「いつまで逃げる気だい、もう覚悟を決めなよ!」
アルビオンの刺客ドゥドゥーが、鞭のような杖をしならせ迫ってくる最中。
剣心は、それをアンリエッタを抱えた状態で避けると、そのまま一目散へと逃げていったのだ。
これにはドゥドゥーも面食らったが、そこで姿を見失うほど伊達に裏世界を生きていない。
ドゥドゥーもまた、人間とは思えないほどの身体能力で剣心に追いついていった。
「おい相棒! このままじゃ追いつかれるぞ!」
デルフが剣心に向かって警告する。
「もう少しでござる!」
剣心もそう返して、速さを少しつり上げた。
やがて細い街路樹から、少し開け離れた広場へとやって来る。幸いにも人気のない無人の空間がそこにはあった。
その中央へ剣心は着地すると、逃げるのをやめてアンリエッタから離れ、そして追いついてきたドゥドゥーと改めて対峙した。
「まったく、逃げるだなんてつれないじゃないか。せめて抵抗の一つでもして欲しいもんだね」
ニヤニヤした笑みを隠そうともせずに、ドゥドゥーは杖を掲げてみせた。まるで戦いをお遊びか何かと勘違いしているかのような、そんな表情だった。
瞬間、鞭の形態をした杖は、膨大な魔力が送られ、大木とも形容すべき大きさへとなっていく。
「あれは『ブレイド』!? そんな、ここまで大きいなんて……」
隣ではアンリエッタが驚きの表情で、その巨木の鞭を見ていた。
杖に刃の光を灯らせる魔法。『ブレイド』。
普通のメイジなら、例えスクウェアクラスであってもこうまで巨大なものを作り上げることは、まず出来ない。
「きみたちは、メイジの光の部分しか知らないだろ」
自慢するかのような口調で、ドゥドゥーは話しかけてきた。
「教えてあげるよ。何故メイジが六千年もの間君臨してきたか、その理由を。純粋に足せる系統の数じゃ絶対に越えられない壁を、『メイジ殺し』と名のついたきみにね」
刹那、ドゥドゥーは巨大な『ブレイド』のかかった杖を振り下ろした。
アンリエッタを後ろに下がらせた剣心は、その圧倒的な迫力を目の前にしても臆さず、それを冷静に躱す。
ドゴン!! と強力な衝撃波と共に、叩きつけられた地面には大きな跡を残した。
「どうだい! 当たったら君でもひとたまりもな――――」
自慢げに話すドゥドゥーだったが、そこで一旦会話を途切らせる。刹那の拍子で剣心が、一気に懐にまで接近してきたからだ。
しかし――。
「よっ、と!!」
神速の接近からの、更に神速の抜刀術を、ドゥドゥーは身軽に飛んで避ける。
ドゥドゥーは、眼下で刀を振り上げたままのポーズで固まっている剣心を見据え、そしてその上から、『ブレイド』を叩きつけたのだった。
「これでどうだ!!!」
再びドゴン!! と。街中に響き渡る轟音を響かせ、土や岩の破片が辺りを覆う。
「きゃっ!!」
あまりの衝撃にアンリエッタは思わず目を瞑り、ドゥドゥーは勝ち誇ったようにニタリを笑う。
「ふっ、決まったね――――」
しかし次の瞬間、頭部辺りに強烈な激痛が襲ってきた。
「がぁっ!!?」
いつからそこにいたのだろう。確かに撃ち込んだはずなのに……。
「お主、確かに反射神経は良いようだが、その後の動きを全く考えてはいなかったようでござるな」
いつの間にか、ドゥドゥーより更に上空に跳んだ剣心による逆刃刀の一撃が、ドゥドゥーの頭を直撃したのだった。
「うわああぁ!!!」
驚きが入り混じった悲鳴が思わず漏れる。剣心はそのまま優雅に降り立つと同時に、ドゥドゥーの身体は思い切り地面に叩きつけられた。
「やった、やりましたわ!!」
遅れて状況に気付いたアンリエッタが、思わず快哉の声を上げる。しかし、当の剣心は不思議そうな表情で逆刃刀を眺めていた。
(何だ、今の感触は?)
