降臨祭八日目、午後二時四十分頃――。
アンリエッタはアニエスを連れて、指令室を後にした。
今作戦を講じたって、間諜がいる以上意味は無い。だからこそ、元帥杖や宿泊場所を教えてまでありったけに挑発したのだ。
間諜が、自分を絶対狙ってくるように――と。
「陛下……」
「杖は振られました。もうやるしかありません」
アニエスの心配を遮るように、アンリエッタは応える。
間諜は一体、どうやって忍び込んだのか。
ワルドやリッシュモンの様に裏切ったのか、アンドバリの指輪を使ったのか、それとも何か別の方策を使ったのか……考えれば考えるほど、不安になってくる。
だがその不安から逃げても仕方がない。今はただ、立ち向かうしかないのだ。ルイズや剣心のように。
むしろ、アンリエッタは今懸念しているのは、別のこと。
「アニエス。傷はもう癒えましたか?」
それを聞いた瞬間、アニエスは深いため息をついた。
「どうでしょうか。少しは落ち着いたと思うのですが……、何ぶん自信が無く……」
「そんなことでは困ります。あなたはもう、わたくしが最も信を置く忠臣の一人。いつまでもそんな様子では、また他の貴族たちになめられてしまいますよ」
アニエスは目を伏せた。アンリエッタもまた、そんな彼女を厳しい目で見やった。
ゲルマニアのアルブレヒト三世との会談を終えたアンリエッタに待っていたのは、学院襲撃の報。
まさかあの鵜堂刃衛が生きており、生徒の子女を狙ったと聞いた時は、心臓がこれ以上ないほどに窮する心地に陥ったものだ。
それほどまでに、あの男が生きていると知って絶望したのである。
ただ、幸いにも学生の中で死人は出なかった。銃士隊にはかなりの犠牲が出たが……。
更に、これを機にと乗じてきた野盗メイジは全員捕縛。そして刃衛は今度こそ死亡したとの確報が、後から寄せられた。
それを聞いた時は、心底ほっとしたものだ。それもそうだろう。剣心もルイズもいない状況で、あの刃衛相手にこの結果ならば、本当に奇跡が起こったとしか思えないのだから。
敢闘したのは、アニエス以下銃士隊の面々と、教師のコルベール、そして留学生のキュルケとタバサ。
以上がいなくば、間違いなく学院は壊滅状態に追い込まれた。そのような話が、オールド・オスマンの手紙で綴られていた。
「……本当にあの子には、お世話になりっぱなしですね」
手紙を読み終えたアンリエッタは、タバサの顔を思い出し、心の底から彼女に感謝した。
彼女の正体はもう、既に分かっている。ガリア王国、シャルル王弟の忘れ形見。本来なら自分と同じ地位にいてもおかしくない身分。
そんな彼女が、結果的とはいえ何度も自分を、ひいてはこの国を助けてくれた。聞けば刃衛に止めを刺したのもタバサだという。
できれば王宮に招いて手厚い看護をしたかったのだが、既にキュルケがゲルマニアの実家に運び込み、治療を受けているという。
この戦が終わったら、直々に見舞いに行こう。それぐらいしか、今はできない。
彼女の怪我が一刻も早く治ることを始祖に祈りながら、同時にアンリエッタは、この襲撃事件で散った命に哀悼の意を捧げた。
遺族には、十分な報償を与えるつもりである。
さて、その間アニエスはどうしていたか。
襲撃事件の後、暫く学院で休息をしていたようだが、その後キュルケを追ってゲルマニアへ向かっていたようだった。
彼女が復讐のために剣を磨いていたことは知っていたが、どうやらその結果はかなり想定外の方へ向かったらしい。
諸々にケリをつけるため、キュルケの実家へ訪問していたと後で報告を受けた。
どんなやり取りを経て納得に至ったのかは、アンリエッタは分からない。ただ、降臨祭六日目にして帰国してきたアニエスは一言「ご迷惑をおかけいたしました」と、それのみを女王に告げた。
ひとまず、『復讐』について納得いく答えは得た様子であるが、それとは裏腹に、あの苛烈さは少し鳴りを潜めたような印象を受けた。
