降臨祭九日目、午後三時十分頃――。
「はあ……」
もう何度目だろう。五芒星表通りにある、そこそこ大きなカッフェの外。木製の丸机のある椅子に腰かけながら、エレオノールは深いため息をついた。
カップのお茶も三杯は飲んだだろうか。そろそろ仕事に行こう、仕事に行かなければ……、という考えが頭を過りながらも、身体の方が中々動かない。
身体中に重りを巻き付けられているかのような感覚だ。『働こう』という気持ちが全然湧いてこないのである。
その原因は、当然ルイズにあった。
「はぁ…………」
またため息をつく。まさか自分が、あんなにも彼女にやり込められるとは思ってもいなかった。
生まれて初めて味わう、末妹からの反撃。屈辱……というよりも、悲しいという気持ちが澱のように溜まっている。
そして次に考えるのは、剣心のことだ。
「どうして、なんでよ。なんでみんなあいつなんかに……」
エレオノールは歯噛みした。そう、あいつが持っていってしまうのだ。
自分が今まで大事にしていたと思っている物全てを。
家族も、周りも、女王さえも、あいつは味方につけていく。その理由が、自分には分からない。それが一番腹立たしくさせる要因でもあった。
正直、憎いとさえ思ってしまう。あんな平民に、みんな一体何で引き付けるのだろうか……。
「ねーアリィー、ここ飲み物売ってるみたいよ。寄ってかない?」
「そうやって何度目移りするんだルクシャナ。何度も言うが遊びじゃないんだ――」
「はいはーい。これも知見を広めるためでーす」
「まったく二言目にはそれだ。いくらなんでもだなぁ……」
そんなことを言いながら入ってくる、帽子を目深にかぶった若夫婦を見やりながら、エレオノールはマントの袖に入れていた羊皮紙を取り出した。
一枚目、鉱山へ入る許可証は出てきたが、二枚目の地図が出てこない。
「あれ?」
慌てたエレオノールはがさがさと服のポケットを全て探るが、無いものは無い。
「やだ、どこかで落したのかしら?」
立ち上がって周囲を見渡すが、少なくとも周辺に落ちている様子は皆無であった。
今日は朝から腑抜けた様子で歩いていたため、どこで落としたかも見当がつかない。
「はぁぁぁあああああああ……もう!!」
今日一番、どでかいため息をエレオノールは零す。もうヤダ、帰りたい。仕事のことすらどうでもよくなりかけていた。
ただ、それで本当にすべてを投げ出すほど、エレオノールも子供ではない。
一応、第一候補である採掘現場はもう、目と鼻の先だ。行こうと思えば行ける。
早く終わらせないと、戦がまた始まってしまう。今仕事を始めれば、最後の船便には間に合う筈だった。
ただ、それはルイズをこの地に残したまま、ということになってしまうのだが。
ここまで至ってもまだ、エレオノールはルイズを連れ戻すことを諦めてはいなかったのだ。
「絶対に、連れ戻してやるんだからね……」
その前にはまず策を練らねば。
エレオノールはとりあえず、カフェの四杯目をおかわりするために、店内の中へ入っていく。
そのカフェの屋根の上を、一つの影が通り過ぎていったが、それにエレオノールは気付くことはなかった。
降臨祭九日目、午後三時十五分頃――。
「来ていないでござるか?!」
「ええ、話は聞いてますがねえ。まだお見えにはなっておりません」
地図にかかれていた「第一候補」の採掘場前、その入り口で剣心は管理者と思しき男性と話していた。
どうやら彼は、エレオノールが来ること自体は知っているらしい。表情からも、嘘を言っているようには見えない。
「採掘道具はほれ、ここにあるんですがねえ」
と、男は風石を発掘する装置を後ろ指で指した。剣心もそれは確認する。
では、ここで待っていたら来るだろうか? そう考えるが、ここで管理者は「あぁ、そうそう」と続ける。
