ハルケギニアの東側に広がる、大地の海。
そのサハラの端。鮮やかなエメラルドブルーの海の上に、エルフの国があった。
同心円が幾重にも連なったような、直径数リーグにも及ぶ人工島。 エルフの国ネフテスの首都、アディールだ。
その同心円の中心に据えられた、一際巨大な建造物に向かって、 一匹の風竜は飛んていく。
風竜は建物の屋上に降り立ち、そこから一人の人物が竜から降りる。
フードを被っているため、ここではどんな人物かは誰何できない。
その人物は、このネフテスの評議会本部、通称『カスバ』へと足を運んでいた。
階下へ向かう昇降装置に乗る。
階数の名前を告げると装置は動き出し、目的の階へと向かった。
そこは、入れ札によって現在評議員を束ねるエルフの、部屋のある階であった。
「お呼びですか? 統領」
フードの人物はそう言って、ネフテス最高権力者の部屋の扉を開ける。
それと同時に頭の被り物も取り外した。
フードの人物もまた、エルフであった。
流れるような金髪から、長いとがった耳が垣間見える。
「うむ、よく来てくれたのう。ビダーシャルよ」
そう言ってビダーシャルを迎え入れるのは、ネフテス『統領』テュリュークだ。
口語を唱える。すると椅子が勝手に動き出しビダーシャルの前へと動いた。ハルケギニアの人間が『先住魔法』と呼ぶ力、『精霊の行使』である。
「私に何の用でしょうか?」
椅子に腰かけながら、ビダーシャルは問う。しかしテュリュークはその質問には答えず、彼が手に持っている本にまず視線を移した。
「その本、蛮人たちが読んでいる本かね?」
「ええ。姪から借りていまして」
本を統領にも見えるように差し出す。本には『イーヴァルディの勇者』と書かれていた。
「我々エルフは『物語』というのを作り出す文化がない。本といえば正確に事象や歴史、研究内容を記したものに限られますからな」
「蛮人たちは、そういう歴史にも独自の解釈を加えて娯楽に変えるそうじゃな」
「ええ。読み手に様々な感情を喚起させ、己の主張を滑り込ませる。私が読んでも『面白い』と、そう思えます」
ビダーシャルはそう言ってパラパラと本をめくる。思いのほか、気に入っているようだ。
エルフは、人間たちを『蛮人』と呼んで憚らない。
だが、こういった文化の相違を見るのは、素直に楽しいとこのエルフは言っていた。
「成程、今度貸してくれんかね。評議員が運んでくる書類にはいい加減飽き飽きしていたところでな」
「ルクシャナに聞いておきます。又貸しすると怒るかもしれませんので」
脳内でありありと思い浮かぶ、姪の怒り顔を想起しながら、しかし鋭い視線でビダーシャルは統領を見る。
まさか本を貸してもらうために自分を呼んだわけではあるまい。
その空気を察したのだろう。テュリュークは一つ、ため息をついて言った。
「では、単刀直入に述べようかのう。……最近、『悪魔の門』が活発化しておる」
「…………!!」
ビダーシャルは椅子から立ち上がった。その表情は驚きで満ちている。
「門の向こうから送られてくる兵器の数が増えてきていてな。わしはこれを、彼ら蛮人が言うところの『虚無』の力……シャイターンの復活と考えておる」
「はるか昔に、我らを滅ぼしかけた力がまた……蘇りかけているということですか」
六千年前。
悪魔ブリミルの手によって引き起こされたという『大災厄』。それによってエルフの半分が死に絶えたと言われている。
遥か遠い記憶の彼方とはいえ、その地獄だけは今も連綿と語り継がれていた。
「故に、手を打たねばならぬ」
テュリュークは厳しい眼でビダーシャルを見据える。一方のビダーシャルも、思案の表情のまま再び席に着いた。
「どうするおつもりで?」
「一番良いのは、彼らの言う『四の四』。それを一つ持ち帰ることじゃ。そうすることで悪魔の力を押さえる」
虚無の力。その仔細はエルフたちもある程度補足している。悪魔と恐れるからこそ、ちゃんと知で博るのが彼らの在り方だ。
