題名のない迷宮会   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第16話

 ヴァスゲルド中央区の奥、狭く煩雑とした路の先に年季の入った建物がある。

 木造の一軒家。看板はどこにも無く、それがなんであるのか判然とさせない。朽ち果てた廃墟にしか見えないそこからは、しかし確かに音が響き、声が漏れている。

 それは鉄が鉄を打つ音と、鋼の様な声だ。そして、

 

「……なんだ、リーヤか」

「どもですおやっさん!」

 

 稀に若い少女の声も混じる。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 冒険者未満の冒険者、ゴミ漁りのリーヤはその日、この知る人ぞ知る、と言う店に顔を見せた。身に纏うはただのシャツ、皮製のベスト、同じく皮製のズボンだ。スカートを好まない彼女は、中古の安鎧を着込まない日は、大抵こんな服装である。

 

「今日はなんの用だ?」

「あぁいつものこれお願いします」

 リーヤは手に持っていた片手剣を鋼のような声の主に渡し、ポケットから小さな袋を取り出した。それも、と渡そうとする前に、おやっさんと呼ばれた男――いや、老人は首を横に振った。

「仕事が終わってからだ。待ってろ」

 声同様、余計な物等削ぎ落とした、と言わんばかりの態度だ。喧嘩っ早いリーヤにしてみれば、こんな態度を取られれば拳の一つでも見舞いしてやるのだが、流石に相手が相手である以上、大人しいものだ。なにせ相手は、

 

「すぐにやった方が良さそうだな」

「はい明日にも潜る予定なんで早めにお願いします!」

「……ふん。そこに座って待ってろ。すぐ打ち直してやる」

 

 バズに紹介された鍛冶屋だ。

 おやっさん、と呼ばれた老人は、リーヤが粗末な木製の椅子に座ったのを見てから、壁に立てかけてあった槌を手に取り、二度三度と振ってリーヤの剣を目を細めて眺める。

 

「……壁に何度かぶつけたな? 反りが無茶苦茶になっとるぞ」

「えー……そのなんといいますかわかるもんですか?」

「……ふん」

 

 リーヤの言葉に応えず、老人は確りと伸ばした背をゴミ漁りの少女の目に見せて、隣の部屋へと消えていった。

 老人とは言っても、その姿は実に矍鑠たる物だ。髪と髭はすべて白く、貌に刻まれた皺は亀裂のように深いが、腰はまったく曲がっておらず、腕などは丸太のように太い。流石にバズより二回り程小さい体格だが、それでもこの老人の顔から見る年齢を考慮すれば、十分すぎる体躯である。

 

 立て付けの悪い扉が閉じられ、数秒後、そこから聞こえてきたのは鉄が鉄を打つ音だ。

 リーヤは老人に渡す予定の小さな皮袋、中に入った硬貨の重さを確かめながら、溜息を吐いた。 少なくは無い金額だ。これだけの金額があれば、やり方によっては一日遊べる。洒落た服に興味などなくとも、彼女は結局未だ歳若い少女でしかない。剣を打ち直すよりも、遊びに時間と金銭を消費したいのは、仕方ない事だ。

 だが、打ち直す事に金銭を使う事もまた、冒険者として仕方ない事だった。

 

 武器――得物は冒険者の命だ。

 文字通り、命なのだ。迷宮を潜る際、何が彼ら彼女らを守るかといえば、仲間と得物だけだ。背を任せるに足る仲間は必要不可欠であり、その仲間と自身を守る為に必要な物は、信頼に足る得物である。

 手入れを怠ったが為に切れ味が落ち、それが故に仕留められたモンスターから反撃を受け、利き手や仲間を失うなど、決して在ってはならない。

 鎧等は自身でも油をさし、螺子を巻き凹みを叩けばどうにか出来るものだが、武器だけは自身の手だけでは不完全だ。それに自分の命、そして仲間の命を任せる事が出来るか、と自問すれば、諾と容易に頷ける筈も無い。まっとうな冒険者なら、頷ける筈が無い。

 だからこそ、リーヤの様な一日の上がりが少ないゴミ漁りであっても、少なくは無い金銭の消費は、仕方が無い事なのだ。

 

