「今度こそ、今度こそ貴様を倒して見せる。ジョゼフさまのためにも……!」
暗い覚悟を瞳に宿しながら、シェフィールドは叫んだ。
次いで『シャルル・オルレアン』号からありったけ持ってきた人形を、一斉解放する。
「さあっ、殺せ! 『ガンダールヴ』を! この場にいる奴を殺すのだ!!」
額のルーンを光らせ、『ミョズニルニトン』の力を発揮させた。
すると握り拳ほどだった人形は二メイルもあるガーゴイルへと変貌した。
翼を生やし上空から攻撃を仕掛けるように配置する。
これで数と配置は整えた。
止めとばかりに、このヨルムンガンドの右腕に主砲を取り付けた。こちらからはあえて攻めず、援護射撃で攻撃する腹だった。
何せ迂闊に攻めたせいで一体、騎士人形を葬られているのだ。当然ながら、二の轍は絶対踏まない。
「今度こそ! ッ今度こそ今度こそ今度こそ……っ!」
歯をぎりと食いしばりながら、うわ言のようにシェフィールドは呻き続けていた。
「もう二度と、あんな……ッ! 無様を晒してなるものか……ッ!」
剣心を、志々雄を、そして宗次郎を見てきたからこそ、彼らの域にたどり着かんと、この時の彼女はひたすらあがいていたのだった。
「みんな、走れるでござるか?」
ヨルムンガンドを見据えながら、剣心は後ろにいる学生組やシエスタたちに呼びかける。
「え、ええ……!」
「では速く! 奴らはもしや――!!」
剣心がそこまで行った時だ。
ズドン!! と砲撃音が周囲を満たす。
ここから先百メイル程離れた建物の上に立ったヨルムンガンドが、真上に向けて砲弾を発射したのである。
「ああっ!?」
真っ黒な砲丸が、此方に迫ってくる。学生組は悲鳴を上げた。
しかしその砲弾は、着弾する前に爆発を起こした。
見れば、逆刃刀を納めた剣心が優雅に着地している。あの一瞬で、跳躍し砲弾を一閃に切り裂いたのである。
「きゃあきゃあ! ケンシンさんすごい! すごぉぉぉい!!」
シエスタはもう、狂喜乱舞して叫ぶ。エレオノールもちょっと唖然としていた。
どうやらまだ、自分は剣心の実力を過小評価していたらしい。剣で砲弾を斬る人間なんて、当然ながら見たことなかったからだ。
しかし、剣心の表情に油断はない。
「みんな、早く逃げるでござるよ!」
敵の真意をこの時、剣心は理解していた。
シェフィールドはどうやら、切り札の『ヨルムンガンド』で遠隔射撃を繰り返し、雑魚のガーゴイル人形を上空から襲わせている。
完全な一対一だった、闘技場の時とは違う。今回は周囲に敵軍もいるし、何より背には無防備のルイズ、周囲には戦えなくなったシエスタら学生組たちもいる。
彼が無双をするには……、あまりにも守らねばならない者が多すぎる状況なのであった。
だから、まずは向かってくるガーゴイル人形を撃ち落とし、飛んでくる砲撃をやり過ごす。その上でシエスタたちを完全に街から逃がすことに全力を出していた。
「飛天御剣流 -龍翔閃-!」
跳躍しながら、ガーゴイルを真っ二つにする剣心。遅れて砲弾が此方に飛んでくる。
「あ、危ない!!」
マリコルヌが叫ぶも、当然気付いていた剣心は片割れとなったガーゴイルを蹴り真横に跳躍。
蹴られた片割れは砲弾に着弾し、そこで爆発。
さらに跳躍した剣心の方は、今まさに爪を翻してエレオノールを切り刻まんとする別の人形を一閃に切り捨てた。
「大丈夫でござるか、エレオノール殿」
「―――ぇふぇ? え、ええ…」
助けられたどころか、襲われていたというという自覚すらなかったエレオノールは、一瞬素になってしどろもどろに返してしまう。
「どんどん借りが増えちゃうネ、お姉さま――ふげっ!」
とりあえずニタリ顔でそんなことを囁く豚は蹴飛ばすエレオノール。
アニエスは相変わらず、無駄が一切ない剣心の闘い方に内心舌を巻いていた。
(砲弾をああやって防ぐか、参考になるようで全くならんな……)
そうやって必死になって走っていく(馬にはエレオノールが乗っていた)が、そんな彼らの前に、今度はオーク鬼やトロル鬼たちが迫っていく。
剣心には勝てないが、彼らなら叩き潰せる。疲労困憊な学生組に向かって、容赦なくこん棒を振り下ろしてくる―――。
「-龍巻閃・凩-!」
そんな彼らの前に、剣心が、
「-龍巻閃・旋-!!」
左手の『ガンダールヴ』の光を輝かせて、放つ、
「-龍巻閃・嵐-!!」
竜巻のような三連撃が、容赦なく襲い掛かった。
「ぶひぃぃいいいいいい!!」
それに怪物たちは容赦なく吹き飛ばされていく。
この光景に。他の怪物たちはたたらを踏む。悟ったからだ。
こいつは志々雄と同じく、喧嘩を売ってはいけない『人間』だと…。
余りの恐怖に、たまらず逃げ出す怪物たち。それを遠巻きで見ていたシェフィールドは「使えないねえぇっ!」と苛立ちを露わに叫んだ。
(まあいい、まだ手札はたくさんある)
シェフィールドは再び懐から多くの手乗り人形を取り出し周囲にばら撒く。追加の援軍だ。
出し惜しみなんてしない。全力でつぶさねばならない。
まだあと二体、『ヨルムンガンド』を控えてはいるが、まだどちらも動力たる『風石』の完全積載が完了していない。
もう少し時間がかかるという連絡を受けたのは先ほどだ。
なので時間稼ぎは望むところ。いずれ時がたてば完全体のヨルムンガンド三体が仕上がる。
いかな奴でも、鉄人形三体も操れる自分が負ける筈がない。
「最強はそう、このわたし『ミョズニルニトン』なのさ!! 飛天御剣流だか何だか知らないが、先住魔法と始祖の力、その合わせ技に敵うわけがないだろう!?」
