題名のない迷宮会   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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第25話

 彼がいつも座る席で、手に在る斧を磨いていると、朝には似合わぬ匂いが鼻に届いた。

 彼――ジータは、自身の鼻に届いた匂いがどこから来たのか、と目を動かした。すぐ隣、数度見かけた事がある、同じ宿に泊まっている冒険者達が、軽口を叩きあいながら運ばれた肉料理に手を伸ばしている。

 それが匂いの元だと分かると、ジータは再び視線を斧に戻し、また磨き始める。自身の顔が映るほどに磨くと、ジータは満足気に頷き、斧をゆっくりと足元に置いた。

 そして再び周囲を見回す。

 いつも通り、彼がここに来て以来変わらぬ景色だ。広いフロアに多くのテーブルが並び、そこに多くの冒険者達が屯し、それぞれ好き勝手に口を動かして、時に身振り手振りも交え、各々が時間を潰していく。

 誰も彼らに干渉せず、また彼らも誰にも干渉しない。いや、先程の肉を頼んだ冒険者達に、蔑みを宿した冷たい視線を向ける者が居た。ジータの正面に座る冒険者仲間、青色のフルプレートアーマーを着込んだ大男、リックだ。

 

「朝から肉かよ……腹に一撃貰ったらどうすんだ」

 リックの口から漏れた言葉に、ジータは頷かなかった。それもまた自由だからだ。

 今日死ぬかもしれない、明日をも知れぬ我が身である。好物、または食べたいと思った物を口にするのは、仕方のない事である。

「人はそれぞれ、だ。何事もな」

 頬杖をつき、隣の冒険者達を睨み始めたリックに、ジータは首を軽く横に振ってそう呟いた。

 彼らとジータ達は違うと言うだけの話だ。一撃を貰い胃の中の内容物が傷口に触れ、治りが遅くなる、という事もあるが、迷宮から戻って来た時、一日の最後に食べたかった物、飲みたかった物を口にした方が、生きて返ってきたという実感を得られる。

 多くの冒険者が朝、そして昼食べない理由には、これも多く含まれている。いや、命を糧に金銭を得る職業に就く者は、こういった習慣を持つものは多い。

 兵士や傭兵の中にも、小さな用事を残したり、帰って来たらこれをやろう、と決め何かを残していく習慣がある。

 そのやり残した何かが、彼らの生還確率を大きく上げるからだ。些細な事であっても、帰らなければならないと思えれば、得物を持つ手に力は戻り、足はまた動き出す。

 故に、ジータ達は朝と昼は大して口に物を入れない。そしてそれは、今日も同じであった。彼らは自身の前に置かれた木製のコップを傾け、それが空になると各々の得物を手に腰を上げた。

 

 これがバズの店であれば、誰かが彼らに声を掛けたかもしれない。いや、バズが間違いなく声を掛けただろう。

 腰を上げ、得物を手にした彼らの相には、そうさせるだけの物が宿ってしまっていた。尋常の覚悟ではない、もっと深く強い、決死の相だ。

 そんな相を、一流と呼ばれる冒険者達が浮かべていれば、バズ辺りならば間違いなく声をかけ引止め、何事かと問いただしただろう。だが、ここはバズの店ではない。

 古いルールなど見向きもしない、自分達だけで進む事を決めた冒険者達が屯する、ヴァスゲルド中央区で一番大きな宿屋兼酒場である。

 ここに居る者達は、殆どがゴミ漁り時代に先輩冒険者達から助けられなかった者達だ。運が悪かったのか、それとも彼ら自身に問題があったのか、それは分からない。

 ただ、彼らは助けられなかった。為に、彼らは誰かを助けるという事に意味も興味も持てなかった。

 それだけが事実であり、全てだ。

 

 常以上に気負い、力強く歩くジータ達の相など誰も見ず、店の主もまた、カウンターに硬貨を置いて出て行く彼らになんの興味も持たなかった。いや、彼らの去ってゆく背を眺め、戻って来ないかもしれない、程度は思っただろう。だが、それだけだ。

 帰ってこない、と思っても、また誰かが空いた部屋に入るだけだ、としか考えなかった。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 夢を見ていた。彼は夢を見ていた。

