「あ―――駄目になるぅー……」
眠気を振り払いながらベッド代わりに使っていたソファから起き上がり、体から薄い毛布を剥がす。欠伸を噛み殺しながら見渡す光景は良く知っている安宿の姿ではなく、広く、そして清潔に保たれているホールの姿だ。常盤台中学に存在する”女王派閥”専用のクラブハウス、そのホールに設置されているソファを自分は、ベッド代わりにして寝ていた。男子禁制のエリアな上に寝泊まりなんてまずありえないであろう場所だが、そんなルールに操祈が支配されるわけもなく、そしてヒモに否定の権利なんて存在しない。泊まって行け、と言われてしまったら泊まるしかないのだ。
幸せ。
もし問題があったとしても、どうせ操祈の能力に抵抗できる存在等両手の指で数えられる程度にしか存在しない。この常盤台中学校にはその一人が存在するが、それ以外は全て操祈に逆らう事が出来ない。つまりある程度バレたとしても、直ぐに情報の潰しは通じるのだ。故に、操祈は恐れる事無くそんな事を命令できる。恐ろしい事に百パーセント私欲の為に人の記憶を改ざんできるレベル5の超能力者が彼女なのだ。
恐ろしいと思われがちだが、アレはアレで可愛い所が結構あるのだ。
「さて、登校時間の前にサクっと抜け出しておくか」
気配を消し、操祈に教えてもらっている脱出経路を通れば誰にも見つかる事なく出入りは出来るんだよなぁ、なんてことを思いつつ、ソファに横に置いてあるショルダーバッグからスマートフォンの着信音が聞こえる。眠気を振り払う様に頭を横へ大きく振るいながら、演算を開始し、レベル1しかない能力を、
時間歪曲(クロノディストーション)を発動させる。
とはいえ、出来るのはレベル1だから精々スプーンを曲げる程度の影響力しかない。それで少しだけ自分の時間を加速させる。レベル1だと一割増程度の加速しか出来ないが、それでも眠気が冷めるまでの時間はある程度カットできる。十秒ぐらいで眠気が覚めて行くのを認識しつつ、ショルダーバッグのサイドポケットからスマートフォンを取り出し、スクリーンに映されている相手の名前を確認し、溜息を吐きながら通話ボタンを押す。
「はい、もしもし此方信綱です」
『あ、おはようノブ』
聞こえてくるのは若い男の声―――良く知っている、常に騒動の中心を突っ切る様に駆け抜けて行く不幸のヒーローの声だ。ショルダーバッグを背負い直しながらギターケースを握り、操祈や操祈の側近の縦ロールの少女がいないのを確認しつつ、クラブハウスのホールの端へ移動し、外へ通じる窓を開ける。
『ところでお前、朝起きたらベランダにロリっ子が干されていたって言われたら信じる』
「クソして寝なおすか病院行け。マジレスすると幻覚を見ているかもしれないから右手で頭触っても消えないならロリっ子にソフトタッチすべき。なおその際発生するトラブルに対して俺は一切責任を持たないって事をここに先に告げておく。そんじゃ強く生きて」
『なんだよその俺が今から不幸の流れに入りそうな言い方は。アレ、頭触っても消えないなぁ。んじゃあ軽く―――』
スマートフォンの向こう側から悲鳴と叫び声が聞こえる。流石不幸のヒーロー上条当麻、歩けば棒で殴られた先で美少女のランディングするそのフラグ回収力は凄まじい。朝からいいネタを貰ったなぁ、とスマートフォン越しの喧噪を耳を離し、通話を切る事で対処する。ふぅ、と軽く息を吐いてスマートフォンをバッグの中に戻し、窓から外へ、クラブハウスの横の草地へと出る。あとは裏手へと周り、壁を飛び越えて外へと出るだけだ。
チョロイ風に見えるが、本来は監視カメラやら警戒用のレーザー等あったりするが、それが意図的に切られている。愛されているなぁ、と感じながら壁を蹴り、クラブハウスの壁を蹴り、そうやって壁蹴りを繰り返して常盤台中学を囲む壁を蹴り超える。
スマートフォンから着信音が鳴っているが、責任は取らないと宣言したばかりなのでガン無視する。まずは適当な公園を見つけて、そこで歯でも磨こう、と計画する。
◆
朝の雑用を終える頃には大分暇になっている。平日の日中は操祈にも普通に授業が会ったり、研究所での実験が存在する為、たとえ夏休みといえど一緒にいる事は出来ない割と暇な時間になる。となると大体一日を仕事を探したり適当な事で潰さなくてはならなくなる。夜になれば操祈の実験とかが終わってまた会えるが、それまでは十何時間も暇な時間があるのだ。
