チェレンヌ邸襲撃からその後、さらに時間が経過した。
刃衛達による強襲が再度やってこないか、引き続き剣心達は警戒していたが、結果的にはそういうこともなく終わった。
朝日が昇る頃になって、もう厳重警護を解いても良さそうだと判断したアニエスは、そのまま剣心とタバサ、そしてシルフィードを連れ、一度王宮へと戻る事となった。
「ここで待機してくれ」
王宮の応接室に案内された剣心達は、アニエスにそう言われ、そこで待つことになった。剣心は目を閉じて座して待ち、タバサは本を読んで暇を潰す中、それを見かねたシルフィードはきゅいきゅい喚いた。
「ねえ、折角お近づきになれたんだし、もっと話に花を咲かせてもいいんじゃないのね?」
どうやら、全然会話しない二人を見て業を煮やしたらしい。前々から剣心の事は気にかけていたシルフィードにとって、これは二人を近づける絶好の機会だと思ったのだ。
(あんなミイラ男なんかより、こっちのおちびの方がずっとお姉さまを任せられるのね)
それなら、と剣心はタバサではなくシルフィードをまじまじと見つめた。
「そう言えばイルククゥ殿。お主とはどうにも初めましてという気がしないのでござるが、どこかでお会いしなかったでござるか?」
それを聞いてギクッ、とシルフィードは体を仰け反らせる。そうだ、このおちび、すっごく鋭いのを忘れていた。
先ほどとは一転、冷や汗をだらだら流しながらシルフィードは首を振る。
「べ、べべつにそそそんな事はははないのねね。気のせいなのね」
「それともう一つ、シルフィードは? てっきりイルククゥ殿と一緒に来るものだと思ったでござるが……」
またまたギクッ、とシルフィードは仰け反らせた。ここで無意識にタバサの方を見るが、彼女は我関せずといった体で本を読んでいる。
そんなわけで、この回答にはシルフィード本人が答えるしかない。
「えっと、シルフィードは今忙しいのね。重大な使命を思い出したって、この前言ってたのね」
「見苦しくねえか、その言い訳」
今度はデルフが口を挟む。そして暫く静寂が訪れた。
どう言い繕うか、う~~ん……と頭を悩ませるシルフィードに、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。シルフィードはもう機転を効かせたかのような表情で扉を指さす。
「あっ、アニエスさんが来たんじゃないのね?」
シルフィードの言葉は正解だった。アニエスは扉を開け、恭しい態度で奥にいる人物を部屋に招き入れる。やがて、その人物――アンリエッタが部屋に入ってきた。
「お久しぶりですわ。ルイズの使い魔さん」
アンリエッタはまず初めにそう言って、優雅に会釈した。
「此度の活躍の報、アニエスから聞いております。あなたには本当にお世話になりっぱなしですわね」
優しい笑みを浮かべてお礼を述べたアンリエッタは、今度はタバサ達の方に目を向ける。
「あなたは確かあの時の……、ルイズのお友達の方ですわね。あなたにも重ね重ね、お礼の方を申し上げます」
一国の女王陛下が、わざわざお礼を言いに来る。それはこの国の貴族から見ればなんとも羨む光景であろう。
とはいえ、お礼を受ける二人はそもそもこの国の人間ですらないので、変に畏まったりはしていないのだが。
アンリエッタもそこは気にせず、やがてタバサを見てふと思ったことを口にした。
「あの……ところで、あなたは何者なのでしょうか? その制服から学生とお見受けいたしますが、トリステインの人ではありませんよね? ガリアから来た方ですか?」
一方、それを聞いたタバサは静かに本を閉じ、そして女王ではなくアニエスの方を向いて言った。
「素性は聞かないはず」
「それはそうですが……せめて十分なお礼をしたいのです。ご家族の方にも、大変名誉なことをしたのだとわたくしから申し上げたいのですが……」
「そんな人はいない」