「悪魔の力は四つ。まず直接の力を担う蛮人が四人。そしてそれを守る『使い魔』が四人。残り二つが―――」
「四つの秘宝と四つの宝石。そう聞いておる」
「人よりは物が良いですな。反抗される心配がない」
うむ……。とテュリュークは頷いた。仮に人を攫う場合、かなり手間になるし、管理や周りのエルフとの折衝にも気を使うだろう。
噂では、担い手は死ぬと、その力が別の者に流れると聞く。故に、誘拐に成功しても生かしたままにしなければならない。ことのほか面倒なのだ。
「そして今、蛮人共は戦を始めておる。ここより遥か西、アルビオンとかいう空の国でな」
「風石によって形作られた浮遊大陸を、今の蛮人はそう呼ぶとは聞きました。……そこでも戦をするのですか、彼らは」
ビダーシャルは理解できないとばかりに首を振る。何故いつも人間たちは勝手に争い勝手に傷つくのだろうか? その感傷や理屈が全く分からないのであった。
「左様。だがその中心に『虚無』があるのは確かじゃろうて」
「なれば今は遠くで観察し、彼らの言う『虚無』についての情報を集めておくのがいいかと」
「そうじゃな……、あやつらが関わっていなければそれでもいいと思ったんじゃが……」
あからさまに面倒そうな顔で、テュリュークがぼやく。
「……どういうことで?」
「『鉄血団結党』」
その言葉を聞いた瞬間、頭痛の種を植え付けられたような感触をビダーシャルは覚えた。
『鉄血団結党』。
停滞と退廃に陥った祖国に現れた、狂信者の集団。自分たちが正しいと思い込み、その他のすべての価値や思想を認めない、自我の化物の集まり。
人間と関わるもの、そのすべてを唾棄し破壊することに一切の迷いを見せない、負の感情を煮凝りにしたかのような連中だ。
「……具体的に、彼らがどう関わっているので?」
「わしも、仔細は分からん。支持者は今や完全なエスマーイルの私兵と成り果てておるからな」
今の鉄血団結党と水軍を率いている、若き評議員の顔を思い浮かべる。
あと三十くらい若ければ、私も彼の言葉に酔えたのだろうか……そんな考えがふと頭に過った。
「ただ、これだけは分かったんじゃが、あ奴らはどうやら我々の技術を、蛮人たちに横流ししておるらしい」
「……今何と?」
ありえないような言葉を聞き、ビダーシャルは顔を上げた。人間と言葉を交わすことすら『民族反逆罪』と、声を荒げるような連中が、進んで人間へ技術提供しているという。
そう聞いてしまっては、先の会話の反芻に時間がかかるのも致しかたないだろう
「矛盾の塊のような言葉をぶつけて申し訳ない。じゃがその仔細が分かればわしもこんな顔せんよ」
そして再び、呪文を唱える。隣の棚から酒瓶が飛んできた。『酔わなければやってられない』。そう言いたいようだ。
いかにも蛮人らしい振る舞いだが、統領の心境を察したビダーシャルは何も言わなかった。
飲むかね? という視線を、ビダーシャルは手で遮ることで答える。
「ま、ロクでもないことが起こるってことだけは確かじゃな。うん」
どこか他人事のように、テュリューク。はぁ……。と嘆息するビダーシャル。
「それで、統領は私に何をせよと?」
「先も言ったように、『悪魔の門』が開くことは断固として阻止したい。これが絶対条件じゃ。そのためには力を一つ、彼らから奪取する必要がある」
「と、同時に『鉄血団結党』の動きを把握もしたいと」
ここでテュリュークは注いだ酒をくいっと呷る。
「どちらも……、というのはきみの荷には勝ちすぎる気がしてな。とはいえ、今のボンクラ議員にどうにかさせるのも、と思ってのう……」
エルフは決まった国を持たない。数多くの部族に別れて広大な砂漠で暮らしている。その部族の長が『評議員』としての顔を持ち、『統領』を時の長としてネフテスを動かしている。
その統領も、数年に一度、代表たちの入れ札によって選んでいる。血統によって国を動かすことの愚を、彼らは早くから学んでいた。
