Moppy knows...   作:安木ポン酢

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第一話 人類最高の天災とそれ以上の何か

 篠ノ之家において、箒という子供は少しばかり『足りない』子としての認識を受けていた。

 何せもう五歳になるというにも関わらず、未だに言葉すら話さない。いつも口を閉ざし目を閉ざし、部屋の隅でじっと動かずにぼんやりとしている。かと思えばいつの間にか何処にも居なくなっていて、慌てた家族が捜しに出てみれば信じられない場所で彼女を発見したという事も有った。血の気の引いた両親が箒を叱った時も、やはり彼女は顔色一つ変えずにぼんやりとするばかりだった。

 それを見た両親は思った。きっと箒は束に知能を吸い取られてしまったに違いない、と。

 

 篠ノ之家において、束という子供は少しばかり『飛び抜けた』子としての認識を受けていた。

 何せまだ中学生になったばかりだというにも関わらず、既に大学レベル以上の学習を終えている。そればかりか何やら敷地内の倉庫で何処からか揃えた怪しげな機械を弄繰り回しているのだ。かと思えばいつの間にか扉の鍵が閉まっていて、そこに閉じ篭ったまま何日も出て来ないという事も有った。血相を変えた両親が束をいくら叱っても、その度に彼女は煩わしそうに顔を顰めるばかりだった。

 それを見た両親は思った。きっと束は箒に純粋さを置いてきてしまったに違いない、と。

 

 しかし彼等は知らない。自分達の娘二人に対する認識がどちらも誤っているのだという事を。都市で暴れる怪獣の影に隠れるようにして、静かに宇宙人がこの星に紛れ込んでいるのだという事を。本当に恐ろしい魔物は得てして、思いもよらないところに潜んでいるのだという事を。

 箒が言葉を話さないのは、彼女が己の意思を他人に伝える必要性を感じていないから。箒がいつもぼんやりとしているのは、彼女が常に脳内で膨大な思考実験を繰り返しているから。箒が時たま姿を消すのは、彼女がその頭の中で展開している仮想世界に新たな情報を取り込んでいるから。

 そして箒が周りに全く反応を示さないのは――

 

 彼等は知らない。

 幼い頃から天才の片鱗を見せ付けていた篠ノ之束(天災)もまた、篠ノ之箒(宇宙人)から見れば何処にでも居る凡人に過ぎないのだという事を。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「束! 出てきなさい、束!!」

 

 人気の無い境内に男の怒声が空しく響き渡った。

 篠ノ之神社の敷地内にひっそりと佇む小さな倉庫。その扉にぶつけられた大声はしんと静まり返った空気に吸い込まれて掻き消える。悲鳴にも聞こえるその叫びを上げた男の名を篠ノ之柳韻(りゅういん)と言い、二人の娘を持つ篠ノ之家の当主である。そんな彼は今、絶対に開く事の無い扉の前で力無く項垂れていた。

 

「束……母さんも心配しているんだぞ……」

 

 返事は無い。それは聞こえていないのか、それとも聞こえている上で無視しているのか。どちらにせよ、束の元に声が届いていないのでは変わらないと柳韻は自嘲した。

 扉を叩こうとして、拳から力が抜ける。今日も、駄目だった。柳韻の心で急速に膨れ上がった諦めが、彼自身の身体からも根こそぎ活力を奪っていく。

 もう戻ろう。彼は疲弊した頭でそんな事を思ったが、次の瞬間、己の足が石のように固まって動かない事に気付く。柳韻には最早自力で歩行する程度の気力さえ残っていなかったのだ。

 

 彼は無言で扉の前に立ち尽くす。束に声を掛けるでもなく、その場から立ち去るでもなく。自分達の気持ちが伝わる事は無いと頭の何処かで理解しながらも、もしかしたらという希望を捨てきれない。

 大の大人が何をやっているんだ。柳韻は気が抜けたように笑みを零した。

 どうすれば束と上手く付き合えるのか。自分達では駄目なのか。実の父親が、娘の顔を満足に見る事さえ叶わないのか。

 父親失格だと彼は思った。

 

「……束。ご飯、ここに置いておくからな。ちゃんと、食べるんだぞ……」

 

 柳韻は手に持っていたクーラーボックスを静かに地面へと置いた。そしてそのまま何かを悩むようにじっと沈黙し――意を決したように、たった今置いたばかりのクーラーボックスのすぐ横に置いてあったそれをゆっくりと開く。

 中身は腐っていた。

 

