「う、ふ、ふ……」
そう狂気の笑みを浮かべる目の前の男、刃衛を目にした瞬間、キュルケの中でこれまでにない悪寒が走るのを感じた。
白黒に反転した愉悦の瞳、両手に突き刺した刃、そこから滴り落ちる――血。
人を殺すことに、何の呵責も躊躇も持たない、本物の『人斬り』。
怖気をひた隠しにしながら……、ただ油断なく杖を構える。それを向こうはしばし、黙って見つめていた。
「ひぃっ……!」
同じくキュルケの背中越しで見ていたモンモランシーは、腰が砕けそうになるのを必死で耐えた。
すぐに分かったからだ。先ほど化粧室で追いかけ、自分を弄んでいた者の正体は……、コイツなんだと。
すぐにでも逃げ出したいが……、震える身体が、それを許さない。
一方のキュルケは、思考停止はせず、すぐにこの男の正体を察する。
トリスタニアを騒がせたという、正体不明の凶賊の噂はここ、トリステイン魔法学院でも知れ渡っている。
『土くれのフーケ』以上に残忍な犯罪……、貴族殺しを敢行してきたという。
「あんたが、まさか『黒笠』……?」
返事は鋭い笑みだった。狂気を孕んだ口元に、今度は殺意が上乗せされる。
瞬間、刃衛は刀を構える。刃を突き刺したその両腕を大きく広げた。
「――――――――――っ!」
それを見てすぐさま、キュルケは予め溜めていた魔力を解き放った。『火』の三乗、トライアングルクラス最大の『炎球』だ。
どこに逃げようと追従する魔力の炎。狭い通路で回避は不能。……そう思っていた。
「うふ!」
それを見るや否や、刃衛は手と一体化した刃で地面に横たわる、銃士の死体を突き刺した。
そしてそれを持ち上げ、炎球への肉盾としたのだ。
「っなぁ――――!?」
当然、そんな防御方法なんて思考の外。キュルケは一瞬、呆気にとられてしまう。
ドゴン! と爆ぜる音が聞こえるが、それは銃士の死体を更に損傷させるだけとなった。……しかし、相手はそれだけでは終わらない。
なんとそのまま突進してきたのだった。肉盾に刃をさらに食い込ませ、死体の腹から突き出てきた、殺意の切っ先がキュルケ達を襲う―――――。
「ッフレイムぅぅううううう!」
キュルケはあらん限りで己が使い魔の名を叫んだ。主人の心情を組み込んだフレイムは、炎を一旦飲み込み、代わりに白い噴煙を周囲に吐き出す。
刃を伴った肉盾を押しやっていた刃衛は、この噴煙を見て瞬時に後ろへ飛びのいた。
火傷した死体を躊躇なく放り捨て、素早く気配を探る。
「……逃げたか。勘は働くようだな」
だが――――、
しばし後、刃衛はそう呟いた。
そして無造作に投げ捨てた女銃士の遺体に視線を移す。そこについた……、せいぜいが火傷クラスの『焦げ跡』を見て、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「――――殺し合いは知らぬ雑魚、か」
「―――はあっ!! はあっ!!」
キュルケは、モンモランシーを伴って必死に逃げた。とにかく無我夢中だった。
噴煙を利用し、廊下にある棚の影に隠れこむ。振り返ることすら叶わない。それほどまでに恐ろしかった。
(なに、なによアイツっ……!)
軍人としての教養も十分受けてきた。実際、ナヴァール隊の連中を鎧袖一触で薙ぎ倒したこともある。だから大抵のやつは敵ではないと思っていた。
だがあの攻防で察した。あのまま続けてたら……自分は今頃死んでいたことだろう。
噴煙を利用し反撃することも一瞬考えてはいたが、モンモランシーの無事が保証できないことを考慮し、即座に逃げに徹したのだ。
決して誇張でも何でもない、本物の『
(なんであんな奴が、学院にいるのよ……っ!)
