るろうに使い魔‐ハルケギニア剣客浪漫譚‐   作:お団子

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第六十四幕『飛天と烈風、相見えし時』

 

 ヴァリエールの屋敷から、少し離れた広地にて。

 剣心とカリーヌは、十メイルほど離れた地点で向かい合っていた。二人は円を描くように、歩きながら互いの様子を見る。

「初めて会った時から、感じておりました。あなたは強いと」

「拙者もでござるよ」

「是非あなたとは、杖を交えてみたいと思っていたのですが、その機会がこんなにも早く訪れようとは」

「拙者は、できれば遠慮したかったでござるな……」

 互いに強さの頂点にいるからこそわかる、混じりっ気のない賞賛の言葉。

 故に分かる。勝負は一瞬でつくと。下手な小技で牽制しあうより、強力な一撃でもって勝負をかけた方が良い。

 剣心とカリーヌは、同時にそう考えていた。

 やがてカリーヌは、杖を取り出し上空に突き付ける。それと共に、轟々と暴風が周囲に展開されていった。

 一方の剣心もそれに動じず、ゆっくりと逆刃刀に手をかける。

 

「ヴァリエール公爵夫人カリーヌ・デジレ改め元マンティコア隊隊長。烈風カリン」

 

「元長州派維新志士。緋村抜刀斎改めルイズ殿が使い魔。緋村剣心」

 

 カリーヌは過去の名声を、剣心は今の肩書を名乗り上げる。

 互いに自己紹介を交わしたのち、力強い声で同時に言った。

「「参る」」

 

 

 

 

 

第六十四幕『飛天と烈風、相見えし時』

 

 

 

 

 

「ケンシン……」

 その光景を、ルイズは固唾をのんで見守っていた。

 危ないからと、剣心、カリーヌの二人と、ルイズ達とは五十メイル以上離れていた。こうなってはもう、誰もあの二人を止めることができない。

「ミ、ミス……。あのお方が、ミスのお母さまなのですよね……?」

 ルイズの隣で見守っていたシエスタもまた、気が気でない様子で口を開く。今まで見てきた、上辺だけを取り繕っている貴族たちとは違う、『本物』の気迫を放つ夫人を見て、ルイズに尋ねずにはいられなかった。

「シエスタ……あんた、トリステインの先代マンティコア隊隊長って、知ってる?」

「烈風カリン様の事ですか? でしたらわたしも知っていますよ! トリステインで知らない人なんていないんじゃないでしょうか?」

 平民であるシエスタでさえ、その名は知っているといわんばかりに首を振った。おとぎ話のような数々の武勇伝……。一人で竜の群れを退治しただの、国内の反乱を未然に防いだだの、ゲルマニア軍をその異名だけで退かせてみせただの。

 その名声は、田舎であるタルブでも轟いていた。

「とってもお美しい方だったとお聞きいたしましたが……。まさか、その……、カリン様って……」

「ええ、そうよ。わたしの母で」

「わしの妻だ」

 あとの言葉を、同じく隠れていたヴァリエール公爵が引き取った。先ほどの威厳は何処へやら、娘と同様、完全に観戦を決め込んでしまっている。

「と、父さま、止められませんの?」

「無茶を言わないでおくれルイズ。お前も分かっているだろう? ああなった母さんはもう、誰にも止められぬ」

 顎髭をしごきながら、ただ嵐が過ぎ去るのを祈るような口調で公爵は言った。シエスタはただあわあわしていた。

「ケンシンさん、大丈夫なのでしょうか……?」

「流石に殺されはせんだろうが……。まあ、こうなったらもう、彼に全てを託すしかあるまいて」

 それに、公爵としても又聞きとなっている剣心の実力を、きちんとこの目で見たいという思いも同時にあった。

 妻があれほど評価しているのだから、実力はまず間違いないのであろうが……。それでも大事な愛娘を託すに値する男なのか、これでわかる。

 ルイズもまた、隣にいるカトレアに無意識に体を預けながら、事態を見守った。

「ちいねえさま……」

「ルイズ、あなたの優しい使い魔さんを、信じましょう」

 

