花槍有粋がE組落ちになった最終的な決め手は、親友の赤羽業の信頼を手酷く裏切った教師を一発ぶん殴ったからだ。
しかし決め手がそれだったというだけで、他にも理由となった暴力沙汰はたくさんある。
奥田愛美との出会いは、その数ある暴力沙汰の一つが関係していた。
あれは2年の終わり頃だっただろうか。
その日は珍しくカルマが風邪をひいて学校を休んでおり、渚も職員室に用事があるということで、一人きりの昼食としゃれこんでいた。
屋上といえば人気の昼食スポットというイメージが強いが、実際は強風が来るし座ったら制服が汚れるし目にゴミが入るしで良いことなど何もない。
しいていえば日当たりは良好だが、その程度の条件は中庭でも教室の窓際席でも同じこと。
そんな場所でわざわざ焼きそばパンを食べているのは、なにも有粋がマゾヒストだからというわけではない。
ただ、一人で教室にいると人の視線がうるさくて落ち着かないのだ。
「カルマとつるんでるときゃァ、楽しさが勝って気にならねェんだがな……」
親友と一緒にいることに慣れすぎてしまって、こうして一人になるとどうにもこうにも調子が狂う。
そんなこんなでリラックスできる空間を求めた有粋は、こうして不便ながらもそれゆえ人が集まってこない屋上で昼食をとるに至ったのだ。
……しかし人気の無い場所というのは、それはそれで有粋のように“別の目的”を持った人種が集まってくるものらしい。
階段を上ってくる二人分の足音を耳で拾った有粋は、下手に顔を合わせて怯えられる前にと給水塔の裏に素早く身を滑り込ませた。
ギイィ、と蝶番を軋ませて金属製の扉が重々しく開く。
屋上に入ってきたのは可もなく不可もない容姿をした普通の男子生徒と、一件その男子生徒と同レベルに見えるかもしれないが、メガネを外して髪型さえ変えれば一気に化けるだろうポテンシャルを秘めた三つ編みの女子生徒だった。
昼休みの屋上に男と女。これだけなら思い浮かぶのは『告白』の二文字だ。
当然有粋もその可能性を真っ先に考えて、やっちまったなァ、としどけなく給水塔にもたれかかる。
人の恋路を覗き見るのは野暮な真似。有粋――“粋が有る”という己の名に反する行いは、進んでしたいと思わないのが正直なところ。
けれども立ち会ってしまった以上はしょうがない。せめて変なタイミングで物音をたてて二人の邪魔にならないようにしなければ。
「奥田さん。俺、キミのことがずっと気になってたんだ」
「はあ、そうなんですか」
これから自分が告白されることを未だ察せていないのか、奥田さんと呼ばれた三つ編みの少女はなんとも気の抜けた返事をしている。
初心というか無垢というか……いや、あれこそ巷でいう天然女子というやつなのかもしれない。噂には聞いていたが、人生で初めてお目にかかる人種だ。
「だから俺と付き合ってくれるよね?」
妙に上から目線な物言いである。
百戦錬磨の女たらしと噂される榊原蓮や前原陽斗であれば自信満々な態度にも納得いくが、あの男子生徒は決して女子ウケが良いようにもモテ慣れているようにも見えない。
それでいてあの態度。いったい何が彼をあそこまで増長させているのだろう。
「五英傑には及ばないけど、俺はA組でも上から数えたほうが早いくらい成績優秀なんだ。理科でしか俺を上回っていないキミが、よもや俺の告白を断るなんて真似はしないだろう?」
疑問は男子生徒の嫌味ったらしい口ぶりで氷解した。
この椚ヶ丘中学のシステムは、言うなれば成績至上主義。学業に秀でた優等生がありとあらゆる面で尊重される。優れた者こそ偉い者。
さすがに“A組以下の生徒はA組生徒からの告白を断ってはならない”なんて馬鹿みたいなルールこそ無いが、それでも格差や差別意識は全校生徒に深く根付いて言動に影響をもたらしている。
中には「成績の悪い者は成績の良い者の奴隷になっていればいい」くらいの思想を持った生徒も存在しており――いま目の前にいる男子生徒は、ド直球でそのタイプだった。
「え、断りますよ?」
だからこそ、多少歪んでいるとはいえ好意を向けている女子生徒からそんな風にフられることが許せなかったのだろう。
