るろうに使い魔‐ハルケギニア剣客浪漫譚‐   作:お団子

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第七十幕『学院事変』

 

「はぁ、やあねえホントに……」

 魔法学院、アウストリ広場にて。

 蟋蟀の鳴く音に耳を傾けながら、キュルケは一人ベンチに体を預けていた。

 いつもなら……、夜は『微熱』たる彼女の時間でもあった。

 自分の美貌に見とれたトリステインの男共が、詩はどうだい? ワインを持って来たよ、今夜は是非ぼくの部屋に……、とか何とか言ってきては、すり寄ってくる頃合いだ。

 そんな彼らはここにはいない。学院内が閑散としてしまうのも、無理からぬことであった。

 キュルケも祖国(ゲルマニア)の軍に志願したが……、女子ということで認められなかった。精々暴れようと思ったのに。残念であった。

(そういえば、ルイズはどうしたのかしら?)

 チクトンネで会ったきり、彼女の姿ははたと見かけない。剣心がいるから死んではないだろうが……。

 もしかしたら、『虚無』ってこともあって、特例で参戦を認められたのかもしれない。

(案外、男装して無理やり入ってたりして)

 そんなことまで考える。あの貧相な体つきなら、やってやれないことはないだろう。 

 そう思うと一瞬、ほんの一瞬だけこの豊満な胸が恨めしく思えた。自分はまず間違いなくできないだろう。

 自分の胸を両手で持ち上げながら、しばしぼけーっとする。暇なのである。

 本来ならこんな時、親友のタバサに絡みに行くところであるのだが……。

「あの子はあの子で、忙しそうだしねぇ……」

 勿論、キュルケはタバサが必死で修行しているのを知っている。ヴェストリの広場で一人、杖を振っているのを裏で見ているのだ。

 あまりにも真剣な表情なので、邪魔しちゃ悪いと自然と距離を取っていた。

 恋敵(ルイズ)はいない、親友(タバサ)は修行中。男共(あそびどうぐ)は皆遠出している……。成程暇を持て余すわけだ。キュルケは内心一人でそう、納得していた。

(あー、いや、一人いるか、戦に出てないのが)

 キュルケは目を細めた。丁度彼女の目の前には、禿げ頭の教師生徒が、何かコソコソと勤しんでいる様子であった。

 

 

 

 

 

第七十幕『学院事変』

 

 

 

 

 

「そんなところで何やっているのです? ミスタ」

 キュルケはベンチから立ち上がり、ミスタ・コルベールに声をかける。

 気づいていたのだろう、コルベールもまた、キュルケの声を聞いて振り返る。

「おお、ミス! 実はだね、『瓦斯燈(ガスライト)』の導線を引いているのだよ!」

「『瓦斯燈(ガスライト)』?」

「ほら、前の授業で言っただろう? これを使えば、魔法を使わずとも夜を明るくしてくれると!」

 コルベールは稚児のような笑みを浮かべて説明を始める。光量がどうたら、炎の調節が何たら、材質が反射がうんたらかんたらと。

 それに対しキュルケは、心底どうでもよさそうに髪を掻き上げる。イラついた時にする癖でもあった。

「いずれはこれを国中に設置する。そうすればもう、呪文『ライト』は廃れて使わなくなるかもしれんぞ! 何せ平民でも自由に明かりを灯せるのだからな――――」

「ミスタ、そんなことはどうでもいいの。なぜあなたは王軍に志願なさいませんでしたの?」

 学院の男たちのほとんどは、勇んで学院を出たというのに……。何ならこの国の人間でない、平民の剣心でさえ、この戦に出ているのであろう。そんな確信があった。

 最近はキュルケも、何かにつけ他の男と剣心を比べるようになった。彼を見ると、他のほとんどの男共は皆色褪せてしまう。仕方がないとはいえ、学院の生徒じゃ物足りなくなってしまった。

 その中でも、コルベールはダントツに褪せてしまっている。男らしくない。心底そう思う。

「ホント、どうしてそんなにもあなたは臆病なのかしら? ケンシンを少しは見習ったらどう? 魔法が使えないのに、フーケをつかまえたり、影で様々な功績をあげたり、誰よりも勇ましいというのに……」

