降臨祭七日目――――。
「よいしょっと……」
魔法で浮かせた荷物を降ろしながら、エレオノールは一息つく。
今、彼女はラ・ロシェールの宙船受付で、荷物を送る手配を行っていた。
家族には、手紙にて事情は既に伝えてあった。流石に反応が返ってくるのは待てなかったが。
早く終わらせて早く帰るつもりであったからだ。
「それ運んどいて頂戴。言っとくけど慎重にね」
「は、はいっ!」
そう言って、少年兵に荷物を指さす。中身は勿論、風石を採掘する装置だ。
次いで受付に許可証諸々手続きを済ませる。今は戦時中なためか、規制も激しく色々な質問や確認の魔法も何度もかけられて不快ではあったが……まあ特に問題も起こることなく、進んでいく。
「エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール様ですね。確認が取れました。どうぞこちらへ」
「はぁ、やっと入れたわ……」
受付に案内され、ゲートをくぐる。外へつながる桟橋からは、これから乗る巨大な船が見えた。
『フィリップ三世』。かつてこの国で覇を唱えた王の名を関したフネだ。
軍船に王族や名のある軍人の名前を拝借するのは別に珍しいことではない。ガリアでも『シャルル・オルレアン』というフネが健在と聞く。
流石に艦歴が古く、性能は今空を飛ぶ船と比べればはるかに劣るが……かつては何度も王を乗せてきた由緒ある御召艦であった。
そんな歴のある船に乗れるのは、エレオノールが公爵家の出であるからこそであろう。
「ちょっと古いけど、こうしてみると圧巻ね」
フネを一望できる広場にて、エレオノールは一人うんうんと頷く。こんな頓狂な依頼でもなければ、このような伝統ある船に乗ることもなかったであろう。
周囲には護衛用の軍艦が、桟橋に寄せていた。もう積み荷は粗方乗せ終えたらしく、今は軍人たちの号令がひっきりなしに届く。
もう出港準備は整いつつあるようだ。聞けば、これが最後の輸送船団になるという。ありったけの食糧や医療器具、火薬などを運んで戦の決着をつける腹積もりであった。
「わたしが帰る頃には、全て終わってくれているといいんだけどねぇ……」
寂寥な声で、そう漏らす。そんな時だった。
「トリステイン王国、アンリエッタ女王陛下のおなーりーーーー!!」
その声を聞いて、エレオノール……いや、その場にいた者全てが振り返る。
見れば、頭に一本の角を生やした白馬、ユニコーンが馬車を引っ張りやってくる。金と銀とプラチナでできた王室のレリーフ。さらに聖獣ユニコーンと水晶の杖が組み合わさった紋章は、この馬車が女王のものであることを示している。
空を駆けながら、優雅に桟橋前の広場に降りたユニコーン。その馬車の扉が開かれた。
この御召艦に乗る本当の主が、姿を現した。
「おお!」
「アンリエッタ女王陛下万歳!!」
周囲から熱狂のような声援を浴びながら、アンリエッタは馬車を降り、手を振って応える。それを受けた周りも、声にさらなる熱がこもる。
「ヴィヴラ・トリステイン! ヴィヴラ・アンリエッタ!」
怒号が一際強くなる。連合軍が優勢というのは、ここにいる人間ならば誰もが知っている。故に女王陛下直々に前線へはせ参じるというのは、戦に決着がつく運びであるのだことを、予感しているからであろう。
タルブで見せた『奇跡』を、皆が期待している。この戦はもう、勝って当然だという期待が、アンリエッタの胸中を静かにつぶした。
ただ、それを外に一切出さずに、アンリエッタは笑顔で声援に応えた。
「では陛下、私はこれで」
「ええ、ありがとうマザリーニ」
同行していたマザリーニは軽く会釈して、再び馬車に乗る。彼は自分がいない間、国を任せるつもりだった。
「アニエス、陛下を良くお守りするように」
「はっ!」
最後に、マザリーニは同じく、ついてきたアニエスにそう声がけする。
枢機卿自身、本当は最後まで女王を見送りたかったが、そんな時間すら今は惜しんでいた。それほどまでに、仕事は山ほどある。