闘技場で無様を晒したことはとにかく頭の隅に追いやって、高らかにシェフィールドは叫んだ。
と、いうよりそう思わねばやっていけなかった。ちょっとでも後ろ暗い考えをしてしまう時点でもう『勝てない』。それを先の闘いで嫌というほど思い知らされたから。
再び頭のルーンを光らせる。人形で再び砲撃を放つためだ。
ガコン……、と、重々しい音を響かせながら、ヨルムンガンドは右腕に取り付けられた主砲を向ける。
今度は上空に撃たず、そのままシエスタたちを狙い撃つつもりだった。
「喰らえぇ!!」
ドズン!! 衝撃音と共に砲弾が飛んでいく。
この大砲は、『東方』とエルフより学んだ技術で設計されている。ガリア中の錬金魔術師を集めて鋳造させた長砲身の大砲だ。
更に、今度は同時に、上空からガーゴイルも襲わせる。盾にされないように、直上を狙った。
これで、全滅まではいかずとも手傷くらいは……と、そんなことを考える。
実際剣心も、一瞬どうするか思案するかのような表情を浮かべていた刹那―――。
「――――『爆発』」
直後、ヨルムンガンドの放った砲弾は、着弾すらせず爆発した。
「なっ…!?」
これにはシェフィールドも、予想外とばかりに呻いた。遅れて剣心は、素早く跳躍。
「飛天御剣流 -龍巻閃-!!」
そして自身をくるくる回転させながら、強烈な回転斬りを直上の人形たちに見舞った。
ガーゴイルたちは一瞬で四方八方へと散らばっていく。真上を狙うために集中配備したことがここで仇となってしまった。
(くそっ、そういえばいたのか……!)
完全に失念していた。正直剣心のことで頭が一杯になっていたからだった。
彼の背中では、桃色の髪を湛えた少女が、此方に杖を向けている。
あの男……緋村剣心を召喚した少女。そして、ジョゼフと同じ『虚無の担い手』。
(ルイズ・フランソワーズ……!)
「……ルイズ殿?」
剣心もまた、背中に背負っていたルイズに顔を向ける。
砲弾とガーゴイル、今度はどうやってやり過ごそうかと考えていた刹那、ルイズはいきなり起き上がって杖を振り、砲弾を破壊してくれた。
だから自分はガーゴイルの掃討に、思考を裂くことができたのである。
「起きたのでござるか?」
「……うん」
ルイズは目をこすって、そう呟く。
……泣いているのか?
「大丈夫なのでござるか?」
「…ん」
「?」
どうしたのだろう? と聞きたかったが、その前にルイズが起きたことに気付いたエレオノールが叫んだ。
「ルイズ、あなた大丈夫なの!! 一体どこへ行っていたのよ!」
エレオノールのこの問いに、ルイズは一瞬其方に目をやって、簡潔に答える。
「申し訳ありません、姉さま。……だけどもう、大丈夫です」
「……ルイズ?」
エレオノールもまた、彼女に違和感を覚えたようだった。
やがてルイズは、剣心に言った。
「……おろして、もう…わたしは平気だから」
「えっ……あ、おろろ……」
剣心は若干どもりながらも、自分とルイズを結んでいる紐を解いた。
ルイズはそのまま、数十メイル先にいるヨルムンガンドの方を見上げて立った。
「……ルイズ殿?」
なんか、違う。剣心はすぐさま察した。
ルイズの身に纏う雰囲気が、何か冷めている。
ただ、心が冷たくなったというより、何か悲壮な決意しているかのような、そんな様相だった。
それは長年暮らしてきたエレオノールも察したのだろう。いつものような語気強めの口調で、彼女に叫ぶ。
「……何やってるのよルイズ!! さっさとここから避難――」
その時だ。エレオノールの背後を一体のガーゴイルが襲った。
「きゃっ―――!!」
当然怯えるエレオノールだが…刹那、ガーゴイルは爆発した。
ルイズがエレオノールの方を見もせず、杖を向けて『爆発』を放っていたからだった。
「……えっ?」
「る、ルイズ…?」
今度はギムリやレイナールも、恐る恐る声をかける。学院で見ていた時とは、まるで違う雰囲気。
「み、ミス・ヴァリエール?」
シエスタも、勿論アニエスも、異様なオーラを立ち上らせる彼女を見て、少し震えた。
「ルイズ殿、一体何が―――「ケンシン」」
剣心が今度は話しかけようとした時、先んじてルイズが口を開く。
「今のうちに皆を逃がしてあげて。まだ上空にガーゴイルが沢山いるから。今の皆じゃ、あれに歯が立たない。護衛は必要よ」
「……ルイズ殿、さっきから何を言って―――「わたしは……っ!」」
剣心の言葉を遮るように、ルイズは先ほどより語気を強めて言った。
「あいつを、倒すから」
そう言って、杖を、屋上に佇むヨルムンガンドへと向けた。
勿論、これには剣心もエレオノールも止めた。
「いや無茶でござるよ! いかなルイズ殿とてあの人形は! だから拙者があっちを……」
「そうよ!! 何訳のわからないことを言ってるのよ!! あなたは―――」
しかし、ルイズは二人の反対を手で遮り、再び杖を…ヨルムンガンドに向かって振った。
「何を言いあっているのか知らないけど、今のうちに―――」
丁度その頃、シェフィールドは再び大砲に弾丸を装填し、その口径を再びルイズ達に向ける。
「今度こそ―――」
刹那、ヨルムンガンドの右腕が爆発した。
「はっ―――!?」
驚く間もなく、巨人は大きくよろけて膝をつく。
発射しようとした弾丸に『爆発』を打ち込まれたのだった。誘爆した右腕から先は完全に焼失し、大砲も黒焦げになって零れ落ちてしまう。
遠距離攻撃手段を失った。
いや、それより―――。
(何だ!? この、怖気は………?)