「だっ、大丈夫? キュルケ……?」
隣ではモンモランシーが一転、心配そうな声でそう尋ねる。彼女も一杯一杯なはずなのに……。それほど今の自分は、余裕のない表情をしているのだろう。
「大丈夫よ、それより逃げ……」
ここでようやく後ろを振り返るが……、立ち上る白煙から刹那、凄まじい殺気を肌で感じた。
まずい、アイツが追ってきている。
「逃げるわよ!! 早く!!」
モンモランシーの手を引き連れ、キュルケはひたすらに駆けだした。
戦いなんてもう、できない。
今の自分達はもう、すっかり『狩られる側』だということを、先の攻防で自覚してしまったからであった。
「撃て撃てぇ!」
「ここは一歩も通すな!」
本塔最上階付近、女学生たちの寝室、そのすぐ横の廊下にて。
そこでは侵入してきた傭兵メイジたちが、アニエス率いる銃士たちと決死の攻防を繰り広げていた。
肝心の寝室には、オールド・オスマンが部屋全体に『サイレント』をかけている。なので、銃撃や爆音からは無縁で過ごせていた。伊達に長年学院長を務めてない、膨大な魔力であった。
しかし、そのせいで学院長自身は前線に出られない。彼にもしものことがあれば、即大騒ぎへとつながってしまうから。
ここを破られたらもう彼女たちを守る術はなくなってしまう。アニエスたちも必死であった。
「チィッ! 魔法も使えねえ癖しやがって!」
「ここまで手こずるたぁな……」
対する賊たちも、事前に向こうが設置したバリゲートに苦戦を強いられていた。
魔法を使って、地面を隆起した土壁を使い銃弾をやりすごしてはいるものの……、銃士たちはありったけのマスケット銃を持ち換え、弾幕を張ってくる。
事実、銃士たちは一枚の壁ごしに「発砲役」、「装填役」、「交換役」の三人を配置しており、絶えず銃弾の嵐を放っていたのだ。
加えて地の利も向こうにある。どうしてもこの通路を突破しなければ、『お宝』にまでたどり着けない。
「ああぁぁぁ鬱陶しいなあぁこの――――!」
一向に進めぬ苛立ちで叫び、一人のメイジが身を乗り出し杖を振りかぶろうとする。
だが丁度その時、足元に丸い球が転がってきた。
次の瞬間、アニエスがその球を銃で撃ちぬく。
予め、学院にある素材で調合した、即席の閃光弾。
バァン! と閃光が辺りを覆った。当然こんな手法なんて思いもよらなかった賊たちは全員、顔を手で覆う。
その瞬間を、銃士隊隊長は見逃さなかった。
「今だ! 突撃!!」
閃光を遮蔽物でやり過ごしたのち、アニエスは叫ぶ。周囲もそれに倣って抜剣する。
危機を察した賊たちも慌てて杖に『ブレイド』を纏わせるが……、それも拙い反撃で終わる。
魔法という遠距離手段に頼り切った賊と、接近戦を徹底的に鍛えた銃士たち。差が出るのも、至極当然。
「ぐおぉ!」
「があっ!」
アニエスは素早く躍りかかった。一人、また一人と素早く斬り捨てていく。
「くっくそおおおおおお!!」
残った最後の一人が、窓から身を乗り出して逃げ出した。「待て!」と、追いかけようとする部下たちをアニエスは諫める。
「お前たちはここを死守しろ! 私は『黒笠』を追う!」
ここはもう大丈夫だろう。そう察し、銃に弾を込め、剣についた血糊を拭き、その場を後にした。
「ちぃっ! まさかあんな女どもに遅れを取るなんて……」
先ほどの攻防からただ一人抜け出せたメイジーージョヴァンニは、忌々しげに本塔の窓を見上げた。
『フライ』を唱えたおかげで、無傷で地上に着地できた。だが、ここでおめおめと逃げ出すわけにはいかない。手ごたえはあったのだ。一人も捕えられずに帰れるか。
そう思い、一度外に出て少し様子を見ようと小走りした後……、辺りが急に光った。
「何だ!?」と見上げれば、細長い棒の上に何かが光っている。それが辺りを照らしているようだ。
何にせよ、これでは見つけてくれと言っているようなもの。すぐさま壊そうと杖を振り上げるが……。
「きみ、一体何をやっているのだね?」
呼び止める声が聞こえた。ジョヴァンニはその方向へ素早く杖を向ける。
いたのは……、禿頭の男性であった。見かけからして教師のようだが、何故? 男はみんな戦に出たのではないのか?
