題名のない迷宮会   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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日常編、開始です。


いくたりがふれようか
第12話


 目が覚めると、いつも彼は――

 

「あぁ、くそったれ、今日もしけた面ぁしてやがる」

 バズはそう言う。短く刈り上げた茶色の髪を乱暴に掻き回しながら見るその先は、布に包まれた巨大な何かだ。シーツを払いのけ、寝巻きを脱ぎ、ベッドを降りる。ギシギシと音が鳴るのは、木製のベッドが古いからではなく、バズの体が単純に重いからだ。

 朝の冷たい空気に傷だらけの体をさらし、筋肉に覆われた体に常の地味な普段着を着込みながら、バズはゆっくりと歩み、その布に包まれた巨大な物に近づいていく。そして。

 

「あぁ、そろそろおやっさんに見せねぇとな、おまえ」

 軽く、拳で叩いた。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

「おはよう、おじさん?」

「おはようございます」

「おう」

 

 タオルを首に巻き、厨房に置かれた小さなテーブルに朝食を並べる自身の姪、タリサと、椅子に座って眠そうな顔のまま朝の挨拶をしてくる男に、バズは手を上げて応える。そのまま流し台で顔を洗おうとする彼に、

 

「おはようございます、バズ様」

「……」

 タリサを手伝いながらテーブルに皿やコップを置くメイドが二人、見事な一礼を見せた。

 

「お、おう……」

 場違いな、小さな宿屋兼酒場にはまず不似合いなその二人に、バズは僅かばかり頬を引き攣らせて先程と同様に応じる。バズの雑な返事に、メイド達は何を思う様子も無く、タリサを手伝い、それを終えるとそれが自然、と言わんばかりに男の背後に歩を進め、両人共に目を伏せ、静かに佇む。

 メイド姿の麗人二人が、場所は宿屋兼酒場、佇むは厨房の小さなテーブル、そこに座る男の二歩後ろだ。どう見ても、考えても、場違いである。まず無理が在る風景だ。

 

 ――どこのお貴族様だ、坊主。

 

 そう声を掛けそうになる度、バズはその言葉を飲み込んだ。軽い冗談で言うにしては、場所はともかく、メイド達は余りに"それらしく在りすぎる"し、何よりメイド達を傍に置く男が、目で何も言ってくれるなと語っているのだ。

 自身の城がどう変化しようと、それが悪い方向ではない限り、バズとしても特に言う事はないのだから、まぁいいか、程度に思う事にした。受け入れ難い、という事実は分からないが。

 だが、それでもやはり言うべき事はある。

 

「なぁ、おまえら。本当にいいのか?」

「……いつもの話でしたら、いつも通りの返答で御座います」

 バズの言葉に、白いメイド――ミレットは目を伏せたまま返し、隣に佇む黒いメイド――ウィルナも同じ様に、目を伏せたまま小さく頷くだけだ。その二人の態度に、バズは口をへの字に曲げ、指で頬をかきながら男を見た。

 どうなんだ、それは。といった意味を乗せた視線に、男も気付いたのだろう。

 

「良いんじゃないんですか、本人達も、そう言ってますし」

 バズに目で問われた男は、素っ気無く言い放つだけで、特に何をするという素振りも見せない。他人に対して迎合的な、或いは弱腰で受け入れがちな男にしては、冷たい対応である。

 

「まぁ……お前らがそれでいい、ってんなら、俺としても……良くはねぇが、納得はしとくがな」

 などと言っては見ても、バズが納得していないのは明白だ。彼女達、メイド達二人がここに来て以来、一週間近い間、毎朝口にしているのだから。

 

 バズは軽く溜息を吐き、流しに置かれた桶から水を掬い取り、顔にぶつけた。冷たい水が意識を覚まし、眠気を飛ばしていく。さぁ、今日もまた、命をかけて迷宮にもぐる冒険者達の面倒を見る、そんな一日の始まりだ。

 そんな事をバズが考えたと同時に、厨房の向こう、客、つまりは冒険者達が屯するフロアから物音が聞こえた。今は早朝だ。そこにはまだ誰も居ない筈であったが、どうやらいつもより早くに出てきた者が居たらしい。

 

「おーい、いつもの頼むー」

 バズの店で一番の腕利きグループ、そのリーダー、ヒュームの声だ。

 

「なんだ、いつもより早いじゃねぇか」

「今日も朝の早くから仕事だ。ミックスのミックスが出たって話が在ってな。しかもそいつ、早朝が活動時間らしいんだよ」

 カウンターからバズが顔を出すと、フロアのテーブルに一組、四人がテーブルに座っていた。彼らはメニュー表を見るでもなく、鎧を着込んだまま椅子に腰掛け、各々、頭を下げたり、手を上げたりとバズに挨拶する。その姿に、バズは鼻から小さく息を吐き、