一言で言えば、「覇気が弱くなった」。そんな感じだ。
あの人を睨み殺すような気迫こそが彼女の強さの根幹なのだから、それは一刻も早く取り戻してほしい。
一番に信頼しているからこそ、もう少しシャキッとして欲しいという気持ちが、アンリエッタの中にあった。
「アニエス。あなたには暫くの間、わたくしの影武者をやってもらいます」
「間諜を炙り出すためですね」
「ええ、もし敵が挑発に乗ってこなかったらお手上げですが……わたくしは『乗ってくる』方向へ賭けることにしました」
アンリエッタたちは外へ出た。銀世界が広がる中、今日は太陽が燦々と照り付けている。快晴だ。
「とりあえず、ケンシン殿やルイズの助力を請いましょう」
「彼らは今、街の外の陣で訓練に明け暮れているとのこと。そこにおそらくいることでしょう」
「では、わたくしたちもそこへ向かいましょうか」
降臨祭八日目、午後三時頃――。
お祭り騒ぎも佳境に入りつつあるが、未だ街は休戦を楽しむ人々が行きかっていた。
中には、トリステインから出張で酌をする『慰問隊』も出張っている。何せアルビオンは料理はまずい、酒は麦酒ばかり、女はキツい、で有名である。舌が肥えたトリステイン人は、故郷の味に飢えてしまっていたのだ。
休戦が入ったこれ幸いと、商魂逞しい者たちはアルビオンで出稼ぎを始めたのである。勿論、貴族の命令というのもあるが。
なので、むしろ賑わう人々も、初日より増えた格好である。
そんな中、肩を怒らせ路の中央を突っ切る女性が一人。
ルイズの長女、エレオノールである。
「まったくあの子ってば、騎士まがいなことをやり始めたって。母さまのようになるつもりなのかしら」
聞けば
何故大貴族ラ・ヴァリエールの末娘が、そんなことをやり始めたのかはさっぱり分からない。軍人を目指すつもりなのだろうか。どっちみち、彼女には絶対向かないのだけは断言できる。魔法の才が無くてトチ狂ったとしか思えなかった。
「本当に、あの子は何時になっても世話が焼けるわね!!」
どちらにせよ、今日はもう仕事をする気はなかった。風石を吸い上げる装置がこの街に届くのは明朝となっている。
その間ルイズに会い、共に帰るよう説き伏せるつもりだ。なので今、その足は『水精霊騎士隊』が独自に立てた陣幕へと向かっている。
「ここね」
ようやくついた。そこから男子の掛け声がひっきりなしに聞こえる。
入口から覗き込んでいると、そこでは学生たちが杖ではなく剣を皆一斉に振っていた。
「九十六っ!」「九十七っ!」「九十八っ!」「九十九っ!」
一心不乱に剣を振る生徒達は、何かにとりつかれたかのような熱意を宿していた。
「――なによこれ……」
正直、不気味に感じてしまった。何故魔法ではなく剣を鍛える? それがさっぱり分からない。
「百! よし、休憩!」
それと共に生徒たちはおのおの休み始める。水を飲む者、駄弁る者、休みを無視して振り続ける者などなどで溢れかえる。
「この後は組手を行う! 休憩時間中に相手を見つけるように! もしぼくの『ワルキューレ』を希望する者は早めに申し出たまえ!」
その中心にいるのはギーシュ・ド・グラモンだ。気障な態度はそこここに消え、キビキビとした面持ちで生徒たちに声をかけている。
決闘を経て、自分が成長している事を疑わなくなったため、自信がついてきたようである。隊長としても一皮むけた格好だ。
「おうギーシュ! おれは希望するぜ! 今度こそぶちのめしてやる!」
最初に手を上げるのはギムリ。次いでスッと挙手するのはレイナールだ。
「あれから色々鍛錬を積んだ。今日こそ行ける気がする」
「よしきた! マリコルヌはどうするんだい?」
「えっ……! も、もちろんやるさ……!」
しどろもどろに応えるマリコルヌ。ただ、最初期から剣を鍛えていた組と比べると、まだ自信がついていないようであるが。
「自信持てよ。がむしゃらになったお前は確かに強いんだからさ」
