題名のない迷宮会   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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いざ逝けや
第1話


 唐突でなんだが、気付いたら違う世界に居た。

 

 さて、いきなりこんな事を言われたら、は? と思うに決まっている。俺だって呆然とする。そんな事を言い出した奴の頭は、果たして正常な物かと、脳も人格も疑う事だろう。

 

 が。

 

 事実なんだ。ある日目が覚めたらゲームで見たような薄暗い石畳の――後で知ったが、ダンジョンの下層部でうつ伏せに倒れていた。周囲からは獣の鳴き声や、例える事が非常に困難な雄たけびなんかも聞こえてきた。

 

 その時の俺の気持ちが、分かるだろうか? 恐怖? 驚愕? 混乱? そんなモンじゃなかったね。

 

 まっしろだった。

 

 本当に、ただただ頭の中が真っ白だった。何せ、いつも通り適当に時間潰して、適当に風呂はいって。もそもそといつも通りベッドに潜り込んで目が覚めたら――薄暗くて判然とはしなかったが、壁も、天井も、床も、全部石で作られた廊下の、そのド真ん中だったんだ。

 

 ホラー映画なんかでもあるじゃないか、未知の怪物っての。あんなの未知でもなんでもないと思ったね。人間の恐怖って言うのは、ある程度理解できる範疇の中で出てくる感情だ。実際、ああいったムービーに出てくる化け物ってのは、そういう"不気味な物"ってカテゴライズで創作されてる。

 

 あー……例えば、君はいつも通り会社だとか、学校とか行って、家に帰って来たとしよう。じゃあ、最初にやる事は、扉を開けることだ。鍵がどうだとかこうだとかは、どうでもいい。君は扉をあけた。

 

 そこに死体が在った。

 

 バラバラでもいいし、首がない、足がない、手がない、程度でもいい。それは家族でも、親しい友人や恋人であってもいい。兎に角"死体だと一見して分かる物"があった訳だ。

 

 どうするかって言えば、呆然として、次には泣くだろうし、怒るだろうし、喚くだろう? なにかの感情が爆発するに決まってる。その後冷静になって君は警察なりなんなりを呼ぶ事だろう。でも、だ。

 

 扉を開けたら、まったく、全然、見たことも無い物があったら?

 

 怒るだろうか? 泣くだろうか? 叫ぶだろうか? いや、そんな事ないだろう?  賭けたって良い。君は、呆然としたままだ。だって分からないんだから。誰かを、何かを呼ぶなんて、そんな考えにすら至らないに違いない。

 

 ホラー系のムービーっていうのは、そういう事を踏まえて、常識的に考えて不気味なものをモチーフにして形にする。ゾンビなんか良い例だ。元人間。で、良い感じに形は崩れてくれて、そら、不気味だ。人型であってもいい、虫型であってもいい、なんにせよ、辿り着くのは人が理解できる形なんだ。

 

 なんか話がずれたんで、戻そう。

 

 兎に角、俺は呆然とした。理解できない事態だったからだ。俺の人生の中で、就寝中に誘拐されてこんな石作りの見た事も無い場所に置いて行かれる様なフラグはなかった。その筈だ。

 

 人間だ。誰からも恨まれず綺麗に生きてきました、なんて言わないし、もしそんな事を堂々と言える奴がいたら、それこそ狂人だけだろう。が、俺は狂人じゃない。

 

 呆然としたままだった。だから、気付けなかった訳だ。俺の背後で、今まさに手にした斧を振り下ろさんとする馬鹿みたいにでかい牛の頭を持つ化け物なんかに、まったく気付かなかった。そんな奴がすぐ側に居た事を理解できたのは――

 

「あ、熱ッ!?」

 突如背を舐めた熱さにやられて、振り返ってからだった。

 

 でも、正直そんな事はどうでも良かった。そうだ、どうでも良かったのだ。

 

 何せ俺はそこで――

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 その日、彼女らはいつもより長い時間そこを探索していた。先頭を歩む女性の持つカンテラに照らされた薄暗い石畳の、それも黴や苔が生え、場所によっては赤黒い染みや肉片らしき物がこびりついた床は様々な意味で長く歩くに適さず、鉄製の部分鎧に覆われた脚の裏から伝わってくる感触や風景、そして鼻に侵入してくる臭いは進むだけで彼女らの活力と士気を奪っていく。だが、それでも彼女らは足を止める事は無かった。

