るろうに使い魔‐ハルケギニア剣客浪漫譚‐   作:お団子

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第五十四幕『死闘の果てに……。後編』

 

 刃衛と剣心が、刃を交わらせている。その激闘を間近で見ていたルイズは、ふと最初に彼に出会った頃を思い出していた。

 

 

『あのー、ここ、どこでござる?』

 

 

 すっとぼけた表情に、どう見ても平民としか思えない格好をしていた彼の最初の印象は、言ってはいけないと思いながらも「最悪」だった。

 今までずっと魔法も使えない、「ゼロ」の二つ名を背負っていただけに、自分だけどうしてこんな……。周りがちゃんとした動物幻獣を呼び寄せていただけに、この仕打ちは本当に酷いと思っていた。

 それでも、召喚できただけまだマシ。ここからまた懸命にやっていこうと考えていた矢先、ギーシュとの決闘騒ぎが起きて、そして……。

 

 

『本当に女子に対して優しいなら、困っているルイズ殿に、救いの手の一つ差し伸べてあげても良いでござろう?』

 

 

 あの時、そう言ってギーシュと闘ってくれた剣心の姿は……、本当に格好良かった。

 あれのおかげで、彼の印象がガラリと変わったのは言うまでもなかった。おまけに、あれ以降正面切って自分を馬鹿にする人も、めっきりと減った。それほど、彼の影響が強かったのだろうと、今では思う。

 そうして長く暮らしていく内、自分でも驚くくらい、彼の笑顔に凄く助けられていたことに気づいたのだ。

 フーケの時は、自分の面子も考えてくれた上で戦ってくれたし、命も助けてくれた。

 結婚式の時は、絶体絶命の所を颯爽と現れ、並居る敵を打ち倒していく姿に思わず見惚れていたものだ。

 ワルドがウェールズ殿下を殺した時は……、ちょっと怖かったけど、それでも脱出間際にしてくれたあの笑顔に、自分は心から安堵して彼に身体を預けていた。

 あの後、自分は伝説の虚無の担い手だと知り、そして、剣心の昔の過去の一端にも触れて……。

 

 

『わたしが召喚したのは、人斬り抜刀斎なんかじゃない!! 強くて優しい使い魔、ヒムラ・ケンシンよ!!』

 

 

 それでも敬愛する姫さまの前で、堂々とそう言えるくらいに、彼を召喚したことを誇りに思っていた。

 そしてそれが、ずっと続くと思っていた。彼の笑顔が、いつまでも隣にあると、そう信じていた。

 でも――――。それは甘い考えだったと、今、知ってしまった。

 

 

 

 

 

第五十四幕『死闘の果てに…。後編』

 

 

 

 

 

 

 渾身の『双龍閃』。それを受けた刃衛は、ばたりとうつ伏せに倒れ、そして動かなくなった。

 体が小刻みに痙攣している事から、死んではいないのだろうが……、重傷というのは素人目で見ても明らかであった。

「……イッたな、背骨。ありゃあ再起不能だわ」

 デルフが、冷淡な声でそう告げる。鉄鞘で打ち放った時に聞こえてきたあの音は、間違いなく刃衛にとっても決定打となったことだろう。

 痛みを感じなくても、対処法など幾らでもある。そんな実戦経験の違いが、今のルイズ達と剣心との間に深い溝を作っていた。

「しっかし、本当に強ぇな相棒。正直あの化け物相手なら相棒も少しは苦戦するかと思っていたが……、いやはや、ルーンの扱い方までああも自由自在とはねぇ」

 抜刀斎だからこそ出来る芸当なんだろうな。と付け加える。『不殺』の誓い故にガンダールヴの力を最低限まで抑える剣心と違い、抜刀斎は抑制する気など毛頭ない。

 むしろ臨機応変、適切に力の強弱をはっきりと分けて使いこなしているようでもあった。

 故にルーンは剣心ではなく、抜刀斎を選ぶのであろうが……。

「これでもう、相棒の勝利は揺るがないだろう。なのにどうした? そんな風に固まっちまって」

「…………」

 ルイズは何も言わなかった。ただ、拳をきゅっと握りしめ、唇をかんでいた。

 そう、もう戦いは終わったのだ。でも、逆に心は不安で覆われていく。恐怖で埋め尽くされていくのだ。

 まるで、ウェールズの最期を看取った時のように。

 

