るろうに使い魔‐ハルケギニア剣客浪漫譚‐   作:お団子

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第百十四幕『「サウスゴータは燃えているか」』-其の弐・『黒縄』-

 

「エルフだあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 一人の客が上げた絶叫と共に、天幕内は騒然となった。

 皆、悲鳴を上げながら我先にと出口に向かって行く。椅子が蹴倒され、酒瓶が割れ、机がひっくり返っていく。

「押すな!」「止めろ!」「来ないでぇ!」悲痛な言葉が天幕内に響き渡る。

 盛況していた妖精亭は、あっという間に、客が消えてしまった。

「………―――」

 残った給仕の子たちも、身体を寄せながらルクシャナを見つめている。スカロンやジェシカも、どうしたものか……と立ちすくんでいた。

「あ、あの。ルクシャナ、さん……」

 ゆっくりと後じさりながら、シエスタはおずおずと話しかける。エルフの恐怖は、平民である彼女たちも知っている。恐れの対象である貴族が、手も足も出ない種族だと。

 一方のルクシャナは、周囲を見渡しながら…ぼろぼろになった天幕内で一人、こうつぶやいた。

「……蛮人がエルフ(わたしたち)を恐れてるってのは聞いてたけどさ、別に何もしてないじゃん。何を怖がってるのかしらねぇ」

 

 

 

第百十四幕『「サウスゴータは燃えているか」』

 

-其の弐・『黒縄』-

 

 

 

 さて、この騒動が起こる前のこと。

 降臨祭最終日、午後八時十分頃―――。

 

「よし、今夜の訓練はここまでにしてやる」

 アニエスのこの声で、ようやく学生たちは心の底から安どのため息を漏らしていた。

結局、『水精霊騎士隊』はずっと行進や教練をこの銃士隊隊長に受けていたのであった。

 

「よ、ようやく終わった……」

 学生たちの何人かは、ぐったりしながら陣でしばしの休息を取る。

 そんな中、マリコルヌ、ギムリ、レイナールの三人組は、自然と集まっていた。

 

「はぁ、アニエスさん、厳しかったなぁ……」

「今日は散々だったな。せっかくの最終日だってぇのに」

「ってか、ギーシュどこ行ったんだろうな……」

 

 そんなことを言いあいながら、最終的には「飲みに行こう!」て話で決まっていった。彼らからすれば、疲れたからこそ最後の降臨祭は思い切り楽しみたい。そう言う思考になるのも不思議ではないだろう。

 しかしアニエスは「残念ながらそれはもう叶わんぞ」と、ばっさり切り捨てる。

 

「末端も末端のお前たちはまだ聞いていないだろうから教えてやる。今夜零時から朝六時にかけて、ここサウスゴータで緊急の防御陣を敷くことになった」

「えーっ!! 初耳なんだけど!!」

 

 何人の学生は、折角の楽しみを奪われたかのような悲痛の声を上げた。忘れられがちだが、『水精霊騎士隊』は寄せ集めのド・ヴィぬうぃーゆ連隊麾下であるため、連絡がどうしても後回しにされがちになっていたのである。

 

 それでもこの時間まで連絡がこないのは……報連相がきちんととれる基盤が、出来上がっていないことと、有能な軍人が消されたことによる影響もあった。

 なにせ、この防御布陣の発表自体が今日の朝なのであった。吸血鬼問題のせいで指令事態が遅れたことで、隊自体がおおわらわとなっていた。

 それでも、主力の隊は既に布陣準備が完了し、地下から襲ってくるだろう敵兵を今か今かと待ち構えていた。

 

「そろそろお前たちの連隊から正式に、配属の命令が来ることだろう。……まあ、最前線で送られることはないだろうが、いざっていう時のために体を休めておけ」

 剣を磨きながら、アニエスはそう言った。まあ、学生たちは最前線に送らないように、という約束を剣心と女王はかわしていたため、過酷な現場に送られることはまずない。後衛の補給部隊……の補佐役……の補佐ぐらいだろうと見ていた。

 そんなことを考えながら、今度は銃の点検をしようとしていた時だ。

 

「え? でも向こう…郊外はまだ明かりがついてるよ。あそこ、慰問隊のいる場所だよね?」

『遠見』の魔法で見ていたマリコルヌが、そんな声を上げる。アニエスは顔を上げた。

「―――は?」

 一瞬、疑問で頭を白くする。連絡網が混雑しているとはいえ、いくらなんでも退去命令の発布が遅くないか?