剣心は思わず首をかしげる。間違いなく人体を叩いた筈なのに、刀から伝わってきた衝撃はまるで『鉄』を打ったような感触だったのだ。
そうこうする内に、ゆっくりとドゥドゥーは立ち上がってきた。
「いてて……成程速いなぁ。ちょっと侮っていたようだね」
剣心は改めて彼の様子を見やる。やはり先ほど頭に一撃打ち込んだ箇所には、傷一つついてはいない。
「でも残念。きみの剣に対する防御策なら、こっちにだって十六通りもの対処を知っている。一番手っ取り早いのがこれさ、『硬化』で防いでしまえばいい」
頭を青い光で光らせながら、自慢げにドゥドゥーが告げる。
成程、だからあの感触だったのか。剣心は素直に納得した。
「相棒、どうやらあいつ、身体に『先住』の魔法を仕込んでいるぜ」
ここでデルフが、神妙な口調で剣心に言った。
「『先住』の魔法?」
「ああ、あのありえねえ身体能力の原因は、おそらくそれだ。こりゃあ相棒でも一筋縄じゃいかねえかもな」
と、剣心の身体能力も大概なのを棚に上げてデルフは鍔を鳴らした。
だが、確かに強力な飛天御剣流の一撃が効かないとなると、それはそれで厄介な相手と言えるだろう。
少なくとも、有象無象のメイジとは一線を画す実力者なのは間違いないようだ。これほどの討ち手が自分に来るとなると、まず間違いなく志々雄の手の者だろう。
そんな二人の会話に構わず、ドゥドゥーは杖を構え直し、憮然と言い放った。
「戦いってのはさ、結局のところ倒れた方が負けなんだよね。杖を吹き飛ばせば終わりみたいな表の生温い決闘とは違ってね。きみもそう思うだろう?」
剣心は、逆刃刀を改めて構え、そしてドゥドゥーに言った。
「左様な台詞は、最後まで立っていられた時に言うものでござるよ」
剣心達が戦っているその頃、ルイズの方では――――。
「何よあんた、こっちは急いでいるのよ! 早くどきなさい!」
「あらあら、つれませんわねえ。一緒に協力し合った仲じゃないの」
激昂するルイズを、まるで愛おしいものを見るかのような目でジャネットが茶化す。
その様子に、ルイズは怒りというより少し怖気を感じた。得体のしれない気味悪さを感じたのだ。
「大体何よ。あんた。まさか姫さまを攫った事と関係があるんじゃ……」
「ああ、安心なさいな。『そっち』はわたし達とは関係ありませんから」
勘ぐるような目を向けるルイズに対し、ジャネットは静かに首を振った。実際この時はまだ、リッシュモンの依頼をまだ聞いてはいなかったのだから、嘘は言ってなかった。
しかしルイズはこの時、ふと昨夜呟いていたジャネットの言葉を思い出す。
(『そっち』は違う…?)
『別に構いませんわ。どうせアイツすぐ死ぬし』
ちょっと待って。ルイズは素早く頭を考え巡らせた。
すぐ死ぬ……ってことは、知ってた……ってこと? 貴族が殺されるのを?
