るろうに使い魔‐ハルケギニア剣客浪漫譚‐   作:お団子

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第四十五幕『高貴な迷い猫』

 

 トリステイン国内、チクトンネ街の中央広場のすぐ近くに『タニアリージュ・ロワイヤル座』はあった。

 豪華絢爛、煌びやかな様相を呈していたこの劇場に老若男女が集い、そして一つの劇が始まろうとしていた。

 タイトルは『トリスタニアの休日』。別の国の王子と王女が恋に落ちるという、ありきたりなストーリー。しかし若い女の人には人気とのことであり、なるほど場内を占めるのはほとんどが女性であった。

 始まりを告げる音楽が奏でられ、皆が舞台の方を注目する中、それに紛れて二人の客が何やら話し込んでいた。

 一人は初老の男性。身なりからして貴族な彼の存在は、周りが女性だらけの部屋で少し浮いているような気がしないでもないが、今は始まった劇の真っ最中。誰も気に留めなかった。

 老人の貴族は、形だけでも劇を見ながら、小さな声で隣の人物に言った。

 

「ウドウ・ジンエがしくじったそうですな」

 

 鵜堂刃衛……、今トリステインに潜む、闇に蠢く暗殺者の名前……。それを口にした老人は、どこか焦ったような感じで続ける。

「この失敗でまさか、私の手びきがバレるなんてことは……」

「それはありませんよ。ジャックがちゃんと証拠になるものは片付けたそうですから」

 そう答えるのは、まだあどけなさが残る、十歳にも満たなさそうな少年だった。少年は老人とは対照的な、どこか悪戯好きそうな笑みをしていた。

「だといいのだが……、まあ私もきみたちの腕は買っている。特に奴、魔法も使えぬ雇われ傭兵の身分のくせに、中々どうして、強いのは確かだからな」

 老人は、刃衛のことを知っていた。この少年の正体も。そしてトリステインで起こっている、暗殺の真実のことも……。

「でもあなたが狩るべき標的の情報をこちらにリークしてくれたおかげで、随分やりやすい環境になっていたのも確かです」

 そんな会話の応酬が、この劇場の広場にて堂々と行われていた。

 なるほど木を隠すなら森の中、人を隠すのも人混みの中に限る。ここでなら、余程のことがない限り目をつけられるような事はない。

「でもそれもここまで。『本当の標的』が見つかった今、この失敗が潮時と言えるでしょう」

「……というと、例の『人斬り』かね?」

 老人がそう尋ねると、少年は軽く頷く。

「ええ、ですからこの暗殺劇も一旦中止。これからその『人斬り』を仕留めるのに力を注ぐ方針です」

「これで障壁はなくなるという訳ですな。まあ、あんなか弱い『お姫さま』に、この国を引っ張っていけるとはとても思えませんからな。早く侵略でも何でもして欲しいものです」

 老人のその言葉を聞いた少年は、おかしそうな感じで小さく笑った。

「あなたもどうして、中々に外道ですね。愛国心とかないんですか?」

「愛国心でお金は賄えませんよ。これから倒れる国にいつまでも媚を売っても仕方ありますまい」

 老人はそう言って、劇の様子を見やる。既に話の大半は終わりを告げ、今まさにクライマックスの場面であった。

「何せ、いずれこの国も『アルビオン』と呼ばれるようになるのですからな」

 

 

 

 

 

第四十五幕『高貴な迷い猫』

 

 

 

 

 

 その日は雨だった。

 曇天がトリステインの空を覆い、多量の水滴が街に向かって流れていく。

 雲が厚かったのは朝からであったが、降り始めたのは夕頃から。そのため外に出ていた人々は丁度、必死になってどこか雨をしのげる所はないかを探しているようだった。

「ホラ、何をボーッとしておる。早く注がんか」

「あ、はいはいただいま」

 そんな季節の雨を、店内の窓から見やりながら、ルイズは今日も酔っ払いの男共相手にあくせくと給仕に勤しんでいた。

 ジェシカに説教を受けたルイズはあの日以来、まだどこか粗野な部分はあるものの、それなりの事には我慢するようになった。

 愛嬌はないから相変わらず貰えるチップは少ないものの、それでも大きな事を起こすようなことはあまりしなくなったのだ。

「しかし、こう雨が続くと気が滅入りますわよねぇ」

「全くだ。まるで今の政治を体現するかのようだな」

 段々と接客のコツも掴むようになり、それなりに働けるようにはなったルイズは、降りしきる雨の様子を見ながら、今日も今日とて客の愚痴を聞く。

 勿論、こういった何気ない市民の声も、女王陛下に後で手紙で報告するつもりだった。

 