 

「面倒な仕事ばっかりやりやがる」

「それが仕事ってもんさ、だろう?」

「言いやがる」

 目を細めて笑った。事実、そうだ。冒険者の中でも、特に成功するタイプが、このヒュームの様な者達だ。面倒な仕事を率先してやる冒険者は、挫折に対して強くなる。苦しい、という事を良く理解し、経験した者ほど上へとのぼり易い。

 

 自身はどうだったか、等と過去に思いを馳せ掛けたが、視界の端で動いた白と黒がそれを遮った。

 

「コーヒー、オレンジジュース、大和の濁り茶、エール、で宜しかったで御座いましょうか」

「あ、あぁ……」

 一瞬の隙をついて、というのも可笑しいのだろうが、まさにそう思わせるほどの早業で、メイド二人がヒューム達に給仕を始め、あっさりと終えた。楚々と一礼してから、持ってきたトレイからコップを取り、優雅にそれぞれの前に置き、最後にまた一礼して去っていく。

 戻る先は、やはり男の二歩後ろだった。

 

 バズはその一連の動きに胸中で感嘆の溜息を零し、ヒューム達は目を白黒させて身動ぎ一つしない。美人に給仕をされれば、鼻の下を伸ばしただらしない笑顔でも零れそうなモノだが、接するそれが人の範疇に無いほどの麗人となれば、固まってしまう物らしい。

 一週間近く、これが為されているというのに、未だ誰も馴染めず、未だにバズは驚嘆し、故に口から出るのだ。

 

「いや、おまえら。これはやっぱり給金いるだろう」

「必要御座いません」

「御座いません、ってなぁ、使っといて金は出してません、じゃ通らねぇだろうがよ?」

 バズのその毎度の言葉に、メイド達は目を伏せたまま、こちらも毎度の言葉で応じる。

 

「私達の主は旦那様ただお一人。旦那様以外から手当てを頂くなど、どうして出来ましょうか」

 

 ――あぁ、また毎度の通りか、これは。

 そう胸中で呟けど、この店の主として譲れぬ所がバズにはある。この流れが、メイド達がここに来て以来繰り返される、毎朝毎度のそれだとしても、彼は口を動かさなければならなかった。

 

「じゃあ坊主。給金を受け取るように、こいつらに言え」

「……ウィルナ、ミレット、ちゃんと貰っとけ」

「旦那様のそのお言葉こそが、私達の糧。これを手当てと頂きましたる以上、何ほどを望みましょう」

 メイド二人は、男の背後で恭しく頭を垂れた。常々、表情筋が息をしていないのではないかと言うほど無表情なメイド、ウィルナとミレットが、こういった時だけは頬を紅潮させて、僅かばかり開いた両の目が歓喜で潤むのである。

 これが毎度毎度のやりとりの中で見られる相だと言うのに、バズには酷く心臓に悪かった。

 

 メイド二人の過ぎたる艶に当てられた貌を、姪に冷たい目で見られるという羞恥以上に、そのメイド二人を背後に侍る男の相が、

 

「……勝手にしろ」

 苦々しく歪んでいるからだ。照れ隠しでもなんでもない。心底から出た真情の言葉だ。バズとしては、その相の方が酷く心臓に悪い。

 何か欠陥を抱えた人間だと、どこか違った人間だと主張してしまうその部分が、バズの中の在る男の姿を歪にしてしまうからだ。健やかにあってほしい、などと思うのは、男親の気持ちなのだろうが、バズは間違いなくその気持ちを有している。

 

 ならば憂いを排除すればいいのか。では憂いとはなんだ。

 

 自問自答は、しかし男の背後で目を伏せたまま立つメイド二人の姿にかき消される。無理だからだ。それが無理だからだ。例えば、バズの手に得物があり、現役当時の、それも最高のコンディションだったとしても、先にやられると彼には理解できた。いやと言う程理解できた。

 ジュディアの言葉がどこまで本当か等、どうでもいい事だ。メイド二人の細腕も、どうでもいい事だ。優雅、楚々、艶然。

 全てが全て、どうでもいい事だ。

 

 バズの中に在る、冒険者として培った本能が警鐘を五月蝿いほどに鳴らす。相対すれば、死ぬ。構えれば、死ぬ。得物を手にした瞬間、死ぬ。何もかもが、無意味だ。

 死ぬという事だけが、事実だ。

 

 未だ固まったままのヒューム達を一瞥し、バズは腕を組んだ。

 バズの酒場に居る中で、一流に一番近い連中だ。超二流、とでも言うべきか。そんな連中でさえ、苦しいという事を経験し、理解している連中でさえこのざまだ。

 メイドとして、女として完璧なそれが、

 