アンリエッタも彼の気持ちは分かっている。だからこそ、無理をさせずにマザリーニには先に帰らせた。
枢機卿を乗せた馬車が去っていく。それを背にアンリエッタはフネへと向かう。その道中――。
「あら、あなたはルイズの――」
「わたしの顔を覚えておいでとは、望外の僥倖でございます。陛下」
片膝をついてそう応えるのは、ヴァリエール家の長女エレオノールだ。幼いころよりルイズと遊んでいたため、当然彼女のことも覚えている。
……ただ、物優しいカトレアと比べると、礼儀正しいけど近寄りがたいオーラを発する(特にルイズが嫌がっていたというのもある)彼女とは、あまり話したことはなかったのだが。
「ええ、覚えてますよエレオノールさん。あなたもアルビオンに?」
「はい。アカデミーの依頼で」
「アカデミー、ですか」
アンリエッタは思案する。アカデミーという機関は、自分が生まれる前からあった組織なのであるが……その実態はよく分かっていない。
というより、誰がどう管理しているのかすら、謎の組織なのであった。古き良き伝統を守りし者たちの集い……、という標榜を掲げているが、はてさて、それが本当なのかも分からない。
「ちなみに、どのような内容なのですか?」
「なんでも、ゴンドラン卿が『活発化している風石』を欲しているので、それをわたしが採取するため、サウスゴータへ赴くことになりました」
すらすらと依頼内容を伝えるエレオノール。
アンリエッタも、それを聞いて少し考えるような顔をするも、特に咎めるようなことは言わなかった。
「事情は分かりましたわ。ですがお気をつけてくださいね。戦ではいつ何が起こるか分かりませぬから」
「その時は、わたしの杖が陛下をお守りいたします」
「まあ頼もしい。ありがとうございます」
アンリエッタは微笑んだ。しかし、一瞬で真顔に戻る。エレオノールが、少し鬼気迫る表情をしていたからであった。
「ですがその代わり、あの子を……」
「ルイズのこと、ですか?」
すぐにピンときた。確かに自分は、親友を戦に追いやってしまった。家族である彼女の心証は、決して良くないであろう。
「ええ、女王陛下の御心は……わたしなどには分かるべくもないのですが、それでもあの子は戦に出すには『脆い』と、今でも思っております」
「言いたいことは分かりますわ。わたくしもそう思って、彼女の抱える『秘密』を、あなたの父さまには包み隠さずお話いたしました。それでもあの子は、わたくしを思って戦に出たのです。それを無下には、できませんでした」
「けど……!!」
エレオノールは思わず立ち上がる。アニエスが少し構えたが、アンリエッタは手で制する。
「ええ、ですからあの子があなたの説得に応じるのであれば、わたくしは何も言いません。そこはあなたたちご家族の問題。どうなろうと、わたくしはその意思を尊重いたします」
「……ご配慮頂き、ありがとうございます」
エレオノールは再び片膝をついた。でも…と、アンリエッタは告げる。
「わたくしはあまり、心配はしてはいないのですけどね。誰よりも頼れる殿方が、護衛についているのですから」
「……それはっ、まさか……!」
「その様子だとご存知なのですね。ええ、平民のあの方です。……悲しいことを言うようですが、ここトリステインにおいて、あの方の懐ほど安全な場所もないでしょう」
「そんな! 陛下もそんな妄言を仰るのですか!!」
エレオノールは再び立ち上がった。この反応にはアニエスも、少し苦笑している。「気持ちはわかる」っていう目だ。
ただ、アンリエッタは晴れやかな微笑みを浮かべ、再び歩き出す。
「いずれ分かりますよ。彼がいるからこそ、あの子はより強く羽ばたけるのです。本当に、羨ましいと思うくらいに……」
少しだけ、寂寥を思わせる言葉を残し、アンリエッタは去っていく。エレオノールはただ、呆然として俯いていた。
あいつは……家族だけじゃない。女王陛下の信頼すら既に得ている。