「うふふ……」

 

「―――っ!」

 すると、ここで刃衛が立ち上がった。弱弱しい足取りであったものの……、何故かその表情は、これ以上無い位に晴れやかであった。

「効いた、ぞ。流石は伝説の人斬り……。まあ、あの程度の薬じゃあ……、これくらいが関の山か……」

 ここで刃衛は盛大に吐血した。見れば鉄と形容すべき筋肉を備えていた腕や身体は、これでもかというくらいに萎み、弱った姿をそのルイズ達に晒している。

 なのに、刃衛は串刺した両手の刀を、剣心に向け突き付ける。それに応えるように剣心もまた、刀を納めた。

 普段の剣心なら、ここで尚も戦う刃衛に、投降を呼びかける選択をとっただろう。ルイズももう、今の剣心には戦って欲しくはなかった。

 しかし――――。

「えっ――!?」

 剣心がとったのは、投降の呼びかけではない。腰をためるように構えた、抜刀術の所作だった。

 その眼は、これから完全に刃衛の息の根を止めてやるという、そんな殺意を明確に宿らせている。

 

(殺す、の? 不殺を破る……の?)

 

 そう思うと、ルイズは叫ばずにはいられなかった。

「やめて、もう終わったじゃない! 止めを刺す必要なんてない! ねえ、ケンシン!!」

 しかし、先程と同じようにルイズの声は、剣心には届かない。

 代わりに、デルフが答えた。

「無駄さ娘っ子。相棒はもう、この船上……、いや『この世界』で戦っちゃいねえんだ」

「……どういうことですの?」

 アンリエッタの問いに、デルフは更にこう続ける。

「相棒はこの世界とは違う、別のどこかから来た。それは聞いてるだろう?」

 その言葉に、女性陣はこくりと頷く。

「俺が思うに……、相棒の世界じゃ、あんな戦いが日常で当たり前だったんだ。今の相棒はここハルケギニアではない。そんな戦乱と動乱の世界。その渦中に戻って戦っているんだ。俺達の声はもう、相棒に届きやしねえ……」

 今まで見てきた、自分達の常識が一切通用しない戦い。それを思い起こし、ごくりと唾を飲み込んだ。

「止められるとしたら、同じくこの激乱を知っているか味わった奴だけ。戦を知っているそこの剣士さんでも、まず無理さ。お手上げだ」

 それを聞いたアニエスは、申し訳なさそうに軽く視線を落とした。正直自分でも、この戦いに介入する事は不可能だった。

 同じ剣を振るう者だからこそ分かる。流派以前に自分とは明らかに実戦経験の桁が違う。

 この二人を見れば、今までの自分の剣が児戯に等しい。悔しいが、そういう感想を抱かずにはいられなかった。

 アニエスでさえそうなのだから、戦争どころか……、戦いすらまともにしたことのないルイズに、止められるはずもないのだ。

 人を殺したことのない、無垢な少女にその制止は酷と言えた。

「そんな……」

 自分じゃ剣心を止められない。そう知ってしまうと急に体の力が抜けたような感覚に見舞われた。

 不殺は破ってほしくない。そういう強い感情を持てば持つほど、どうしていいのか分からずただへたり込んでしまう。

 

 

 もし不殺を破ってしまったら、もう二度と剣心とは会えない。そんな不安が心を犯しているのだ。

 漸く分った。トリスタニアにやって来てから、今まで感じた不安の正体は……、これのことだったんだと。

 