 柳韻は温くなったクーラーボックスを片手に、失意のまま倉庫から立ち去った。

 

 

 

「柳韻さん……?」

 

 妻の問い掛けに、柳韻は沈黙で答えを返した。

 その返答に女は元から暗かった表情を更に暗くして視線を落とす。標準以上に整ったその顔には半分諦めているような色が見え隠れしている。柳韻はそれに気付かない振りをしながら何も言わずに靴を脱いだ。

 

「箒ちゃんを呼んできますね」

 

 夫が家に上がったのを見届けると、彼の妻はそう言ってそそくさと玄関から離れていく。柳韻はその背に声を掛けようとして、止めた。自分が何を言いたいのか分からなかったのだ。それと同時に、自分が何かを言う権利は無いだろうとも。彼はふうと疲れたような溜め息を零してから、食卓に向かってのろのろと歩き始める。

 そうして柳韻が目的の部屋に辿り着く頃には、彼の妻――篠ノ之落葉(おちば)もまた目的の場所に辿り着いていた。

 

「箒ちゃん?」

 

 部屋に入ると同時に落葉は声を掛ける。それに対する返事は無いが、落葉がその事実を気にする事もまた、無い。彼女の視線の先には、一〇分前に見た時と同じ姿勢で固まる箒の姿だけが有った。

 

「――箒ちゃん」

 

 言って、落葉は箒の真正面へと目線を合わせてしゃがみ込む。それから力無く床に投げ出されていた小さな両の手をゆっくりと取って、彼女は表情の無い箒の顏をじっと見つめた。落葉の視線は真っ直ぐ箒の目に向かっていて、箒の視線は落葉の目ではない何処かに向かって伸びている。落葉は床に向かって俯いている箒の頭を優しく撫でながら目尻を下げて微笑んだ。

 

「ご飯に、しましょうか」

 

 囁くような声でそう言ってから、落葉は箒をそっと胸に抱える。その手付きはこれ以上無いという程に慈愛に満ちていて、そして繊細だった。神経質と言って良い。心行くまで娘を抱き締めたいと思いながらも、そうしてしまえば腕の中で溶け崩れてしまうのではないかと恐れているような心境。

 強く抱き締めたら潰れてしまう。目を離したら消えてしまう。立ち上がって歩いているところなどを見た日には不安で胸が張り裂けそうになる。バランスを崩して転びでもすればそのまま倒れて死んでしまうのではないか――落葉にとって、箒はこの世の何よりも儚い存在に見えていた。

 

「柳韻さん、箒ちゃんを連れてきましたよ」

 

 そう言うと落葉は箒を膝の上に乗せながら静かに食卓へと着いた。四人座っても十分に余裕が有る程に広々としたちゃぶ台の上には豪勢な料理が並び、その中央にはろうそくの刺さった大きなホールケーキが鎮座している。たっぷりとクリームで覆われたそのいちごのショートケーキは一部が切り取られたかのように欠けていた。

 七月七日。今日この日、篠ノ之箒は五歳の誕生日を迎える。

 

「箒ちゃん、五歳の誕生日おめでとう!」

 

「誕生日おめでとう、箒」

 

 席に着いた箒に両親二人が祝いの言葉を投げ掛ける。無表情の箒は反応も無くぼんやりと俯いているだけだったが、そんな事を咎める者はこの場には居ない。食卓に並ぶ丁寧に磨かれた食器の数々はきらきらと綺麗に輝いていて、そこに飾り立てられた沢山の料理は色取り取りの鮮やかな色彩を放っている。柳韻も落葉も、今この瞬間ばかりは全ての問題を忘れ幸せそうな表情で箒の顏を眺めていた。

 一拍置いて柳韻が座布団から立ち上がり、部屋の照明を静かに落とす。薄暗くなった部屋の中では落葉が五本のろうそくにいそいそと火を付けている。

 

「――ハッピーバースデイトゥユー……」

 

 ゆらゆらと揺れるろうそくの明かりを囲みながら、柳韻と落葉は箒の為に歌い始める。それは誕生日を、娘の生誕を祝福する為の歌。そこには娘の祝事に対する抑えの利かない喜びと、大切なものに対する溢れんばかりの愛が有った。

 落葉は胸に抱き締めている箒の体温を感じながら幸せそうに笑う。柳韻はそんな自分の妻子を眺めて頬を緩める。二人は幸せだった。

 

 幸せだった。

 

「ハッピーバースデイディア――」

 

 

 