……とはいえ、今の蛮人の国を正直馬鹿にできないな。と、評議員の面々を浮かべながらビダーシャルは思う。
その多くは今や自己保身や事なかれ主義ですっかり腑抜けた、二流どころか三流にも当たらない者たちが並んでいるのだ。革命を嫌った者たちの末路。それが今の
そういう意味では、まだ確固たる理念をもって動くエスマーイルのほうがマシというものだ。思想にはまったく賛同できないのだが。
「蛮人へ技術提供していることを理由に、エスマーイルを罷免することは?」
「無駄じゃな。まず証拠がないのじゃから。それに彼を罷免しようと動く議員が、はてさて一体何人おるのやら」
交易の内容如何では、彼を議会で糾弾することができるだろうが……、踏み込んだ調査でもしなければ、まずその委細は明かされない事であろう。
何とも厄介なことになったな。とビダーシャルは独り言ちる。
「エスマーイルが蛮人と交易している国に、心当たりは?」
「ガリアかゲルマニア……じゃろうな。あそこは蛮人たちの中でも未だ大国じゃ」
あくまで推論の域であろうが、確信を持った目でテュリュークは言う。
「ガリア語であれば少しは話せます。ハルケギニアの公共語にもなっているので」
「なれば、きみはガリアの王に会って話を聞いてきてくれんか? 交渉次第なら彼らが欲するであろう風石の採掘権や各種技術諸々を、くれてやってもかまわん」
「随分気前が良いですな。……いいので?」
「仕方あるまい。これ以上エスマーイルたちに、好き勝手やらせることの方が問題じゃろうて」
要はこれらの『札』を使って、エスマーイルたちと縁を切るよう、交流先の蛮人の長に交渉してほしいと。そういうことらしい。
同時に、虚無の力に近づこうとする一派を抑えるよう求められれば、万々歳であろう。……今の所は。
「ただ問題なのは、そのガリアもまた戦に出ているということじゃ。向こうの状況次第では、遥か西の果てにまで行ってもらわにゃならんかもしん」
「……とりあえず、私は一度ガリアに赴きましょう」
「そうじゃな、後は――――」
そう言うや否や、テュリュークは入り口の扉を『精霊の力』を使って開けさせた。
「きゃあ!!」「うわぁ!!」
勢いよく開かれた扉から、二人のエルフが姿を現した。
「やはりお前たちだったか。盗み聞きは感心しないな」
ビダーシャルもまた、驚きを見せずに倒れこんだ姪の姿を見やる。
しかし姪――ルクシャナは思い切り立ち上がると、目を輝かせてこう言った。
「そんなことより叔父さま! これから蛮人の世界に行くの?! いいなあわたしも行きたいなあ!!!」
「きみはもう黙っててくれ!! 申し訳ございません統領! ビダーシャル様! ぼくは何度も止めたのですが……」
「叔父さまが久しぶりにカスバに戻られるって聞いて、いてもたってもいられませんもの。本も返してほしかったし」
ルクシャナはおもむろに両手を前に差し出す。ビダーシャルは『イーヴァルディの勇者』をその手の上に乗っけてあげた。
それで帰ってくれるかともいきや……まだルクシャナは目を爛々と輝かせたままだ。
『好奇』の二文字がくっきりと浮き出たような表情。それを見て、今度は青年のエルフが彼女の肩を掴む。
「いい加減にしないかルクシャナ! 統領の部屋で勝手に盗み聞きまでして一体何を……」
「あら、あなたも食い入るように聞いてたじゃない。悪魔の下りからさ」
「そりゃ……! 『悪魔の門』が活発化したなんていう一大事、聞くなという方が無理だろう!」
「つまり、二人は結構前から我々の話を聞いていたということじゃな」
口喧嘩を続ける若き二人のエルフを諫めるように、老エルフの統領が口を開いた。
青年エルフ……アリィーは頭を下げた。
「本当に申し訳ございません!! この処罰は厳重に受け止める所存……」
「ほう、その言葉、偽りないな。若き『
え……? とアリィーは若干青ざめた。見れば統領は少し口元が笑っていた。
ビダーシャルもまた、何も言わず此方を見ている。
