題名のない迷宮会   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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超難産でした。
何回書いては消して、書いては消して、を繰り返したか。


第17話

 ここじゃない。ここではない。

 

 毛づくろいしてくる"それ"を煩わしげに押しのけて、その影は立ち上がり、辺りを見回した。石造りの、薄暗い場所。じめじめとした空気が、毛に張り付いて気持ち悪いらしく、影は体を振った。毛づくろいされた毛はまた乱れたが、影は特に気にしなかった。

 再び近づき、毛づくろいしようとするそれを威嚇し、そして、石造りのそこに自身と同じ様な目をした者達を瞳に映し、影はなんとなく頷いた。

 

 行くべきだ。語る瞳に、問う瞳。どこへ?

 影は少しばかり逡巡し、ここではない場所へ。

 と唸った。

 

 ここじゃない。ここではない。

 ここは、そこは、違うのだ。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

「いやぁこりゃ毎度ながらしんどいもんさね? で、おまえさん?」

 タリサは、仕込んでいた果実酒の匂いがしみ込んだ手のひらを、桶に張られた水で洗いながら、厨房で洗った皿を仕舞う男にいつも通りの口調で話しかけた。

 

「……はい?」

「随分とジュディアと仲良くなったもんさね? いや、ジュディアとも、かい?」

 狭い店で、狭い庭だ。窓なども開けっ放しなのだから、声はどうしたって漏れる。聞き耳を立てずとも、それなりの音量で言葉を交わせば、耳を塞ぎでもしない限りは簡単に聞き取れる。

 タリサは桶から手を離し、エプロンのポケットに入れていた小タオルを取り出して手を拭いながら、

 

「美少女だろう、ジュディア?」

 微笑んだ。

 

「……はぁ、まぁ」

 なんとも言えない、といった相の男を眺めて、タリサは小タオルをポケットに戻してからつばの狭い帽子を無造作に取って、頭をガリガリと掻いた。

「?」

 タリサの行動が、男にはさっぱり分からない。目で問う男を無視して、タリサは男の背の向こう、背後に在る者達を探る様に見つめた。

 男の背後に佇む麗人のメイド二人は、いつも通り無表情だ。その筈だ。その筈であるが――

 

「いや、ミレットさんもウィルナさんも、睨まないでほしいもんさね?」

「……これは失礼を」

 ミレットとウィルナ。男の背後二歩後ろに当然と侍るメイド二人は、目を伏せて一礼して見せる。男は何事かと思い振り返り、二人の顔を覗き込んだ。その双眸に攻撃的思惟は感じられない。

 だが、タリサは睨むな、と言い、メイド二人は頭を下げて謝罪した。

 つまり、この三人だけは理解していると言う事だ。

 

「えーっと?」

「いや、なんでもないさ? おまえさんが気にする事じゃないよ?」

「いや、でも」

 気になるのだろう。実際、男はこれまでメイド達二人の感情をある程度読む事が出来ていたのだ。それが今回に限り、読めない上に置いてけ堀だ。何か言い続けようとする男を再び無視して、タリサは厨房の棚を漁り始めた。

 

「……なにこの疎外感」

「ちやほやされたいのかい? だったらまず、私に手紙でも書いてみる事さね?」

「いや、それ前に聞いた娼婦の人との逢引方法ですよね?」

 チェシャ猫の笑みを男に見せて、タリサは頬に手を当ててしなを作った。髪はぼさぼさ、化粧っ気もないとは言えど、素材は十分美人の範疇にある女性である。その媚態はなかなかの物であったが、男の視界は、ばさり、と言う音と共に突如として暗転した。

 

「タリサ様、旦那様にはまだ早いと存じます。ご考慮頂ければ」

「ありゃー……だそうだよ、おまえさん?」

「いや、それ以前になにこの真っ暗な世界」

「ただいま姉さんがスカートを旦那様の頭部に引っ掛けて御座います」

「早いだろ、そのフェチズム溢れる世界は」

「因みに現在、姉さんが至極至福といった顔で旦那様の後ろに佇んで御座います」

「お前ら本当に気持ち悪いな?」

「いや、おまえさんも早くそれ払いのけなよ?」

 呆れを隠さぬタリサの声に、こうなったのは誰のせいだ、と胸中で愚痴りながら男が頭に掛かっていたメイド服のスカート部分を払いのけた。その行為によって乱れた髪を手ぐしで直すのは、その払いのけられたスカートの持ち主、ウィルナである。