 

 カリンが呪文(ルーン)を紡ぎ始める。それに伴い巨大な竜巻が二つ、三つ、四つと増えていった。

「相棒、ちょい余裕かましすぎじゃねえか?」

 夫人が従える竜巻の群れを前にしても、一切動じずに佇んでいる剣心に向かって、背中に納められたデルフが、そう言ってきた。

「別に、そんなつもりはさらさらないでござるよ」

「まあだろうけど……。一応教えておくぜ。あれはタダの竜巻じゃねえ。魔力の風の間に、真空の層が挟まっていて、振れると斬れる恐ろしいスクウェアスペル……。『カッター・トルネード』だ」

 デルフの解説を耳に入れながら、剣心はまだ事態を静観する。見れば、複数うねっていた竜巻は段々と寄り合い、一つの巨大な台風を作り出していた。

「俺でさえ、あれを完全に吸収はできねえ。お手上げさね。素直に逃げに徹したほうが、無難だと思うけどなぁ」

「それだけではないようでござるよ」

 剣心はそう返す。カリーヌ、否、烈風カリンは台風を背景にする中、更に大きく杖を回した。

 それに伴い、風の動きがさらに激しくなる。

 デルフも、ここから先はカリンが何をしようとしているのか、さっぱりわからなかった。ただ、危ないという漠然とした感情だけが警鐘を鳴らしていた。

「なあ相棒、あれヤバいって!」

「…………」

 それでもなお、剣心は慌てず騒がず、ゆったりとした仕草で抜刀術の構えをとる。

 やがて、剣心の静かな剣気に呼応するかのように、左手のルーンもまた、桃色に光り輝く。

「――――はぁあああああっ!」

 竜の咆哮を思わせるようなカリンの叫びが、更に台風の動きを強くし……、次の瞬間、一気に収縮していく。

 ここで、デルフもようやく勘づいた。彼女が何をしようとしているのかが。

「ま、まさかあのあまねく真空の刃を、一本に凝縮するつもりなのか……! どんだけバケモンだよ娘っ子の母ちゃんは!?」

「………」

 剣心が見据える先。そこには段々と削がれていく暴風の勢いと、それに比例して強大な一本の風の刃が、徐々に形造られていく光景だった。

 最初は暴風をそのまま叩きつけるのかと思案していたがそうではない。火力と速度を最大限に発揮するために、うねる風の勢いを魔力で研磨し、『巨大な真空刃』を精製しているのだった。

 その力はおそらく、ドゥドゥーの巨木のような『ブレイド』とは比較にならない。

 まず間違いなく、この世界に来て最大と言える『破壊力』。まともに当たれば、まず無事では済まない。

 やがて、うねりは徐々に収まり、杖の先端からは小さな鞭のような風の刃が生み出された。

 

(――――来る!!)

 

 剣心は目を見張った。しばらく上でくるくると円を描いていた杖が、どんどん大振りになっていく。それに伴い、強烈なまでに圧縮した『殺気』が、今度は一気に膨れ上がった。

 ブゥゥゥウン……。という、次元の壁をこするかのような音を立てたのち、それは一瞬で殺到する。

 かつて真古流の頭目が使っていた、『飛飯綱』を、数万倍強力にしたかのような一撃。

 それに反応した剣心もまた、刹那の動きで抜刀。『ガンダールヴ』の光を輝かせながら『左足』で強烈な一歩を踏み込んだ。

 

 さて、それを遠巻きに見ていたルイズ達はというと。

(おいおいおいカリーヌ! それはいくらなんでもやりすぎだろう! 本気で彼を殺すつもりか!?)