この二人は自分たちが扉越しから盗み聞きしていることを知っていた。……知っていて、わざと聞かせていたのだろう。
自分にもこの仕事を押し付けるために。
それはつまり――――。
「いやですよぼくは!!」
「まだ何も言っておらぬぞ」
「分かりますよお二人が今考えていること!! ぼくも蛮人の国へ行けと仰るのでしょう!!」
「ご名答」
「流石じゃな。その年で騎士の称号を得ただけのことはある」
一連の会話を聞いたルクシャナは、夢中になって叫んだ。
「え! なにそれ素敵じゃないの!!」
「素敵なもんか!! それであれでしょう!! ぼくにその四の四の力を、一つ奪ってこいと仰るんでしょう! 蛮人が戦をしている最中を縫って!」
「その通りじゃ」
「この仕事は、きみのように若く勇気にあふれた青年にこそふさわしい」
「凄い!! 大冒険じゃないの!! わたしも行くわ!! これが蛮人の言う『乗り掛かった舟』ってやつね!!」
アリィーは頭を抱えた。ここに味方は一人もいない。それに軽く絶望を覚える。
とりあえず、「自分も行きたい」などと言い出し始めた婚約者に向かって断固反対とばかりに大口を開ける。
「きみは駄目だ! てか何で行けると思ってるんだ! 遊びじゃないんだぞ! 向こうは戦争しているっていうのに!」
「なによお。あなたさっき『処罰を受け入れる』って言ったのを反故にするの?」
「話を変えるんじゃない! それに言っているだろう! ぼくは、きみを、止めに来たって何度も!!」
「でも一緒に聞いてたじゃない」
「そうじゃな」
「最後まで聞いていたのだろう」
そう言われては何も反論できなくなってしまう。確かにすべて聞いたのも事実だし、処罰を受け入れるといったのも事実だ。
だが、納得いかない。
「……お二人とも、嵌めましたね?」
「何のことだ?」
とぼけた顔で、ビダーシャル。それを見たアリィーはついに観念した。
それを見たテュリュークは、ここぞとばかり力強い目でこう言った。
「では勇猛な騎士、アリィーに命じる。お主はルクシャナと共に西の国へ赴き、蛮人たちの情勢を調査すること。願わくは、『虚無』と関連のある秘宝か人物を、一つ持ち帰ること。よいな」
「私はガリアに行き、王と交渉する。その裏で暗躍する『鉄血団結党』の動きを探るとしよう」
「うむ。鉄血団結党についてはビダーシャルに任せるとしよう。頼んだぞ」
それを最後に、ビダーシャルは退出した。
アリィーは先の言葉を反芻して、しれっとルクシャナも行くことに納得がいかなさそうに叫んだ。
「いや、ちょっと待ってください! なぜ彼女も!? 千歩譲ってぼくが行くことに異はありませんが、彼女は学者ですよ!!」
「学者だからこそじゃ。きみだけじゃ真の意味で蛮人を理解せんじゃろう?」
「……どういうことですか?」
やったやったと小躍りで喜ぶルクシャナを背に、アリィーは疑問の目を統領に向けた。
「きみも知っておるじゃろう? 彼女や叔父は、大昔の聖者『アヌビス』について研究しておると」
「ええ……」
聖者アヌビスは、光る左手を持ち、 かつて大災厄を齎した悪魔を倒してのけた。だからこそ、『聖者』として古くから名を残している。
ルクシャナの叔父ことビダーシャルは、その聖者に深い興味を示した。『イーヴァルディの勇者』でも同様のこと(ただしこちらは勇者としてだが)に触れている内容に、好奇を持ったのである。
「だが一方でこう語られている。『アヌビスは聖者であると同時に悪魔でもあった』と」
「……どういう意味ですか?」
「ああそれ、結構言われてますよね。実はアヌビスも、エルフに手をかけていたんじゃないかって。悪魔が使役する使い魔の一人にすぎないのではって説。古くからあるのよ」
「そうそして……それと戦った『真の聖者アヌビス』が、別にいたのではないかというものじゃ」
「……あの、仰っている意味がさっぱり分かりません」
聖者アヌビスが悪魔の手先? ならば最終的にはその手先が悪魔ブリミルを討ったということか?