となるとやっぱり、それまで適当に仕事を探すしかない。といっても、アルバイトをするわけではない。何でも屋、あるいは”代行業”と呼べる事をやっている。金銭と引き換えに大抵のことはなんでもやる、というだけのシンプルな商売―――ただし知名度が全く存在しない為に客は少なく、固定客だってメインが操祈ぐらいというのが現状で、偶に後輩からヘルプの声がかかるというぐらいの話だ。
それでもちゃんと自分で考えて始めた商売なので、キッチリ責任を取り、真っ当しなくてはならない。
「ま、こんな所かな」
第七学区、人の通りが多い繁華街の近くで、ショルダーバッグから一枚の板を取り出す。そこに予め用意してある宣伝用のポスターを張りつけると、
―――板が浮かび上がる。
重力子奇木板(グラビトンパネル)と呼ばれる物理法則を無視して浮遊する板は本来操祈の所有物だが、その何枚かを預かっている為、こんな風に便利に使っている。科学と能力の結晶らしいが、便利な広告版程度にしか認識していない。という事で、見やすいようにポスターを張り、そして横に浮かべる。そのまま広告の隣で適当な店の壁に寄り掛かる様に腕を組んで、待つ。
「……呼び込みしても特に客が増える訳でもないしなぁ」
経験上、呼び込みをしても無駄につかれるだけ、というのは解っている。だから何時もの様に骨伝導イヤホンを装着し、適当なロックを音量を下げて聞く。適当に興味を持った人物が来れば、声をかけてくれる筈だ。それまでは割と暇なのだが、暇なのは何時もの事だ。そこまで悲観する事ではない。何時までも操祈のヒモであり続ける事に関しては確かに色々と思う事はあるが、そのうち何とかなると思っている。
なるといいなぁ、とは思っている。
というかなって欲しい。中学生のヒモとか世間的にやっぱりヤバすぎる。どうやってこの状況から脱却すべきか、と考えるも学歴が存在しない時点で割と詰んでいる気がする。となったら学歴を偽造して、IDを再発行すればいいのではないだろうかと思う。
しかしそれには何かと多額の金か、或いは改ざんするだけの影響力が必要なる。その場合、確実に操祈が関わってくる。という事で、やっぱり無理かぁ、と誰に言う訳でもなく静かに呟き、溜息を吐いたところで、
「―――あ、アンタは」
「んぁ」
声に俯いていた視線を持ち上げて声の方向へと向けると、そこには常盤台中学の制服姿の少女が二人並んでいるのが見える。片方がショートカットの茶髪の少女で、もう片方が風紀委員の腕章を装着した、ツインテールの常盤台中学の生徒だった。ツインテールの方とは面識はないが、ショートカットの方は有名人であり、話した事はないが、それでも誰かは知っていた。というよりも彼女の存在を知らない学園都市の住人はいないだろう。
学園都市の能力者の最高峰、レベル5に到達している超能力者、第三位”超電磁砲(レールガン)”の御坂美琴。第五位である”心理掌握(メンタルアウト)”食蜂操祈よりも上位に立つ電撃使い(エレクトロマスター)となっている。自分の様な低能力者とはそもそも次元の違う実力を持っている少女だが―――彼女が超能力者の第五位という時点で割とメンタルボロボロなので、そこらへんは華麗に流しておく。
ともあれ、全く交流しない相手に話しかけられたという実に珍しい事が今、発生していた。
美琴が此方へと指差しながら口を開く。
「―――アイツのヒモ」
「すいません、常盤台の女子って男子の心を抉る事を特技にしてるのかな? お兄さんの心はもう既にぼろぼろだから追撃は止めてくれませんかねぇ」
そう言うと美琴が笑いながら謝ってくるが、この恨みは絶対に忘れないで復讐帳に書き込んでおこう、と誓っておく。とりあえず溜息を吐きながら横の広告に指を指す。
「見ての通り、今は俺、お仕事中なの」
「ヒモならそんな事せずに一緒にいればいいのに。どうせアイツの事だからお金が腐るほどあるんだろうし、そんな事をしなくてもいいんでしょ?」
「そりゃあそうだけど、男としてはこう、色々と葛藤があるもんよ? っと、とりあえず改めて自己紹介するけど俺は信綱、ね。家名の方は気にしなくていいから。とりあえずよろしく」
手を差し出し、二人の少女と握手を交わす。あまり仲良くし過ぎると、なんだかんだで操祈が嫉妬心を見せてきて面倒なので、どこか適当な所であしらっておくべきかな、と思いつつあるが、チインテールの方の子が首を傾げながら視線を美琴の方へと向けている。
