ガリア王国。
ハルケギニアでは最大の領土を誇る大国であり、その人口は千五百万人を越える。当然、貴族であるメイジの数も多い。
自然、その首都であるリュティスもまた、ハルケギニア最大の都市として名をはせていた。
その首都リュティスにある宮殿ヴェルサルテイル。更にその宮殿内にある青いレンガで象られた宮殿、グラン・トロワに現在、ガリアを治める王、ジョゼフ一世は住んでいた。
「陛下、陛下! 探しの物を見つけて参りました!」
「おおモリエール夫人よ! あなたはわたしの最大の理解者だ!」
青みがかった美髯の偉丈夫、ジョゼフは少年のような笑顔を見目麗しい貴婦人、モリエール夫人に向ける。
夫人が持っていた小箱を受け取ると、彼女を大きな部屋の一室に招き入れる。
「ささご覧になってほしい!! これがわたしの『
十メイルはあろうかという巨大な箱庭を見て、モリエール夫人は目を丸くする。それはまさにハルケギニアの模型図であった。
しかし、アルビオンを除く国はさほど大きく作ってはおらず、どちらかというと宙にぷかぷかと浮かぶ模型……、
更に、そのアルビオンの地理地名はかなり詳細に記してあった。そしてよく見ると地名のそこここに、様々な色合いをした駒が多く置かれている。
「あの、陛下。これは一体?」
「おお、よくぞ聞いてくれたな夫人よ! これはいわば『チェス』の沿線上。余はこれを使ってある者と指しておるのだ」
心底楽しそうな表情で、ジョゼフは言った。モリエール夫人は憐憫ともとれる表情を、この王様に向ける。
幼少期より魔法が碌に使えぬ凡愚。優秀な弟といつも比較され、結果親しい仲間を作れなかったこの王様が、やがて
だからこそ、自分は陛下の凍った心を溶かしてあげたい。その一心でこの無能王に付き添っているのであった。
しかしジョゼフはそんな彼女の心情を知ってか知らずか、受け取った小箱から人形を取り出し、更にアルビオン模型へと並べていく。
そして藪から棒に、夫人に尋ねた。
「時に夫人よ、あなたは『ショーギ』なるものを知っているかね?」
「『ショーギ』ですか? いえ、初めて聞きました。
「いやいやいや違うのだよ夫人! どうやら『
そう言いながら、ジョゼフは部屋の明かりを消す。するとアルビオンを模した模型の上に、チェスのような基盤が薄っすらと光りながら現れた。
「チェスよりも少し複雑でな。きちんと駒毎に役割があって、王を詰めるのは同じなのだが……、一番違うのは、奪った駒を自分のものとして使えるということだ」
「へぇー。そんな遊びが東方にはあるんですか」
「ああ、何よりこの奪った駒をどう使うか……、これが中々どうして、考えさせられてな。とにかく、楽しいのだよ!!」
人形を一手、動かしながらジョゼフはそう言った。彼の対面には、あえて人一人が同じようにアルビオンにある駒を指せるような『間』があるのだが、ここに誰か立つのを、この王様は大いに嫌がることを夫人は知っていた。
まるで見えない誰かと、対面を楽しむかのような……。
そんな錯覚に陥るが、少なくとも夫人の記憶の中では、そんな人間はまだ、見たことながない。
また一つ、ジョゼフは人形を動かす。駒にはそれぞれ『歩兵』、『金将』、『銀将』、『桂馬』、『香車』、『飛車』、『角行』と、意味がよく分からぬ字が並んでいる。
そんな、疑問符を浮かべる彼女を気にすることなく、ジョゼフは『飛車』と書かれた騎士人形を動かした。
「特にこの『飛車』はすごいぞ。敵陣に入るとなんと
「はあ、その……、陛下」
「ちょっと黙ってくれぬか夫人よ」
一方的に話しておきながら、一方的に話を拒絶する。こんな対応も夫人は慣れっこだった。
「マコトよ。お前ならこの局面、どう指すつもりなのだ? すでに
今度はぶつぶつと、いない誰かに話し始めた。マコトという名前はよくこの王様が口にしているのだが、誰何してもはぐらかすだけで答えてはくれない。
一応、ジョゼフが対面に向かって話しかけているのだから、彼こそがその『ショーギ』を教えてこの美髯の王と対局している友人、ということだけは何となく察していた。