「先に第二坑道の方を巡るとか何とか、手紙にありましたけどねえ」
広げた地図を指さしながら、親切心でそう補足してきた。ここからだと二十リーグ程ある遠い場所だ。サウスゴータからも微妙に離れている。
実際、エレオノールもそういうプランを立てていた。二か所ぐらい巡っておこうかと最初は考えていたが、ルイズとの邂逅があって以降、そんな気力はなくなってしまったのだ。
今はここからも見える程の近くにあるカッフェで、茶を飲んでいるのだが、気付けるはずもなく。エレオノールもこの時店内にいたため、剣心の存在は分からなかった。
「そうでござるか……」
剣心は思案する。
杞憂だと思いたい。だが、安否の確認ぐらいは取って損はないはずだ。
何も起こらないのであれば、それが一番良いのだから。
とにかく、不安の芽はちゃんと摘んでおきたい。
「済まぬ。もしエレオノール殿が来たら、拙者が来るまで仕事は待ってくれぬかと、伝えて貰ってもいいでござるか?」
「ええ、そいつぁ構いませんが。正直来られる方は大貴族のご令嬢ってぇ話ですからねえ……。まともに取り合ってくれるかという保証は、ありやせんぜ」
「拙者は緋村剣心。エレオノール殿の末妹ルイズ殿の使い魔でござる。それで向こうにも伝わると思うでござる」
「はぁ? あなたさんが? ……まあはい。では伝えておきます」
人間の使い魔ときいて怪訝な顔を管理人はしたが、何とか言伝は受けてもらった。
剣心は再び駆けだした。屋根の上を飛んで最短距離で、地図に書かれた別の候補へと向かうために。
降臨祭九日目、同時刻――。
「おかえりルイズちゃん。……ってあれ?」
「どうしたの? その子」
「うん、ちょっとね」
あの後、ルイズはぶつかった少女を連れて『魅惑の妖精』亭の天幕へと戻ってきた。
足を怪我しているためか、背中におぶっている少女を見て、スカロンは目を丸くする。
「ケンシンを追っかけてぶつかっちゃったのよ。ちょっと、診てくれない?」
「診てくれない? って、わたしたち医者でも何でもないんですけど」
そう言いつつも、膝の擦り傷を見て、小さな悲鳴を上げたシエスタは、ぱたぱたと医療道具を取りに行った。
ルイズは誰もいないテーブル席の椅子に、少女を座らせる。
「ちょっと待ってなさい。今あのメイドがクスリと包帯を取りに行ったみたいだから」
「うん……」
ルイズは少女の顔を見た。見た目からして五歳くらいだろうか? 美しい金髪の少女である。
少女は今にも泣きそうな表情で、こちらを見つめている。腰に差してある軍杖を見て、萎縮した声を上げた。
「おねえちゃん……もしかしてメイジなの?」
「えっ? まあそうね」
それを聞いた瞬間、ぴくんと少女は跳ね、身を震わせ始める。
「メイジ恐い。わたしのお父さんとお母さん、メイジに殺されちゃったの……」
「えっ……」
突然の告白に、ルイズはちょっと呆気にとられる。貴族に楯突いたせいで殺される平民は別に珍しくもなんともない。
ただ、そのせいでこんな年端も行かない少女が地獄を見ているのかと思うと、やりきれなくなってしまう。
「……ごめんね」
自分が悪くないのに、何故か謝ってしまうルイズ。これ以上怖がらせてはいけないと、腰に差した軍杖を外して壁に掛ける。
「これでいいかしら?」
「うん! ありがとう」
少女に少し笑顔が戻った。ルイズはとりあえず、ホッと胸をなでおろす。そしてここでまだ、自己紹介すらまだだったことを思い出した。
「わたしはルイズ。あなた、名前は?」
「……エルザ」
少女ことエルザは、はにかんだ表情をルイズに向けた。
降臨祭九日目、午後三時三十分頃――。
「これでよし……っと」
ジェシカが慣れた手つきでエルザの怪我に包帯を施していく。
「もう大丈夫なはずよ。ちょっとここで休んでなさいな」
