彼女はラケルを愛しすぎている 作:ジョセフィーヌ
「あ、ああああぁぁぁぁーー!!」
少女の叫び声がスピーカーから聞こえてくる。
ラケル先生とジュリウスが何か話しているが、私はそれすら気づかずに台の上で痛さに身悶え叫ぶ少女を見つめていた。チリチリと直接肌に刺さるような感覚。見開いた目が乾く。口の中が乾く。それは久しぶりの感覚だった。
やがて、少女は台から転げ落ちた。
「やはり、失敗か」
「違う」
突然耳に入ってきたジュリウスの言葉を反射的に否定する。失敗? あれが? よく見ろ、感じろ。あれのどこが失敗なんだ。
ガラスに額をくっ付けて、身を乗り出すように少女を見続ける。無様にも床を転がる少女、それでも神機は掴んだままだ。
「……成功だ」
興奮のためか出た言葉は震えていた。痛みに耐え、床へと突き立てた神機を支えに少女は立ち上がる。思わず口角が上がった。自分の中に渦巻く感情や感覚に酔いそうになる。
そのまま、スピーカー越しにラケル先生が彼女に声をかけた。息を整えたばかりの彼女が、こちらを見上げる。黒色の瞳が二つ。その目を見て、私は漸くこの感覚の答えを導き出す。
――敵だ。
体の奥で何かがそう囁いていた。彼女を生かしておくと、ラケル先生の邪魔になる。早く処分しろ。
何度も何度も言い聞かせるような声に、意識が遠のくのがわかる。その声に身を委ねることができたなら、どれほど楽か。唇を噛み締めて私は我慢する。
「アリシア」
そっと肩に手が触れた。血の味が口に広がる。顔を上げると、ジュリウスが心配気に私を覗き込んでいた。
「気分が悪いのか。顔色がよくないぞ」
「ん、大丈夫、大丈夫」
答えながら、私は上着のポケットを探る。昨日ラケル先生から貰った薬がそこにはあるはずだった。指がポケットの底を何度も探る。右と左、ズボンのポケットも調べたが何も入っていなかった。どうも部屋に忘れてしまったみたいだ。
こんな時に……。舌打ちを堪え、私はラケル先生の隣に移動する。
「すいません、ラケル先生。少し外します」
近づくと漂ってくる香りに、また胸が騒つく。必死の思いで、体を離した。ラケル先生がこちらに視線を向ける。私を見たのは一瞬だけだった。
彼女の興味は今誕生したばかりの子どもに向いている。血の味がさらに濃くなった。
♦♦♦
血のように赤い赤い錠剤が手のひらで転がる。ベッド脇のサイドテーブルの上、そこにピルケースは置いてあった。
赤が転がる。そのまま口の中に放り込んだ。噛み砕くと苦味が広がる。用意していたコップの水を全て飲み干した。高揚感が一気に冷める。後に残るのは、吐き気と倦怠感。
「あーあー……」
ベッドに仰向けに寝転がる。最近はどうも情緒が不安定だ。何をするにしても苛立ってばかり。このままでは、ちゃんと役に立つこともできない。
両腕を上げる。ブラッドのメンバーと同じ色をした腕輪が嫌でも視界に入った。便宜上の腕輪。同じ偏食因子を投与されているのに、それでも私はブラッドではなかった。
血の力は覚醒したにはしたが、私のは体質の影響もあって不完全なもの。要するに、彼女の子供たちの枠組みの中に入れない失敗作ってことだ。
「また失敗作かぁ」
重いため息を天井に向けて吐き出す。また、だよ。また。うんざりするぐらいだ。
前の時は、私ともう一人が失敗作だった。名前も覚えていない。顔も覚えていない。そんな朧気で捉えどころのない印象のもう一人。私と同じ性別なのだけ覚えてる。基本ずっと二人で過ごしていた。風呂も寝る場所も一緒だったから、女なのだろう。……自信ないけどね。
前の時は必死に私なりの愛を見せたおかげで、今の居場所を与えてもらった。ラケル先生だけのモルモット。それが居場所で、存在意義だ。
「にしても、アレはダメだな」
ゴロンと転がり、体を仰向けから横向きに変える。思い出しているのは、先程の少女の姿。特に目つきを思い出していた。あの無駄に意志の強そうな目つきは、非常に厄介だ。ああいうタイプは、アラガミばっかしで人類絶滅危惧、外を歩けばアラガミと出会うそんな素敵な世界でも、絶望することなく希望を信じて掴み取ろうとする強さを持っている。
ラケル先生の目的なんて知ってしまったら、障害になるのは明らかだ。
利用されるだけの害虫眼鏡よりも数億倍タチが悪い。
「アレは敵だ」
言葉に出してみると、また心臓の音が煩くなった。この胸のトキメキは恋だろうか。恋し憎いってこと?
