仁義ある暗殺   作:絹糸

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第六話:ハニートラッパー襲来

 

 外国語の臨時教師として殺せんせーから紹介されたその女性は、一言でいうなれば『美女』、二言でいうなれば『悩殺ものの美女』であった。

 

 豊かに波打ちながら腰まで伸びた、月光の帯と見紛う純金の髪。

 抉り取って磨けば宝飾品として高級店に売り出せそうなブルーサファイアの瞳。

 切ると中から血の代わりにミルクが染み出てきそうな純白の肌。

 一つの芸術品のように仕上がった薔薇色の頬からは幸せオーラが溢れ出している。

 春をかき集めたみたいな薄桃色の唇はひどく艷やかで。

 それ自体が発光しているのだと見間違えそうなほどの美貌は、単品ならば清楚の香りすらするというのに、砂時計よりも凹凸に恵まれたプロポーションのせいで妖しい色香を匂わせるものに成っている。

 

 

「イリーナ・イェラビッチと申します。皆さんよろしく!」

 

 

 そんなヴィーナス級の美女、もといイリーナ・イェラビッチ先生に満面の笑みで抱きつかれているのは我らが殺せんせー。

 ……この二人の間に何があったのかは分からない。が、イリーナの様子を見るに好感度の上がるようなアクシデントを既に終えてきたようだ。

 

 

(すっげー美人)

(おっぱいやべーな)

(……で、なんでベタベタなの?)

(親父の情婦(イロ)よりイイ体してるぜ……とか、有粋なら考えてるんだろうね)

(親父の情婦(イロ)よりイイ体してるぜ)

 

 

 やりとりを眺める生徒たちがそれぞれ思い思いのコメントを心の中だけで発していく。

 烏間先生曰く、本格的な外国語に触れさせたいという学校の意向で、英語の半分はイリーナ先生の受け持ちになるらしい。

 それが真実かどうかはさて置き、ここが学校である以上、体裁とか体面とかいうものは必要不可欠なのだ。

 

 

「……なんか凄い先生が来たね。しかも殺せんせーに好意あるっぽいし」

「どうだかなァ。ブラックデビルのローズ吸ってる(スケ)なんざ、ほとんどが曲者揃いだぜ」

「ブラ……? 何それ」

「海外製の珍しいタバコの銘柄。吸ってんのァ香りでわかった。アタシの身近だと、ガールズバーだの出会い喫茶だので働いてるような手合いがよく気に入ってらァ」

「何でそんな知り合いがいるの!?」

「……親父の縄張り(シマ)にある歓楽街を見回りがてらウロついてたら、路地裏でハメ外しすぎたバカに襲われてるのを発見しちまってな。助けたら露骨にラブホテルに誘われた。んで、性別バラしても『せめてメールアドレスだけでも』って食いつかれた」

「わぁ……女子中学生とは思えない馴れ初めだね……」

 

 

 茅野が引いたような感心したような様子で締めくくった。

 ちなみに有粋、他にも似たような経緯で風俗店のプロ女性や家出中のギャルから好意を寄せられたり、男と勘違いされたまま助けた男(ただしゲイ)にケツを捧げられそうになったりしたこともある。どうやって掘れというんだ。

 こんな女と頻繁につるんでいるものだから、親友のカルマまでもがマセガキ通り越して早熟になってしまった。

 今ではフェロモンムンムンのグラマラスなお姉様から誘惑されても顔色一つ変えずあしらえる。もちろん有粋も余裕で断れるが、これは同性なので当たり前。

 

 

「でも、これって暗殺のヒントになりそうだよね」

 

 

 茅野と有粋の会話を黙って聞いていた渚が、ふとそんなことを呟いた。

 手にはいつも殺せんせーの弱点を書いているメモ帳と愛用のボールペン。

 

 

「タコ型生物の殺せんせーが、人間の女の人にベタベタされても戸惑うだけだ。いつも独特の顔色を見せる殺せんせーが、戸惑う時はどんな顔か……」

「言われてみりゃァ、確かに気になってくんな」

 

 

 渚と同じく有粋も殺せんせーの顔を注視する。

 一切のリアクションを見逃さないよう目を凝らす、その眼差しの鋭さは心臓の弱いおじいちゃんならギャングに睨まれていると勘違いしてショック死しそうなほど。

 わざとやっているのではない。元から目力が凄いから、殺気を出すまでもなく相手を威圧してしまうのだ。

 

