るろうに使い魔‐ハルケギニア剣客浪漫譚‐   作:お団子

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第七十六幕『死闘の幕引き』

 

 兇刃。倒れる。

 鵜堂刃衛の身体はタバサの血刀により、右脇から心臓にかけての裂傷が走っていた。

 最後まで万感の笑みを浮かべたまま、刃衛の身体は、ゆっくりと倒れ伏す。

 再び、食堂に静寂が訪れた。

 

「……っ」

 身も肌も凍るような寒さで、アニエスは目を覚ました。

 目を開けばそこは、一面氷のような別世界。そしてそこで何があったのか、記憶を遡らせる。

(っ、そうだ、彼女がこれを……)

 身体を起き上がらせようとして、気付く。動けない。どうやら氷で磔にされているようだ。

 そんな自分に、優しく声をかける者がいた。

 

「無理をしてはいけない。今溶かしているから、もう少しだけ待っててくれ」

 

 アニエスは目を見開く。自分を助けているのは、コルベールだった。

 小さな火の玉を巧みに操り、熱を使って自分の氷を溶かしている。

 自分が追いかけ続けた仇に、助けられているという現状。当然許せるものではない。

「きさ、っまぁ……。何故、助ける……!?」

「何故、か。何故だろうなぁ……。二十年前も、そんなことを考えていた気がするよ……」

 コルベールは大きくせき込んだ。遅れて口から血を吐く。

 ここでアニエスは気づいた。胸を裂かれた傷跡の上に、新たに火傷の痕があることに。熱を使って、傷を塞いだようだった。

「貴様、その傷……!」

「ああ、焼き潰した。かろうじて致命傷を免れてね。……まったく、人を焼きすぎたせいか、どうすれば上手く炎の調整ができるか、手に取るように分かってしまったんだ」

 自虐気味に呟くコルベール。その態度が癪に障ったのか、再びアニエスは叫んだ。

「質問に答えろ! 何故だ! 何故わたしだけなんだ……? 他のみんなは殺しておいて、何故……?」

「…………」

 気づけば涙をこぼしていた。絶対に見られたくないのに。

 それを見たコルベールは、ゆっくりと手でアニエスの涙をぬぐう。

「わたしはかつて、『王国の杖』だった。 焼き尽くせと言われたら、忠実にそれを実行した。 それが正しい貴族の在り方だと、ずっと思っていた」

「…………」

「けど、貴官の村を……、いや、罪なき人々を焼き払った時、それが間違いだと知った。わたしは『王国の杖』である前に、一人の人間なのだ。 どのような理由があろうと、罪なき人々を焼いていいわけがない。たとえ命令であろうと……、決して赦されることではない」

「………………」

「きみを助けたのは、そうだな……贖罪。そう、本当に贖罪だ。この身が滅んでも、罪は消えぬ。だから貴官に、わたしの死をゆだねさせようとしたのかもしれない。本当に、何処までも身勝手な理由で……、申し訳ない」

 そうする内、アニエスを縛っていた氷は全て溶けた。コルベールはふらふらと、立ち上がって辺りを見渡す。

「あともう一つ……、彼が言っていたのだよ。正確には、彼の剣の造り主の言葉だが」

 彼……、剣心のことだろう。察したアニエスは、コルベールの言葉を待つ。

 

 

「『何人も何人も殺しておいて、今更逃げるな』と。そうだ、わたしももう、逃げるのを止めたかったんだ。彼のように、正面から己の罪と向き合いたいと思ったんだ」

 

 

 その結果がこれだがなあ……。コルベールはやるせなさそうに顔を俯ける。

「結局あの子……、ミス・タバサに、すべてをゆだねてしまった。本当に、彼がこの惨状を見たら……、わたしに何て言うのだろうか。呆れ果てて、言葉もないような表情を浮かべるのだろうか……」

「……先の銃撃は私の失態だ。貴様が気に病むことはない」

 不意に、そんな言葉が口から出ていた。

 そして己を恥じる。何故だ、なぜ二十年も追い続けた仇を、今更案ずる必要がある。こ奴はこれから、私の剣で、しかるべき報いを与えねば。

 剣は折れたし、銃は弾切れだが……、周囲にはタバサが作った氷の刃物が散らばっている。これを使って、刺し殺すことはいつでも可能だ。

 だが今は、周囲の現状確認だ。霧はだんだんと薄れていくのが分かる。

 やがて、食堂の中心部にいた二人の影を、視界に映せるくらいにまで霧は薄まってきた。

 そして――――。

 