 

「おい、あれ……」

 やがて、デルフが声をかける。見れば、剣心の周りが、見る見るうち殺気で被われていく。少しだけ振われた事のあるデルフは、その動作だけで、剣心が何をしようとするかが分かった。

「やべぇな、こいつぁ……。相棒の奴、マジであいつを殺す気でいるな」

「えっ……!?」

「『奥の手』だっけか。あれを使おうとしてやがるんだ」

 その言葉に、ルイズは体を震わせる。アンリエッタも、それを聞いて心当たりがあるような表情をした。

 

 

 雨の中、王家最強と呼ばれた『へクサゴンスペル』すらも防いだ……、あの抜刀術を思い出す。

 

 

「でっでも、抜刀術なら逆刃を返せないし……、それがなきゃ殺すまでなんてこと……」

「分かってねえな。……っつても、実際に振るわれた事のある俺ぐらいしか分らないか」

 デルフはそう言い置いてから、さらに続けた。

「あれはな、『神速』の壁を越えた『超神速』。速さそのものを極限まで極めた最強の一撃なんだ。今まで使ってた抜刀術とは根本的に訳が違ぇ。あれは……、加減をしなけりゃ逆刃の上からでも人を殺せる」

「そ、そんな……!」

「というより、あんな巨大な竜巻を弾き返すような技だ。そんなのを人間相手にマジで、しかもルーンを最大限に発揮させた状態で使ってみろ。どうなるかくらい想像つくだろう?」

 ルイズは思い出す。あの迫力あった竜巻を、たった二撃で薙いだあの剣閃を。

 瞬間、逆刃の上から真っ二つに裂かれ、血を巻き上げながら宙を舞う惨劇が、容易に想像できてしまった。

 想像だけで思わず身震いするルイズとは裏腹に、刃衛自身は、まるでそれを望んでいるかのような表情をした。

「うふふ、そうそう聞いたぞ。飛天御剣流には、速度を極めに極めた『奥義』があるそうじゃないか。丁度いい。冥土の土産にその一撃。俺に、くれよ」

 そう、まさに刃衛はそれこそが狙いだった。あの時……、東京で貰う筈だったあの一撃。抜刀斎が、この世界にやってきたと聞いた時から、ずっとそれを渇望していたのだ。

 それが何の因果か、こうやって再び奴と対峙し、殺し合いを愉しみ、止めの一撃を、まさか最強の奥義で刺してくれるというご褒美までついてきた。

 再びこの男と巡り合わせてくれた、それをこの世界の始祖とやらにほんの少しだけ感謝するような面持ちで、刃衛はただ待った。

 

 

 刹那であの世に昇天するような、そんな冷徹で無慈悲な一撃を。

 

 

「だっ、駄目よ! 不殺を破っちゃ駄目!」

 刃衛が万感の思いで望んでいるのに対し、ルイズはただ悲痛に叫ぶ。

 でも、その叫びが剣心に届かない以上、何の力も意味もない。ただただ無力で虚しい叫びだった。

 何とか止めたい。でも、どうすることもできないのが現状であった。

(どうしよう……、本当にどうすればいいの!?)

 割って入ろうにも、二人の間から発せられる剣気の前では、近寄ることもできない。

 剣心はともかく、刃衛の方は相当の重傷を負っているはずなのに……。

 ルイズは髪をかき乱した。本当に、自分は肝心なところで何もできない。その遣る瀬無さが虚しさ、そして怒りに変わっていく。

「何が『虚無』……、何が伝説よ! 結局わたしは……、何にもできない『ゼロ』のままじゃないのよ……っ!」

『爆発』を唱えようにも、まず杖がない。それにあの二人を止めるならば、船ごと壊すような威力じゃなきゃ止まらないだろう。

 もう、そんな大規模な威力を起こすには、時間が足りなかった。

『解除』も、ここじゃ何の役にも――――。

 

 

 

(『解除』……?)