(あれから何日経つんだろ……)

 気が付けば、あっという間だったわね。とルイズは思った。

 姫さまから連絡が入り、身分を隠してこのトリスタニアに来た日に有り金全部を失くして、この『魅惑の妖精』亭で働くことになって。

 こうやって給仕服を着て仕事を始めたあの頃から、剣心とも離れ離れになって。イヤな事が余りにも多かったけど、こうして振り返るとまあ、それなりに良い経験だったのかなあ……。と思ったりもした。

 だけど、いつまでもずっとこうして、給仕ばかりしている訳にはいかない。今は戦の真っ只中なのだ。

 こうやって仕事で色々な客を相手にすると、否応にも戦争の話が耳に入ってくる。

 中には姫さまに対する誹謗中傷もあったりしたが、そう言った客の「生の声」もちゃんと、ルイズは報告に出していた。

 姫さまには辛いだろうが、任務だから仕方がなかった。ルイズも少し辛かった。

 だがその話によれば、もうアルビオンに戦争を仕掛ける気という事はほぼ確定のようであった。そんな時ルイズは思う。自分は「伝説の虚無の担い手」ということを。

 この力を姫さまに捧げると決心した今、自分もいずれは戦争の中に放り込まれるのだろう。死は怖くない。怖いとしたら役に立てずに死んでしまうかどうかだった。

 そんなことを考えてたルイズの前に、突如外から慌ただしい声が聞こえて来た。

 

「何、なんなの?」

「衛兵がたくさん来てるよ。怖~い」

「またあの時の事かな?」

 と口々に話し合っている給仕達を尻目に、ルイズは窓から馬を走らせる兵隊たちの喧騒を見ていた。どうやら何かを探しているようだった。

 またタバサの事について聞きにでも来たのだろうか? ルイズは一瞬そう思ったが、それにしては尋常じゃないくらい騒がしい。余程のことがあったと見るべきだった。

「何があったのかしら……?」

 気になったルイズは、好奇心を抑えられずにスカロンと衛兵達の会話を聞きに行く。そして次の瞬間、とんでもない言葉がルイズの耳に飛び込んできた。

「姫さまが、行方不明……?」

 ルイズは居てもたってもいられず雨の中、外へと駆け出した。

「ちょっと、ルイズちゃん!?」

「ルイズ! あんたどこ行くのよ!!」

 慌てふためくスカロンとジェシカの声を、置き去りにしながら。

 

 角を曲がり、忙しなく走っていく衛兵に事情を求めようとした矢先、その前を立ちはだかるように一人の少女が塞いだ。

「っ! あんたは……!」

「お久しぶり、じゃなくて一日ぶりかしらね」

 そう、昨日の夜、ルイズを助けた少女。ジャネットだった。

 

 

 今日も同じように偵察に回っていた剣心もまた、急に降り出した雨の中を走っていた。平民用の安宿が並ぶ街路樹で、雨をしのげる場所を見つけると、そこで一息ついた。

「いきなり降り出したでござるな」

「そうだな」

 濡れた服の袖を叩いて水しぶきを落としながら、剣心はパラパラと降る雨雲を見上げて考えていた。

 これからが本格的になってくるであろう、刃衛との戦いの事を。……正直奴相手に、『今の実力』でどれだけ被害を出させずにいられるか。

 今度戦うとなったら街中になるかもしれない。ここを戦の地にしてしまえば、それだけ多くの人を巻き込む結果になってしまう。

 ……いや、それだけならまだ良い方だった。

「…………」

 剣心は、己の左手に刻まれているルーンを見る。その表情はルイズには決して見せないだろう、深刻な様子だった。

 見かねたデルフが口を開く。

「相棒、そのルーンが気になるか?」

「少し……」

「そのルーン、『ガンダールヴ』ってのはな……まあ相棒も分かっていると思うが、どんな武器をも操り、達人のように振る舞えるよう強い力が刻まれている。それは内なる想いが強ければ強いほど更なる高みに押し上げようとする効果もあるんだ」