「さっきから聞こえる轟音は、もしかしてきみたちの仕業かい?」
恐る恐るといったていで、此方に話しかけてくる。それでジョヴァンニは、こいつは戦に出なかった臆病者だということに、すぐさま気づいた。
「だったら、どうしたよ!」
何にせよ、見られたからには生かしておけない。素早く炎球を作り上げ、それをこの禿頭――、コルベールにぶつけようとする。
炎の弾丸はまっすぐに飛んでいき、コルベールに着弾する……筈だった。
「へっ?」
一瞬だ。
急に、炎の塊は弾けて消滅した。端的に言えば、当たる寸前で同じ『炎球』を出し相殺したのであるが……、呪文を唱える瞬間が分からなかった。
刹那、コルベールの目に圧が混じりだす。先ほどまでネズミのように臆していたのに、いきなり蛇のような恐ろしい眼光に、急に変わったのだ。
「ひっ――」
再び呪文を唱えようとして、今度は中断された。
一気に詰めたコルベールが、ジョヴァンニの顎目掛け掌底を放ち、口を閉じさせたからだった。
まともな戦い方じゃない。裏の世界に通じた者の戦法……。
がら空きになった胴体に、風の鎚がぶち込まれる。ジョヴァンニの意識を一瞬で刈り取る一撃だった。
「これで十か……、意外なほどまだ動けるな。良いのか、悪いのか……」
そんな独り言を背に去っていく禿頭が、ジョヴァンニがここで見た最後の光景であった。
さて、視点はアニエスの方に戻る。
「――っこれは!?」
『黒笠』を探し上階から下っていた彼女の目の前には、恐らく侵入したであろう、賊たちが倒れていた。
皆気絶しており、杖はきちんと折られている。
一瞬、タバサがやったのかと思ったが……、辺りを焼けたような匂いが仄かに漂う。火系統の使い手だろう。
ではあのツェルプストーか? とも思ったが……違う。戦い方がまともじゃない。怪我の個所を見れば、一目瞭然だ。皆的確に急所を打ち抜かれている。
(まさかあの男か……?)
あのボケっとした教師。確かにもう、候補は奴以外にいない。
アニエスは目を細めた。何故か……、二十年前の光景が、頭に過ったからだ。
(王宮で調べた時、奴の名はなかったが……)
まさかな。そう呟きつつも、今は『黒笠』を仕留めることに、素早く思考を切り替えた。
そしてここで、モンモランシーが残した血の足跡に、目が行ったのであった。
「――はぁ、はぁ……」
ここはアルヴィーズの食堂。灯りはなく、静かに止まった人形たちが不気味に並び立つ。
朝になれば優雅な食事が色どりを与える広場も、今は墨を浸したかのように真っ暗だ。
その端、長テーブルの下に、キュルケとモンモランシーは隠れていた。
「はぁ、ぁ……っ」
結局あの後、追い詰められるように逃げ回って……、ここにたどり着いてしまった。
これ以上逃げ回れない。やるしかない。キュルケは自分に、そう言い聞かせていた。
(まだ、手はある……)
キュルケは、懐から数枚ものハンカチを取り出し、それを隣にいるフレイムに向かって広げる。
主人の意図を察した使い魔は、ハンカチに向けて粉をまき散らす。
火薬と黄燐、それら火に関する素材をサラマンダーの体内で混合させた貴重な粉だ。つくづく頼れる使い魔を引き当てた、とキュルケは思った。
その粉塵を『錬金』で少しいじってからハンカチで包み、その中に軽く空気を入れる。
(何してんの……?)
小声でモンモランシーは尋ねる。キュルケは、震える声を悟らせないように答える。
(即席の地雷よ。衝撃を与えれば爆発する。これを踏ませて足を奪えば――――)
その時、カツン、カツン……と、足音が聞こえる。一気にキュルケ達に戦慄が走った。
――来た。
キュルケは手に持ったハンカチ爆弾を撒こうとして……、杖先が震えていることに気付く。
(怯えているの? あたしが……?)