「とはいえこれがあれば美味い飯が食えるのになぁ」

 リーヤは額に手を当て、小さく息を吐いて周囲を見回した。ぼろい上に、広くは無い。むしろ狭い一室だ。

 その室内の壁に立てかけられた、また無造作に床へと置かれた、また棚に仕舞われたそれを目にして、

 

「……すげぇなぁやっぱ」

 目を輝かした。

 そこに在るのは、あの老人の手によって生み出された武器達、そして打ち直された得物達だ。冒険者の数だけそれがあるのなら、この一室にあるそれらは氷山の一角に過ぎない。

 それでも、ここには数多の武器が在り、その武器達に刻まれた多くの冒険者の日々が見えてくる。

 大振りの両手剣、豪快な片手斧、簡素な槍、美麗な片手剣。様々な得物達がそこにある。その中にぽつんと座る自身を、リーヤは恥じた。

 その得物を手にした冒険者達の日々――歴史を見たのなら、当然だろう。見たと勘違いしただけだとしても、見たと感じた事は事実だ。それらに囲まれ、美味いものが食いたいと言った自身は、その時点で恥ずべき存在だと彼女は思ったのだ。

 

 老人に手渡した片手剣を脳裏に浮かべ、リーヤは俯く。

 この中のどんな得物よりはっきりと劣る、その程度の物だ。だが、最初は誰もがその程度を手に持って冒険者になる。稀に、彼女の先輩であるエリィの様に、実家から優れた逸品を持ってくる者も居るが、やはり殆どは粗悪品から始まる。

 そして粗悪品はいつか折れ、次の得物を探す日がやって来る。その時、

 

 ――私はどんな武器を持つのかなぁ。あぁいやもしかしたら更に悪い物しか買えねーかも……でもやっぱ手にするなら……

 

 いつか自身も、こんな優れた得物を手にして迷宮へと赴くのか、と目を輝かせたまま周囲を見回してたリーヤの耳を、音が打った。扉の開く音だ。先程まで鳴り響いていた鉄の音も絶えている。

 もう終わったのか、と思い椅子から腰を上げた彼女の目に飛び込んできたのは、老人ではなく

 

「あら、リーヤじゃない」

「あジュディアさんどもです」

 この鍛冶屋の入り口で、少しばかり目を丸くして自身を見るジュディアに、リーヤは軽く会釈をした。

 周囲を見回しながら狭い一室へと入ってくるジュディアの姿を、彼女はなんとなく眺める。いつも通りのツインテールに、美少女然とした貌、そしてそれに良く似合った白いワンピースと、洒落た服装だ。腰にある小振りのナイフは護身用だろう。

 この町を歩く姿としては少々心許ない姿であるが、良く見ればワンピースの下は薄い皮製の肌着だ。美しく在りたい、と思うジュディアなりの装いなのだろう。

 

 しかし、得物も持たずに鍛冶屋になんの用事なのだろうか。リーヤは、まさか護身用のナイフを研ぎに来たのかと思いながら、口にして見る事にした。

「えーっと……ジュディアさんもおやっさんとこに武器の打ち直しをしに来たんですか?」

「私? あぁ違う違う」

 小さな顔の前で手を振るジュディアの姿を見て、リーヤは、おや、っと首を傾げた。そのリーヤのなんとも少女らしい姿に気付かず、ジュディアは苦笑を浮かべながら、

 

「なんか色々あったからさ、私もそろそろ武器を新調しようと思ってぶらぶらしてたんだけど、良いのが無くてねぇー、おやっさんに打って貰おうかなって――いや、あんたなんて顔してるのよ」

 やっと彼女の相に気付けたのだろう。きょとん、とした相から一変し、なんとも言えぬ、苦い物を口にしたようなリーヤの表情を双眸に映しながら、今度はジュディアが首を傾げる。

「あのジュディアさん気付いてますですか?」

「なによ? あとあんた、偶に言葉おかしいわよ?」

「いや私の事は兎も角として……ジュディアさん私って言ってますですよね?」

「……? 私の事なんだから私でしょ……? ん……あれ?」

 それがなんだ、と言った顔で応えるも、一転しておや? っとジュディアは腕を組んで俯き、自身の下唇を親指と人差し指で軽く掴んだ。

 ジュディアは、自身の事をジュディアと呼んでいた。リーヤはそう記憶している。しかし、今リーヤの前に居るジュディアは、自身を私と呼んでいた。

 リーヤの目の前でジュディアは数度下唇を揉み、小さく呻ってから顔を上げて口を開いた。

 