タバサは冷淡にそう告げる。その目には一切の色が消え失せていた。
尋常じゃない雰囲気に一瞬呑まれかけたアンリエッタは、何か事情があるのだろうと思い、それ以上の追求を止める。
「分かりました。ではあなたには約束通り報酬の方を支払いましょう」
アンリエッタは小さくため息をついてそう言った。本当はもっと色々とお礼をしたかったのではあるが、この国の人間ではない上に明確な家柄も分からぬ以上、ここまでがしてあげられる限界であった。
悲しそうな顔をしたアンリエッタは、再び剣心の方へと向き直る。
「あなたにも、出来れば十分なお礼を差し上げたいのですが……、やはり受け取っては下さらないのですか?」
「拙者も、特に必要ないでござるよ」
剣心はニッコリと微笑えんで答える。やるせなさそうにアンリエッタはこう続けた。
「本当ならば、あなたにはこの国の貴族になる資格だってあるのですよ。昨今の上流階級の人達に比べれば、あなたが成した事には、それだけの価値があるのです」
しかし、剣心の意思は変わらず。静かに首を横に振って言った。
「拙者は只の流浪人で使い魔。それ以上のものなど望まぬ。望むとすれば、早くこの国にも本当の平和が訪れて欲しい、それだけでござるよ」
「……耳が痛いお言葉ですわ」
アンリエッタは、剣心の笑顔に眩しさを覚えた。今、彼のようにこの国の行く末を考えている人はどのくらいいるのだろう。そう思うとやり切れなくなる。
心の底に溜まっていく暗い感情を振り切るように、アンリエッタは話題を変えた。
「あぁそうそう。ルイズは今、どうしています? 無茶な頼みだとは分かってはいますが、今はあの子やあなた達くらいしか頼れる人がいないから……」
剣心はそれを聞いて言葉を詰まらせた。まさか貰った資金全部すって働いているなんて、とてもじゃないが言えない。
「あの子から、任務報告の手紙などは受け取るのですが、何分せっかちなところがあるから心配で……」
「ま、まあ大丈夫でござるよ」
取り敢えず、剣心はそう言うしか無かった。それでも少しは安心したのか、アンリエッタは胸を撫で下ろした。
「あなたがそう仰るのなら、きっと大丈夫なのでしょうね」
するとここでアニエスが、そろそろ本題の方を……とアンリエッタに促した。
「そうね」と、それに頷いたアンリエッタは、今度は厳粛な表情で剣心達に向き直った。
「それでは、あなた達をお呼びした
剣心は話した。黒笠の正体、心の一方について。そしてこれまでの経緯、そのあらましを。
心の一方の能力を聞いたアンリエッタは、俄かには信じがたいような表情をした。
「目で睨むだけで相手の動きを止める? でもそんな魔法、聞いたことも……」
「確かにそのお気持ちは分かりますが、私も一度喰らいこの身に体験いたしました。ですので、この話は本当です」
アニエスが剣心の話を、体験談を交えてそう補足する。
「そもそもあれは魔法じゃない。体技、剣技の一つ」
タバサも女王に顔を上げてそう報告する。
「先住魔法ですらないと? そんな技があるのですか? その、あなたがいた国には――」
ここでアンリエッタは剣心に目を向ける。剣心は何も言わず、只深く頷いた。
相手を金縛りにするという体技。魔法とは全く別ベクトルの技術。
ある意味、先住魔法より恐ろしいものなんじゃないかと、この時アンリエッタは強く感じていた。
そしてそれは、同じハルケギニアの人間であるアニエスやタバサも、同様であった。
考えをまとめたアンリエッタは、やがて嘆息と共にやるせない言葉を吐く。
「そんな未知の技術が相手では、いくらメイジを投入しても勝てないはずですわ」
「けど、見た感じ刃衛の他にも協力者はいる。それだけは確かでござる」
剣心は更にそう付け加える。よくよく考えれば幾ら強いとは言え、全くの異国の地で、正体を隠し通す事は刃衛にだって不可能に近い。