ほんの一瞬だけ呆気にとられたかと思えば激情に顔色を変え、男子生徒は己の腕を大きく振り上げた。
間違いない。あの華奢な女子生徒の頬を殴るつもりだ。
(オイオイ、
堅気の惚れた腫れたに口うるさく介入するつもりは無くとも、暴力沙汰となれば話は別。
舌打ち混じりにコンクリートを蹴って急加速した有粋は、そのまま勢いを殺さず男子生徒の体側面から強烈なラリアットをかます。
日本プロレス界では有名な、助走の勢いを利用して放つ“ランニング式”と銘打たれたものだ。
相手の首元や胸に己の腕の内側を打ち当てる、広義では当身の一種。
「げぼらばぁっ!?」
何が起こったのか分からないまま、交通事故並のダメージと共に地面へと引き倒された男子生徒。漏れ出る苦悶は唾液混じり。
「きゃあっ!」
遅れて上がった悲鳴は男子生徒と異なり可憐な響き。
有粋が最も好むのは、カルマの尾を引くような艶があって低いくせに妙に甘ったるい悪戯めいた美声だが、この女子生徒のソプラノボイスもなかなか耳に心地良い。
それだけに怖がらせてしまったことへの申し訳なさが先立つが、背に腹は代えられない。それに登場するだけで怯えられるのはよくある事だ。
加えて今回はラリアットまで繰り出しているわけで。ビビられるのも無理はないというか、むしろ当たり前というか。
「あー……まァ、なんだ。怪我ァねェかい。お嬢ちゃん」
胸元を抑えたまま地面を転がり回る男子生徒はいったん捨て置いて、あやうく殴られかけていた女子生徒の奥田さんへの安否確認を行う。
叫んだからには青ざめた顔で肩を震わせるくらいのリアクションはされていると覚悟を決めていた。
にも関わらず、振り向いた先の奥田さんは意外と平気そうな様子で拍子抜けしてしまう。
「案外、肝っ玉据わってんのな。目の前で野郎が一人悶絶してるってェのに」
「え? いや、だってこれってドッキリですよね?」
「……あ?」
きょとんとした表情で予想外の発言をされて、珍しいことに面食らう有粋。
どこからその発想が湧いてきた。ひょっとしてこの女子生徒、天然ではなくド天然なのか。
訝しげな形相の裏で失礼な考えを巡らせる有粋に、奥田さんはのほほんとした空気感のまま話を続けた。
「だって私に告白する人なんているわけないじゃないですか! だいたい私、男の子より理科の問題と触れ合ってる時のほうがドキドキしますし!」
「いや、お嬢ちゃんの好きな教科とお嬢ちゃんを好きになる男の有無ってやつァ、あまり関係ねェと思うが……」
「じゃあ聞きますけど、貴方は私に告白したいと思うほどの魅力を感じますか?」
想定外の切り返しにたじろぎそうだ。あと十中八九この子にも性別を誤認されている。それはいつもの事でしかないが。
さて、どうしたものか。
ここで「自分は女だけどもし男に生まれていたら告白していたと思う」なんてIFを語ったところで信用性は薄いし、かといって誤解を解く過程をすっ飛ばして「NO」と答えるのも、問題の解決にならないという意味で気が引ける。
どうにもこの女子生徒、このまま放っておいたら天然気質が治らないどころか悪化して将来とんでもない男とくっついてしまわないか心配になるのだ。
だから出来るならここで釘を刺して、魅力云々の自覚は無理だとしても、せめて“自分に魅力を感じる男もこの世にはいる”ということくらいは自覚して貰いたい。
(となりゃァ、手っ取り早い手段はコレか)
弾き出した解決策を実行すべく、有粋は奥田さんの細い体を軽く押し、壁へと押し付ける。
同時に頭をはさむ形で両腕をつき、目をすっと細めながら相手の可愛らしい顔を見下ろしつつ距離を近づけていく。
目指すイメージは、ぞっとするほど色気のある視線と笑み。どこか禍々しい、淫蕩な雰囲気の色男。
要するに有粋は、出会ったばかりの女子生徒に対し男の色気全開の壁ドンを仕掛けていた。
女の身で男の色気が出せるかどうかの議論は無意味。出るものは出るのだから仕方がない。
「感じるって言やァ、どうする?」
吐息混じりの濡れたハスキーボイス。
できるだけスケベったらしく、努力の限りいやらしく、それだけで女を腰砕きにするセクシーさを目標に耳元で囁いてみた。