 思えば、フーケ捕縛に名乗り上げた時も、自分達を心配して剣心はついてきてくれた。この時点で、コルベール含む他の教師陣とは一味違うと、キュルケも思ったものだ。

 魔法が使える。その一点だけで威張り散らしていざとなると逃げ腰になる教師陣(おとなたち)を見た後だと、魔法が使えないのに誰よりも強くてそれでいて偉ぶらない剣心は、まさに『格好いい男の理想像』なのである。

 彼の実力を間近で見たからこそ、戦に背を向けて変な研究に精を出すこの教師に、心底腹が立っているのだった。

「ああ、戦はそうだ、嫌いでね。……彼は本当に、すごい人だよ」

 剣心の名前が出た事で、コルベールも一気にシュンとする。それがまた腹が立つ。剣よりよほどすごい魔法を……、それも自分と同じ『火』の使い手でありながら、更に『炎蛇』という二つ名を持ちながら、この教師は戦が嫌だと言い放つ。

「同じ『火』の使い手として、恥ずかしいですわ。そんな夜中にコソコソ一人で……」

「ミス、いいかね? 火の見せ場は……」

「戦いだけではない、とおっしゃりたいのでしょう? 聞き飽きましたわ」

「そうだ、使い方次第だ。破壊するだけが……」

「臆病者のたわごとにしか聞こえませんわ」

 そんな風に二人が話し合っている時だった。

「お前たち、こんなところで何をやっている?」

 丁度通りかかった、アニエスとタバサがやってきた。

 

 

「そろそろ就寝時間だ。明日も早いのだろう? さっさと寝ろ」

 と、アニエスはキュルケに向かってそう言う。キュルケもキュルケで、誰コイツ? みたいな態度を隠そうともしない。

「お生憎さま、いつどこで起きて寝るかはあたしの自由でしょ? てかあんた誰?」

「わたしはアニエス。銃士隊を率いている。今夜から学院の護衛を担当することとなった」

「魔法も使えないくせに? あっそ、お勤めご苦労様」

 先ほどの会話が会話だったので、ピリピリを引き継いだような口調で、キュルケは言い放った。アニエスも威圧するかのような視線をキュルケに送る。

 この空気に耐えられなかったのはコルベールだった。オロオロと説得を促す。

「こらこらきみたち、こんなところでやめたまえ……」

「ミスタには話してませんわ」

「その通りだ。黙っていてもらおうか」

 しかし、二人の威圧たっぷりの視線で逆に委縮してしまった。キュルケはそんな彼を見て「はぁ……」とため息をつき、アニエスも侮蔑を込めた視線をこの禿頭の教師に送る。

 微かに感じる、焼けるような匂い。こいつ、火系統の担い手か。

「お前、『火』使いだな? 焦げ臭い、嫌な臭いがマントから漂ってくる。教えてやる、 私はメイジが嫌いだ。特に『火』を使うメイジがな」

「ひう……」

 侮蔑の込められた視線を受け、コルベールは尻もちをついた。

 キュルケもまた、その言葉を聞いて目を吊り上げる。

「あたしを前にして、よくそんな言葉が吐けたわね。他国とはいえ近衛隊なら、『ツェルプストー』の名は当然ご存知でしょう?」

「ああ、危険極まる炎を、敵味方問わず振りまく戦場の鼻つまみ者だと、な」

 今度は空気全体がピリピリし始めた。二人とも、いつ杖や剣を抜いてもおかしくないくらい、殺気が辺りを包み込む。コルベールは震え出した。

 年長者の彼がこの有り様なので、結局この殺気を鎮めたのは、ついてきたタバサだった。二人の間に、身の丈以上もある杖を少し振り下ろす。

「そこまで」

「タバサ……」

「就寝」

 行こ、とばかりにタバサは学院を指さす。キュルケもまた、親友にこう乞われたら仕方がないとばかりに踵を返した。

「命拾いしましたわね」

「フン……」

 二人とも「タバサのためなら」といった体で、手にかけていた武器を収めた。ただ、双方コルベールに対する軽蔑の視線だけは、最後まで消えないままであった。

 震えるように蹲る教師を見て、最後にタバサは一言。

「もったいない」

 とだけ、誰にも聞こえないほどの小声で呟いた。

 

 