「――――箒ちゃーんっ!!」

 

 

 

 全てがぶち壊しになる。全てが台無しになる。

 

 紙の破ける音がした。木材の折れる音がした。障子の嵌め込まれた扉が派手に倒れ、ささやかな祝いの席に土足で乱入者が現れる。強引に部屋へと侵入した彼女はけらけらと張り付けたような笑みを顏に浮かべている。それを見た柳韻は一瞬、息が止まった。

 その隙を突くようにして少女が何かを投擲する。暗闇の中に放り投げられたそれは部屋の中央――箒を庇うようにして蹲っている落葉の頭上を通り抜けてちゃぶ台の方へと飛んでいく。あまりの衝撃に思考の固まっていた柳韻はしかし、自分達に向かって飛んでくるそれを気配で捉え、咄嗟の判断で部屋の隅へと弾いた。

 その判断は決して間違いではなかったが、十分に正しかった訳でもない。一瞬の間を置いて炸裂した閃光と衝撃が食卓を襲う。予想外の出来事に落葉が小さく悲鳴を上げ、爆発地点の最も近くに居た柳韻は衝撃をもろに受けて床に倒れ込む。そしてその惨状を作り上げた張本人――篠ノ之束は何がおかしいのか、何処までも楽しそうにへらへらと笑っていた。

 

「箒ちゃん誕生日おめでとーっ!! 束さんがお祝いにやってきてあげたんだよーっ!!」

 

 箒に向けて話し掛けているようで、その実誰に向けている訳でもない。場の状況をその手に束ねた少女は大声でそう叫ぶと、未だ混乱状態にあった落葉の腕から無理矢理に箒を奪い取る。

 まるで物でも扱うかのように箒を抱え上げた束はついでとばかりにちゃぶ台を蹴飛ばし、上機嫌で荒れ果てた部屋から去っていく。自分以外の事など気にもしていないというようなその様子は何かが致命的に狂っていた。

 

「っ、たばねぇっ!」

 

「箒ちゃんっ!!」

 

「あはははははっ!!」

 

 男は血を吐くような怒声を上げた。女はこの世の終わりのような悲鳴を上げた。少女は気が触れたような嘲笑を上げた。

 幼女は声を上げなかった。

 くらくらと揺れる意識に喝を入れ、眩暈を抑えながら立ち上がった柳韻が箒を連れ去った束を追い掛ける。一呼吸遅れて、大事な娘を奪われたショックで放心していた落葉もすぐにその後を追う。

 一部が欠けていたバースデイケーキ。足りていなかった最後の一切れは上から逆さまに落ちてきてケーキの装飾を台無しにする。篠ノ之家の最後のピースが素直に隙間に収まる事は無い。彼女は自分以外の全てを吹き飛ばして自分勝手にパズルを崩壊させていく。

 

 後には無残に倒れた障子の扉と滅茶苦茶に引っ繰り返った食器と料理、そして床に落ちてぐちゃぐちゃに潰れたバースデイケーキだけが残った。

 

 

 

 夜の境内を小さな影が音も無く駆けている。猫のように軽快な身のこなしで疾走するそれは、鬱蒼と生い茂る障害物の間をすり抜けるようにして目的地へと一直線に進んでいく。全く重さを感じさせずに走るその影は小柄な少女の形をしている。

 彼女は追われていた。ただ、少女自身にその自覚は露程にも無かったが、彼女を追う者が存在していて、追跡者から跡を付けられ続けているというのは少なくとも事実ではある。追われているのは束で追っているのは柳韻、柳韻を見失わないように必死で付いていっているのが落葉。全く異なった思いを抱いた三人が、全く同じ場所に向かって暗闇の中をひた走っていた。

 篠ノ之神社の敷地は堂々と神社を名乗れる程度には十分な広さを持つ。鳥居を潜り抜けてから拝殿に辿り着くまでには何十段と続く階段を幾度も登らなければならない。道を外れれば人の手の一切が入っていない雑木林で暫く迷う事になるだろう。そんな場所を、暗闇で殆ど何も見えないような状態であるにも関わらずほんの一瞬も迷う事無く飛び跳ねている束は何かが普通から逸脱している――何より、子供とは言え人一人を抱えての動きでは明らかになかった。

 