 後ろからそれを為すウィルナの手を、男は先程のスカートと同じく払いのけようとして……やめた。

 

 ――まぁ、小さな事から受け入れていけば良いよなぁ。

 

 子供を止めると決めた。大人になれなくとも、近づこうと決めた。小さな一歩でも、歩く事に意味がある。しかし、一人頷く男のうなじに、熱い吐息が何度も、何度もかかる。

 誰の吐息であるかなど、問うまでもない。ミレットは今、タリサと男を遮るように前に出ているのだから、今後ろにいるには手ぐしで男の髪を整えているウィルナだけだ。

 振り返ろうとして、男はやめた。それには近づきたくないと決めた。

 

「こう言うのもマッチポンプと言うんだろうか」

「流石旦那様、博識で御座います」

「それが本気だから怖い」

 無表情、そしてしかめっ面。メイドと男の顔に浮かぶ相を見比べながら、タリサは棚をあさり続け

 

「あぁ、やっぱりさね?」

 動きを止めて口から零れた小さな呟きは、しかし誰の耳にも容易に届く。

「どうしたんです?」

「うーん……調理用の油が無いんだねぇ、これが?」

 脱いでいた帽子を被りなおし、小刻みに動かしながら丁度良いポジションはどこかと調整するタリサは、男を見つめてから、一つ頷きテーブルに足を向けた。そこでメモを一つ取り出し、ペンを走らせて、書き終えたそれを男へ向かって突き出す。

 

「お買い物、頼めるかい?」

「いや、まぁ良いですけれど」

 自身に突きつけられたメモを手にとって、男はそれを無造作に見て

「油だけじゃ?」

 そのびっしりと書かれた内容に少しばかり驚き、タリサへと諮る様な視線を向ける。

 

「ついでだよ? 一度に買い込んだ方が、安くなるもんさね?」

「……はぁ。いや、でもこれ」

 紙面一杯に書かれた内容である。それら全てを一人で運べるかと言えば、まず無理だ。なにせ男は非力である。目の前に居るタリサよりも、そして言うまでもなく、メイド二人よりも、だ。

 男手は今ここには自身しかいないのに、何故こうも肩身が狭いのかと男は嘆きそうになるが、そんな事をしても事態は好転しない。

 しないのであれば、認めるしかないのだが、このメイド達を外に出すのは、これが初めてだ。

 この店に人外的美貌のメイド二人が初めて来た時には、既に時間は遅かったのだから、外の人間に多く見られたという事はない筈である。だが、今回のこれは昼日中の行動だ。どうなってしまうか等、考えるまでも無く分かる事だ。

 見慣れた冒険者でさえ、固まり、これでは駄目だ、なんとかせねば、と考えた挙句、先程の萌え萌えきゅきゅ~ん、となった。いや、実際に馬鹿げた事を仕出かしたのはメイド二人であるのだが。

 

「とは言え、私はほら、果実酒は終わったけど、他の仕込みがまだ終わってないし?」

 それを言われると、男には返せる言葉がない。ファミレス経験者、と言えど、ファミレスの調理は基本的に本社から取り寄せたレトルトを袋から出して、焼く、煮る、炊く、あとはそれを添える、盛る、並べる、だけだ。この店の様に一から仕込むとなれば、男にはまだまだ無理な話である。味が変わった、落ちた、と非難されるのはタリサとバズなのだから、男にはどうする事も出来ない。

 だが、そうなると……

 

「まぁ、そういうこったねぇ? あぁ、それと、一応急な客も考えて一人は残しておいとくれよ?」

「……え、えぇー」

 男は、自身の前に佇むミレットと、ウィルナを強く意識した。こうなると、つまりこれしかない。背後に居たはずのウィルナが、ミレットの隣まで足を動かし、二人が並ぶ。

 