 ここでデルフが、今まで口にしなかった疑問……少しだけでも振るわれて感じた疑問を、剣心にぶつけた。

 

「相棒……、そのルーンの力を無理矢理抑え込んでいるだろ?」

 

「…………」

 黙したまま、剣心は語ろうとはしない。それを代弁するかのようにデルフは続ける。

「俺が見た感じ、相棒がまともにルーンを解放したのは、アルビオンでワルドの時とゾンビになった王子様ん時だけだ。後は財宝を取り返しに『土くれ』とやりあった時くらい……か? 何にせよそれ以外は相棒、今まで力の底上げを拒否するかのように抑えていたみたいだな。俺には分かるぜ」

 デルフの言葉に、剣心は少し考え込んでいると、不意に雨をしのいでいた屋根から出て、それから少し歩いた。

「ん? どうした相棒?」

 剣心は答えず、しばらく歩き続ける。

 ここら辺りは、人の気が少なく、廃れた店が多い。

 その誰もいない廃墟の壁を前に立つと、剣心は腰を落とし、柄に手を添える。

「――――……」

 刹那、鞘走りで加速した『神速』の抜刀術――――それを壁の手前一寸で止めるようにして放った。

 しかし次の瞬間、壁に触れていない寸止めの状態にも関わらず、壁には亀裂が走り、そして粉微塵に砕け散って大穴が開いた。

 それを冷静に見据える剣心。その左手には、使い魔の証たる『ガンダールヴ』の文字が紅く光輝いていた。

 逆刃を返さないでこの威力……、正直な所、剣心はこの与えられた力を完全に持て余していたのだった。

 剣心はルーンを使った記憶を振り返る。ギーシュとの決闘、フーケとの戦闘…当初あれは全部ルイズが絡んでいたからこそ、この力は『ルイズへの想い限定』で作用するものかと考えていたこともあった。けれどそれは違った。

 全てはアルビオンでの時。ワルドと戦う最中、ウェールズを殺された瞬間……、いや、正確にはその手前からか。自分は確かに『戻って』いた。

 

 新たに決意し、もう二度と戻らないと思っていただろう『あの頃』に、ほんの一瞬だったが…間違いなく……。

 

 あれが、剣心の中でずっと気になっていた。

 そして気づく。もしかして、このルーンは……。

「主を守るために、更なる力を与え続けようと働きかける効果があるようでござるな」

「何だ、そこまで分かってたのか」

 所謂『洗脳』の一種。常にルイズを守らせるよう作用し、その為にまだ伸びしろがあるなら、どんなことをしてでも上げてやろうと働きかける。

 それは怒り、そして悲しみなどが強ければ強いほど起こりうる現象でもあった。

 そしてその過程に、剣心は密かに一つの不安を覚えた。即ち……。

 

 

 これが原因で、また自分が『人斬り抜刀斎』に立ち戻ってしまうのではないのか。

 

 

 ルーンが光れば光るほど、『ガンダールヴ』は何故か剣心を『人斬り』の過去に戻らせようと働きかける。またいつ『あの頃』に戻ってしまうのか……、それが剣心の中での大きな不安材料になっていた。

 その力を抑えるがあまり、今の剣心の力は人誅を乗り越えた時より、大きく下がってしまっていた。本来なら、さらに強くなった今の刃衛ですら鎧袖一触なのに……である。

 ここに来てから、ルイズを無意識に避けるようになったのも、これが原因だった。その所為で彼女に寂しい思いをさせてしまっているのには申し訳思うが……こればっかりはどうしようもない。