 何も無い暗闇の中で、白い炎と黒い炎が音も無く爆ぜ、火に寄って来た羽虫達を燃やし、潰していく。

 たったそれだけの、なんの意味もない夢だ。ただ、少しばかり彼は気になった。火に飛び込んで消えた羽虫の一匹が、何かを持っていたような気がしたからだ。

 それは、大きな斧であったように彼には見えた。一瞬の事であったから、はっきりとは分からない。

 しかし、これは夢である。彼はそれ以上なにも考えず、考えられるわけも無く、ただ脳が見せる幻影に瞳を湿らせた。

 頬を伝う涙に、誰も気付かず、自身もまた気付かず。彼はただ眠り続けた。

 

 どこかで、乾いた笑い声が響いた。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 迫りくる異形を、斧が割いた。両断された異形は断末魔も上げず地に伏せ、それを避けるようにまた数匹の異形が、黒い鎧を着た、今しがた斧を振るった者へと群がっていく。

 異形――火を口元からちろちろと零す虫型モンスター、トーチスパイダーは、八本の足を器用に使い、壁を伝い、または天井を走り、床を這い、俊敏に迫っていく。

 モンスターと言えど知能はある。集団戦を得意とするトーチスパイダー達は、斧と言う武器が一撃に特化し、連続で振る事に向いた武器でない事を良く理解していた。

 故に、仲間が斬られた今こそが機会だ、と斧を振り終えた黒い鎧に牙をむいたのだ。

 だがしかし、彼らの歪な八つの単眼は、黒い鎧の口元を見たのだろうか。いや、見ては居ないのだ。見ていないからこそ、簡単に、いつも通り、迫ってしまったのだ。

 我先に、と飛び込んでいく異形の蜘蛛達を、黒い鎧をまとった者は――ジータは。

 

「馬鹿め」

 嘲笑した。

 

 振り抜いた斧と、伸びきった右手。彼は空いていた左手をひらき、その手のひらに――右手の斧を投げた。

 

 瞬間、風を切る音と共に、二匹のトーチスパイダーが切り裂かれた。何事かと驚愕するだけの知能を虫型のモンスターに求めるのは酷だろう。だが、トーチスパイダー達は僅かに浮き足立った。 その間を逃すジータではない。彼は再び右手を開き、左手にあった斧を投げた。肉と金属が軽くぶつかる音が響き、再び風を切る音とモンスターを割く音が迷宮で木霊した。

 

 斧が重武器に属し、手数を求められる場面では不利な得物である、というトーチスパイダー達の認識はなんら間違っていない。ただ、この場合使っている者にこそ注意すべきであった。

 ジータ。重厚な黒い鎧をまとう一流の冒険者であり、ついた名は『戦斧』。

 彼は八本足の異形達の、どこか浮ついた攻撃を難なく、その重い鎧と巨体からは想像もできぬ俊敏さで回避し、右手、左手、両手で交互に斧を持ち替えて振り続けた。

 音と共に命は消え、そして最後の一匹も当然の如く散った。

 

 トーチスパイダーの亡骸が散乱する狭いフロアで、左手に在る斧を眺めジータは頷く。

「まぁ、こんな物か……」

「こんな物か、じゃねぇよ、お頭」

 そこそこに満足した、と相に浮かべるジータに、フロアの入り口辺りから声が掛かった。声の主は青いフルプレートアーマーを着込んだ、ジータと比べてもなんら遜色ない大男、リックである。 彼は自分の隣に立っている黒いローブ姿の男性の肩に手を置き、唾を飛ばすほどの勢いで続ける。

「どーう思うよ、なぁフェルグ! お頭が調子を整えたいとか言うから、俺達ここまで出番なしだ! これで一流殺しのとこも暇だったら、俺はどうすりゃいいんだ!」

 リックの背負った両手剣が鎧とぶつかり、存在を主張するように音を鳴らした。自身も思いっきり振りたい、と言うことだろう。

 ジータは口元に苦笑浮かべ、リックに向かって大きく頷いた。

「安心しろ。うちの切り込み隊長はお前だ。当然、そこでの一撃目はお前に譲る」

「マジか! 嘘だったらお頭、今日の飯全部奢りだぞ!」

「わかったわかった」

 喜ぶリックから目を離し、ジータは背を向けて歩いていく。向かう先は当然彼らの目的地、火焔竜クリムゾンソードの彫像が置かれた最深部、一流殺しの部屋だ。

 