 いや、そもそも明かりがあるという事は、営業している店が大半という事なのだろう。もしかして…知らされてない可能性すらある。

 

(確か避難勧告の総責任はウィンプフェン参謀総長に一任すると、女王陛下は仰られていたが……)

 

 腐っても参謀総長。勇猛とは程遠いが事務能力は確かであるため、アニエスも任せて問題ないだろうと勝手に思っていた。

 だが…あの時の光景が一瞬過る。敵配置の情報が乗った手紙……彼はちゃんと、陛下に渡したのだろうか?

 アニエスの中で、不安の芽がこの時、出始めていた。

 

「……こうしてはいられん」

「え、何? どうしたんです?」

 レイナールが尋ねるが、アニエスはその問いには答えず、周囲を見渡して言った。

「マリコルヌ、ギムリ、レイナール。お前たちはまだ、余裕がありそうだな」

 以前から鍛えていたために、体力の回復も早いと見たアニエスはすぐに命ずる。

「慰問隊の営業地に行って確認を取ってくれ。ちゃんと退去の命が来ているのかをな」

「分かりました。アニエスさんは?」

「無論、ちゃんと退去命令が出ているかどうかをこれから確認しに行く」

 そう言ってアニエスは足早と去っていった。

 

「……どうする?」

「どうって…行かないと怖いぜぇ…あれは…」

 マリコルヌはニヤッとして答える。

「まあ、とりあえず行ってみるか」

 ギムリの言に、二人も黙ってうなずいた。

 

 

 

 さて、学生組のこの三人はそんなことで、この慰問隊の営業地にやってきたのである。

「なんか……どう見ても避難勧告出されている感じじゃないよね」

 外からでも見える天幕の光を眺めながら、思わずレイナールは頷いた。

「それよりよう、何か騒がしくねえか?」

 次いでギムリが周囲を見渡しそう言った。ある一つの天幕から…人が悲鳴を上げて出ていくのだ。

「酔っ払いか何かかな?」

 マリコルヌがちょっと怖がった表情で身を震わせる。

 やがて、天幕から出てきた客の一人が大きく叫んだ。

 

「エルフだ! エルフが出たぞおおおおおおおおおおおお!!」

 

 それを聞いた瞬間、三人は一気に顔を強張らせた。

「え、エルフ……えぇ!?」

「嘘だろ!?」

「ちょ、ここで!?」

 ハルケギニアでも屈指の仇敵。エルフ。

 それがよりにもよって、この営業地のど真ん中に現れたときたものだ。アニエスからの命も忘れて、学生たちはただ慌てふためいた。

 

「ど、どうしよう!!?」

「どうしようって……今、ケンシンいないし……」

「何で肝心な時にいつもいないんだ!! ギーシュもいないし!!」

 

 そんな風にめいめい喚いていた時だ。一人の客が、学生組の身なりからして貴族だと思ったのだろう。話しかけてきた。

「貴族の人ですか!!? お願いします! エルフを何とかしてください!!」

「ええっ!? いや、ぼく達じゃどうにも……」

 レイナールは断ろうとするも、周囲にどんどん人が集まってくる。

 

「たのみます! まだ天幕内に逃げ遅れた人がいるんです!」

「他のメイジは薄情なもので…皆逃げ出してしまったのです!」

「お願いします! もうあなた達しかいないんです!」

 