スカロンもくねくねと小躍りしながら、優しい言葉をかけた。
「エルザちゃんは、どこから来たの?」
シエスタは尋ねた。しかしエルザは「わからない」と首を振る。
「お父さんとお母さんに連れられて、気付けばここにいたの」
この様子だと、貴族に殺されたのはつい最近のことなのだろうか。ルイズは思案する。
もしかしたら戦に巻き込まれたのかもしれない。そう思うと不憫でならなかった。
「おなかすいた……」
おなかを空かせる音を、腹から出すエルザ。それを見たシエスタは、袖をまくって言った。
「叔父さま、厨房をお借りしても?」
「ええ、いいわよ。賄いのスープとかであれば、まだ残っている筈だわ」
「おにくだめ、スープやパンがいい……」
「分かったわ。待っててね」
そう言って、シエスタは一旦席を外した。続いてジェシカが、ルイズの方を向いて尋ねる。
「ルイズ、あなたの力でなんとかならない?」
「えっ、まあ、うーん、そうね……」
ルイズは悩んだ。姫さまの力を借りれば、安心できる場所を提供できるかもしれないが……今彼女は吸血鬼対策で忙しいのも知っている。
次いで剣心の顔を思い浮かべるが……彼がどこ行ったのかすらまだ分からない。
自分一人じゃどうにもならないなと。改めて無力感を味わいながらも、バツが悪そうな感じでジェシカに向き直った。
「現状、どうにもならないわ。逆にあなたたち、ここにこの子を置いてもらってもいいかしら?」
「別にいいわよ、困った時はお互い様だし。でも面倒はあなたが見て頂戴ね」
「分かったわ。じゃあ隅っこの席を借りるわね」
今日は午後の鍛錬は休もう。ルイズはエルザと同じ席についた。
少しずつ、少しずつではあるが、ルイズもまた、剣心のような優しさを他人に分け与えていくことを、無意識に覚え始めていたのだった。
「ったく、ケンシンったらどこ行ったのかしら、もう!!」
スカロンとジェシカは再び、給仕をしに去っていく。幾何か落ち着いたルイズは、改めてやるせない怒りを席で零した。
「もう本当に、ああいうところよねえホント。せめてどこ行くのかわたしにも教えなさいってのよ……!」
「その様子だと、ケンシンさんに置いていかれたようですわね。ミス」
隣ではシエスタが腰掛けていた。同じく給仕係をしているのだが、エルザの世話係もかってでたのだ。
暖かいスープとパンを差し出す。エルザはそれを頬張った。肉や魚などはなぜか嫌っていたためか、このような料理に落ち着いた格好だ。
「何か言いたげね、シエスタ」
「いいえ別に。平民のわたしが貴族の方に物申すなんてとてもとても……」
「いいからそういうの。ケンシンを追っかけてここまで来たんでしょ?」
「…………」
シエスタは無言になった。彼女にしては珍しい、もの悲しい表情にルイズは少し態度を軟化させる。
「そうですよ。先ほどお話ししましたよね。学院でのこと。本当に怖くって、ケンシンさんに会いたくて、会いたくて、ここまで来ました。ですけど……」
シエスタは、先程の行動を思い返して、小さくため息をこぼす。
「つくづくケンシンさんって、独り占めできない方なんだなあ……って。困っている方がいることを知ったら、あんな風に突然駆けだすんだなあって思うと、すごく、寂しく感じちゃったんです……」
「シエスタ……」
「ミス・ヴァリエールでさえ翻弄されているのですから、わたしがケンシンさんを繋ぎ止めようなんて、土台無理な話なのかなあって、ちょっと思ったんです……」
そう言って、スープをごくごく飲むエルザの頭を優しくなでた。話を聞いていたエルザは、純朴な目でシエスタの方を向いて尋ねる。
「お姉ちゃん、その人のこと、好きなの?」
「ええっ!?」
代わりにルイズが驚きの声を上げた。一方聞かれたシエスタは、はにかんだ表情でハッキリと答える。