 内心、ヴァリエール公爵は大きく焦っていた。彼女の風の動きは完全に、当時竜の群れを薙ぎ倒した動きと全く同じだったからだ。

 強靭な竜の鱗を切断できるように、どこまでも殺意と火力を上げた『風の一撃』。当然、人間が食らえば真っ二つどころでは済まない。

 流石に止めるべきか……? と一瞬思考を巡らせたが、逆に言えば夫人は、そこまで剣心の実力を買っていることの裏返しでもある。

(ならばもう、賭けてみるしかあるまい……)

 ルイズに一瞬視線をやって、最終的に公爵はそう結論付けた。

 しかし、これなら余波も相当なものが来るだろう。少なくとも自分たちですらここにいては危ない。

 公爵は杖を掲げ、強力な水の泡でルイズとシエスタ、カトレアと自分を包み込んだ。そして次の瞬間――――。

 

 ――――ドオォオオオオン!!

 

 強烈な豪風が、水のバリア越しにルイズ達の体を叩いた。加えて、水球の上部が、すっぱりと鋭利な刃物で切断される。

「きゃあああああああああ!!」

 ルイズ達は悲鳴を上げた。公爵ですら、目を開けているのがやっとだ。娘たちでは耐えることすら精いっぱいであろう。

 遅れて聞こえてきたのは、ガラガラと崩れ落ちるかのような音。透明な水の泡越しに背後に目をやると、そこには斜め上に切り裂かれた自分の屋敷があった。

 余波で屋敷の屋根すら切断する『風刃』。改めてカリーヌが、手加減や遠慮なくあの一撃をぶっ放したことに気づいた公爵は、次第に顔を真っ青にさせた。

(やりすぎだよカリーヌぅぅぅ……)

 ルイズ達もまた、屋敷の惨状に気づいたのであろう。ただただあんぐりと口をあけながら、今度はもうもうと立ち込める煙の先を見やった。

「け、ケンシンさん……!」

「ケンシン……」

「あら、まあ……」

 三者三様に女性陣も驚く中、煙の先で見えたものは――――。

 

 

 さて、そんなことが起こる少し前、ヴァリエール家。

「まったくもう。ルイズったらどこに行ったのかしら……」

 長女のエレオノールは、不機嫌な足音を鳴らしながら、ルイズを探し回っていた。

 昨晩起きたという襲撃事件について、彼女の口からもっと聞きたかったのだが、それを察したルイズはとっとと退散してしまったからだ。

 勿論、剣心とルイズが、全てを解決させたなんて話は信じていなかった。信じてはいないが……、まあ弁明だけは聞いてやろうと思ってはいた。

「大体何よ、あの平民が来てからウチは騒がしいことだらけ。疫病神なんじゃないかしら、アイツ……」

 どうにも、剣心が来てから調子が狂っているような気がする。それはこの長女もはっきりと察していた。あんな虫も殺せないような優男なのに、なぜか父や母や次女は、全面的に彼の肩入れしているようでもあった。

 全ての原因はあいつにある。だからこそ、自分だけ蚊帳の外にいる現状がとにかく気に入らない。

「とにかく、ルイズを問い詰めないと。ホントにもう、あの子ってばいつも騒ぎを起こしてばかり、早く婿でも取りなさいっての――――」

 その時だった。

 

 ――――ドオォオオオオン!!

 

「ひいっ! なに! 何なのよ!?」

 いきなり外で轟音が発生したかと思えば、続いて何かが崩れるような音が、エレオノールの耳を叩く。

 窓の方を見れば、瓦礫や屋根の一部と思しきものが、丁度地面へと落下している途中であった。

「きゃああああああああああ!」

 エレオノールは思わず悲鳴を上げる。あまりにも突飛すぎる状況だったため、魔法で対処することすら忘れていた。ただただうずくまり、異変が過ぎ去るのを待った。

 

 

 渾身の『カッター・トルネード』。幾重にも重ねた真空の刃を圧縮させ、それを一本の剣として放つ。今カリンができる最大最強最速の一撃だった。

 若いころはこれを見せただけで、大抵の軍は戦意を失い撤退していった。火竜の群れですら、恐れおののき空へと逃げ帰る姿を見たことがある。

 だが、この男は、そんな研ぎ澄ませた刃を真正面から見据えていた。どこまでも。

『死』を乗り越えた、その先にある確かな『未来』を見つめている、そんな目だった。当然、彼のような手合いは、カリンでさえ初めて会った。

(だからこそ、戦ってみたい。全身全霊をもって)