 そんな風に詰められ、気付けば退路を塞がれてしまった。

「ねえ、あそこって…」

 そんな中、マリコルヌはエルフがいるであろう天幕を指さす。

「ああ、魅惑の妖精亭!?」

「うそぉ! あそこにエルフが出たの!!?」

 学生たちは考えた。一度店で楽しく飲んでいたことを思い出し、勇気を振り絞った。

「うおおおおおお! エルフがなんぼのもんじゃい!」

「そうだ! ぼく達は吸血鬼とだって戦ったんだ!!」

「こうなりゃやってやるぜ!!」

 やけっぱちの覚悟であるが、足早になって三人は天幕に入っていく。

 

 

 降臨祭最終日、午後八時四十分頃―――。

 

「うーん、さてと、どうしようかねぇ」

 魅惑の妖精亭。天幕内にて。ルクシャナは一人呟いた。

 外はどんどん慌ただしくなっていくのを感じる。ここにいたって仕方がないのも事実。

 とにかく、ここは一度逃げてアリィーと合流するか。そこまで思案した。

 

(何で悪いことしてないわたしが逃げなきゃならないんだろ…?)

 

 そんな思いはどうしても巡るが、仕方ないものは仕方ない。

「じゃあまずは……と」

 そう言って、ルクシャナはまずスカロンに歩み寄った。

「あのお、何かしら……?」

 流石のスカロンも、ちょっとどもったように尋ねる。

 刃衛と比較しても、今の所そこまで彼女に恐怖感を感じてなかったため、未だ逃げ出さずに丁寧に対応しようと思っていた。

 一方のルクシャナは、

 

「はい、お勘定……で、いいのよね? 蛮人の言葉で合ってる?」

 

 そう言って、アリィーの時のように砂金の袋を手渡した。

「あ、ありがとう……って! またこんなに!!」

「いいの?」

 

 隣で見たジェシカも尋ねる。結構な量の砂金だ。アリィーの分と合わせればかなりのものとなるだろう。

「いいわよ。正直蛮人の金銭感覚ってよく分からないから、納得してくれるのならそれでいいわ」

 あっけらかんとした口調で、ルクシャナ。

 

「美味しかったワインを飲ませてくれたからね。ま、その礼も入ってるわ」

「え、ええ……」

 

 しどろもどろながらも、スカロンたちは受け取った。

 なんというか、呆気にとられたのである。巷ではエルフは最悪最凶の悪魔と聞いていたのに、目の前の美女はそんな風には感じられない。

 確かに、蛮人と侮る高圧さはあるものの、子供の死肉を漁るといわれているほどの凶悪生物までは、到底見えなかった。

「さて、じゃあ帰りますか」背伸びしながら、ルクシャナは剣呑に言った。

「あの……大丈夫ですか?」

 思わず、シエスタは尋ねる。エルフと聞いてびっくりしたが、言うほど悪人には見えないというのは、彼女も感じ始めていた。

「まあ大丈夫でしょ。それに―――」

 何か言いかけたところで、ルクシャナは言葉を切った。

「う、動くな!!」「お、大人しくしろ!」

 天幕の入り口から、マリコルヌたちが震える様子で杖を突きつけてきたからだ。

 

 

 

(((うわあ、本当にエルフがいるよぉぉぉ……)))

 勇んで杖を突きつけてみたものの、この時三人は同じ心境を無意識に抱いていた。

 細い肢体に流れるような金髪。そしてそこから垣間見える、尖った耳…。

 そして気付く。そう言えばこの人…昨日飲んでいた金髪の二人組の一人じゃなかったか?

 

「きみ……あの時の……え、エルフだったの?」

「誰? わたしはあなた達のこと知らないわよ?」

 

 ルクシャナは泰然と言い放った。事実、銘中するぐらい酔っぱらっていたので、周囲の客の顔などイチイチ覚えてなかったのである。

 

「ま、まあいい! とにかく、杖を捨てて大人しく……――」

「ギムリ、エルフは杖持たないよ」

「分かってるよ! とにかくこう、あれだ! 大人しく縄につけ!! …これでいいか?」

「多分…それいいと思う」

 

 今一つ恰好つかない言葉を並べる学生たちを見て、ルクシャナは腹を抱えて大笑いし始めた。

 

