るろうに使い魔‐ハルケギニア剣客浪漫譚‐   作:お団子

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第百三十二幕『七人の(さむらい)、七万を圧倒す』

 

 戦場は、兵達の阿鼻叫喚で包まれた。

『ガンダールヴ』の力を発揮した剣心が、再び緋色の風となって敵を吹っ飛ばし始めたからだ。

 一振りで三人が倒れる。二振りで六人。一分も満たないうちに、百人近くが戦線離脱を余儀なくされた。

 これが彼一人であるならば、まだ数の差で押すこともできたことだろう。

 しかし――――。

 

「うわあ、これは絶景ですね」

 

 剣心と同等の剣技と速度を誇る剣客。瀬田宗次郎が、剣呑とした声で戦場を駆けていく。

 彼が通り過ぎた先は、ゆっくりと倒れていく敵兵たちの道が出来上がっていく。

「本当に戦国時代に来たみたいですね。面白いなあ」

『縮地』で縦横無尽に駆け巡りながら、アリィーから貰った曲刀で相手を斬っていく。

 当然ながら、彼の速度に追いつける生物は、幻獣にもいなかった。

 

 

 

 

 

第百三十二幕『七人の士、七万を圧倒す』

 

 

 

 

 

 疾風の如く走る彼の視線の先では、巨大な竜巻が轟いていた。それに巻き込まれた者は例外なく宙に飛び上がっていった。人も、竜も、幻獣も、鬼たちも――――。

 強力な烈風に対抗出来るメイジは、当然ながら皆無であった。

 

 そして新たに現れた三人のエルフ。それがまた、戦場を混乱させていた。ハルケギニアにとって、エルフ程恐れられている種族もいない。その存在を目にした人々は……それこそティファニアを見た者でさえ怯えて武器を放り投げ、逃げ出す者もいた(当然ながら、ティファニアに害意はないのであるが……)。

 

 実力も、意気も、完全に挫かれてしまった。勝っているのは完全に『数』だけ。それも徐々に、しかし確実にすり減っていく。

 もう、連合軍の追撃を考える余裕は、兵たちには無くなっていった。

 

 幻獣マンティコアに跨った騎士隊の隊長は、騎乗した獣を、疾駆する緋色の風に向けてけしかけた。しかし爪が当たる寸前、横殴りになぎ払われ、自分のマンティコアが吹っ飛ぶのが見えた。次の瞬間、鎖骨を砕かれ、地面に崩れ落ちた。

 

 巨人のトロル鬼は、もう味方ごと薙ぎ払おうとこん棒を振り上げる。しかし身体を動かそうとして気付く。自分の肩に、微笑みを浮かべた青年が座っているのを。彼を払いのけようとして、視界が地面に向かって目まぐるしく変わっていくのに気づく。首がなくなった自分の身体を見て、ようやく自分は首を斬られて殺されたことを悟った。

 

 槍隊を指揮する指揮官メイジは、槍ぶすまを作って風の操り手を包囲しようとした。しかし、突如舞い起こった竜巻に槍隊全てが宙を跳び上がった。指揮者も例外ではなく、他の兵隊と共に木の葉の吹っ飛び、そして地面に激突した。

 

 弓隊を指揮していた若い士官は、エルフを見て慌てていたので、斉射を命じてしまった。しかし矢が彼らに当たる瞬間、それらはすべてスレスレになってかすりもしなかった。味方に当たり、混乱から同士討ちが発生した。

 こうやって、どんどん前衛の混乱は激しくなっていった。

 

 

「なに、エルフが出ただと?」

 自分の元に届く報告を聞いて、ホーキンスは眉をひそめた。虚偽入り混じっていた。彼は今、周囲に簡潔な陣を立てて連絡兵の話を聞いていた。

 

 曰く、敵は件の剣士である。

 曰く、敵は嘗ての英雄、『烈風』である。

 曰く、敵は一騎当千の少数精鋭である。

 曰く、敵はエルフの魔法戦士であった。

 曰く、敵は理解不能な現象で敵を狩っている……。

 

「ぜ、前衛は既に、壊滅状態になっており……、追撃はもう、絶望的かと……」

「ガリアの鉄騎士はどうした? あの二十メイルあったゴーレムは……」

「葬られました。何故そうなっているのかは、わたしにも……」

 

 それを聞いて、ホーキンスはため息をついた。あれが葬られた? 一体誰が……?

