題名のない迷宮会   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第20話

 目が覚めると、まだ暗かった。

 眠いと思ったが、彼女は目をこすり、不明瞭な呟きを零しつつベッドから身を起した。最近迷宮に行かない彼女の体は、どうにも不規則になりがちだ。

 口を手で覆い、欠伸をかみ殺して周囲を見回す彼女の瞳に、一人、自分と同じ様にゆっくりとベッドから身を起す少女が見えた。

 常に被っているフードはなく、白に近い美しい銀色の髪が肩の辺りで切り揃えられたその少女――エリザヴェータは、瞳も無いというのに、目の辺りをこすり片手を挙げて背を伸ばしている。

 

「……おや、おはよう」

「おはようございます」

 起きていたことに気付き、挨拶の言葉をかけてくるエリザヴェータに、彼女は頭を下げた。

 ベッドの隣に置いてある荷物袋から、適当な衣類を取り出して、彼女達は着替えを始める。ジュディアの様に、あれとこれは駄目だ、これとこれは組み合わせが悪い、等と試行錯誤する事は一切無い。袋の中にある服は、二人とも同じ様な物ばかりだ。

 軽いローブ、スカート、シャツ。下着は年頃らしく少々凝った物も無い訳ではないが、特に着飾る必要も無いので持っているだけだ。

 

 間単に、あっさりと着替えた彼女達は、未だ眠り続けるジュディアとエリィに気を配り、小さな声で話を始めた。

 

「さて……今日はどうしたものかな?」

「今日も、まだ仕事の予定はありませんよね?」

「私は何も聞いてないよ。まぁ、少々の貯えはあるのだし、急ぐ事もないのだろうけれど」

「ですね……今までが迷宮潜りばかりでしたし、これも良いですよね?」

 と彼女は口を閉ざした。エリザヴェータはそれを見て、肩をすくめた。

 

「私達は兎も角、君は迷宮その物に興味はないからね。仕事ばかりでも嫌だろうし……そうだね、偶には一緒に図書館でもいくかい?」

 エリザヴェータの提案に、彼女は頷きかけて――動きを止めた。

 図書館に行くのは良い。彼女が知っている図書館からすれば、少々規模の小さな場所であるが、知識の置かれた場所である。小さな場所だからといって、見ていない書物がないとは言い切れない。それは良いのだが、しかしそうなると問題がある。

 

「あぁ……なるほど。彼だね?」

「……はい」

 エリザヴェータにそこを紹介され、暇があれば足を向けている男の存在だ。

 

 彼女は、知識の徒である。学術都市と呼ばれる場所で生を受けた彼女は、知識を溜め込み、またそれを生かす事を当然と受け止めて育った。特にその知識の中でも、竜伝承の類は彼女の専攻であり、人生をかけて学び、解き明かさねば成らないと決めた物である。

 だからこそ、彼女は女性だらけであった光竜信仰の神殿から出て、この時代特に竜の痕跡が残っている迷宮へと足を進めたのだ。

 男ばかりの世界であるそこは、当初彼女には苦痛ばかりで、野卑で無骨な男達からからかわれ、どこか下卑た視線で無遠慮に眺められる度、彼女は女性としての尊厳を犯されている様に思えて仕方なかった。

 もう国に帰ろうかと嘆き、男は嫌だとつくづく思ったものだ。女手一つで娘を育て、女性の多い神殿へと彼女を入れる時母が言った、「男なんて碌なものじゃない」という言葉が真実だったとさえ、感じたのである。そんな時、女ばかりの三人組が声をかけてきたのは、まさしく光竜ホワイトシナーズのご加護だ、と彼女は泣いて喜んだ。

 

「大丈夫だよ。彼は……というか、ここに居る皆は、君が知っている男達とは違うだろう?」

「……そう、なんですが」

 運が無かった。それだけだ。

 

 彼女が最初、迷宮に向かう為に利用した宿は、今の宿ではない。ヴァスゲルド中央区の一番大きな宿で、良質の冒険者が揃うという理由だけで利用してみたら、冒険者としての質は兎も角、礼儀の面ではさほど良くなかっただけの事だ。仲間探しの第一歩から大きく踏み誤ったのは、彼女にとって余りに痛い思い出である。

 ただ、これは宿や利用していた冒険者だけを責める事はできない。

 ジュディアや、更にはリーヤにも届かないが、彼女もまたそれなりの容姿だ。その上、女手一つで育てられ、女ばかりの神殿で教育を受けた、所謂純粋培養されたお嬢様の様な雰囲気をもった少女である。

 周囲の冒険者からすれば、まず見ない類の女であるから、声の一つも掛けたくなる。が、彼らはそういった人種とはとことん縁がなく、また話しかける為の作法が不足していた。中にはそうでない者もいただろうが、そういった者達はそもそも彼女に話しかけなかった。話しかけない事が一番無難であると理解していたからだ。お嬢様然とした少女と冒険者、合う筈がない組み合わせだ、と分かっていたのだから。戦力として期待できそうに無い彼女の風貌もあって、分かっていた者に限って近寄らなかった。