「なっ何がおかしいんだ!?」

「おかしいに決まってるもの! だってわたし、あなたたちにもここの蛮人たちにも一切危害を加えてないのに、そんなビクビクオドオドしちゃってさ!」

 

 そう言われて、レイナールは冷静になって周囲を見る。

 確かに……怯えてはいるものの傷いている人間はここにはいなかった。

 

「アリィーの言葉じゃないけど、あなたたちちょっと近視眼的すぎるわよ。それとも年頃の蛮人たちはそれが普通なのかしら?」

 小悪魔的な……魅力あるニヤッとした顔で煽られ、マリコルヌは怒りと興奮が入り混じった嬌声を上げる。

 

「う、うるさいうるさい! と、とにかく今捕まるのなら、風の妖精さんはお尻ぺんぺんで済ませてやってもいいぜぇぇぇ!!」

「お尻ぺんぺんはねぇよバカ」

「きみちょっと鏡で自分の顔見てきた方が良いよ」

 

 そんな三人の頓智黄なやり取りを、ルクシャナは心底面白そうに笑っていたが、やがて彼らの後ろから「動くな!!」と鋭い声が飛んだ。

 見れば、学生たちの後ろには貴族……大人のメイジが杖を突きつけ天幕内へと入っていった。

「…まさか本当にエルフがいるとは……!」

 メイジの一人が恐怖と怒りが入り混じった声をして叫ぶ。

「貴様!! 一体何の用でアルビオンに来たのだ!? 答えろ!!」

「言ったら、素直に帰してくれるのかしら?」

 殺意で向けられた杖に対しても、余裕ある表情でルクシャナは返す。

「貴様っ!!」怒りが頂点になったメイジは、周囲にスカロンたちがいるのにも構わず風の刃を放った。

「きゃああ!!」

 周囲がメイジの放つ魔法に御どき悲鳴を上げる中―――。

 

 足元に転がっている椅子が勝手に起き上がり、彼女の盾となって防いだ。

 

「なあっ!!」

「来るぞ!! 『先住魔法』だ!!」

 隣のメイジが上ずった声でそう叫んだ。

「止めときなさいよ蛮人。もうこの天幕内の精霊との『契約』は既にしてあるわ」

「なにおう!!」

 苛立ったメイジたちは魔法を放つも、転がっている家具……椅子やテーブルなどが順々に彼女の前に飛んでいき防いでいく。

 未だにルクシャナは両腕を胸の前で組んだまま、一歩も動かずメイジの魔法を対処しているのだった。

 やがて大きなテーブルが一つ、今度はルクシャナの目の前に止まると、魔法を放って来るメイジ達に向かって殺到。

 

「ぐわぁあ!!」

 ドズゥン!! と大きな音を立て、哀れ軍人たちは天幕の外に吹っ飛んでいった。

 危うく巻き込まれかけたギムリたちは、思わず呻いた。

 

「あっあぶねぇぇ……」

「また『先住魔法』……間近で見るのはこれで二度目だな……」

「けど、あの吸血鬼の子の方がよっぽどおっかなかったよ……」

 

 エルザの顔を思い浮かべて、思わず身震いして頷く三人。

 

「へえ、吸血鬼がエルフ(わたし)よりも強力な『行使手』に? 珍しいこともあるものねえ」

 一方のルクシャナは、学生たちの話を興味深げに聞く余裕すらあった。種族単位で見るのなら、精霊の行使としての実力は、吸血鬼よりエルフの方が高いのである。

 エルザの実力を間近で見てないからこそ、疑問符をこのエルフは浮かべていた。

 しかし、そんな会話を続けるうち、どんどん天幕の入り口側が騒がしくなっていく。

 

「エルフよ! 貴様は既に包囲されている! 魔法で串刺しにされたくなくば大人しく出てこい!!」

 

 次いで、魔法。

魔法の矢(マジックアロー)』が入り口から飛んできた。

 