絶対『勝てない』と教え込む剣心や志々雄、宗次郎とは、似ているようで違う感傷。
絶対『逆らえない』。伝説の担い手……その使い魔だからこそ、主人と同格である目の前の少女に感じる、得体のしれない恐怖。
異様な危機感が、シェフィールドに襲い掛かった。
「……ケンシン」
「……おろ?」
ヨルムンガンドの右腕をさらっと破壊しながら、ルイズは剣心に、背中越しで言った。
「そっち、お願いね。あと…」
「ルイズ殿?」
「―――ごめんね」
それを最後に、ルイズは視界から消えた。『加速』を使い、一気にヨルムンガンドまで詰めていったのだった。
「ルイズ殿! さっきから一体何を……」
剣心はヨルムンガンドに向かって行くルイズに向かって、思わず叫んだ。
ルイズの様子が明らかに何かおかしい。一体何が彼女をここまで追い込んでいるんだ?
ワルド戦後で寝た時とは、まるで別人かのような様相だった。
「っあなた!? ルイズに一体何をしたのよ!?」
エレオノールも同じ気持ちなのだろう。剣心に思いっきり食って掛かる。
だが当然ながら、剣心もその答えを返すことができない。どうしてこうなっているのか、本当に分からないのだから。
取りあえず……、
「きゃっ!?」
シエスタの上空を狙ってくる、ガーゴイルを『翔龍閃』でかちあげた。
その瞬間にはもう、ルイズはヨルムンガンドの間合いに入っていた。
「―――は?」
逆にシェフィールドは驚愕した。
ルイズのことは、トリステインに侵入した時にそれとなく調べて知っている。
魔法を爆発させるヴァリエール家の令嬢。格そのものはトリステインでも最上級だが、正直それ以外は特に記載することもない平々凡々な少女。
タルブで見せた『奇跡』も知っているが、だからこそあんな強力な攻撃はできないものだと、勝手に思っていた。
それが―――、目の前に迫ってくる。主人と同じ『加速』を用いて。
その瞳に『虚無』のような色を浮かべて、まるで平然と命を投げ捨てているかのような雰囲気と気迫。
それに、呑まれかかる。
「ひっ―――ぃ!!」
情けない悲鳴。それを最後に、シェフィールドは真っ二つに斬り捨てられた。
『ブレイド』を纏った瞬劇は、ミョズニルニトンにすら容易に回避させられない程だったからだ。
(―――くそっ…保険を作っておいてよかったよ…)
屋上に佇む『ヨルムンガンド』の更に後方、建物の死角に隠れていた『本物』のシェフィールドは、肩から息を吐きながらそう思っていた。
念のためにと、肩に乗せていた『自分』は、おとり用の『スキルニル』だったのだ。
片目のモノクルを使い、巧みに状況分析していたのだが、まさかルイズが突っ込んでくるとは思ってなかった。
(主人の呪文詠唱を守るのが『ガンダールヴ』だろ!? なぜ主人自ら突貫してくるんだよ!?)