恐らく、暗殺を補助する協力者や、事前に情報を与える内通者がいて、それで初めて成り立つはず。
協力者は、最後にやって来たあの大柄の男……がそれにあたるだろう。あの男が内通者も兼ねているのか、それと他にも別の人間がいるのか。そこまでが剣心の推理だった。
内通者……と聞いて、アンリエッタは少し心当たりがありそうな表情をした。
「分かりました。貴重な情報どうもありがとうございます。今の今までこういった話すら出てこなかったものですから」
アンリエッタは再度会釈すると、今度は自分たち以外誰も見てないか辺りを見回し、確認する。
「つきましてはお願いが。厚かましいことは承知しておりますが、出来れば引き続き依頼の継続をお願いしてもよろしいでしょうか? 今は身内でさえ頼れる人が余りいないもので……」
そう言って、まず最初にタバサの目を見て尋ねた。青髪の少女はアンリエッタの懇願の目を前にしても、相変わらずの無表情で通していたが、やがてゆっくりと首を縦に振った。。
「……この事件に関することであれば、わたしは別に」
それを聞いたアンリエッタは、嬉しそうに頬を緩ませた。
「ありがとう。わたくしにはもう、あなた達以外に魔法を使う者が信用できませんの……」
寂しそうな表情をして、そう続ける。
やがてアンリエッタは顔を上げると、にこやかな笑顔を浮かべてタバサとシルフィードにこう告げた。
「お疲れでしょう? 今夜は忙しかったですから、もうお休みになって下さいな。聞きたいことがあれば、アニエスが相手を致しますので」
「きゅい、わたしも疲れたのね。早く帰って一眠りしたいのね……」
ここでシルフィードが、眠そうに目をゴシゴシとこすった。タバサも小さく欠伸をすると、フラフラと立ち上がって、そのまま部屋を出た。
無理もない。幾ら強いとは言えまだ子供だ。丸一日起きているのは精神的にもかなり辛かったはず。
タバサとシルフィードが、アニエスに連れられて退室するのを見届けると、剣心は改めてアンリエッタの方を向いた。
「姫殿……じゃなくて女王陛下でござるか。実はここで話しておきたいことがあるでござるが」
「アンリエッタで大丈夫ですわ。何なら縮めて『アン』とお呼びしてもよろしいですわ」
努めてニッコリと微笑みながら、アンリエッタはそう言った。彼女もこの時間まで起きているのは、心身共に辛いのは剣心も察している。
本当はこんな時間に話すことではないのかもしれない。
けど、話さなくてはいけない。これを逃したら、また何時話せる機会があるか……少なくとも、この国の上に立つアンリエッタには、ちゃんと話しておかなければならない。
そうこうする内、タバサ達を見送ってきたアニエスが帰ってきた。アンリエッタは剣心の表情を見て、小さくため息をこぼしながらソファに腰掛けた。
「まだ何か、お話することが?」
「タルブ戦後の時は、色々あって話せなかったでござるが……この国の未来に関わる重要な事ゆえ、今伝えておきたいのでござるよ」
アンリエッタは、それを聞いて覚悟を決めたかのように小さく目を瞑った。
「分かりました。詳しくお聞かせください」
「それと、この話をするにあたって少し信じられないような内容も含まれているでござるが、それでも信じて聞いてくれるでござるか?」
「異世界とかのことですか? でしたらオールド・オスマンに少しお聞き致しましたし、それにもう、ここまで来て滅多なことでは驚いたりしませんわ。どうぞ、お話ください」
それを聞いて、剣心はゆっくりと口を開いた。
「シシオ・マコト……」
数十分後、話を聞いたアンリエッタはそう呟いた。
「その人が、此度の戦いの元凶だと……?」
剣心は、コクリと頷いた。その目には昔の情景の炎が宿っていた。
志々雄真実。
かつて幕末の頃、剣心がまだ人斬り抜刀斎であった頃……。影の人斬りを受け継いだもう一人の暗殺者。