「向こうは既にレキシントンという『飛車』を落としておる。さしずめアンドバリの指輪は『角行』だな。どう転ぶか、この駒の動きで良くも悪くも変わってくるが……」
そんな折、今度は懐から人形を取り出した。黒い髪をした女性のような人形だ。
「おおそうか! トリステインにはもう伝えたか! 流石だ余の
その人形を耳に寄せ、人目を憚らずそんなことを話し始める。誰が見ても、気が触れたとしか思えないような様子だった。
それからしばらくして、ジョゼフは様々な顔色に変える。何かにつけ一喜一憂しているような、そんな感じだ。
「偵察人形を潰されたと。成程、流石『ガンダールヴ』、いや奴の世界では『抜刀斎』とか言っていたな。単騎で千人以上を屠る化け物と聞くぞ! なんと愉快な存在だろう! これは間違いなくトリステインにとっての『飛車』であろうな! さしずめ、何が来るか読めぬ虚無は『角行』か!」
そしてしばらく耳を傾けるような表情をして、また呵呵大笑を始める。
「そうともよ! 余のミューズ。確かに秘宝の数はあちらの方が少し多い。こちらは土のルビー、始祖の香炉の二つ、向こうは祈祷書と、風、水のルビーの三つだ。しかし『情報』という武器が奴等にはない。情報戦に限ってはロマリアの方が上であろうが……、何、それでも依然優位な状況に変わりはない」
カカカ、とひとしきり笑った後、付け加えるようにこう続ける。
「さて、次の盤上は既にできたぞ。アルビオンだ! まず間違いなくここに、『新たな虚無の担い手』がいると踏んでおる! 余はやはり、マコトが立てていた推論が正しいと思っていてな。当面はレコン・キスタを攻めるフリをしながら、そいつを炙り出すことにしよう」
そんな風に笑っていたジョゼフだったが、なぜか次の瞬間、真顔になったかと思えば、怒気を込めたような表情を人形に向けた。
「戯けたことを抜かすでないぞ……。貴様にマコトほどの価値があると本気で思っておるのであれば、まずは余の言うことを忠実にこなしてみせよ。では一旦帰ってこい。新たな指令を伝える」
それを最後にジョゼフは、人形をポイと投げ捨てた。
この一連の流れを見ていた夫人は、この微妙な空気をどう察したらいいのか、しばし考え込んでいた。
しかしジョゼフは、まるでこんな会話自体無かったかのような屈託な笑顔をモリエールに向ける。
「ははは、夫人よ! そんなところで固まってないでこっちにきたまえ。一緒にこの模型のすばらしさを堪能しようではないか!」
場面はところ変わって、トリステイン魔法学院。
戦争が始まったおかげで今、男子生徒のほとんどは王軍へと志願した。勿論その中にはギーシュや、あの臆病者のマリコルヌまで入っているという。とはいえ、流石に戦争には出さず、国内の防衛に努めさせるということであるが。それでも手柄を夢見る多くの男子生徒は、自ら勇んで王宮へと向かったのだった。
そんなわけで今、学院内にいるのは女子生徒ばかり。下品に上品にぎゃあぎゃあ騒いでいる男どもの姿は見えない。
そんな中、タバサは一人、ヴェストリの広場にいた。
彼女の目の前には、巻き藁が二つほど置かれていた。自分で作った練習用のものだ。
周囲には誰もいない。否、自身の使い魔シルフィードが背後に控えている。
(お姉さま、ま~た変なこと始めだしたのね……)
そんなことを考えながら、シルフィードは自分の昼食よりも修行に精を出すご主人様を、恨めしげに眺めた。
後ろから噛んでやろうか? と思案していた刹那――。
タバサは抜刀術の構えから一閃、まずは『氷の刃』を纏った節くれの杖で横なぎを放つ。一つ目の巻き藁が真っ二つになって飛んでいく。
「きゅいきゅい!」
シルフィードが驚きの声を上げるのもつかの間、続いて『ウィンディ・アイシクル』で作成した『刀もどき』の氷刃を放つ。二つ目の巻き藁もまた、斬り口に氷の跡を覗かせながら、同じく真っ二つになって飛んでいった。
タバサ奥の手の必殺技『双龍閃擬き』だ。