「えーと、お姉さま? この殿方は一体?」
「あぁ、えーとね。この人は第五位の彼氏よ。信じられないかもしれないけど、あの女王様の彼氏よ。正直な話、初めてこの話を聞いた時正気疑った上に能力で騙されているのかと思ったけど、ちゃんとした現実だったわ。しかもそこに追撃のヒモという事実。アイツを見る目がちょっとだけ変わったわ。私には無理だし」
「そこにさり気なく俺への精神攻撃を忘れない精神がすげぇわ。というか誤解されるような言い方はやめてくれよ。ゴミ虫を見る様な視線をそっちの子が向けてるから。別に好きでヒモやってるわけじゃねぇし」
基本的に操祈は他人を信じない。そういう環境と能力で育ってしまったからだ。だから他人という存在を信じる事が出来ず、魂と命をかけてそれを証明した人間に対しては情が深い、というレベルでは済ませない程に甘くなる。たとえば自分とか、当麻とか、あるいは彼女の側近とか。ついでに言えば操祈は嫉妬深く、ついでに独占欲も強い。手に入れたら手放したくはない、自分の手で抱きしめ続けたい、という気持ちもあるのだろう。
そのせいで見事に就職が出来ない。まぁ、それでもいいと思えてしまうのはやはり惚気、というものなのだろう。
とりあえず、広告の様なポスターに指差す。
「とりあえず用もないのにうろうろされると商売の邪魔だからあんまりうろつかないでもらうと非常に助かるんだけど」
そう言うと美琴はふむ、と小さく呟いてから閃いたような表情を浮かべる。
「へぇ、せっかく仕事を持ってきてあげたのにその言い方はないわねぇ」
美琴がゲスい笑みを浮かべる。あからさまに何か悪い事を考えている、という感じの笑みだ。読心能力なんかなくても、大体御言の表情からその思惑は理解できる。第三位の御坂美琴、そして第五位の食蜂操祈―――二人の不仲は割と有名な話。俺が美琴と会った、と言えば不機嫌になる程度には不仲だ。嫌がらせ目的で何かを頼んでおこう、という魂胆なのだろう。
呆れた目線を向けておくが、断るだけの理由にはならない。ツインテールの少女が申し訳なさそうな表情を浮かべるが、別に気にしない、と視線で返し、ポケットからスマートフォンを取り出し、メモアプリを起動させる。
「お客様であるなら対応は別と成ります。報酬に関しましては基本的に此方の労力により増減するところがありまして、難易度が高ければ高いほど、個人的に楽しめなかったら高くなるシステムとなっております」
「詐欺じゃない」
「ソンナコトアリマセンヨ……? っと、冗談は風紀委員の子が恐ろしいのでさておき、割と真面目に危険な事をさせるならそれなりの手当てを出してもらうんで。まぁ、基本的には落し物探しとか、探偵の真似事しかしてないけど、仲裁とか揉め事の処理とかもやっているんで。その場合は少し高いってぐらいで。それでも値段の程は―――」
と、数字を入力し、美琴へと見せると”安い”という返答が返ってくる。やはり常盤台のお嬢様だなぁ、とその狂った金銭感覚を改めて認識しつつ、
「というわけで。元スキルアウトだから君達が知らない様な人脈とか俺にはあるよ? アイツが好き、コイツが嫌い、とかで手を抜いたりしないし。だから、ほら、ギブミー仕事と職」
「なんか色々と怪しいけど……ま、いいわ。この程度だったら頼むだけ頼んでおいた方がいいし。それにアイツのヒモって事なら無能って訳じゃないだろうし」
「そこ、ヒモじゃなくて彼氏って言葉にしてくれないかな。そのセメントっぷりが心に突き刺さる」
いやよ、と笑顔で言ってくる美琴に対して多少げんなりとしつつも、商談は成立した。何時ぶりのまともな仕事だろうかなぁ、なんて思いつつ依頼の内容を書き込む準備を始める。美琴とツインテールの少女が多少言い争っているが、美琴が押し通す形で勝利する。その間に重力子奇木板から広告を剥がし、それを椅子代わりに尻の下に浮かべて座り、足を組む。
言い争いを終えた美琴が腕を組む様に立ち、そして口を開く。
「―――”幻想御手”って知ってる?」
ベランダで裸にされるロリがいるらしい。
感想に爪牙続々と集結している所を見ると、やはりステマはマーケティング的に正しい。ダイレクトじゃねぇか、とどこかで叫ばれたけどそんな事はない、これはステマなのだと宣言する。
とりあえず、しいたけさんマジ金髪巨乳。