「ったく、懲りないわね―――」

 そう言って再び精霊を行使する。

 しかし―――、

「―――?」

 足元に転がっていた机が盾となり、魔法と相殺する。机は粉々に弾け飛んだ。

「ひぃっ!!」「きゃあああ!!」

 どんどん激しくなる魔法の応酬に、妖精亭の子たちは悲鳴を上げ蹲った。

 一方のルクシャナは依然無傷。悠然と立っているが…その顔には先ほどの余裕ある笑みが消えている。

「……空気は蠢きて魔法の矢をずらすなり」

 次いで風に干渉する精霊の力を使い、遅れて飛ぶ魔法の矢に対処する。もう弾や盾になる家具がないため、このような格好となった。

 別にそれに関しては構わないと思っていた。疑問に思っていたのは……。

 

(やっぱり、精霊が怯えている……?)

 

 昼からずっと感じた違和感。この街に住む精霊たちが、『何か』を、恐れている。

 夜になり月が高く上がっていくたび、それがどんどん大きくなっているような気がしていた。

 いったい何に怯えているのかしら? 最初はそんな風に気に掛ける程度だったのだが、こうして精霊の力を行使するたび、徐々にぎこちなっていくのを、ルクシャナは感じ始めていた。

 得体のしれない恐怖が、精霊たちの動きに支障をきたしているようだった。

 

(このままだと、ちょっと危ないかも……)

 

 ずっと籠城するつもりは別になかったが、早く逃げた方が良さそうだ。一応、とっておきの策はある。ルクシャナは手首に嵌めてある『風石』が込められたブレスレットを視線を落とす。

 しかし、タイミングというのもある。ただこれで飛んでいくだけでは、撃ち落とされてしまう可能性は低くない。

 

(どうしたものかしら……)

 そんな風に考えた時だ。ルクシャナの視線は、丁度真横で蹲っているシエスタへと移った。

 そして、ちょっとニンマリ笑う。

 

「おい聞いているのかエルフよ! 貴様は既に包囲―――」

 先ほどとは別の軍人が、杖を突きつけ天幕に入ってくる。その瞬間、ルクシャナは動いた。

「動くな蛮人! この子がどうなってもいいのかぁー!」

「えっ!? きゃあああああ!!」

 なんとルクシャナは、シエスタの腕をつかみ自分へ抱き寄せたのだった。首筋にびっと、二本指を突き立てる。

「ちょ! シエスタ!?」

 これには妖精亭の面々も騒然となった。まさかこのエルフが、シエスタを人質にするなど思ってなかった。

 シエスタ本人に至っては、未だ自分が何をされているのかわからず目をぱちくりさせている。

 

「あの、ルクシャナさん……?」

「……合わせてよ蛮人。後で解放してあげるからさ」

 

 シエスタの耳に、エルフの小声が届く。

 どうしようか考えていたが、やむなくシエスタは成り行きに従うことにした。

 

「きゃあああああああああああ!! 誰かあああああああああああ!! お助けえええええええええええええ!!」

 

 とにかくあらん限りの声で、助けを叫び続けた。

 この状況にこの叫び声。さしもの軍人たちも一瞬怯む。

 

(今だ!!)

 ルクシャナはブレスレットの『風石』の力を開放する。刹那、足元より竜巻が立ち上り始める。

 それにうまく乗り、天幕の天井を破ってルクシャナは脱出した。…シエスタと一緒に。

 

「じゃあねえぇ! あ、この子はちょっと借りてくわねー!」

「えっ! ええええええええええええ!?」

 

 シエスタはルクシャナに抱えられた格好で、夜空の向こうへと徐々に消えていく。

「シエスタ!? シエスタああああああああああ!!」

 ジェシカの叫びだけが虚しく響き渡る。

 メイジの何人かは『フライ』で追いかけようとしたが……ルクシャナたちはサウスゴータの路地に入るとそのまま颯爽と姿をくらました。

 

 

 

 降臨祭最終日、午後八時四十分頃――。

 

「何? 聞いてないだと?」

「ええ、少なくとも我々は何も聞いておりません」

 

 慰問隊の地区を管轄をしている衛士の話を聞いて、アニエスは愕然とした。

 彼らの様子からして、そもそも……避難勧告の連絡すら受けていないようだった。

 

(くそっ、何か嫌な予感がしてきたぞ……!!)