「きゅい! また速くなった! すごいお姉さま!」
素直に感心したような様子でシルフィードは喚いた。手を変え品を変えこの二段攻撃の修練を重ねていたことは知っているが、これはその中でも最速ともいえる速さだった。
「もうその技極めたんじゃないのね? だから~、それぐらいの速さでこのシルフィにもお肉を提供するのね!」
と、シルフィードはタバサの頭をカプカプと甘噛みする。今は誰もいないため、喋るのを許可していた。
タバサはしばらく、使い魔にされるがままだったが……、やがてゆっくりとシルフィードを払いのけて、呟く。
「まだ極めてない」
「えぇ~~! そんなことはないのね~~。もう赤髪のおちびと同じくらいの速さに多分なったのね~~。その速さをシルフィの食事提供にとっとと利用するのね~~!」
「これで『極めた』なんて言ったら、あの人たちに鼻で笑われる」
タバサは分かっていた。彼らの別次元の強さにはまだまだ到底及ばないと。
強さというものの本質、根源……、それは地獄の底を渡り歩いた先にある。自分はまだ、その域に行けていない。
極めるとは、そういうコトだ。
今の『双龍閃』も、所詮は剣心の猿真似に過ぎない。この手が通用しないのは、刃衛との戦いで身に染みて分かっている。
でもまずは基礎からだ。タバサはこの技を中心に、自身のオリジナルを創ろうと起案していた。魔法と剣の流派を組み合わせた、全く新しい戦闘術。そこまで行けば、間違いなく強さの壁を越えられる。
だが、それを構築するにはまだまだ、実戦経験が足らなかった。
そしてこういう時に限って、北花壇騎士としての任務が舞い込んでこない。今は経験値が欲しいのに……、少し悔しい思いもあった。
(ガリア参戦、それが起因しているの……?)
タバサは思案する。ガリアがレコン・キスタに攻め入るという報は、既にこの学院にまで届いている。
そのせいで今、自分に構う暇がないのだろうか。ただこれは、見方を変えればチャンスでもあった。
(今のうちに母さまとペルスランだけでも、安全な場所に移せないかな? いや、その前にまずは、正気に戻す薬を手に入れないと……)
戦時の裏をかいて、王を暗殺できないかとも一瞬考えを過らせたが……まだ、今の実力じゃ返り討ちに会うのがオチか。
やはり今は、従順なフリをするのが得策。そう思うたび、タバサは自分の無力さに内心、歯噛みしていた。
もし自分に力があったら……。こんな絶好の機会、いつまた訪れるか分からないのに……。
若干、ほんとに若干であるが負の感情で顔を歪める主人を見て、シルフィードは切ない思いに駆られた。
そして、ついに思っていたことを主人に告げる。
「ねえお姉さま……。やっぱりお姉さまの今の境遇を、あのおちびに伝えたらいいんじゃないのね?」
シルフィードは思いだす。かつてアルビオンに向かおうとした時、彼は確かに『力になる』と言ってくれたことを。
「そうやって苦しむお姉さま、シルフィ見たくないのね。あのおちびなら多分、ううん絶対に今のお姉さまを、助けてくれると思うのね」
「…………」
シルフィードも、剣心たちを何度も乗せているのだから、彼の人の好さをちゃんと理解していた。それにとっても強いということも。
「ねえお姉さま! シルフィ思うのね! あのミイラ男とは何があったか分からないけど……、あんなやつよりおちびの方が絶対頼りになるのね! だから――」
「大丈夫」
しかしタバサは、強い瞳で自分の使い魔を真っすぐに見つめた。
「彼はミス・ヴァリエールの使い魔。やれることに限界はあるし……、何より、彼の手を借りたままでは、それ以上わたしが成長できない」
「でも……」
「わたしは本当に大丈夫。心配してくれてありがとう」
そして、雪風と呼ばれるほど無表情な主人は、本当に、本当に珍しくも優しい微笑みをシルフィードに向けた。
それを見ると、シルフィードもそれ以上何も言えなくなってしまった。
「お肉」
「え?」
「欲しい?」
「――うん! おなかすいたのね!」