 

「いやぁぁああああああああ!! タバサぁああああああああああああああああ!!」

 

 

 キュルケの絶叫が、食堂に響き渡った。

 

 

 

 

 

第七十五幕『死闘の幕引き』

 

 

 

 

 

 絶叫が響き渡る、数十秒前の事。

「…………」

 タバサは一人、倒れ伏した鵜堂刃衛を見下ろしていた。最後の最後まで愉しんだと言ったような、安らかな笑顔だけを残して、逝った。

 それを見下ろすタバサは対照的に、絶対零度のごとく凍り付いている。

 ガリア王族を示す青髪の先端は、氷で白に染まり、その上で血の塗料が塗られている。

 負の感情で象られた三色配色(トリコロール)。頬には凍り付いた涙の痕。その表情を以って、タバサは刃衛を見下ろしていた。

 

 倒した、というより、殺した。遂に……。

 確実に、着実に強くなっている。その感触は……確かにあった。

 

 だが、それが何だというのだ?

 

 結局また、大切な人は守れなかった。助けられなかった。

 その事実が、どこまでも彼女の心を凍らせる。

 自分の所為だ、自分が巻き込んだ。あの時……、『黒笠事件』に首を突っ込まなければ、強くはなれなかっただろうが、親友を巻き込むこともなかった。

 

 

 虚しい、ただただ、虚しさが吹雪のように襲い来る。

 

 

 こんなことで、本当に母を救えるのか……。いやもう、無理なんじゃなかろうか?

 親友を守れなかった悔恨が、一種の諦めすら彼女の中で生まれだす。

 身体が震える。足に力が、入らなくなる。

 何故そうなるのか、さっぱり分からない。でももう、ここで倒れてしまっても―――。

 そう考えていた時だった。

 

「タバサ!!」

 

 自分を呼ぶ声。一瞬、幻聴を疑った。だってそれは……、もう聞こえる筈のない友の声だったからだ。

「タバサ! あたしよ!!」

 そう言って此方へ来る影を見やる。氷霧の先にいたのは……、真っ赤に燃える、見慣れた髪。

 そこで初めて、タバサは光なき瞳を、大きく動かした。

 再び、瞳の中が輝きで潤い始める。

 

「キ、ュルケ……?」

「そうよ。アハハ……生きてましたの、あたし」

 

 今度は幻覚を疑った。でも違う。熱が、声が、違うと言ってきている。

 キュルケは無事だった。刺されたはずの傷口は、どうやら脇腹へとそれたらしい。

 そしてその傷口も、タバサの氷とモンモランシーの水魔法でもう、塞がっていた。

 痛々しい痕は残っているものの、こうやって歩けるあたり、本当に問題ないのだろう。

「てか、何気にあなた、初めてあたしの名前を呼んでくれたわね」

 その瞬間、自分でもよく分からないぐらい、ほろりと、涙をこぼした。

 それを見たキュルケが、ちょっとびっくりする。

「た、タバサ! そんな、泣くなんて大げさよ!」

「よ、が……っ、た」

「タバ――」

「よかったよおおおおぉぉ……!」

 誰よりも、助けたいと思った人が生きていてくれた。それが分かっただけで、凍り付いた体が、心が、安らかに暖かくなるのを感じた。

 気づけばほろほろと泣いていた。それほどまでに、彼女が生きていてくれたことに、安堵した。

 

 ほっとしたら、今度は眠くなってきた。

 

 きっと疲れたんだな。うん。

「タバサ、え…あなた…それって…」

 もう寝よう。起きたらもう、全部が終わっているような、そんな感覚があった。

「う――、タ――、待っ――」

 ああ、母さまが、父さまが、安らかな笑顔でこちらに手招きしている。

 母さまに、またタバサのお人形を、披露してあげなくちゃ。そしてうんと褒めてもらうんだ。

 そうだ、今日は誕生日だった。ドラゴンケーキ、楽しみだな。

 日当たりのいいところで、父さまと叔父さまがチェスをするの、また見たいな。

 

 

