間桐家当主トキヤ   作:アイニ

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 ふと思いついて書いてしまった第二作。
 宜しければ、お楽しみ頂ければと思っております。


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 間桐雁夜は駆けていた。

 数年前に飛び出した、蟲の怪物が住まう忌まわしい実家へと。

 

 フリールポライターとして海外を巡っていた雁夜は、久々に日本へ帰国した際、幼馴染であった葵から聞いたのだ。

 彼女の娘である桜が、間桐へ養子に出されたと。

「よりにもよって、何で間桐なんだ……!」

 歯噛みながら雁夜が脳裏に浮かべるのは、父という名目になっている――――しかし実態は五百年もの時を生きる怪物――――間桐臓硯の蟲屋敷。

 臓硯は血の繋がった家族たる雁夜の目から見ても、外道だ。おぞましい蟲を使役する魔術の使い手であり、己の本当の父母を蟲に食わせた人でなし。間桐の実権を握りしめ、間桐を裏で操る悪漢。

 かつて愛した、今も愛おしいと想っている女性の子が、そんな下種の手に渡ってしまった。

 彼女を養子に出した男、時臣へ恨み言を呟きながら、雁夜は間桐家を目指して走る。

 

『それにしても、間桐の現当主は凄いわよね』

 

 頭の中で響くのは、桜のことを伝え終えた後の葵の言葉。

 

『まだ若いのに間桐の当主に恥じない魔術師だって、夫が言っていたわ』

 

 ――――違う。

 あいつは確かに雁夜や鶴野より、魔術師としての才が優れている。

 非才な長男に凡才の次男、だが腹違いの末子は兄二人とは比べ物にならない鬼才を持っていた。先祖返りと突然変異で誕生したあいつは、臓硯に勝るとも劣らぬ才覚を有していたのだ。

 だから臓硯は出奔した雁夜を連れ戻そうとはしなかったし、あいつの意向により鶴野を蟲の餌にすることを止めた。

 あいつは歴代の間桐当主で唯一、臓硯の傀儡ではない。蟲の怪物と対等に近い地位を持つ。間桐家始祖のお気に入り。間桐秘蔵の虎の子だ。

 だが同時に、性質が臓硯に似通っている。

 でなくば、五歳の頃から毎晩蟲蔵に放り込まれて、平気で居られる筈がない。あのおぞましい間桐の魔術を、受け入れられるわけがない。

 人間として破綻しているのだ。

 雁夜が忌み嫌う、魔術師らしい魔術師なのだ。

 

 あいつ――――間桐鴇哉は。

 

「…………!」

 気づけば、家は既に目の前にあった。

 相変わらず嫌な家だった。古びた洋館は草木が生い茂り、日光がまともに入らない状態で、全体的に薄暗い。屋敷の地下に存在する蔵は、雁夜が忌避する建物の一つだ。中に入らなくとも外観から分かる陰鬱としたおどろおどろしさは、家出同然に飛び出した頃と変わらない。

 雁夜は数度深呼吸したのち、間桐邸の扉へ手を伸ばす。科学を嫌う魔術師の家にインターホンなんてものはない。屋敷同様に古めかしいドアノッカーを掴んで、数度叩く。

 暫く待った後、玄関の戸が開かれる。

 現れたのは自分よりやや年上の、青みがかった波打つ髪の男。対峙するとは思っていなかった人物に出迎えられ、雁夜は目を見開く。

「兄貴……まだ、この屋敷にいたのか」

 口から出たのは、率直な感想。

 応対した男――――鶴野は三人の中で一番地位が低く、生命的に最も危険な立場にあった。鴇哉が臓硯に交渉したおかげで難を逃れたが、一度は蟲の餌にされかけた程だ。そんな彼が、未だなお此処に残っているのは予想外だった。