 

「なぁ、そろそろ戻っても良いんじゃないか?」

「駄目よ。今日のジュディア達の目標は1000Gでしょ? あと……えぇっと、130G、くらいね。たったのそれだけじゃない」

 

 一団の先陣を任された女性は、カンテラを前方に突き出したまま動かさず、首だけで背後に振り返る。そこに居たのは、前から二番目、腰に二振りの剣を携えた小柄な少女だった。その少女が、一度舌で唇を舐めてから言葉を続けた。

 

「お金ってのは大切でしょ? 稼げる時に稼ぐの。あなたが酒場でガバガバ飲むお酒だって、ただじゃないんだから」

 やれやれ、と小柄な少女が首を振って見せると、両サイドでリボンに結われた二つの髪の束も揺れて見せる。ツインテール。そう呼ばれる髪型だ。それを忌々しそうに睨んで、カンテラを持つ女が小さく舌打ちした。

 

 ――気に食わない。

 

 彼女は――エリィはこの小柄な少女が嫌いだ。彼女の自身を指す言葉、ジュディアというのがまず嫌いだ。自分でも、私でも、なんなら僕でもいい。なのに、どうして自分の事を名前で指すのか。

 

 それに、その小柄な体も嫌いだ。ショルダー、ボディ、アーム、レッグ、それぞれを覆う部分鎧はどれも華やかで女性らしいラインを描いた曲線形の物。今は鞘におさめられ腰に在る二振りの剣もショートサイズで、如何にも女性が扱う物だ。それも嫌いだ。だが一番嫌いなのは、顔だ。頭部には一切防具を帯びず、顔はむき出しのままだ。

 

 零れそうな大きな瞳も、つんと上を向いた小さな鼻も、薄い桃色の唇も、少女として理想的な形で、広い額の上にある金色の髪は絹のように煌き滑らかで、おまけに、髪型はツインテールと来たものである。

 

 ――どこにお姫様だ、この水呑み百姓の娘が!

 

 エリィは強く鼻で息を吐き、ジュディアの言葉に応えずカンテラの照らす進行方向へと視線を戻した。我知らず、溜息が零れた。高い天井や、それなりに広い廊下、壁を見ても、それらが苔やら赤黒い染み持つ石造りの無骨な物では、彼女の気が晴れる事は無い。

 

 と、その時不意に視界が狭まる。エリィは特に驚くことも無く、その元凶である物を空いている右手で戻した。

 

 ――くそ、こいつもうボロが来たか。

 

 自身の頭部を覆うそれを、彼女は忌々しく舌打ちする。フルフェイスヘルム。名の通り完全に頭部を覆う物だ。が、その分視界は限られてくる。なにせフルフェイス、の名に恥じず、その防御部分は顔の前面、口や鼻、目にまで及ぶのだ。そうなると自然、ただ歩くだけの場合や防御力を必要としない場合は、フェイスを守る部分はスライドさせてヘルム上部に待機させて置くのが基本だ。それが意図せず落ちてきた。どうやら、スライドさせる部分がへたってきているらしい。

 

「……」

 エリィはまさか他の部分も駄目になっていないだろうな、と自身の体を眺めた。

 腕、脚、胴体、腰、肩、それら全てを隠す金属の光りは、長い冒険を経ても今だ健在で、フルプレートアーマーの確かな安心感を与えてくれる。

 

 だから彼女は、顔を顰めてしまうのだ。

 ――これが、鎧ってもんじゃないか。これが、冒険者ってものだろうが。

 

 後方に控えるもう二人の少女達は良い。彼女達は後衛だ。軽装、大いに結構。それでいい。だが、自身の後ろを歩くジュディアは、エリィと同じ前衛なのだ。最大の弱点である顔を守らないとは、何事だろうか。目に向かって毒を吐くモンスターも居れば、サイト・キルのスキルを持つモンスターだって居る。呼吸器官を侵すキャスト・ジャミングのトラップも、麻痺製のガスを吐き出す小さな毒沼も、有り触れた物だ。それがこの世界の、この街に在る迷宮だ。

 

 ――せめて目を守る為に眼鏡くらいして……。

 

 想像して、それをやめる。ジュディアは小柄で、更に美少女だ。王侯貴族のご令嬢もかくや、といったそんな少女が、幼げなツインテールという髪型な上に眼鏡までかければ、もう駄目だ。

 