 アニエスは走った。指令所へ向かうのだ。ウィンプフェンに事情を聞くために。

 これだとサウスゴータの住民へ退去命令も出していないだろう。郊外にある、既に占拠した砦へ住民たちを移動する予定だったと聞いていたが…慰問隊への対応を見るに、それがなされているとは思えない。

 

(やはりあの時……強行してでも陛下を起こすべきだった…!)

 アニエスは今、激しく後悔していた。もう、考えたくなかったからだ。

 屍人鬼にされた侯爵以外に、間諜などと……。

 とにかく今からでも遅くはない。今夜九時から、各国の王を招いた、上辺の『和平交渉』が始まる。

 もう、指令所は目と鼻の先、今ならまだ、アンリエッタはいる筈…。

 そんな時だった。

 

「――――っ!!?」

 アニエスは死角へと一旦身を隠した。彼女の視線の先には―――。

 

(ウィンプフェン!! あいつ……これからどこへ行くつもりだ……?)

 

 かの参謀総長が、いきなり裏口から顔を出したのだ。しかもあからさまに誰かに見られていないか、伺うような様子で……。

 逡巡する。放っておいてアンリエッタの所へ行くのか、このまま追いかけるか…。

(いや、流石にこれは見過ごせないぞ! いくらなんでも……!!)

 抱えていた予感は今や、爆弾の如く炸裂寸前にまで膨れ上がっていた。もし奴の背景にレコン・キスタの影がいるのであれば…今見逃す方が問題になる。

 アニエスは気取られないように、人気のいない路地へ進んでいくウィンプフェンの後を、尾行した。

 

 

(奴め、どこまで行くつもりだ……?)

 額から流れる汗をぬぐいながら、アニエスは尾行を続ける。

 五芒星の大通りから遠く、迷路のような路地を、ウィンプフェンは進んでいく。

 たまに立ち止まりながら周囲を窺うので、アニエスはそのたび、死角に隠れてやり過ごす。

 ウィンプフェンは『風系統』のメイジだ。こと気配を探る能力には長けている。なので神経をすり減らしながら今、必死になって尾行をしていた。

 幸い、隣に流れる大きな水路の音が、良い感じに足音をかき消してくれている。

 影は再び動き出す。少なくともバレたような感じはない。アニエスも再び歩き始めた。

 

(今頃、和平交渉はとっくに始まっているのであろうな)

 正確な時間は分からないが、おそらく会議は始まっているのだろう。

 懐中時計の蓋を開ける間も惜しんでいたからだ。それが音源になって嗅ぎつけられるのを嫌がったからである。

 アンリエッタの護衛にはついてきたマンティコア隊がすると決まっていたので、そこに関しては特段、問題はなかった。彼女自身はアニエスも是非……と言っていたのだが、ポワチエ元帥以下が自分を締め出したのである。

 ことここに至ってまだ貴族だの平民だのにとらわれる軍上層部の差別主義っぷりには閉口するが、そのおかげでこうやって尾行できるのだから、世の中よく分からないものである。

 そんな風に独り言ちた時だった。

 

 

(―――止まった)

 アニエスの視線の先にいる小男は、一つの家の前に立ち止まり、入っていった。

 明らかに誰も住んでなさそうなぼろ家。少なくとも、隠れて何事かやっていることだけは確かだろう。

(一体何をしているのか、それを確かめねば―――)

 水路のせせらぎの音を背景に、アニエスは穴が開いた壁から、様子を覗き見る。

 

 部屋の中は完全な暗がりで、何が行われているかがさっぱり分からない。

 カンテラの一つでも灯したいが、そんなことすれば当然バレるので、アニエスは目が慣れるのを待った。

 やがて、室内から声が聞こえてくる。

 

 

「そう、では我々は手筈通りに動きましょうか。シシオ様なら何の問題もないでしょうけど……」

 

 