 歩き出したジータに続け、とリックやフェルグ達が小走りに寄って行く。自身の隣に、息を切らして寄って来た白いローブに身を包んだ冒険者が、ジータの相を見ながら口を開いた。

「で、実際どうなのですか、ジータ?」

 体の温まり具合を問うてきた相手に、ジータは頷いた。

「悪くないさ、ザシュフォード」

 彼のチームが誇る詠唱魔術師にして瞬間最大火力保有者にそう返し、ジータは自身の手を開き、また閉じる。

 

 スキル、デミスイッチウェポン。

 それが彼の持つ、いや、現役冒険者では彼だけが持つスキルだ。本来は主装備の武器と、補助装備の武器を瞬時に持ち替えるだけのスキル、スイッチウェポンなのだが、偶然これをゴミ漁り時代に体得した彼は、二つも武器を持つ事が出来ないと言う金銭的な理由もあって、それを斧一本でどうにか出来ないかと試行錯誤し、なんとか今の形にしたのである。

 そういった意味では、純粋なスイッチウェポンとは言えない物だ。だが、態々大層な名に変える理由無かったので、彼はそれをデミスイッチウェポンと自身の中で呼んでいた。

 亜流、という安直なネーミングである。

 安直に名付けはしたが、それがもたらす利は実に多大であった。それこそ、一流と呼ばれるまでに利をもたらしたのだ。

 

 が、一つ山を登りきり、そこから新しい景色が見えれば、また次の山の向こうに新しい景色があると思うのが人間だ。ジータも当然そう思っていた。人より早く山を登ったのなら、次は一番高い山の頂上から見える景色が見たくなった。殊、目指した山頂に、既に誰かが居ると分かっていれば、その感情は強くなる。

 

 ジータは、閉じた拳を強く握り締め、鼻から小さく息を吐いた。

 

 ――最強は俺だ。お前じゃない、ガイラム。

 彼の目の前に広がるのは、薄暗く辛気臭い迷宮の通路だ。だが、彼の目は確かにこの時、その場に居ない冒険者の姿を見ていた。

 

 そして彼は、彼らは。迷宮の奥に足を進め――闇に飲まれた。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 その朝、ヒュームは常とは違った朝の始まりに戸惑いを覚えた。

 常はもっと、混濁した思考の中で、眠い、だるい、体が重い、等とくだらない思考で埋まる筈の頭が、全くのクリアだったのだ。

 彼は慌てて周囲を見回し、何が常と違うのだ、と探し始めた。

 だが、そんな事は全くの無意味である。何かが違うと言うのなら、それは周囲の何かではなく彼自身だ。実際、彼の周囲はいつも通りだ。窓から見える空はまだ暗く、狭い部屋にある四つのベッドは全て埋まっている。

 彼はシーツを払いのけ、自身の頬を軽く打った。乾いた音が僅かに響き、部屋はまた静寂を取り戻す。

 瞼を閉じ、ヒュームは顔を手で覆った。

 何かを見た。そんな気がした。寝ている間に見るのなら、それは夢だ。

 だが、その夢には何か嫌な物があったような気がしてならない。その癖、こうやって思い出そうとしても、彼の脳はそれを確りと再生しない。脳裏を過ぎる映像――夢の断片だけでは意味をなさず、なんであったのか判然としない。

 肩から力を抜き、ヒュームは顔を覆っていた手で頭を掻いた。

 

 ――謝ろう。今日一番で、いや今すぐにでも。

 唐突に、そう思った。結局バズは遅くまで自身の店に戻らず、謝罪する機会を逃したままで、苦い物を腹の奥に残したままだから、こうも妙な気持ちになるのだ、と。

 

 彼はまだ眠ったままの仲間達を叩き起こす為、ベッドから降りた。冷たい床は足の裏を斬る様で、痛みさえ伴う。

 それでも、彼は気にしなかった。今すぐ何かしなくては、おかしくなりそうだった。

 結局、彼が夢の一場面を確りと思い出し、羽虫が持っていた得物がなんであったのかを思い出したのは、ある冒険者達が迷宮の闇に飲まれてから随分後の事だった。

 

 いや、もっと前に思い出していたとしても、彼にはどうする事も出来なかっただろう。引き止めようにも、引き止めるべき相手達は決めてしまっていた。

 ヒュームとて冒険者だ。命を糧に冒険しようとする相手を止めるだけの言葉も力も、権利も持っていない。同じ穴のなんとやら、だからだ。

 