「さぁ、どっち」

「……」

 二人のメイドは、自身の慎ましい胸に手を置き、男に選択を迫る。どっちのメイドショーなどと言う言葉を脳裏に浮かべながら、男は額に手を当てて俯き、

「一週間……ここに篭らせとくってのが、まず無理だったんだよなぁ」

 いつかはそうなる。

 ならば、今日でも仕方ない。仕方ない事だ。

 男は自分にそう言い聞かせて、弱々しく頷いた。

 

「じゃあ――」

 

 顔を上げ、口を開き自身を映す男の双眸をじっと見つめながら、ウィルナとミレットは淡い相のまま佇んでいた。少なくとも、傍目にはその様に見えただろう。

 

 スカートを不安げに掴み、僅かばかり震える彼女達の手さえ見なければ。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

「いやぁ、すまないねぇ?」

「いえ、ご配慮は結構で御座います」

 タリサの言葉に、残されたミレットは常通りの相で返す。そこには何も不満げな物は感じられない。だが、タリサはやはり、先程の言葉通りの申し訳なさそうな表情で、

 

「まさか、声が出せるって点で、ミレットさんを置いていくとはねぇ……?」

「流石旦那様で御座います」

 ミレットは湯の張った鍋に、適度に切り分けたジャガイモやニンジンを丁寧に落としながら応える。

 彼女は残された理由は、その声だ。

 美貌に相応しいだけの声を持つ彼女よりも、常に無口な

 

 ――と言うよりは、多分喋れないんだろうねぇ?

 

 ウィルナを男は選んだ。或いは、とタリサは思う。

 今回は姉であるウィルナを選んだだけだろう、と。ミレットも男を別とすれば、姉の顔を立てている様にタリサには思えたのだから、この選択は不味い物ではない。

 ……筈だったのだが。

 

「あぁ、これは酷く硬いニンジンで御座います」

 常より強く響く包丁の音は、なんであろうか。相も瞳も声も、全ていつも通りにしか見えなくとも、何かは強く訴えている。

 

 不満だ、と。

 

 しかし、これはタリサにとっても一つの機会だ。聞きたい事は山ほどあるが、特にこれだけは、と言う物がタリサには一つ在る。

 

「で、ミレットさん?」

「はい、なんで御座いましょう?」

「ミレットさんは、あの子をあのままでいさせてくれるんだろう?」

 理解できない言葉だろう。普通ならば。

 しかし、今タリサが問うた相手、ミレットは普通ではない。どう見ても、常識の範疇外の存在だ。

 彼女はゆっくりと、手に持っていた包丁をまな板に置き、タリサを双眸におさめた。そこに映り込んだタリサは、いつも通りの帽子姿で、化粧もしないずぼらなものだ。

 その瞳に、余りに鮮明と映る自身を、鏡を見つめているような気分になりながら、タリサは言葉を続けた。

 

「あの子が馬鹿やって、偶に愚痴って……ひび割れた声なんて出さない様に、してくれるんだろう?」

 初めてタリサが男と出会い、部屋まで案内する時に聞いたあの声を、タリサはもう二度と聞きたくは無い。まだ若い男が、出すべき軋みではないと、心底思ったのだ。

 その為に、必要な物をタリサはウィルナとミレットに見た。見たつもりだ。男の傍に常にある違和感、それを埋める何かを。

 

 ミレットは、タリサのその言葉に目を閉じ、一礼した。

 

「この身は剣。旦那様の為ならば、あらゆる全てを斬るだけで御座います」

 回答は、得られない。いや、これもミレットなりの回答だったのだろう。

 ただ、タリサには分からないだけだ。不思議と、はぐらかされたとも、見当違いの回答をされたとも、彼女は思わなかった。

 いつか理解できるかもしれない、と敢えて楽観的に考え、タリサは帽子を脱いで頭を掻いた。




……あ、あれ? 一話伸びた……

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