そして最終的に、己の剣と信念を、死の淵ギリギリまで交え合った男だった。
何故奴が生きてこの世界にいるのかは分からないが、あの時見せつけてきた野望と信念は今でも変わってはいなかった。恐らく奴はまだ自分との決着を望んでいるのだろう。
そして、これがアンリエッタにとって重要なことであるが……、奴はいずれこの国を乗っ取りに来ること、それだけの力があることを伝えた。
「しかし、今のアルビオンの皇帝はオリヴァー・クロムウェルでは?」
「恐らく奴の配下の一人でござろう。今のレコン・キスタを本当に指揮っているのは、まず間違いなく志々雄真実でござる」
あの男が、無名のまま大人しくしているとは思えない。恐らくカモフラージュのつもりなのだろう。
決起する時まで姿を見せず、身を隠し、のらりくらりとしながらも力をため、一斉蜂起した時に、一気にその名を世界に轟かす。あの男ならそれくらいはやりかねない。
だからこそ、今の内に手は打たなければならない。そう思って、剣心はアンリエッタに話したのだった。
「……そうですか」
話を聞き終えたアンリエッタは、一旦顔を伏せた。その声は少し震えている。
それは間違いなく、怒りからくる震えであった。
(その人が、彼を……アルビオンを、あまつさえあんな事まで……)
「女王陛下?」
何かを感じた剣心が、アンリエッタの表情を伺う。しかしその前にアンリエッタは席を立った。
「どうも貴重なお話ありがとう。あなたもお疲れでしょう? 今日はゆっくり休んでくださいな」
「……済まないでござる」
一人にして欲しい。先の言葉の裏でそれを感じ取った剣心は、それ以上何も言わずに部屋を出ることにした。
アニエスと二人になったアンリエッタは、昇る太陽を窓から見つめながら尋ねた。
「例の案件、どうなりました?」
「ここに、全て記しております」
そう言ってアニエスは懐から数枚の紙を取り出し、アンリエッタに渡した。
あの夜……死体になったウェールズを操り、自身を拐かそうとした事件の時、誰が手引きをしていたのか、その詳細が書かれていた。
暫くその報告書と睨めっこしていたアンリエッタだったが、やがてそれらから目を離すと、少し項垂れた様子で再びソファに座った。
「おおよそ七万エキュー。これは彼一人の手で賄える金額ではありませんね」
「他にも、このようなものがあります」
そう言ってアニエスは、別の紙をアンリエッタに手渡す。それを見て疑問符を浮かべる。
「これは?」
「アカデミーの被害届です。何でも幾つかの貯蔵品を盗まれたとか……。時期が丁度、殺人事件が頻発に起こり始めたのと重なりましたので、関連性は高いかと」
『アカデミー』の名前を聞いて、アンリエッタは尚更首をかしげた。魔法を別のベクトルで見、独自の実験を進めることで有名な機関であるが、そこでの発明品は正直、貴族から見てもガラクタ同然で見向きもされないものばかりだ。
リストの一番下、ヴァレリーという水のスクウェアメイジが作ったという『魔力を強化する秘薬』にこそ目がいったが、そこに書かれているリスク。『強大な魔力を得ると同時に精神に異常を来す』を見て、結局は使えない失敗作だとわかると、アンリエッタは見るのを止めた。
「レコン・キスタは国境を越えた貴族の連盟と聞き及びます、が」
「随分と泥棒染みたことを、今の雲の上の人たちはするのね。まあ、上に立つのがそもそも貴族ではないらしいですから、何とも皮肉な連盟ですね」
取り敢えず、これで剣心の言っていた内通者の尻尾が掴めたのだ。
「金でしょう。彼は黄金が好きな男。そのお金で祖国を……、わたくしを売ろうとしているのです」
未だに信じたくないという思いがあるが、もうそれを言っている状況でも無い。
モット伯を始め、数多の貴族を殺してきた『人斬り』。その幇助をしていたのなら、法的にも裁かなければいけない。