「わかってるけどさ……って、あれ?」
ここでマリコルヌは、エレオノールが入り口から覗き込んでいることに気付いた。
先ほどの弱気な態度とは一変、マリコルヌはエレオノールの絡みに行く。
「おうおう! ここは泣く子も黙る『水精霊騎士隊』の特訓場だ! 女子供がのぞき見していい場所じゃあないぜぇぇ!」
「は!? なによあんた?」
「おうしらばっくれる気かぁ! さてはゲルマニアからの間者かあ!? 我ら『水精霊騎士隊』の秘密の特訓を得ようとしてるなぁ!?」
「は、はぁあああああああ!! ゲルマニア!? 言うに事欠いてわたしをゲルマニアの間者扱いしたわねあんたああああああああああ!!」
ヴァリエール家にとって『ゲルマニア』はタブー中のタブーである。ただでさえ、ツェルプストー家との因縁があるのだ。
顔を真っ赤にしたエレオノールは、マリコルヌの腕を引っ張り陣の外へ出る。
しばらく呆然としていたギーシュ達の耳に、陣の外から悲鳴……もとい嬌声が聞こえてくる。
「この豚ァ! ヴァリエール家長女のわたしを、ゲルマニアの間者呼ばわりとは、覚悟、できてるんでしょうねえ!!」
「はあぁ! いい!! ごめんなさい! いやもっと!」
どうやら鞭でしばかれているらしい。陣幕の影から薄っすらと二人のやり取りが見える。
「あいつ、わざと怒られに行ったな」
「ルイズの所為で、なんか変な方向に目覚めてしまったよね、彼……」
ルイズ。
その言葉を聞いた瞬間、エレオノールは再び陣幕の内へと顔を出す。
「ちょっとあんた、今ルイズって言ったわね!」
「えっ、あっ、はい!!」
怒気の籠った視線で睨まれ、姿勢を正す生徒達。
マリコルヌを気絶するまでしばき倒したエレオノールは、ずかずかと陣幕に入り込んでいった。
「あの子に会いに来たの。呼び出してきて頂戴。これは命令よ」
「はぁ……、ただ、今はちょっと……」
「ちょっと、何よ」
この世の全てを蔑むかのような視線で、エレオノールは隊長のギーシュを見下ろした。
流石のギーシュも、これには抗えなかった。
「はい!! 少々お待ちくださいぃ!」
「こう? ケンシン」
「そう。剣の間合いは常に意識することが肝要でござる」
ギーシュがエレオノールに怒鳴られている頃。
陣幕の外で、ルイズは剣心とデルフと共に、剣のレクチャーを行っていた。
レイピア状の杖を構えて、剣心に打ち込んでみる。それを剣心は的確にいなしながら、この時どう動くかの所作を一つ一つ確認していく作業。
手習いとはいえ、ルイズの所作はそこそこ完成している。フェンシングのように素早く動かし、相手の杖を絡めとる動きができれば自衛でも役立つだろう。
あとは実戦を積んでいけば、たちまち化けていくだろうとも思った。
ルイズもルイズで、ずっと押し込めていたかった苦い記憶を、思い出しながら体になじませていく。
案外、本当に行けるかもしれない。まだ不安がないと言えば嘘になるが、突き詰めるところまで突き詰めていきたいという気持ちが今は強くなっていた。
「どうだ相棒? 教えてみて」
「正直に言うと、一番可能性を感じているでござる」
「本当に?」
ルイズもまた、ちょっと驚いた。当たり障りのないようにごまかすことの多い剣心が、ストレートに褒めることなど、殆どないからだ。
一通り訓練を終えた後、ルイズの方からこう切り出す。
「ねえケンシン、打ち込みの稽古やってもいい?」
「承知。いつでもいいでござるよ」
ルイズは杖を構えた。剣心もまた、木刀を片手に構えて様子を見る。
どれだけ鋭い打ち込みが来るか、予測しながら待っていた矢先――。
「――やっ!!」「あっケンシン! ちょっといいかい……」
「おろ――――ごおっ!!」
ルイズの攻撃と突如やってきたギーシュの声が、剣心の前後から飛んできた。
どっちもに対応しようとした結果――――剣心は脳天に重い一撃を食らって伸びてしまった。