 

 

 

 瞬間、ルイズの心の中に、暗い暗い闇の中に、一筋の光を見出したような……、そんな閃きがともった。

「ねえ、デルフ」

「なんだ?」

 完全に諦観しているデルフに向けて、ルイズは一縷の希望、期待を込めたような視線を送る。

「『解除』ってさ、確か先住魔法や系統魔法を打ち消すことができるのよね?」

「あぁ? そうだけど、それがどうした」

「それって、契約(コントラクト・サーヴァント)の洗脳にも有効なの!?」

「多分な……って、娘っ子!! まさか――――」

 デルフの反応を見て、可能性がある。そう確信したルイズは、思わずあたりを見渡した。そして、刃衛に弾かれて飛んで行った自分の杖を見つけると、すぐさま走り出す。

 

「おい無茶だ! 危ねえぞ!!」

 

 デルフの叫びが、剣心と刃衛、そして、ルイズを動かした。

 剣心の腰が深く沈む。さながら獲物に飛び掛かる龍の如く、殺意を押し出しながら居合の構えで前傾姿勢をとった。

 それに応えるように、刃衛もまた、両手に突き刺した刃を高く掲げる。

 例えるなら、それは龍と虎が、決死の一撃を放とうとして身構えている瞬間だった。

 その間を、杖を拾い上げ、呪文を唱えながらルイズは走った。

(待って。まだ、駄目……!)

 そんな彼女の目の前に、二人の剣気で吹き飛んだ、木々の破片が襲いかかった。

「ルイズ!」

 アンリエッタが叫ぶ。破片は真っすぐにルイズへと向かっていき……。

「―――っ!?」

 彼女の目の前で、突如風が巻き起こり、木々の破片を吹き飛ばした。

「え……?」

 風を起こしたのは、タバサだった。

 息も絶え絶えだというのに、震える手で杖を向けて、精一杯ルーンを唱えてくれたのだ。

(タバサ、ありがとう……!)

 ルイズは心の中でタバサに感謝しながら、とにかく駆けた。そして……。

(駄目、ケンシン……!)

 いつもの優しい微笑みをしてくれる彼を求めて、唯一心不乱に、ルイズは呪文を唱えた。

 

 

 

「人斬りに戻っちゃ、だめぇぇぇええええええええええええええええ!!」

 

 

 

 そして……――。

(――――来た!!)

 床が爆発したような衝撃とともに、文字通り剣心が『消えた』。

 神速の壁をも打ち破る速度で、『左足』を踏み込んだ、その拍子で抜刀にかかる威力は何倍にも、何十倍へと膨れ上がる。

 次元の違う速度に、明確な殺気が上乗せしたその光の軌道を、刃衛は微笑みながら見つめていた。

(これが、奥義か……!)

 成程。神速を超えた『超神速』。最強を冠するにふさわしい剣閃だ。

 いやにゆっくりに見えるのは、恐らく走馬灯というものだろう。己の最後がこの一撃で決まる、死の一歩手前だからこそ感じる停滞した時間速度を、味わっているのだ。

 刃衛は気長とも思える時の中、逆刃刀が己の肉体を侵食していく様を愉しんでいた。

(いいねえ! 今までに無い。最高の感触だ!!!)

 肉が逆刃によってめり込んでいく。なのに不思議と痛みがない。初めて味わう何ともいえない感覚だ。

 変なものだが、そんなことはどうでもいい。今はこの、最初で最後であろうこの感触を最大限に味わおう。

 その時――。一筋の光が、二人を覆い隠した。

 

 

 剣心の思考は、刃衛を殺す。それだけしか考えてはいなかった。

 デルフの言うとおり、今の剣心は異世界ハルケギニアではなく、幕末の京都……、それも最も過激で凄惨な戦場で戦っていたのだった。

 辺りでは血の匂いや硝煙の香りが、まるで現実のように漂っている。

 既に相手は満身創痍。だがこの戦場の中で生ある決着などありえない。相手に撤退の意思がないのなら、やることは一つ。

 幕末で当たり前の思考。それを今、剣心は当たり前のように執行しようとした。

 