 ま た あ の こ ろ に も ど り た い な 。

 

 

「タバサ、えっ……?」

 氷霧が晴れた後、キュルケは絶句した。

 タバサが刃衛を倒したというのは、遠巻きでも理解できたから、彼女に駆け寄って自分の無事を伝えたかった。

 自分が生きていることを知った彼女は、滂沱の涙を流してくれた。それぐらい辛い思いをさせてたんだな……と、力が及ばなかった自分を恥じた。

 でも、それと同じぐらい、自分と彼女とは、強い友情で結ばれていたということに、嬉しさを感じていた。

 そんな思いを巡らせていた時、気付く。

「あなた、それって……」

 濃い氷霧がタバサの下半分を覆っていいたため、気付かなかった。晴れてようやく分かった。

 

 

 タバサの左腰から腹にかけて、刃が埋まっていたことに。

 

 

 刃衛の放った最後の一撃、『最大左右同斬』。それに対しタバサは右側の刃は破壊した。

 だが、左の方は無防備だった。というより、余裕がなかったと言ってもいい。だから、左は貰う相打ち覚悟で攻撃を放っていたのだ。

 コルベールの炎で融解した刃。今は冷気で根元が折れていたが……、それでも鋭い鉄の一撃は、このあどけない少女の腹を裂いていた。

 キュルケは蒼白になった。それと並行してタバサの表情に、色が消えていく。

「嘘でしょ! やだ! 駄目タバサ! 待って――――」

 しかし、もう自分の声は聞こえていないようだった。

 そのまま、まるで刃衛の後を追うかのように、タバサはゆっくりと倒れ伏し、そこに血だまりを作り上げていった。

 

 

「いやぁぁああああああああ! タバサぁああああああああああああああああ!!」

 

 

 その声に、コルベールが、アニエスが、モンモランシーが反応した。

 みんなが慌てて駆け寄る。そこには腰から夥しい量の血を流すタバサと、必死で呼びかけるキュルケの姿があった。

「ミス!!」

「うぁっ、何よこれ……ぇ!!」

「……ッ!!」

 三者三様に驚愕の表情を浮かべた。コルベールは慌ててタバサの手首に指をあてる。しかしもう、体温は感じられない。

 ギリッと歯を食いしばった。心内では既に「諦めろ」と、囁きかけてくる。

『火』系統で、数々の死に携わっていたからこそ分かる。

 この体温は、もう……。

「先生、お願いします! 何でも! 何でもしますから!! 親友(タバサ)を助けて! お願いします!!」

「キュ、キュルケ……」

 モンモランシーが一瞬冷静になってしまうぐらい、キュルケは取り乱していた。いつも生意気な態度でからかってくるくせに……。その悲痛な表情を見て、思わず涙する。

「気持ちは、痛いほどわかるわよ。でも、これはもう……」

「嫌よ! あたしだってこうして生きてるんだから! この子だって!!」

「…………」

 アニエスは顔を上げられなかった。元はと言えば自分の責任なのだから。

 あの時、間違って撃たなければ……。こんな最悪なシナリオにはならなかった筈だと。何度も自分を呪う。

 そんな時。

 

「きゅいいいいいい! お姉さま、お姉さまああああああ!!」

 