「過去や因縁というのは、どうあっても……切っては切れぬものなのでござろうな」

 空に投げかける様に、剣心はその言葉を吐いた。壁にもたれかかり、これからどうするかを思案していた……、その時だった。

 ピチャピチャと、水溜りの地面の上を走る足音が聞こえて来た。それは段々と大きくなり、こちらに向かってきている。

 剣心がそちらの方へ顔を向けると、フードを被った人が一人、まるで何かから逃げるような感じでこちらへやって来た。

「……どうしたでござるか?」

 何となく気になった剣心は、その人物に声をかけた。その人は、ハッとした様子で剣心の声を聞くと、ゆっくりとこちらの方を向いた。

「良かった。運良く会えたみたいですわね」

 安心したように言ったその声は、剣心も聞き覚えがあった。まさか、いやでもこの声は……。

「……女王陛下?」

「今はアンとお呼びくださいな。ケンシン殿」

 声の主、アンリエッタはそう言ってフードを取ると、端正な笑みを剣心に向けた。

 

 

 

 その同時刻。アニエスはある一人の貴族を訪ねていた。

 高等法院のリッシュモンという男……。国の法律機関を動かす立場にいる男の屋敷にやって来たアニエスは、門を叩いて来訪を告げる。

 扉を開けた小姓に、アニエスは言った。

「女王陛下の銃士隊、アニエスが参ったとリッシュモン殿にお伝えください」

 小姓は、疑問に思いながらも急いでリッシュモンを呼び出しに行く。それから数分経って、小姓がアニエスを屋敷に招き入れた。

「全く、一体何事だ?」

 突然の急報に、不機嫌な様子を露わにしながらリッシュモンはアニエスを睨んだ。

 アニエスは、依然無骨な表情を変えることなく、急報の内容を知らせる。

「単刀直入に言います。陛下がお消えになりました」

「何!? かどわかされたのか!!」

 表情を一変させ、食ってかかるリッシュモンを、アニエスは宥めた。

「落ち着いてください。只今総力を挙げて調査中です。つきましては戒厳令の許可を」

「一体きみら護衛隊は何をしていたんだ? 前にもこんなことがあったじゃないか!! きみらは無能を証明するために新設されたのかね!?」

 声を震わせて、リッシュモンはアニエスに怒鳴り込んだ。それでもアニエスは淡々した口調で話を進める。

「必ずや、陛下を探し出してみせます。このアニエス、命をかける所存です」

「ならば絶対に見つけ出せ!! でなければ全員縛り首だとそう思え!!」

 リッシュモンは仕方なく、戒厳令の許可書をアニエスに渡した。

 アニエスは帰る間際……、ここで初めて怒気を含んだような声で、リッシュモンに一つ尋ねる。

「そう言えば『ダングルテールの虐殺』は、閣下が立件なさったと仄聞したのですが……」

「急にどうしたというのだ? それにあれは正当防衛だ。虐殺などと人聞きの悪い言葉を使うな」

 何を言い出すんだ、といった感じでリッシュモンは睨めつける。

「……いえ、何も」

 後ろ姿だったアニエスは、ほんの一瞬だけ殺気と恨みを篭った目をして、そのまま静かに屋敷を出た。

 

 