 志々雄真実。

 その名を聞いた瞬間、アニエスは心臓をわしづかみにされる感覚を覚えた。

 どろり……と、嫌な、粘っこい汗が額から流れていく。しかし今の彼女には、汗を拭くことすら忘れていた。

 

「問題ないのか? エルザ(吸血鬼)はやられたのだろう?」

「まあ、そのためにわたしがこの国(アルビオン)に来ましたので。後で彼女には、シシオ様よりきつく灸をすえてもらいましょう。……生きていれば、ですが」

 

 部屋から聞こえる声は今の所、男が一人。女が一人。どちらもウィンプフェンではない。

 

「ダミアンさんからの報告は先ほど受けました。『全ての準備完了』と、いつでも『燃やせる』ようです」

「しかしすごい性能だな。これが噂に聞く『制約(ギアス)』か? まるでこやつの生気を感じぬぞ」

「屍人鬼ほど、高性能ではありません。色々条件もありますし……、複雑な命令をさせようとすると、時間もかかります。まあ今回は、ダミアンさんのフォローもあって助かりました」

「誰にも気付かせずこ奴を攫って再び帰す(ダミアン)の腕も大したものだが、拷問のように洗脳させるときの、お前の目も相当イッてたぞ。笑いが止まらなかったわ」

 

 部屋から聞こえる会話を聞いて、アニエスはぞわぞわとした恐怖を感じていた。

 状況を整理するに……、どうやらこの二人と『ダミアン』なる人物が、参謀総長を攫って『制約』なる洗脳術を施したようだった。

 恐らく、本来の間諜役だったエルザがいなくなったからその後詰めとして。ウィンプフェンは今、レコン・キスタによって哀れな操り人形に変えられてしまったようであった。

 アニエスは思わず口を手で抑えるが……、その手すら震えている。もし自分がここにいるとバレてしまったら、どんな目に遭わされるのか……。

 そんな彼女の思いとは裏腹に、会話は続いていく。

 

「……見えてない人に目がどうのとか、良くそんなこと言えますね」

「分かるさ。オレにはな」

 

 そこでいったん会話は途切れる。やがて「あともう一つ」と、今度はウィンプフェンの声が聞こえてきた。

 

「これを」

「? 何です、その紙は」

 

 ここで部屋が少し明るくなった。どうやら紙を見るために蝋燭を付けたようだ。

 顔が見えるかも……と思ったが、まだアニエスは立たなかった。とにかく今は、感づかれることだけを避けなくては。

 しかし、次の女性の声でまた、アニエスは身体を震わせた。

 

「これはまた……事細やかに書かれてますね」

「何だ? 何を読んでいる?」

「我が軍隊の配置図です。ここまで書ける人は、彼女しかないでしょうね」

「フン、遂に尻尾を見せたかあの女狐が」

 

 やはり、マチルダ……フーケが書いてくれた配置図の紙を見ているようだった。ということは当然、アンリエッタやポワチエはこのことを全く知らないことだろう。

 やってしまった……! アニエスは内心呻いた。そして頭を抱えてしまう。

 

「どうする? 奴はもう燃やしても良いのか?」

「全てをお決めになるのはシシオ様です。わたしはこの紙を、後でシシオ様にお届けするまでのこと」

「従順だな。燃やせばすべて片が付くというのに」

「軽挙妄動を慎め、と言っているのです。エルザさんはそれでやられたのですよ」

「フン、まあいい」

 

 アニエスはゆっくりと起き上がった。こうしてはいられない。速く脱してアンリエッタにこのことを伝えねば―――。

 

 

 

「だが、あれ(・・)は燃やして良いのだろう?」

 

 

 

「――――っ!?」

 刹那、殺気と熱気が、アニエスに襲い掛かった。

 

「――ぐわっ!?」

 壁から発された『炎球』を、アニエスは吹っ飛びながらも何とかやり過ごす。

 素早く起き上がり、ぼろ家から出てくる人を見る。周囲に燃えた木切れがあるため、その人物の顔を見ることができた。

 

 彼女の前に現れたのは……顔面に大きな火傷痕を覗かせる男だった。

 