 だが、これだけは分かった。

 

 風のように速い敵だ。火のように強い敵だ。土のように動じない敵だ。水のように臨機応変な敵だ。

 

「……気に入らないな」と、ホーキンスは呟いた。

 相手はなんだ? 英雄『ガンダールヴ』なのか? かつて始祖が行使したという『神の盾』。それが自分たちの動きを阻んでいるのかと、本気で思ってしまっていた。

 

(バカバカしい、夢物語じゃあるまいし……今更六千年前の伝説が我々を阻んでいることなど……)

 

 そう思ってしまうが、ここで歴戦の将軍は冷静になってこの戦の始まりから思い返す。

 空戦で起こったあの理解不能な幻影の軍団。敵軍のサウスゴータまでの快進撃、それで追い込まれたかと思えば、焼け落ちたサウスゴータと共に、連合軍が敗走するという、理解不能な現象。

 そうだ、分かっていたことじゃないか。この戦は最初から、自分の理解の及ばざる領域で行われているという事に。

 自分は所詮、あの新皇帝からすれば……駒以下の存在でしかないのだろう。

 ホーキンスは思わず、顔を覆った。だが、そこで思考停止しては将軍は務まらない。とにかく今は、現状をどうやって打開するかだ。

 いかなエルフとはいえ、七万もいれば流石に……、というのは楽観視が過ぎる。過去の聖地奪還戦争で、彼らに挑んでは散々になって逃げかえった歴史がある。おまけに今回は、ガリアとの連合軍だ。しかも即興の連携。指示系統も当然、複雑化している。

 兵がこんなにも混乱しているのは、そういった連絡や指揮系統の乱れも、手伝っている節があった。

 

「龍籠はあるか? 上空に飛んで、直々に視察する」

「危なくないですか? 将軍自らなんて……」

「この目で見なくては、出せる指示も出せんだろう」

 

 使い魔の視点だけでは、どうしても見られるものが限られる。故に自分の目で見て、更に上空から直に指示を出そうと、思案しているのだった。

 

「了解しました。ではこちらに……」

 兵が用意した豪奢な籠に案内され、それに乗るホーキンス。勿論周囲には護衛として、屈強な竜騎士の隊を展開している。

 

「将軍に危機が及ばないよう、限界高度まで飛んでから移動します」

「頼むぞ」

 

 副官らしき男もまた、そう言いながらホーキンスの供をする。扉が閉まり、竜が空を飛ぼうとするタイミングであった。

 

 彼らは気付かなかった。鳴り響く衝撃音が、徐々に将軍の元へと向かっていることに――――。

 

 ホーキンスを乗せた竜が、ゆっくりと翼を羽ばたかせ、上空に浮かび上がる。

 十メイル程上がった時だろうか。それは起こった。

 

 

「全く、この戦もそうだが、我々は一体何処へ向かうのであろうな――――」

「そんなこと、これから死ぬ人には無用な心配だと思いますよ」

 

 

 は? ホーキンスと副官は、思わず口を開けた。

 何故なら、浮き上がっている筈の龍籠の扉を開けて、急に人が入ってきたからだ。

 人は、青年だった。にこやなか笑みを浮かべて、将軍にそう言ってきたのだ。

 

「何者だ! きさ―――」

 それを最後に、杖を抜こうとした副官は気絶した。青年――宗次郎が、剣の柄尻を顎にぶつけて昏倒させたのだった。

 それを見て顔を真っ青にさせたホーキンスも、慌てて杖を抜くも宗次郎の手がそれを阻む。

 口元をがっちりと抑えられ、呪文詠唱を封じられてしまった。こうなるとメイジは無力だった。

 

「才槌老人は言ってました。『こういう乱戦は、一番偉い人を狙ったら一気に瓦解する』って。見た感じ、あなたが一番偉そうですね?」

「…………っ!!?」

 

 ホーキンスは得体のしれない恐怖に襲われた。とっさに耳元を見るが、エルフじゃない。かといってメイジでもない。ただの平民のようだ。

 その平民に、自分は今から殺される。ホーキンスは分かってしまった。彼は自分とは比べ物にならないほどの強者ということを。

(もしや……本当に存在するのか? ガンダールヴが……!?)