 夜も更け、就寝予定時間となった。

 オスマンはアニエスに言われた通り、表向きは「戦時における避難訓練の一環」という名目で、女子生徒たちを一か所に収集させた。

 本塔の最上階、学院長室の隣に部屋を新たに作り変え、魔法で広くし、学年ごとに区分けして一か所の雑魚寝、といった体だ。

 当然、こんな対応に不満を垂れる女子も少なくなかったが……、突如現れた銃士隊が慌ただしく動くさまを見て、何かが起こると察したため、表立っての文句は出なかった。

 代わりに学長室は、いざという時のために治療用の秘薬などを集めた、臨時的な治療室兼詰所となった。

 その上で予定通り、寝室の外には多数の銃士を配置、学長室にも、外にも内にも学長の警護(という名の監視)が加えられた。

 ちなみに、当のオールド・オスマンは「これはこれで……」などと勇ましい銃士たちを眺めて、鼻の下を伸ばしていたとか。

 

 

 さらに夜が更ける。時刻にして午前零時――――。

 黒装束の人影が、学院の壁を飛び越える。『フライ』を使い、壁を飛び越え、中庭を駆ける。

 目指すは本塔。そこで『奴』は派手に暴れる。

 その隙に、ありったけの女学生を拉致する。居場所はまだつかめないが……、時間経過であぶりだせるだろう。そんな昏い信頼を、皆『黒笠』に寄せていた。

「思った以上に、手薄だなコリャ」

 そう嘯いたのはセレスタンだ。火の塔の壁に隠れ、そっと本塔の様子を伺う。すでに彼の下には、二人の銃士隊員が犠牲となっていた。風魔法であっけなく首を裂かれていた。

 中々に美人でもったいないと思ったが……、今はそんなことはどうでもいい。

 こんなにも大きな学院でなのに歩哨がメイジじゃなく銃士。警備は存外、薄そうだ。

 学院の地図は予め裏ルートで入手済み。ただ、黒笠は『件の黒手紙』を予め学院に送っていたとも言っていたから、馬鹿正直に女子寮で寝かせてなどいないだろう。

 恐らく本塔辺りだと、傭兵たちは辺りを付けた。そこだけ警備が厳重だからだ。

 事実、アニエス側も、銃士隊の数はそこまで多くない。『黒笠事件』で犠牲になった数は、思いの外多かった。

 そのためだだっ広い学院内で数人を配置するより、手の届く範囲で守れるよう、戦力を集中配備するしかなかったのである。

 ……ただ、傭兵側にも、それは丸わかりであった。

(苦肉の策ってえワケだな。ごくろーさん)

 これなら成功確率は高いだろう。セレスタンは下卑た顔を浮かべ、誰を攫うか、学生のリストを眺めながら待った。

 

 

 その夜――――タバサは魘されていた。

(かぁさま……、やめて……)

 虚ろな視線で上を見る。今自分は、狂った母に押し倒され、馬乗りにされ、首を絞められている。

「返せ! シャルロットを返せ!」

(わたしだよ……、母さま……!)

 細腕で抵抗しようにも、体全体で抑え込まれているため、力を発揮できない。

「返せっ! このっ。返せ返せ返せ……っ!」

 ただ、自分を悪魔かナニカを見るような目で、母は締める力を強くする。

「わたし、だよ……、かあ、さ……」

 ただ、かすれる声で、必死に叫ぶ。しかし母は「嘘をつけ!」と自分を殴りつける。

「お前が、お前が娘なわけがあるか! そんな……、お前が、断じて……ッ!!」

 分かっている。母は、薬で狂っているだけだ。

 それでも、今のこの状況は、タバサの心をより強く、蝕みにかかる。

 

 だが次の瞬間気づく。気づいてしまう。

 母の開き切った瞳孔から見る。自分の顔を……。そしてハッとする。

 

 そこには青い髪を湛えた、あどけない少女の姿など、映ってはいなかった。

 白黒に反転した瞳、狂気を湛えた笑み、首を絞められているのに、心底楽しそうに愉悦を浮かべた表情……。

 

 

 それは紛れもない、鵜堂刃衛……そのものであった。

 

 

