隊員も、不思議な顔を浮かべながら再び作業に移る。

(幻聴か? いや、まさかな……?)

 

 

 

 降臨祭最終日、午後六時半頃―――。

 

「ぅん……うぅ」

 

 アンリエッタはゆっくりと瞼を開けた。

 まず真っ先に映ったのは、指令室の天井…灯りである。

 

「はぁ……っ」

 目をこすり、上半身を起き上がらせて背伸びする。イスに深く座り直し、時計を見る。

 

「―――えっ!? もうこんな時間!!?」

 アンリエッタは仰天した。和平会談までもう、三時間もない。一時間程度寝るつもりが、がっつりと寝てしまったようである。

「ごきげんよう。アンリエッタ『姫殿下』」

 それを聞いて、ハッとした表情で声の方を振り向く。

 彼女の真正面には、にまにまとした笑みを浮かべたゲルマニア皇帝、アルブレヒト三世の顔があった。

 

「随分可愛らしい寝顔でしたな。良い暇つぶしになりましたぞ」

 どうやらずっと自分の寝ている姿を見ていたらしい。アンリエッタは顔を真っ赤にして立ち上がった。

 

「恐れながら、今では『女王』でございますわ。閣下」

 壁際の鏡で化粧をしながら、冷たい声でそう呟く。

 かつてこの女王陛下の婿になる筈だった男は、ふんと鼻白んだ。

 

「聞けば、奴ら『和平交渉』だのと言ってきたようですな。あまりに面白そうなのでな、こうして見に来たわけですが…」

「そう言った認識では足元をすくわれますよ閣下。奴らは…ある意味吸血鬼以上に狡猾かもしれませぬから」

「ええ、理解しております。ハルベンブルグもやられたとか…」

 それを聞いて意外そうな顔をアンリエッタはした。てっきり物見遊山のような風体で来ると思っていたからだ。

 しかし、その顔は意外なほど『警戒』で引き締まっている。

「わたしとて馬鹿ではありませぬ。かつて奴らには、文字通り手を焼かされましてな…。優秀な手駒を幾度も葬られてしまった。おまけに吸血鬼の侵入…。わかりますかな陛下? 婚姻を撥ねつけられてもなおトリステインと組んだ理由が…。とにかく今のアルビオンは、別の意味で手強いのです。速めにその芽を潰さねば…いずれ近い将来、わたしの地位をも脅かすやもしれぬ」

 

 ちゃんと、アルビオンの脅威を理解しているかのような口調だった。アンリエッタは内心、小ばかにしていたこの皇帝の認識を改める。腐っても皇帝。成り上がりゆえの危機察知能力までは衰えてないようだった。

 

「侯爵の件は、お悔やみ申し上げますわ」

 ちゃんとした礼儀をもって、頭を下げるアンリエッタ。しかし、それだとふと疑問が過る。

「ではなぜ、わざわざ危険なこの『交渉』に参加表明したのです?」

 それに対し、皇帝は確固たる目でもって言った。

「他の王たちが参加する中、我が国だけが出ないという理由がない。臆病風に吹かれたか。所詮は成り上がりの国と、また舐められますからな。それに…」

 思うような顔で、さらに続ける。

「キチンと見極めねばなりませぬ。今、本当にアルビオンの音頭を取っているのは…果たして誰なのかを。わたしの見立てでは、オリヴァー・クロムウェルではない。その裏に本物の首謀者が潜んでいるようでならんのですよ…」

 それを聞いて、アンリエッタはぴくん、と跳ね上がった。それを見た皇帝も、内心当たりだろうと察した。

「まあ、時間になればわかることです。我々に出来ることは一つ。『舐められないこと』それが全てですよ。弱者と見られたら速攻で喰われるのが、ゲルマニアでありますからな」

 そう言って、皇帝は席を外し、指令室を去っていった。代わりにポワチエ元帥とウィンプフェン参謀総長が、書類をもって入れ替わりでやってくる。

 

「和平交渉のテーブルは、着々と準備できております。ただ、一つ気になることが…」

「何です?」

「ガリアです。奴ら、何故か軍船に乗って参加してきたのです」

 

 アンリエッタは一気に眉根を寄せた。軍船って…戦争しに来るつもりか? そう思われても仕方がなかった。

「『無能王』はきっと、まともな交渉もしたことすらないのでしょうね」

 そう言いつつも、アンリエッタはジョゼフ王を別にナメてはいなかった。素早く状況を確認する。

「船は?」

「確認したところ、『シャルル・オルレアン』一隻とのこと」

「では郊外の……近くの湖に停泊させるように。そこから馬車か何かで此方に来るよう、誘導してください」

 

 流石に船をそのまま街の上に浮かせるわけにはいかない。本来なら徹底した武装解除を求めたいけど、変にあちらの神経を逆なでしたくないのも事実。

 

「一応、サウスゴータへいつでも参戦できるよう、改めてロサイスに伝令を」

「了解しました」

 

 仮に仕掛けてきたら、此方も戦うまで。港に停泊している船は何時でも動かせるようにしておこう。アンリエッタは指示を出した。

「さて、ガリアは何を言い出してくるのやら」

 そんなことを考えているうち、そうだ……と、アンリエッタは指令室を出て隣室へと向かう。

(ケンシン殿、ルイズ……どうしているかしら?)