あの時は気持ち的にもいっぱいいっぱいだったたこともあり、深く考えることができなかった。だがこうしてジャネットと再会し、彼女との記憶を掘り返す度、遂に先の言葉にも行き当たる。
そこからたどり着いた答えを導き出すのに、ルイズは時間をかけなかった。そして、今度は恐る恐るジャネットの、その屈託のない笑顔を見つめる。
「あ、あんた……まさか……」
「あぁ、バレちゃったかしら? まあ別に――――」
次の瞬間、何故かジャネットの表情が一変した。人形のような不気味な笑みから打って変わり、その肌に冷や汗を流し出す。
「……ちょっと待ちなさい。今説得させてるから」
緊張を含んだような声で、ジャネットは告げる。それは、明らかにルイズに向けての言葉では無かった。
どうやらルイズの後ろにいる人影に話しかけているようだった。
「何よ! 一体何が……」
そう言って、ルイズも振り向いた。……思わずそして言葉を失う。
いつからそこにいたんだろう……、全く気付かなかった。
黒笠を被り、剣心と似たような装束と雰囲気を身に纏った男が、狂気の笑みを浮かべてルイズを見下ろしていたことに。
「こいつが、抜刀斎を召喚したという『例の小娘』か?」
まるで珍妙なものを見るかのような感じで、男……刃衛はルイズをまじまじと観察する。白黒を反転させた眼が、射殺すように彼女の身体を貫いた。
「なんだ、本当に只の小娘じゃないか。まだあの青髪の娘の使い魔と言われれば納得するものを」
(なに、なによ……、こいつ……っ!)
突然の展開に内心パニックに陥りながらも、努めて冷静に、そして毅然とした振る舞いでルイズは刃衛を睨み返した。
「あ、あんた誰よ!! まさかこいつの仲間じゃ――――」
「俺がお前ら貴族を殺して回った犯人さ。お前の『使い魔』を燻り出すためにな。さてでは俺からも質問だ……」
何の呵責もなく、あっさりと白状した刃衛に、ルイズは思わず息を飲んだ。
嫌だ。逃げ出したい。でも何故か体が言う事を聞かない。
「抜刀斎は何処だ? お前さんを殺せば、奴は怒り狂うのか? 奴の本性を曝け出す糧に位はなるのか?」
「――……っ!」
その一言に、刃衛の全てが集約していた。愉悦を浮かべた眼。狂気に満ちた表情、全身から溢れ出す、快楽という名の殺意。それをルイズが受け止めるには、余りにも幼すぎた。
(あ、ぁ……)
助けて。そう言葉にすることも出来ない。ただ恐ろしくて悍ましい。
するとおもむろに、刃衛は刀を抜いた。まるで用なしを切り捨てるかのような動きで、ルイズに刃を向ける。
(――――ケンシン!!)
ルイズは思わず目を瞑り、使い魔の助けを心中で願った。
その間を、ジャネットが遮るように立ちはだかる。
「ちょっと待ちなさいって。この子はわたしのお気に入りなのよ」
そして次に、ジャネットはルイズの方を向くと、藪から棒に杖を向けて呪文を唱えた。
「え、何!?」
慌てるルイズをよそに、ジャネットの杖から霧がかったようなものが飛び出てきた。
『
(ケン、シン……)
意識を失う間際、やはり使い魔の事を脳裏に浮かべながら……ルイズは眠りについた。
「はぁ、こんなんじゃ無かった筈なのに、もう……!」
ゆっくりと倒れるルイズを抱きかかえながら、ジャネットはため息をついた。
そして今度は咎めるような視線を刃衛に送った。刃衛も刃衛で、眠ったルイズに興味をなくしたのか、その手に握った刀を納める。
「お前さん、そいつのどこが気に入ったんだ?」
「そんな事、直ぐ殺そうとしたあなたに話す気はありませんわ」
そっぽを向くような口調で、ジャネットはぷいと首を振る。
「まあ別にこれでもいいでしょ? あくまで抹殺は抜刀斎であって、この子についてはそんなにとやかく言われてなかったじゃない。人質にでもすればいいでしょ?」
「お前さんがそこまでこだわるのなら、俺はどうでもいいさ」
刃衛はそう言って、ふとルイズの首にかけられた――剣心が買ってくれて以来ずっと付けてるペンダントを取ると、それを懐にしまった。