 殺せんせーの視線がゆっくりと動く。

 生徒たちのほうからイリーナ先生の美貌へと、そして美貌から胸元へと。

 たわわに実った果実のごとき双丘が造り上げる素晴らしい谷間。至近距離でそれを鑑賞した殺せんせーは、皮膚の色を桜のようなピンク色に変え、だらしなく口元をゆるませた。

 

 なんというか、つまり……普通にデレデレである。

 どうやらタコ型生物、人間のメスもアリらしい。

 

 

「ああ……見れば見るほど素敵ですわぁ。その正露丸のようなつぶらな瞳。曖昧な関節。私、虜になってしまいそう」

「いやぁ、お恥ずかしい」

 

 

 ハートマークを飛ばしながら密着スキンシップを仕掛け続けるイリーナ先生と、美女が自分に擦り寄って愛を囁いてくる幸せな状況にすっかり舞い上がって照れまくっている殺せんせー。

 二人を見ている生徒たちは内心ツッコミしたい気持ちでいっぱいだ。

 騙されないでくれ、殺せんせー。そこがツボな女なんていない。女子生徒からの心の叫びが聞こえてきそう。

 

 

(……僕らはそこまで鈍くない。この時期にこのクラスにやって来る先生。結構な確率で、タダ者じゃない)

 

 

 確信にも似た渚の予感は、もちろん的中することになる。

 

 

 

 

 

 

      ◇      ◇     ◇

 

 

 

 

 

 

「ヘイ、パス!」

「ヘイ暗殺!!」

 

 

 窓の外では殺せんせーと生徒たちがサッカーと暗殺を同時進行で楽しんでいる。

 サッカーボールとナイフと拳銃が入り乱れる光景はかなり奇っ怪だが、このクラスの者にしてみれば既に日常風景そのものだ。

 停学が明けたばかりのカルマと有粋ですら既に馴染みきっている。どころか、カルマにいたってはむしろ古参の面子よりも楽しそうだ。

 そんな何だかんだで平和な眺めを冷めた目で一瞥しながら、イリーナ・イェラビッチはタバコに火をつけた。

 

 

「色々と接近の手段は用意してたけど……まさか色仕掛けが通じるとは思わなかったわ」

「ああ、俺も予想外だ」

 

 

 隣の烏間が呆れ返った様子で同意する。

 イリーナが吸っているタバコの銘柄は、有粋が香りから判別した通りにブラックデビルのローズ。

 箱も中身も全てピンク色で統一された、男が街中で吸っていたら二度見どころか三度見くらいはされそうな女性限定感のあるデザインが特徴。

 そんな癖の強いタバコが完璧に似合ってしまうあたり、彼女にはやはり凡庸な女にはない洗練されたオーラがあるということだろう。

 

 それもそのはず。

 イリーナ・イェラビッチ――何を隠そう、職業は殺し屋。

 類まれなる美貌と官能的な肢体に加え、十カ国語を操る対話能力を持つ。

 それらを利用していかなる国のガードの固いターゲットでも、本人や部下を魅了して容易に近づき、至近距離からたやすく殺す。

 潜入と接近を高度にこなす暗殺者。

 世界中で11件の仕事の実績がある、正真正銘のプロのアサシン。

 今回のターゲットはもちろん例のタコ型超生物……すなわち殺せんせーである。

 

 

「だが、ただの殺し屋を学校で雇うのはさすがに問題だ。表向きのため教師の仕事もやってもらうぞ」

「……ああ、別にいいけど」

 

 

 烏間の話を半分聞き流しながら、イリーナはふっと蠱惑的な笑みを浮かべ踵を返す。向かう先はターゲットのいる校庭。

 去り際に少しばかり振り向いて烏間に見せたその表情は、己の力量に絶対の自信を持つハニートラップの達人としてのものだった。

 

 

「私はプロよ。授業なんてやる間もなく仕事は終わるわ」

 

 

 

 

 

 

      ◇      ◇      ◇

 

 

 

 

 

 

 またあの香りが鼻腔をくすぐった。

 ブラックデビルのローズ。酸いも甘いも噛み締めて咲く妖艶な薔薇の匂い。

 アンダーグラウンドの女たちがよく好む華やかで刺激的な一本。

 タール混じりのそれに誘われるがままに振り返れば、そこにいたのは想像通りイリーナ。

 彼女は有粋には目もくれず殺せんせーへと一直線に向かっていく。

 

 

「殺せんせー!」

 