 そんなことを思って扉を開いたのだが……、

 

「やあ、これはこれは。やはりわたしが恋しくなったのですかな? アンリエ―――」

 

 そんなことを言ってくる皇帝の姿を見るなり、バタンと扉を閉じた。

 どうやら、かつて剣心と作戦会議をしたこの部屋は、勝手に皇帝の私室にされていたようだった。

(大丈夫よね……よね?)

 

 

 

 降臨祭最終日、午後八時半頃―――。

 アルビオン郊外、慰問隊、魅惑の妖精亭。

 

「おかわりぃいいいいいい!!」

「はいはーい! おかわりいただきましたぁ!」

 給仕の一人が、快活な声で空のワイングラスを片付ける。今夜もまた、『魅惑の妖精』亭内は大盛況であった。

 

「今日が最終日ですからね! 張り切って稼ぐわよぉ!!」

「はい! ミ・マドモワゼル!!」

 

 スカロンの元気な声に続く、給仕の子たち。事実、天幕内では最後の嵌め外しとばかりに兵たちがお忍びで酒盛りしていた。

 

「いやあ、今日も飲むわねえ。ルクシャナちゃん!」

「だって美味しいんだもの! うちの国も、こういったのはどんどん輸入すべきなのよ!」

 

 そんな中、ほろ酔い気分で酒瓶を受け取るのはルクシャナだった。どうやら彼女はこの妖精亭の酒が気に入ってしまったらしく、三本目の瓶の蓋を、今開けている所だった。

 まだ二日しかいないが、給仕の子に負けず劣らずの美人という事で印象も強く、スカロンたちも名前を覚えているようだった。

 なお、嫁が楽しそうに酒盛りしている裏側で、未来の旦那は今、担い手を巡って骨肉の争いを繰り広げているのだが…当然そのことを、彼女が知る由もない。

 

「ルクシャナさんって、どこから来たんですか? ガリアです? それともロマリア?」

 隣でそう尋ねるのはシエスタだった。今は仕事中らしく、給仕の子と同じ格好で、このルクシャナの酌をしていた。

 

「それは、ネフ……じゃなかった。うーん、ヒミツ!」

「ヒミツって……」

「いいじゃないの。細かいことはここのば…じゃなかった。人間たちは詮索しないんでしょー?」

 

 こうやって、ちょくちょくどもるルクシャナ。酒は入っているが、蛮人の国という認識までは、まだ忘れてなかった。

 シエスタも、事情があるのだろうと、それ以上の追及は止める。

 

「まあ、人にはいろいろ事情がありますものね。それを聞き出すのって、意外と勇気いりますものね……」

 思うような表情で、シエスタは呟く。巴と剣心の事を思い出したからであった。

 

「そう? わたしは聞きたいことあったら何が何でも聞き出すけどねー!」

 そう言ってグイッと、一気にシエスタに詰め寄るルクシャナ。

「あなた、あの…何だっけ…えぇと…あいつ!」

「? 誰ですか…?」

「それが分からないから聞いてるのよ! 誰だっけ? あの…」

 指をくるくるさせながら、必死の形相で名前をひたすらに尋ねる。シエスタの方もまた、一緒になって考えた。視線を空にあげう~んと唸る。

 やがて、これだといわんばかりにルクシャナが切り出す。

「有名な奴よ! ほら、あなたの中で有名な奴!」

 シエスタそれを聞いて、再びこの金髪の綺麗な美女に視線を戻した。自分の中で有名な人と言えばもう―――。

 

「ケンシン、さんですか?」

「そうそう!! その、ケンシンよ! そいつ、ば……じゃなかった、あなたたちの中で、すっごく強いのよね?」

「ええ。ケンシンさんはそれはもう、すっごく強いですよ!」

 

 剣心の事を聞きたいのかとなったらもう、シエスタは止まらなかった。

 学院での貴族騒動に始まりタルブでのこと、ヴァリエール家で起こったこと、そしてサウスゴータでの噂のこと、とにかく自分の視点で見てきた剣心の活躍を、どんどん聞かせていった。

 ルクシャナもまた、その話を興味深そうに聞き入る。いつしか瓶の蓋は、四本目を開けていた。

 

「何ていうか、あなた、すっごくそのば……じゃない。人間? に、お熱なのね」

「えっ!?」

「それでどうなの? わたし、『そういうこと』にも結構興味あるの。やっぱりこう…進んでいるの?」

 