「ケンシン!? 何やってるのよ! ちょ、大丈夫!?」
「おろぉぉぉ……」
頭に大きなたん瘤を作って、目を回す剣心をルイズは介抱する。
ルイズもルイズで、まさか直撃するとは露ほども思ってなかったからだ。
「相棒って、ほんとに抜けてるところは底抜けに抜けてるからなぁ……」
戦闘ならばまずこんな不意打ちなど絶対喰らわないだろうに、どこか可笑しそうな声色でデルフは呟いた。
「ってか何よギーシュ! 急に入ってこないでってさっき――――」
そこまで言いかけて、ルイズの声の勢いは段々と失せていった。
冷や汗をかくギーシュの背後から、見覚えのある人影を見たから。
「こんなところで何をやっているのかしら、ルイズ」
「いえ、それはその……こちらのお言葉ですわ。エレオノール姉さま……」
降臨祭八日目、午後三時十分頃―――。
あの後、エレオノールは「ルイズと話がある」と、彼女を陣幕の入り口まで無理やり連れて行った。
剣心が未だ目を回している事もあって、ギーシュやルイズはそれに逆らうことができなかったのだ。
幸せそうな顔で未だ気絶中のマリコルヌを脇に置いて、エレオノールは騎士装束に身を包んだ妹を見つめる。
「で、ちびルイズ。その恰好はどうしたの?」
「……姫さまから賜りました。入隊するなら、男装したほうが良いって」
ルイズは自分の格好を改めてみながらそう言った。最初は本当に嫌だったが、なんだかんだいってこの格好にも慣れてきた自分がいる。抵抗感は薄らいではいた。
エレオノールも、女王陛下からの貰い物と聞いては文句が出せなかったので、ひとまずそれは置いておく。
「ああそう……。まあそれはいいわ、それよりもよ――」
「あの、どうしてエレオノール姉さまはアルビオンへ? 休戦中とはいえ、いつ戦になるのかもわからないのに」
姉の言葉を遮りながら、先にルイズは問う。その対応に、エレオノールはむっとして彼女の頬をつねった。
「まだわたしがしゃべっている途中でしょうが! 質問は最後になさい!」
「いひゃぁあ! ふぉめんなひゃい!!」
そんなやり取りがありつつも、一応先に「仕事で鉱山の発掘に来た」とだけ、簡潔にルイズに伝える。
どんな理由で? とルイズは聞きたかったけど、長女の鋭い表情がそれをさせなかった。
「ルイズ、帰るわよ。はっきり言ってあげるわ、あなたにこの仕事は絶対向かない。戦は殿方の仕事よ」
「……やっぱり、それで来られたのですね」
ルイズは嘆息した。わざわざ自分を連れ戻しに来たのだとしたら、本当に見上げた根性である。
……そこまでわたしのすることが気に入らないの? 徐々にルイズの中で、沸々とそんな感情が沸き上がってきた。
元々、ルイズはエレオノールに良い感情なんて持っていない。無論エレオノールは、本当に妹を心配しているのであるが……、生来持つプライドの高さのせいで、それを表に出さない性分が、ここで大きく裏目に出てきていた。
「伝説の虚無だからなんだというのよ? あなたのことだから何処の誰かにいいように利用されてハイ終わり。そうなる可能性が高いって言っているのよ」
「……」
「男なんて所詮そんなものよ。いいから戦は殿方に任せておきなさいって。大体あの平民に何を吹き込まれたか知らないけど――」
「姉さま」
その声で、エレオノールは若干ぞくりと背筋を凍らせる。
ルイズから、得体の知れない気迫が漂い始めていた。
「わたしが今、母さまと同じ服を身に纏っているのは、他ならぬわたしの意思です。ケンシンは関係ありません。……それに馬車の時でも言いましたが、ケンシンは他の男とは違います。彼がいなくば、わたしも、姫さまも、ちいねえさまも……皆死んでいたかもしれない」
「……大げさよ。魔法も使えないたかが平民に、みんな何を期待して――」
「何も知らない癖に! ケンシンを馬鹿にしないで!」
本気の怒号だった。エレオノールは大いにビビった。
なんだというのだ?