「……ハッ」
あまりにバカらしい自分の思考を鼻で笑って一蹴する。自分自身にツッコミをしだすとか、本格的に末期だと思えた。一人ツッコミ、一人騒がしいのは、ロミオだけで十分。
苛立ちを抑え込むために、私は目を閉じる。
基本的に私はラケル先生の望まないことは何もしない。望まれてもいないのに、手は出さない。だから、害虫眼鏡は生かしている。
ブラッドのメンバーは、ラケル先生の子どもだ。
手は、出せない。絶対に。
♦♦♦
どうしてこうなった。
翌日できるだけ件の新人に会わないよう慎重に行動していたのに、なぜかその彼女が今目の前にいる。庭園なんかで昼寝なんてしなきゃ良かったなんて、後悔してももう遅い。
目が覚めてすぐのはっきりしない視界と思考で、私は体を起こした。
ん? 途端に漂ってきた嗅ぎ慣れた匂いに眉を寄せる。すんすんと鼻を鳴らす。
「お、おはようございます」
尻もちをついたままの彼女に顔を寄せた。後退りをしようとしたので、胸倉を掴んでそのまま引き寄せる。額と額、鼻と鼻がぶつかりそうになるぐらいの距離まで近づいて、私はようやく確証が持てた。
知らない女の匂いがする……じゃなくて、この匂いはラケル先生のものだ。この優しくも甘くもあり、嗅いでいるだけで脳が活性化し血の巡りが良くなり、気分が高揚したりなどの興奮作用のある匂いを私が間違えるはずがない。
「あ、のっ!! ちょ、近っ!?」
何やらバタバタと暴れているが私の知ったことではなかった。
「せいぜい10分程度か」
「へ? きゃっ!?」
ラケル先生の部屋で過ごしていただいたいの時間を割り出して満足した私は、胸倉を掴んでいた手を離し立ち上がる。そして、離した反動でまた尻もちをつくことになった彼女を見下ろした。見た目はただの少女だ。このまま襲いかかって、あっさりと処分できる自信もある。いや、しないけど。
それでも、この場所に長くいるのは精神衛生上よろしくない。そう判断して、さっさとどこかに行こうとエレベーターの方へと向かう。
ガシッと、片足に抵抗を感じた。見下ろせば、片足がしっかりと掴まれている。もちろん、その新人に。
「…………なに?」
「え、っと、できればどこにも行かないでほしいです」
いやいや、意味がわからない。どこに行こうが私の勝手だ。私の行く手を阻むことができるのはラケル先生だけ。それ以外は、振り払ってでも進み続ける。
「ロミオ先輩が折角だから歓迎会をここでしようって」
ロミオの気持ちがいいほどの能天気な笑顔が過る。後輩ができたからって浮かれすぎじゃないかね、ロミー君。せめて空気を読め、ロミー君。
「私は参加しない。そうロミオに伝えといて」
足を掴む手を振り払う。顔を合わせたくない相手と一緒にいれるほど、私の精神は安定していない。このままだと、何をしでかすかもわからない。処分したいけどできない。ラケル先生への愛ゆえに葛藤しているのだ。
「あのっ! ラケル博士も来ます!」
「…………」
足が止まる。言われた言葉の意味を理解して、頬が引きつった。これは絶対にロミオの入れ知恵だ。こう言えば、私がどこにもいかないとでも考えたんだろう。まことに浅はかである。
浅はかではあるが……。
「それなら、ラケル先生を迎えに行ってくる」
ラケル先生が参加するのなら、参加しないわけにはいかない。
♦♦♦
「ご機嫌いかが?」
「見ての通り、悪いです」
グラス片手に訊ねてきたレア博士に私は、見ての通り不機嫌な表情で言葉を返す。機嫌も気分もその他もろもろ最悪だった。唯一の救いがこの場にラケル先生がいることだ、が。
「……ホント早く消えてくれないかな、あの害虫」
ラケル先生の隣にはなぜか、あの害虫がいた。ラケル先生と共に庭園に向かう途中で出会ってしまったのが運のつき。ラケル先生の有難いお誘いに断る気配も微塵もみせず、あれよあれよと現状に至る。少しは遠慮をしろ、そして消えてくれ。