 それを分からない、物珍しげに寄っていく連中だけが、そこそこの下心、そこそこの善意で距離を縮めようと試み、自分達の乏しい語彙で声を掛け、それが更に彼女の苦手意識に拍車を駆けて、男嫌いにしてしまったと言うのだから、これはなんとも救われない。

 彼女がもう少し世慣れていれば、なんとか歩み寄ろうとする冒険者達を可愛いものだと思えたかもしれないが、神殿育ちのお嬢様にそれは無理な話である。

 

 だが、今の宿は彼女にとってさほど苦痛ではない。

 馬鹿な事を言う客は、バズが文字通り叩き、偶にちょっかいをかけてくるブレイストにしても、エリザヴェータなどが傍に居ると全く寄ってこない。一般的な図式魔術師である彼は、エリザヴェータの存在、監獄契約魔術師を見ない事にしているので、これはありがたい事である。

 神殿育ちからすれば、ここの男達は礼儀作法に足らぬものも見えるが、それでも随分ましだ。そして、件の男はと言うと。

 

「随分、奥ゆかしい方だとは思うんですが……」

「まぁ、おとなしい方だね。いや、この場所で目にする男と限定すれば、確かに奥ゆかしい、か」 言の通りだ。

 粗野ではない。下卑ても居ない。体の線も細く、男としての匂いが薄い彼は、彼女が目を合わせまいと目を伏せても、怯えて身を避けようとしても、僅かばかり悲しげな相を浮かべ、それでも理解した形で下がっている。今もって、声を掛けるでもなく、距離を詰めるでもなく、だ。それは在りのままを受け入れているように見えた。実際は、男からすれば彼女の存在が"そんなモンなんだろう"で固まっただけなのだが。

 彼女にとって、男に対しての興味がないわけではない。いや、むしろ大きくなっている。

 原因は単純だ。

 

「しかしね、彼はなかなかに知識人だよ? 図書館に入りびたり、という時点でも、分かるだろう?」

 これだ。

 エリザヴェータから偶に聞く男の話には、興味をそそられる部分が多い。また、簡単に計算を行うところを見ても、相当の教育を受けたと彼女に思わせる。

 彼女は俯き、頬を人差し指で数度軽く叩いてから、目を上げた。自身の顔をじっと見つめる――様な素振りのエリザヴェータの、その瞳が在っただろうそこに真っ直ぐと目を向けて

 

「じゃ、じゃあ……さ、誘ってみます!」

「ほぅ……大胆だね。いや、流石、かな?」

 迷宮へ、竜の痕跡を確かめると言うだけでやってきた少女だ。その意気の方向が定まれば、その程度難しい話ではない。だからエリザヴェータは満足気に頷き。

 

「じゃ、じゃあ今からお、お誘いの言葉を!」

「いや、君早いな?」

 呆れた。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 ジュディアが少し大きな皮袋を手に、エリィと共に一階に降りると、常に利用しているカウンター席は既に二つ埋まっていた。ジュディアに気付いたエリザヴェータが軽く手を上げ、ジュディアはそれに同様の仕草で挨拶を返し、もう一人の姿を見た。

 なにやら緊張した面持ちで前をじっと見つめ、両の手で握ったコップが口元にある。が、幾らそれを眺めてもコップは微動だにせず、飲んでいる様子は無い。ただ、両手で持っているだけだ。

 おまけに、あぁ早まったかもしれません、いやでもいずれ通る道なら今……、等と、小さく首を横に振り、コップを置き頭を抱えてぶつぶつと呟く姿は、なにかきめたのかと思うほど怪しい物だった。

 しかし、ジュディアは空気が読める女である。踏み込むべきではないと思った不気味な物は、視界に入れても見なかった事にする。それがたとえ、一緒に迷宮を潜る仲間の奇矯な姿だったとしても、だ。

 だがしかし、

 

「どうしたんだ?」

 エリザヴェータにそう問うエリィは、あまり空気が読めない方だった。

「いや、この後図書館に行くんでね。一緒に彼もどうかと誘ったんだ」

「……彼って……あの子?」

「そう、彼」

 再び顔を上げ、今度はカウンターテーブルにのの字を書き出した少女を一先ず放置し、二人の会話を耳にしたジュディアは目を細めてエリザヴェータを見つめた。

 

「エリー……幾らあんたがあいつを気に入ってるからって」

「いや、誘ったのは私じゃない」

 そう口にして、エリザヴェータは、光が消えた瞳でコップに話しかけ始めた少女を指差した。仲間で無ければそのまま見捨てたくなる、きめてんのかこいつ、的な姿である。

 