(なによみんな……そんなにあいつは凄いの? なんでわたしだけ、よく分からないのよ……)
ずっとこうして思案に暮れていたかったが……、どうやらもう、出港の準備が整ったようだ。慌ててエレオノールも乗船した。
「……これに乗るのか?」
「いや、これは蛮人の長が乗る船だろう。護衛も多いだろうし、もう少し小さいのが良い」
補給艦の一隻を指さしながら、桟橋の影で蠢く集団がいた。
『精霊の力』を巧みに行使し、人間たちから見えないように動く集団。流れるような金髪に長い耳を持つ亜人……エルフだ。
「しかしあれでは、乗れて二人が限度でしょう。少なくとも全員乗ったらバレるでしょうな」
一人のエルフが、船の大きさを測ってそう呟く。船の『精霊』と契約すれば、乗船中でも身を隠せる暗幕を張ることができるが、その領域の限度を見ているのであった。
「え!? わたしは乗りたいんだけど!」
手を上げて、女性のエルフが小さく叫んだ。すると彼女の隣にいた男性エルフが、しかめっ面で呟く。
「言うと思ったよ……。ったく、こんなのを使わずに龍籠で向かえばいいだろう? なんでわざわざ見つかるリスクを冒さなきゃならんのだ?」
「いいじゃない! これも知見を広める為よアリィー!」
わざわざ籠ではなくフネに乗りたい! と騒ぎ始めた彼女ことルクシャナを見つめ、アリィーはため息をつく。
なんとかここまで人目につくことなく、砂漠からトリステインに向かうことができた。あとは空の国へ向かうだけなのだが、どう向かうか検討していたところにルクシャナが出した案、もとい嘆願、もとい強制がこれだった。
「まあ、龍籠は龍籠で危険が付きまといますし、案自体は悪くはないかと。空だと精霊の力もあまりあてにできませんしね」
そう言うのは先ほど船を測っていた若きエルフ、イドリスだ。空は護衛の宙船がひっきりなしに動いている。そんな中不審な龍籠はすぐに撃墜される恐れはある。
船に潜入する、というのも、案外悪いわけでは無い。
「蛮人に変装するっていうのは?」
「冗談じゃない! それはごめんだ!」
そう叫ぶのはマッダーフだ。プライドの高い彼は、蛮人へ顔を変えるのを人一倍嫌がった。勿論、彼だけが特別じゃない。変装を提案をするルクシャナがここではおかしいのである。
「第一、フネでの蛮人の統率は相当なものだぞ。変装したからといって、素直に乗せてくれるとは思えない。その案は却下だ」
「ぶー」
「ふてくされるな。てかそれも蛮人の仕草だろ……。いい加減止めてくれないか?」
「やだ」
アリィーとルクシャナ、二人のやり取りを見ながらイドリスは苦笑いした。
「大変ですな、隊長殿」
「まったくだ。ぼくたちはお嬢様の道楽に付き合わされる、召使のようなものさ」
そんな風に話していると、どうやら向こうは出港準備が整ったらしい。あまりぐずぐずしている時間はない。
やむを得ないな。内心そう呟いて、アリィーは他のエルフ三人に告げる。
「命を受けたのはぼくとルクシャナだ。イドリス、マッダーフ、きみたちは近くに結界を張って待機。ぼくらがあの船に乗り込む」
「ぼくは構いませんが……、二人だけで大丈夫ですか?」
「致し方ない。この機を逃すと潜入がさらに面倒なこととなるだろう。とりあえず、ぼくたちだけでも先に向かうとするよ」
「わかった。気を付けてな」
そしてここで、アリィーは隊を二分した。待機組のイドリス、マッダーフは再び精霊の力を行使し、姿を完ぺきに隠す。
「ほらいくぞ、ぼくが船内の精霊と契約する。誰もいない個室で暗幕を張れば、二日三日は気付かれずにやり過ごせるだろう」
「よし、じゃあ早く乗り込みましょ! いよいよ蛮人の街へ行けるのねぇ。楽しみ!!」
「あのなあ……、蛮人共は今、戦をしているのだぞ! いくらぼく等が精霊の力の引き出しに優れているとはいえ、命を落とすことだってあるかもしれないというのに……」
「騎士のあなたが守ってくれるでしょ? アリィー。信じているわよ」