「当たりみたいですね。てなわけで、死んでください」

 ホーキンスは目を見開いた。月光に当てられた曲刀がキラリと光る。それと同時に、将軍の意識は確かに薄れていった。

 

 

「……なーんてね。流石に殺しはもう、自重していますけど」

 気絶させたホーキンスに向かって、宗次郎はころころ笑ってそう言った。さっきのは柄尻で頭を叩いただけだ。

「それに、『上官は死なせるより誘拐したほうが、交渉手段という選択肢も取れ、より混乱を狙える』。……これは方治さんだったかな。言ってたの」

 

 上官が死んだ場合、指揮系統は混乱するものの、すぐ別の人間に挿げ替えればいい。だが、誘拐されたとなれば、探索にも人員を使うことだろう。

 暫くは将軍を担いで、上層部に見せつけるように動き回るとしよう。「軍のトップが誘拐された」と知れば、士気は更に落ちることだろう。

「では、行きますか」

 気絶したホーキンスを担いで、素早く龍籠から宗次郎は脱出した。

 

 

「将軍が、ホーキンス総司令官が!!」

「誘拐されただと!?」

 

 当然ながら、陣を構えていた司令部は騒然となった。

 宗次郎自身は特に策を弄したりせず、直進して堂々と突っ込んでいったのだが、速すぎたために誰も目で追えてなかったのである。

 

「護衛共は何をしていたのだ!?」

「もしや内通者がいるのでは……!!」

 

 誰かが発したその声に、司令部は騒然とする。こうなってはもう、収拾はつかない。

 

「貴様か!?」「やめてください! 落ち着いて――」「これはガリアの仕業か!?」「後任は誰だ!?」「オイお前、勝手に指示を出すな――」

 

 そんなこんなで、軍を動かす者たちでさえ、こんな有様となっていった。

 軍は生き物である。司令部たる頭が混乱すれば、手足である兵は当然、まともには動かなくなる。

 連絡網も、当然乱れていく。もはや「内通者が出た」「エルフが後方に沸いた」というあらぬ噂まで出る始末。

 軍の混乱は最高潮に達し、遂に瓦解の動きを見せていった。

 

 

 

「あ……あぁ……っ!!」

 シェフィールドはもう、頭を抱えて赤子のように蹲ってしまった。

 頼みの軍でさえこの始末。万を越す兵なのに、どうしてこうなっている? 何で、何で――――。

 もういやだ。恐怖でとめどなく涙があふれている。逃げる兵に蹴飛ばされ、転ばされてしまう。もう立ち上がる気力すらなかった。

 手札がなくなった『ミョズニルニトン』程、無力なものはない。打開策ももう、思いつかない。

 ただひたすらに、無力な少女のように、シェフィールドは助けを求め続けた。

 

(助けて、助けてくださいぃ……ジョゼフさまぁ……!!)

 

 だが当然ながら、その答えは返ってこない。思考もぐちゃぐちゃ、逃げることも戦うこともできず、ただ蹲って、嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。

 

 

 

「…………あの人……」

 その無様を晒すシェフィールドを、一瞬視界に入れたティファニアは、困惑の表情を浮かべた。

 確か自分を攫って、マチルダを殺そうとした人。何であんなところで泣いているのだろうか?

 

「――危ない!!」

 

 その叫びと共に、ティファニアに向かって襲い掛かるオーク鬼を、ギーシュは斬り捨てた。

 

「あ、ありがとう! あなたはあの――」

「ああこれはどうも。ぼくの名前はギーシュ・ド・グラモン。以後お見知りおきを」

 

 ここぞとばかりに、ギーシュは薔薇杖を持ち出し挨拶をする。思えばまだ、自己紹介をしてなかったのだ。

 

「ええ、わたしはティファニアよ。あなたも、助けてくれてありがとうね……」

「ああ、きみのような可憐で魅力ある花に覚えてもらえるなんて、恐悦至極だなぁ」

 

 そう言いつつも、彼の視界は彼女の豊満な胸の方に行っている。これがあるから今一つ、彼に苦手意識を持っているティファニアなのであった。

 

(何だろう? ソウは別に大丈夫なのになぁ……)