「――――――――――っ!?」

 そこでタバサは、目を覚ました。冷や汗が体中を侵して気持ちが悪い。

 体を起き上がらせると、まず自分の顔を触り確認する。そして……、雲の切れ目から漏れる月光を受けて、淡く反射する窓を眺めた。

 そこにあるのはいつもの、タバサとしての顔……。改めて自分は悪夢を見ていただけだったと、ようやく理解する。

「…………」

 タバサは周囲を見渡す。隣ではキュルケが眠っていた。幸い、自分の行動で起きてくる女学生は皆無であった。

 いつもだったら、キュルケも起こして加勢を頼んだだろう。だが…、どうなるか分からない危険な状況の中、彼女を巻き込みたくないという気持ちが、今回は勝った。

 誰も起こさないようゆっくりと立ち上がる。パジャマを脱ぎ捨て、その下に着ていた学制服が露になる。

 杖を手にとり、鍵のかかった窓に『アンロック』を唱えた。

 窓が開いたその瞬間……、タバサは急に蹲った。

「……っ」

 まだ何もしていないのに、汗がこぼれた。動悸も、自然と激しくなる。

 胸が締め付けられる……。それだけでタバサは、否が応でもわかってしまった。

(――――いる)

 間違いなく、来ている(・・・・・・・・・・)

 それが分かるぐらいに、今は奴――刃衛と結びついているのだろう。

 白黒に反転したあの視線が……、背後から、頭上から、周囲から、感じるのだ。

 これに克たねばもう……、最悪の場合、今夜が自分の命日となるだろう。

(母さま、父さま……、ジル……! わたしに、力を……!)

 震える手を必死に握りしめ、そして最後に、あの言葉を呟いて、タバサは窓から身を乗り出した。

「所詮この世は弱肉強食……、強ければ生き、弱ければ―――――」

 

 さて、タバサが窓から飛び降り、寝室を去ったその後。

 実はずっと、さっきから寝たふりをしていたキュルケが、今度は起き上がった。

(珍しいわね。あたしが起きてることに気付かないなんて……)

 学院内の様子が変なのは、キュルケもずっと感じていた。だから、一緒に行くのかと静と待っていたのだが……、結局彼女、タバサは一人で行ってしまった。

(やっぱりあの子、何か抱えている……)

 一緒にいて一年経つか経たないかとはいえ、タバサとはそれなりに信頼関係で結ばれていると思っていた。だから、あえて聞かずに待っていた。

 でも……、今夜のタバサの様子は……、正直異常と思った。一人でずっと辛い苦しみを抱えているのに……、それを自分に打ち明けてくれないのが、ちょっと寂しかった。

(あたし、そんなに頼りにされてないのかしら……)

 ラグドリアンで、一緒に任務に向かったことをキュルケは思い出した。

 あの時も、自分は死を覚悟して彼女に付き添った。だから自分の覚悟はもう、伝わっているものだとばっかり思っていた。

 でも、今回はその比ではないような、大きなものを抱えている。勿論それを見過ごす道理は、キュルケには無かった。

 杖を手にとり、毛布にしまい込んでいた制服に素早く着替える。

 そんな折。

「……ん?」

 暗闇の寝室の中、再び動き出す一つの影。キュルケは一旦寝たふりをする。

 その影は、ゆっくりと立ち上がり、そして扉へと向かっていった。

 

「はぁ、駄目だわ……、眠れない」

 人影はモンモランシーだった。

 枕が変わった……、というのもあるが、忙しないこの雰囲気に耐えられなかった、というのもある。

 何度か寝返りを打つうちに、だんだん催してきてしまったのだ。

 とはいえ、こんな場所にトイレなんぞある筈もない。仕方なく、起きて手洗いに行きたかった。

 寝間着姿のまま、杖だけとって扉をノックする。

「何だ?」と、扉を張っていた銃士の一人が顔を出した。

「手洗いに行きたいのよ。外に出してくれない?」

 コソコソと銃士と会話を続ける。こんな所、周りに見られたくない。

 銃士は仕方なさそうな表情をすると、モンモランシーを寝室から出した。

 再び、寝室は黒一色に包まれる。暫くして、横になっていた赤い髪が、暗闇の中で揺れ動いた。

 

 