 そう叫んで食堂に現れる者がいた。シルフィードである。

 竜の姿では食堂に入れなかったため、人型の姿の一糸まとわぬ姿で走ってきた。

「やだ! お姉さま! 消えちゃう! お姉さまのルーンが消えちゃうぅうううううううう!」

 大粒の涙をこぼして、思い切りタバサに駆け寄った。突然の闖入者に周囲は驚くも、あまりの形相なので彼女が誰なのか、質問するのを後にする。

「ねえ助けて! お姉さまを、誰か助けてなのねぇえええ!!」

「……まずは刃を抜きましょう。次に止血。そこからです」

 左腹から真ん中まで食い込んだ刃を見やりながら、コルベールはすぐさま動く。

 今はもう、議論している間すら勿体ない。やるだけやろう。そう思った。

『レビテーション』を使い、ゆっくりと、引き抜いていく。

 だが……。

「ぐぶっ、ぐっ……」

「先生!!」

 コルベールでさえ、完全に回復したわけでは無い。むしろ本来なら、すぐに治療が必要なほどの大怪我を負っている。

 そんな中、彼も無理して動いているのだった。

 おまけに銃弾がどうやら肺に食い込んだらしい。精密な作業など、できるわけもなかった。

「せ、先生! わたしが!!」

 モンモランシーが水魔法で、コルベールの背中を癒した。深手を癒す『治癒(ヒーリング)』の呪文は専用の秘薬が必要なのだが……今、この場にはない。

 なので、精神力をすり減らしながら、モンモランシーは魔法を唱え続けていた。しかし、とうとう限界が来る。

「っ……」

 眠気が襲ってくる。声に力が抜ける感覚が、モンモランシーにの身に降りかかってくる。

 もうダメだと、一瞬この場の空気が、最悪な方に向かい始めた時だった。

 

「安心なさい。わしがきた」

「おっ、オールド・オスマン!」

 

 オールド・オスマンが、巨大なかばんを手に駆けつけてきたのだった。

「事情は全てモートソグニルから見て知っておるよ。大変じゃったのう」

 そう言いながら、鞄の中にあるありったけの秘薬を使い、タバサにふりかけていく。

 杖を振り上げる。詠唱。それだけで刀は静かに抜けた。

「が、学院長……」

「任せなさい。まあ、やれるだけ、やってみるわい」

 そうするとオールド・オスマンは、的確な指示を残った銃士や女教師に下していく。だてに長生きしていない、ただの助平爺さんではないと、皆にそう思わせた瞬間であった。

 服を脱がし、治療を開始する。

 しかし、血だけは一向に止まらない。

「まずいのう。止血がうまくいかん、このままでは……」

 最悪、出血死する。

 本格的な治療が始まってから、あまりにも血を流しすぎた。

「えっ! どうなの!? 助かるのね!?」

「静かになさい。彼女の傷に響く」

 それを聞いてからは、シルフィードは両手で口元を閉じた。そのせいで豊満な胸が、あられもなく見えてしまうのだが。

 まずい、これはまずい。集中できん。というかもう、鼻血を出している。

 煩悩と格闘するせいで、精度も鈍っていく中、コルベールが言った。

「学院長……、秘薬を一つ、わたしに」

「何か考えがあるのかね?」

 渡りに船で助かった。とオスマンは内心安堵しながら尋ねる。

「傷を、焼き潰します」

「なんと!? しかしそれでは……」

「はい、間違いなく火傷の痕は残るでしょう。ですが現状、それしか手はない。彼女には悪いですが……」

 秘薬の一つを一気飲みした後、コルベールはゆっくりと、杖を向ける。しかし手が、呪文を唱える声が震えている。

「肺をやったのかね」

「……っ、二十年前のツケですよ。これぐらい、今のミスの痛みと比べれば……」

 それでも苦しそうに咳をする。弾丸が、内臓に食い込んでいるのだった。

 それを見たモンモランシーは、疲労で眠るの堪えて、みんなに告げる。

「ならわたしが……、先生の体内にある弾丸を摘出します」

「えっ!」

「ミス!?」

 弾丸の摘出。それは確かに、『レビテーション』を使えば、抜き取ることができるだろう。

 だがそれは、一部の隙も無い流暢な動きでなくば、抜き出す際、他の内臓を傷つけてしまう危険な技術。

 代々、体内の流れを診ることに長けた『水』系統の使い手であるとしても、容易ではない筈だった。

 でも……、とモンモランシーは無意識に拳を握る。

 

「わたしの周りに、これ以上悲しみがあるのは許せない。あるなら……、癒さなくっちゃ気がすまない」

 

 この戦い、自分は足手まといでしかなかった。だからこそ、身を張って助けてくれたコルベールやタバサは、絶対に助けたい。

 自分の戦いはここにある。モンモランシーは目を見開かせた。

「そうか、では頼む」

「はい!」

 そう言って、コルベールの上の服を一度脱がせる。その時表れた、引き攣れた火傷痕に一瞬、たじろいでしまう。

「はは、済まない。見ていて、気持ちのいいものではないだろうね」

「いえ、大丈夫です。失礼」

 これ以上は臆さない。今はオスマンが必死に出血を抑えているが、それでも徐々に漏れ出している。

 確実に止めるには、何としてもコルベールの火の治療が必要だ。

 モンモランシーは一度、覆いかぶさるように、コルベールの背に身体を預ける。そうすることで一度、何処に弾があるのかを探っているのだった。

 目をつむり、集中する。極限の緊張が、かつてないほどに神経を張り巡らせるような感触を受ける。

「モンモランシー、お願い……」

 隣では必死にキュルケが祈っている。彼女にも攫われかけたところを助けてくれた、その思いに応えたい。

 

 モンモランシーも知らず、『水』の二乗、ラインクラスに引きあがっていた。

 

(あった!)