「兵全体の士気がぐらついている。そろそろ潮時だろう」

 

 そう言ってやってくるのはアリィーだった。

 隣にいるルクシャナも、こう続ける。

 

「でもすっごい混沌としていているわねこれ。収集着くのかしら?」

「そこまで面倒を見る必要もなかろう。後はここを脱するだけだ」

 

 アリィーは淡々と答える。周囲を見渡せば、逃げる者、もみくちゃにされる者、そのまま乱闘騒ぎに発展する者で溢れかえっている。何なら同士討ちまで発生している始末。

「内通者がいる」という情報の所為で、味方と味方の殴り合いがそこここに巻き起こっているのだった。

 誰もがみんな、目に見えない狂気に侵されて正常な判断が下せていない。もう、まともに敵の姿を認識できていないようだった。

 

 そんな戦場の中心で、ティファニアはふと思った。

 

(わたし……何もしていない)

 

 杖を構えてポツンと一人立ったまま。宗次郎はどっか行ってしまうし、前面では赤と桃、二つの竜巻が巻き起こっている。

 かろうじて襲い掛かる敵たちは、ギーシュやエルフたちが対処してくれている。自分だけ、なにもやっていないのである。

 かといって、自分に何ができるのだろう? 『忘却』の魔法以外、自分に出来ることがない。闘いなんて、したことがないから。

「本当に何もできないなぁ、わたしって……」

 思わずそう呟くと、それに反応する者がいた。

 

「いや、そんなことねぇぜ。むしろこの場を上手く収めるんだったら、お前さんの力が何よりも必要だと思うぜ」

 

「――――えっ?」

 デルフリンガーの声に、思わずティファニアはきょとんとしてしまった。

「コーチ?」と、ギーシュも思わず手を止め、剣を見る。

「お前さん、虚無の担い手だろう? あの『忘却』魔法を使って、軍の連中から『進軍する理由』を奪ってやればいい。それですべて片が付くだろう?」

 

「あっ!」

 ティファニアは思わず手を抑えた。確かにそれなら、この場の全てが軽く収まる。

 けど……、

 

「わたしに、そんな大規模な魔法、撃てるかな?」

「できるかじゃねえ。やれるかだ。魔法は全て、イメージと意気込みだ。お前さんにその気がありゃあ、できる筈さ」

「いつになく多弁だねぇ。コーチ」

 

 ギーシュの問いに、「まあな!」と、少し嬉しそうに答えるデルフ。昔の記憶を思い出せて、少し高揚しているようだった。

 

 ティファニアは杖を眺めてしばし佇んだ。

 できるか、否かじゃない。やれるか、やれないか……。

 そして思わず、その目を泣いているシェフィールドにまた移した。続いて、同士討ちを始める兵たちへと視点を変える。

 最後に過るのは、亡くなった母の教え。

 

『困っている人を見かけたら、必ず助けてあげなさい』

 

 今が、その時じゃないのか。ティファニアは無意識に頷いた。

「やる。やってみる」

 一度やると決めたら、不思議なほどすっと動き出せた。

 目を瞑り、ルーンを唱え始める。

 

 ナウシド・イサ・エイワーズ……

 

「ねえアリィー、これって」

「ああ、悪魔の力だな……」

 

 それを聞いていた二人のエルフもまた、彼女の呪文を聞き入っていた。

 かつてエルフを滅ぼしたという『大厄災』その一端。アリィー達は阻止しようとは思わなかった。きちんと見て、把握することが大事だと分かっていたからだ。

 むしろ、彼女の手助けをしてもいいかも。そう考えたルクシャナは、連れてきた小型の竜に乗った。

「アリィー、いいわよね」

「好きにしろ」

 そんな会話を軽くかわしたのち、竜は器用にティファニアの背中の裾を口でつかみ、大空へと羽ばたいた。俯瞰で見やすくするためである。

 一方ティファニアは、構わずにルーンを唱え続けていた。

 

 ハガラズ・ユル・ベオグ……

 

 魔力が、体内で循環していくのを感じていく。

 ティファニアの中を、リズムがめぐっていた。 一種の懐かしさを感じるリズムだ。

 呪文を詠唱するたび、古代のルーンをつぶやくたびに、リズムは強くうねっていく。神経は研ぎ澄まされ、辺りの雑音はすでに一切耳に入らない。体の中で、何かが生まれ、行き先を求めてそれが回転していく感じ……。