「ふん、あの成り上がりが」

 アニエスが帰った後、しばらくの間その扉を睨みながらリッシュモンは呟いた。

「それで、どうなのだ? 本当に陛下はかどわかされたのか?」

 独り言のように喋るリッシュモンに向かって、今度は別の声が聞こえてきた。

「いや、ジンエはまだ動いてませんし、ぼく達の標的はあくまで抜刀斎と担い手ですからね」

 それは、いつぞや劇場でリッシュモンと話していた、あの少年だった。

「成程、ではこの騒動は……」

「大胆なことをしますね。この国の姫さまは」

 クスクスと笑いながら、少年はいつの間にかリッシュモンの隣に立つ。

 リッシュモンも、最初こそ焦ったような様子だったが、この状況の真意を理解すると、鋭く歪んだように口元を広げた。

「姫さまも大きくなられて。まさかこの私にペテンをかける程に成長されるとは」

 そして直ぐ様頭の中を整理する。わざわざこのことを知らせに来たということは、既に向こう側は自分が『内通者』だという証拠でも掴んでいる筈だ。

 ふむ……。としばらく考え込んでいたリッシュモンは、ふと少年の方を向いて尋ねた。

「つきましてはダミアン殿。ここは一つ私の依頼を受けて頂くということはできないだろうか?」

「別に構いませんよ。料金はその分貰いますが」

 金の高が多ければ、その分有利な方へつく。二重依頼されれば、どちらも最低限の事はこなす。今のところダミアンという少年はそう考えていた。

「何、そんな難しいことでも今の依頼をひっくり返すようなことでもありませぬ」

 そう前置きしながら、リッシュモンは話を続ける。

「私の悪事が露見した以上、もうこの国に私の居場所は無いでしょう。元よりこの国を捨てるつもりでしたのでその事に未練はありませんが……。しかしこの屈辱を晴らせぬままおめおめと引き下がるというのも些か不愉快というもの」

 凶悪な笑みをリッシュモンは浮かべながら、ダミアンは更にこう告げる。

「そこで、アルビオンが失敗した誘拐事件というのを……、いっその事私の手で叶えてあげようと考えましてね」

「まあ、それくらいなら構いませんよ。しかしあなたはつくづく外道ですね」

 最期の最期でこの国の女王を拉致するといった言動を聞いて、ダミアンが可笑しそうに笑ったが、リッシュモンはいえいえ、とばかりに手を振った。

「最後に姫さまには痛い目に遭ってもらおうと思うのですよ。世の中そうそう自分の思い通りにはならない、ということを身をもって教えてあげようと……ね。これも親心というものです」

 

 

 

「御免なさいね。いきなり巻き込んでしまって」

「いや、拙者は別に構わないでござるが」

 雨の中、傘をさしながら二人の男女が街を歩いている。剣心と……街娘のような格好をしたアンリエッタだ。

 そんな二人の耳には、ひっきりなしに衛兵が駆けずり回る足音が聞こえる。皆隣にいるアンリエッタ女王を探し出そうと躍起になっているのだった。

 どうにも事情があるのだろう、と踏んだ剣心は、取り敢えず一旦寝床にしている『魅惑の妖精』亭に戻り(ルイズとはすれ違う形になった)そこでルイズが着ていた服の一着を拝借していた。

(勝手に持っていってもいいのでござろうか?)

 無論黙って持っていくのは気が引けたのだが、何故かアンリエッタはルイズにも今の状況を話すことを嫌がったようなので、渋々無断で借りることになった。

「…きついですわね」

 この時剣心は、目の前でいきなり脱ぎだしたアンリエッタを見て、この国の人間は上からしてこうなのか……、と心中で少し嘆いたりもした。

(だから女子としての恥じらいをだな……)

「何か言いました?」

「……いや何も」

 諦観染みた口調で呟く剣心を他所に、アンリエッタははだけた感じが残る服を着こなし、髪を一括りに束ねた。

 こうやってみると確かに、今目の前にいるのは高貴な雰囲気を漂わせる女王陛下ではなく、一人の元気そうな女学生に見えていた。

 その後は、誰にも見つからないように再び裏口から外に出たというわけである。

 

 

「それで、そろそろ理由を話して欲しいのでござるが」

 雨をしのげる屋根を見つけ、そこで二人佇むようにして立っていた中、剣心が話を切り出した。

 それでもすぐには答えず、アンリエッタは子猫のように身体を少し震わせて剣心に寄り添った。

「すみません。あの日から、どうにも雨は苦手で……」

 あの日……ふと数週間前に起こった出来事を思い出し、剣心は雨雲を見上げた。

「ウェールズ殿と約束したでござるからな。陛下殿を危険な目に遭わせないようにと。それなのに一体何故陛下殿自ら…」

「『内通者』が割れましたの。炙り出すその間、あなたに護衛を頼みたくて」

 アンリエッタの言葉に、剣心はハッとする。まさかそのためにわざわざ一人で?

