題名のない迷宮会   作:カツカレーカツカレーライス抜き

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剣と盾を率いて
第6話


 ――遥か古の時代。まだ神代の頃である。絶大な力を誇り、万物を統べる種族があった。残念ながら彼等が何者であったか、後世には伝わっていない。伝わっているのは、その力と酷薄な性質のみだ。声の一つで雷を呼び、腕の一振りで津波を起こし、享楽の為だけに我等の先祖である人間を殺したと言う。

 

 だが、その暗黒時代は突如砕かれた。曇りない中天の刻、雷鳴と共に突然空が裂け、焔が奔り、9匹の竜と9人の騎手が現れ絶望の中で嘆き苦しむ人々に味方した。彼らと"何か達"の戦いは千夜を数え、流れた血で大地は真紅に染まった。

 

 そして千と一夜を数えた時…人は自由を勝ち得た。戦いの後、9人は何処かへと去った。9匹の竜を残して……

 

「こりゃまた、なんとも……」

 俺はそう呟いて、本を閉じ机の上に置いた。意図せず零れ出た声に、はっとしながら周りを窺う。周囲に人影はあるが、こっちを気にしたような気配はない……多分ない筈だ。なんとなく安堵の溜息を吐いてから、今度は声に出さずに呟いた。

 

 ――なんとも、ベタな。

 

 椅子を引き腰を上げる。それから机に置いたままの本を手に取り、持ってきた場所に戻す。本なのだから戻す先は当然本棚だ。

 学校にあった図書室で見たような綺麗な本棚じゃなくて、なんともみすぼらしい木製のものだけど、それはそれでなんとなく風情がある。さて、次は何を読もうか、なんて気持ちになれなかった俺は、出入り口の傍にある机に噛り付き、本を熱心に読み耽っている俺の親父より少しばかり年上といった感じの男性を一瞥して、出て行くことにした。

 

 扉の向こうは、太陽の光に照らされた見慣れぬ町並みがある。映画で見たような、煉瓦と木と土壁で出来た中世ヨーロッパ辺りの田舎みたいだ。偶に驚くほど機械的な物を見ることもあるけども、それが何であるかはさっぱり分からない。

 碌に舗装されていない道を歩く人達はやっぱりこれも映画で見たような服装で、ジーパンだのサングラスだのといった物は一切無い。俺は今着ている、街行く人と同じ様な服を手のひらで撫でた。堅いし、重い。用意してくれたタリサさんが言うには、ナイフで切られても何とかなる程度が当たり前で、俺がこっちに来た時に着ていた服なんて、論外なんだそうだ。

 なんだナイフで切られるって。

 あと刺されたら貫通するとかさらりと言われたのも地味に怖かった。刺されるってなに?

 

 さて、俺がさっきまで居た場所はどこかと言うと、図書館……いや、まぁ、館と言えるほど大きなモンじゃないし、品揃えもなんというか、個人営業の小さな古本屋、程度なんだけども、これでもここほど本がある場所は多くは無いらしい。

 紹介してくれた知人曰く、ここの辺りなら一番、なそうだが、本なんてその辺にあって当たり前に育った俺からすると、少しばかり物足りないと言うのが正直な気持ちだ。まぁ、紹介してくれた知人の顔もあるんで、勿論そんな不満を前面に出すような真似はして居ない。

 

 ここに、自由都市ヴァスゲルドとかいう場所に来て、一週間が過ぎた。

 ちょっとした旅行って言うのなら、高校生にしたら長い旅だろう。一所に滞在するなら一週間は長い。しかもだ。これは旅行でもなんでもない。

 信じられないことなんだが、俺はある日、寝て起きたら全く違う場所に居た。下手人不明、意味不明、そんなこの誘拐劇は、今もって解決の目処もなく、哀れな被害者である俺はなんでか名前まで失って今もここにこうやってふらふらとしたまま、なんとなく生きているのである。

 

 そう、ふらふら、だ。

 

 こんな場合、誘拐された哀れな被害者はどんな風に日々を過ごすのだろうか。俺が知っている漫画や古いアニメの主人公は、能動的に世界を回ったり冒険を繰り広げたりしていた。ロボットに乗ったり剣を振り回したり魔法を使ったり、世界を闇に覆わんとする巨悪を打ち滅ぼして英雄になったり、お姫様を助け出してイチャイチャしたりハーレムしたり、だ。