 傷口から、血の流れを手繰ってようやく見つける。肺に直撃はしていないが、呼吸で身体が鼓動するたびに当たっているようだ。これでは苦しいのも当たり前だろう。

 杖を改めて構える。『レビテーション』を唱える。

「少し痛いでしょうが、ご容赦ください」

「ああ、問題ない……!」

 集中して、体内に食い込んだ弾に狙いを定め、真っすぐ後ろに引き抜けるよう、力を籠める。

「――ぐっ!!」

 コルベールは目を見開かせた。歯をくいしばって耐えている。辛いのが一目でわかるほどに。

 だが逆にそれが、モンモランシーの覚悟をさらに強くさせた。

 

 

(人一人助けられないで、何が水系統。何がモンモランシ家よ!!)

 

 

 自分と患者(せんせい)、その呼吸のタイミングを同調させる。意識をぎりぎりにまで合わせていく。

 吸って、吐く。吸って、吐く。吸って――――。

(今!)

 杖を思いっきり引き上げた。瞬間、痛みを感じさせる間もなく、血に塗れた銃弾が、外へと飛び出した。

「やった――!!」

 後は塗るタイプの秘薬を使い、傷口を塞ぐ。これだけでコルベールの顔色が、どんどん好調の兆しを見せた。

「済まない! 恩に着るよミス・モンモランシ!」

 すぐにコルベールは呪文を詠唱した。小さな白炎の蛇が、タバサの傷に纏わりつく。

 そして次の瞬間、横一文字の傷口を一気に焼き潰した。

 ジュッ! と肉の焼けるような嫌な臭いが充満する。臭いに耐えきれず、吐く銃士や教師を置いて、コルベールはひたすら集中する。

 オスマンもまた、『錬金』で秘薬を血液に変換し、彼女の輸血作業に入る。

 その隣では、キュルケがタバサの手を掴んで必死に祈りをささげていた。

(お願いします神様。シャルロットを連れてかないで……。お願いします……!)

 そう呟いているのが、口元で分かった。それを見たコルベールもまた、意識を強く保つ。

 何とか最低限の火傷で、タバサの血は無事止まった。

 もう、やれることはすべてやった。後はもう、ひたすらに『治癒』を唱え続けるだけだった。

 

 

(お願いします、お願いします、お願いします……)

(大いなる意思よ。お願いだからまだ……、お姉さまを連れて行かないで……)

 

 

 気づけばもう、とっくに朝日が顔を出していた。それでもなお、食堂の時間は止まったかのよう。

 そして――。

「っ!」

「きゅい!」

 タバサの指が一瞬だけ、確かに動いた。

「タバサ!」「お姉さま!」

 ついで微かであるが、胸が上下に動き出す。

 無事タバサが帰ってきた。それを、みんなが理解した瞬間だった。

 

「やったああああああああああああ! きゅいきゅいい!」

 

 シルフィードが大声を上げてガッツポーズをした。次の瞬間、オスマンの注意を思い出して、慌てて口元を抑える。

 キュルケもまた、フッと力が抜けたかのように蹲った。

「良かったぁ……。本当に、うぅっ……」

 そしてそのまま泣き始める。その様子をやり切った微笑みで眺めていたモンモランシーは、ここで身体を大きくぐらつかせる。

 完全に気が抜けて、抗いがたい眠気に襲われたのである。

「モンモランシー!」

 慌ててキュルケが身体を支える。モンモランシーはふらふらになりながら、最後にこう言った。

 

「これで、さっきの借り……、返したから、ね……」

 