そして、『真のアヌビス』だって? 疑問符がたくさん浮かぶ。わけがわからない。
だが、テュリュークは畳みかけるように続けた。
「そしてその『真の聖者』。……その正体は蛮人なのではないかという説じゃ」
それを聞いて、アリィーは首を振った。
「いや……、それはなんでも……」
「ありえぬ。まあそうじゃな。事実そんな説を唱えておるビダーシャルは学会から白い目で見られておる」
「説なんて、色んなのがあってしかるべきなのにね。本当に今の学会は頭がコチコチなのしかいなんだからつまらないわ」
本当につまらなさそうに、ルクシャナは頬を膨らませる。蛮人がやる仕草の一つだ。
「カスバの地下深くに安置している『アレ』も、間違いなくエルフ由来じゃない技術で作られているっているのに。学会も、アレをもっと深掘りしなくてどうすんのよ」
「ルクシャナよ、アレを見たのか?」
「叔父さまが研究している所をうしろでこっそり。その時に軽く。えへへ」
今度は頭をポリポリとかいた。また蛮人の仕草、アリィーはいい加減頭が痛くなってくる。
「まあ、何が言いたいかというとのう、よく聞け。若き騎士よ」
「……はい」
背を正し、次の統領の言葉を待った。
テュリュークは、遊びが一切ない視線と声で、こう告げた。
「人間を、決して侮るな」
「……っ!」
蛮人ではなく、あえて『人間』と言い直してまで送られる忠告。
「確かに彼らは、わしらと比べて技術や知識に大きく後れを取っておる。侮りたい気持ちはどこかにあるじゃろう。……故にこそ、彼らの国で揉まれることには大きな意味がある」
「何故です? 彼らから学ぶことがあると?」
「そうじゃ。そこできみがもし、わしの真意……『彼らと戦を恐れる理由』について、分かってもらえれば、きみは大いに成長するじゃろうて」
技術も魔法も、確かにエルフが大きなものがある。そうした自信や増長故に、人間を滅ぼしてしまえと宣うエルフは多い。そんな連中は、大体が鉄血団結党に入っているが。
だがこの統領は、その択はありえないとばかりに諫めてきた。だからこそ、主戦派が大きく喚いているのであるが。
「確かに今の彼らを、魔法を、技術を、恐れる理由はどこにもない。だがたまに出てくるのじゃ……。わしらエルフの技術も、精霊の力も、なにものも畏れぬ本物の悪魔のような連中が……人間の中から……」
「それは虚無とは……」
「無関係、とはいわぬ。だが事実、わしは人間に殺されかけ、そして人間に救われたことがある」
「え!? 統領がですか!?」
ルクシャナもその言葉には目をぱちくりとさせた。見れば統領は…机についたひじから先が、若干震えている。
「もう遥か昔、わしがまだ青二才だった頃の話じゃ。だが今でも思い出せる、あやつらの形相……赤く血走った眼を滾らせ、不可解な技と武具を操り、わしらエルフの軍を蹂躙する化物……。何とか必死になって、一人の人間の助けを借りて奴らを『悪魔の門』へ押し返したが……おぉ……」
今度は体全体を震わせて、両手で顔を覆う。統領にして強力な『行使手』でもあるエルフの長とは思えない様相であった。
「あれを見た以上、わしはもう人間を侮れぬ。あんな奴らが突然湧いてくるのが人間の恐ろしさであり、怖さでもあるのじゃ。……じゃがこれももう過去の話。今を生きる者にはピンとはこんじゃろう」
お主のようにな。と、テュリュークはそう言って、今度は酒瓶を一気飲みした。
あまりの行動にアリィーは呆気にとられるが、そうでもしないと元の調子に戻せないようであった。
「だからこそ、その恐れを正しく学び、それを後世に伝える義務が、わしにはある。そう言う意味では、知見を広めてくれるお主の婚約者は、強力な味方になるじゃろうて」
「……わかりました」
アリィーは頭を下げた。正直、いまいちピンとは来ない。それは事実だ。だが、統領の言葉には底知れぬ説得力がある。ならばこそ、今は彼の言に従おうと思った。
「では改めて命ずるぞ。お主ら二人はこれからアルビオンに向かうのじゃ」
「はい!」
「分かりました!」
困難な道になるだろうな。そう独り言ちながら、冒険気分でウキウキしている婚約者と共に退室した。
場所は変わり、ガリア国。海沿いの街サン・マロンにて。
ガリア空海軍の一大拠点地。市街地に離れの一角には円柱を縦に半分に切って寝かせたような建造物が立っている。
かの無能王ジョゼフが新たに建設した建物。周囲の者からは『実験農場』と呼ばれていた。
そこへ一隻の巨大な船『シャルル・オルレアン』が近づいていく。王が乗る御召艦を務めるこの船が動いているということは、中に王が乗っているということ。