「あ、ちょっと!」
「こいつは借りてく。抜刀斎をおびき寄せる餌になるからな」
刃衛は最後にそう言うと、喜色の笑顔を浮かべて悠然とその場を去っていった。
それに、どこか気の抜けたような感じでジャネットは一息ついた。そして眠っているルイズをまじまじと見つめた。
「もう……。しかし可哀想に。多分あなたの使い魔は、永遠に帰ってこないでしょうね」
同情を送る視線に気づかず、ルイズはすやすやと寝息を立てていた。
「それじゃあ、引き続き決闘第二幕と行こうか!!」
そう叫び、ドゥドゥーは杖を振り下ろす。
剣心もまた、回避行動に移ろうとした瞬間、急に目の前を大きな水の盾が覆った。
「アンリエッタ殿?」
後ろを一瞬振り返ると、そこには杖を掲げて唱えたアンリエッタがいた。
「これ以上の好き勝手は許しませんわ!!」
剣心を守るために、どうやら呪文を唱えて盾を展開したようだった。
しかしドゥドゥーは、アンリエッタの張った水の盾を前にしても構わず、そのまま一撃を打ち放つ。
巨大な鞭による奔流は、彼女の放った青色の防御を容易に引き裂き、飛散させた。
「そんな盾、ぼくに通じるとでも!!」
「思ってはいませんわ」
元より、あの巨大な『ブレイド』に通じるとはアンリエッタも考えてはいなかった。だからこそ、すぐ次の一手を呪文で唱えていた。
「これで、どうですの!!」
女王とはいえ、仮りにも『トライアングル』クラス。おまけに今は雨も降っている。火力も規模も十全に発揮できる。
次の瞬間、ドゥドゥーの周りには無数の『水の鞭』が形成されていた。
「舐めるなよ、こんなもの!!」
しかし、ドゥドゥーの魔力は雨という不利な状況でも、余りある力を見せつける。
一旦鞭の形成を解くと、素早く『ブレイド』を再展開。今度は周囲に作られた水の鞭を素早く横に薙いだ。
それだけで、あっさりと『水の鞭』すべてが飛沫となって消える。アンリエッタもこれには唖然とした。
「なっ……!?」
「どうだい!! きみはどうやら水系統みたいだが、僕に『雨』の状況は通用しない!!」
ドゥドゥーが高らかに笑ったその瞬間。
「見間違えるな、お主の相手は拙者でござろう」
後ろから聞こえてきた声に、ドゥドゥーはハッとして杖を放つ。
しかし、剣心はまるで予定調和とばかりに『ブレイド』を躱し、空いた懐に突っ込んできた。
「無駄だ!! ぼくには『硬化』がある。何度やったって――――」
そう言って『硬化』を展開しようとして、ドゥドゥーは目を丸くした。
斬撃が、一発や二発ではない。何十もの数が飛んできたからだ。
(なっ!! 速――――)
「お主に『一撃』が通じぬこと、よく分かった。なら――」
何処を守ればいい? そう考える内に別々の所から打撃が襲いかかる。腹、腕、頭、手首、足に至るまでの容赦ない打撃の連続だった。
飛天御剣流 ‐龍巣閃‐
「連撃で突破するまで。これで終幕でござる」
「うっぐっ……!!!」
ドゥドゥーは、しこたま叩き込まれた打撃に耐えられず、その場に蹲るように膝をついた。
「返すようでござるが、お主のような一撃を防ぐ輩、一撃が通じぬ相手『程度』なら、拙者もまた幾通りもの対処法を心得ている。もうこれに懲りて終わりにするでござるよ」
「何だと、このくらい……」
と、すぐに体勢を立て直し、再び攻撃を繰り出す。手傷を負ったはずなのにその威力は相変わらず天井知らずだった。
しかし、どんな攻撃だろうと当たらなければ意味をなさないのと同じ。ドゥドゥーはただしっちゃかめっちゃかに振り回すだけであった。
恐らく異常な体術と圧倒的な魔力だけで今まで片付けてきたのだろう。懐にそう何度も潜り込まれる経験はしていないようであった。
剣心からしてみれば、彼の攻撃は単純明快、至極読みやすい。
素早く攻撃を回避し、もう一度ドゥドゥーの懐へと潜り込む。
「このっ!! さっき見せた技がぼくに通用するとでも!!」
「思っては当然、ござらぬ」