 そしてゆっくりと瞼を閉じる。

 キュルケは先ほど、誘拐されかけた彼女の事を思い返した。そして優しく、彼女の頬を撫でた。

「本当にありがとう。ゆっくりとお休み……」

 キュルケは再び顔を上げる。この時にはもう、タバサの顔は見る見るうちに血色が戻ってきていた。

 そこまで来た時、オールド・オスマンが大汗を掻きながら言った。

「とりあえず、これで大丈夫じゃろ。後はどこかでゆっくり養生できる場所に、移すだけじゃ」

 秘薬はもう使い果たしたしのう……。と憂うように続ける。キュルケは鞄を見る。確かに入っていた薬瓶は全て空になっていた。

「あの、それなんですが学院長」

「なんじゃね? ミス・ツェルプストー」

「あたしの家なんてどうでしょう? 国をまたぐ移動をすることにはなりますが、資材は豊富ですし、あたしが責任をもって面倒を見れます」

 胸に手を当て、力強い声でそう言った。これはオスマンにとっても願ったりだった。これから様々な事後処理に追われることになる中、タバサも同時に看てられるか、自信がなかったからだ。

「分かった。ではお願いするとしよう。これは特別休暇という扱いにしておく。龍籠も手配しよう。彼女のことをよろしく頼むよ」

「あ、じゃあそれはわたしが運ぶのね」

 涙をぬぐっていたシルフィードが、ここで手を上げた。そこでキュルケ達も、ようやくこの謎の裸体美少女に目をむける。

「ああ、そう言えばあなた。イルククゥじゃなかったっけ? でも、シルフィードでもある……と?」

 チクトンネ街で会ったことがあるため、顔は覚えていたキュルケはそう尋ねる。

 シルフィードはもう、仕方ないだろうといった風情で話し始める。

「うん。お姉さまは黙ってろって言ってたけど。わたしは風竜じゃなくて、本当は風韻竜なのね! だからこうして精霊の力を借りて、人間の姿にもなれるのね!」

「韻竜! あの子韻竜を召喚したの!?」

 とっくに絶滅したかと聞いていたのに……。だがキュルケは、不思議とその事実をすんなり受け入れる。

 タバサの実力を思えば、それぐらいの使い魔を召喚したっておかしくはないだろう。

 そして、それを誰にも教えずひた隠しにしていたのもあの子らしいな……。と思い、それ以上質問を止める。

「分かったわ。じゃあタバサと……、あとコルベール先生もあたしの屋敷に運ぶの、お願いしてもいい?」

 シルフィードはきゅい! とひと鳴きする。そして竜の姿に戻るため、足早で食堂を去っていった。

 それを見送っていたキュルケはここで、完全に精神が切れかかっているコルベールへと目を向けた。

「先生も、しばらくはあたしの家で休養してください。何もできず、何も知らなかったバカな生徒の家に来るのは……、さぞ心苦しいかと思いますけど」

「そう卑下しないでくれたまえ。あの時、わたしを教師と呼んでくれた時……、心底嬉しかったよ」

 刃衛に向かって啖呵を切った時の事を思い出し、少しキュルケは顔を朱にする。

 なぜだろう。コルベールの憂いの笑顔を見ると、鼓動が確かに、これ以上なく跳ねた気がする。

 自分の中で強い『何か』が灯ったような……、そんな感じが確かにあった。

 やがてコルベールもまた船をこぎ始める。顔が上下に揺れ動き始めた。

 キュルケはコルベールの顔を優しく自分の胸に埋める。やがてコルベールもまた、ゆっくりと瞳を閉じた。

「学院長。コルベール先生も、連れて行ってよろしいですね?」

 一連の流れを見ていたオスマンに、キュルケは再び尋ねる。オスマンは若干、悔しそうな顔をしながらも頷く。

「勿論じゃ。この野郎……うらやま、ううん。そのまま帰ってこんでも……、ああいや、ゴホン。好きにしなさい」

「やった!」

 そして一旦、コルベールを横にして寝かせると、一旦立ち上がって、ずっと固まったままでいるアニエスのところへ向かった。

 アニエスは、ずっと蹲っていた。まるで心を、どこかに置いてきてしまったかのよう。

 先ほどの治療も、アニエスは何もできなかった。何処までも無力でしかなかった事実に、打ちひしがれているのだろう。キュルケはそう思った。

 

「………………」

 