 

 語尾が上擦った甘ったるい声だ。

 彼女には媚びたような声よりも強気な声のほうが似合いそうなのに、なんて思ってしまうが、殺せんせー的にはそうでもないらしい。

 名前を呼んで駆け寄られただけでまたもデレデレしている。

 

 

「烏間先生から聞きましたわ。すっごく足がお速いんですって?」

「いやぁ。それほどでもないですねぇ」

「ね、お願いがあるの。一度本場のベトナムコーヒーを飲んでみたくて。私が英語を教えてる間に買って来て下さらない?」

 

 

 上目遣いに顔を見上げながら、殺せんせーの触手を両手でぎゅっと握り締め、自然な動きで谷間へと押し付ける。

 ただでさえ緩みきった殺せんせーの口元がさらにだらしなくほぐれた。

 

 

「お安い御用です。ベトナムに良い店を知ってますから」

 

 

 言うが早いか、快諾してから一秒とたたないうちにマッハでベトナムへと旅立っていった。

 風圧でイリーナと周りにいた生徒たちの髪が翻る。

 同時に鳴り響いた授業終了のチャイムをBGMに、恐る恐るといった雰囲気でクラスを代表して磯貝が話しかけた。

 

 

「で、えーと……イリーナ先生? 授業始まるし、教室戻ります?」

「授業? ああ……各自適当に自習でもしてなさい」

 

 

 先程までとは打って変わってそっけない対応。

 かぶっていた猫を外したイリーナの姿は、生徒たちの困惑を買っていた。

 

 小洒落た細工の施されたライターで再度タバコに火をつける。

 流行りのリップを塗った唇にそれを咥えてふかす仕草は、色気で男共から金を巻き上げて暮らす女など見慣れた有粋からしても充分に魅力的なものだった。

 同じ色仕掛けを生業とする者でも、やはり世界を股にかけている女と歓楽街に腰かけている女とでは練度が違うらしい。

 

 

「それと、ファーストネームで気安く呼ぶのやめてくれる? あのタコの前以外では先生を演じるつもりないし。『イェラビッチお姉様』と呼びなさい」

「…………」

 

 

 そう言われて「はい」と頷く素直な生徒など居ようはずもなく。

 微妙に険悪な空気で誰もが無言を貫く中、沈黙に一石投じたのはやはりカルマだった。

 こういう場面で第一声を発するのは大抵この少年の役目だ。

 

 

「……で、どーすんの? ビッチねえさん」

「略すな!」

 

 

 冷めた態度のイリーナも叫ばずにはいられないあだ名の酷さ。

 聡いカルマのことだから、もちろんわざと付けたに決まっている。

 初対面の殺し屋すらも茶化しにかかる強かさは正にあっぱれ。

 

 

「あんた殺し屋なんでしょ? クラス総がかりで殺せないモンスター、ビッチねえさん一人でやれんの?」

「……ガキが。大人にはね。大人の殺り方があるのよ。潮田渚ってアンタよね?」

 

 

 唐突に呼びかけられた渚が小首をかしげた次の瞬間、イリーナの艶やかな唇が彼の唇を奪った。

 中学生には刺激的な場面に大半の生徒が赤面する中、面白そうな表情でそれを眺めるカルマと真顔の有粋は相変わらず。

 キスを喰らったのがこの二人であればそれなりの反撃も可能だったかもしれないが、当の渚は純情少年である。

 もちろんキスのテクニックを競うことなど出来ない。

 ひたすら一方的に口内を嬲られ続け、数秒たって解放された時には、もう気絶寸前の骨抜き状態になっていた。

 

 

「あとで職員室にいらっしゃい。あんたが調べた奴の情報、聞いてみたいわ。……ま、強制的に話させる方法なんていくらでもあるけどね」

 

 

 裏の仕事に浸かって長い人間特有の、ゾッとするような眼差しでイリーナは囁く。拷問か人質か誘惑か。彼女がどのような手段を想定して今の発言をしたのかは分からないが、何にせよ脅しであることに間違いはない。

 

 無駄に堅気をビビらせやがってと、有粋はひそかに眉根を寄せた。

 ヤクザでも、やたらと一般人に威圧的だったり暴力的な振る舞いをする手合いは所詮ただのチンピラで、任侠のなんたるかを理解していないことが多い。

 極道筋は、悪党ではなく必要悪でなければならない。その違いを分からぬ愚か者が境界線を見誤って不埒な行いをしてきたせいで、確固たる信念を持ったヤクザまでもが白い目で見られる世の中になってしまった。