 混じりっ気のない本気。昨夜の彼の動きを思えば、これぐらいせねば逆に失礼というもの。

 恐らく彼は、あの『奥義』を打ってくることを、予感していたから。

(さあ、来なさい――――)

 完成した『風刃』を、彼に向かって放った。

 その刹那、彼の姿が、消えた。

 そして――――――――――――。

 

 刹那、彼女の脳裏を過ったのはありし時。まだ自分が騎士ですらなかった頃。

 若気の至りで今の旦那に挑み、あと一歩まで自分を追い込んだ時の、彼の表情であった。

 

 

 もうもうと立ち込める煙。

 ルイズは思わず、その煙の発生源に向かって走り出した。

「あ、ミス・ヴァリエール!」

 慌てて、シエスタも彼女の後を追う。公爵は一瞬、止めようか迷ったが、追撃が来る気配はないため、あれで決着はついたのだろうと予感はしていた。

 杖をつき、カトレアも連れて、ゆっくり歩きだす。

「ケンシン! ケン――――」

 ルイズはただ、自分の使い魔の名を呼んでいた。

 無事でいて―――。ただそれだけを願って。

 あんな風の刃、まともに食らっていたらまず生存は絶望的だ。

 そしてゆっくりと煙が、晴れていく。そしてルイズが見たものは。

「―――――えっ!?」

 

 

 至近距離まで接近した剣心が、カリンの杖の向きをそらしたまま固まっている姿だった。

 刀身の腹の部分で彼女の手の先をずらし、そしてまばゆく光る切っ先は、鉄仮面ギリギリを触れていた。

 

 

「なにっ――!」

 後からやってきた公爵でさえ、そんな頓狂な声を上げずにはいられなかった。まさか、無傷であの一撃をやり過ごしたのか。

 しかも、杖の先端をずらしたということは、その後の余波の流れまでしっかりと考えていたということ。もし彼が切っ先をずらさなかったら……、屋敷はもっと酷い状態に追い込まれていたことであろう。

(間違いない。彼は『本物』だ)

 平民とか貴族とか、もうそういう考えはどこかへ吹き飛んで行ってしまった。

 夫人の全身全霊を受け止められる者は、エルフだってそうはいない。そんな確信がずっとあっただけに、それを見事やり過ごした剣心の剣腕もまた、本物であるとこれでわかった。

 これなら、いかにレコン・キスタといえど、遅れを取ることはきっとないであろう。

(カトレアの言う通り、彼に賭けてみるか……)

 公爵は静かに目をつむった。

 

 

「け、ケンシン……」

 一方のルイズは、固まったままの二人の姿を、棒立ちのまま見ていた。

 ずっとこの光景が続くのか……、そう思案していた矢先、微妙にだが変化が起き始める。

 逆刃刀の切っ先の更に先、当たってないはずのカリンの鉄仮面が、ピシリと音を鳴らした。

 やがてそれはヒビとなって目に見える形となり、そして大きな亀裂を生む。

 次の瞬間、仮面は粉々に砕け散り、宙を舞っていた帽子は地面にひらりと落ちる。それと同時に髪留めが解け、ブロンドがかった桃色の髪が肩にまで広がった。

 

 貫禄が出たルイズのような姿になった母カリン、否、カリーヌは、どこまでも清々しい表情をしながら、皆に告げるように言った。

 

 

 

「御見事。わたしの負けです」

 

 

 