 

「あっ!? しまった!!」

 ティファニアが唱えている最中、思考の外では思いもよらない出来事が起こっていた。

 竜騎士の一人が、ティファニアを咥えて飛ぶルクシャナと竜に目掛けて魔法の矢を放ってきたのだ。

 かわして反撃し、敵騎士を撃墜はできたが、その時の揺れでティファニアを放してしまったのだ。しかし、落下していくにも拘らず、ルーンを唱えるのを止めない。

 

 ニード・イス・アルジーズ……、

 

「ん? あれ……」

 落下していくティファニアを、宗次郎は視界に収めた。

 肩には気絶させたホーキンスを担いでいる。取り敢えず無軌道に動いて、時折わざと姿を見せて混乱を誘ていたのだ。

 落ちて行くティファニアを見つけたのは、その合間だった。

 

「ティファニア殿!!」

 同じく、台風となって敵を吹き飛ばしていた剣心もまた、彼女に気付いた。宗次郎は肩に担いだホーキンスを平然と地面に転がし、剣心に向かって駆けだした。

「緋村さん! 翔びます!」

「……分かった!!」

 これだけの会話で、二人は何をするのかすべきなのか、瞬時に把握した。

 剣心は逆刃刀を水平に構えて宗次郎を待つ。

 宗次郎は『縮地』二歩手前の衝撃音を鳴らしながら、剣心に向かって跳躍する。

 宗次郎の足先が逆刃刀に触れる直前、剣心は目を見開かせた。

 

「いくぞ宗次郎! -龍翔閃-!!」

 

 その叫び声と同時に、剣心は跳躍した。そして刀の上に乗った宗次郎もまた、それに合わせて大きく跳び上がった。ティファニアに向かって。

 

 

 ベル カナ・マン・ラグー……

 

 

 一方のティファニアは、構わず目を瞑って呪文を唱えていた。極限の集中により、外界や自分の状況は今どうなっているのか、分かってなかった。

 だが、不思議と不安とか、恐怖とかは感じてなかった。

 唱える呪文が循環し、心を落ち着かせる。もう少しで、完成する。

 いける。体内で巡った魔力が、そう告げてきている。

 ティファニアはここで目を開けた。彼女の前にあったのは――――、

 

(ソウ!)

 

 宗次郎が此方に向かって飛翔してくる光景だった。

 そのまま飛んでくる彼に掴まれ、そのまま流れに身を任せる。

 宗次郎はそのまま、飛んでいく先でこん棒を構えるトロール鬼を見据えた。ホームランを狙うかのような大振りを再び足先で受けて、再び天高く跳躍した。

「これで、大丈夫ですか?」

 宗次郎の問いに、ティファニアは頷くことで返す。

(ありがとう。ソウ……)

 まだ会って一日あるかないかの筈なのに、彼を召喚してよかったと、心からそう思い始めるティファニアなのであった。

 眼下で蟻の如く蠢く万の影を見据えながら、ティファニアは杖を振った。

 

 

「――――『忘却』!!」

 

 

 杖先から発せられる、巨大な光が、混乱する七万の兵たちを包み込んだ。

 

 

 

 

「―――――あれ?」

 光に包まれた兵たちはしばし、呆然として空を眺めていた。

 その目は虚ろであり、しばし思考というものを置いてきたかのような表情を、誰もが浮かべている。

 そんな中、上空にまだいた宗次郎とティファニアは、ルクシャナが飛ばしている竜の足先(小型の竜であるため、背に乗せられなかった)に掴まってその様子を見ていた。

 

「みなさーーん!! もう戦いは終わりましたーーー!!!」

 

 しばらく間を置いた後、ティファニアは大きく叫んだ。

 

「怪我人を助けて、すぐに戻ってあげて下さーーい!!」

 

 それを聞いた兵たちは、ここで我に返ったかのように動き出し始めた。そして混乱の中同士討ちまで始めていた兵たちは、味方を助け出しながら、銘々戻っていく。

 誰も、それを疑わないかのような様相であった。

 