「……『現当主様』の御慈悲で、ここに住まわせて貰ってるんだよ。生活費なんかも、あいつの資産から出てる」

 久々に会った兄は、不機嫌そうに答えた。その顔には様々な感情がない交ぜになって浮かび上がっている。

 鴇哉は二人と年が大きく離れており、記憶が正しければ今年で十八くらいだった筈だ。長兄でありながら末弟から施しを受けるのは、年の差もあって屈辱的だったに違いない。

「俺のことはどうでもいいだろ……何しに来たんだよ。雁夜」

「ジジイと鴇哉に用がある」

「あいつらに用とか、正気か?」

「そうじゃなかったら、わざわざ来るかよ。こんなところ」

 怯えを見せる鶴野へ吐き捨てるように返すと、鶴野は軽く首を振った後、弟を家の中へと招き入れる。

 久々に歩く実家の廊下を進み、臓硯がいるだろうダイニングのドアを躊躇いなく開く。

 その先にいたのは、二人の子供と妖怪めいた外見の萎びた老人――――そして和洋折衷な出で立ちをした中性的な若者の四人。

 雁夜は子供の片方、少女へと目を向ける。驚きで丸まった瞳は生気を宿し、愛らしい顔にはきちんと感情が宿っている。そのことに、彼はホッと安堵の息を吐いた。

 が、それも束の間。

 この家の最大権力者であることを示す上座に座した老爺は、たっぷりと沈黙を置いた後に口を開いた。

「……十年前に出奔した身で、よくもまぁ儂の前に現れたものよなぁ。雁夜」

 言葉と共に放たれた重圧、威圧感。それは瞬く間に部屋の中を迸り、四方の隅に至るまで包み込む。

 五百年という長い時を生きる魔術師の暴力的な威圧は、雁夜の戦意を押し潰さんとする。この場から逃げ出したくなるほどの恐怖が雁夜の体を襲い、子供たちは小さく悲鳴を上げて身を強張らせる。

 その中で、唯一平然としている若者が片手を上げて臓硯へと進言した。

「おい爺様よ、今ガキ共に基礎を身に着けさせてるとこなんだ。次兄虐めは二人が居ない時にしなよ。慎二はともかく、桜が暴走したら怖いぞ?」

「おぉ、そうだったのぉ」

 途端、臓硯から放たれていた覇気が失せ、部屋中を埋め尽くす圧迫感が霧散する。

 止まっていた呼吸が戻り、膝を折って深呼吸を繰り返す。数秒の出来事だったにも限らず、まるでフルマラソンでもしたような疲労感があった。

「にしても次兄、この程度の威圧でビビッてたらダメっしょ。爺様の本気はもっとやばいからね。長兄もそうだけど、今のままじゃ間桐でやってけないよ?」

 そんな雁夜へと降りかかる、カラカラと笑い混じりの声。

 雁夜は顔色の優れない顔を上げ、十年ぶりの再会となるそいつを見やる。

 耳元だけ胸に掛かる長さまで伸ばした青い髪と、吊り上がった大振りの菫色の瞳。整った顔は全体的に小造りで、背丈は雁夜の目線と同じ程度。華奢な体は肩が丸く、すらりと伸びた手足は柔らかみを帯びている。

 そいつの装いは派手ではないが奇抜だ。詰め襟の中着に胴着のような裾の短い単を重ねて、角帯と帯締め紐で絞めている。下にはズボンを履き、膝下まである細身の長羽織に袖を通していた。外に出る時は、玄関にあったブーツを履くのだろう。日本伝統の和装に、現代の要素を取り入れている。古風というより懐古趣味。臓硯が江戸時代なら、こいつは大正か明治頃を思わせる。

 最後に顔を見た時、こいつは八歳そこらだった。

 随分と成長し様変わりしたが、しかし昔の面影をしっかりと残している。

 だとすれば、きっと――――中身も変わっていない。

 雁夜の忌む、魔術師らしい魔術師のままだ。

「鴇哉……!!」

 だから雁夜は『妹』に見える『弟』を、『女』の体でありながら『男』であるそいつを――――間桐家現当主を睨む。

「安心しなよ、二人とも蟲蔵には放り込んでないさ。特に桜は血筋が根本から違うからね……今は様子を見ながら、少しずつ間桐に染めてるとこだ」

 鴇哉は雁夜の視線にクツクツと笑みを零しながら、きょとんとしている桜の隣にしゃがむと、肩にかかる長さの黒髪を一束摘み上げる。

 その動作に釣られて視線を合わせる雁夜は、息を呑む。

 

 桜の毛先は黒から紫に――――間桐特有の色に変化していた。

 

「この方法だと半年くらい掛かっちまうけど、代わりに本来の属性を潰さずに済むからね。貴重な架空元素を使えなくするのは勿体ない」

「お前……! 何てことを……!!」

 その所業に激怒し、雁夜は末弟を糾弾しようと口を開く。

「Затихнуть(黙ってろ)」

 だがその直前、鴇哉の魔術が雁夜の怒声を封じた。

 絞り出そうとしても言葉は声帯から出られず、雁夜は淡く笑む現当主を睨みつける。子供たちは怖々と二人の様子を伺っていたが、鴇哉が「長兄のところに行っときな」と言うと、慎二は桜の手を引き玄関へと小走りで向かった。

 子供たちが出ていったのを見送った後、鴇哉は親指と人差し指を合わせ、パチンとスナップを鳴らせる。

 それと同時に、雁夜に声が戻った。

「いちゃもんは後で聞いてやるから、まずは今の事情についてちゃーんと耳を通してもらおっか。ほら、立ち話もなんだし、座りなよ」

 菫色の瞳を愉快そうに細めながら、鴇哉は椅子を勧める。

 明らかにあちらのペースに呑まれていることに歯噛みながらも、雁夜は憮然とした様子を隠しもせず、荒っぽく椅子に腰かけた。

 臓硯はニヤニヤと不気味な笑みを貼り付け、そんな雁夜を眺めていた。

 


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