―――あれから数ヶ月、いろいろなことがあった。
まず俺の母親であり袁逢の愛妾、麗華が他界した……。もともと体が弱かったため出産後の体力低下に耐え切れず眠るように息を引き取ったらしい。
当初罪悪感になやまされつつ、周りの人間に疎まれるのではと考えていたがどうやら杞憂だったようで、父をはじめいろんな人たちが自分に愛情を注いでくれているのがわかる。
さて、その中である問題が今目の前で自分をあやしているのだが……
「袁紹ちゃん、こんにちはー袁隗叔母さんですよー、またおもちゃを買ってきたから今日はこれで遊びましょうねー」
目の前の妙齢の女性、袁隗叔母上が語りかける。
実際に彼女が袁隗とわかった時はひどく混乱した―――父親の名は袁逢、そして自分は袁紹であることから三国志の世界だと認識していた矢先、本来叔父であるはずの袁隗が女性として(しかも美女)現れたのである。
このことからこの世界は三国志を軸につくられたアニメかゲームの世界なんだろうという結論にいたった。
また、この世界には真名という概念が存在しており、真名を預けた相手以外が真名で呼んだ場合殺されても仕方ないらしい……恐ろしいものである。
(とりあえずこの世界は三国志をベースにしているし。これからの出来事にも細かい変更が あっても大きなものはないはず。
なら俺が袁紹としてすべきことはやはりこの先にあるであろう 『黄巾の乱』『反董卓連合』そして『群雄割拠』この分岐点まで力を蓄えつつ善政をしいて国を豊かにする。
そのためには勉学に励まねばならないだろうな……、いくら現代や三国志のチートに近い知識があるとはいえ、この時代の事を細部のことまで知らない……いや、知っている事の方が少ないはず)
生後わずか数ヶ月の赤子が、あごに手を当てるような仕草で物思いにふけっていると、御付の侍女が奇妙な者を見る目で顔を向けているのだが―――
そのことには気づかず袁紹はさらに思案する。
(とりあえず書物を読めるような年になるまで、もてはやされても増長し傲慢になったりしないように気をつけよう)
………
……
…
一年後
「麗覇が……麗覇がわしを『ちちうえ』といってくれたぞぉぉぉぉっっっっっ!!」
「おめでとうございます。袁逢様」
「うむうむ、きっと神童に違いない。さすが我が子じゃ」
増長しないように……
………
……
…
さらに一年後
「兄上! 袁紹が歩きましたよっ」
「なに!? 真か袁隗」
「はい! しかも倒れたりすることなくしっかりした足取りで……武の才があるかもしれませぬ」
「ふははは、さすが我が子であるな」
ぞ、増長しないように……
………
……
…
さらに一年後
「す、すごいです袁紹様。この書は大人でも難解なものなのに、齢三歳半にして読破されるなんて……」
「フ―ッハッハッハッハッ! 我、袁紹にかかればこのくらい出来て当然である。フ―ッハッハッハッハッ」
……増長しましたテヘペロ☆
きっかけはふとしたいたずら心から父親を呼んでみた事である。その時の父上の喜びようはすごかった。
まさか三日も宴会を開くなんて誰が想像しただろうか、それからというものやることなすこと全てにおいて褒められ続ければ誰でも増長―――いや、自信がつくというもの、また我自身が神童のような振る舞いをしていたのもあいまって拍車をかけた。
しかしそれ以外にも理由があった、前世の『俺』は褒められなれていなかったため照れるだけだったはずだが、『俺』の中にいるもう一つの魂がことさら褒められるのを喜ぶのだ。
おそらくこの『娘』は―――『俺』が転生しない世界で袁紹として生まれてきたはずの魂なんだと思う、会話や姿を見ることはできないが、なんとなく女であると感じる。
そして―――『彼女』の喜びや他の感情、趣向は『俺』にもつながっている。一心同体……そんな感じだ。
一人称も『俺』を使うつもりだったが名族には相応しくない! と『我』にすることで妥協した。
………
……
…
それから二年後5才になった我はその日、父上に呼ばれ庭にある訓練所に向かっていた。
(庭に呼び出されるのは初めてだな、いつもは父上の部屋なのに……訓練所ってことは戦闘訓練するのか?)
ちなみにいま住んでいる屋敷には広大な庭が広がっている、現代でいうところの東京ドームの広さに匹敵するであろう。
庭には細部まで手入れが施されており、訓練所を始め、茶や菓子などを楽しみながら談笑することができるテラス(?)のような場所まである。
(なんというか、さすが名族って感じだな。そしてなによりこの袁本初にふさわしい!! ……あれ? 俺こんなキャラだったっけ)
自分の人格の、僅かな価値観の変化に驚きつつ目的地の訓練所前にやってくると、父上と袁隗叔母上がやってきた。
「さて麗覇、ここに呼び出されたことで察しが付いているだろうが、これから戦闘訓練を美項(みこう――袁隗の真名)と行ってもらう」
「叔母上と…」
袁紹は疑問に思う―――この五年間、袁隗が文官として政務を行っている姿を何度も見たことがあるが、戦っている姿はおろか帯刀している姿も見たことが無い。
「私の実力を疑っているようですね……袁紹様?」
「い、いえそんな……」
どうやら袁紹は感情が顔にでやすいらしい。心中を察した叔母上はいつもの笑みを浮かべてはいるものの、眼つきが非常に鋭くなっている。
今の袁紹の心境はまさに蛇に睨まれた蛙だ。思わずといった感じで目をそらすと――
「ハハハッ、美項は線が細いからな」
「あら? それはどこを見ながら出た言葉ですか?」
「それはもちろんム―――、ああいかん! これから来客があるのだった! 失礼する」
言い切らない内に叔母上の殺気を感じたであろう。父上は見え透いた言い訳を口にしながら脱兎の如く走り去っていった。
「逃げられてしまいましたか、しかたありませんねぇ……では袁紹様、中に入って準備をしたのち始めましょうか」
ニヤリと、どこか意地悪そうな笑みを浮かべる叔母上。
(こ、これは先ほどの父上の言動と、我が叔母上を侮ったことが相まって相当怒らせてしまったのでは!? ……もしそれが原因で訓練が厳しくなっていたら、父上が寝台の裏に隠した気になっている秘蔵の春本に現代式モザイクを墨でかけさせてもらうぞ! ちちうええぇぇぇっっっっ)
袁隗に引きずられながら袁紹は何かを決意した。
………
……
…
その日の夜、袁逢の寝室からすすり泣く声が、近くを巡回していた警備兵により確認された。
―――五年後 袁家屋敷の門前―――
「なぁなぁ斗詩ぃー(とし)、ここにその袁紹がいるのかー?」
「袁紹『様』だよ文ちゃん、今日の挨拶で失礼の無いようにお母さん達に言われたでしょ?」
「わーてるって、ところで袁紹様はアタイ達と遊んでくれっかなー?」
「もうっ、文ちゃん!!」
活発そうな少女を、大人しそうな少女が諌めながら門をくぐって行った。