正直に言えば、怖い。
モンモランシーの手前、理性を保っているが……、一人だったら発狂していたかもしれない。
生まれて初めて感じる、純粋な恐怖。
こんな時に脳裏に過るのは、親友の顔、いつもつっかかってきてくれる仇敵の顔、その彼女が連れる、頼れる優しい使い魔の顔。
忌々しいラ・ヴァリエールの顔でさえ、今のキュルケには眩しく見えた。彼女なら、こんな状況でも毅然として向かっていくのだろう。そんな確信があったのかもしれない。
(いつの間にかあたしは、こんなにもあの子たちに支えられていたのね……)
今になって、キュルケはそれに気づいたのだ。
(落ち着け、落ち着け……まだ……)
一旦息を深く整える。震えを無理やり抑え、杖を振る。ハンカチの中に含まれた空気が、フワフワと地面スレスレを漂い始めた。
周囲は真っ暗だ。視界で悟られることはない。だからこそ、足元の注意は散漫になる筈だ。キュルケはもう、それに賭けた。
(あんたは伏せてなさい。そして……、合図したら一目散に逃げなさい)
(でも……、あんたはどうすのよ!?)
(いいから、言うこと聞いて! あんた一人生き延びることだけ、考えなさい!)
モンモランシーとの会話をそこで中断させると、目をつむり、静かにルーンを唱えた。
モンモランシーは何か言いたそうな顔をしていたが……、彼女の好意に、素直に甘んじることにした。
その合間にも、キュルケは呪文を唱え続ける。今の自分が発揮できる、最大の『炎球』。暗闇で目が利かないのはこちらも同じなので、ここは視覚ではなく、聴覚を頼った。
破裂音と共に、一瞬起こるであろう光源に向かって杖を振る。
倒せるとは思っていない。モンモランシーが逃げ出せる隙さえ、与えられればそれでいい。
自分が不甲斐ないばかりに振り回してしまった彼女だけは、何としてでもここから逃がしてやりたかった。
聴覚に集中する。決闘は飽きるほどやってきたが、命を懸けた殺し合いは、これが初めてだ。
かつてないほどに研ぎ澄ます。そして……。
パァン!! と破裂音が鳴った。キュルケは弾けるように起き上がる。
目を開け、火薬漂う光源に向かって杖を振り上げようと―――。
「おぐっ――!」
キュルケの顔に、何かがぶつかった。痛みはない、けど一瞬、よろける。
その瞬間、背筋が凍るような殺気が、此方に向かって来るのを感じた
しかしキュルケもさるもの。素早く体勢を整え、至近距離まで迫った、刃衛の顔に『炎球』を放った。
ドゴン!! と着弾と爆発音が轟く。当たった……! と心の中で快哉を上げた。
(やった! これで――――)
そう思った瞬間、今度は腹に激痛が走った。
「ぐっ……ぁっ!!」
蹴り飛ばされた。
容赦のない回し蹴りは、彼女を小枝のように吹き飛ばす。
壁際まで叩きつけられる。杖は落としていないが……、呪文が唱えられない。
代わりに口から出てくるのは、血が混じった吐しゃ物のみ。
腹を蹴られるだけで、こんなにも無力になる……。改めて懐まで詰められたメイジは弱いと、キュルケは思い知らされた。
コツコツと、音が聞こえる。モンモランシーが、必死で自分を叫ぶ声が聞こえる。
死ぬ……。本気でそう思った瞬間、暗がりが一気に消え去る。
駆けつけたアニエスが、装置を動かし食堂の明かりを照らしたのだった。
視界に、光が広がった。そこにあるのは、いつものアルヴィーズの食堂。
吐き気と激痛に耐えながら、キュルケは虚ろな視線で見渡した。まず真っ先に確認したのはモンモランシーだ。
結論から言えば、彼女は無事だった。しかし身体全体を震わせて、そこから動こうとはしない。使い魔のフレイムも、同じようであった。
キュルケは知らなかったが……、既に刃衛の『心の一方』により金縛りにさせられていたのだった。
次に自分を見下ろす影に、目をやる。そこには刃衛が佇んでいた。
顔の左側は焼けただれた痕がある。自分の炎魔法は、確かに当たっていたのだ。