「では、ここで待つ」

「はいはい。もう、物々しいわね……」

 そんなことを呟きながら、モンモランシーは手早く済ませる。

 化粧室の扉の外には、護衛の銃士隊が二人、付き添いとしてついていた。

 水で手を洗いながら、ふとモンモランシーは顔を上げ、正面にある鏡を見る。思い浮かぶのは、呑気な表情をした彼の姿だ。

(ったく……、こんな時にあのバカ、何してるのよ)

 本当は臆病なくせに、勝手に戦争に行ったお調子者の幼馴染。

 色んな女子たちに目移りするものだから、惚れ薬まで用いて繋ぎとめようとして……、結局失敗したことまで思い出した。

(まあ、バカでお調子者だから……、危ないと思ったら逃げるでしょ。あのバカでも)

 そんなことを思いながらもモンモランシーは嘆息した。

 ……分かっている。眠れない原因は、全てはあのバカにあることに。

 自分に何も言わず勝手に従軍したのが、思いの外、ショックなのであった。

 どうせ自分のために手柄の一つでも――とか、考えているのであろう。帰ってきたらとりあえず張り手ね。何も言わずに出ていったんだから、それぐらいは当然よね。

 そんなことを考えていた時だった。

 

「ぐっ、ぁ……!」

「たず、っ……げっ……!」

 そんな声が、出口の扉越しに聞こえた。

「……――――えっ?」

 思わず、そんな声を上げる。そして扉の下を見て震えた。

 

 

 赤い液体が……、ゆっくりと化粧室の床を汚していく。

 

 

「ひっ……っぅ!」

 叫ぼうとして、モンモランシーは口を抑えた。続いて聞こえるドンドンドン! という衝撃音が、彼女に強い恐怖心を与えた。

(なっ、何よ……っ!)

 腰を抜かしそうになるのを必死に耐えながら、モンモランシーは慌てて便所用の個室に入る。震える手で鍵をかけ、手を口で抑えて事態の沈静を待った。

 遅れてバァン! と、扉が開かれる音が聞こえてきた。続いて、コツコツと、歩く音が化粧室に響く。

(お願いお願いお願いだから……、どっか、行ってよ……!)

 とにかくモンモランシーは、泣きながら始祖に祈りを捧げた。魔法で何とかしようとかいう勇気は、当然ながら出なかった。

 しばらく、そのまま膠着状態が続いた。

 やがて、靴音が再び室内に反響する。

 再び場には、沈黙が訪れた。

(……行った、の?)

 もう出てもいいのだろうか……。そんな希望を抱きながら、鍵をかけた扉に手をかけたその時――。

 

 ズドン! とモンモランシーの真横から刃が躍り出た。

 

「ひぃ!!」

 刃は、彼女の目の前スレスレで止まる。その刃は血で赤く染まっていた。

 足音の主は、帰ったと見せかけて隣の個室に入り込んでいたらしい。わざわざ自分を弄ぶために……。

「いやああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 モンモランシーはもう、無我夢中だった。

 慌てて今度は鍵を外そうとする。だが手が震えて上手くいかない。

 その間にも刃が引っ込んでは再び突き出す。それの繰り返し。

「ああああああああああああああああああああああっ!!」

 奇跡的にも、モンモランシーに刃は当たらなかった。先に鍵を外すことに成功し、個室を出ると、文字通り脇目も振らずに走り出す。

 化粧室を出ると、途中血だまりを作っている隊士が目に映る。しかし、それを気にする余裕さえ、今のモンモランシーには無かった。ただここにはいられないとばかりに、廊下を駆けた。

 後ろを振り返ったら殺される。そんな強迫観念が彼女の脳を支配していたのだ。

「待て! 勝手に行くなお前! 危ないぞ……っ!」

「貴様は、『黒笠』……ぁ…!」

 背後で薄っすらと、そんなやり取りが聞こえる。それに耳を一切貸さずモンモランシーは逃げ出した。だから彼女は気付かなかった。

 足の裏が血でべっとりついていたために、それが足跡として残っていたことに……。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……!!」

