部室暮らしの花音さん   作:狗尾草(猫じゃらし)

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第1章(1)

 

 窓際の一番後ろ。中高生なら誰もが憧れるだろう理想郷。

 今日も今日とて、私は教室の端っこで偉そうに頬杖をつきながら、窓の外をぼうっと眺めている。

 実は最前列の方が教師の視線を避けられるとか聞いたこともあるけど、真面目な風を装いながら実は不真面目な私としては、やっぱり後ろの席の方が自由を謳歌するのには向いていると思っている。

 理想郷に辿り着くまでの壮大な物語を聞かせてあげたいところだけど、語るような夢や浪漫や冒険なんてものは存在しないのが残念でたまらない。

 なんということはない。

 私の苗字が「泉井」と書いて「わくい」と読む珍しいもので、幸いなことに私のクラスには「和田」とか「渡辺」とかいう苗字の生徒がいなかったから、クラス名簿の最後に名前を連ねる私がこの席に座ることになっただけのことだ。

 よく「いずみい」とか「せんい」とか間違えられるから、いちいち訂正するのが面倒くさいと言えば面倒くさいのだけど、基本的に後ろの席をキープできる苗字であることには感謝するべきだろう。

 読みが「いずみい」でなくて本当によかった。廊下側の最前列になる危険性を十二分に秘めている。危うく天国から地獄に転げ落ちるところだった。

 

 

 窓の外には普段と変わらない景色。一片の雲もない真っ青な空の下に、トラックを描く白線のほかには何もないグラウンドが広がっている。

 グラウンドの脇にある桜の木は、数週間前まで綺麗な彩りを見せていたのだけど、今はもう花を散らしてしまって、明日無くなっても誰も気づかぬほどに存在感を薄めている。

 国語の教科書に載っている、かの有名人の兼好さんは「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」と言ったわけだけど、きっと世の中には私を含めて無風流で教養のない人の方が多いから、やはり花は盛りを見たいし、月は隈ないのを見たいのだ。

 誰からも注目されることなく、ぽつんと佇む桜の木は少し寂しげにも見える。そんな姿に少し共感を覚えたりもしたけど、よくよく考えれば桜の木は年に一度は人々を惹きつけるのだから、年がら年中散りしおれたる私と一緒にしては可哀そうだ。いや、可哀そうなのはもちろん私なんだけど。

 

 

 そんなことを考えていると、突然、教室内に小さな笑いが起こった。

 何かあったのかなとクラスメイトの視線を追うと、教室の真ん中の席で机に突っ伏して、堂々と居眠りをかましている男子生徒の姿が目に入った。

「佐藤くん。起きてください。朝学活中ですよ」

 担任の井上先生が呼びかけるが、佐藤くんとやらは全く起きる気配がない。爆睡しているようだ。

 佐藤くんの隣に座っている男子生徒が動きを見せた。彼は佐藤くんの耳元にそっと両手を持っていくと、これ以上ないという勢いで手を打ち合わせた。パアンッと気持ちのいい音が教室に響く。

 ほぼゼロ距離で放たれた大音響に、流石の佐藤くんも寝てはいられなかったのだろう、思いっ切り顔を上げると、「敵襲かっ!」と叫び出さんばかりの勢いで周囲を見渡していた。突然の目覚めに混乱する佐藤くんの姿に再び大きな笑いが起こった。

 

 

 佐藤くんが起きたのを確認すると、井上先生は何もなかったかのように連絡の続きを話し始めた。

 佐藤くんは未だ状況を把握しきれていない様子だ。坊主頭から野球部と推測される。毎日朝早くから近所迷惑な騒音を撒き散らしている野球部のことだから寝不足なのかもしれない。

 わざわざ早起きして体力を擦り減らしているのだ。ご苦労なことである。

 何が彼らを駆り立てるのだろうか。「甲子園に連れてって」と夢を語る可愛い幼馴染も、不慮の事故で亡くなった優秀な双子の弟もいないと思うのだけど。

 もちろん私にも「甲子園に連れてって」などと頼めるような幼馴染の男の子はいない。

 いや、幼馴染がいたとしても、甲子園にはさほど……、いや、全く興味がない。真夏の甲子園球場に足を運ぶのを想像しただけで憂鬱な気分になってしまう。夏は嫌いだ。あと青春とかそういう類も。

 

 

「連絡は以上です。今日もしっかり勉強してくださいね。あ、泉井さんは朝学活が終わったら前に来てください。少し話したいことがあるので」

 ようやく連絡も終わったようだと油断したところで、不意に名前を呼ばれて面喰ってしまった。

 それまで頬杖をついてぼうっとしていた私が、予期せぬご指名に背筋をぴんと伸ばしたのを見て、右隣に座っている女子生徒がくすりと小さな笑いを漏らした。何が面白かったのだろうか。

 名前は確か……広末みたいな感じだった気がする。名前すらうろ覚えなことからも察せられるだろうけど、隣の席に座っていながら、まともに会話したことは片手で数えるほどしかない。

 いや、決して私がコミュニケーションに障害を抱えているわけではない……はず、多分、おそらく。

 必要なこと以外は喋らないのだ。寡黙でクールな性格だから。決して話下手で素直になれないわけじゃない。

 だから、入学式が終わった後に「隣の席だね。よろしく!」と元気よく言われて、「あ、うん、よ、よろしくお願いします……」と返しただけで会話が終わったことにも何ら問題はない。

 

 

「じゃあ、日直さんは号令をお願いします」

 井上先生が言うと、教室の廊下の方に座っている男子生徒が、いかにもやる気のなさそうな声で号令をかける。私もやる気など皆無な起立礼をすると、教卓のもとへと重い足を引きずっていく。

 何か先生に呼び出されるようなことをしただろうかと考えるが、特に思い当たることがなかった。

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