 篠ノ之束はご機嫌だった。

 或いは、篠ノ之束は不機嫌ではなかった。機嫌が良いか良くないか、より正確には不機嫌であるかそうでないか。彼女の心の形はその二つしか存在しない。

 束はいつでも笑っている。それは彼女が己の原始的もしくは根源的な本能だけに従って生きているから。束の顏から笑みが途絶えるのはその大原則が何らかの理由で崩された場合のみ。篠ノ之束という少女にとって世界とは全てが自分の思い通りになっているのが極めて自然な状態であり、またそうである限り彼女は常にご機嫌だった。

 

 そして、だからこそ束は自分の両親を嫌っていて、自分の妹を嫌ってはいなかった。

 

 雑木林を抜け、やがて束は倉庫の前に辿り着く。そのまま重い扉を片手で押し開くと、太い鉄の棒を何本も使って物理的に鍵を掛ける。束の手で直接補強の施されたその扉を力尽くで突き破る事はできない。束によって、束にとって快適な場所に改造されたそこはまさしく束の為だけの空間だった。

 そうして自らの世界を完結させた束は一つ頷くと、部屋の最奥に設けられている作業スペースへと近付いていく。何処で手に入れたのか、見上げる程に大きい薄型の液晶ディスプレイと、その下に山と積み上がっている電子機器の群れ。それぞれが何やら奇妙な黒いコードで繋がっており、複雑に絡み合ったそれ等が彼女自身の無秩序な無軌道さを暗示している。

 

「箒ちゃん見て見てっ! 束さんはすごいものを作ったんだよ! すごいでしょ! すごいよねっ!? すごいんだよっ!!」

 

 そんな事を言いながら束がコンピュータを起動させる。同時に正面の液晶ディスプレイが煌々と輝き始め、程無くして画面にシミュレーターらしきプログラムが出現した。左右に取られた枠には常人には到底理解の及ばないデータの数々が表示されていて、中央には白を基調とした全身鎧のようなものが大きく映し出されている。液晶画面の中からでも一際存在感を放つそれは一言で言い表すなら、宛ら白騎士とでも呼べるものであり――

 

「束さんはすごいんだよ、箒ちゃん……コレはね、群れるだけの能無しの愚図共には絶対に到達できない理論によって組み上げられた、全世界ぶっちぎりで最高性能のマルチフォーム・スーツ……束さんがこの手一つでこの世に産み落とした、束さんの最高傑作――」

 

 言葉を切る。

 

「――IS(インフィニット・ストラトス)って言うんだよ!!」

 

 瞬間、世界が震撼した。

 幼き天災によって無責任に創造された魔物が一段下の次元から声無き産声を上げる。実体を持たない仮想の騎士が、確かにその存在を世界へと知らしめるように。それはこの世の誰にも感じ取れない静かな衝撃だったが、後に世界を引っ繰り返す恐慌を引き起こすその種は、今ここに振り撒かれた。

 

「ISって言うのはね……」

 

 そうして束は大仰に語り始める。自らの成果を、彼女の成した偉業をたった一人の観客に聞かせる為だけに。ISというものの概要から始まり、そこに搭載された空想染みたシステムとそれを実現する為に用いられた理論、実験データ、その過程資料、そしてそれ等全てを根元から支える無数の数式――シミュレーターの映像やそこに収められた膨大なデータを垂れ流しにして、ただひたすらに己の偉大さだけをひけらかしていく。無理矢理この場に連れてこられた箒はと言えば、その話に相槌を打つどころか瞬きもせずにぼうっと液晶画面を眺めているだけだったが、束はそれでも満足だった。

 或いは箒がどのような態度であっても束は満足していたし、もっと言えば居ても居なくても変わりが無かった。例えば箒が何らかの理由で死んだとしても、それが今この瞬間でさえなければ彼女は何の関心も抱かない。

 それでもわざわざ観客をここに連れてきたのは強いて言うならば彼女がそれを思い付いたから。束にとって他人とはその全てが例外無く己を引き立てる為の舞台装置でしかない。他人に反応を求めない束と、他人に反応を返さない箒――二人は結果的に奇妙な噛み合いを見せていた。

 

「――煩いなあ……」

 

 唐突に束が呟いた。

 そのまま笑みを消した彼女は一瞬寒気が走るような無表情になり、その次の瞬間には不機嫌そうな表情を顏に張り付けて封鎖した扉の方へと視線を向ける。そこからは金属を拳で叩くような鈍い音と共に、必死さの籠った悲痛な叫び声が倉庫の中まで聞こえてきている。ここに来る途中で合流した柳韻と落葉が遂に束に追い付いたのだ。