「……いつから?」

「いや私ここ一週間近くジュディアさんと会ってなかったんで知りませんけどもですね」

「……あぁ、最後に会ったの、もうそんな前かぁ」

 再び俯き、人差し指で額を叩き出したジュディアを、リーヤはただ眺める。二人が最後に会ったのは、バズの店でリーヤが仕事をした、名無しの男とリーヤが出会ったその日である。それ以降会っていないのだから、ジュディアの変化など分かる筈もない。

 

「まぁ、良いじゃない。私は私だし」

「まぁそうですよね」

 実際、どうにもならない話だ。気が向いたらエリー達に聞いてみれば良い事だし、と小さく零したジュディアは、首を軽く揉みながら周囲を見て、溜息を吐いた。何か疲れたような姿に、リーヤはなんとなく居心地の悪さを感じ、どうにかこの空気を払拭しようと試みた。

 

「あー……武器新調するってなにかあったんですですかね?」

「ですですってあんた……いや、なんて言うか、そのまぁ、ちょっと迷宮で変な事があって、多少無理しても良いの持ったほうがいいかなぁーって」

「なるほど……そういえば最近迷宮おかしいって話がありますよミックスのミックスが増えたとか私が泊まってるとこにいる……ガイラムさん達もなんかそこじゃ出会わない筈のモンスターを見たとか」

「……あれといいそれといい……どうなってるのよ、迷宮」

 リーヤの言葉に、ジュディアは心当たりがあるらしく、目を伏せて深い溜息を零した。

「……なんかありました?」

 リーヤのそれに、ジュディアは応えず、首を弱々しく横に振り、無理矢理常通りの相を作り、

 

「おやっさんは?」

「あっちです」

 未だ返答待ち、といった相のリーヤが指差した方向へと目を向けて、ジュディアは口をへの字に曲げた。次いで、鉄が鉄を打つ音が彼女達の耳に飛び込んでくる。先程まで、ジュディアが入ってきた辺りから鳴って居なかった音だ。恐らく、片手剣の様子を見ながら打っているのだろう。

 

「仕事中かぁ……長そう?」

「んー……私の片手剣を打ち直してる所ですからそう長くは無いんじゃないですかね? 正直数打ち以下の得物だから手間隙かからんでしょあれ」

「みんな最初はそんなモンよ。私だって最初はもう、酷いの持って迷宮に行ってたんだから」

 ジュディアがシニカルな笑みを浮かべて言い終わると同時に、音が再び止み、そして奥の一室へと続く扉が開かれた。

 当然、出てきたのは老人だ。彼はリーヤに歩み寄り、手に持っていた片手剣を無造作に突き出した。

 

「悪いモンでも、大事に使え。これはお前の今を語るモンだ」

「は、はい!!」

 恐縮して何度も頷き、突き出された片手剣を受け取るリーヤを一瞥してから、老人は肩を叩きながらジュディアを睨みつけた。

「で、お嬢ちゃんはなんの用だ?」

「相変わらず、私には冷たいわよね……おやっさん」

「ふん」

 老人は鼻で息を吐いて、ジュディアの腰辺りを見て舌打ちした。

 

「お嬢ちゃん、俺は鍛冶屋だ。得物を持つに相応しい者とそうでない者を区別するのは、仕方ない事だ」

 鋼のような声で、老人はそう言った。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 適当にあしらい、結局武器など売らず、頬を膨らませて大きく足を鳴らしながら出て行ったジュディアと、それを宥め、こちらに頭を下げて出て行ったリーヤを思い出しながら、老人は息を吐いた。

 時代が変わったのか、それとも自身が古いのか。

 ――あぁ、後者だ。

 