「これが悪魔の力かぁ。すごいわね」

 竜の背に乗ってその様子を見ていたルクシャナは、血の気がすっかりなくなった大軍たちを見て、思わずそう呟いた。

 これがかつてエルフの地を滅ぼしたという『大厄災』の一端なのだとしたら、納得しかないだろう。

 これがコチコチの議員たちや『鉄血結団党』であれば、すぐさま滅ぼすべしと声を荒げるであろうが……。

(ま、もうすこし様子を見てもいいでしょ。折角蛮人たちの世界に来たんだし)

 助けてくれた剣心達の顔を思い起こしながら、そんなことを思っていたのだった。

 

 さて、一方ティファニアは、眼下に呆然と蹲っていた一つの黒い影を見やった。

「ソウ、あそこの人影に向かって降りられる?」

「? ええ。良いですよ」

 こんな様子で会話しているが、今の二人はかなり身体を密着させている。豊満な胸が、ふにふにと当たっていた。

 状況的に仕方がないとはいえ、それを微塵も疑問に思っていないティファニアなのであった。

 宗次郎も特に気にするそぶりを見せず、掴んでいた竜の足を放して、そのまま地面に落下していく。

 呆然と佇んでいた人影は、シェフィールドだった。赤く明滅していた額のルーンは今、元の色に戻っている。

 

「あれ、この人確か……」

「うん。多分ね」

 そう言葉を交わしたのち、ティファニアは茫然自失となったシェフィールドに行った。

 

 

「あなたの事情はよく分からないけど。出来ればもう、悪いことはしないでね」

 

 

「……………うん」

 長い沈黙の後、『ミョズニルニトン』は、頷いた。

 そして彼女もまた、いそいそと茂みの深い森の中へと姿を消していった。

 

 

 

 二人はこのまま、剣心達の所へ行こうとした矢先であった。

「――――あれ?」

 この時宗次郎は、地面で小さく、尚且つ赤く光るモノを、見つけた。思わず拾い上げてみる。どうやら指輪のようだった。

 赤い宝石を装着した、綺麗な指輪だ。

「何だろうこれ?」

「なあにソウ、どうしたの?」

 隣にいたティファニアも、思わず駆け寄ってそれを見る。

「あ、綺麗な指輪。誰か落としたのかしら?」

「さあ。でも、誰のものか分かりませんし」

 そんな会話をしていた時だった。

 

 

「あ、いたいた。ねぇそこの蛮人たち――――」

 そう言いながらやってくるのは、ルクシャナとアリィー。二人のエルフ。

 ティファニアは思わず、宗次郎の背中に隠れた。戦の途中は余裕がなくてそこまで気を回せなかったけど、よくよく考えれば彼らは自分を攫いに来たと公言していた。攫った後の処遇のことも……。

 一方のアリィーは、何と無しで宗次郎たちに声をかけたようであるが、彼が持っている指輪を見て。思わず息をのんだ。

 

「――――その指輪、まさか……」

「やっぱりそうよね。アリィー……」

 

 アリィーはそう言って近づいてくる。そして目を見開かせた。

 宗次郎たちは気付いていなかったが、この指輪には得体のしれない魔力が漂っている。恐らく始祖由来の力だ。

 統領テュリュークが言っていた、『四の四』の力の一つなのだろう。それを今、宗次郎が持っている。

「知っているんですか?」

「――――っ!!?」

 宗次郎はそんな呆けたような口調で聞いてくる。なんなら自分が落としたものじゃないのか? そんなことまで考えているようだった。

 ごくりとつばを飲み込んだ。アリィーは一瞬、ルクシャナを見て、再び宗次郎に視線を移し……そして言った。

 

 

「その指輪、ぼくにくれないか?」

 

 

 そう言いつつも、どうせ渡してはくれないだろう。これは始祖由来の指輪だ。始祖の力により呼び出された者が、素直にくれるとは思えない。

 そうなった場合、実力行使になるか。……彼相手に、勝てるだろうか。

深淵の如き不安を抱えながらも、ここで退くわけにはいかない。アリィーは静かに臨戦態勢を取ろうとした時だった。

 

「はい。いいですよ」

 

「――――えっ?」

 宗次郎はそう言って、未だ呆気にとられるアリィーに向かって、指輪を投げ渡した。

 あまりの出来事に呆然としてしまい、思わず落としそうになるアリィーに代わり、ルクシャナが手を伸ばして受け取った。

「え、いいの?」

 ルクシャナもまた、すこし呆けたような感じで聞き返した。しかし、宗次郎はあっけらかんとした様子で、

「良いも何も、僕は落ちてたのを拾っただけですし。ねえ」

「うん、そうね。ソウ」

 ティファニアもまた、そんなことを言った。悪魔の担い手の筈なのに、何も知らないのか?