「……決めた事なら、仕方ないけれど……エリー、ちゃんとついて行ってあげてよ? 放り投げちゃ駄目よ?」

「うん、今もう放り投げたい段階なんだがね?」

 コップに向かって話しかける少女の姿は、エリザヴェータにそう言わせるだけの間違った凄みがあった。

「ま、そっちがそれなら丁度いいわね……私はちょっと街に出るから」

「了解したよ」

 ジュディアのそんな言葉に、エリィは少し考え込む素振りを見せた。実際には何も考えて居ないんだろうな、とジュディアが思っていると、そのエリィがジュディアを見て口を開いた。

 

「私今日暇だから、ジュディアについて行っていいか?」

「……あんたも図書館行きなさいよ」

「死ぬ」

「いやあんた死ぬってなに?」

「超、死ぬ」

「誰もそのランクっぷりの話は聞いてないわよ」

「図書館とかお前、まじ死ぬぞあれ?」

「……分からないでもないけれど」

 普通の冒険者をやっていれば、図書館などまず縁の無い施設だ。モンスターの情報が書かれた書物などはギルドに保管されているし、迷宮にランダムで設置された罠の種類や解除方法も同様だ。であれば、図書館などは、まっとうな冒険者で、しかも脳筋気味のエリィからすれば、息苦しくて窒息死するほどの苦行場でしかない。

 図書館に縁がない、という点では、基本美貌維持に興味しかないジュディアも大差ないので分からないでもないのだが。

 

「肌に良い水とか、化粧方法とか載ってれば、私も行くけどねぇ?」

「見つけたら教えてあげるよ」

「期待しないで待っとく。ほらエリィ、行くわよ」

 手をひらひらと振って、ジュディアは扉へと向かっていく。それをエリィは追い、エリザヴェータは二人の背に声を掛けた。

 

「朝食は?」

「偶には違う場所で食べるわよ」

「そうかい……エリィ、彼に会わないで良いのかい?」

「仕事の邪魔はしないって」

 背を向けたまま去っていくジュディアとは違い、顔を向け、無垢な笑みを見せるエリィに、エリザヴェータは頷いた。

 二人の溝が小さくなった物だ、と。

 

 このグループが出来上がった当初、まだ隣で何事か一人呟く少女が居なかった、三人だけの頃から、ジュディアとエリィにはどこか大きな溝があった。

 エリィは、顔に防具も帯びず、見目優先の部分鎧だけをまとい、その癖人一倍怪我に臆病なジュディアに対して苛立ちを覚えている節が在った。

 ジュディアは、良質の魔法剣を持ち、なんでも機能を優先するエリィに対して冷たい目を向けていた。

 お世辞にも良好とは言えず、美少女然とし過ぎ、気の強さもあって遠巻きにされてばかりのジュディア、強力な魔法剣を有し、有力な冒険者グループが取り込みの為牽制しあい、結局空白地点にぽつんと置かれた脳筋気味のエリィ、監獄契約魔術師であり、外貌に難の在ったエリザヴェータ、その余った女性だけで作られたこのグループは、いつか瓦解するとエリザヴェータは思っていたのだが、今は斯くの如し、だ。

 

 かつての彼女達であれば、ジュディアはエリィの言葉に決して頷かなかっただろう。そもエリィがジュディアに、ついて行って良いか、等と口にする事は絶対に無かった。

 人は変わっていく。陽のようだ、とエリザヴェータは心の中で呟いた。

 常に頭上にある事はない。陽はいつか紅に染まり、沈む。新しく浮かぶのは、まったく違う光を放つ月だ。

 誰も彼もが強い光を放つままでは、誰も傍へと近寄れない。互いに焼いてしまう事も在るだろう。黄昏時の優しく、どこか悲しい茜色になって貰わなければ困る。

 

 ――もっとも、それでも近づけない人間も居るんだけれどね。

 陽の光は確かに生命を感じさせる物だが、月の様に優しく、朧に輝く不確かな輪郭にしか近づけない臆病な人間は、多く居るのだ。

 それは、エリザヴェータ自身であったり、

 

「あぁどうしましょう……私凄い不躾な娘だと思われているのかも……でもお互いに知識の交換が出来るならやっぱりそうすべきだし……あぁでも私今まで散々避けてきたのに、こいつとんでもない焦らし魔だな、なんて勘違いされて迫られたら……ど、どうするべきなんでしょうか? ねぇ?」

 今もコップ相手におかしな事を呟いている彼女も、そうだ。

 エリザヴェータは少し肩をすくめて、カウンターの奥で簡単な仕込みを手伝う男を見た。

 

「どうしよう。仲間がかつてない勢いで壊れたんだ」

「叩けば直る」

「旦那様、それは家電製品の都市伝説です」

「俺は叩いてうちの現役MCDを復活させた」

「流石旦那様。それが現役と言う時点で相当で御座います」

 何か意味不明な言葉で返してきた男と、その隣で大きな木製のへらで鍋をかき回すミレット、まな板の上で具材をリズム良く切っているウィルナを目にしたまま、エリザヴェータは手を上げた。

 

 とりあえずやってみよう、と。




掘り下げ掘り下げ。
MCDとか普通現役ですよね?
シルキーリップPC版で出す暇あったら、Aランクサンダーの逆襲編を出すべき。

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