臆面もなく、そう言うルクシャナを見ると、アリィーも反論する気が失せてしまった。
結婚したら、ずっとこんな調子で彼女の尻に敷かれつづけるのかと思うと、少し憂鬱に感じてしまう。
「ほら行くよ! アリィー!」
「分かった。分かったよ」
だが、笑顔でフネを指さすルクシャナを見ると、最終的には「仕方ないか」と思ってしまうのであった。
全てに観念したかのように、アリィーとルクシャナは、隠れるように補給船の船尾に乗り込んだ。
やがて、女王陛下を乗船した御召艦は、護衛の軍艦や補給艦を引き連れトリステインを旅立った。
降臨祭八日目――――。
一日かけてアルビオンを渡った女王陛下一行は、朝方にロサイスの港についた。
今では細雪が降りこんでおり、空の大地は白銀に染まっている。
そこでアンリエッタは、同じくフネに乗せたユニコーンに跨ると、護衛の軍を引き連れすぐさまサウスゴータへ向かった。
既にロサイスからサウスゴータまでの道は安全に舗装してあったため、昼頃までにはサウスゴータの街にたどり着いた。
街につくなり待っていたのは、ド・ポワチエ率いる将軍たちの手厚いお出迎えだ。
将軍の両端には、名だたる貴族が杖を構えて整列している。その中には貴族の子供たち、そしてルイズの姿もあった。
騎士のように凛とした姿勢のルイズは、思いの外堂に入っていた。そんな彼女をほほえましく思いながら、ふと彼の姿は見当たらないことに気付く。
(ケンシン殿……)
気づけば、彼の事を追ってしまう。仕方のないことだ。使い魔とはいえ、彼は自分に忠誠を誓っているわけでは無いのだから。
でも、やっぱり寂しい思いをどうしても感じてしまうのだった。
「これはこれは陛下! わざわざ戦の前線にまでお越しになられるとは、このド・ポワチエ、この上ない喜びに満ち満ちております」
「世辞は結構です。ド・ポワチエ将軍。現在の我が軍の状況を、教えてください」
ユニコーンから降りたアンリエッタは、アニエスと共にサウスゴータの中心部に構えた作戦室へと向かう。
街の一等地に位置した宿屋の二階のホールを、丸々司令部としているのである。
当然のようについてくるアニエスを、さぞ面白くなさそうにド・ポワチエは睨み据えると、大きな地図を机に広げてアンリエッタに説明を開始する。
「補給物資の搬入は、滞りなく行われています。順調にいけば、十日の夜までにはすべて準備が整うかと」
「戦の再開は降臨祭終了後の昼頃に開始と聞きました」
「ええ。この距離であれば、ロンディニウムは一日足らずで落とせるでしょう。勿論だまし討ちの警戒もしましたが、未だにその兆候は見受けられません。向こうはもう、そんな余裕すらないのと違いますかな?」
ガハハ、と呵呵大笑するド・ポワチエ。もう此方の戦勝を疑ってもいないようだ。
アンリエッタは嘆息する。やはり彼は有能とは程遠い人物だ。
敵はもう、今の戦など目を向けてなどいないということに、未だ気付いていないのだから。
ただ、ここでルイズがくれた手紙のすべてを話すと、間違いなく司令部は混乱する。その前に、まず信じなどはしないだろう。『虚無』が蘇ったという話自体が、夢物語みたいなものなのだから。
証明するにはルイズの虚無を見せる必要があるのだが……無論、そんなことをする気は全くない。
やはり自分が来てよかったと思う。このまま将軍に舵を切らせたら、間違いなく仕掛けられた落とし穴にそのまま引っ掛かり、最悪敗戦を余儀なくされたことであろう。
「ほかに、何か変わった点は? 些細な事でも構いません。教えてください」
そう言うと、今度は参謀総長ウィンプフェンが、一枚の羊皮紙を持って此方へやってきた。
アンリエッタは眉間を寄せた。手紙にあった間諜候補の一人……。自国の人間であるため余り疑いたくはないが、既にリッシュモンという裏切り者を見てしまっている。油断は禁物だ。
「実は今朝方、これが向こうに届きまして……」