「レア博士、あいつどうにかなりません? 神機兵開発で対抗してますよね。後ろからグサッと刺してもいいんですよ?」
「暗に犯罪者になることを勧めないで欲しいのだけれど」
「大丈夫です。証拠は私がどうにかします」
「それ、大丈夫じゃないわよ」
いざとなればグレム局長が守ってくれますよとは、思っただけで言わなかった。レア博士は局長の話題になると、微妙に面倒だ。言わない代わりに、手元のグラスを一気に飲みほす。ただの炭酸水。ちなみに、この後に仕事が残っているレア博士も炭酸水を飲んでいる。
ご丁寧なことに椅子やらテーブルやらが庭園には運び込まれていた。歓迎会を企画したのはロミオだったが、それらの荷物を運んでいたのはフライアの作業員ばかりだったような気がする。「働け、ロミオ」と見て早々に背中を蹴った私は間違っていない。
テーブルの上にはちょっとした軽食が並べられていた。サンドイッチやチップスやスコーン等々。なぜか並べられている料理の中におでんパンなる妙なものがあるがそれは、もう一人の新人・香月ナナが作ったもの。ホットドッグ用のパンにおでんの具を挟み込んだ夢のというより異色のコラボレーションの料理である。見た目に反して意外と美味しかった。
木の下で座り込んで談笑しているジュリウス、ロミオ、ナナ、新人に視線を向ける。ついさっきロミオに誘われたが、それは丁重にお断りをした。
「あの新人どう思います?」
「二人ともいい子だと思うけれど」
面白くない模範的な解答が返ってきた。まぁ、最初から期待はしていなかった問いかけだ。違う話題に変えるか。
「それで、他のブラッドの候補生は?」
「後二人ね。一人は詳しくは知らないけれど、もう一人はあなたもよく知っている子よ」
「誰……って、あぁ、子犬ちゃんですか」
思い当たる人物は一人だけだった。
「なぜか、嫌われてるんですよね」
「呼び方が原因だと思うわ」
そんな「子犬ちゃん」なんて可愛らしい呼び方がダメだというのか。命令を忠実に実行する猟犬になりきれなかった彼女にピッタリだと自信があったのに。他に思い当たる節はない。少し初対面時の印象が悪かっただろうか、と記憶にあるぐらいだ。あまり詳しくは覚えてないけれど。
ジュリウス・ヴィスコンティ。そして「子犬ちゃん」ことシエル・アランソン。その二人はマグノリアコンパスからの長い付き合いだ。基本的にラケル先生の用事がなければ、シエルと同じく戦闘訓練ばかりを受けていたので、なんだかんだと一番長い付き合いは彼女だろう。訓練ばかりのあの日々を遠い目をして思い出す。
憎しみの籠った視線。突き出される拳。向けられる銃口。自分のものでない血の匂い。
わぉ、中々にバイオレンス。
「シエル、上手くやっていけますかね」
「あら、意外ね。心配してるの?」
「心配というよりは……興味があります」
猟犬になりきれず、かと言ってただの少女にもなりきれていない。
そんな歪な彼女が、彼らと同じ場所で並ぶことは果たして可能か。
混じって、ただの少女に変われるのか。
「すごく楽しみですね」
ああ、早く来ないだろうか。待ち遠しい。
♦♦♦
○月△日
今日の新人は敵。
きっと彼女はラケル先生の邪魔をする。
○月◇日
庭園でロミオ主催の歓迎会。
ラケル先生はいたけれど、害虫が纏わりついてたのが非常に鬱陶しい。レア博士が代わりに処分してくれないだろうか。
近々シエルと会えるらしい。
さて、上手く紛れることができるかどうか。楽しみだ。
※ゲーム内ではラケル先生の研究室から見てますが、それに気づいたの書き終わってからだったんでここでは上のガラス窓から見てるってことでお願いします。
今更気にする人いないと思うけど、一応。