 ――くそ……こっちはまた身長も伸びて、筋肉まで分厚くなったってのに……。

 

 六つに分かれた自身の腹筋とまた太くなった二の腕や太ももを思い出して、エリィは小さく首を横に振る。そして、今はそんな場合じゃない、と自身に言い聞かせた。これ以上は気が滅入る、というのもあった。

 

 彼女はカンテラのさす先を注意深く睨んで歩き、その後ろを三人の少女達がついてく。と、エリィは無言で背に預けてあった愛用の得物――ツーハンドソードに手を伸ばした。ガントレット越しに伝わる大振りな両手剣の柄の手触りが、エリィに冷静さを染み込ませて行く。

 

「ジュディア」

「……えぇ」

 

 少しばかり右に脚を進め、そこでエリィは留まる。

 彼女の隣、左側にジュディアが現れ、彼女らの背後に控える二人に少女達もそれぞれの得物を手にして少しばかり腰を落とした。

 

「状況確認」

 エリィが呟くと、ジュディアが腰から剣を抜き、続ける。

「前方……そうね、200メートル以内に大型モンスター……数1……かしら」

 

 その言葉に、エリィが頷いた。エリィはジュディアが嫌いだ。だが、ジュディアが持つ双剣士としての力量と、彼女の持つエネミー・サーチのスキルまで否定しては居ない。エリィが持つパッシブスキル、マイナー・サーチは常備発動する物だが、その範囲は狭く、また詳細なデータを使用者に教える事は無い。が、ジュディアの持つエネミー・サーチはアクティブスキル、選択使用型のスキルではあるが、範囲が広くある程度有効な情報が拾えるのだ。だから先頭はいつもエリィで、エリィが指示を出した場合、こうやってジュディアが動くのである。

 

 幾ら前方に目を凝らしても、エリィの目は何も拾わない。ただ薄暗い先が見えるだけだ。それでも、ジュディアは言ったのだ。この先に居ると。

 

 ――なら。

 すべき事は、一つだ。

 

「……一気に攻めるぞ? 出来るよな?」

「当然。多分ミノタウロス辺りだろうから、亜種が来ても大丈夫でしょ」

「大丈夫です、お構いなく」

「了解」

 エリィの言葉に、ジュディアと、そして後衛二人が応えた。一つ大きく頷き、エリィは持っていたカンテラを後衛の少女に渡してから左手でフェイスを下ろし――大きく息を吸い込む。

 

 三秒、息を止めて。

 

「ぁぁぁ……ぁあああああああああああAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――ッ!!」

 

 雄たけびを上げた。既に声である事やめた様な、例えようのない音が迷宮の広く長い石畳の廊下に響き渡る。壁が、床が、響き渡る音に叩かれ振動し、天井からは声であった雄たけびに砕かれた石片が落ちてくる。

 

 そんな中を。

 

 エリィは凄まじい速度で駆けていた。彼女の全身を覆うフルプレートアーマーは速度の枷となる事も無く、頭部を――顔を隠すフルフェイスヘルムの視界の狭さも感じさせない、恐ろしい爆走だった。比較的敏捷力の高い双剣士のジュディアもかなりの速度で走るが及ばず、後衛二人にいたっては最早置き去りだ。鈍足で知られる重戦士に出来る芸当ではない。いや、人の身でかなえられる身体の現象ではない。

 

 エリィはそのまま走り、走り、走り。やがて狭い視界に飛び込んできた大型のモンスター――ジュディアの予想通り、牛の頭を持つ筋骨隆々とした大男、ミノタウロス――を一瞥して、大型モンスターに属する中でも、ホープキラーで有名な所謂小者だ、と分かっていながら手に持っていた両手剣を振りあげた。

 

「焼き尽くせ! クリムゾン!!」

 

 そして、ようやっとこちらに気付いたミノタウロスに、トリガーボイス付きでそれを振り下ろす。完全にオーバーキルだ。それも、分かっている。それでも、そうしたいのだ。

 

 紅が、剣身を奔る。仄暗い周囲が紅――炎に照らされて紅く染まった。稀に、武器には魔法が付加された物が在る。永遠に刃零れしない剣、斬った者を呪うナイフ、叩きつけた者を溺死させる大槌。エリィの手の中に在る両手剣は、それらと同類の物だ。

 