 手には杖を持っていることから、メイジではあるようだが……雰囲気で察する。こいつは戦場の土を踏み慣れている者だと。

 そして相当数の人を燃やしてきたのだろう。奴の着けている外套から、焼けたような嫌な匂いが漂ってくる。

 一瞬、コルベールの事を思い出した。だが……奴の顔つきはどちらかというと刃衛の方を彷彿とさせる。

 人を焼くことに快楽を見出している表情。一目で危険だと判断できるほどの……。

 

「隠れられていると思っていたみたいだが、オレは最初から気付いていたぞ」

 

 にやけた表情を浮かべる男の背後から、ウィンプフェンと女性らしき人影が現れる。

『らしき』と書いたのは、フードで顔を覆っているせいで分からないのである。

 

「気付いていたのなら、なぜ早く殺らなかったのです?」

 ため息混じれの呆れ声で、フードの女性はこの火傷の男に話しかける。

 

「なあに、あまりに面白かったからさ。オレたちの会話を聞いて段々と『体温』を上げていくこ奴がな」

「あなたには何を言っても無駄なのでしょうね。メンヌヴィル」

 

 メンヌヴィル、それを聞いてアニエスは一気に顔を強張らせた。

 それはかつて、『魔法研究所(アカデミー)実験小隊』の本で見た名前。『白炎』の二つ名を持つ、伝説のメイジの傭兵。

 卑怯な決闘で名を取り上げられた。家族諸共家を焼いてきた。食べた鳥の数より焼いた人間の方が多い。とにかく、悪行に関しては枚挙にいとまがない。

 

 そんな噂の中で、確かなことが一つだけある。

 戦場では、とことん冷酷に炎を操るということ。その炎は相手を選ばない。老若男女を問わず、平等に燃やし尽くせる男なのであった。

 放つ炎に人としての温かみを奪われた男、それがこの、『白炎』メンヌヴィルなのであった。

 

「貴っ、様ぁ……!!」

 一瞬、また二十年前の情景を思い出すアニエスだが……一応復讐に対して決着をつけたため、まだ冷静さを残していた。

(ええい!! こんなところで戦うなど愚の骨頂!!)

 ここにきてまた失態を重ねたくない。今はとにかく逃げなければ――。

 アニエスはそのまま、脇目も振らず駆けだした。

 

「フン、逃げられると思うのか―――」

 メンヌヴィルはそう言って杖を振り上げるが、別の杖がそれを制する。フードを被った女性だった。

 

「……なんだ、今更、奴を逃すのか」

 明らかに不機嫌そうな声で、メンヌヴィルは問う。しかし女性も譲らない。

 

「野放図に火を放って他の家が燃えたらどうするのですか? 騒ぎになりますよ。降臨祭終了まで身を隠せと、シシオ様が仰られてたでしょう」

 

 女性の背後では、ウィンプフェンが水魔法を唱えて火を消化していた。相変わらずその顔は虚ろ。だが同時に怪しい紋様と光が、その目に宿していた。

 

「フン、シシオサマには敵わぬな、……で? どうするのだ?」

「ここは『彼ら』に任せましょう」

 

 パチン、と指を鳴らす。すると颯爽とした影が、メンヌヴィルたちの上空を音もなく過った。

 

「よりにもよって『アレ』をぶつけるか。お前も相当えげつないな」

「もう少しちゃんとしてくれるのであれば、あなたに任せましたよ。全く、二言目には『燃やして良いのか?』なんですから……」

 

 女性はそう言って、懐中時計を見る。作戦実行までの時間を計っているようだった。時計の針は十時を指していた。

 

「作戦実行まで、あと二時間……ですか」

「それを過ぎたら、オレも暴れて良いのだろう?」

「……好きにしてください。何も言いませんよわたしは」

 

 そして、最後にこの『偏在』のウィンプフェンに、女性はこう言い放った。

「ではあなたも、しかるべき時刻になったら所定の位置に。『祭り』開催の狼煙はあなたに一任します」

「ハッ!!」

 それを最後に、操られた哀れな参謀総長の『偏在』は、風のように消えた。

 

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