しかし、刃衛はキュルケを見下ろすなり……、開口一番、こう言った。
「
どこまでも、底冷えする音調。それだけで自分とは、実戦経験で大きく水をあけられていると、嫌でも察せられる声色であった。
「お前、本気で人を焼き殺したことがないだろう?」
「うっ、ぐっ……」
「まあ、虚を突かれて尚、反撃してきた点は、評価してもいいが……」
刃衛は、愉悦を浮かべながら先ほどの攻防を思い返す。
あの時――暗がりの中、漂うハンカチのような風船には、刃衛も一早く気付いていた。
暗所など、自分にとっては友と同じ。昔京都の夜を駆けた人斬りとしての目は、キュルケたちのそれとは大きく作りが違っている。
だからわざと、刃をぶつけて破裂させた。即座に発する閃光は、黒笠を盾にして防いだ。
案の定、キュルケは起き上がって此方に杖を振ろうとしていた。思ったより距離があったために刃衛は、そのまま黒笠を投げて隙を作ろうとした。
その投げた黒笠をモロに喰らいながらも、即座に反撃してきたその点は評価に値する。
だが……。
「生憎、こちらの目はもう見えん。更に潰されても、いささかの痛痒もない」
残された右目だけを動かしながら、キュルケを見据える。その視線は、素早く別の人影をとらえた。
「動くな! 大人しく投降しろ!!」
銃を構えながら、アニエスは叫んだ。彼女も彼女で、冷や汗をひた隠しにしながら刃衛を睨む。
手に刺さった刃を見て……、改めて此奴には常識や理性を求めてはいけないと、そう断じた。
そして、あの激闘を経て尚、まだこれだけの殺気を発するのか……と、戦慄も同時に覚えた。
タバサはまだいない。ここは自分独りで対処するしかないようだ。
対する刃衛は、あっさりとアニエスの警告を破る。視線をこちらに移し、そして口元に笑みを浮かべる。
「誰かと思えば……いつぞやの女剣士。お前とはよく会うな」
そしてゆっくりと歩を進める。キュルケのことなど、どうでもいいようであった。
「今の俺なら、お前でも少しは楽しめそうだ」
そう言って、駆けた。瞬時に彼女の間合いへ侵略する。
アニエスは銃を撃とうとして、止めた。一旦懐へと仕舞い、剣を抜いて対応する。
ガキィン!! と火花が舞った。
「ぐっ―――!!」
一瞬、よろけそうになる。相手は二本、こちらは一本。その差が鍔迫り合いの勝敗を分けた。
「うふわぁはぁぁ!!」
狂気の笑みで叫びながら、アニエスの剣を思い切り弾く。逆にアニエスは剣が飛ばされないよう、必死になって耐える。
その隙に蹴りを刃衛は打ち込んできた。鎖帷子越しとはいえ、鈍い痛みがアニエスを襲う。
そのまま派手に転倒する。刃衛はすぐに追い打ちせず、ゆっくりと迫った。
「どうした? その程度か? お前も少しは腕に覚えがあるのだろう?」
自分で遊ぶつもりらしい。時間稼ぎをするつもりだったからこの状況は願ったりなのだが……、それでもとてつもない口惜しさがアニエスを襲った。
「舐められたものだな、私も……」
「舐める? 馬鹿言え」
刃衛はゆっくりとアニエスの前に出る。そして、刃で刺さった手を翳し、それを見せつける。
「これでもお前のことは評価しているぞ。俺の剣を二度も止められる奴が、貴族の豚共にどれぐらいいたと思っている? 皆恐れ慄き朽ち果てていったわ」
素直な賞賛なのだろう。アニエスは少し驚いた。しかし刃衛は「だが――」と続ける。
「それでも抜刀斎や『奴』に到底及ばないのは事実だ。俺に時間があれば、もう少し泳がせて成長を見てやってもよかったが……」
「……」
「もうその時間は無い。だから問おう」
そして愉悦を含んだ表情を向けて、アニエスに問うた。
「『雪風』は何処だ? 奴の服――――この学院の生徒のものだろう?」
それを聞いて、アニエスは「やはりか……」と顔を歪ませた。遠くで聞いていたキュルケも、それを聞いて顔をこわばらせる。
(なんであいつ、タバサを狙うの……?)