 世界創生、その時一度大地を焼き払った紅の炎、今は無きロスト・クリムゾン。その名を冠する宝玉剣ロスト・クリムゾン――それのレプリカである魔法剣ロスト・クリムゾンだ。15振りのみ生産されたそれを、人は多いと言うかも知れないが、世界中でたったの15振り、現存する物に限れば7振りと言えば、その価値は計れるだろう。

 

 トリガー・ボイスによって真の力を顕現した両手剣は、模したとは言えども、世界を焼き尽くした炎の一端を纏いミノタウロスを両断した。ミノタウロスは、断末魔を上げる事も無く、恐らくは自身がどの様に殺されたかも気付かずに、二つに分かれた。

 

 勢いの余り、石畳の床に深々と刺さった、今はもう炎の消えた両手剣を、んぎぎぎぎ、と女性らしからぬ声を上げてエリィは引き抜く。アクティブスキル、ハウリング・アクセラレータによって活性化した筋力と、さらにはトリガーボイスで真価を発揮したロスト・クリムゾンがあったからこそ、ミノタウロス両断を可能としたのだ。流石に常時、あんな馬鹿力を有している訳ではない。

 

「なによ、一撃? ジュディア達が走る理由ないじゃない」

「そうは言うがね、ミノタウロスではなく、上位種であるアステリオスである場合もあっただろう?」

 

 やっとエリィに追いついたジュディアが不満そうな顔で胸の前で腕を組む。それをやんわりと嗜めたのは、後衛の、フードを目深に被った少女だった。それから遅れること数秒、エリィにカンテラを渡された後衛の一人がやって来る。それを見届けてから、エリィは背に両手剣を戻した。

 

 ――あぁ、スッとした。

 

 不必要な火力だと分かっていながら、それでもそこまでやった理由は、イライラしていたから、だ。気の晴れた顔でフルフェイスヘルムの前面部を上部へとスライドさせてから、エリィは――ふと、地面を見た。

 

「……え?」

 

 間の抜けた、そんなエリィの声につられたのか。カンテラを持った少女が、それを腕が許す限り前へと突き出し。照らされたそこには、両断され炎に焼かれ灰へとなって行くミノタウロスの死体と。その死体から五メートル程離れたところに、呆然とした顔の少年が一人いた。

 

 エリィ、そしてジュディアを含めた少女四人の視線が、一人の少年に集中する。だが、誰も口を開かない。エリィは前衛を任せる戦士としては優秀だが、こういった不測の事態にはとことん弱く、後衛二人は男嫌いと人見知りだ。となれば、こういった場合口を動かす役目は、余った者がやるしかない。この少女4人のパーティの交渉役、ジュディアである。彼女は出来るだけ友好的な笑みを浮かべて、今だ腰を上げぬ少年に話しかけた。

 

「えぇっと……大丈夫? あなた、どこのパーティの人? それとも……」

 どこかの冒険者のパーティの一人、または生き残り。そう思うのは自然な事だった。

 

 ここは自由都市ヴァスゲルドにある迷宮の一つだ。更に言えば、その迷宮の下層部である。流石に最下層、とまでも行かないが、ここに辿り着くにはそれなりの力量を要求される。ならば、そこで人間である誰かと出会ったなら、同業者、或いは元同業者と考えるのが自然な事だ。

 

 だが。誰もそうは思わなかった。どこのパーティの人か、と声を掛けたジュディアですら、そんな事は思っていなかった。相は笑みで在ろうとも、彼女の手はいつでも腰にあるショートソードを抜けるように開かれ、腰も落してある。

 

 ――おかしい。

 

 ジュディアはそう思った。エネミー・サーチにこそ掛からないが、瞭然たる異常だ。彼女は少年を注意深く眺める。中肉中背、黒髪に……黒い瞳だろうか。カンテラに頼らなければ50メートル先もまともに見えない薄暗い世界では特定出来ないが、それでも不自然さは一見すれば嫌でも分かる。形がおかしい訳ではない。ただの標準的な人間だ。髪や目がおかしい訳でもない。黒色の色素など、当たり前に有り触れている。

 

 ――じゃあ、なにがおかしい?