「はい。好きです。大好きです。彼が貴族なら生涯……いいえ、平民であってもあの人の元で仕えていたい。そう思うぐらいに」
そして、何か言いたげな目線で、シエスタはルイズを見つめた。何よ、わたしにも同じセリフを言えっていうの? そんな疑問が頭の中で巡る。
何か言おうとしたルイズは……、ここで巴のことを思い出した。
抜刀斎時代に会った、雪のように真っ白な服に身を包んだ女性。そう言えば、まだシエスタに話してなかったっけ。
ここでルイズは、あえていじわるな質問を彼女にぶつけた。
「もしよ。もし……ケンシンにはもう恋人がいるって言ったら、あなた、何を思うの?」
我ながら酷い質問だなあ、と思うルイズであった。だがこれを聞いて、どんな反応をするのか見てみたかった。
一方のシエスタはそれを聞いて……、質問とは別のことを言い出した。
「ミス、よろしければ少しお酒に付き合っていただけませんか?」
「えっ? まあ、別にいいけど……」
「わたし、お酒は全然ですけど、酔わないものも置いてありますから、ここは一つ」
シエスタはジェシカに声をかけて、弱い人でも飲めるワインを出してもらった。
味はどちらかというとジュースに近い。ルイズもお酒は強い方ではないので、同じものを出してもらった。
「タルブで採れた葡萄に特別な製法で作ったお酒よ。シエスタみたいな酒乱でも飲めるわ」
「もう! ジェシカったらそんなこと言って!!」
「あはは! まあごゆっくりぃー」
笑いながらジェシカは去っていく。子供でもいけるらしく、エルザにも注いであげる。
ルイズはいじわるな質問した償いとして、シエスタの杯にワインを注いで上げた。
「じゃあまずは、乾杯」
そう言って、三人はカップを触れ合わせた。
「おいしい」と、酒で頬を染め、シエスタは呟く。
「貴族の方にお継ぎしていただくなんて、感激ですわ」
あ、そうそう。と、シエスタは懐から香水を取り出した。カトレアから貰った、白梅香の瓶だ。
瓶を開ける。仄かな香りが辺りを漂う。
「こういう時にこれがあるといいですよね。一時の喧騒を忘れられます」
「あんた、それ結構使っているの?」
「ええ、不思議と気分が安らぐんです」
どうやら、シエスタはかなりこの匂いを好いているようだった。無意識に巴を思い出したルイズは、複雑な表情を浮かべる。
その時だ、ぱらぱらと、何かが天幕に当たる音がした。
「ん?」
「雪だ! 雪!」
外から声が聞こえる。天幕の隙間から、雪が降っているのが見える。
「雪の降臨祭かぁ」とルイズが呟くと、シエスタが、「わたし、雪の降臨祭って夢だったん です」とうっとりした顔で呟いた。
「そうなの?」
「ええ。ほら、タルブの辺りは冬でも暖かいものですから。あんまり雪なんか降らなくって」
子供のように目をきらきらさせて、シエスタは天幕の外の雪を見つめている。ルイズもまた、雪を見た。
雪景色と白梅香の匂い。それは嫌でも、巴の顔を想起させる。
呆けたようにそんな自分を見ているシエスタに、ルイズは気づいた。二人は顔を見合わせて、頬を染めた。雪を見て我に返ったのであった。
くいっ、とワインを飲むシエスタ。そして、ぽつぽつと語り始めた。
「わたし、一度ケンシンさんに告白したことがあるんです。タルブで『竜の空袋』を見せた時、あの平原で……」
「あっ!」
ルイズは思い出す。そう言えば、剣心とシエスタは何事かそこで話し合っていたのだ。
あの時はまだ、剣心に対する思いを自分でもよく分かってなかったから、遠目でしかそのやり取りを知らなかった。
「そしたら見事にフラれました。帰る場所があるから、ここにはいられないって……」
「そう……」
それを聞いて、そう言えば剣心は帰りを待っている人がいるっていう話を、舞踏会の時に話していたことまで思い出した。
もしかして……、その帰る場所っていうのが巴なのだろうか?