 傭兵やってSランク並の凄腕になって喋る魔剣を相棒として悪魔相手に血煙の中を舞う、なんてのも在った。

 

 残念ながら、俺にその素養はない。魔法と言うのを見た事は無いけども、この世界にはあるらしい。ただ、俺には使えない。剣も盾もある。けど俺にはそれを振り回す力が無いらしい。ダンジョンにもぐる度胸もないし、命を懸けて何かに打ち込む、ってのもないらしい。

 

 らしい、のだ。

 

 記憶がある。一週間前まで居た世界の記憶は、確かにある。けれども、俺には名前が無い。そのせいなのだろうか……どうもこう、根っこが無い感じで、何が自分らしいのか分からないのだ、俺は。

 図書館とは名ばかりのちっさい座り読みOKな書店で歴史書なんかをあぁして読んでいたのは、何も出来ないならせめて、と思ってやったことだし、多分、俺以外の……そう、俺以外の誰かが、名前を無くし、特別な力も与えられず異世界とやらに放り込まれたら、こうするんじゃないかと思ってやった事にすぎない。

 誰かのトレースみたいな、そんな実に意味の無い行為だ。

 

 それでも、少しばかりは意味があったと思うべきだろうか。知る事は出来た。例えば、ついさっき読んだ神話よりも前に読んだ本には、その後の事が書かれていた。9匹の竜の騎手達の本当のその後の話だ。別にどっかに去った訳でもなく。

 

 人間達に殺されたとさ。

 

 この説が出たときには相当揉めたと注意書きに書いてあったけど、今ではこれが一般的な説なんだそうだ。殺されたという点に関して、そりゃそうだよなぁ、と普通に思う自分が居る。違う存在が傍にいるのだから、怖いはずだ。だったら簡単にそうするに決まっている。

 強かろうが逞しかろうが注意深かろうが、殺しようは幾らでもあるのだろうし。毒とか罠とか人質とか。

 ある意味で、酷い種族である"何か"に虐げられていた人間達も逞しかったのだろう。それを逞しいと言って正しいのかどうか、俺には分からないが。

 

 その後は9匹の竜が人間に復讐を果たそうとしたり、それでも人間を信じる新たな騎手が生まれたり、後々生まれた国の守護者となった竜同士で争ったりと、まぁご苦労様な歴史があった。

 しかも物によっては、実は歴史の闇に秘された十匹目の竜が居て、なんてのもある。おまけにその十匹目の竜がここ――ヴァスゲルドの守護者で、更に『魔王の翼』なんて名前なのだから、俺は笑っていいのか、それともバズさんに中二病乙と言えばいいのか、ほとほと困ったモンなのだ。

 まぁ言ったら首傾げるだろうけど。意味教えたら首へし折られるだろうけども。

 

 なにはともあれ、争い、争い、争いだ。人が居るとどうにもそっちに偏りがちになるらしい。で、だ。こうやって本を読み漁って、俺は一つの解答を得たのだ。うん。

 

『ど う に も な ら ね ぇ よ』

 

 この世界の過去に、異邦人らしき人物が現れたのは神話のあの行だけだ。いや、他にもそれらしき者が居たかもしれないけども、書かれては居ないのだから、それは居ないの同義だ。

 

 俺は頭上で燦々と輝く太陽を仰ぎ見て、未だ着慣れぬ服の重さを感じながら肩を落とした。本当に、どうにもならない。なっていない。

 なら、ほら、おい、次は何をすれば、誰をトレースすればいいのだろうか。この自問はきっと惨めで、あぁ、誰かこれだという物を用意してくれと泣きたくなる。

 そんな感情だけは根っこが無くても本物なのだから、尚更痛い。

 

 視線を正面に戻すと、当たり前に歩く人達が居る。ただ当たり前に、だ。では何をすれば当たり前なのだろう。何が俺の当たり前なのだろう。皆と同じ様に道を歩けばいいのだろうか。

 舗装もされていない道は足の裏が痛いのに、足首がじんじんと熱を帯びるのに、当たり前に歩けばいいのだろうか。そうすれば俺は、少なくとも帰る手段もないままの俺は、ここに在って当然のモノになれるのだろうか。

 