未だ始祖の遺した不文律にとらわれていたシェフィールドは、ルイズ自身がいきなり攻撃を仕掛けてきたことに、本気で疑問を感じていた。
だが、いつまでも呆然としているわけにもいかない。この状況で剣心まで加わり始めたら……ヨルムンガンドを何体並べても勝てる気がしない。
もう、ガーゴイル人形はない。今浮かべているもので全部だ。これを全部倒されてしまったら……そんなこと、考えたくもない。
今度こそ負ける。本気で勝ちの目が浮かんでこない。こうなってしまうと神の頭脳も片なしであった。
故に、ここは行幸と取るべきだ。主人を葬ってしまえば『ガンダールヴ』のルーンも消える。そうしたら戦力は大幅に半減するではないか。
(よく分からないけど、このままあの小娘を殺すなり捕まえて人質にするなりすれば……)
そう考え、ヨルムンガンドを動かす。まだ左腕は動かせる。それだけで十分対処が可能だと、思案を巡らせていたのだが……。
それすら『楽天かつ希望的観測』であるということに、まだ気づいていなかった。
「―――喰らえ!!」
シェフィールドは、腕を振って薙いで行く。ドガガガ!! と、ルイズのいた場所に向かって質量攻撃を仕掛けた。
しかしもう、そこに彼女の姿はない。
「くそっ!! よりによってジョゼフさまの魔法を使うなんてあの小娘!!」
主人の魔法を悪く言うこともできず、ただただ暗い怒りを溜め込み続けるミョズニルニトン。
鉄巨人と視界共有できる『モノクル』を使い、素早く確認する。幸いすぐに見つけた。建物の上にいる。
「いたっ……!」
若干、シェフィールドはどもってしまう。こちらを見下ろすルイズの目は、恐ろしく冷めていた。
最強の騎士人形を操っている筈なのに、まるで路傍の塵を見るかのような目線を、此方に送っている。
使い魔としての本能かもしれない。別人とはいえ、主人には逆らえないという刷り込み。
だがそれ以上に、使い魔との絆からくる魔力の強さ。
それが恐らく、彼女の『虚無』の力を極限にまで高めている。同じ女だから、シェフィールドも薄々察していた。
あのルイズという小娘は、理由は分からないが剣心のために……自分の命すら燃やし尽くそうとしている。
自分もそうであるはずなのに。愛しの主人のためなら、命だってかけられるはずなのに……。
恐らくそれは、覚悟の違い。
シェフィールドは身震いした。なんでこんなにも違うのだ……?
自然と身体を戦慄かせる。その合間にも、ルイズは動いた。
まるで何のためらいも見せず、その場から飛び降りたのだ。ヨルムンガンドに向かって。
「―――ッ馬鹿め!!」
そのままつかんでひねりつぶしてやる。シェフィールドはそのまま剣士人形を操って、ルイズに掴みにかかった。
対するルイズは、蹴りのように足先を向けて迫ってくる。
巨人の掌とルイズの足先、それが触れた瞬間、爆発がまた起こった。
「なあっ!?」
足先に『爆発』の魔力を溜めていたのか!? シェフィールドは冷や汗をかいた。
ルイズは巨人の手を踏みつけ、そのまま高々と跳躍する。『反射』の効果もあって、かなり上空へと跳んでいった。
(な、なんだアイツ、本気で何をするつもり―――)
エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ
「……は?」
シェフィールドはその呪文の声が、確かに聞こえるのを感じた。
そして段々と、体中を更なる冷や汗で浸していく。
(まさか、あの小娘……ッ!?)
オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド
(上空へ跳んで……呪文詠唱の隙を潰すとでもいうのかぁ……ッ!?)
恐ろしく強引な力技。
まさか空高く跳躍して、落下する時間を利用して呪文詠唱をしてきたのだ。
シェフィールドは慌てて大砲を構えようとして……そういえばさっき焼き潰されてしまったことを思い出す。欠けた右腕だけが虚しく上がっただけだった。
(まさか…遠距離手段の大砲を壊したのも…このためだとでもいうのか…!!?)
ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ
そう考えている間にも、呪文はどんどんと進んでいく。
シェフィールドは心の底から身震いした。担い手の詠唱は、使い魔の心を震わせる。だというのに……いや、だからこそであろうか。
それが直に此方へ向けられていることに、恐怖を覚えた。
そしてシェフィールドは現状、何の対抗手段も持ち合わせていない。ガーゴイルをぶつけようとしても、もう剣心の方にすべてをやってしまった。今から向かわせるのはもう、間に合わない。
ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル……
「あぁああああっ……!!」
シェフィールドは髪を掻きむしった。まさか、また負けるのか!?
剣心に敗れ、宗次郎に負け、そして今、ルイズにも敗北しようとしている。
そうこうする合間に、ルイズはヨルムンガンドの直上に迫ってくる。桃色の髪が、まるで閃光のように、真っ直ぐ落ちてくる。
「来るな来るな来るなぁああああああああああ!!」
最後のあがきとばかりに、シェフィールドは岩を掴ませて礫をルイズに放とうとしたが……、足蹴の爆発で指が破損したせいで、上手く当たらない。
膨大な魔力が、まるで落下する爆弾の如く充満している。そしてそれを、シェフィールドはただ見つめることしかできなかった。
(―――本当に、ごめんね。ケンシン…)
落下しながら、ルイズは瞑目していた。
刹那脳裏に過るは、彼の過去の記憶。
(わたし、絶対にあなたを―――)
今でも鮮明に思い起こせる。彼の、あの幸せそうな日々を。そのたび、ルイズの瞳には涙が溜まる。
あれを見た時に、密かに、でも絶対成し遂げると思った決意。
(あなたを、元の世界に、トモエのもとに―――)
水泡がたまった瞼を開けながら、ルイズは眼前にまで迫った、ヨルムンガンドに向かって杖を振った。
(―――帰すから!!)