そんなやり取りをしながら、二人はヴェストリの広場を去った。
人気のない広場から、昼休みのティータイムを楽しむ女子たちで溢れかえっているアウストリの広場へ、足を運んだ時だ。
「ああいた! タバサ殿!」
先ほど会話にあげていた信頼できる使い魔こと、緋村剣心がタバサを訪ねにやってきたのだった。
「そう、あなたたちも戦に」
「そうでござるな」
その後、二人と背後の一匹は、特に目的もなく歩いていた。
途中、そこそこの女子学生がすれ違ったり歩いたりしているので、シルフィードは再びおしゃべり禁止となっている。
「なのでしばらくここを空けることになるでござるが、ここを出る前に、どうしてもタバサ殿が気になって」
「何故?」
「此度の戦、ガリアも関わってくると聞いて、でござる」
剣心は真剣な眼差しで答える。なるほど確かに自分はガリアのシュヴァリエ。情報は欲しいだろう。だが……。
「ごめんなさい。多分あなたが知りたいと思うような情報は、わたしは持ってない」
先にくぎを刺しておいた。実際これは間違ってない。ガリアが戦に出るなんて、この国の人づてに聞いたことだ。
だから、役には立てない……。そう言おうとした矢先だった。
「いや、拙者は今回のガリアの報と、タバサ殿が本当に困っているワケに、何か関連性があるのではないのかと思ったのでござるよ」
「!?」
タバサは驚きで目を見張った。それを見た剣心は、確信を強めたようにこう続けた。
「やはり、関係ありそうでござるな」
「……ひっかけたの?」
「まあ多少。すまないでござる」
勘が鋭いとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。タバサはまだまだ、彼を過小評価……、しているつもりは決してなかったが、それでもまだ甘く見積もっていたようだ。
シルフィードも、ここぞとばかりにきゅいきゅい喚き始める。誰もいなかったら、勝手にタバサの身の上話をしそうな勢いであった。
これに驚いた女子学生が此方を見ているため、話はできなかったが……、その瞳には期待の表情を込めている。
「言ったでござろう? 拙者はタバサ殿の力にもなりたいと。もしアルビオンに行く道中で、タバサ殿の困りごとにも手を貸せたらな、と思った次第でござる」
「……あなた、心臓に悪い」
「よく言われるでござる」
何も自分から言ってきてないのに……。勝手にずかずか自分の心に入り込まれるような感触を、タバサは覚えた。
だがその感触は、決して不快感はない、どころか、心地よい感じにさせた。
彼のその行動は、どこまでも善意でしかないことが、タバサにも伝わっているからであった。
そして一瞬迷う。本当に、自分のことを、伝えようかと……。
「もしよかったら、話してもらえないでござるか?」
(お姉さま! ほら早く! 今がチャンスなのね!)
シルフィードも、心の声で早く早くとせかしてくる。
タバサは一瞬だけ、自分の過去を話そうと口を開きかけ――――。
「……ぁ……」
脳裏に一瞬、あの言葉が……、彼の表情がよぎった。
『所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ』
「………………」
「タバサ殿?」
本当に、これでいいのだろうか?
彼におんぶにだっこで、それですべてが解決できるのなら……どれほど楽であろうか。
実際、もしあの業炎の邂逅がなければ、タバサは間違いなく自分の思いの丈を、すべてを剣心にぶちまけた事だろう。
だがこれは、自分独りで行くと決めた道。なのに、ここで彼の介入を許したら、自分はそれ以上強くなれないのでは…という錯覚がタバサを襲った。
また先ほど脳裏に過った言葉が、なぜか彼女に言葉を継がせなかった。
「……ううん、わたしは大丈夫」
結局、出たのはそんな言葉。シルフィードはもう、思いっきりきゅいきゅい喚いた。
剣心もまた、重篤な患者を診るような面持ちで、タバサに尋ねる。
「本当に、良いのでござるか?」
(良くないのね! お姉さまを助けてほしいのね!)