アンリエッタは羊皮紙を受け取った。それを広げて……目を丸くする。
「……和平交渉、ですって?」
アンリエッタは愕然とした。どこまで恥知らずなのか、今になって、と。
羊皮紙の内容に目を通す。要約すれば、『これ以上争う意味は無い。我々の目的は聖地の奪還であり、同族の殺し合いではない。杖を納め、握手を求めるのであれば、新皇帝オリヴァー・クロムウェルは寛大な処置をもって応じる』というものだ。
交渉をうたっている割には、何処までも上から目線な物言い。本当に和平を結ぶつもりなのかも、怪しいものがあった。
そして交渉は降臨祭十日の夜九時。降臨祭が終わる少し間の時間帯だ。場所はここサウスゴータの中心地の首脳部。向こうはクロムウェルと数人の護衛。こちらはアンリエッタ女王陛下とゲルマニア皇帝、そしてガリア国王の呼び出しが書かれている。
「まったく奴らは現実を見えてはいないようですな。今更和平などと、寝言は寝て言ってほしいものです」
ド・ポワチエは静かに嗤った。アンリエッタも最初はそう思った。だが、ルイズからの報告で多少俯瞰した目を持てた今の彼女には、これは別のものに見えていた。
これは交渉ではない。最後通牒――――。
これを突っぱねたが最後、「蹂躙されても文句を言うな」と、捉えることもできる。
逆に助かりたければ、今すぐ自分たちに従えと言っているようにも見えた。いや、間違いなく
羊皮紙の裏を見る。そこには『親愛なるアンリエッタ・ド・トリステイン女王陛下に告ぐ』と、小さく描かれている。
ウィンプフェンは朝方に送られてきたと言っていた。それはつまり、自分がこの時間ここに来ることすら、向こうは把握していたということ。
怖気が走った。何もかもが向こうの掌の上という事実に。
(この手紙、恐らく皇帝にも送られているのでしょうね……)
「これについて、皇帝の反応は如何に?」
アンリエッタはもう一人の側近にして間諜候補の一人、ハルデンベルグ侯爵を見た。
「ええ、どうやら皇帝もまた、こちらに来るようです。『何とも面白いではないか、どんな命乞いをしてくるか楽しみだ』と、仰っておりました」
侯爵の話しぶりからするに、かの皇帝ももう、勝ちを疑ってはいないようだった。ある意味物見遊山の気持ちで来るような感じがありありと見える。
アンリエッタは思考を巡らせた。やはり、手紙の送付先に、きちんと当たりをつけて送っている。相手の大将が今どこにいるのか、把握してなければこのような芸当はできない。
「まあ、そもそもあの無能王がこの席に応じるかが、甚だ疑問ではありますな。成立するわけがないのですよ。この交渉は」
ウィンプフェンがお手上げとばかりに、そう締めくくる。確かに内容にはガリア王の参加にも触れている。しかし、ガリアはこの期に及んでダータルネスから出てこない。
「取り合う必要などありませぬよ。どうせ奴らは現実が見えていないのです。だから――」
「現実が見えていないのは、果たしてどちらでしょうか?」
アンリエッタは静かに遮った。しんと、作戦室が静まり返る。
「……一体、どういうことですか?」
「まだ分からないのですか? この手紙は今朝方、この部屋に届いた。そしてわたくしはこの時間帯にここへきた。それはつまり、読まれていたということなのですよ! わたくしがここへ来るということが、敵側に!!」
「……!!」
「間諜が、わたくしの居場所を逐次教えていた。そうとしか考えられません」
沈黙が場を支配する。やがて、苦笑の声がそここから漏れ出した。
「陛下、親愛なる女王陛下。それは流石に考えすぎかと。諫言するようで申し訳ございませんが、偶然ということもあり得ます。ありもしない敵の策にはまってはなりませぬぞ」
「あらそうかしら? ではお聞きします。ラ・ロシェールからロサイスの航路で起こった空戦。あれはどうしてあんなにも対応が後手後手に回ったのですか?」
「それは……」