「暑いですね……」
王と共に『実験農場』に入ったモリエール夫人は、その気温に眉をひそめた。
ジョゼフに「見せたいものがある」と呼ばれてここへ向かったのだが、この農場の中は学者風のメイジが何やら怪しげな実験を行っている光景のみ。
いくつもの溶鉱炉が煮えたぎっており、真っ赤に溶けた鉄が鋳型に流し込まれている。どうやら熱の発生源はこれのようだ。
他にもカンカンと大きな音で何かを叩く音。魔法で轍をひん曲げる音などもひっきりなしに聞こえてくる。
王がそばに控えている状況でなければ、『サイレント』の呪文で騒音をシャットアウトしたいところだ。
「あの鉄板は一体?」
「あれは鎧を創っておるのだ」
「まあ! 誰がそんな大きな鎧を着るのですか?」
しかしジョゼフは答えない。
そのうちに一行は、建物の中心部と思われる開けた場所についた。貴賓席の前に、深いフードを被った女性が立っている。
「おお! 余のミューズよ! 『ヨルムンガンド』が完成したというのは本当か!?」
「はいジョゼフさま。エルフとの交渉には難儀しましたが、今ではこの通り」
ジョゼフはそのフードの女性を喜びのあまり強く抱きしめた。モリエール夫人は眉を顰め、片や女性……シェフィールドは口元を喜びで形作る。
「ふん、奴らめ。随分と迂遠な技術提供をしているようだのう」
「接触には互いに人形や手紙などでやりとりしました。どうやら我々人間との交渉が明るみに出ることを極端に嫌っている様子です」
「よくやったぞ余のミューズ。その困難な交渉を見事やってのけた。それも全て神の頭脳『ミョズニルニトン』のおかげというワケか」
その問いに、シェフィールドは深く頭を垂れた。そして、一変して獰猛な笑みを湛えて告げる。
「この『ヨルムンガンド』があれば、いかな『人斬り抜刀斎』や『業火を貪る悪鬼』とて、まず勝つことは不可能でしょう。最強はこれを意のままに操るジョゼフさまということに……」
「はっはっは! 奴らを侮らん方が良いぞミューズ。お前が奴らに嫉妬をしているのは分かっておるが、そんな考えではすぐ足元をすくわれるぞ」
そう言いながら、ジョゼフは席に座る。隣にはモリエール夫人が腰掛けた。
「陛下? その……『ヨルムンガンド』とは一体何でしょうか?」
夫人は尋ねる。「エルフと取引している」などという言葉も聞こえてきたが、今はその質問をすることは憚れる雰囲気だったので、棚の上に置いておく。
「まあ見ておれ」
夫人の疑問に答えず、ジョゼフは闘技場のように広がった広場を見やる。
そこから先は、まさに巨人と巨人の闘争劇だった。
全長二十メイルはあるかのような鎧の巨人が、スクウェアクラス作成の土ゴーレムを一方的に蹂躙する光景。
鎧を身に纏っているとは思えない俊敏性。ゴーレムの拳を受け止める運動性、大砲の直撃を食らっても諸共しない頑丈性。
あらゆる面において、今現在普及しているゴーレムの完全上位互換が、一方的な攻撃を与えるその光景に、モリエール夫人は息をのんだ。
「これが、ヨルムンガンド……!!」
「どうだすごいだろう! 先住と伝説。この二つの技が出会ったことでもたらされた奇跡の産物よ」
ジョゼフは高らかに笑った。
こちらにコンタクトを取ろうとしているエルフの存在を知った王は、シェフィールドを使いに出しこの『鎧騎士人形』の製作を企図した。
人間と過度の接触を向こうが嫌ったためか、素材提供や設計図などは一方的に送られてくる動きではあったが、そこは魔法大国ガリア。それだけでこのヨルムンガンド完成にこぎつけたのである。
勿論、それを効率よく組み合わせられたのは『ミョズニルニトン』によるところも大きかったのだが
何故エルフがこのような動きに出たのか、それはさっぱりわからぬことであったが、そんなことはもうどうでもよくなっていた。
新たなおもちゃを手にしたような満面の笑みで、ジョゼフはシェフィールドに問う。
「この人形、『祭り』までにあと何体作れるのだ?」
「運び込む期間などを考慮すると……、三体ほどであれば問題はないかと」
「今勝利した奴含めて、全部で四体か。よし、すべて投入させろ」
かしこまりました。と告げてシェフィールドは足早に去っていく。
ジョゼフは、相手がいなくなった騎士人形に目をやりながら、思うように呟くのであった。
「折角だ。余も挨拶に行くとしようか。噂に聞く『ガンダールヴ』とこの『ヨルムンガンド』の飛車対決。果たしてどちらが勝つか見ものだな」
役者は集う。遥か空の大陸に、まるで導かれるように――。