「危険でござるよ。この国には刃衛もいる、それにまだ他の内通者がいないとも限らないのに……」

「安全な場所なんて、今の王宮にはありませんわ。皆自分の保身ばっかり……。わたくしには…あなたくらいしか頼りになる人を知りません」

 そう言って、強く剣心の腕の裾をギュッと握る。それは一国の女王とは思えない程、儚げで寂しげだった。

「あの時仰ってましたわね。あなたは……か弱い人々のために剣を振るっていると」

 震えて、それでいて細い声で、アンリエッタは呟いた。

「是非教えてくださいまし。あなたは、わたくしがどう見えているのですか……?」

 戦争を起こす愚かさ、それはアンリエッタだって人並みには分かっている。でも、この戦争だけは避けては通れないことも、そうしなければいずれ国が滅んでしまうことも重々承知していた。

 でもそれは、結局のところ建前なのかもしれない。こうやって自分から攻めてやろうと考えているのは、つまるところ……許せないからであった。

 最愛の恋人を奪い、あまつさえ死体を操り自分の恋心を陵辱したあいつらが、どうしても憎いから。

 そして、その為だけに戦争に……死地へと駆り出される兵士達を思うと、今度は罪の意識に苛まれた。

「私怨の為に、多くの人を死に追いやる……いえ、追いやってしまったわたくしは、あなたの目にはどう映っているのですか?」

「そうでござるな……」

 剣心は、上から降りしきる雨を見て、呟くように言った。

「戦争は嫌い。と口で言うのは簡単ではござる。けど結局のところ、戦いというのは起こるべくして起こる。それを止めるというのは、難しいものでござるよ」

 アンリエッタは私怨を口にしてはいるが……結局のところ、彼女が戦争を起こそうが起こすまいが、志々雄はいずれこの国を獲りに動き出すことだろう。それは決して揺るぎようのない事実だった。

 京都の時は、まだ本格的な奮起の前に静めることが出来たが、この世界では状況も勝手も違う。……否、あの時だって一歩間違えば京都は焼かれ、東京は襲撃され、そして日本全体を巻き込む内乱になってもおかしくはなかったのだ。

 

 もはや戦いは、避けられない。『幕末』や『戊辰』が起こるべくして起こったように…。

 

「あなたの世界でも、やはり戦争がおありでしたの?」

 ウェールズとの邂逅の時、新時代を目指して戦ったという彼の話を思い出しながら、アンリエッタは尋ねた。

 剣心は、アンリエッタから離れ、雨の中を濡れるのを承知で歩いていく。遠くで見るアンリエッタは、まるで彼がわざと雨に打たれているように見えた。

 そんな剣心は、ただ哀愁漂う目で、止まぬ雨雲を見上げている。

「人斬りとなって、動乱の渦中に身を投じて、多くの人を斬って……。それが間違いと気づいた時には、もう引き返せなかった。けど…」

 剣心は、顔をアンリエッタの方に戻し、屹然とした態度で告げる。

「少なくとも、幕末……。あの渦中にいた者は皆命をかけて日本を変えようとしていた。無論それを理由に自分のした行為を正当化する気はないでござるが……。それでも平和のため、未来のため、そしてその先にある幸せを願い、人生を懸けて剣を取った」

 その力強い声に、アンリエッタは一瞬竦んだ。何というか……、彼の語る言葉と眼から、その戦いはただ「悲惨」だっただけではない。お互い譲れない「何か」を含んでいたように感じたからだ。

 それを聞いて、アンリエッタは益々落胆するように顔を下げる。自分の起こす戦争と、彼等が乗り越えてきた戦争とを比較すれば、その気持ちもまた当然であった。

「わたくしは……、やはり許されない人間なのでしょうね」

「もう止まらないでござるか?」

「止められませんわ。動き出してしまったのですもの」

 今更、自分が行おうとしていることを取り消すことなんてできない。只でさえ一度大体的に侵略を許してしまっているのだ。こちらから攻め込むことに未だ反発する人々も少なくはないが、それでも皆自分の言葉を受け止めて命を預けてくれる。そんな事態にまでなって、取り消しなんて出来ようはずもない。

「わたくしはどうすればいいのでしょうか? この身が業火で焼かれればいいのでしょうか? それでもわたくしは……」

 ただ、自分はどうすればいいのか、うわ言のように呟く。

 暫くして……やがてゆっくりと剣心は言ったのだった。

「今言ったことと同じでござるよ。陛下殿に命を預けてくれる人々も、恐らくは待っている人々のため、平和のある未来のために命を懸ける。なればこそ、その想いは決して軽んじてはいけぬでござる」