 エレオノールが、外へ出て事態を飲み込めた時は、既に決闘は終わっていた。

 カリーヌはどこまでも澄んだ鳶色の瞳で、剣心を見る。それは今まで娘たちが見た事ないような、晴れ晴れとした顔つきであった。

「先ほどのあれが、昨晩言っていたあの――――」

「左様。拙者の『奥義』でござるよ」

「天翔ける『竜』の閃き、でしたか。なるほど確かにドラゴンの爪の如き一撃を、幻視しました」

 あの夜、ドゥドゥーの一撃が決まる寸前、全てをひっくり返すかのような強力な抜刀術を思い出しながら、カリーヌはつぶやく。

「一度竜の群れを追い払ったことはありましたが……、あなたの国に棲む竜は、あんなにも強大な力を秘めているという事なのでしょうね」

「カリーヌ殿もすさまじかったでござるよ。あの暴風を一本の『鎌鼬』にして放つなど、並大抵の集中では務まらないでござろう」

 ただ――――、と剣心は、若干の冷や汗を流しながら、後ろの屋敷に目をやった。

「ちょっと、危なかったでござるな」

「はい。ちょっと……、確かに……」

 ここでカリーヌは初めてバツの悪そうな顔を浮かべた。正直剣心のことばかり見ていたがために、放った後の風の行く先まで、完全に頭になかったのである。

 剣心がもし、自分の杖の切っ先を変えてくれなかったら、屋敷は今頃半壊どころでは済まなかったであろう。

(そういう意味でも、わたしの負けですね)

 集中するあまり周りが見えてなかった自分と、自分を見つつもちゃんと周囲に気を配っていた剣心。実力のみならず、精神的にも自分は負けたのだと悟る。

 ただ、剣心も剣心で、もしこの勝負が昨日の時点で起こっていたのなら、まず間違いなく負けていたであろうということも確信していた。

 これだけ優位に勝ちを拾えたのは、『ガンダールヴ』のルーンを最大限発揮した結果でもある。もしこれがルーンと不和の状態だったら、間違いなく回避前にやられていたのは明白。

 仮にルーンなしでも、普通に苦戦を強いられていたことだろう……。

(やはり、ルイズ殿のお母上なだけのことは、あるでござるなぁ)

 自分をこの地に召喚したことといい、さっきの父への言葉といい、ルイズは将来大物になるかもしれない。剣心もまたそんな予感を抱いていた。

 

「ケンシン! 大丈夫なの!?」

「ケンシンさん! お怪我の方は……」

 そんなこんなしているうちに、ルイズとシエスタが剣心に向かって駆け寄ってきた。

「大丈夫、問題ないでござるよ」

「ホント? ホントに大丈夫なの!? やせ我慢とかしてない!?」

 それでもルイズはどこか怪我していないか、必死に剣心をぺたぺたと触った。彼女がここまで心配するのは、剣心の中でも初めてだった。

「本当に大丈夫でござる。心配かけたでござるな、ルイズ殿」

「ホントにホント!? ……なら良かったぁ」

 そこでルイズもほっと胸をなでおろす。実際、母の凄さを常日頃から味わっていたルイズとしては、信じているとはいえ未だに「剣心が勝った」という実感がまだわかないのであった。

 そしてルイズは、ここで母の方を見る。対するカリーヌは昨夜に一瞬見せた、優しい表情で末の娘を見る。

「母さま……」

「ルイズ、彼はわたしにその実力を見せてくれました。決闘で負けた以上、もうわたしに何かを言う権利はありません」

 古い時代の貴族らしい、きっぱりとした物言いを聞いて、ようやくルイズも、剣心があの伝説と謳われる母にも勝ったという、実感が湧いてきた。

「じゃあわたし……!」

「好きになさい。あなたたちなら、どんな苦難にも立ち迎えることでしょう。それが分かりました。あなたたちの道に、始祖ブリミルの加護があらんことを」

 それを聞いて、ルイズは思わず瞳を潤ませた。あの母が、厳しくて褒めの言葉すら聞いたことのない母が、自分のしようとすることを初めて認めてくれた。それがとにかく、嬉しかった。

 そうしている内、ルイズ達の目の前に、避難していた竜が籠を持って降りてきた。

「では、父さま、母さま、ちいねえさま。わたし、行って――」

「あ、ちょっと待ってルイズ。あなたも」

「はい、わたしもですか?」

 ここでカトレアが、ルイズとシエスタを呼び止める。何だろうと二人は顔を見合わせると、カトレアは手を差し出てほしいというような仕草をした。

「何? ちいねえさま」

「これ、あなた達にあげるわ」

 そう言って、二つの小瓶をルイズとシエスタに、一つずつ渡した。

 秘薬かな? と首を傾げたルイズは、瓶から花のような香りが漂ってくることに気づく。

「これ、香水?」

「あ、本当だ。いい香りがします!」

「戦場では気が休まらないでしょうから。もし疲れた時はこれを使うといいわ。心が落ち着くわよ」

 ルイズは思わず瓶のふたを開ける。ふわりと包み込むような、そんなやさしい花の匂いが辺りに漂い始めた。

(……この匂い、まさか?)