 自覚はあれど、それを変えようと老人は思わない。こうやって続けてきた。こうやって受け継いできた。その技術が、信念が、ジュディアの様な存在を認めさせない。

 昔、自身の師匠を、偏屈な頑固爺そのままだと笑った日々が、遠く懐かしい。

 過去を懐かしむほど老いてはいない、と老人は首を横に振り、気分を変えようと自身のお気に入りである銀製のパイプを懐から取り出し、くわえた。

 老いては居ないも何も、どう見ても老人である。あるが、老人であると自身ではまったく思っていないのがこの老人だ。いや、世の老人は殆どこれだ。

 自分で爺だ、なんだと言いながら、他人がそれを言うと顔を真っ赤にして怒る、またはへそ曲げる。扱いにくい事この上ない。だが、それも一種の愛嬌だろう。

 愛すべき老人が世に多く居ると思えば、偏屈も頑固もなんとか我慢できるものだ。

 

 そして、そのなんとか我慢している男が、パイプをくわえたばかりの老人が構える、廃墟同然の鍛冶屋へと入ってきた。

 

「おやっさん、生きてるか」

「……なんだ、馬鹿坊主」

 バズである。

 そのバズをして、筋骨隆々とした大男をして、この老人は馬鹿坊主と呼んだ。心底、そう思っているといった声音だ。

 

「馬鹿坊主ってな、おやっさん……俺ももういい歳なんだが」

「馬鹿は馬鹿だ。俺が新調してやった片手斧、お前どうした?」

「……」

 それを言われると、バズも弱い。なにせバズはそれを折ったのだ。しかも、新調したその日に。

「まぁ、んな事もあるさ」

「この馬鹿坊主が」

 老人からすれば、バズも坊主なのだろう。ゴミ漁りの頃から知っているのだから、いつまで経っても坊主扱いだ。もっとも、この老人からすれば、

 

「粗悪品の斧は嫌だ、もっと良いのが振りてぇ、ぴーぴー泣いてた馬鹿坊主が、今じゃ冒険者に教える立場か。ホイザーといい、お前といい……時代だな」

 この都市にいる冒険者、また元冒険者の殆どは坊主で小娘だ。

 

「いいじゃねぇか、時代。流れていくなら、進むんだろうさ」

「下がっていく馬鹿も居る」

 老人は、バズの腰を見た。そこには、大振りの片手斧がある。それを見て、老人はくわえていたパイプにポケットから取り出した煙草を詰め込み、火打石を近づけて数度打った。

 散った火花で火が灯り、パイプから煙が立ち上がっていく。

 天井へと消えていく煙を見届けて、老人はパイプを口から離した。

 

「最近じゃ、腰にまっとうな得物を帯びない馬鹿がいやがる。お前は、そんな風に教えてるのか?」

「昔ほど物騒じゃねぇさ、おやっさん。それぞれ、だ」

 そう言うバズの相は、口ほどに肯定的な物ではない。彼自身、思う事は在るのだろう。

 

「大和の剣士ほど、魂ってもん扱いで得物を大事にしろと言わん。だがな、馬鹿坊主」

 老人はバズを睨んだ。亀裂の入った相貌の奥で光る眼光は、かつて一流と称えられたバズでも身構えさせるほど強烈だ。

 

「信頼、信用、命、だ。そういった物の上に置いて、尚、得物だ。できねぇ奴は、冒険者じゃない」

 その言葉に、バズは頷く事しかできない。一つの武器に拘るのも良いだろう。だが、それが失われてもまた新しい武器を手に持って走ることが出来て当たり前だ。それが出来ないのなら、冒険者を続けるべきではない。

 そしてそれ以上に、

 

「馴染ませる事を怠るなんざ、ないぞ」

 手に、体に。日常を通じて、それは行うべき事だ。得物を腰に下げて歩くだけでも、身体の均衡は変わっていく。爪先から頭の天辺まで、武器と一体化してこそ見える世界がある。例え見えずとも、そうあろうとする事が行う者に自信を与えるのだ。安全かどうかなどは、一切問題ではない。そんな話ではないのだ。

 

「……とは言え、あんなモン得物にした馬鹿なお前には、関係ない話だな。忘れろ」

 パイプをくわえ、老人は大きく息を吸って、煙を吐き出す。バズはそんな老人を見ながら、頭をかいた。

「それと、お前のあれなら、もう終わってるから持って帰れ。やめてもまだ得物の面倒みるってのは……なんだ、相思相愛……か? ふん、俺は悪いとは思わんぞ」

 にやり、と笑う老人の相に、ますます弱った、と目を逸らして頭をかくバズを見て、

 

「そら、馬鹿坊主丸出しだ」

 呵々大笑した。


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