「――――『爆発』!!」
それは、ワルドと戦った後のことだ。
『虚無』の使い過ぎで、寝てしまったルイズは再び、剣心の過去の記憶を垣間見る。
抜刀斎時代、長州の志士たちがこぞって京都から追い出され、散り散りになった後。
結婚した剣心と巴の、二人の小さな生活。それがルイズをまた、大きく変えていたのだった。
桂が用意した、質素な小屋。それが二人の新居地だった。
いかにも僻地の平民が住んでそうな場所。周囲には誰もいない、隣に小さな畑になりそうな広間があるくらい。
昔の自分だったら、こんな場所で暮らすなんて考えられなかったのは確かだ。人手がない分、『魅惑の妖精亭』よりもひどいかもしれない。
そんな中、剣心と巴は粛々と暮らしていた。
今ルイズの目の前には、米と焼き魚と煮物、そして汁物が置かれた膳が置かれている。
いかにも平民が食べるようなさもしい食事。学院ではまず出てこないだろう。
でも……、
(美味しそうよね、本当に)
それを黙々と口に運ぶ剣心達を見て、いつも思う。わたしも、食べてみたい……と。
結婚したとはいっても、特に二人の様子や距離感が、変わったようには見られなかった。
剣心は最初、木こりのような力仕事をし、巴は食事や洗い物。
夜寝る時も、布団は二つに分けて、特に『そういうこと』に精を出すわけでもない。剣心は相変わらず、剣を抱いて床に腰かけ眠っていた。
ただ……刀を持って人を殺す仕事から遠く離れた彼は、心なしか濁った瞳がまた、昔のようなきらめきを取り戻していたかのようにも見えた。
「畑をするか」
駒を回していた剣心は、唐突にそう言った。
「子供の頃、よくうちの手伝いをしていた。それぐらいなら……」
「ケンシン……」
ルイズは剣心を見る。この時の彼は、いつになく楽しそうな顔をしていた。
久々に見る彼の素の表情。それを見れただけでも何だか、ルイズは嬉しくなってきた。
一方の巴の方も、何か変わったわけじゃない。分かることと言えば、夜になると必ずその日の日記を認めていることぐらい。
何回か彼女の日記を隣で見たことがあったけど、当然ながら、異国の文字の羅列だけで、なんて書いてあるのかさっぱり分からない。
どうやら、剣心が『読んでいる』間だけ、自分にもその意味が脳内で伝わってくる仕組みらしい。彼自体が読んでくれないと、分からないのだろう。
不便だけど、仕方ないと言えば仕方なかった。
(でも、一体何を書いているのかしら?)
代り映えしない毎日だというのに、何をそんなに書くことがあるのだろう?
それだけ、いつもルイズは気になった。
やがて、二人は畑仕事を始めた。剣心が鍬で耕し、巴が苗を植えていく。
いかにも平民がやる仕事。でも……こうやって下々の民の暮らしや働きを、まじまじと見るのはルイズにとっても無かったことだった。
(思えば……平民の暮らしをこうやって見るのって、あるようでなかったわよね)
生まれから大貴族のお嬢様だったルイズである。平民の仕事など、今まで気にも留めたことが無かった。
でも、こうやって一生懸命に働く人たちを見ていると、「こういうのもいいかもなあ」とか、柄にもないことを思ってしまう。
(わたしがもし平民の生まれだったら……こういうことをして暮らしていたのかしらね)
こうやって自分たちが生み出したものをその日の糧とし、一日一日を生きる。
そういうのを「良い」と思える情緒が育ったのは多分、剣心やシエスタ、ジェシカたちのおかげなのだろうと。この時ルイズは強く実感した。
「よう、精が出るなあ!」
さて、そうやって粛々と暮らしていたが……たまに来客が訪れる時もあった。飯塚だ。
こいつが来るたび、自然とルイズは目尻を吊り上げた。
(やっぱりコイツだけは好きになれないのよね)
まあ一応、決起のための隠れ蓑。そのための仮の暮らしだというのは分かっていても、こいつが来るとまた剣心が人殺しをするんじゃないか……。という思いにどうしても駆られてしまった。
いっそのこともう来なくていいわよ長州だか何だか知らないけど勝手にしなさいよこれ以上ケンシンを巻き込むんじゃないわよ。
いつもそうやって呪詛のような言葉を早口で並べ立てるも、当然見えないし聞こえないのだからどうすることもない。
それがまた、ルイズにとって歯がゆい思いにさせられたのだった、
「状況は良くない。この間の馬関戦争に続いて、萩じゃ俗論派の粛清が始まっている」
飯塚が言うには、長州の保守派は幕府に良い顔見せたくて粛清の嵐だとか。一方で幕府側もかねてより計画していた長州征伐が空振りに終わり、彼が言うには「痛み分け」という形で平行線をたどっているという。
あの桂小五郎でさえ、完全に行方をくらませてしまったとか。今では「逃げの小五郎」とまで言われているらしい。
(すごいんだかすごくないんだか分からないわねアイツ……)
そんなことをぼんやりとルイズは考える。まあこれでもし生き延びて幕府を潰し新時代を切り開くのであれば、確かにそれは「偉人」にもなるだろう。飯塚の話を聞きながら、ルイズはそう思っていた。