 これで、終わりだ。

 

 剣心は瞬きで間合いを侵略し、左足を踏み込んだ。

 逆刃の一撃を放つその刹那。剣心は、何か引っかかりを感じた。

 

 なんだろう。これを振ったら……、今まで抱えてきたものが、全て崩れてしまいそうな……。そんな何かがあった。

 だが、何でそう思うのかが思い出せない。何だったか……。何か大切なもののようだった気が……。

 沈んだ暗闇の思考の中で、忘却した理由を必死で探して見ようにも……結局分らないという答えが脳内で返ってくるのみ。

 もういいや。今は、どうでもいい。

 諦めた剣心は、そのまま躊躇わず、刀を振り上げた瞬間だった。

 

 

『人斬りに戻っちゃ、だめぇぇぇええええええええええええええええ!!』

 

 

 その声が、かつて東京で聞いたあの声(・・・)と被る。それが、暗闇に沈んでいた思考に一筋の光を灯した。

 その光は、見る見るうちに周りを照らし、剣心の心を、幕末からハルケギニアへと引き戻してくれた。

(――――しまった!)

 そしてやっと気付く。今の自分のしている事が、己にとってどれほど重大な意味を犯しているのかに。

 だが、もう刀は刃衛の肉を削っていく。今更力を緩めても……、もう間に合わない。

 誓いを破る。その覚悟を決めた瞬間……、刹那の時間は現実と同じ速度へと戻っていった。

 

 

 ドッゴォォォン……!!

 

 

「きゃあああああああああああ!!」

 今までの戦闘の中で最大かつ強烈な衝撃波が、傍観していたアンリエッタたちを襲った。

 風の暴力に、目を開けることもままならない。それでも身体を必死に捩じらせ、どんな結末を辿ったのか、それを見極めようとした。

 

 刃衛は、宙を浮いていた。

 

 胴体を切断されたような、凄惨な光景こそそこにはなかったが、血を吐きながら飛んでいく様は、それはそれで恐ろしい。

 そんな思考が頭の中で渦巻いていた時には……、刃衛は船上の床の上に叩きつけられていた。

 刃衛の胸には、肩から腹にかけて大きな裂傷があった。

 それでいて、ピクリとも動かない。

「どう、なったの……?」

 ポツリと、アンリエッタは呟く。

 刃衛は死んでしまったのか。それとも……。

 次の瞬間、ドスッ!! と、アンリエッタの目の前に何かが刺さった。

 突然の出来事に思わずビグッとなるアンリエッタだったが、目を凝らして何が飛んできたのか、数秒かけてなんとか理解する。

 

 

 彼女の目の前に飛んできたもの、それは中心を晒した逆刃刀の刀身そのものだった。

 

 

「――――これは!?」

 刀身のみとなった逆刃刀は、雨の水滴を受けて淡い光沢を放っている。そこに血の色は無く、綺麗な姿を保っていた。

「ぐっ……、はっ……!」

 見れば、刃衛は呻きながら身体を痙攣させている。それはつまり……。

「……生きていますわ!!」

 そう、生きていた。剣心は不殺を破ってはいなかったのだ。アンリエッタは、ゆっくりと剣心の方へと視線を向けた。

 剣心もまた、刃衛が生きていることに気付いたのだろう。粉々になった柄を握って、呆然と立ち竦んでいた。

 しばらくして、思考が段々と追い付いてくる。

 

 剣心と刃衛の一瞬の交戦……。ルイズの『解除』は、剣心の『ガンダールヴ』の洗脳を、確かに打ち消していた。

 だがその時には、剣心は既に刀を振りかぶっていた。普段ならば、間違いなく間に合わずに、刃衛をそのまま斬り殺していただろう。

 しかし、『解除』の効力が齎したのは、剣心のルーンだけではない。タバサが逆刃刀にかけた、『固定化』の呪文も掻き消していた。

 そして、その余りに強力な剣風に、柄そのものが耐え切れずに粉砕。半分も威力が出せずに刀身だけが宙を飛んだのだった。

 

 

(逆刃刀の、おかげか――?)