 そして、冒険するからこそ、冒険者なのだ。

 

 

  ○      ○      ○

 

 

 ジータは目の前にある扉を凝視した。迷宮最深部、深紅に塗れた竜の彫像が置かれた、狭いフロアである。そこにある、という事以外を除けば、そう珍しい扉でもない。

 鉄製の分厚い物であるが、その程度は街中でも探せば在る。そんな物でしかない。

 その癖、ジータは目の前の扉に気圧されている自身が居る事を自覚していた。扉を開けようとして伸ばした手は、僅かに、小さく震えている。

 

 ――何故だ?

 今まで何度もジータを助けた、自身の勘が囁いている。やめておけ、と。触れてはいけない、と。

 それでも、彼は冒険者だ。冒険をする者だ。父と母が突如失せ、自身だけで生きて行かねばならないと決断を迫られたとき、彼は糊口を凌ぐ為、命を糧に冒険者となった。

 その時、同じ様な職であり、全く違う傭兵を選ばなかったのは単純な事だ。

 傭兵は、先がない。いや、食いつないで行くという意味では先はあるだろう。だが、人としての先、夢がないのだ。

 傭兵は戦場を歩き、人を殺して金を得る。幾つもの戦場を越え、その度人を殺し、その中で精神に異常を来たす人間は多く、真っ当に在る事が出来る人間はごく僅かだ。

 同じ様に、命を天秤にかける冒険者は、その点が傭兵と大きく違う。冒険者は、文字通り冒険する者だ。まだ見ぬ財宝、モンスターの素材、稀に出る旧時代の遺産、と、殺伐とした生活の中にも、そこには人が人のままである事が出来る何かがある。

 殺傷する相手もモンスターである為、傭兵ほど精神が歪む事もなく、命の危険は同列でも、傭兵と冒険者では進む道がどこかで分かれ、たどり着いた先が大きく違ってしまうのだ。

 

 だからこそ、ジータは冒険者となった。苦しい生活の中でも、せめて救いを、と。

 望みを断ち切れなかった半端者、でっかい子供、等と傭兵から馬鹿にされる冒険者であるが、冒険者であるジータに言わせれば、傭兵など簡単に世を諦めきった破綻者だ。

 一般的な冒険者と傭兵は、俺はお前らとは違う、と唾を吐き、互いを否定する。それはジータも同じだった。

 

 ――そうだ、俺は冒険者だ。未踏未還の場所なんて、俺がッ!!

 自身に言い聞かせ、彼は扉にもう一度手を伸ばそうとして

「迷ってるなら、俺が一番に行くぜ!」

 乱暴に押しのけられた。

 大男、リックだ。彼はジータを押しのけた勢いのまま、なんら躊躇わず扉を開き、背から両手剣を抜いて開かれた向こうへと入っていった。

「おい!」

 慌てたのは残されたジータ達だ。彼らは警戒しつつ、それでもリックを追う様に開かれた扉を潜り――絶句した。

 

「……なんだ、これは?」

 呟いたのはフェルグだ。ジータの耳はフェルグの声だけは、しっかりと届いた。声以外、何も届かないからだ。

 ジータは周囲を警戒しながら、カンテラを持っているザシュフォードに大声で問うた。

「カンテラはどうした!?」

「あ、あります! あるのに……手に在るのに!!」

 落ち着きのない様子で返すザシュフォードに、ジータは舌打ちし、今度は先行したリックを探した。

「リック! どこだ!」

 だが、返事はない。ジータはもう一度声を上げようとして、それを辞めた。彼は口内に唾を溜め、それで舌を湿らせてから唇を舐めた。

 いつの間にか、喉が渇いていたのだ。一流と呼ばれるジータをして、そうもさせるだけの威圧感が、その一寸先も見えない闇の世界には在った。

 ジータは得物を手に、腰を落としてすり足で闇を進み――

 

「……ん?」

 つま先に何かがぶつかった。硬い何かだ。そしてそれは、動く気配がない。

 小型のモンスターではないのだろう。

 ジータは何も持っていない、空の左手を地面に伸ばし、つま先にぶつかった何かを掴み上げ、顔を引き攣らせた。

「……」

 言葉も出ない。出るわけがない。良く見えるようにと目の前まで持ってきたそれは、彼が良く知る人間の顔だった。

 青いフルプレートアーマーをまとい、両手剣を豪快に振る大男、彼のチームに所属する、ジータと同じ前衛重戦士、リックの、呆然とした顔だ。

 