 その匂いを嗅いだ剣心は、一瞬驚いたような表情をする。

「カトレア、この香水はどこのものだね?」

「『東方』で売られているという特注品ですの。確か『白梅香』と、言っておりましたわ」

 やはり……! 剣心は少し驚いたような顔をした。

 安らぎを得る香りの裏に隠れた……血の匂い。悲劇の裏には、いつもこの香りがあった。

 複雑な表情を浮かべる剣心とは裏腹に、ルイズやシエスタはすっかりこの匂いを気に入ったらしい。年相応の女の子のように話し合っていた。

「これ、わたしが頂いてもいいのですか? お高いものなんじゃ……」

「ちいねえさまがあげるって言ってるんだから、ありがたくもらっときなさいよ」

 その二人の話し声が、剣心はなぜか遠くのように聞こえていた。

 

 

 

 

 

「大丈夫。今度はきっと、守れますよ」

 

 

 

 

 

 いつの間にか隣に来ていたカトレアが、囁くようにそう言った。その言葉で剣心も我に返る。

 はっ、とする剣心をよそに、どこまでも慈しむような瞳で、最後にカトレアは頭を下げた。

「わたしの可愛い妹の事、どうか、よろしくお願いいたしますわ。騎士殿」

「カトレア殿……」

 忝い。と、剣心もまたお辞儀をする。それに続いて公爵と公爵夫人が、杖を大きく掲げた。

 籠の扉が開き、上に乗っていたドラゴンが、籠の四隅の紐を器用につかむ。

 今度こそ、ルイズが籠に入ろうとしたら、今度は母が呼び止めた。

「ああ、待ちなさいルイズ。最後に」

「な、なんでしょうか、母さま……」

 おずおずとルイズは前に出る。カリーヌは一瞬、考えたように目を伏せると、やがて意を決したように、ルイズの手を取った。

 そこで何かしら呪文を唱えたかと思えば、「飲みなさい」と藪から棒にそう告げる。

「は、はい」

 訳が分からなかったが、言われた通りにはルイズは、母が書いた手を口に当てる。

「わたしが昔、やっていた、勇気が出る魔法です」

「えっ! そんな魔法があるのですか!?」

「勿論ありません。ただのゲン担ぎにしかならないでしょう」

 しれっとそう言うカリーヌに対し、ちょっとずっこけるルイズ。

「わたしが深穴に落ちかけたところを、助けて頂いた騎士様がしてくれたおまじない。幼き頃のわたしは、幾度もこれを試しては自分を鼓舞してきました」

 ルイズは若干驚いたように顔を上げた。全てを薙ぎ倒す姿しか見てなかった彼女にとって、母の若かりし頃の話を聞くのはこれが初めてであったからだ。

「ですがいいですか? あなたはこれに頼ってはいけません。勇気とは常に無謀と紙一重。時には素直に身を引く『臆病』も備えなさい。それもまた勇気なのです」

「ではなぜ、わたしにこれを施したのですか?」

 疑問符を浮かべるルイズに対し、カリーヌは優しくルイズの頬を触った。今まで感じた事のない、ぬくもりを感じる手であった。

「……いけませぬか、娘の身を案じることが」

 それを聞いて、ルイズはまた心の底が熱くなるのを感じた。今まで自分は、愛されていなかったと思っただけに、心から案じるその言葉は、何処までもルイズを明るくした。

「お父さまもすでに言ったかと思いますが、必ず生きて帰ってきなさい。どれだけ遠回りしてもかまいませんが、この『規則』だけは違えることを許しません」

「……はい!」

 最後に二人は、ぎゅっと抱きしめあった。それを見てシエスタはほろほろと涙をこぼす。

 