 

 

 最後の最後で逆刃刀に助けられた。ふと、剣心は刺さった自身の愛刀の方を向いた。

 相変わらず、綺麗な刀身を保ったままのその中子には、この刀を作りし刀匠が刻んだあの言葉が露となっている。

 

 

『我を斬り、刃鍛えて幾星霜。子に恨まれんとも、孫の世の為』

 

 

(赤空殿――――)

 彼の剣に救われたのは、これで二度目だ。中心に刻まれた、この刀に込められた想いと意思は、この世界に来ても変わらず、誓いを守る盾となってくれている。

 心の底から彼の遺志に感謝していた剣心の背後から……今度は声がかかった。

「ケンシン……」

 振り向けば、ルイズが涙を流して、心配と不安が入り混じった表情でこちらを見ていた。

「ケンシン……、だよ、ね……?」

「ルイズ殿?」

 いつもの優しい口調、いつもの和やかな声に、ルイズは嬉しさで顔を綻ばせた。

(良かった、戻ってる……!)

 間に合ったんだ。そう思った瞬間、ルイズは思わず、剣心に思い切り抱き付いていた。

「もう、言ったじゃないの! 勝手にどっか行かないで……って! お願いだから、何処にも行かないで……って」

 いつもの気丈な振る舞いはどこにもなく、身体を震わせて、か細い声で。

「心配かけさせないでよ。この、馬鹿ぁ……っ!」

 そして、剣心の胸の中で、小さく嗚咽を漏らしていた。

 普段なら絶対見せないだろう、彼女の弱り切った泣き顔に、剣心は改めて、自分がどんな姿で刃衛と戦っていたかを悟る。

 決定的なまでの暴走。ルーンの力の所為とはいえ、完全にもう一人の人格に己自身が喰われていた。

 この先、まともに戦っていけるのか――。剣心の心にそんな不安の影を落とす中、それでも安心させるように、まずはルイズの頭をなでた。

「済まなかったでござる。拙者の所為で、怖い目に合わせてしまったでござるな」

 その言葉と仕草だけで、ルイズは心の中がいつものように暖かくなるのを感じた。彼の優しさを懐かしく感じながら、ルイズは涙を拭って、小さく首を振る。

「ううん、いいの…それより…わたし――――」

 その時だった。

 

 

 

「ぐっ…ふっふふ…」

 見れば、満身創痍ながらも、刃衛がゆっくりと立ち上がったのだ。

 明らかにふらふらな様態で、もう剣を振ることままならないであろうに、それでも、まだ。

どうやら、先程の威力は想像以上に軽かったらしい。

 剣心は、ルイズを後ろに隠して前に出る。アニエスもまた、銃を構えた。

「…今度こそ、本当に年貢の納め時だな。黒笠」

「うふふ…何だ、結局それがお前の答えと言うわけか」

 心底残念そうな声で。刃衛は呟く。

「人斬りは所詮、どこまでいっても人斬り。…あの時、そう言ったよな」

「拙者はもう、人斬りではござらん」

「…何を言う。もう数分前の事を忘れたのか」

 ここぞとばかりに刃衛は笑う。剣心は見えない角度で拳を握り締めた。

「何度否定しようとも無駄だぞ抜刀斎。お前はやはり人斬りだ――――」

 愉悦を含んだ声で、刃衛は言の葉を紡ぐ。それを今度は、ルイズの声がかき消した。

 