そんなキュルケの疑問を背景に、アニエスは問う。
「あの子に……、一体何の用だ?」
「決まっているだろう。『あの夜』の続きを始める」
やはり彼女が狙いだったか。
余程気に入っている様子が、その表情からも伺える。
タバサがこ奴とやり合うのはもう、どうあっても避けられなさそうだ。アニエスはそう思った。
だが、これは死亡確認を怠った自分の責もある。彼女一人に、全てを任せるわけにはいかない。
少しでも削らねば……、アニエスは、あえて小声で、何事かを呟く。
「うん? 何だ……」
自然、刃衛も顔を近づける。何て言っているのか、聞くためだ。
そうして近付いてきた刃衛に、アニエスは一言。
「くたばれ」
刹那、閃光がはじけ飛んだ。
倒れたふりをしながら、キュルケが撒いたままだったハンカチ包みの地雷を、拾い上げていたのだ。それを、懐に忍ばせた一発限りの短銃で発砲した。
「ぬおっ!」
流石の刃衛も、体を一気にのけぞらせる。アニエスもまた、視覚は一時的に利かなくなる。
それでも今度はありったけの火薬包みのハンカチを刃衛に放り投げ、今度は剣で思い切り横に斬る。
鉄と火薬が混ざり合い発火。小型の爆発が巻き起こった。
「ぐぅおおお!」
「……っ!」
捨て身の特効で、なんとか一矢報いたか……、そう逡巡した時、気づく。
薄っすらな視線で、火薬の爆発を押しのけ剣を振る刃衛の姿が……目に映る。
「くっ―――――!!」
アニエスは慌てて剣で防ぐ。その時発した火花でまた、小さな爆発が起こった。そして二人はそのまま吹っ飛ばされてしまう。
この時の衝撃で、アニエスの剣は根元から折れてしまった。対する刃衛の剣は、消耗こそしたものの、まだ刃としての形を保っている。
火の粉でやられかけた目を、アニエスは無理やり開く。刃衛が突っ込んでくる――。
その刃衛の背中が、次の瞬間、急に爆発した。
見れば、キュルケが息も絶え絶えに、『炎球』を放っていたのだ。
「よせ、逃げろ!!」
アニエスは叫んだ。「あなたこそ逃げなさいよ!」キュルケもそう叫び返す。
モンモランシーやフレイムは、ただ身動きできずこの光景を見ることしかできなかった。
しかし、刃衛は火傷した背中など気にも留めずに、その視線をキュルケの方へゆっくりと移す。
「うっ……!」
蛇に睨まれた蛙のような、小さな悲鳴を漏らす。手が震える。杖の切っ先がぶれる。
対する刃衛は、背中を焼かれたというのに……、依然として、何事も無いようにこちらへ向かってきた。
これまたキュルケは知らなかったが、刃衛の精神は既に肉体を凌駕していた。手に、顔に、胸に、背中に傷を受けて尚、愉悦を浮かべられるのはそのためだ。
それを知らないからこそ、キュルケは畏れる。この目の前の男が、どんな亜人よりも恐ろしい化け物に見えていた。
「やはり微温い。お前も所詮、そこいらの豚共と何ら変わりないわ」
刃衛は再び、そう宣う。
キュルケは杖を振り上げようとするも、蹴りでそれをつぶされる。壁と足裏で挟まれ、手から血が零れだす。悲鳴を上げる彼女をよそに、刃衛は落ちた杖を足で踏みつぶした。
もう魔法すら使えない。こうなると微熱の女王も、ただの無力な少女になる。
「刃も、魔法も、血を浴びてこそ活きるもの。それを――――」
アニエスは急いで、武装をマスケット銃に切り替える。
しかしもう間に合わない、刃衛はキュルケの目の前に来ると、刃を振り上げた。
「あの世で、悟れ」
今度こそ、殺される……。キュルケは恐怖で目を閉じた。
その刹那―――。
「ぬうっ!!」
刃衛が呻いた。キュルケはゆっくりと、瞼を開ける。
そこには……、蛇のような炎が刃衛の周囲に纏わりついていた。
「えっ……!?」
呆気にとられるキュルケをよそに、炎は、素早く刃衛に噛みつかんと飛び掛かる。さながら本物の蛇のように。
しかし刃衛はすぐさま危機を察知し、すぐに飛びのいた。それでも追ってくる蛇の頭を、一閃で斬り抜いた。
蛇は消えた。だが、今の一瞬の攻防でわかった。こっちの炎は、血を吸ってきた炎だと。