シルフィードはもう、ここぞとばかりに哀願の目を向けた。剣心も当然、この韻竜の気持ちには気づいている。
だが、当のタバサは首を振った。どこまでも、自分独りでやると、そう心に決めている瞳であった。
「わたしに構うより先に、あなたにはやるべきことがある筈」
「おろ……」
「わたしのことは気にしないで。本当に、大丈夫だから」
もう何回、自分は『大丈夫』と口にしただろうか……。タバサはふとそんなことを思い始める。
だがもう、これは自分の問題。放っておいて欲しい。そんな感情を目に、短い言葉に表す。
それ見た剣心も、もうこれ以上話してくれないだろうと悟り……、最後にこう告げた。
「相分かった。最後に一つ、質問でござるが…」
「何?」
「ガリア王国、今の王はジョゼフという者が治めていると、アンリエッタ殿から聞いたでござる」
ジョゼフ。それは仇の名……。
タバサは努めて冷静な表情を作って、剣心の話を聞いていた。もうこれ以上、踏み込んでほしくないという防衛本能かもしれない。
それでも、タバサに心の中で謝りながらも剣心は続ける。
「そのジョゼフという者、幼少期より魔法の才には恵まれず、そして現在は『無能王』として、自国でも軽んじられていると聞く」
「……」
「そしてその者、アンリエッタ殿の話によると、髪の色は『青色』と聞いているのでござるが」
今、わたしはどんな顔をしているのだろうか?
剣心の話を聞きながら、ふとタバサは思った。
確かに、青髪は『ガリアの青』と呼ばれるほどに、権威の象徴ではある。
だが、それだけで王族とバレるのであれば、もっと自分への対応は違っているはずだ。それは北花壇騎士としてのに任務をこなすうちに、気づいた事柄でもあった。
つまり、この髪色は珍しいこそあれど、それだけで高貴なる者であるという断定まではならない。
そう、思っていたのだけど……、
「もしやタバサ殿も、現ガリア国王、ジョゼフに近い立ち位置の者なのではないかと、思ったのではござるが……」
剣心はそう続ける。事実、彼からしても、タバサが確実にそうであるという確信までは、まだ抱いてはなかった。
ただ、彼は話しながらタバサの反応を見ているのだ。
『タバサが王族である』
それが嘘か本当か、彼女の対応を見れば、すぐに分かると剣心は踏んでいるのだった。
普段ならタバサも、こう問われても決して表には出さなかっただろう。しかし……、剣心ほど心を読んでくる人間ともなると、話が違ってくる。
事実、タバサの顔は、冷静とは程遠い表情を浮かべていた。シルフィードでもこんな、主人の追い詰められた表情は初めてだったので、内心驚いていたくらいだ。
「タバサ殿は、もしや……、現国王ジョゼフへ復讐したい一心で、強くなろうとしているのではござらんか――――」
「それ以上言わないで!!」
人目を憚らず、タバサは絶叫した。
剣心から一歩飛びのき、咄嗟に『
この時のタバサの顔つきは……、汗をこぼし、息も絶え絶え。普段している氷のような無表情とは、程遠い姿だった。
「タバサ殿……」
「あっ……」
防衛本能のように構えてしまったことに、タバサは後から気付いた。ようやく理性が、感情に追い付いてきた。
隣のシルフィードはきゅいきゅいと喚き、この様子を見ていた女生徒たちは「なにごとなの?」と、奇異なものを見る視線を、此方へと送っている。
「……ごめんなさい」
「いや、拙者こそ申し訳ない。少し、踏み込みすぎたでござったな」
バツが悪そうな表情で、タバサは剣心に向けていた『氷の矢』を解除する。氷は水となって、その場でパシャリと音を立てた。
剣心もまた、タバサのこの動揺を見て……、やはり強さを求める理由に、ジョゼフが大きく関わっていることを見抜く。
タバサはどう言い繕うか……、頭の中で言葉を考えていた時、先に剣心がこう言ってきた。
「大丈夫、もう拙者もそれ以上は、今はまだ聞かないでござる。……けど、これだけは言っておく」
剣心もまた、タバサの心にこれ以上踏みまわるのは忍びないと感じていた。今の彼女に必要なのは気持ちを整理する時間。混乱しきっている今の状態で答えを急いても、碌なものが返ってこないのは、自分も