 根っこが無いくせに、このままでは根腐れする事だけが分かりきった俺は、何をすればいいのだろう。せめて剣が、盾があれば良かった。そう言ったものを扱う才能やら覚悟があれば、アニメや本の主人公をトレースして、とりあえずの満足は得られたのに。

 

「はぁ……」

 溜息が出る。盛大に出る。どっと出て、どっと疲れる。違う違うと思うことが、違うと言う自分を作り上げるなんて分かっていても、これはどうにも出来ない。……帰ろう。今日はもう帰って、仕事に専念しよう。そうすれば、こんな物を忘れる事が出来る。

 暫定的な自分の家である酒場兼宿屋に足を向け、

 

「おや、奇遇だね」

「……あぁ、どうも」

 

 知人と出くわした。さっきまで居た本屋を教えてくれた、いつもフードを目深に被った、そんな知人だ。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

 フードを目深に被った少女は、この町での迷宮探索の拠点にしている『魔王の翼』亭の新人に気安く声をかけた。道で出会ったのだからその程度当たり前の事だと思い。だが、声を掛けられた男の方はと言うと、迷惑だと言うほどではないが、戸惑いの色が過分に含まれた相で返事をしてくる。

 

「今日も本を読みに行っていたのかな?」

「まぁ、そんなもんです」

 会話を続けようとする少女と、それを無難に合わせるだけの男。そこには確かな温度の差がある。少女はそんな事に気づけぬほど愚鈍ではない。気付いている上で平然と話しかけているのである。

 

「君は読書家なんだね……算術も飛びぬけているし、文官でも目指すのかい?」

「いえ、そういうのは特には」

「私にももっと砕けた話し方でいいんだよ? 僕らはなんと言うか……そうだね、一度は一緒にダンジョンを歩いた仲じゃないか」

 少女のその言葉に、男は軽く呻いた。威嚇的な呻きではない。怯んだ事であがった物だ。

 

「あんなの、それこそただ歩いただけじゃないですか」

「ないですか、じゃなくて?」

「いえ、だから」

「いえ、だから?」

 少女はフードから覗き見える唇をへの字に曲げて一歩男に近づいた。それに合わせて、男は腰を落として一歩下がる。

 

「……分かったよ。分かった。あんなの、ただ一緒に歩いただけだろ?」

「まだ声に堅さがあるけど……まぁ、それでいい」

 男には男なりに、この少女と親しくなりたくない理由がある。どうにも距離を取りたいと思わせるだけの物が、この少女には確かに在るのだ。

 

「ところで、あれから何かあったかい?」

「なにも、まったく、何も無い」

「そんな筈はないんだが……おかしいね」

 そう言って、少女は男の頭の天辺から足の爪先まで遠慮会釈の欠片も無くじろじろと見た。被ったフードに隠された視線、等と言っても、顔が露骨に上から下へと動けば誰でも分かる。

 これが嫌なのだ。男にとっては。

 

「君がそれほどの物を失ったのなら、絶対に何かを得た筈だ。名前なんて代償は聞いた事こそ無いが相当の供物だよ。それが君、何も無いなんてある物かよ」

「何言っているのかさっぱり分からない……」

「前々から思っていたけれど、君は意外と物が足りないね。言葉の外にも意味はある。それを拾い上げる事こそ本当の慧敏だと言うのさ。君は知識だけの徒になってしまって満足かい? それは良くない事だと私は思うのだけれどね」

「分かる言葉で喋れ。いや、なんとなくは分かるけどさ……」

 

 ホルマリン漬けの貴重なサンプルを眺める研究員の双眸とは、例えばこんな物なのだろうと男は思った。フードを目深に被った少女の相は殆ど隠された物だが、こんな時に出す空気はまさにそれを感じさせる気味の悪い物なのだ。サンプルに成った覚えの無い男にすれば、殊更に。

 

「ふむ……変調があればすぐにでも報告して欲しい」

「あぁー……うん、多分するんじゃ……ないか?」

「はっきりとしないね。いや、仕方ないか、私は君とエリィほど親密でもないからね」

 少女の口元に笑みが広がる。顔を半分以上隠したその相は、花の様なと見立てる事は出来ないが、仮にもうら若き娘だ。それなりに穏やかな彩があった。そんな相のまま、彼女は続ける。

 