「違うわよ! ケンシンはもう人斬りじゃない! あんただって生きてるじゃないの!」

 

 ルイズは、剣心の一歩前に出てきて、涙ながらに刃衛相手に啖呵を切っていた。

「ケンシンがこうなったのはわたしのせいよ! わたしが余計なことしなきゃ、こんなことにはならなかったんだから……!」

「ルイズ殿……」

「だから、何度あんたがケンシンに人斬りに戻そうとしても、わたしも何度だって否定してやるんだから! もう一度言ってやるわ! ケンシンはもう、人斬りなんかじゃない!」

 はぁ……はぁ……、と、肩から息をしながらルイズは吠えた。

 刃衛はしばし、思案に暮れるような表情をした。

 

 やはり、殺しておくべきだったのか。

 

 そういえば東京での夜も、あの女(・・・)の叫びで奴は人斬りの顔から腑抜けにまた戻っていたのを思い出す。

 いつもそうだ。奴の周りには……あの惨劇を見せられてなお、それを否定する存在が、蛆のごとく湧いてくる。

 同じ人斬りの自分とは決して異なる点。人斬りの性を否定する者たちの存在。奴らが心の中で存在する限り、抜刀斎は決して最後の一線を踏み越えてこない。

 そのせいで、最後の一撃という締めくくりをまた、奪われることとなってしまった。

 

(ままならぬものだな……。今の抜刀斎に執着すること自体が、間違いなのか……?)

 

 抜刀斎相手では、自分は有終の美を飾れないのかもしれない。そう思うと、とたんに彼に対する執着心が、薄れゆくのを感じる。

 

 

 そんな中、彼の視線に入ったのは……『心の一方』を貰って息も絶え絶えな、かの少女の姿だった。

 

 

「……まあいい。俺は充分に愉しめた。もう――――」

 負け惜しみのような言の葉を言いかけた時だ。ズシン!! と船全体が揺れ動く振動に見舞われた。

 先の戦いの余波で耐えきれなかったのだろう。飛行船が今、大きく崩れだし始めていたのだ。

 見れば、地上との距離がグングンと近づいていく。このままでは墜落は必至。

「――きゃぁっ!」

 皆が振動でバランスを崩す。特に刃衛のいたところは大きく揺れて傾き、そのまま彼を宙へと放逐していく。

 剣心は、慌てて叫ぶ。

「刃衛! お前――――!」

 しかし、刃衛は笑うだけで答えない。

 

(さて、これで俺は終わりなのか)

 

 賭けをするかのような思考で、刃衛は最後に、苦しんでいるタバサを見つめていた。

 

(もしこれを生き延びたのなら、今度は――――)

 

 眼下には生い茂る森林地帯。そこに吸い込まれていくように、刃衛は落ちていく。

 

お前(・・)で、俺の最期を飾るとしようかね――――)

 

 重力に身を任せながらも、その顔は『東京のあの時』と同じ、晴れやかな笑顔で――。

 

 

 

「精々その戯言がどこまで続くかな。――あばよ、緋村剣心(・・・・)

 

 

 

 もう興味をなくしたのか、抜刀斎ではなく、本名で彼の名を呼びながら、刃衛は森の中へと消えていった。

 剣心達が下を見た時には、既に刃衛は森の中、消えていた後だった。

 

 

 