 時間が止まっている。そう思わせる顔だった。それでも、きっぱりと言わなくてはならない。

「これから、タバサと先生は、あたしの家で養生することになったから」

「……」

 何も返さない。

 ただ、目だけはこちらに動いた。話は聞いているのであろう。キュルケは続ける。

「あなたと先生に何が起こったのか、あたしは詳しくは知らないわ。でも、これだけは言わせて。先生は、あなたのことも助けようとしてたのよ」

 実際、間近で刃衛とコルベールと戦闘を見ていた時、キュルケは気付いていた。刃衛の目線が何度か、アニエスの方へ向いていたことに。

 揺さぶりのつもりだったのかもしれないが……、それでもあの時、コルベールはアニエスの元へ行かせないよう、かなり警戒を払っていた。

 そしてアニエスもまた、先程の寒波に巻き込まれた際、重症なのを押して自分の氷を溶かしてくれたことを思い返し……、思わず唇を噛む。そこから、一筋の血が流れた。

「そしてもう一つ。あなたは先生を恨んでいるみたいだけど……、あたしも今、あなたを恨んでいるってこと。忘れないで。あの時の銃撃さえなければ、こんなことにはならなかったのは、あなたが一番よく知っているでしょう?」

 アニエスはそこで、ハッとした様子で顔を上げた。キュルケは今、静かに一筋の涙を、流していた。

 怒りで歪んでこそいない、静かな表情だったが……、だからこそ、本気で怒っているということが嫌でも伝わる表情。

「もし、これで……」

 震える声ながらも、決意を秘めたかのような、力強い声で続ける。

 

「もしこれで、タバサや先生が死ぬようなことがあったら……あたしはあなたを絶対に許さない。この杖で、必ず、あなたに報いを受けさせる。あなたは、あたしから最愛の友を奪いかけたってこと、絶対に忘れないで」

 

 そこまで言って、キュルケは離れた。

 こうでも言わないと、コルベールをずっと狙い続けると思ったからこその、発言だった。

 それを聞いていたアニエスは……呆然とした表情で、キュルケの背中を見送る。

 もうすでに、自分は恨みを晴らす側ではなく、恨まれる側になってしまったことに。そして頼った人に、仇に、自分の不甲斐無さを全て押し付けてしまったことに、心が悲鳴を上げていた。

 

 だが、どうすれば良いのだ。私の二十年は一体、何だったんだ……!!

 そんな思いもまた、駆け巡る。

 そしてとうとう、決壊した。

 

「うわぁああああああああああああああああああ……っ!!」

 

 まるで二十年前の子供に戻ったように、ただ泣いた。

 蹲り、ひたすら嗚咽を漏らす。

 銃士たちは、いつも気丈な彼女のこの様子に、ただあたふたしていた。やがて、それを見かねたオスマンが告げる。

「しばらく、そっとしておいてあげなさい。きみたちも、今日はここでゆっくりするといい」

 下心ではない、純粋な気遣いの声に、銃士たちも力なく頷いたのだった。

 

 

 これだけの悲劇が起こりながらも、今日もいつもと変わらぬように、陽が昇っていく。

 トリステイン魔法学院、そのアウストリの庭にて。

 キュルケやオールド・オスマン含む銃士たちが、鵜堂刃衛の火葬を執り行っていた。

『アンドバリの指輪』がある以上、もう死体を利用させないように、という処置である。

 その背後では、龍籠の上に乗ったシルフィードもいた。自分の主人をこんな目に遭わせた、その元凶の最後を、きちんとその目に焼き付けたかったからだ。

 籠の中には、担架で運ばれたタバサとコルベールが、眠りについていた。

 

(結局、お姉さまとのルーン……。消えちゃったな)

 

 侘しそうな表情を、シルフィードは浮かべていた。

『使い魔か主人、どちらかが死ねばルーンは消える』と言われているが、まさかこんなあっさりと消えてしまうとは思わなかった。

 また契約を結べば、使い魔になれるのだろうか? そんな疑問が、シルフィードに静々と襲い掛かってくる。

 でも、今はそんなことを考えても仕方がない。とにかく今は、彼女がゆっくりと養生できるよう、何事も起きぬよう、願うしかない。

(お願いだから、お姉さまが目を覚ますまで任務の手紙が、来ませんように……)

 シルフィードは再び、大いなる意思にそう祈りながら、立ち上る刃衛の火葬の煙を、見やっていた。

 

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