 アンリエッタは、思わず顔を上げる。そこには、いつもの優しい笑顔で微笑む剣心の姿があった。

 思わずアンリエッタは、その微笑みにウェールズの姿を重ねる。

「これはウェールズ殿にも言った言葉でござるが、自分がどんなに許されざる人間だろうと、それを自覚していても……『己の命と生きる希望だけは決して捨ててはならぬ』」

 ウェールズ、と聞いて、アンリエッタは少し驚いたような顔をした。それでも今は何も言わずに、剣心の言葉の続きを待つ。

「拙者も昔は同じ考えだった。多くの命を殺めてしまった、だから何時死んでも構わないと思っていた。それが当然あるべき罪だと……、そう思っていた。けど、それは結局自分の生き方に目を伏せているだけ。死を隠れ蓑にして本当の事から逃げているだけでござる。本当に彼らの気持ちを受け止めるのであれば、その先を生きて安らかな平和の時代が訪れる様、懸命に努力する。それが散っていった彼等に対するせめてもの償いになると、拙者は信じているでござるよ」

「そんな事で、本当に……」

 罪を償えるのか?

 アンリエッタはそう言おうと口をつぐんで……それを慌てて飲み込んだ。自分がそれを言ってしまえば、それは今もなお戦っている彼の生き様、その全てを否定してしまうことになる。

 彼は、自分と違って罪から逃げずに戦い続けている。そんな彼に向かって、物申すことなんて出来るはずもない。

「王ともなれば、選択する苦渋も非難される辛酸も人一倍多いでござろう。けど戦い終わって、それが間違いだと気づいて……己の命を軽んずるようなことがあっても……それでも決して、生きることだけは捨ててはならぬ。それこそ、戦いに赴く彼らに対する侮辱でござるよ」

「わたくしに、それができるでしょうか?」

「無論、拙者もその手伝いはするでござるよ」

 相変わらずのにこやかな表情。それにアンリエッタの心は小さな火が灯るのを感じた。ずっと求めていた、自分が一番飢えていた光……『優しさ』という名の灯火を。

 それでも、この国の人間ではない剣心に対して、アンリエッタは首を振った。

「そんな、あなたは関係ないのですよ。これはわたくしが起こす戦争なのですから」

「それでも、この剣の届く範囲であれば、目に映る人々であれば、なんとか守れると思うでござるし、それに……」

 トクン、と鼓動が脈を打つ。駄目だ……もう止まらない。アンリエッタは剣心の言葉を待つ。

 

「少しだけでも、アンリエッタ殿の負担を減らすことができると思うでござるよ」

 

 多少の悲哀を混じらせながらも、努めて優しい笑顔を、剣心はアンリエッタに向けた。その姿は……どこか彼の姿と重ならせる。

(ウェールズさま……)

 もう会うこともないだろう、湖で永久の愛を誓うことができなかった最愛の人と、剣心の今の笑顔が。

(あなたは優しすぎる。あの人を、思い出してしまうくらいに……)

 まだあどけない少女だった頃、気遣う時やおどけた時、慰めてくれた時に自分に向けてくれたあの人の笑顔。

 もう思い出すこともないだろうと、考えていたのに……。それでも彼の笑顔に、アンリエッタは失いつつあった心の中に火が灯るのを覚えた。

 この人に、思いきり抱きつきたいと……。

「あの……」

「ん?」

 無意識にアンリエッタは、彼に縋るように身を寄せようとした。その時だった。

 

「―――――っ!!?」

 突如現れた殺気を一早く察知した剣心は、アンリエッタを素早く抱き寄せその場を離れる。その直ぐ後に、巨木をそのまま叩きつけたかのような衝撃音が、アンリエッタの耳を叩いた。