最後に飯塚は、当面の資金と薬の道具一式を剣心たちに渡して帰っていった。
「薬師」ならば町をあるいてもおかしくはないという処置とのことだ。
そんなわけでしばらくは、巴と共に薬を作って売って歩く生活が新たに始まった。
この時は「検心」と名乗り、大津を通る時にある村によっては薬の商売をしていく。
村人からは、刀傷によく効くと評判になり、村の者や子供たちとも馴染むようになった。
ルイズはただ、そんな二人の生活をただただ見せられていた。
昔の自分だったら、こんな光景見せられても飽きてしまって、見向きもしなかっただろう。
でも、剣心と出会って、虚無という力に目覚めて、色んな事で泣いて、強くなろうと決意するようになって……。
そして大きな力の振るい方を考えるようになっていった…そんな時に見る、この光景は、ルイズにとっても、新鮮なものだった。
そしてこの時の剣心にとっても…、
「お前はどうだ? そろそろしけてくる頃じゃねェか?」
「おかげ様で」
ある日訪れた飯塚と会話するときの剣心は、人斬り前の、優しい表情を浮かべていた。
「俺はまた長らく『人斬り』から離れたぬるま湯の生活で、そろそろ退屈するだろう頃合いだと思っていたんだが―――」
「そんなコトはありませんよ。もともと剣術は好きだけど人を殺めるのは好きじゃない。それに、ここでの生活は退屈どころか、色々と目が醒めるコトの連続ですし」
このままもう、人を斬らずにずっと、この生活をしていて欲しい。
ルイズは無意識に頷いた。そうよ、それでいいのよ……。
(もう人斬りなんてやめて、ここでずっと暮らしてなさいよ)
「そりゃあ結構。だがくれぐれも腕だけは鈍らせるなよ」
そう言って最後に飯塚は去っていった。
(やっぱりわたし、こいつ嫌い)
小さくなっていく飯塚の背中に思い切りあかんべぇをしながら、ルイズはそう思った。
そして再び、時は流れていく。
代り映えのしない、二人の生活。だが四季は進んでいるらしく、段々と肌寒い季節へと向かって行った。
そんな時だった。
「姉ちゃん!!」
巴の弟を名乗る少年。雪代縁。
彼の登場から、また二人の関係、そして巴の秘密を、ルイズは知ることとなっていく……。
「弟の、縁と申します」
ある日、急に訪ねてきた黒髪の少年。
活発そうな感じなのに、どこか棘のある瞳。
暗い感じや目元は確かに姉そっくりだけど、どことなく怖い表情を此方に送っていた、
そんな、弟を紹介する巴の場面に、今ルイズは立ち会っていた。
(トモエ、弟なんていたんだ……)
ルイズは無意識に首をひねった。思えば、ここに来て全然巴の家族関係など知らなかったことに気付く。
いや、ずっと知りたいとは思っていたけど……、剣心は剣心で巴のことを慮ってか、聞こうとはしてなかった。
「そうか、弟か」
「ええ、時々便りを出していたんですけど、訪ねてきてくれて」
そういう巴の言葉に、ちょっとルイズは引っ掛かりを覚えた。
(あれ、この家の場所って……秘密なんじゃなかったっけ?)
そう、この時の剣心は「人斬り抜刀斎」。この場所を知る者は桂や飯塚以外は誰も知らないと、確か言っていた筈。
そんな場所に何で彼女の弟が……?
そう思い縁の表情を見て、ルイズは息をのんだ。
(何て目をしてるのよ……)
怖い。
苛立ちじゃない。あれはもう憎悪に近い。
今にも殺しに来そうな殺気を、この少年、縁は……剣心に向かって飛ばしていた。
(姉さまを取られたのが、そんなに嫌なのかしら?)
「そうか、積もる話もあるだろう。畑を見てくるよ」
その合間にも、剣心は席を立った。そして扉を開け外に出ていく。
ルイズはこの姉弟がどんな会話をするのか聞きたかったけど……剣心の視点しかモノを見れない所為か、ルイズの足も自然、外へと向かって行ってしまった。
「う~~ん、気になるわ。何の話をしているのかしら」
畑を見る剣心よりも、閉められた戸の方を見やりながら、ルイズは呟いた。
「あんた気にならないの? ねえ」
そう言ってげしげし蹴ってみるが、当然すり抜けるだけで何も変わらない。はぁ……とルイズはため息をついた。
「でも、こう思うと意外と謎が多いのよね。トモエって」
そして再び、ルイズは腕組しながら頭を傾けた。
一体彼女は何を考えているのだろう? 何で剣心と一緒に暮らすことを良しとしてるのだろう?
惚れているのか? というと、ちょっと違う気がする。でも、離れる気はないみたいだし。
あるがままに一緒にいるけれど、その理由が、単純な「スキ・キライ」ではないのは確かなようなのだ。考えれば考えるほど謎が深まるばかり。
こういう点があるからだろうか。不思議と今のルイズは俯瞰してこの二人のやり取りを見れているのだった。
もし分かりやすくいちゃついていたら、今頃もっと怒ったり悲しんだり怒声を上げたり暴れたりしていたのかもしれない。
けど……、
(結局トモエは、ケンシンのこと、好きなのかしら?)