「聞けば、敵は正面からでは飽き足らず、上から焼き船、下から伏兵、さらに要である輸送船団への奇襲部隊まで来たというではありませぬか。敵に情報が洩れていると、この時点でお考えにはならなかったのですか? 将軍」
ド・ポワチエ将軍は言葉に詰まった。結果的にはあの戦で勝利をおさめ、被害は最小限で済んだから、それでよしという考えでいたのだった。
それに、考えたくは無かった。間諜がいるなどと……。最終的な編成配分や航路決定に「良し」と、ハンコを押したのは自分なのだ。いわゆる責任逃れをしたかったのである。
増長と保身、それがド・ポワチエの思考を緩ませた。
「間諜がいる以上、おそらく敵はここサウスゴータまで進軍すると見越している筈。もしかしたら奴らは何かしら罠を張っている可能性は高い。その点について、何か対策は打ち立てましたか?」
「それは……。なにも……」
「でしょうね。そのようにあなたを動かしていたのでしょう。飴のように心地の良い情報だけをあなたに与え続け、疑惑を抱かせなかった食わせ者が近くにいるのだから。はっきりと申し上げます。わたくしはこの部屋の中に、その間諜がいると思っています」
アンリエッタがそう言った途端、部屋に激震が走った。
「バカな!!」「ありえぬ!!?」「何を根拠に!?」軍人たちは立ち上がり、顔を怒らせて叫んだ。
もし相手が女王でなくば、即刻杖を抜いていただろう。それぐらいの熱気がこもっていた。
「陛下! 流石にそれは侮辱にもほどがあります!! ここにいる者たちは『ディテクト・マジック』を何十にも重ねて偽者ではないかの確認を取り合っております。我らとて子供ではありませぬ。『死人』対策なら十二分に行って――――」
「ですがワルド子爵の例もあります。それに敵ももう、晒した手の内を二度三度繰り出すほど愚かではありませぬ。何か別の手段を講じていることでしょう」
「陛下! あともう少しなのですよ!! 降臨祭が終了した暁には、一日足らずでクロムウェルの首を斬り飛ばして見せます! 勝利は目前なのです! 何をそんなに――――」
ここで「失礼します!」という声と共に、扉が開かれた。慌てた様子のメイジの軍人が、羊皮紙を手にやってきた。
「なんだ! 今軍議中だぞ! しかも女王陛下の御前だ! 控えろ!」
「いえ構いませぬ。その様子だと急報のようですね。何がありました」
「は、はい! 実はガリアの国王が――――」
そこまで聞いた時、アンリエッタはそこからの言葉を手で遮った。そしてゆっくりとド・ポワチエ将軍に向き直りながら言った。
「将軍、当てて見せましょうか。ガリアの国王が、我々に何を伝えに来たか」
「陛下、一体何を……」
「おそらくこうでしょう。『和平交渉に参加する』と」
そこまで言った時、軍人の顔が更に青くなった。その様子でどうやら正解であると、アンリエッタも察する。
「そ、その通りでございます……。つきましては女王陛下及び、ゲルマニア皇帝にもぜひ参加するようにと……!」
「バ、バカな!! ここまできて一体何を話し合うつもりなのだ!! あの無能王め!! ふざけるのもいい加減に――――」
「いいでしょう。わたくしも交渉に参加します」
「陛下!?」
ド・ポワチエは発狂しそうな声で叫んだ。まさか本気で和平に応じる気なのか、そんな考えが脳裏に過った。勿論、そんなことはたとえ上司といえども譲れるものではない。
何より、この戦の功績を上げて元帥になりたいのだ。それを潰されたくはない。ここに至って尚、そんなことしか考えていなかった。
「お止めください! 考え直してください! それこそ奴らの罠に……むざむざ飛び込むようなものです!!」
「確かにそうでしょう。しかし逆にとらえれば、これは時間稼ぎにもなります。敵は良くも悪くも、この交渉後に本格的な開戦を行うことでしょう。それまでに対策を取れます」
敵はすでに、万全の布陣を敷いているのであろう。だから最後通牒ともいえるこの手紙を各方面に送ってきたのだ。