 剣心もまた、この親子の絆に、少し温かみを感じていた。もう自分には、決して得られることのない温もりだから。

 だからこそ、必ずルイズは守り通す。改めて、心の中で誓いを立てる。

 

「では、今度こそわたしは――――」

「ちょっとまちなさあああい!」

 次こそは……。そう思った瞬間、今度は遠くでそんな声が聞こえた。

 見れば、慌ててこちらに駆け寄る長女エレオノールの姿が見える。

「何やってるのルイズ! それ、父さまが乗る竜籠じゃないの! どこへ行くつもりよ!」

「あ、エレオノール姉さま……」

 このやり取りの中、どこまでも蚊帳の外にあった長女を見て、説明を面倒に感じたルイズは急いで籠に乗る。

「ごめんなさい姉さま! わたしはもう行きますので!」

「はあ!? どうゆうことよ! ちょっ父さま、母さま! 何故止めないのですか!?」

 籠からルイズを引きずり降ろそうと駆け寄る姉の前に、父と母が今度は立ち塞がった。

「わしらは根負けした。ただそれだけだよエレオノール」

「ええぇ!? どうしてそうなりましたの!? だって昨日あんなに反対してたのに!?」

「そうだのう。そうだったのう」

 顎髭を撫でながら、遠くを見やる父を見て、エレオノールは目つきを鋭くする。

 やはりあの平民か!? あの平民が父をたぶらかしたのか!? そんな邪推すらしてしまっていた。

「ちょっとあんた! 父さまに何したのよ! あんたが何かしたんでしょ!」

「おろろ、何って言われても……、う~~ん」

 やりきれない怒りを剣心にぶつける。対する剣心は困ったように頬を描くだけであった。その対応がまた、ムカつく。

「何とか言いなさいよ! あんたが父やルイズに何かしたんでしょ!? 白状なさ――――」

「そこまでよ。エレオノール」

 すると今度は、カリーヌが長女に詰め寄った。いつもの厳粛な瞳を向けられたエレオノールは、それだけで押し黙ってしまう。

「それ以上の彼の侮辱は、彼との決闘に敗北したわたしを侮辱するのと同じ。その態度を改めないようであれば、わたしはあなたに制裁の杖を振らねばなりません」

「えっ、けっと……、ええぇ!?」

 その言葉に、再びエレオノールは思考をフリーズさせる。

 決闘!? ではやはりさっきの衝撃は母の風魔法なの……。いや、その前に、母が敗けた!?

 今の長女はただ、母から放たれる言霊に翻弄されていた。

「ほら、ケンシン、シエスタ! 早く行くわよ!! では父さま、母さま、エレオノール姉さま、ちいねえさま! 今度こそ、行ってきます!」

 これ以上ない笑顔を最後に家族に向けたルイズは、剣心とシエスタを籠に乗せ、扉を閉める。

 それと同時に、竜が翼を羽ばたかせ、籠を持ち上げた。

 行先は勿論、王宮。戦争への許可が出たことを、アンリエッタに報告するためであった。

「ちょっ、だから待ちなさいってルイズ! まだ話は――――」

 しかしそんな長女の言葉を待たず、ルイズ達を乗せた籠は既に空を飛んでいた。

 どこまでも澄みわたる青空に吸い込まれるように、その影はどんどん小さくなっていった。

「もうっ! どういうことなのよぉおおおおおおおおおおお!」

 そんな中、何処までも蚊帳の外にされてしまった。長女の嘆きだけが響き渡った。

 

 

 ルイズ達がラ・ヴァリエール家を後して。

 取り敢えず公爵が最初に行ったことは、妻が壊した屋敷の修繕であった。熟練の土系統を扱うメイジ数人を呼び寄せ、元通りに直すよう伝えると、ふとルイズがよく隠れていた中庭へと足を運んだ。

 

 池のほとりには、壊れた小舟が浮かんでいた。

 