そこが分からないからこそ、ルイズはただ悶々とするしかなかったのである。
一番大事な部分がはぐらかされている所為で、感情を吐き出せられないのである。
(なんか、結婚って聞いた時に泣いた自分が恥ずかしくなってくるじゃないの)
そんなこんなをする内に、縁が家から出てきた。
「あの子、泊まらないのかしら――――」
もう帰るの? そんなことを思っていたルイズは、再び体を震わせた。
『オマエさえ、オマエさえ最初からいなければ……!』
「……――――っ!」
その目に込めた、少年の憎悪。
ルイズは無意識に、彼がそう語りかけてくるのを感じていた。
「ぇ? なんなのあんた……?」
怯むルイズを他所に、縁は足早に去っていく。
あれはもう、姉を取られたとか、そういう次元の話じゃないような気が……。
「ケンシン、あの子は一体?」
ここでルイズは思わず剣心を見る。見れば彼もまた、縁の様子を見て疑問に思ったような表情をしていた。
結局何で縁が急にやってきたのか、なんであんな憎悪を飛ばしてきたのか……。
この時のルイズはまだ、当然ながら知る由は無かった―――。
「冬までに間に合った」
蕪の葉を抜きながら、剣心はそう言った。その顔は朗らかだった。
「急な思い付きで、採れるかどうか自信がなかったけど、結構育つものだな」
採れた作物を見ながら、ルイズはふと周囲も見やる。
冬の到来を感じるかのような、肌寒い季節となっていた。分厚い雲を見れば、しんしんと降り注ぐ白い粉が見えてくる。
採れた野菜を食卓に乗せ、お椀の米と共にかっこむ。
そんな剣心を見ていると、先程の縁の形相すら忘れて、再びルイズの心を穏やかなものにさせていった。
「本当に、美味しそう」
こうしてみると、平民の食事も悪くはないのかも。こうやって自作の作物を食す剣心と巴を見るたび、いつもそう思った。
こんなならもっと、ミセス・シュヴルーズに農作の魔法も聞いておくべきだったかなーと思いながら、ふとルイズは首を振る。
(って、魔法じゃ駄目よね。こういうのって手で植えてみたいし)
農作作業が大変なのは記憶で見限りでも分かっているけれど、魔法では無く手でやってみたい。そんな気持ちにも目覚め始めていた。
そんな折、巴が口を開く。
「本当だったら、あなたは毎日こうして暮らしていたんですね。畑をして、採れたものを食べて」
ルイズは巴の表情を見た。相変わらずの無表情な顔で、何を考えているのか分からないけど、不思議と目元が柔らかくなっているような気が、しないでもなかった。
(そういえば最近、酒を飲むときも美味しそうに飲んでいるわよね)
京都の時は二人とも、心底まずそうに酒を舐めていたことを思い出す。ここに来てからというもの、そういった負の意識が少しずつだけど、解けていっているのかもしれない。
やがて剣心は、椀を置いて、真剣な表情で言った。
「ここに来てから思っている。御剣流の理に倣って、力弱き人々のために、一人でも多くの人々の幸せを守るために、新時代をと、剣を振るっては来たけれど、それがいかに思い上がりだったかという事が……」
「ケンシン……」
それを聞いて、ルイズもまた、心をチクリと痛ませる。
そういえば彼は、幼少期は盗賊に襲われ殺されかけたところを比古に助けられ、その後ずっと修行をしてきたことを、思い出した。
それじゃあ分かる筈もないわよね……と、そこまで思った時、ルイズもまた、人々の幸せってこういうものだったんだなと、今の剣心と同じように『知らなかった』という事が、よく理解した。
多くの人はタルブのように、政治や闘争とは無縁に暮らしている。そういった人々にとって、こういった暮らしが何よりの『宝』であったということに、ようやくルイズも気づいたのだった。
今だったら、タルブであれだけ剣心が怒っていた理由についても、すごく理解できる。
「この程度の暮らしを守ることが、俺に出来る精一杯だったんだと、俺個人は、今まで幸せというものがどんなものなのか、分かっていなかった気がする」
その言葉に、ルイズも無意識に頷いた。わたしもそうね、分かってなかったんだわ。
伝説の『虚無』であろうと、そこは変わらない筈。むしろ力の大きさ故に、ちょっとした動きだけで、見ず知らずの人々が涙を見せるのかもしれない。
もっと力の使い方を学ばなくっちゃね……。そんな風に考えていた時だった。
「君とこの里山での生活の中で、はっきりと自覚できた。今まで自分が何のために戦い、そして戦っていくのか……その答えを、君が教えてくれたんだ」
それを聞いて、ルイズは無意識に頭を俯かせた。
この時点で、剣心は巴に好意以上のものを抱いていると、はっきりと悟ってしまった。
急に、あの時置いてきたはずの痛みがまた、静かに疼き出すのを感じる。涙が出るのを、必死になってこらえた。
そんな折、今度は巴が口を開いた。
「私も少し、お話しても良いですか?」
ルイズは顔を上げる。そして知る。
いままで謎に包まれていた巴の秘密。それに遂に触れることとなった。
私の実家は江戸にあります。
身分は御家人。お金が余るほど裕福ではありませんが、食べ物に困る程貧しいわけでもなく。
一家三人、平和に日々を暮らしてまいりました。
(トモエ……)
父は文武共にからきしですが、家族も隣人も分け隔てなく大切にする優しい人です。
母も劣らず優しい人でしたが、病弱で、縁を産んで間もなく亡くなりました。
可愛い弟です。少し思い込みが激しい気性なので、時々手を焼かされますけど……。
縁にとって私は姉であると同時に、母でもあるんです
(そうなのね、でもあの目はそういう感じじゃなかったような……)