 どれぐらい走ったことだろう。

 廊下の途中で、モンモランシーは膝を抱えて蹲る。こんなに走ったのは人生で初めてのことだった。

 怖い、ただひたすらに怖い。涙がとめどなくあふれてくる。

 もう走れない……。絶望と恐怖で嗚咽が出た。

「助けてよお……! ギーシュぅ……」

 思わず幼馴染に助けを求めてしまう。しかし彼女に来るのは、更なる苦難。

 コツン。という音とともに、小石のような何かがモンモランシーの周囲に散らばる。それは破裂と共に一気に白煙を生み出した。

「な、なに……っ!?」

 慌てて起き上がろうとして、誰かに口を強引に抑えられる。次の瞬間、周囲が真っ暗になった。

 更にその上から抑えつけるような物が体中に纏わりついた。端的言えば、袋に詰められてしまったのだ。

 布一枚隔てて、野太い男の声が聞こえる。

「はっは――――っ! まずは一匹目ぇ!!」

 肩に担がれる感触。モンモランシーは思いっきり抗ったが、虚しい抵抗に過ぎなかった。

「大人しくしなぁ! そうすりゃちゃんと可愛がってやるからよおぉ!」

 もう嫌……!! モンモランシーの心は、発狂寸前だった。

(誰か助けて! 誰か……――!)

 ただ必死に祈り続ける。すると――――。

「何だこれ、ぐわあぁ!」

 ボンボン! と何かが爆発する音、破裂する音が聞こえてくる。

「いだっ……!」

 担がれていたモンモランシーは、地面に転がり落ちる衝撃を味わった。

「くそっ、このアマ……っ、があぁっ!」

 それを最後に、沈黙が訪れる。袋に詰められているせいで、外で何が起こっているのか、モンモランシーにはさっぱり分からない。

 やがて、ゆっくりと真っ暗闇に一筋の光が差す。そこにいたのは……。

「……キュルケ?」

「災難ねえ、あんたも」

 いつもの、余裕そうな微笑みを湛えたキュルケが、袋の中にいる自分を眺めていたのだった。

 

 

(へっ、そろそろ動いたか)

 本塔の窓が、薄っすらとだが光がついたり消えたり、煙が立ち上り始める。それを機にセレスタンも動き出した。

 火の塔から連結している本塔への通路――――その屋根の上を、音を発さず駆けだす。

 時折発砲音などや火が爆ぜる音なども聞こえてくる。本格的にパーティーが始まったようだ。セレスタンは舌なめずりをした。

(あれは喧嘩っ早いジャンか? それともルードウィッヒのアホか? まあどっちでもいいか)

 目指すは本塔最上階。銃士共は飛べないが、こちらは『フライ』がある。そこから侵入する腹積もりだった。

 古今東西、上空からの奇襲は人間にとって絶対の死角。まして上空の敵相手では反撃すら、無理であろう。

 何せ今は月光すら朧げに差す程に雲が濃い。そんな暗闇の中、的確に狙撃できる銃士などいない……と、タカをくくっているのもあった。

 後は強行突破で女子生徒の恐怖を上手く煽り立てれば良い。そうすれば恐怖に陥った学生の暴動を治めるのにも向こうは人員を使うだろう。その隙を狙えば――――。

 と、そこまで思考を巡らせていた頃。

(ん、なんだ……?)

 まさに今、分厚い雲から一筋の月の光が薄っすらと差した。その一瞬だった。

 セレスタンは、目を見張った。

 何かが上空からこっちに来る。いや、襲い掛かってくる。

「――――うおっ!」

 そんな叫びを上げながら、セレスタンは『フライ』を使って大幅に後ずさる。

 遅れて、巨大な衝撃音とともに、先ほどまでいた場所に何かが着地した。

「んだ? この――――」

 敵なのか? だがこの雰囲気……銃士ではない。魔法を使っている。歴戦の経験ですぐにそれを把握する。

 遅れて一筋の淡い月光が、本塔への通路を照らす。その屋根の上でセレスタンは、煙を凝視し何が来たかを確認した。

 そして驚愕した。あの青い髪、小柄な体躯、身の丈に合わない杖……、間違いない。

 

「てめえ、『人形七号』? 何でここに――」

 

 刹那、脳裏を過る苦い敗北の記憶……。リュティス魔法学院で一度、この少女に無様に叩きのめされたことを……、思い出した。

 慌てて杖を構える。しかし、今度も少女――タバサの方が、速かった。

「――――うおぉお!!」

 

 速ぇ!? 