今度は全身に『硬化』をかけて、ドゥドゥーは身構えた。再び、『龍巣閃』による斬撃の嵐がドゥドゥーを襲う。
「しからば、これでどうでござる?」
「えっ!?」
そう言って、攻撃が当たる瞬間になって、剣心は攻撃の手を変える。瞬間、無差別に飛んできた斬撃が、一点に集中。まだ『硬化』の薄い一点を見切り、的確にそこへと向かっていった。
「飛天御剣流 ‐龍巣閃・
様々な場所を殴打する普通の『龍巣閃』とは違い、一点に乱撃を放つ応用技。
それを人体急所の一つ、鳩尾に全て向けられたのだから、負ったダメージはかなりのものだった。
鋼鉄化したその部分はひびが入り、やがて生身の体をさらけ出す。それほどの容赦ない猛撃がドゥドゥーを襲ったのだ。
「ぐああっ!!!」
ドゥドゥーは、再び吹っ飛ばされ、壁に大きく叩きつけられた。その様子を見やりながら、これで終わりだと言わんばかりに剣心はゆっくりと刀を鞘に納める。
そしてアンリエッタに歩み寄ろうとして……その最中をドゥドゥーが呼び止めた。
「ま、ちなよ……! まだ、おわっちゃいない……っ!」
フラフラに身体を揺らしながらも、歯を食いしばってドゥドゥーは立ち上がった。急所にあれだけ叩き込んだ筈なのに、成程タフさは相当なものだ。
「言ったろ相棒。あれは一筋縄じゃいかねえってな」
デルフが剣心にそう告げる。剣心は呆れたようにため息をついた。
「もうその位にするでござるよ。これ以上は無意味でござろう」
「ふざけるな! ぼくは……世界最強のメイジになるんだ。こんな所で……!」
と、心底悔しそうな表情を浮かべながら、それでもドゥドゥーは杖を構える。
「悪いとは思うが、今のお主では拙者は倒せんよ。一流になるなら実力差を素直に見極め推し量るのも、重要な資質でござろう?」
「だから何だ、お前なんか……! お前なんかに!」
しかし、剣心の言葉にドゥドゥーは耳を貸そうとはしない。何が何でも彼を叩きのめしたいようだった。
剣心は、どうしたものか…とドゥドゥーに視線を送りながら考える。その最中……、ふと、ドゥドゥーの後ろ。細く暗い路地に立っている人影に気づく。
(止めを刺さないのか? なあ抜刀斎)
剣心は心底驚いたような表情をした。ドゥドゥーやアンリエッタは気づいていない。
そこには鵜堂刃衛が、愉悦を浮かべてこの戦いを見ていたのだ。
刃衛は、その眼で剣心にこう語りかける。
(止めを刺せばいい。お前もいちいち立ち向かってくるこいつが目障りでしょうがないだろう?)
(……何だと)
(人斬りの本性を思い出せ。簡単じゃないか。首を掻ききればいい。心臓を貫けばいい。お前の速さならそれが可能だ。いつもそうしていたじゃないか。『あの頃は』)
(だから何だ、もう二度と拙者は――)
(お前がそうして人斬りの本性を否定し続けているのは、中々に滑稽だぞ。そんな事だから――――)
刃衛は、ゆっくりと懐から何かを取り出し、剣心に見せつけた。
それは、いつかルイズに買ってあげた……あのペンダントだった。
(『あの時』と同じように、いつまでもお前は、大事にしているものを見失うんだよ)
そして刃衛は、そのペンダントをこれ見よがしにと握りつぶした。
「―――ッ!!!」
刹那、剣心の表情が変わった。
怒り、そして深い悔恨の表情……。
次の瞬間、今まで抑えていた左手のルーンが強く、そして紅く輝きだした。その煌めきは、まるで鮮血が零れていくかのようだった。
「おい相棒!! どうした!!?」
状況をのみ込めなかったデルフが叫ぶ。その隙を見計らって、ドゥドゥーが飛びかかった。
「これでどうだあああああああああああ!!!」
ドゥドゥーは、今の剣心の表情が変わったのを『余裕から隙を作った』と勘違いした。
だから、反撃を受けることを考えずにこの一撃に全身全霊の魔力を込めた。
今までとは比べ物にならない程に巨大化した杖が、剣心に向けて振り下ろされるその瞬間……、ドゥドゥーは感じた。
(――――邪魔だ)
(えっ!?)