大体、あの平民はさっき頭にデカいたん瘤を付けて伸びていたのだ。あんな間抜け顔を晒す男に何ができるのか、本気で分からない。
つくづく、剣心のことを知るにはタイミングの悪いエレオノールであった。
「何故『水精霊騎士隊』の皆が、杖ではなく剣を振っているか? エレオノール姉さまに分かりますか?」
「……えっ?」
「みんな、ケンシンに憧れているんです。ケンシンのようになりたいって。ギーシュもそう。そこで伸びているかぜっぴきもそう。ケンシンは、みんなをそうやって惹きつけていくの。強くて優しいから」
しかし、ルイズは沢山間近で剣心を見てきた。昔は人殺しだったけど、今は違う。
その優しさに、強さに、いっぱい救われてきた。
だからこそ、何も知らない姉に馬鹿にされるのは、本気で許せなかった。それこそ、幼少期からずっと敵わなかったエレオノールに真っ向から啖呵を切るくらいに。
「わたしも、ケンシンのように誰かに頼られる存在になりたいの。それを分かりもしないで勝手な事ばっかり言わないでよ!」
「……このっ!?」
エレオノールは思わず、またルイズをつねろうと腕を伸ばした。しかしルイズはもう、喰らわなかった。
パシッ! と腕を思い切り払いのける。エレオノールはこの行動に心底驚いた。
ほぼ反射的に、今度は別の腕をのばしてつねろうとする。しかしルイズは身をよじって腕をひっつかみ、背中に回してねじ上げた。
「いだっ……!」
エレオノールはそのまま壁に叩きつけられる。利き腕を掴まれたせいで杖に手が届かない。身をよじろうとすると、腕をさらに上に引っ張り上げられ、痛みで呻いた。
「姉さまもご存知でしょう? わたしが母さまに剣のレッスンを受けていたことを。絶対に思い出したくない苦い記憶でしたけど……どうやらわたし、剣の才はあるそうよ。だから今、必死で鍛えていますの」
「うぐっ……」
激しくもがいたせいで、眼鏡が地面に落ちる。妹に完全にやり込められているという事実が、ゆっくりとエレオノールの心を犯していた。
「魔法の才は姉さまたちに及びませんけど、今のわたしは、素手ならエレオノール姉さまよりも強いですわよ」
ルイズはそう言いながら、捩じり上げているエレオノールの腕に力を込める。今まで敵わなかった姉を征服しているという感触が、えも言われぬ心地にさせていた。
このまま力を込め続けたら、腕を折ることもできるだろう。
そんな膠着状態が、しばらく続いた時だ。
「何をしているのですか!?」
その声を聞いて、ルイズは向き直る。そして目を見開いた。
「姫さま!!」
「ルイズ! あなた、自分のお姉さまでしょう!? 放してあげなさい!」
剣心を訪ねに来たアンリエッタは、心底驚いた様子でそう言った。
姫の御前ならば、とルイズはエレオノールの腕を放して片膝をついた。
エレオノールは、ここで初めてアンリエッタの存在に気付く。しかし腕の痛みの所為で、傅くのがかなり遅れた。
アンリエッタはため息一つ、零しながら二人の様子を見る。この姉妹の仲が芳しくないのは幼少期から知っていたが、それでもこれはやりすぎと思った。
「もう何なのですか! どうして肉親同士でそんなことになるのですか!?」
「……申し訳ございません」
ルイズもまた、確かにやりすぎたわね……。と内心反省する。
次にアンリエッタはエレオノールの方を見て言った。