そう思うと、途端にルイズは切なくなった。何でそう思うのかが未だに分からないけど、嫌だって気分になってしまう。
「でもわたし、その時言ったんです。『いつまでも待ってます』って。もしケンシンさんが永劫帰れなくなったとしたら、その時はわたしがケンシンさんの拠り所になれればなって……、今でもそう思っているんです」
「シエスタ……」
「わたしはまだ、諦めていません」
シエスタは確固たる決意を持った目で、ルイズに向き直った。改めて宣戦布告をしているような目つき。
多分恋人……巴を見ても、シエスタは怯むことなくこのような顔をするのだろうと、ルイズに思わせた。
「一番でなくてもいいんです。二番でも。わたしを見ていなくても、わたしがケンシンさんを支えてあげられれば」
そこでシエスタは、ルイズを見た。自分の表情を見て、何かを察したような目で言う。
「それで、心当たりがあるんですよね? その方のこと」
「え?」
「ミスはすごく分かりやすいですから。ああ、馬鹿にしているのではありませんよ」
そうとりなして、改めて真剣な表情でシエスタは詰め寄った。
「教えてください。どんな方なんです? 綺麗な人なんです?」
「え、ええ、そうね」
ルイズは一瞬押されながらも、雪の方を見上げて言った。
「例えるなら、雪のような人……かな。ユキシロ・トモエっていうの」
「雪、ですか」
「うん、なんて言うか、儚い感じの人っていうか…」
「会ったことが?」
「ううん、夢の中で。契約の所為なのか分からないけど、最近ケンシンの昔の記憶を見るのよ」
それを聞いて、シエスタは少し驚いた。
しかし、魔法の力は平民であるシエスタには未知の領域だ。そういうこともあるのだろうと今は納得する。
「いつ頃なのかは分からないんだけどね」
「へーそうなのぉ」
「それでそれで、その時のケンシンって何やってたの?」
それを聞いてルイズはぎょっとする。見れば、スカロンとジェシカも会話に混ざっていたからだ。
「あ、あんたたち、店はどうしたのよ!?」
「ンなこと言ってもさ、この時間帯は結構人が少ないのよ。夕方になればまたワッと来るんだけどね」
確かに、見渡すと客もまばらだ。今、店にいる給仕の子で十分足りているのだろう。暇つぶしがてらに、ルイズの話を聞きに来たようだ。
「何やってたかって……。そ、それは言えないわ。流石に……」
ルイズはどもった。まさか剣心が人殺しをやっていたなんて、シエスタの前でも言いたくない。
そうやって剣心を幻滅させるのは、ルイズも嫌だったからだ。
だが、ジェシカはすごく興味深そうに顔を近づける
「えーなによ、教えてくれてもいいじゃない! 多分だけど彼、すっごい危ない橋を何度も渡ってきたんじゃないかと思うのよ!」
「まあ、それは間違ってないわね。うん……」
とりあえず、今のような感じのことをしていたわ、と話すルイズ。まあ嘘は言っていない……はず。
少し不服そうだったが、一応それでジェシカも納得したようだった。
「じゃあさ、そのトモエって子を教えてよ」
「ケンシンちゃんのことだから、すっごい美人さんを捕まえたんじゃないかって思うのよねえ」
「わかる。彼絶対モテるもん。シエスタもこのザマだし」
「あの……」
やいのやいのしていた一行は、ここでエルザがもじもじしながらも、天幕の入り口を指ていることに気付いた。
客だろうか? スカロンはすぐに対応する。
「いらっしゃいませー!」
その声を受けて入ってきたのは、帽子を被っているカップルである。帽子のつばが長いせいで顔がよく見えないが、かなり綺麗な顔つきをしているのは分かる。
「よし、今度はここで飲みましょ。アリィー」
「もういい加減にしないか。そろそろ、どこで寝るかも決めなきゃならんっていうのに……」