だから今は、彼女が安心できる拠り所を、一つでも多く作っておくこと。それが後で活きる筈だから――――。
「もし、本当に無理だとタバサ殿が思った時には、必ず拙者が助けに参るでござるよ」
剣心は最後に、にこやかにそう言った。
タバサは再び、不思議な気持ちになる。
自分の心という、部屋の中に勝手に上がりこむくせに、入る時と出る時はキチンと礼をしていくような、変なこそばゆさを覚えたのだ。
剣心の笑顔を見て、いくばくか落ち着いたタバサは……、彼の表情を見ながら、こう言った。
「分かった。気にかけてくれて、ありがとう」
次いで、ぺこりと頭を下げる。先ほどの非礼も兼ねて。
剣心もまた、にこやかな微笑みをタバサに返した。シルフィードはしばらく不満そうにきゅいきゅい喚いたが……、やがて大きなため息をついた後は大人しくなった。彼女なりに、納得してくれたのかもしれない。
「ではここで、失敬」
「うん、また」
そして二人は別れた。タバサはそのまま教室へ、剣心は最後に、コルベールのいる火の塔へ向かった。
しかし剣心とタバサは知らなかった。こうやって面と向かって言葉を再び交わえる日が、かなり遠くなろうとは―――――。
あの時、無理にでも事情を聞いていれば……、と剣心が、やっぱりちゃんと話すべきだったのかな……、とタバサが、後悔に駆られるようになるのはまだ先の話。
これから剣心は、ルイズと共に練兵場へと赴き、そしてそのままラ・ロシェールに向かう手はずとなっている。
ただその前に、思い残すことがないよう、学院に一度立ち寄っていたのだった。
一つはタバサの件。もう一つは……。
「コルベール殿、コルベール殿はいるでござるか?」
火の授業を受け持つ教師、コルベールへの挨拶である。
彼とは、授業での一件のあと、何かと気が合うようになった。色々便宜を図ってもらったこともあった。そのお礼を一度、ちゃんと言っておきたかったのだ。
(それにしても、ずいぶんとまた
研究所の外で待っていた剣心は、いつの間にか明かりを照らす照明塔が、周囲にたくさん散乱しているのに気づく。
明治になってから見かけた新技術。外国の技術を取り入れ新しい彩りを築く。文明開化の光だ。
それをこの時代に……、魔法が台頭するゆえに諸々の技術が低いこのハルケギニアで、自力で開発できるコルベールは偉人だと、剣心は素直に思っていた。
ただ、外見はまだフラスコ瓶や動物の皮や紙を使ったものなど、珍妙なものが多いが……。それもまた試行錯誤の表れなのだろう。
「あぁ、すまないケンシン君。ちょ、ちょっと待ってくれたまえ」
そんな未来の偉人ことコルベールは、剣心のノックに対し慌ただしい声で扉を開けた。
室内も瓦斯燈による明かりを使っているのか、頭頂部の滑る部分がより一層、激しい輝きを放つ。
「研究に精が出ているようでござるな。コルベール殿」
「いやいや、きみが持ってきてくれたあの『キキュウ』だっけか? あれは素晴らしいな! 風石を使わずに空を飛ぶとは……、あれを応用すれば、何か作れそうだと思案している所だよ!」
コルベールは熱を上げる。どうやらタルブから持ってきた気球が大分気に入ったらしい。
「あの浮力に加えて、何か別の推進力がないのかを考えている所でね。こう、なんだ。多くの羽根を使って、それを自動で回転させるようにつくればこう……、ううぅん、ええい! 上手く説明できん自分が情けないよ」
「コルベール殿の頭の中では今、様々な案が浮かんでは消えているのでござろうな」
「ははは! いや本当に楽しいよきみ!」
そうしてひとしきり笑った後……、ふと冷静になったコルベールは、おもむろに剣心に尋ねる。
「戦に出ると聞いたよ。きみほどの男が……、あの無茶な作戦に出るとはね」
「無茶は百も承知。こればっかりは、拙者とて逃げるわけにはいかぬのでござるよ」
剣心とコルベールは互いに顔を見合わせる。口元こそ微笑みを維持していたが、目は笑ってはいなかった。