心の中では「床ドンのほうが効果あったか?」「いや、股ドンに顎クイのほうが良かったかもしれない」「アタシのルックスなら足ドンもありか」「そもそも両手でやる壁ドンって両手ドンに名前変わるんだっけ」などと色々な考えがグルグル旋回飛行し続けている。
いかにも経験豊富そうで威圧感もたっぷりの男前(みたいなルックスの女)に突然こんな迫り方をされれば、いくらド天然少女でも己が『女』であることを意識せずにはいられまい。
これを機にもう少し危機意識を持って、変な男子生徒を引っ掛けないように気を付けて欲しい。
そんな思いを内に秘めたまま肉食系イケメン演技を続ける有粋だったが、その努力も虚しく。
「そうですね……貴方が変な人だと思います!」
無邪気な笑顔でそんなことを言われてしまい、有粋は襲い来る脱力感に耐え切れずがっくりと肩を落とした。
……この少女、天然でもド天然でもない。超ド級の天然である。
◇ ◇ ◇
「――ってェのが、アタシと奥田さんとの出会いだったかな」
「ふーん。俺が熱で寝込んでる間に自分は女の子口説いてたんだぁ」
朝イチの実験授業で殺せんせーに真正面から毒を渡すという正直すぎるにも程がある暗殺を決行した女子生徒・奥田愛美。
そんな彼女について知っていることがあるかと尋ねられたので素直に思い出話まで含めた情報を吐き出せば、親友から返って来たのは随分と人聞きの悪い台詞だった。
様になったニヤニヤ顔に加えて、小悪魔的なツノとシッポの幻覚まで見える。
茶化されたのが渚や寺坂なら良い反応をするだろうが、そこはカルマと12年の付き合いがある有粋のこと。
慌てふためくどころか、二枚目役者ばりの流し目を親友に向けて机に肘をつき、アダルトオーラ満載の笑みを唇に刻んでみせる。
「嫉妬してくれてんのかい? 相変わらず可愛くってたまんねェなァ、アタシの親友は。心配しなくてもテメェが一番だ。テメェがいなきゃ生きてらんねェ。愛してるぜ」
「……ごめん。有粋にこういうネタで勝とうとした俺が間違ってた。それ以上はもうギブアップ」
「わかりゃあ良い。ああ、ちなにみに今の言葉、一つも
「っ……! 有粋の口説き魔! 人たらし!!」
「アタシが口説き魔だとすりゃァ、そら間違いなくテメェのせいだぜ、カルマ。なにせアタシが生まれて初めて口説きたいと思った相手はテメェだからな。テメェの魅力がアタシを人たらしにしたって寸法さ」
「~~~~っ!!」
朝っぱらから砂糖吐きそうな薔薇色BL空間を形成している親友コンビを、クラスメイトたちが生暖かかったりギラついたりしている目で眺めながら通り過ぎてゆく。
間違いなく有粋が攻めね、と誰かの呟きが渚の耳をかすめる。
ボーイズラブじゃないよ、ノーマルだよ! なんてツッコミを入れる人間は一人としていない。悪いのはクラスメイトの目ではない。イケメンすぎる有粋のビジュアルだ。
そしてこれだけイチャついておきながら、二人の間に友情以上の感情はないというのだから驚きである。
そう考えれば、逆にカルマと有粋の性別が同じでなくて良かったのかもしれない。これが男同士でも女同士でも、傍から見れば同性愛者扱いは免れないやりとりだ。
「そういえば奥田さん、毒薬を作ってくる宿題出されたんだっけ? ほんとに効くのかなぁ? 楽しみだよねー」
有粋の愛ある(むしろ愛しかない)言葉責めから逃れるべく無理やり話題転換をしたカルマ。その頬はまだ朱色を帯びている。
それからは、やって来た殺せんせーに奥田さんが渡した毒が実は細胞の流動性を増す薬だったり、騙したんですかとショックを受ける奥田さんに殺せんせーが国語力の必要性を説いたり、上手な毒の盛り方(国語力)と上手な毒の作り方(理科力)を両方高めようという結論で落ち着いたり、それに奥田さんが元気良く返事したり、まあなんだかんだで丸く一日が収まった。
殺せんせーという存在の前では、猛毒を持った生徒でもただの生徒になってしまう。
超生物の命に迫れる生徒は、まだまだ出そうになかった。
奥田さん回がほとんど回想シーンで終わってしまうという暴挙。
すみません奥田さん。でも奥田さんのマッドサイエンティストなところ大好きです……。