そんな会話をしながら、エルフの二人は『魅惑の妖精』亭へと入っていった。
降臨祭九日目、三時四十五分頃――。
「……そろそろ行かなきゃ」
五杯くらい飲んだだろうか。エレオノールは席を立った。
手持ちの魔法式懐中時計が、良い時間を指している。これ以上ここで遊んでいる場合ではなくなってしまった。
早く終わらせてしまおう。時計をしまい、帽子をかぶってマントを身に着ける。
結局、ルイズを連れ戻す良い案は浮かばないまま。
実力行使……はもう、女王陛下の手前よろしくないし、かといって説得しようにも、あの態度では絶対首を縦に振りそうにない。
薬でも使うか? と考えたが持ち合わせはないし流石にそれは……、という思いもある。
「どうしたものかしらね」
最後にそう呟きながら、目と鼻の先にある仕事現場へ足を踏み入れた。
洞窟への入り口は、地面につくられた扉から入る形式となっていた。
「これはこれは、エレオノール様。お話は伺っております」
許可証を見せると、管理人らしき初老の男性は恭しくお辞儀をする。
「道具は既に届いております。いつでも準備は整っておりますよ」
「では早速開いて頂戴」
畏まりました。そう言いながら管理人は地面の扉を開こうとして、そこで気付いたかのようにエレオノールに向き直る。
「ああそうそう、先程あなたの妹さまの、えー使い魔さまがここへ来ましたよ」
「……ルイズの使い魔が? なんて?」
剣心の顔を思い浮かべて、無意識に顔を歪めるエレオノール。
「ええ、何でも『自分が来るまで仕事は待って欲しい』と。あなたを探している様子でしたよ」
「はあ! 何よそれ!!?」
当然エレオノールは激昂した。平民が自分に指図するのも腹立たしいのに、それを言ってきた本人がかの緋村剣心だ。
ふざけるなと言わんばかりの態度で男に詰め寄った。
「いいこと! わたしの前で二度とあの男のことは口に出さないで頂戴!!」
「ひぃ! りょ、了解しました!」
凄まじい気迫を向けられ、男は委縮してしまう。そして渋々と扉を開いた。
「ったく、あいつめ……。わたしに命令しようなんて、本当に何考えているのかしら!」
陛下に認められて、自分の思い通りに全てを動かせると思い上がっているのだろうか。もしそうならお門違いも甚だしい。
そういうのは自分より上の立場、王族かなんかに生まれ直してからにして欲しいものだ。
「こっちはさっさと帰りたいのよ!」
そう言って、装置を『レビテーション』で浮かせながら、エレオノールは鉱山の入口へと踏み入った。
「ここね」
坑道は、人一人が余裕をもって進めるぐらいの広さが続いていた。
壁には魔法のロウソクがそこここにかけられており、明るさは確保されている。
『レビテーション』を唱え続けたまま、エレオノールは道なりに進んでいく。途中緩やかな下り坂となっており、少しずつだが下へ向かっているようだ。
やがて、出口が見える。道の終着点は巨大な空間が広がっていた。
壁は青い煌めきが、ロウソクの代わりに周囲を照らしている。活性化している『風石』の影響により、淡い光が洞窟内を埋め尽くしていた。
この結晶の集まりが、今のアルビオンを『空の大陸』たらしめている正体なのだ。
そしてアルビオン空軍が精強たる理由でもあった。他国より数段性能の高い風石を、軍船の動力源に転用しているのだから。
「ゴンドラン卿が欲するのも、分からなくはないわね」
『レビテーション』を解いたエレオノールは、装置を起動する。進んだ先にはロープが張られた区画があり、その前に看板が立てられている。
『アカデミー採掘用』とそこには書かれている。わざわざ抽出しやすいように用意していてくれたらしい。
「本当に、手際だけはいいですこと……」
アカデミー議長の顔を思い浮かべながら、ロープをくぐって、巨大な柱のような風石の結晶の前に立つ。