「まあ何だね、ここで立ち話もあれだし、部屋に入るかい?」
「では失礼して……」
研究所内は、かなり乱雑していた。
至る所に、剣心でさえよく分からないような基盤や部品が散らばっている。
何か作っている最中なのだろうか? そうしてふと様々な家具に目線をやると……、空いていた小箱で、赤く光る指輪を見つける。
ルイズやウェールズが持っていた……、あの王家の指輪に近い形状だ。
「ああそれかい、気になるかね?」
二人分のマグカップに紅茶を注ぎながら、コルベールは尋ねる。
「そうでござるな」
剣心はコルベールからカップを受け取り、それを口にする。
「王家に伝わる指輪とか、ウェールズ殿が言っていたものとそっくりだった故。ちょっと気になったでござるよ」
瞬間、ビグッとコルベールは身を震わせる。何か、恐ろしいものから逃げているような様子を感じた。
「そうか……、それほど大事なものを……、私はずっと、腐らせているのか……」
「コルベール殿?」
先ほどとは一転、コルベールは急に青い顔をした。そして、震える指で赤いルビーを手にする。
その時していたコルベールの顔で、剣心は嫌でも察した。否……最初に会った時から薄々感づいてはいたのだが……。これで確信に変わる。
(彼もまた、拙者と同じ、か……)
『人殺し』。
それにどこまでも苦しみ、救済を探している表情。
決して許されぬ罪を、どうしたら贖えるのか……苦悶している瞳だった。
「……きみに一つ、お願いがあるのだが、聞いてくれるかい?」
やがて、意を決したようにコルベールは口を開く。
「この赤いルビー、実はさる村のとある高貴な女性がつけていたものだ。これを本来の持ち主に……、できれば返したいのだが……」
震える手で、赤いルビーを剣心に差し出す。
「私は臆病者だ。いつも研究に逃げてばかり……。此度の戦でさえ、私は参戦しようとすら思わなかった。このままではこの指輪は、永久にこの研究所に留め置かれたままだろう。だから……」
「承知。だからそれ以上、無理に言わなくて大丈夫でござるよ」
これ以上ない微笑みをコルベールに向けて、剣心は言った。
ただでさえタバサの件で『やらかした』と、剣心は思っていた。だからここは、無理に話を聞かず、頼みだけを素直に受け取る。
剣心は、差し出された赤いルビーを手に、そして大事に袖へ入れた。
「コルベール殿の苦しみは拙者もよく分かる。なればこそ、その苦しみを和らげる手伝いができるのであれば」
「……っ」
どこまでも屈託ない笑顔。コルベールは嬉しいと思うと同時に……疑問に思った。
何故? なぜ彼はここまで迷いがないのだ?
「もう一つ聞かせてくれるかね? 何故きみはそこまで……、その目に、光を……、宿し続けていられるのだい?」
「…………」
しばし流れる沈黙。
それに耐えらなくなったコルベールは思わず叫んだ。
「だってきみは! 私と同じ、なん……、だろう! 何故……?」
コルベールも当然気付いていた。剣心の本当の姿に。ギーシュの決闘を遠目で見ていた時から、確信をしていたのだ。
彼も元は凄腕の暗殺者なのだと。あの動きは間違いなく、『殺し』に慣れた者のそれだということに、気づいていた。
だから最初は警戒していた。彼が裏で生徒を傷つけていないか……、こっそり様子を見ていたこともあった(剣心も当然、彼の監視には気付いていたが)。
だが、彼の行動は常に誰かを守り、助け、そして育むものだと知るようになってからは……、逆に尊敬を覚えるようになった。
だってそれは……、自分がやろうとして、結局逃げてやれなかったことだからだ。
だから、尊敬と共に疑問も覚えた。何故そこまで真っすぐに生きられるのかと……。
コルベールの心からの疑問。それに対し、剣心はまずゆっくりと腰の愛刀を鞘ごと取り出す。
「それは……?」
「言うより、見せた方が多分、コルベール殿にも伝わると思うでござる」
そして鞘から刀身を抜き放ち、見せた。峰と刃が逆になった愛刀、逆刃刀を。
「おおっ、おおおぉ……!」
コルベールが両手を差し出したので、剣心は逆刃刀を彼に渡す。受け取ったコルベールはその剣をまじまじと見つめた。