 

 と、セレスタンは内心呻いた。前回の決闘より、数倍も動きにキレが増している。

 慌てて杖を前に向け、『フレイム・ボール』を放とうとして――。

「がっ!」

 懐まで詰めたタバサの回し蹴りが、セレスタンの、杖を構えた手の甲に当たる。

 杖先の向きを変えられた。

 それだけで、せっかく溜めていた炎の球は、あらぬ方向へ飛んでいった。

 驚く間もなく、タバサは再び体を回転させる。別の足の……後ろ回し蹴りが、セレスタンの胴体に直撃、横へ弾き飛ばす。

 どうやら足先に『エア・ハンマー』を纏わせていたらしい。細足なのにもかかわらず、大きく吹っ飛ばされた。

「ぐおっ!!?」

 対するセレスタンは、何が何やらわからなかった。ただなされるまま、このあどけない青髪の少女に、無様に叩きのめされていく。

 ただ、これだけははっきりと分かった。強すぎる……!

 実践一辺倒だった戦い方が、さらに洗練されている。もはやあの、凍えるような氷の嵐を、見せるほどでもないということか……!

(あの時よりさらに、強さに磨きがかかってやがる……!)

 セレスタンは歯噛みしながら、屋根上から叩き出された。空中で遮二無二になりながら『フライ』で逃れようとして……、もうそんな時間すらないことに気付く。

 真上を見れば、そこには月の光で青髪を朧げに光らせた少女、タバサが、長い節くれの杖を上段に構え、飛び降りながら振り下ろす姿があった。

 

『エア・ハンマー』+『-龍鎚閃-』

 

「ぐああああああああっ!」

 そのままセレスタンは、タバサの風を纏った唐竹割りをモロに喰らってしまう。

 そして、藁束で柔らかくなっていた地面に、思い切りたたきつけられたのであった。

 

 

「ふぅっ」

 一方、優雅に屋根から地面に着地したタバサは、最後に氷の刃を一本、生成する。

 そして遅れて、地面へ落ちていくセレスタンの杖に向かって一閃、真っ二つに切り裂いた。

 その杖の持ち主は今、目をむいて仰向けに倒れている。ここでタバサは、この男がかつて、リュティス魔法学院で戦った傭兵崩れであることに気づいた。

 敵が気絶したことを確認したタバサは、再び駆けだす。魔法で拘束しとこうかと思ったが……、これから先の死闘を予期し、精神力の消耗を避けた。杖は奪ったので、後は銃士隊にでも任せるつもりだった。

 その足取りは明確で、何処に向かえばいいのか、分かっているようであった。

 

 

 さて、トリステイン魔法学院の上空では――。

「きゅいきゅい! やっぱりお姉さまは無敵なのね~~! あいつももう一度負けてざまあないのね~~」

 タバサの使い魔シルフィードが、本塔と五つの塔の周りをくるくる回っていた。

 そこから、不審な人影がないか、つぶさに観察しているのであった。

「むっ! 怪しい奴発見! シルフィの目はごまかせないのね!」

 今、シルフィードとタバサは、片目をお互いの視線をリンクしていた。使い魔としての能力『視界を共有する力』を使い、上空からの探索に利用していたのだ。

 竜の目は、人間よりもはるかに鋭い。夜で遠目だろうと、フードを被ってなければ顔の判別すら容易にできた。

「男二人が水の塔から中庭に駆け出しているのね! お姉さま、やっちゃえ!!」

 シルフィードは楽しげな様子で独り言をつぶやく。今のご主人様なら、二人に増えてもきっちり叩きのめすだろう。そんな信頼があった。

 というか、そんなことを言っているうちに、シルフィードの視界には傭兵メイジ二人をいともたやすくねじ伏せる青髪の主人の視点が見えた。

 躍動的(アクロバット)な動きで目まぐるしく変わる視界、驚きで歪む敵の表情、あっけなく吹っ飛んでいく黒い人影。なんだか自分も一緒に戦っているようで、シルフィードのテンションはどんどん上がっていく。

「る~るる~! やっぱりお姉さまは最強!! これなら……」

 アイツにも勝てる! 

 そう続けようとして……。視界先の少女が、苦しそうに蹲る。

 それを見たシルフィードは、急に心臓をわしづかみにされる感触を覚えた。

(お姉さま……! まだ辛いのね?)