 自問に、自答する。

 

 ――こんな装備で、ここまで来れるわけが無い。少年の装備――服装はジュディアが見たことも無い物であったが、異様と言う程の物でも無い。違う都市の、違う大陸ならばあるかもしれない、といった程度のシャツとズボンだ。だが、それはこの迷宮下層部において、絶対にありえない服装だ。

 

 もしこんな服だけで迷宮の下層部まで来られるのであれば、ジュディアはそうしていただろう。彼女は生まれこそ過疎の一途を辿る貧しい村であるが、その容姿はまさに神から与えられた物だった。大きな瞳も、広い額も、どんなに陽の光を浴びても染み一つ出来ない白い肌も、流れる金色の髪も、小柄ながら均整の取れた体も、全てが宝石で出来たように美しく、また愛らしいのだ。そんな彼女が容姿を糧にした職業に就かず冒険者をやるのは、貧乏な実家に原因があるわけだが、その辺りの詳細は今は良いだろう。

 

 彼女は、ジュディアは自身の容姿の価値をよく理解していたし、またそれを損なうことを良しとはしない。だからこそ、彼女は美容に人一倍気をつけ、たとえ冒険者になろうとも美しく在ろうとした。

 

 前衛系冒険者御用達のフルプレートアーマーを嫌い、まだ、どうにか、ぎりぎり美しいかもしれない、といった部分鎧で身を包んだ。当たり前だ。機能優先、無骨さだけの鎧等纏えたものか。部分鎧でさえ、彼女にとっては妥協なのだ。ドレス一つで迷宮を歩めるならば、それだけの実力を有していたなら、彼女は間違いなくそうしただろう。

 

 だが、現実はそれを許さない。ドレス、それも宝石を散りばめた貴族的なドレスを買うだけの蓄えを持ち、冒険者としてそれなりの力を得た現在でさえ、彼女は鎧を脱がない。

 

 迷宮をドレスで歩けば、死ぬからだ。

 

 モンスターの持つ爪、牙、または剣や斧といった武器が振るわれれば、鍛え上げられた戦士の肉体を持ってしても無傷ではすまない。さらには、その爪や牙、武器に毒や麻痺などの効果も持つ物も居る。ならば当たらなければいい、そう思うかもしれない。だが、この迷宮と言う世界は薄暗い世界なのだ。奇襲もあれば、目に付き難い罠もある。それらに対処する為には、どうしても当たった場合、を想定するより他無いのだ。非力な後衛職でも、バックアタックやトラップを恐れて簡単な皮鎧程度は着込む。碌に筋力も無く、重い重いと零しながら、だ。現に、ジュディアのパーティの後衛二人も、そうなのだ。

 

 故に。

 ――在りえない。

 

 そう、在りえない。迷宮下層に、ふらりと、まるでベッドから起きがってトイレに行く程度の服装で、居るわけがないのだ。居られるわけがないのだ。

 

 それでも、ジュディアは笑みを浮かべたままだった。瞳に浮かぶ観察者としての冷静さをどうにか隠し、情報を多く拾おうとする。

 

 ――人型のモンスター?

 

 いない訳ではない。むしろ迷宮には、人の脳に寄生し体を乗っ取り操る蟲型のモンスターが生息しているし、極々稀にではあるが、冒険者を襲う事に味を占めた元冒険者という厄介な存在も居るには居る。が、呆然とジュディア達を見つめる少年の目は、賊に身を落とした冒険者特有の濁った目でもなければ、意志を奪われた人形、といった物でもない。そして彼女は、どうでも良い事に気付いた。

 

 ――一度も目が合っていない。

 

 自身――ジュディアと少年の目が、一度も、だ。では、少年は果たして誰を見て呆然としているのだろうか。二つに裂け、いまや灰となったミノタウロス?

 いや、少年はそもそもそれに気付いてない様子だ。では後衛二人? 確かに後衛の一人――フードを目深に被った少女の顔は酷く特徴的だが、そのフードによって今はその顔も隠されている。

 

 では――

 

 そこまで思考したジュディアを、少年の如く呆然とさせたのは、思考する原因となった存在の発した小さな呟きだった。

 

「……き、綺麗だ」

 

 呆然とした。ジュディアは少年の目を、口をあんぐりとあけて凝視する。少年の目には、美少女として有名な自身ではなく、後衛二人でもなく――

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 でも、正直そんな事はどうでも良かった。そうだ、どうでも良かったのだ。

 

 何せ俺はそこで――女神様に出会ったんだ。いや……ごつい鎧を着込んでいたから、戦乙女かな?

 

 それが俺の、"異世界"一日目だったんだ。




 ダンジョンとか冒険者とか題材にしたら僕の中の14歳が問答無用で暴れだしたでござる。

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