「変調をきたして困るような事があれば、言ってくれれば良い。私でも出来る事があるだろうしね」

 優しい言葉が出てきた。男はそれを意外だと少しばかり感じたが、それこそが意外だと笑いそうになる。あのエリィの仲間なのだ。

 

「その人を知りたければ、その友を見よ、か」

 小さく呟かれた男の言葉に、少女が頷いた。

「良い言葉だ。そこに真理がある。君はやはりもう少し慧敏である事に拘るべきだね。きっといい学者様になれるよ」

「俺の言葉じゃない」

 男が居た世界、その中国の諺だ。

 

 なんとなく、そこから気が晴れた。距離を取っておきたいと言う男の心情に格別の変化は無いが、ある程度までなら、という譲歩の気が芽生えた。実験動物の様に眺められないのなら、世間話をする位はいい。

 二人はなんとなく歩き出し、道を行くことにした。

 

「で、今日は一人でどこに?」

「うん、素材をギルドで換金してもらおうとね。今日は私の番だったんだ」

 そう言って、少女は腰につけた迷宮探索用の携帯袋を軽く叩く。中の素材でどこか角ばった形に成った皮製の袋が小さく揺れた。

 

「換金は、ギルドなんだよな?」

「そうだよ」

「……じゃあ、その時ギルドの人に今日の収入分を人数分に割って貰ったりしないのか?」

「無茶を言う」

「無茶?」

 分からない、と言った表情で自身をじっと見つめる男に、少女は一度立ち止まって人差し指を突きつける。

 

「私達の収入を、そのまま人数分に分けて渡してくれる保障がどこにあるんだい?」

「でも、それは」

 と、男は少女の腰にある携帯袋を指差して

「そこで金に換えるんだろう?」

「当たり前じゃないか」

 

 それが男には分からない。換金はする。しかし人数分に分けてもらうのは嫌。どちらも金だ。換金でも魔がさしてごまかしポケットに入れるようなギルド職員もいるのではないだろうか。それなのに何故換金だけはするのか。

 その疑問が顔に書いてあったのだろう。少女は突きつけた人差し指で男を軽く突いて口を動かす。

 

「換金はね、いざとなれば私達が道具屋なり鍛冶屋なりに直接交渉しても良いんだよ。実際、一流どころの冒険者は、そう言ったお抱えが居るんだ」

「……なるほど。でも、換金っても素材の値段はギルドが決めてるんだろう? その辺りは?」

「換金はギルドの仕事で、そこには信頼がある。君が言っている人数分に割る、はギルドへのお願いになるから、信用がないのさ。仕事ではないのだから、信じて用いれないんだね」

「めんどくせぇ」

「そうやって僕らは面倒くさく歩いていくんだよ、今ここでもね」

 そう言って締めくくり、彼女は肩をすくめて歩き出した。少しばかり華奢で小柄な少女がやった先程の仕草は不似合いではあったが、おかしな事に貫禄があった。男にはない物だ。

 歩き出した彼女の背を、なんとなく追いかける男には。

 

「それにしたって、君はおもしろい」

「ん?」

 背後に振り返ることも無く、彼女は男へとまだ話しかける。

 

「普通君くらいの年頃なら、酒場の雑用や計算役より冒険に目が行くものだからさ」

「……なんも無いからな、俺」

「剣を持ってみたらどうだい?」

「……見ただろう、あんたはさ」

 男の声に棘が生じる。誰かを刺す様な棘ではなく、発した男の喉をこそ刺す自虐の棘だ。

 

「でっかい蛙にびびった俺の姿だよ。無理だ。それこそ、無茶だ。俺は……死にたくない」

 しかし、それでも羨望はある。

 どこかの本やアニメの登場人物のように、剣を振り、盾を構え、眼前の巨大な壁をいとも容易く踏破して、皆に認めてもらう。本来の世界に居た時には出来なかったような事をやってみたいと言う、それ。

 平凡な自身への強烈な劣等感。

 例えそれが根っこの無い、誰かならこうするのではないかと言う、なぞっただけの望みでも。

 

 

 ○      ○      ○

 

 

《――剣》

 静かな暗い恐い底で。

 

《――盾》

 静かな暗い怖いそこで。

 

 音が木霊した。それが望みならばと、何かは揺らめいた。供物を糧に、揺らめいた。




これからも適度にもんにょり更新してきますんで、お暇な時にはどうぞ。

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