そう聞こえた訳ではない。ただ、彼の眼がそう語るのをドゥドゥーは感じた。
その目は、さっきまで醸し出していた雰囲気とはまるで別人のようであった。
今まで体験したことのない圧倒的な殺気。見るもの全てを居竦ませる様な気迫。それがドゥドゥーに向けて一気に襲いかかってくる。
「ひっ……!!」
間抜けな声をあげながらも、そのままドゥドゥーは杖を振り下ろす。
しかし、それでも結局叩いたのは地面のみ。強力な衝撃波や残した跡からは、それが今までとは違う壮絶な威力を物語っていたようだが……、それも当たらなければ滑稽にしか映らない。
(何だよこれ!! さっきと全然別人じゃん……!!)
気付けば、剣心は三度ドゥドゥーの懐へと潜入していた。だが、速さの桁が違う!
本当に、ドゥドゥーですらその目で追い切ることは出来ないくらいに……。
(くそっ、くそっ!! こんなやつに……!!)
次にドゥドゥーの視界に映ったのは、九つの斬撃だった。数はさっきより少ない。でも『防げない』。
(こんなやつに……僕はっ!!)
何せその九つの斬撃は、圧倒的な速さを伴って、それも『同時に』飛んできたのだから…。
「飛天御剣流 ―九 頭 龍 閃―!!!」
「ぎゃあああああああああああああああああああ!!!」
一撃一撃が、先の『龍巣閃』とは比べ物にならない程の大きな威力を持った攻撃。そして圧倒的な速さを持った突進術だったのだ。
対処法を披露するどころか、初歩の防御でもある『硬化』を展開することすらままならず、ドゥドゥーはその一撃一撃をまともに受ける結果となった。
「っ相棒!!!」
その途中デルフが声を荒げる。一瞬剣心の動きが緩んだ。
「ぐっ!」
最後のチャンスとばかりにドゥドゥーが杖を振り上げる。しかし剣心はそれを避けると、カウンターの要領で、最後の突きの一撃を『柄尻』に変え直して打ち放った。
「ぐはっ……!!!」
ドゥドゥーはまたもや大きく吹っ飛ばされると……、今度こそ倒れたまま、気絶したのか動かなくなった。
「…やりましたの?」
事態を見守っていたアンリエッタが、おもむろに口を開いた。しかし、剣心は佇んだまま動かず、何も反応を示さない。
「あの、ケンシンど――」
そう言って剣心に駆け寄ったアンリエッタは、そこで剣心の顔を見て……、一瞬恐怖で身体が竦んだ。
戦う前はあんなにもニコニコしていた剣心が、今はまるで別人のように恐ろしい形相を作っていた。
「相棒、今何するつもりだった……」
今度はデルフが、珍しく真面目で冷たい口調をもって剣心に言った。
「俺が止めたからいいものを……、最後の突き、あれは危なかったろ」
剣心は何も言わず、ただ逆刃刀を握る左手のルーンを見つめた。
あの時、無意識に九頭龍閃を撃ち放った時、剣心の目の前は暗転していた。
幕末の匂い。飛び散る血飛沫、倒れた死体の山……。そしてその血刀を持っている自分に。
気付けば、本来は柄尻で決めねば突き殺してしまう『九頭龍閃』最後の突きを、危うくそのまま繰り出しかけていた。
デルフが止めなかったら、どうなっていたことか…。
「……すまぬ」
ポツリと、そう一言剣心は返した。それと同時にルーンの光は徐々に弱まっていく。
「まあいいさ。とにかく落ち着いたか? それにしても一体どうしたんだ? 相棒らしくもねえ」
「少し……な」
隣では、アンリエッタが心配そうな表情で見つめている。取り敢えず、何かフォローを入れなくては、と思い剣心は微笑みを作った。
「大丈夫でござるか、アンリエッタ殿」
「ええ……、あ、はい。わたくしはその……」
アンリエッタもアンリエッタで、剣心の修羅のような表情を見てしまい、どことなくぎこちない返事を返してしまった。
(いけない。もっとしっかりしないと……)
心の中で、自分にそう言い聞かせる。彼が身を呈して戦ってくれたのに、自分がこうでは駄目じゃない……と。
だから、アンリエッタも努めて笑顔を作りつつ、剣心に言った。
「わたくしは大丈夫でございます。それよりも……一体何があったのでしょうか」
(そうだ、刃衛!!)