 あくまでエルフたるルクシャナからすれば、研究者としての側面としての質問であった。結婚事情はそこまで蛮人と大差ないというのは、叔父たるビダーシャルの言葉であったが、如何に下らないことと言えど、ちゃんとこの耳で聞きたいからこそわざわざ蛮人の世界にやってきたのである。

 一方のシエスタは、そんなエルフの思考回路など分かるわけもなく…。『そういうこと』と返されてしまい、思わず顔を真っ赤にさせる。

 だが……、

 

「いやっ、だってその。ケンシンさんにはもう……いるんです。良い人が……」

 言いながら、シエスタは顔を俯かせた。どうしても巴の事が頭に過る。そして段々と、悲しくなってくる。

 しかしルクシャナは……、

 

「? いるからなに?」

「―――え?」

「だって、あなたたちの国って、一夫多妻万歳とか何とかって聞くわよ? わたしたちエ……じゃなかった。国でも、昔は後宮にたくさん妾を囲ってたって伝わってるし」

 一夫多妻云々は勝手な妄想であったが、自信満面の笑みでそう言うルクシャナ。

 

「あなたって随分謙虚なのね。一番が駄目なら二番目を狙う! っていうのがばん……じゃなかった、人間の共通認識だとばかり思ってたわ」

「にば……っ!」

 シエスタはどもった。急に自分の心の中を言い当てられ体が跳ねあがってしまう。

「やっぱり、こう……ありだと思いますか?」

 おずおずと、尋ねるシエスタ。その瞳はもう、怪しさで満ちている。

 

「止めた方が良いかしら?」「まあ面白そうだしもうちょっと」そんなスカロンとジェシカの会話すら、彼女には聞こえていない。

 

「まあよく分からないけど。わたしとしては是非行動を起こしてほしいのよねー。こう…色々なアングルで見てみたいていうか」

 研究者としての発言であったのだが、頭が徐々に桃色に染まり始めていたシエスタには、『アングル』という言葉すら別の意味に聞こえてしまう。

 

「こう、スカートをたくし上げて、胸を見せて……」

「うんうん」

「ちょっと屈んでみて、胸を寄せて」

「ふむふむ」

 

 立ち上がって、色々なポージングをし始めるシエスタ。それに頷くルクシャナ。周囲は彼女のそんな行動に、くぎ付けになっていく。

「止めた方が良いかしら?」「うーん…そろそろ…」そんなスカロンとジェシカの会話すら、彼女には聞こえていない。

 

「それでトモエさんやミス・ヴァリエールに勝てるでしょうか!?」

「知らん! でも頑張ってみる価値はあるんじゃないのかしら?」

 胸を張って、ルクシャナは自信満面の笑みで公言する。しかし、少なくともシエスタの中に『自信』という名の火が再び灯ったようだった。

「よおし! わたし、頑張ってみます!!」

「おお!! 頑張りなさい!! そしてわたしに色々見せて頂戴!!」

 

 両手を握り拳にして、再び野望の目を灯らせるシエスタ。

 やはり、どうしても『好き』という感情だけは消えないのである。二番目の席でもいい。でもそれに甘んじる程、今のシエスタは奥手でもなかった。

 可能性をどこまでも求める。女は度胸、男は愛嬌。

 打倒、巴。前哨戦、ルイズ。いざ往かん。

 

(よおし、今度会ったらちゃんと聞こう! トモエさんとのことを!)

 

「ありがとうございます! ルクシャナさん!! わたし――――」

 シエスタはお礼をルクシャナに言おうとして―――。

 

「お礼なんて良いのよ! ばんじ……じゃなかった。人間って本当に単純ね―――」

 ルクシャナは可笑しそうに笑っていたため、気付くのが少し遅れた。

「ん? どうしたのかしら?」

 周囲を見ると、誰もかれもが目を丸くしていた。スカロンも、ジェシカも、シエスタさえも。

 

「あ、あの……ルク、シャナさん……?」

 やがて、震える指でシエスタは尋ねる。

「何よ、どうしたの?」

「い、いえ…えっと…その…? 耳…え…?」

「耳? 耳がどうしたの―――」

 

 そこまで言いかけて、ようやくルクシャナも気づいた。酔いが一気にさめていく。

 自分の耳を触る。アリィーによって縮められていた筈の長さが、再び元に戻っていた。

 ちょうどこのころ、彼が抜刀斎人形によって血みどろの雑巾にされてしまった為、精霊の力が切れたのである。

 

「あ……」

 ルクシャナは思わず周囲を見た。奇妙な沈黙が、場を支配していた。

「あー……これが、もしかして…蛮人の言う…『ヤバい』ってやつ…?」

 再び、沈黙。やがて客の一人が、彼女を指さし、そして大声で叫んだ。

 

 

「エルフだああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 次の瞬間、混乱が……天幕の中を支配した。

 

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