 

 だからこそ、彼女が“己が暗殺者である”ということに誇りを持っているならば、なおのこと節度ある振る舞いをするべきだ。

 なにも下手に出ろとかそういう訳ではない。過剰な威圧と見下した態度を軟化させただけで、このクラスの生徒たちはもっと協力的な対応をしてくれるだろうに。

 ……なんて考えている有粋だが、彼女は例えイリーナの態度が良かったとしても積極的に手を貸すことはい。

 イリーナが気に入らないのではなく、カルマを気に入りすぎているがゆえだ。

 親友であるカルマが自分の手で殺せんせーを殺したがっているから、他の人間に殺されると困る。そんなブレない理由があっての思想。

 

 

「その他も! 有力な情報持ってる子は話しに来なさい! 良い事してあげるわよ。女子にはオトコだって貸してあげるし」

「……人のツラに文句つける趣味なんざねェが、あの野郎共を貸してやるって言われて釣られる奴ァ少ないんじゃねェかな」

 

 

 有粋はイリーナの背後にやって来た男三人組を眺めながら、彼らには聞こえない程度の小さな声で思わずツッこむ。

 どうやら近くにいた生徒たちには届いてしまったらしく、寺坂グループの連中がこっそり吹き出していた。

 一部生徒の間で自分の連れが笑いものにされているとは露知らず、イリーナのご高説は続く。

 

 

「技術も人脈も全てあるのがプロの仕事よ。ガキは外野で大人しく拝んでなさい。あと、少しでも私の暗殺の邪魔したら……殺すわよ」

 

 

 今の世の中ではありふれたその言葉に重みを感じさせるのは流石だ。

 手にしたデリンジャーの馴染み具合に、彼女がプロの殺し屋であると多くの生徒たちが実感したことだろう。

 けれども同時に、彼ら彼女らは思う。

 この先生は――嫌いだ。

 

 

「なァ、暗殺者さん」

 

 

 場に険悪な雰囲気を残したまま立ち去ろうとしていたイリーナ一行にかけられたハスキーボイス。

 掠れた色男風のそれはもちろん花槍有粋の声である。

 

 

「……何? 邪魔したら殺すって言わなかったかしら?」

「華と棘を持ったアンタにその『薔薇』ァ大層お似合いだが、殺せんせーってお人の嗅覚は結構敏感でね。しばらく絶っといたほうがいいぜ。なにせ特徴的な香りだから、周りの野郎連中に染み付いちまえばそれだけで闇討ちも台無しだ」

「あら……よく分かったわね。これが香水じゃなくタバコの匂いだなんて」

「親父の足元で羽ばたいてる夜の蝶たちもそいつがお気に入りでな。飛んでこられるたびに嗅いでたんじゃ、自然と覚えちまう」

 

 

 振り向いた当初は億劫そうなイリーナだったが、有粋の発言を聞いてその表情を一転。

 面白い獲物を見つけた女豹の眼差しで、べろりと唇を舐め上げた。

 スケベ親父ならそれだけでヨダレを垂らしかねない妖艶な仕草である。

 

 

「その年にしちゃなかなか上出来のイイ男じゃない。仕事が終わったら遊んであげるわ」

「そいつァどうも」

 

 

 肩を竦めて誘惑をかわす有粋。

 性別に関する誤解を否定しないのは、単に話をこじらせるのが面倒臭いからだ。

 ちなみにこのタイミングでわざわざイリーナに声をかけたのも、渚から少しでも興味を逸らして出来る限り身の安全を確保してやるためであり、イリーナへの親切心によるものではない。

 

 逆に言えば、渚への親切心による行動。

 この女が愛しているのは親友だけだが、好いているのは友人もだ。

 そして有粋は渚を貴重な友人の一人としてしっかり大事にしている。

 

 

「よっ、女騙し(スケコマシ)

 

 

 真隣の親友から半笑いでボソリとからかわれたが、ひとまずスルーしておこう。

 本音を言えば、今すぐ「本気で口説きたい(コマしたい)のはテメェだけだぜ」とでも返して恥ずかしがらせてやりたいのだが。

 

 




ビッチ先生の吸ってるタバコの銘柄を勝手に決めてしまいました。
ちなみにブラックデビルのローズは実在するタバコです。
もっとも、親戚が吸っているだけで私は手をつけたことのない代物なのですが……。



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