そんな風に考えていた時だった。巴の次の言葉で、ルイズは身を固めた。
「私、決まっていたんです。嫁ぎ先が」
「―――えっ?」
一瞬、言葉の意味が掴めず、心がフリーズしてしまう。剣心も一瞬、驚きで目を見開いていたのを見逃さなかった。
相手は同じ御家人の家の次男で幼なじみ。父に似て文武はからっきしだけど、誰にも優しく、何よりも努力の人でした。
そんなところがずっとずっと好きだったから、彼がわたしを選んでくれた時は本当に嬉しかった。けど―――。
その時、私は嬉しいのに、只々、目を丸くするコトしか出来ませんでした。
「つくづく……本当に嫌になる位、笑うのが苦手な女です」
だからかもしれません、私がどれだけ幸せだったか、彼に伝わらなかったのは…。
(何かこの話って、そうだ……)
脈拍の音を大きく上がっていくのを、ルイズは感じていた。
どこかで聞いた既視感、思い出した。ウェールズとアンリエッタだ。
(姫さまと、ウェールズさまに、トモエは似ているんだ……)
御家人の次男程度では君を幸せにできない。せめて一廉の武士として誰からも認められるくらいにならなければ。
彼はそう言って、祝言を伸ばし、見廻組に参加し、動乱の京都に上り、そして―――。
「―――還らぬ人と、なりました」
「―――トモエっ……!」
ルイズは自然と、目に涙を浮かべていた。
本当にこの人は、アンリエッタの境遇そのままじゃないかと。
大切な人を思うが故のすれ違いで、闘って、幸せと命を零して……。
今のルイズは、悲しそうに目を伏せる巴と、ウェールズの訃報を聞いて涙をこらえていたアンリエッタの顔が、はっきりと重なって見えた。
報せを聞いて、居ても立ってもいられず、すぐ私も京都(こちら)へ参りました。そして―――。
「―――あなたと、出会いました」
ルイズの視界はもう、涙で完全に揺れていた。
だから気付かなかった。巴が一瞬、剣心を見て、何か言葉を選んだかのような表情をしていたことに……。
外はいつしか、夜になっていた。開いた窓からは、雪が零れ落ちていく。根雪になりそうだ。
私の預かり知らぬ遠い所で、彼が死んで…、あるはずだった幸せが、彼とともに消えて……。
でも本当は、それは私のせいかもしれなくて……。
「あの時、泣いてすがってでも彼を止めていれば……、そう思えば思うほど何かを……、誰かを憎まないと、気が狂ってしまいそうで……」
気づけば、巴もまた、涙を流していた。
いつも雪のような無表情の中に見えた、苦痛と本心。
それを見た剣心は、そっと彼女を抱き寄せる。
「もういい。もう、いいんだ……」
それを最後に、巴は剣心の胸元で泣いた。剣心もまた、それを黙って受け入れていた。
ルイズはそんな二人を見て、同じように滂沱の涙を流した。
巴の傷、剣心のやさしさ、そして深まっていく二人の絆、それらをひっくるめて、泣いた。
わたし、やっぱりとんでもないことしちゃったのかな……。
ルイズは今、激しい自己嫌悪に陥っていた。
それは当然、剣心を召喚してしまったことについて。
二人はこんなにも強い絆で結ばれているのに、自分はそれを無理に切ってしまった。
剣心は、「そんなことない」とやさしく言ってくれるけど……このやり取りを見ると、そんな風にはとても思えなかった。
わたしがトモエだったら、きっとわたしを恨むわ。ええそうよ。だってケンシンを、無理に奪ってしまったんだから……。
しかも使い魔と称して、犬のような処遇をしたり小間使いのようなことをさせておいて、それでも彼は何も言わず、自分についてきてくれた。
その裏で、巴はずっと、一人ぼっちにさせているというのに……。
最低ね、本当に、わたしって……。
膝を頭で埋めていたルイズは、ここで頭を上げる。
見れば剣心と巴の二人は、一枚の毛布でくるまっている。
それ見たルイズは嫉妬より、悲しさより、怒りより……嬉しさの方が勝っていた。
凍り付いた巴の心をも解かせる剣心は、やっぱりすごいなと。
「あなたは血の雨を降らせるのですね。初めて会った時君はそう言った」
「ええ」
「人を斬ることで、得られる幸せがあるとは思えない。とも言ったね」
「えぇ」
「その通りだと思う、けどこの先俺は人を斬るだろう。新しい時代が来る、その時まで……。けど、その時が来たら、俺は人を斬ることなく、人を守れる道を探そうと思う。この目に映る人々の幸せを、一つ一つ大切に守りながら、罪を背負い、償う道を……」
(もう大丈夫よケンシン。あなたはもう、たくさん助けてくれたわよ……)
仄かに宿る強い決意を聞いて、ルイズは何度も首を縦に振った。
刹那蘇るのは、ギーシュと戦ってくれた時、フーケから助けてくれた時、そしてワルドの攻撃から颯爽と助けてくれた時……。
今でも鮮明に思い出せる。その時の彼の優しい表情。それに自分は何度、救われてきたことか……。
それなのに、自分のわがままに何度も付き合わせて、こんな戦場にまで借り出して……。
何度も何度も、危険な目に遭わせておいて、それでもなお、剣心は笑って隣にいてくれた。
今になって、自分がどれだけ彼に助けられてきたのか、それをはっきりと自覚することとなった。
「巴」
「はい?」
「君がこの動乱の中で一度は失ってしまった幸せ…、今度こそ俺が守り抜いて見せる」
それを聞いた巴は……、
「はい」
今まで見せたことのない、優しい笑顔を浮かべていた。
それを最後に、ルイズの意識もまた、深く閉じていった。
刹那目に映るのは、燃える街中で暴れるヨルムンガンド。
ためらいもなく、ルイズは杖を振った。剣心を必ず帰す。その決意を秘めたが故の底力だった。
そして次の瞬間、巨大な光と共に、巨人の剣士は粉みじんに吹き飛んだ。