 断続的に、しかし決して途切れない呼び声が倉庫に響き渡る。実の娘二人に置いていかれて、それでも尚心折れずに娘の元へと辿り着いた両親。幾度と無く繰り返されるその決死の呼び掛けは束の心を酷く掻き乱していく。

 

 

 

 束は不機嫌になった。

 

 

 

 如何にも鬱陶しそうに溜め息を吐きながら棒状のコントローラーのようなものを手に取ると、束は僅かな逡巡すら無くそこに着いているボタンを無造作に押し込む。直後、扉の向こうでくぐもった呻き声と絹を裂くような悲鳴が聞こえたきり、まるで嵐が去った後のような静けさが倉庫に訪れる。束が扉に電流を流したのだ。

 束が用済みになったコントローラーを部屋の隅に放り投げる。くるくると宙を舞ったそれは短い滞空時間を経て硬い床へと落下する。それと時を同じくして、感電のショックで意識を失った柳韻が地面に崩れ落ちた。

 不幸中の幸いか、ボタンが押される一瞬前に柳韻が動物的な直感に従って咄嗟に身を引いた為、流れた電気は身体の表面を撫でるのみに留まったが、そうでなければ内蔵まで焼かれて彼は死んでいた。束は人を殺せる引き金を、ボタンを押すように軽々と引く事ができる。彼女にとっての人の命とはたった今投げ捨てたコントローラー程の価値さえ無いものに過ぎない。手早く障害物を片付けた束は興味を失ったように、もしくは元から興味など無かったかのように倉庫の入り口から目を離した。

 

 そうして雑事を終わらせ箒の方へと向き直った束の頭に、ついさっきまで有った事など既に欠片も残っていない。画像が切り替わるようにして表情を笑顔に切り替えた束はすぐさま、説明という名の自画自賛行為を再開する。束にはISのメカニズムを自分以外の誰かに理解させる気も無ければ、まともに聞かせる気さえも有りはしない。

 単に、凄いものを作り上げた自分を自分で称賛したいだけ。それをより形の有るものにする為に、その為だけにわざわざISの仕組みを言葉にして一方的に観客へとぶつけている。だから束は箒の姿を視界に捉えてはいても意識には入れていなかったし、また当然の事実として、箒も目の前で見せられている事を理解している訳ではなかった。

 

 

 

 彼女はただじっと観察していた。この世に生を受けてからずっとそうしてきたように。

 

 

 

 箒は全てを観察していた。木々を揺らす風の流れも、板張りの床で反射する日の光の明るさも、それが自分の身体に当たった影響で変化した皮膚の温度も、生まれて初めて口にした固形物の匂いや味も、自分を心配そうに見つめる母親の表情の動きも、何より他ならぬ自分自身の事も。全てを観察し、認識し、記憶し、理解し、そして学習していた。

 当然、それは今この瞬間においても例外ではない。マシンガンの弾丸のようにばら撒かれる専門用語の数々を正確に聞き取り、矢継ぎ早に流される映像を細部まで記憶し、猛スピードでスクロールしていくデータの波を一瞬で読み取り、その全てを脳内に取り込んでいく。この映像のシステムはどのような理論で動いているのか。その理論はどうやって導き出したのか。あの数式は何を表しているのか。この言葉は何を意味しているのか。

 何故、何故、何故――元々持っていた膨大な知識と、たった今得たばかりの新しい知識とを照らし合わせて一つの理解を形作っていき、そうして完成させたその理解を用いて更なる理解を得る。それを何度も繰り返して生み出した理解の連なりを自分の中で昇華し、やがて次の学習へと繋げていく。

 

 箒の学習は止まらない。生誕直後、自分に向かって伸びてくる二本の腕と一〇本の指を見て四則計算を習得した瞬間から常に進化し続けている。

 少しの経験値で成長できるのが才能の有る人間なら、少しの学習で大量の経験値を獲得できるのが頭の良い人間――箒は誰もが自然に行っている事を、ただ、誰にも真似できないやり方でやっているだけだった。

 

 

 

 男は怒り、女は嘆き、少女は狂い、幼女は見る。動かず、喋らず、ただ静かに真理を探究する彼女の視線の意味に気付く者は何処にも居ない。優秀な研究者を山のように集めても突き止められない忌まわしきブラックボックスを、聡明な物理学者が生涯を掛けても解き明かせないこの世の神秘を、やがて世界に天災と呼ばれる少女が何年も掛けて作り上げてきた数多の理論の集大成を。

 篠ノ之箒はものの数十分で吸収し尽くしていた。

 

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