 娘がよく、ここに隠れて泣いていたことは知っている。あの時は、よくワルドに慰めるよう伝えたものだ。

 だがそのワルドも自分を裏切り、あろうことかレコン・キスタの手先になったという。

「時の流れは、かくも人を変えるものなのか…」と、公爵は誰に言うでもない言葉を空に投げる。

 そして娘も今、この小舟から飛び立っていった。頼れる使い魔に導かれるように。

 小舟を直そうとして……、公爵はやめた。寂寥の思いが彼に呪文を紡がせなかったのだ。

「これはこのままにしておくか」

 そう呟きながら、ふと公爵が周りを見渡すと、カリーヌの姿があった。

 髪をひっ詰めたようなポニーテールにしていたカリーヌの姿は、何となくだが昔の見習いだった頃を思い出させる。

「どうかしたのかね?」

 なんか、妻の様子がおかしい。ちょいちょいとこちらを手招きしている。

 招かれるようにカリーヌの所へ向かうと、夫人は誰も見ていないかきょろきょろと確かめ始める。

 やがて公爵以外誰もいないと知ると、大きく息を吸って、そしてぶはっ!! と息を吐いた。

「はあっ! 危なっ、危なかったあああ!」

 冷や汗をだらだら流しながら、カリーヌ……、カリンは肩から息をする。いつもの厳粛な姿は消え失せていた。

 どうやら、一時的に精神が騎士見習い時代に戻っているようであった。

「ホントッッ、死ぬかと思ったよ! なにあの剣閃! 全然見えなかったんだけど!?」

「……お前は昔っからそうだよ。臆病なくせに変なところで突っかかって危険な目に遭う。幾つになってもそういうところは直らんなあ」

「だったら止めてよ! 『ぼく』死にかけたんだよ!?」

「いや、まずお前を止められないのに『おれ』が止められるわけないだろう? お前の風の向きを変えてくれた彼には、感謝してもしきれんよ」

 カリンの言葉遣いにあてられて、自然ヴァリエール公爵も言葉を崩す。こんな二人を見たら、長年使えた使用人たちは卒倒することであろう。しかし、ここにはこの夫婦以外に姿は見られなかった。

 しばらくそうやってわーわー喚いていたカリンであったが、やがて落ち着きを取り戻していった。

「……で、どうだったんだね。彼は」

 空を見上げながら、ヴァリエール公爵――老熟したかつてのサンドリオンは問う。

 カリンは、束ねた桃色の髪を掻き上げて言った。

「……何ていうかな。最初に彼と会った時、『灰かぶり』だった頃のお前を思いだした」

 それを聞いて、サンドリオンは若干目を見開かせた。

「さっきの決闘もそうさ。最後に彼の姿が消えた時、ぼくを追い詰めた時のお前の顔が過ったんだ。彼……、昔のお前に、なんか似てたんだろうな」

「そうか」

「まあ、あの時のお前ほどウジウジした感じじゃなかったから、嫌悪感は抱かなかったけどな」

「その話はもうやめてくれ……」

 あの頃の自分を思い返しながら、サンドリオンは呻いた。恋人を亡くし、家を捨て、酒と決闘に明け暮れる日々。今記憶をあさっても黒歴史しかなかった。

 いや、今だって思う。あの時カリンに出会わなかったら、自分はここに、立っている筈はないのだから……。

「カトレアも言っていたよ。彼はもう積もっていた『灰』を、既に払ってきているのであろうな」

「うん、……だからかな。負けたのに、悔しいって感情はあんまり沸かなかった。凄いさわやかな気持ちになったんだ」

 カリンは目をつむり、そして目を開け視線を空へと移す。鳶色の瞳が、青い空と白い雲を映していた。

「彼になら、ルイズを託せる。あいつもぼくのように、立派な騎士になって帰ってくる。そんな気がしたんだ」

「……分かったよ。おれももう、腹はくくった。この先何があろうと、彼らの行く道を、祝福するとしよう」

「うん。そうだね……」

 その後、この夫婦にしては珍しく、互いに寄り添ってしばし、空を見上げていた。

 空は何処までも、綺麗な青を映していた。

 

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