「わたくしは確かにご家族の問題に入らないとは言いました。でもそうやって揉めるのであれば見過ごせません。もっと穏便に事を進めてください!!」
大方、説得が上手くいかないからこうなったのだろう。アンリエッタは眉根を寄せながら叱咤する。
エレオノールもまた、「見苦しい所をお見せしました」と告げ、フラフラと眼鏡を拾い上げる。レンズの汚れをハンカチで拭き、再びかけ直した。
「それよりも姫さま、どうしてここに?」
アンリエッタがアルビオンへ来ることは、一日ほど前に報告を受けて知っている。
世間では連合軍が間近で勝利するさまを目撃するためなどと言っていたが、彼女がそんな人間ではないことはルイズが一番よく知っている。何か理由があるのだろうと思った。
「ええ、わたくしに何ができるかを、考えた結果です」
ケンシン殿は? とアンリエッタは尋ねる。ルイズは口を開こうとして……、そういえば自分の打ち込みでまだ伸びている事を思い出した。
「あ、ええと……、今ちょっと外せない用事ができたとかで、はい」
「はい? そうですか……」
困った様子でアンリエッタは頬に指を当てる。暫く考えた後、こう続けた。
「では言付けをお願いします。あなたやケンシン殿の力が必要なのです。近くのこの宿におりますので、夕方までにはお越しになるように伝えてください」
そう言ってアンリエッタは、仮で泊まる宿の名前が書かれた紙をルイズに渡した。
「分かりました。その、何用ですか?」
「えぇと、それは……」
ここでアンリエッタはエレオノールを見た。部外者なので席を外してほしい。そういった態度を察した長女は渋々と立ち上がった。
普段の彼女なら強気に、ルイズに迫っただろうが、今はそんな元気すらこの末の妹に奪われていた
「わたしは、お邪魔の様ですね………」
「申し訳ございません。決して、ルイズを悪いようには致しませぬ」
とぼとぼと背を向けて歩くエレオノールに、アンリエッタは頭を下げた。
完全に覇気のなくなった長女の姿を、少し申し訳なく思いながらも、ルイズはその目をアンリエッタに向けた。
「……まああれだヨ。元気だしなヨ――ふげっ!」
寝ながらも起きていたマリコルヌを踏んづけ、エレオノールは去った。
降臨祭八日目、午後五時―――。
「アンリエッタ殿が、拙者とルイズ殿に?」
「ええ、ただならない様子だったわ」
剣心とルイズの二人は、紙に綴られた宿に赴く。
受付に話を聞き、所定の部屋へ案内される。ところどころ木目が露になった、お世辞にも綺麗とは言えないぼろ宿だ。
その廊下を剣心達は歩く、時折痛そうに頭を擦る彼を見て、ルイズは思わず聞いた。
「そんなに痛かったの? ってかあんたなら避けられたでしょう?」
「いやなに、ルイズ殿の打ち込みに感嘆していたのでござるよ」
実際、あの打ち込みは悪くなかった。あれを実戦でも使えるようになれば、足手まといにはならなくなるだろう。
そう思いながら、剣心達はアンリエッタが取った部屋にやってきた。ルイズが扉を開けると、室内には女王……の寝間着を身に着けたアニエスと、彼女におめかしをしているアンリエッタがいた。
「おろ? アニエス殿?」
「あぁ……ケンシン殿、そ、そんなに見ないでくれるか……」
武人気質な彼女にしては珍しいくらいに弱った声で、剣心達にそう言うアニエス。
「ルイズ、ケンシン殿。よくいらしてくれました。お待ちしていましたよ」