 思わずそんなことを考えてしまうが、渡してくれた宗次郎とティファニア。二人の目は特に騙すような面持ちすら見られない。

「そう、か……。いいのか……」

 アリィーはそう言いながら、ルクシャナから受け取った指輪……『火のルビー』を受け取って、夜空に翳した。

 これで、遂に自分がこのアルビオンに来た任務を、こなしたことになる。

「――――では、確かに貰うぞ」

 そう言って、アリィーは『火のルビー』を高々と投げた。

 そして小声で呪文を呟く。やがて、それに惹かれるかのように一羽の鷹が、宙に浮いた指輪を掴んで、そのまま去っていった。

 

「これで、ようやく終わったな」

「……そうね」

 

 二人のエルフは、同時に嘆息した。アルビオンから来てからこっち、様々なことがあった。死ぬかもしれないと思ったこともあった。

 そんな中、ようやくして任務を達成することができた。しかし、彼らの胸中に思ったことは、(これでよかったのか?)だった。

 何故そう思うのかは、分からない。だが、少し疲れた眼で、アリィーはティファニアをも見る。

 

「あ、あの……大丈夫なの?」

「ああ。――――もう安心しろ。これでお前を攫う必要も、なくなった」

「え? どうして……」

 

 それを聞いて、ティファニアは口元を抑えた。宗次郎もまた、きょとんとしてエルフの青年を見る。

 

「そもそも、何でテファを攫うってことになったんです?」

「『悪魔の門』が、いや……お前たちには関係はない」

 

 だが、と、アリィーは続ける。

 

「お前の代わりになるモノがあの指輪だった。それだけのことだ」

「?」「へぇー」二人は、とりあえず頷いた。

 正直、良く分からなかったが、少なくとも攫われることはなくなったようで、ティファニアも安どのため息をつく。

 

「ねえねえそれよりさあ! あなたもしかして、ハーフエルフ?」

「え?」

 

 と、今度はルクシャナが興味を持った眼でティファニアに迫った。

 

「目の形が、蛮人とちょっと似ているのよ。蛮人の世界にエルフがいるってのも驚きだけど」

「成程、ハーフか。通りでぼくたちとはどこか毛色が違うわけだ」

 アリィーは瞑目した。ここにイドリスやマッダーフがいないのは、良かったのか悪かったのか……。

 大半のエルフにとって、蛮人との混血のエルフは忌むべき生き物の象徴だ。自分達の血が汚されるような気持ちになるのだろう。流石にもう、アリィーはそんなことで彼女を嫌悪する気はないが。

 この一夜で行われた様々な戦いが、彼の意識を大きく変えたのだった。

 

「あなたにはたくさん聞きたいのよ。蛮人たちとどうやって暮らしてたの? 魔法は? 蛮人の魔法も精霊の力も、あなたは両方使えるの?」

「え、えと……その……」

「ああ。わたしはルクシャナ。こっちは婚約者のアリィー。よろしくね。――で、あなたが……」

「僕ですか? 瀬田宗次郎です。よろしくお願いします」

「不思議な名前ね。まあいいわ。わたしね、蛮人や歴史を研究している学者なのよ。だから、あなたたちのこと、もっと知りたいのよ!!」

 

 きゃいきゃい言いながら、年甲斐もなくはしゃぐルクシャナ。それを遠い目で見ていたアリィーは、優しく婚約者の肩を叩いた。

「とにかく、一旦彼らとも合流するぞ。どうせきみも、まだ『砂漠(ネフテス)』に帰る気はないのだろう?」

「あったり前じゃない!! わたしの研究はこれから始まるのよ!!」

 元気のいい声で、ルクシャナは叫んだ。

 アリィーは少しやれやれと肩を竦めながらも、口元に薄っすらと微笑みを浮かべた。

 

 

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