その言葉に、剣心はハッとして刃衛のいた方向に目を向ける。しかし、そこにもう刃衛の姿は影も形もなかった。
「うふふ、やはりそうだ。かの『ルーン』とやらが枷と力、両方を兼ねているようだな」
街路樹を走りながら、刃衛は確信を強めた笑いを浮かべる。
リッシュモン邸での戦闘で思った事、奴の力は思いのほか衰えている。かの志々雄真実とは同格の戦闘を繰り広げたと、奴自身からから聞いていたにもかかわらず……だ。
その原因があの『ルーン』とやらにあるのだろう。聞けばかのルーンは、主を守るためなら更なる力を付与させる効果もあると聞いている。それは別に伝説だから……というわけでは無いらしい。使い魔全般の特徴とも聞いていた。
そのルーン自体が、奴に人斬りに立ち戻らせるよう働きかけているのだろう。そしてこの洗脳とも呼べる力は、先の戦いぶりを見る限り……、強い感情を引き起こさせることでさらに強まるようだ。
そしてこの契約は、主人が死ぬと消えるとも聞く。だから脅すだけ脅したが、別にルイズ自身を害する気はまだなかった。ジャネットは気付かなかったようだが……。
奴にはまだ、生きて危篤になってもらわねばならない。奴の怒りをくべる薪として。
ともあれだ……今、自分がやる事は一つ。
「教えてやるよ抜刀斎。今のお前はどれだけ平和呆けしているか、――――これで分かるさ」
刃衛はそのまま、チクトンネ街へ駆ける。鯉口に殺意のきらめきを宿しながら――。
「ぎゃあああああああ!」
悲鳴がやがて、中央広場を侵し始める。
その絶叫は、剣心達の耳にも、小さくだが響いた。
「今のは……!」
「チクトンネ街に続く大通りから聞こえてきたな……」
デルフも同じように聞こえたのだろう。そう剣心に告げる。
今は丁度夕刻。雨の中とはいえ、それでもいつもなら人で溢れかえる時間帯……。おまけに女王が行方不明のために借り出された兵士が多くひしめいている。
剣心は顔色を変えた。アンリエッタも顔を真っ青にする。
「っ……くそっ!!!」
珍しい剣心の焦りの声が、更に緊迫感を助長させる。剣心は、アンリエッタを抱えて急いで刃衛の後を追った。
全く自分は何をしているんだろう…。剣心はそう思っていた。もう遅れを取らないだろうと、そう意を決したというのに…。東京で同じような目にあって…なのに…結局、何も学んではいないじゃないか。
そのせいで…また大切な人を、巻き込んでしまった。
(いつだってそうだ。俺は、気付くのが……いつも遅すぎる)
剣心はただ、一心不乱に走った。不安の色を濃くするアンリエッタを担ぎながら。
何も起こらないでいて欲しい。そう、願いながらも……。