 ジータは目を見開き、左手にあったリックの頭を投げ捨てた。同じ釜の飯を食った仲間の死体の一部である。丁重に扱うべきだと頭では分かっていても、喉の奥から悲鳴と共に出てこようとする恐怖が、リックの頭を投げ捨てさせた。

 半身で構え、腰を落とし、息を殺して血眼になって周囲を忙しなく見回した。

 音はない、動く気配もない。何も無い闇の世界だ。

 

 ――おかしいじゃないか!

 ジータは心中で叫んだ。リックはジータも認めるほどの冒険者だ。少々考えが足りない部分も在るが、戦士として肩を並べるになんら不安も不満もない男だ。男だった。

 それがあの僅かな間、リックが部屋へ入り、ジータ達が後を追った、たったそれだけの間に、あぁも、何をされたかも分からない、といった相を浮かべて、死ぬわけがない。

 そんな事を、ジータは認められない。

 それでも、冒険者として過ごしてきた間に培われた冷静な部分が、残った戦力でどうするべきかと自身に問うてきた。

 ジータは息を殺す事をやめ、一点集中しかないと決めてその要となる仲間の名を呼んだ。

 

「ザシュフォード! 詠唱を始めろ! 俺が敵を引き寄せる! フェルグ! サポートスキルで俺の運動能力を上げろ!」

 これだけの暗闇だ。ザシュフォードが隠れ、その間、こうやって大声を出して敵を自身にひきつければ、最悪でもザシュフォードとフェルグは助かると信じたかった。

 ジータは彼らのリーダーだ。せめて一人でも多く生かすべく、彼は斧を強く握り締めた。

 

 しかし、その大きな声に応える者は居なかった。深淵の闇を思わせるそこは、ただ静かに在るだけでジータ以外の存在を伝えてこない。

「ど……どうした!」

 もう一度上げた彼の大声に、誰も応じない。ジータは唾を飛ばして叫んだ。せめて、と。強く願いながら。

「逃げろ! 扉の向こうに逃げろ! 一人でも多くだ! いいか! これは――」

 叫び続ける彼は、しかし分かっていた。

 何故ここが闇だけなのか。逃げられない為の闇だとすれば、当然扉はもう開いていないだろう。ここはつまり、誰かが用意した、

 

「罠だ!!」

 だとしても、もう遅い。理解しても、入った後だ。暗闇だけの世界は人間の目では一向に馴染まず、ジータの双眸にいまだなんの情報も映さない。リックの死、以外は。

 それでも、ジータは諦めなかった。諦めたくはなかった。全滅だけは、絶対に認められなかった。

「逃げろ! 逃げろ! フェルグ! ザシュフォード! 逃げてくれ! 頼む! お願いだ……ッ」

 瞳が湿り、徐々に声は枯れて小さくなっていく。嘆願の声は、この闇の世界でいったい何に、誰に届くというのだろうか。

 ジータの頬を涙が一筋伝った時……何かが闇で動いた。

 風を切る音と共に、何かが彼に勢い良くぶつかり、ジータはたたらを踏んで後退した。斧を持っていない左手で、ぶつかってきた何かを手にし、彼は小さな声で呟いた。

「ザシュフォード……」

 ジータにぶつかってきたのは、へしゃげ、四肢をあらぬ方向に曲げたザシュフォードだった。顔は見る影もない程に潰れている。それでも、紅に染まった白いローブは、ザシュフォードの愛用していた物だ。どんな暗闇の中であっても、彼が見間違えるはずがない。

 この様子では、フェルグももう駄目だろう。ジータは喉を震わせながら小さく溜息を吐き、ザシュフォードだった死体を押しのけ、ゆっくりと正面を睨んだ。

 

「……来いよ。戦斧が、相手だ」

 闇は何も応えない。

「来い」

 何も応えない。

「……来い」

 応えない。

 

「来いと言っている! 来いと! そう言っているんだこっちは!!」

 だから叫んだ。あらん限りの力で叫んだ。冒険者だ。彼は冒険者なのだ。だからこそ、彼はそこを踏破すると決めたのだ。最強などの為ではない。山頂からの景色が見たいからではない。