連戦を築いてきた今の連合軍に、「撤退」の二文字はいかな女王の立場と言えど通じるものではない。
かといって交渉を突っぱねると、敵がどんな手に出るのかが不明瞭で読めない。ならば、剣心やルイズを信じて敵と同じ土俵に上がった方がまだ、勝率が高いと判断した。
「し、しかし……」
「将軍、降臨祭後の総攻撃案は白紙にしてください。もうそのような展開は天地がひっくり返ってもあり得ないのですから。代わりにここサウスゴータの防御陣構築と人員配置を、これから決めます」
無論、その前にやることがある。間諜のあぶり出しについて。
これを解決せねば、いくら策を講じでも相手に筒抜けになる。それでは意味がない。
と、ここで再びノックの音が扉から聞こえる。「どうぞ」とアンリエッタは応えた。
「失礼します」
今度は急使が大きな荷物を此方へ運び込んできた。王家の紋章が彫られた豪華な木箱だ。
「そう、届いたのですね」
アンリエッタは急使から手紙を受け取る。財務卿の押印がついた手紙だ。それを見た瞬間、今まで消沈していたド・ポワチエの顔色が変わった。
「陛下、まさかそれは……」
「ええ、そのまさかです」
アンリエッタは急使に、木箱のふたを開けるよう指示をする。ド・ポワチエは開かれる木箱の中を覗き込んだ
「おおおおおおお!! これは!!」
入っていたのは、黒檀に王家の紋章が金色で彫り込まれた杖であった。それを見た瞬間、ド・ポワチエは喜色で叫ぶ。
「元帥杖ではありませぬか!!」
「本当だ!! これはまた見事な……」
周囲が杖の豪華さに浮かれる中、アンリエッタは元帥杖を取り出し、ド・ポワチエに差し出した。
「改めて報告します。本日付で、あなたを元帥に任命します」
ド・ポワチエは、これ以上ないくらいの畏まりっぷりで、杖を拝戴する。
「これは……、ありがたきことこの上なしでございます」
この一連の流れを見ていたアニエスはなるほどな……、と内心で呟いた。
元帥杖を飴に、ド・ポワチエのコントロールをさり気無く奪取する。これで少しは女王陛下の言うことにも耳を傾けるようになるだろう。
とすれば、間諜からすれば今のアンリエッタは鬱陶しいことこの上ない。いつ女王による洗い出しが入ってもおかしくないからだ。間違いなく動きづらくなるだろう。
女王の存在を鬱陶しがって、殺しに来るか逃げ出すか――どちらにせよ、動きはある筈。
アンリエッタは、自分を囮に間諜を炙り出す気なのだ。かつて刃衛達相手に失敗した策を、今度こそ成功させるために。
「あぁ、そうそう。わたくしの泊まる場所についてですが――」
去り際に、アンリエッタはそんなことを呟く。暫く杖を愛でていたド・ポワチエは、それを聞いた瞬間、はっとして言った。
「それに関しては抜かり在りませぬ。この中心地の一等宿を既に取っております。しばらくはそちらに――」
「いえ、残念ながら既に泊まる先はこちらで決めました。ここより二十五メイル先に安宿の集まりがあります。そこの裏手に隠れたこの宿に泊まります」
アンリエッタはそう言って、地図を将軍たちに見せた。それを聞いた瞬間、周囲が騒いだ。
「何を馬鹿な! 女王陛下の御身をそんな宿に預けるなど――――」
「先ほども言ったでしょう元帥殿。わたくしの身は、すでに敵に割れていると。これ見よがしな邸宅街に泊まっては、わたくしがそこにいると大声で伝えるようなもの」
「ですが、護衛は多い方が――」
「その護衛が、間諜の息のかかった者でないという確証は持てますか?」
そう言われては、ド・ポワチエ将軍……、いや元帥は頭を悩ませた。晴れての昇格を受けたことで、間諜がいることに対して、それなりに頭を働かせるようになったのだ。
「大丈夫ですよ。わたくしがここに泊まるのは、この部屋にいる者にしか知らぬこと。もしここに間諜がいないというのであれば、わたくしが襲われる心配などありはしないでしょう?」
アンリエッタはこれ以上ないにこやかな表情で、辺りを見渡しそう言った。