「何だ、いるんじゃあないか、俺以外にも『殺し』に慣れた者が」
うふふ、と刃衛は笑みを強く浮かべた。この学院に来て、初めて浮かべる最上級の喜悦を、やってきた禿げ頭の教師に向けた。
「わたしの教え子から、離れろ」
キュルケとアニエスもまた、その声の主に目をやった。
さっきまで自分達が「臆病者」と、さんざん馬鹿にしていた男……、コルベールがそこにはいた。
「……成程」
新たな来訪者、コルベールを刃衛は見据える。白黒に反転した瞳が、彼を射抜く。
一方のコルベールは、一瞬驚いたような表情をするものの……刹那の瞬間に目の色を変えた。
それは、いつもの昼行燈のようなそれではない、『炎蛇』の二つ名に恥じない、爬虫類を思わせる感情のない冷たい笑みであった。
「成程、成程」
対する刃衛は、しばらくそれだけ呟く。そしてもう一度、試すように目を見開かせた。
その対応があの蛇の表情だ。体力が大分落ちたと言え、それでも有象無象に解けるほど『心の一方』は甘くはない。
「お前には効かんか。うふふ、いいねえ。……お前も、抜刀斎の知り合いか?」
「抜刀斎など知らんよ……、ただ、ヒムラ・ケンシン君という優しき使い魔の名なら知っている」
圧倒的殺意を放つ刃衛に対して、淡々と会話するコルベール。
キュルケはただ、呆然としていた。
味方を燃やし尽くす、と言われたツェルプストー生まれのキュルケでさえ、実際にはそのような戦に従事したことはない。所詮、貴族同士の遊びのような決闘が関の山だ。
しかし、 今のコルベールが発する空気は違う。
触れば火傷する。燃え尽きて死す。
そんな肉の焼けるような、死の香りだった。
「そう言えば、メンヌヴィルの奴から聞いたな。
メンヌヴィル、そう聞いてコルベールとアニエスは同時に反応した。
王宮で読んだ『あの名簿』。その中に載っていた奴の名だ。
一方のコルベールは、少し驚きながらも、目の形をより鋭くする。
「そいつは、女子供も平気で焼き滅ぼす、修羅のような男であったと。顔色一つ変えずに村を焼いたそうじゃないか。確か、ダングルテール……だったか?」
それを聞いて、アニエスの顔は見る見るうちに強張っていった。その村は、かつての自分の故郷。そして……業火によって消された名前であった。
「俺も奴に抜刀斎の話をしたことがあってな。その時にこの噂を聞いたのさ。そうかそうか……今、点と線がつながった気分だ」
そして、刃衛は嗤った。邪気のない殺意を笑みに変え、手と一体化した刃をコルベールに突きつけ、そして尋ねた。
「お前だろう? 元・
「――ッ!!」
アニエスの顔が、ついに驚愕と怒りで歪んだ。コルベールはただ、呆然と見つめるキュルケに尋ねた。
「ミス・ツェルプストー。『火』系統の特徴を、改めて私に開帳してくれないかね?」
かみ締めた唇の端から、血が流れていた。炎のように赤い血が、コルベールの顎を彩っていく。
「……情熱と破壊が、火の本領ですわ」
「情熱はともかく『火』が司るものが、破壊だけでは寂しい。二十年間、そう思ってきた」
遠くを見やるように、やるせなさそうにこう続ける。
「だが、本質は……きみの言うとおりだ」
それを黙って聞いていた刃衛は、コルベールに向けた刃を下げ、静かに構える。
一方のコルベールは、血に塗れた刃を見据えながら、刃衛に問う。
「お前は、ケンシン君の何だね?」
「まあ、殺し合いを楽しんだ仲……。とだけ言っておこう」
「そうか……。だが彼は今忙しいのだ。お前如きにかかずらっている暇などない」
「ホウ、ならどうするつもりだ?」
刃衛は笑みを深くする。正直、こんなところで『同類』に会えるとは、思ってなかった。
こ奴なら、『雪風』が来るまでの丁度いい暇つぶしにはなるだろう。
対するコルベールは、蛇のような視線を向けたまま、何処までも冷たい声で告げた。
「彼の遺した古傷は、代わりに私が治す。殺しはしたくなかったが……、そうも言ってられんようだな」
「うふふ、来い」
互いに殺意を滾らせながら、二人は対峙した。