 

「この糞がぁ嗚呼あああああああああああああああああ!!」

 ただ一人の冒険者、ジータとして。仲間達のリーダーとして。彼は闇に向かって斧を振りかぶり、走っていった。

 駆けるジータの鼻の奥が、一瞬火薬のような匂いを嗅ぎ取った。直感だ。何かが来ると感じた彼は、考える事もなく身を捩って横に飛んだ。

 まさにその直後、ジータが駆けていたその場に一陣の風が吹いた。切り裂くような音を伴って吹いた風に、ジータは目を見開き――

 

「そこかぁあああああああああ!!」

 全力で斧を振り下ろした。

 風がどこから吹いたのか、それさえ分かれば、不確かであっても、それさえ分かれば後は得物を走らせるだけだ。

 ジータが生きてきた中で、かつてない程に鋭い一撃が繰り出され、それは何かとぶつかり火花を散らした。

「もう一撃……か……ッ!?」

 防がれた為、もう一度斧を振りかぶろうと左手をあけたジータの目が、闇の中で僅かに咲き狂った火花の残照の向こうで、朧に映った紅い何かに奪われた。

 見てしまったのだ。彼は、見てしまったのだ。

 

 右手から左手へ。瞬間に行われるはずだった、彼言うところのデミスイッチウェポンは、なされなかった。

 ジータの右手から斧が零れ落ち、彼は先程見たばかりのリックと同じ相でただじっと正面を見つめ続けた。

 ふと、彼はどうでも良い事を思い出した。

 この場では、本当にどうでも良い事だ。

 

 何故冒険者になったのだろう。せめて夢が欲しかった。

 何故冒険者になったのだろう。せめて共に進む仲間が傍に居ればと。

 何故冒険者になったのだろう。中途半端な自分を、誇れる自分にしたかった。

 どうして、最強になりたかったのだろう。それは、自分が冒険者だからだ。

 

 そんな事を思い出しながら、彼は頭上から吹く風の音と共に、真っ二つにされた。左右に別れ、床に崩れ落ちるまでの間、その左右の目には奇妙な女達の姿が映っていた。

 白と、黒。それは、こんな場所ではまず目にしない服装だった。

 

 そして、二つにわかれ、もはや物言わぬ骸となったジータの死体が照らされた。そう、何も光がなく、カンテラの光さえ遮断したその場に、白と黒の炎が灯ったのだ。

 それと同時に、女達が片膝をつき頭を垂れた。僅か後、こつこつと言う音と共に、その部屋に誰かが入ってきた。

 部屋に入ってきた者は、周囲に散乱するジータ達に死体を一瞥して面倒くさそうに口を開いた。「最近は妙なことばっかりだ。お前らにしては時間を食うし」

 そこで一旦区切り、首を横に振って続ける。

「あいつを助けようかと思えば、他の冒険者が助けるし、呼んだ筈のあいつはいつまで経っても見つからないし……奥にあれはあるし、一回使った後もあるから、居ないわけが無いんだけどなぁ」

 溜息を零し、肩を竦める。

「モンスターの制御は落ちるし、本当に妙な事が続く……これも、持っていかれた事が原因だろうなぁ……あぁ、あいつ、まさか外に居る……わけないよなぁ。きついからなぁ、外は……」

 一人、女達を放ってそれだけ呟き、入ってきた者は踵を返した。が、立ち止まり未だに頭を垂れる女二人を見て、

「ん、血まみれのお前らは、悪くないな。やっぱり、いっこ尖ってないと駄目だな、うん」

 そう言って、微笑んだ。

 女達は顔をあげ、無垢な笑みを浮かべた。そこには艶があった。

「じゃあ、帰るか」

 音が鳴る。手のひらを打った音だ。それが鳴り響くと同時に、白と黒の炎は消え去り、あとはただ闇だけが在る。

 

 その中で何かが仄かに灯っていた。

 篝火が如き紅い瞳が五つ。闇を紅に染めていた。




分かった。僕迷宮に入った回と戦闘回で文章量増える。
戦闘なんてこの拙作まで碌に書いた事なかったんで、どの位がいいのか全く分かりませんが。
っていうか、これ戦闘……なんでしょうか?

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