「――はっ! はあっ、はぁっ……!」

「タバサ殿!」

「お、お姉さま! 治ったのね!」

 強力な心の一方が、やっと解けたのだろう。胸を激しく上下させながらも、問題なさそうにタバサは起き上がった。

 シルフィードが涙を流して彼女に抱き付き、アンリエッタもほっと胸をなでおろす。

「でも、ということは……」

 刃衛が言っていたことを思い出す。この技は自力で解くか、術者が死ぬかでしか解除することは出来ないと。

 タバサが自力で解いた様子はないのだから、この結果から分ることは一つ。

「今度こそ、死んでしまいましたの?」

 今一つ腑に落ちなさそうな表情でアンリエッタは呟いた。何だろう……、あっけない。

 剣心もまた、何とも言えない様子で下を見ていたが、いかんせん刃衛の姿など映るはずもない。

 その間にも、船はどんどんと自壊を始めていき、部品や木材がポロポロと落ちていた。

 再び大きな振動が起こり始めたところで、アニエスが叫んだ。

「早く脱出するぞ! この船はもう墜落する!!」

 それを受けて、シルフィードは素早く竜の姿へと戻り、皆に乗るよう促す。

 アンリエッタ、タバサ、アニエスと続いて乗り、その視線を剣心とルイズへと移す。

「何している!! 早く乗れ!!」

「……ケンシン!!」

 立ったまま動かない剣心を見て、ルイズは思わず叫ぶ。

 それでも剣心は、何か不可解な靄を抱えた表情をしていたものの……、今はそれどころではないと思ったのだろう。突き刺さった逆刃刀の刀身を持ち、ルイズと一緒に自らも乗った。

「しっかりつかまっているのね!!」

 そう言って、シルフィードは大きく翼を広げて空へと舞い上がる。

 その下では、今まで激戦の地となった運搬船が、刃衛と同じように森の中へと吸い込まれていき、そして……。

 

 

 ドゴォォン!! と、轟音を辺りに響かせながら、船は爆炎を起こし粉微塵に大破した。

 

 

 燃え上がる火の手を遠目で眺めながら、アンリエッタがポツリと呟く。

「終わったのですね」

「……そうですな」

 アニエスもまた、寂寥を含んだ様子で同調する。タバサは氷のようなその眼で、ずっと立ち上る煙を見つめていた後、不意に剣心の方を向いた。

「刀、折れたの?」

「いや、刀身自体に傷はないでござる」

 壊れたのはあくまで柄や鍔のみ。峰と刃が逆のその刀身に、ヒビや損傷は見当たらない。

 そのことに、取りあえずほっとした様子の剣心だったが、やはりどこか浮かない表情をしていた。

「タバサ殿は、もう大丈夫でござるか?」

「ん、何とか」

 タバサ自身、何度か息を整えたり喉元の調子をみたりしていたが、特に問題なさそうだった。

 それでも、何か引っかかるのはタバサも同じだった。しかしそれでも、彼女はゆっくりと首を振る。

「でも、仮に生きてたとしても、もうあの体で剣を振るうのは無理」

 確かに。満身創痍の状態だったのだ。

 率直な感想だったが、それにはアニエスもアンリエッタも同じ思いだったようだ。

「確かにな。あれほどの激戦の結びが、少しあっけないものだったからそう思うだけだろう。奴はもう再起不能な筈だ」

 その言葉には、それで無理矢理にでも自分を納得させたい、というような願望が込められたような感じであった。だがルイズもそれに、素直に頷く。

「そうね。戦いはもう終わった。……それでいいじゃないの。ケンシン」

 そしてルイズは、無意識に身体を剣心へと預けた。背中へともたれ掛る格好で。

 渾身の『解除』を使った所為だろう。そのまま目を瞑り、すやすやと眠ってしまった。

 ただ、もう離れるのを無意識にでも嫌がっているのか、眠ったままでも剣心の服を必死に掴んで、離そうとはしなかった。

「……」

 そんな様子を見て、アンリエッタは思う。巻き込んだのは自分で、そこは申し訳なく思う。

 でも、それでもアンリエッタは、自分を優しく諭してくれた剣心の姿に、亡きウェールズの面影を重ねていた。

 自分もまた、彼の背中に縋れたら、どれ程楽なのか、そんな風に考えてしまうのだった。

(いいわねルイズ。あなたには頼れる殿方がいて……)

 そして、複雑な面持ちのまま、遠くで煙の手が上がる、船の残骸をただ見つめていた。

 

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