 先ほどの戦闘で傷を負ったようには到底見えない。精神力が枯渇したわけでもなさそうだ。だとすると、彼女が苦しそうにしている原因はもう一つしかない。

(『心の一方』……それが、こんなにも尾を引くなんて……)

 魔法も使えない、ただの人間が編み出した技術だというのに。

 竜であるシルフィードでさえ、こんなにも恐ろしく感じてしまう。

 改めてシルフィードは、人間の持つ悪意と殺意の底知れなさに、限界などないという事実で身を震わせるのであった。

 その強力な悪意を主人にかけた張本人……、『黒笠』の姿は、未だどこにも見えない。

 もしかしてもう、本塔に紛れているのであろうか? だとすると、キュルケやアニエスや皆が危ないのでは?

 そう逡巡する中、シルフィードの視界には本塔上空を飛ぼうとする、傭兵の一人を再び見つける。

「っ……お姉さま!」

 シルフィードがそう叫ぶより先に、タバサはまた駆けた。本塔に登る傭兵を撃破するために。

 目的は黒笠だが、敵を発見して放っておく道理はないとばかりに、一目散へ向かっていく主人の姿を、シルフィードはその視線の中で追っていた。

(お姉さま……)

 

 

「あんた、何でここに……?」

 袋から脱したモンモランシーは、思わず辺りを確認する。周囲は火の粉が舞っており、壁際には黒焦げになって壁にもたれかかる男がいた。

 恐らくこいつが、自分を攫おうとしたのだろう。思わず身震いしてしまう。

「何でって? あんたももう分ってるでしょ。この学院は今、襲われているのよ」

 キュルケは、隣にいる使い魔のフレイムを撫でながら言った。

「相手はメイジね。魔法の使えない銃士さんたちじゃ辛いでしょうから、あたしたちも加勢するわよ」

 まずはタバサを探さなきゃ。

 そう言い置いてキュルケは立ち上がる。モンモランシーは思わず叫んだ。

「はあぁ!? 加勢するって、わたしは手洗いに来ただけよ! 勝手に巻き込まないでよ!」

「じゃあ一人で帰りなさいな。あたしはタバサと合流するから」

 そのままスタスタとモンモランシーの横を通り過ぎていく。

「置いてかないでよ!」と、モンモランシーは叫びながらキュルケの後を追った。

 そのまま廊下の突き当りに出る。そこまで来た時、急にキュルケは足を止めた。

「待って」

「な、何よ……」

「誰か来る」

 モンモランシーは顔を青くした。キュルケは一歩前に出て油断なく杖を構える。

 後ろでは使い魔のフレイムが、口内に炎を宿していた。何かあればすぐに援護射撃してくれるだろう。

 モンモランシーは、そんなキュルケの背にそっと身を寄せた。何だかんだいって、こういう時の彼女は頼りになると、心底そう思っていた(・・)

 この瞬間までは――――。

 

「……?」

 やがて突き当りの右手から、女性が現れる。格好からして銃士のようだ。

 それを見たモンモランシーは、ほっと胸をなでおろす。

「な、何だぁ。脅かさないでよ、もう――」

 そう近寄ろうとして……、キュルケが止めた。

「な、なによキュルケ――――」

 そしてモンモランシーもまた、気付いた。やってきた銃士の様子が、おかしいことに。

「ぁ、っ……ぁ……」

 隊士は泣いていた。千鳥足で目線は朧げ。そして、何より目についたのが、首筋に突き立てられた、刃――――。

「ひぃっ!」

 モンモランシーは叫んだ。「誰!?」キュルケもまた、隠れている敵に誰何する。

 その言葉に呼応するかのように、刃はゆっくり壁際へと引っ込んでいき、女性は首筋から大量の鮮血を零し倒れ伏す。

 そしてついに、銃士を殺した犯人が姿を現す。それを見て……、キュルケは絶句した。

「―――――なっ!!」

 

 彼女達の目の前に現れた男…黒笠を被り、反転した目に狂気を湛えたその男。

 手には、刃を直接手のひらにぶっ刺しており、その異常性が垣間見える。

 

「う、ふ、ふ……」

 

 男、鵜堂刃衛と目が合った。

 その瞬間、キュルケの中でかつてないほどの戦慄が、身体中を駆け巡るのであった。

 

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