例え親しかった身内といえども……。
「計画の方はどうなさいます? 未だ向こうが人斬りというカードを抱えている状況では、少し……いや、かなり危険だと思われますが……」
「時間がもうありませんの。このまま泳がせておいたら逃げられる可能性が高い。当初の予定通り、明日計画に移しましょう」
「御意」
それを聞いたアニエスは、深く一礼をして退室した。一人残されたアンリエッタは、顔を俯かせながら震える声で呟いた。
「わたくしは、あの夜起こったこと全てを許しませぬ。国も、人も、全てです。ええ、決して」
アンリエッタは思い返していた。最愛の人の事を。更に無理矢理に蘇らせて、自分の恋心を弄ばれたことを……。
やがて吐き出すかのように、剣心から聞いた男の名……。一生忘れぬだろう怨敵の名を呟いた。
「……シシオ・マコトッ!」
朝日が完全に、トリスタニアの街並みを満たしていく。その光を受けながら剣心は王宮を出た。
「あっ、おちび。こっちなのね~~!」
「おろ?」
見ると、もうとっくに帰ったと思ったタバサと、シルフィードが手を振って待っていた。
「あれ、帰ったのではなかったでござるか?」
「場所が分からない」
「……学院の?」
えっ? と聞き返す剣心に、シルフィードが「違う!」と補足する。
「ほら、『みりょくのようせい』か何かだっけ? あそこにキュルキュル置いてきたからって、お姉さまそこに泊まるつもりなのね!!」
ああ、だから待っていたのか……。剣心は、そんな律儀なタバサを見て微笑んだ。
彼女なりに、キュルケのことは気にかけていたようだった。
「こっちでござるよ」
人混みで溢れ始める中、剣心とタバサ、そしてシルフィードは歩き始めた。
さて、その『みりょくのようせい』こと『魅惑の妖精』亭では…。
客もぼちぼちと店を出る中、一人机に突っ伏して飲んでいる客がいた。キュルケである。
「タバサぁ~~あんた今何処にいるのよぉ……」
普段魅力的な彼女とは程遠い姿がそこにはあった。すっかりへべれけになってしまったのか、身体はぐったりしていて悪酔いの表情が出ていた。豊満な胸は机と身体に潰れてふにゃりと零れていた。
これはこれでそそられるものがあったが、人も少なくなった今の店内では、そんな彼女に絡んでくる輩も出てこなかった。
「あんたさぁ……、一体いつまで泊まるわけ?」
呆れ顔でそう言ってくるのはルイズだった。今給仕としての仕事が終わったようであり、纏めていた髪紐をほどき、グラスや皿などを片付けている途中であったが。
あれからいつもそうだ。タバサがいなくなったあの晩から、何かにつけてキュルケはタバサを探しに行った。そして見つからないとなるとこうやって夜遅くまでヤケ酒をするのだ。
普段のキュルケなら、信頼しているタバサにそこまでしないだろう。けど軍が動き出すかもしれない緊迫した状況に、事の発端が自分とあれば、流石に放ってはおけないようであった。
「全部ツケとか言わないでよ。……ていうかあんたに奢る金なんてこれっぽっちも――」
「タバサぁ~~」
全然聞いてない。はぁ……。とルイズはため息をつく。それと同時に少し感心もした。キュルケでもこんな一面があるんだなぁと。余程タバサを大事にしているのだろう。
そんな彼女を見ていると、どうしても自分まで悲しくなってしまう。
(ケンシン……)
今何処にいるんだろう? このまま帰ってこないなんてないよね?
彼の事を思うたび、そんな想いが心中に去来してくる。
確かに剣心は強い。そして優しいし、困った事があれば全力で相談に乗ってくれる。
でも、彼は輪を作りながらも、決して『それ以上』は踏み込んではこない。まるでいつ自分が消えてもいいように……。
彼のことを考えるたび、そういった違和感についても気づき始めていたのだ。
だが、それ以上に思う事。それは……、
(どうして、こんな気持ちになるんだろ……?)