「姫さま。これは一体?」
「ええ、ちょっと準備をね」
アンリエッタは思いの外楽しそうに、アニエスに化粧を施していく。
水の魔法が込められた白粉を顔に塗ることで、目の色や顔かたちが少しずつアンリエッタに近づいていった。
「これでよし。しばらく時間を置いたらわたくしそっくりになることでしょう」
「はっ」
「かつらはこれを使うとして……と」
これまた魔法で女王とよく似た栗髪のかつらを、跪いた彼女に被せる。遠目なら、誰もがトリステイン女王陛下と見紛う影武者が誕生した。
一方のアンリエッタは、町娘のようなラフな格好でいる。同じようにかつらを被り、今は金髪に染めていた。
「影武者、といったところでござるか?」
「はい。こういったことを任せられるのは、彼女しかおりませんので」
椅子に座りながら、アンリエッタは言う。はにかんだ表情で足をプラプラさせる彼女は、いい意味で女王の威厳はなく、年相応の娘に見えた。
ここでアンリエッタは、剣心達に事のあらましを説明した。間諜を炙り出すこと、昼間作戦室で起きたこと、アニエスを囮に、夜襲い来るであろう間諜に対処してほしいということを話す。
「来ると思うでござるか?」
「来てくれなければ困ります。そのためにたくさん挑発してきました。後はもうやるしかありませんわ」
間諜の炙り出しは、確かに対処したい案件だ。それ自体に、剣心も異議はない。
「ケンシン殿、どうかわたくし達の護衛をお願いしてもよろしいでしょうか?」
と、ここでアンリエッタは縋るような目で剣心に頼んでくる。
勿論、剣心自身は特に断る理由はないのだが……、やはり、この目は少し気になった。
隣では少しルイズがぶすっとして表情でいる。ルイズは剣心の主人だから呼んだだけで、彼女自身にあまり用はなさそうだった。そんな姫の態度が、ちょっと気に入らなさそうだ。
戦だから仕方ないとはいえ、アンリエッタが自分に全てを頼ってくるのも困るところである。協力は惜しまないが、依存させ過ぎないようにする塩梅も大事だ。
一応、剣心は尋ねる。
「他に協力できる者は、周りにいないのでござるか?」
「わたくしは、あなたたち以外に信用できる者はおりませぬ」
悲しい声であるが、一方で「剣心がいるのなら大丈夫」という期待ある声色で、アンリエッタは言った。
ふむ、と剣心は思案する。暫くそうしていると、段々とアンリエッタの表情が崩れていくのを感じた。
協力を拒んだら、取り乱して発狂しそうな面持ちである。
とりあえず、彼女に心配させるのもかわいそうなので、快諾は先にしておく。
「安心するでござるよ。この任は確かに引き受けるでござる」
「よかったぁ……! ありがとうございますケンシン殿!」
それを聞いて、アンリエッタは心底ほっとしたような面持ちをした。
ルイズも、特に異はないので何も言わなかった。
「では早速、今夜からお願いできますか?」
「承知。……ただ、少しだけ外へ出ても?」
え? という表情をアンリエッタはした。剣心はいつもの微笑みを浮かべながら、更にこう続ける。
「作戦成功の確率を少しでも上げるためでござる。なに、すぐに戻ってくるでござるよ」
「……分かりました。では、よろしくお願いいたします」
そう言われては、断ることもない。剣心は一度部屋を後にした。
ルイズもまた、不思議な面持ちで使い魔の背中を見送った。