「旦那様、頬に汚れが御座います」

「近寄るなハンカチを近づけるなにじり寄るな這い寄るなっていうかウィルナッ」

 或いは男にハンカチを持ってガバディガバディと言いながら這いより、或いは男の背に回って押さえつけている。眩暈を覚えそうな絵面だ。

 いや、バズは実際自身の視界が歪むのを自覚した。

 

 ――俺はこれを警戒したのか。

 

 冒険者として培った本能も警鐘鳴らしまくりであった。その珍態を露にするメイド二人相手に。

 バズはゆっくりと組んでいた腕を解き、肩を落としながら自身がいつも座る椅子に腰を下ろし、目の前に置かれたコップに手を伸ばす。と、隣に座るタリサが、くわえたままのスプーンを数度揺らし、それを右手で掴んでバズに突きつけた。

 

「行儀が悪いぞ、タリサ。兄貴に言いつけてやろうか?」

「叔父さん、そりゃかっこ悪いさ?」

 この歳になって言いつける、は確かにそうだが、この姪は叔父の言う事などどこ吹く風だ。飄々とした部分は、間違いなく母親似である。そりゃあ兄貴も俺に放り出すわなぁ、とバズは胸中で笑った。何せバズの兄は、嫁にはとことん弱かったのだ。当然タリサにも相当弱く、そのせいでこうなってしまったのだろう。

 どうでもいい事を納得して、一人なるほどと頷くバズに、タリサはスプーンを突きつけたまま口を開いた。

 

「あの子の事だけどね?」

 小さな声で囁くタリサの、あの子、という言葉に、バズは一瞬誰だ、と迷ったが、話の流れから多分男の事だろうとあたりをつけた。だとしたら、あの子呼ばわりするほど、タリサの中では男は幼いという事になる。いや、タリサの中でも、だろうか。

 バズが知る限り、幼児扱いはこれでエリィを含めて二人目だ。案外ヒモなど似合っているのかもしれない。

 

「ウィルナさんとミレットさんは、丁度良いと思うんだ、私はさ?」

「……どういうこった、そりゃ?」

 バズの想像は正しかったらしく、あの子とは男の事だった。ウィルナ、ミレット、思うところは同じだったらしく、バズは姪っ子の目をじっと見つめる。

 

「あの子の欠けた部分は、きっとあの二人なんだよ……だから叔父さん、あんまりさっきみたいな目で見ないでおくれよ?」

「……」

 タリサの言葉に、バズは目を細め、手にしていたコップを口元まで運んだ。口に含み、嚥下するコーヒーは苦い。冒険者時代の癖だろう、未だに朝は多く食べない彼の前に置かれた皿には、少量の料理しか盛られていない。

 本能の警鐘のままに人を見れば、それは当然鋭い、観察する目となるに決まっている。それを日常に、男の前に持ってくるなと、タリサは言う。バズはコップをテーブルに置き、頬を拭き満足げに、それでも無表情なまま頷くミレットと、男の身を離して再び背後に何事も無く佇もうとしているウィルナと。

 

「あぁくそ……どいつもこいつも、なんで俺にハンカチで襲い掛かる……エリィといいお前らといい……」

 愚痴を零す男を見た。らしい相だ。歳相応、とはいえない、稚気を含んだ貌だ。そこにはいつもの男の顔が在る。いつぞや、気持ち悪いと冷たく言い放った、その時の表情とは大きく違った物だ。

 

「……なれりゃ、いいんだろう、タリサ?」

 バズの言葉に、タリサは頷いた。男だ。男親は、感情の機微にはどこか鈍い。

 反面、女というのは早くから母性を持ち、感情の機微に鋭くなる。欠陥があると悟れても、なにが、どこが男の欠けた部分であるのか、バズには判然としないが、タリサには分かる事なのだろう。

 だからバズは、もう一度呟いた。

 

「あぁ、馴れるなら、為ってやるさ」

「あぁ、それはそうとバズ様。このお店ですが、殺風景ですので多少装いを変えてしまっても宜しいでしょうか。サンプルとして、レースのカーテンや白い花柄のテーブルセット等を既に用意させて頂きましたが」

「……」

 馴れるのだろうか。いや、無理ではないだろうか。

 ミレットとウィルナが広げる、どこから取り出したのか分からない花柄のそれを目に映し、バズは唸りながらタリサをもう一度見た。

 彼の姪っ子は、知らぬといった相でスプーンをくわえて揺らしていた。




なろうにも連載したらどうですか、と言ってくれた方が居られましたが、ハーメルンだけと決めておりましたので、お言葉とお気持ちだけ、ありがたく頂きます。このサイトが好きなので、こちらだけで頑張りたいと思います。申し訳ありません。

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