最近、彼を見るとすごい胸がドキドキするようになった。最初はそんなことはなかったのに、アルビオンで旅を経てからはその熱は芽生え、一緒に暮らすことで徐々に大きくなっていった。
それだけに彼が何も言わず、そして何も告げずにいなくなることが、ルイズにとってこれ以上ない不安にもなった。
もし自分がキュルケの立場だったら、恐らくこうやって酒を煽っていたかもしれない。そう思うと今の彼女を笑えなかった。
「けど、毎日これは止めてほしいわね。もうそろそろ上がりたいのに……」
そう言って一旦背伸びして、そろそろキュルケをどうしようか考えていた……その時だった。
コンコン、と裏口を叩く音が聞こえてくる。その音にハッとルイズは振り向いた。
慌ててパタパタと走り去るルイズの音に、キュルケも虚ろな目を開けた。
「何、どうしたの?」
キュルケもまた、ルイズの後を追っていった。それを気にすることなく、そのまま裏口のドアを開ける。
ガチャリ。という音と共に扉は開かれる。そこにいたのは……。
「……ケンシン」
「おお、ルイズ殿!」
若干懐かしむような声で、剣心は言った。考えてみれば剣心と働く時間帯が変わってから、こうやってまともに会話をするのは久しぶりだった。
何だか、急に学院で過ごしていたあの頃に戻ったようで、ルイズは思わず俯いてしまう。
「あ、ダーリン! 帰ってきたの……――」
その後ろから現れたキュルケが、剣心を見てそう言いかけたが、その隣からひょっこり現れた少女の姿に、思わず目を見開いた。
「タバサ! もう探したのよ!!」
そう言うなや否や、いきなりキュルケはタバサに抱きついた。タバサもまた、特に抵抗せずにそれを受け入れる。
「ずーっと色んなとこ回ってさ。何かあったんじゃないかと思うとさ……、本当にもう、心配したんだから……」
「……御免なさい」
抱きつきながらキュルケはポロポロと涙を零す。いつも快活な彼女がこんな風に泣きじゃくる姿を見ると、急に愛おしさがタバサの中にこみ上げてきた。
そんな二人を微笑ましげに見つめていた剣心は、ふと俯いたままのルイズを見て、困ったように頬をかいた。
(やっぱり、怒ってるんでござろうなあ……)
こうやって会話するのも久方ぶりなのだ。余り危険なことに巻き込みたくなかったから遠ざけてしまったが、ルイズの性分からすれば怒り狂っていてもおかしくなかった。
「あの、ルイズ……殿?」
「…………」
しかしルイズは俯いたまま、何も答えようとはしなかった。怒っているのか、そんなに怒っているのか?
何とも気まずそうな空気が場に流れた後、不意にルイズは剣心の顔を上げ、こう言った。
「……おかえり」
「――おろ!!?」
この言葉を聞いて誰よりも驚いたのは剣心だった。あんなに放っていたのに。最悪『爆発』の一つでも喰らう覚悟でいたからこそ、この対応に凄く疑問を覚えた。
「お、怒ってないでござるか?」
「そりゃあ、怒ってるわよ。何でわたしを放ってどっか行っちゃうのとかさ、何でタバサをそんな気にするのとかさ。色々言いたいことはあるわよ……。でも……」
ここでルイズが、今まで見せたことのないような汐らしい表情をして剣心に言った。
「あんたの顔見たら、なんか……そんなことが凄くどうでも良く感じちゃったのよ。何ていうか、帰ってきてくれたんだな……って」
ルイズも、最初は剣心に会った時には出会い頭に、『爆発』の一発でも入れてやろうかと考えていたのだが、結局剣心の笑顔を見た瞬間、怒りとかの前に嬉しさがこみ上げてきてしまった。
こうやって、また自分に向かって微笑んでくれる剣心を見ると、他のことが凄くどうでも良くなる。我ながら甘いとは思うけど、でもそれは理屈じゃないのかもしれない。
まあ、ここまで冷静でいられるのは、チェレンヌ相手に放った『爆発』で、心がすっきりしているというのもあるのだが。
「どうせ今回のことも話したくないんでしょ? 百歩……いや二百歩譲ってそこは妥協するわよ。でもね……」
ここでルイズが、いつもの調子を見せながら剣心に向かって指を突き立てた。
「わたしの許可無しに、勝手にいなくなるのだけは許さないんだからね! 分かった?」
それを受けて剣心もまた、朗らかな顔で頷いた。
「承知したでござるよ」
「……よし」
今日は、久々に剣心とルイズは一緒の時間に寝た。学園にいた時は当たり前のことだったのに、別に隣で寝ているわけでもないのに、でも、それがとてつもなく嬉しくて、ルイズは幸せそうな表情で眠りについていた。