周囲に人は特にいない。それだけに少し不気味に感じていたため、早く終わらせたかった。
まず複数本のピンを結晶に刺していく、糸を通じて操作盤の画面が動き出す。計測器に目を通す。トリステインで採掘できるものより、三倍以上もの数値を叩きだした。
「これぐらいなら卿も満足することでしょ」
続いて畳んだ布を開く。数本のメスらしき刃物が出てきた。杖で動かすだけで勝手に切り分けてくれる魔法のナイフだ。
暫くすると、小石が其処此処にばら撒かれ始める。それを吸引機のような形をした装置で吸い上げ、袋でひとまとめにした。
一通り小石に変えた『風石』を集めた後、エレオノールは懐から梟型の人形を取り出し、地面に置く。
杖を振ると、本物の梟のように翼をはためかせ始める。小型ではあるが、大きな荷物を長距離運べる最新式の魔法人形だ。肩には『アカデミー用』という文字が人形に刻まれている。
やがて、魔力を吹き込まれた梟はエレオノールの肩に止まる。
「これお願いね」と、エレオノールは簡潔に伝えた。
フクロウの人形は、エレオノールの足元にある、風石の入った袋をひっつかむと、そのまま坑道へと再び消えた。
これで、仕事は終わった。後はあの梟人形が勝手に、ゴンドラン郷の元に資材を届けてくれることだろう。
「さてと……?」
そろそろ地上へ戻ろうかという時だ。
カタッ……と、小石が転がり落ちる音が横から聞こえてきた。
そちらに目をやると、壁際になにやら小さいヒビが入っている。
「何かしら?」
ふと気になったエレオノールは、亀裂の入った壁まで足を運んだ。
鉱脈じゃない、滑らかな岩肌に手をやってみる。
エレオノールは土系統のメイジだ。手に触るだけで、土や岩の厚さがどれくらいかを大まかに察することができる。
手を置いて瞑想する。そして気付く。
(この壁の先、空洞になっているわ)
自分の『錬金』で容易く開けられるだろう。それぐらいに薄い壁のようだった。
何があるのかしら? と思案する。
そんな折――。
「――!?」
ヒビが、段々と大きくなっていく。小石が雨のように転がり落ちる。
地響きが広がる。エレオノールは嫌な予感がした。
逃げなきゃ……! 装置を置いてすぐにでもここを去ろうとした時だ。
唐突に目の前の壁が崩れ落ち、大穴が開いた。
恐らく向こう側の誰かがこちらに穴を開け、開通させたのだろう。エレオノールは恐怖で凍り付いた。
「なっ―――!!」
出てきたのは、服も体もボロボロになった男たちだった。
身体をフラフラさせ、生気がまるで無いのに、顔だけは恍惚な表情で固まっている。一目見て、異様だと思う外見。
それが何人何人も穴から出てくる。その中の一人が杖を構えながら言った。
「目標地点に到着しましたな」
「前方に民間人発見。どうします?」
「皇帝はこう言っておられた。『出会う人間は生かして帰すな』」
機械のような淡々とした会話を交わす男たち。エレオノールは彼らの服……薄汚れたマントに刻まれた紋章を見る。
それはアルビオン王族を示すエンブレム。彼らは元王党派の人間なのだった。
「ひっぃ……!」
エレオノールは恐怖で震えた。先ほど彼らが交わした会話が脳内で何度も反響し、心臓の鼓動が耳元で伝わるくらいに緊張が走る。
杖で応戦しようなどとは考えなかった。必死に逃げようとして……、しかし足元に風のロープが絡みついた。
「あっ痛っ!!」
エレオノールはこけてしまう。そしてその間にも風の縄は彼女に絡みつき、腕や身体を縛り上げていく。
とどめといわんばかりに、彼女の頭の上に霧のようなものが浮かび上がる。
『眠りの雲』と呼ばれる催眠魔法は、エレオノールの意識を徐々に奪っていった。
(助け、て……、誰か……っ!)
声にならない声を上げ、視界がゆっくりと暗転していった。