 突然の襲撃。剣心は素早く辺りを見渡し、相手の正体を探った。

「へえ、よく避けたね。上手く気配は消したつもりだったんだけどなあ」

 声の主は、不意打ちで仕留められなかったことに対して、驚きと感心が入り混じった感じで剣心達を見つめた。

 相手は、十代半ばに見える少年だった。

 手には鞭のようなしなる杖を持ち、その目は新しいオモチャを見つけたような、楽しそうな表情を浮かべていた。

「確認するけど、きみが『人斬り抜刀斎』でいいのかな?」

「お主は何者でござる?」

 アンリエッタを片腕で抱えながら、剣心は鋭い目線で少年を睨む。

 対して少年は、そんな剣心の表情を意に介さず、彼の言葉を、さっきの質問の『肯定』ととった。

「まあ、きみを殺しに来た。とだけ伝えとこうかな」

「あなた、もしやアルビオンからの!?」

 先程とは表情を一変させ、アンリエッタが身を乗り出して叫ぶ。

 それに対し、少年はどこか考えるような仕草をした。

「あれぇ、どうだろ。雇われただけだから厳密には違う……あ、でも殺しに来てる時点で刺客と呼ばれても仕方ないかな。う~~ん、どっちだと思う?」

「ふざけているの、堂々と殺すと公言しておいて!!!」

 彼の飄々とした態度が気に障ったのか、アンリエッタが語気を強めて少年に杖を向ける。

 それを見た少年は、おどけた感じで手を振った。

「やめてくれ。ぼくは他の人間に手出しをする気はないんだ。また兄さん達に叱られる!」

「だからって、わたくしがみすみす手をこまねくとお思いになって?」

 王族らしい毅然とした振る舞いをもって、アンリエッタは油断なく杖を構えた。

 しかし、それを遮るように剣心が一歩、彼女の前に出た。

「大丈夫でござるよ。アンリエッタ殿」

「ケンシン殿。けど……」

「相手は拙者だけを狙っている。その中をアンリエッタ殿が自ら突っ込む道理はござらんよ」

 そう言って、剣心はアンリエッタを下がらせた。そして、今度は鋭い視線でもって少年と対峙する。

「拙者、人から狙われて当然の身の上ではござるが、それでも謂れ無き理由で命をくれてやる気は毛頭ござらん。まずはワケをお聞かせ願おう」

「ワケ……ねぇ」

 少年は一瞬、話そうか迷っていたようだが……、それとは別に何かを思い出したのか、慌てて首を振る。

「あ~駄目駄目。余計なことは話すなって兄さん達がいっつも言っているからね。取り敢えず、大人しくしてくれれば楽にヴァルハラへと送ってあげるよ」

(兄弟? 他にも刺客が?)

 少年が発した言葉から様々な推測を立てる剣心だったが、話は終わりだと言わんばかりに向こうが構えを取ったので、一旦思考は中断する。

 今は、あの少年をどうやって退けるかだ。

「まあでも名前だけは名乗ってあげるよ。ぼくはドゥドゥー。君を殺す、男の名前さ」

 そう言ってドゥドゥーは、まるでゲームを楽しむ子供のような目つきで剣心を挑発した。

「きみも強いんだろ? 話は聞いてるさ。是非見せてくれよ。『人斬り』と呼ばれ、そしてこっちでは『メイジ殺し』と呼ばれるその剣をね」

 貴族が決闘でよくするお辞儀を、格好だけでもし終えたドゥドゥーを見て、剣心も迎え撃つべく逆刃刀の鯉口を切った。

「でさ、もしきみに勝ったら、今度からぼくが代わりに『人斬り抜刀斎』を名乗ってもいいかい? 何かカッコいいじゃん。その名前気に入っちゃってさ」

 異世界だからこそ知らない抜刀斎という名の重みを、それでも全く察しようとはしない面持ちでドゥドゥーはそう尋ねる。

 剣心は、それに対し憮然とした態度で返すのだった。

「抜刀斎の名に未練も愛着もないが、それでもお主のような輩には譲れんよ。――人斬りの意味を考えぬお主には……な」

 




まとめwikiを確認すると、投稿したのが丁度ここまでだったようですね。
あれから長々とお待たせし、申し訳ございませんでした。週一投稿はまだしばらく継続します。

引き続き、本編を楽しんで頂ければと思います。よろしくお願いします。
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