峰が前になった、『斬れぬ刀』。
それだけでコルベールは、彼が凄絶な人生の後、これを選んだのだということを嫌でも分かってしまった。
死に慣れ、そしてそれに苦悶した者でなければ、こんな酔狂な形をした剣は絶対に選ばない。
そして剣心もまた、真剣な面持ちで語り始める。
「その刀、『逆刃刀』というのでござるが……。それを打った刀匠も、最初はたくさんの殺す刀を作ってきた」
幕末時代、多くの殺人奇剣を生み出した刀匠の顔を、剣心は思い出す。
「『俺の造った刀が新時代を創る』と。ただ彼も、途中でその間違いに気づき、葛藤し……、その末、最後にその刀を打ち、拙者に託した」
「…………」
コルベールは黙って聞いていた。しかしその視線は、未だ逆刃刀に落としたままだ。
「その者が拙者に言ったのでござるよ。『何人も何人も斬り殺しておいて、今更逃げるな。剣に生き剣に死ぬ、それ以外に道はないだろ』と……」
「……今の私のためにあるような言葉だな」
「彼の言う通り、拙者はこれ以外に道はないし、知らない。けど、コルベール殿は違うでござろう?」
ここで剣心は、コルベールの手に触れ、そして優しく彼から逆刃刀を返してもらう。
「コルベール殿が今作っている発明品。そして灯す光は、間違いなく文明をさらに進化させる『火種』になる。それは、夜は月光以外に光なきこの世界を、明るく照らすでござろう」
鞘に納めながら、再び屈託のない笑顔をコルベールに向ける。
その笑顔を見たコルベールは、自然と涙をこぼす。
「だからコルベール殿は、迷わずに今の道を進むのが良いでござるよ。その光は、灯は……やがて多くの人の生活を豊かにすると、拙者は確信しているでござる」
「おおおおおおおおおおぉ……ッ!!」
コルベールは泣いた。大声で。
それは、内心ではずっとほしかった言葉だからであった。
自分のやってきている事で、本当に罪を償えるのかと、自信がなかった。だからこそ、今の彼の言葉には……文字通り救われた感じがあった。
「わたしが今やっていることは、間違いでは……ないとっ! きみは……、本当にそう思うのか! ぉぉおおおっ……!」
肩を震わせ、蹲るコルベールを見て、彼もまた、相当な苦労をしてきたのだろうと、剣心は思った。
だからここは、泣き止むまで待った。
やがて、顔を上げてコルベールは言った。
「……なあきみ」
「なんでござる?」
「きみの言う世界は、私の作る瓦斯燈……だったかな? それがたくさん並んでいるのだろう? そして多くの人を遠くへ運ぶ、『蒸気機関車』というのが……あるのだろう?」
「そうでござるな」
「私はそれを、見てみたい」
涙を拭いたコルベールは、ゆっくりと立ち上がる。
「死ぬなよ、絶対に。きみはこんな戦なんかで、死んでいい人間じゃない」
「コルベール殿……」
「きみのおかげで、私の心は少し晴れたよ。是非とも、きみの世界に行ってみたいのだ。だから死ぬな。絶対に、生きて戻ってこい。いいな」
コルベールは片手を差し出す。握手を求めているようだ。
剣心もまた、手を出してそれに応じる。
「承知したでござる。その代わり――」
「分かっているさ。この学院の事が気になっていたんだろう? こちらは私が守る。だから安心したまえ」
コルベールも勿論気付いていた。剣心がただ、挨拶のためにここへ来たわけじゃないのを。
学院でまだ帰宅する予定のない女学生がたくさんいるのを、気にしていたのだろう。
「すまないでござる。本来コルベール殿にこんなこと、頼むのはお門違いだと思っていたのでござるが……」
「構わないよ。私だってきみに頼みごとをしたんだ。それに……、私もその刀匠殿の言葉にならって、今一度奮起してみようと思う」
互いに強い約束を交わす。
そんな折――。
「ケンシン! そろそろ行くわよ!!」
ルイズの大声が聞こえてきた。どうやら迎えが来たらしい。
「では、行ってくるでござる」
「ああ、きみたちの無事と健闘を祈っているよ!」
互いに最後は笑顔で、二人は別れた。
そして剣心は