城の応接間にあたるだろう部屋へと案内された雁夜は、緊張していた。
なにせ、だだっ広い。間桐邸も広かったが、ここはその比ではない。おまけに部屋に設置された調度品はどれもこれもアンティーク品で、およそ十年間安宿で寝るか野宿だった雁夜が触れることも憚るような代物ばかりだ。
ちなみに隣のキャスターは対照的に落ち着き払っており、悠々自適に過ごしている。生きた国が違うとはいえ、王族だった彼にとってはやはりこれが普通なのかもしれない。
そうしてホムンクルスのメイドが淹れた紅茶に中々手をつけられず、猫舌のキャスターと共に茶が冷えていくのを待っていると、ようやく彼らが部屋に入って来る。
「すまない、待たせてしまったね」
「いや、その」
「確かに待ったが問題ない。そちらとしても、こちらの急な訪問で多少の話し合いは必要だっただろう。それに話が話だからな、仕方ないことだ」
慌てふためく雁夜の代わりに、キャスターが返事をする。
「そう言ってくれると有難い」
くたびれたコートに無精ひげの男、切嗣はそう返すと銀髪赤眼の美女と共に二人と向かい合うように腰かける。
同時に、キャスターの方から話を切り出す。
「して、同盟については?」
「僕ら側としては喜んで受けたいと思っている。最優のセイバーに魔術に長けたキャスターの援護が入るというのは望ましい」
ただ、条件がある。
続けざまに言うと、切嗣はテーブルの上に一枚の紙を置いた。ざっと見て、契約書のようなものであると分かった。
「これは自己強制証明といって、違約不可能な取り決めをする際に使われる物だ。……アインツベルンの当主は、この証文を使って契約をしない限り君たちを信用出来ないと言っている」
「……まぁ、確かにそうだよな。俺たちは、本来なら敵対しあう関係だし」
「これにはまだ、署名以外の何も書いていない。ここから契約内容について今から交渉していきたい。それがこちらとしての最大の譲歩だ」
「それは納得出来るし構わんが……」
キャスターの蒼い瞳が、書面に書かれた切嗣とアイリスフィールの名を視線でなぞって行く。
その後、キャスターが切嗣の方を向いて鼻を鳴らすと、
「もう一人の名も隠さず追加してくれ。協力者がいるだろう? 長年の付き合いか、体に臭いが付着している。貴様同様に火薬武器を使う女、だな」
「…………魔術の腕だけじゃなく、鼻も良いんだな」
まだ彼女の存在は隠したかったのだが、バレたなら仕方ない。切嗣は助手の舞弥の名前も証文に書き足す。
それを見た後、雁夜が己の名を書き込んだ。
そうしてやっと本題に入る。
「なら改めて交渉を始めよう。まずこちら側から求める条件は『聖杯の使用権利を放棄すること』と、『今回の聖杯戦争において全面協力すること』だ」
言いながら、切嗣は雁夜へと回答を求める。
反応から、雁夜はそれで構わないようだ。彼は随分と欲がない。
ただ、その後キャスターにちらりと視線をやった。
マスターのアイコンタクトに応え、キャスターが切嗣に質問する。
「二つ目の条件において、こちら側が意見を述べることは可能か?」
「それはつまり、僕たちがすることに口出しがしたいってことで良いのか?」
「ワンマンな作戦では何かあった時困るだろう? 他の陣営より優位に立つためにも、作戦に提案をする権利が欲しい。作戦が纏まりにくくなるという欠点はあるが、それでも必要なことだと私は思う」
「成程、確かにそれは言えている」
やはりこの男、脳筋ではなかった。むしろ結構な知略家だし、弁も立つ。
同時に、少し意外でもあった。
「二つ目だけ、ということは聖杯の使用権については君も放棄する方向で良いんだな? 聖杯戦争に応じたのに、君に願いはないのか?」
「私は元々父上に、自分の代わりに行って来いと送られてきただけだ。願いを叶える程度の代物に興味はないし、あったとしても使う気はない」
「それは何故?」
「死者が理を捻じ曲げてはいけない。それは私のために命落した者に対する侮辱であり、今ある命を犠牲にすることであり、何より……私が己の行いを無かったにしたいだけの自己満足だ。そのためだけに、死者が生者を蔑ろにするのは間違っている。死んだ者より、生きる者を尊重すべきだろう」
意外な……本当に意外な、解答だった。
だがその言葉は飲み込み、切嗣側の出した先ほどの条件二つを著名のみの白紙に書き込んでいく。
次いでキャスター陣営の条件を聞いた。
すると雁夜の条件もまた、意外なものだった。
「俺の求める条件は『間桐の者に危害を加えないこと』だ」
「……何だって?」
どういうことだ、と思わず彼を見つめ返してしまった。
彼の望みは間桐陣営の撃破ではなかったのか。
そう思っている切嗣たちへと、彼は捕捉説明を始める。
「まず今回の戦争で参加する鴇哉を殺さないで欲しい。……これは身内としての情とかじゃない。あいつが死んだら桜ちゃんに魔術を教えられる奴が、始祖の臓硯だけになるんだ。そうしたら臓硯は、十中八九桜ちゃんを蟲蔵に入れて調教するに違いないと俺は思ってる」
成程、と切嗣は納得した。
どうやら養子に出された次女は間桐流の修練を行わっておらず、魔術師としては人道敵な方法で育成されているらしい。
だがそれをしている間桐当主が死亡すれば、幼い彼女は蟲による凌辱を受けることになる。彼はそれを危惧しているのだ。
「それでもう一つの理由は……鴇哉にとって最大の逆鱗なんだ。身内に手を出すって奴は」
「それを知っているってことは、見たのか?」
「見た。ちなみに狙われた対象は兄貴だった」
聞けば長男の間桐鶴野は、魔術師としての際はないが『器』としては多大な能力を秘めているらしい。その要素から、魔術師に狙われたことがあるようだ。
そして、見事に間桐現当主の怒りを買った。
「兄貴を狙ったそいつは鴇哉に返り討ちにされて……芋虫になった」
「……芋虫?」
「見た目が芋虫っぽいんだよ。……両手足を切り落とされて達磨にされた後、目を抉られて、鼓膜を破られて、歯を抜かれて、喉を潰された。蟲蔵に姿はなかったから、多分地下のどこかに監禁してるんだと思う、そのままの状態で」
雁夜は一度、鴇哉に芋虫にされた魔術師の生死について聞いた。
するとこう答えたらしい。
『あぁ、あいつなら殺してないよ……殺すわけないじゃん。そんなこと、絶対に許してやるかよ。殺さないし狂わせもしない。正気を保ったまま、寿命で事切れるまで生かし続けるつもりさ。人の身内を狙ったことを後悔したまま、生き地獄を味あわい続けりゃいいんだ』
「予想だけど多分、そいつは今も生きてると思うし、頭の中もまぁまともなままだと思う。だから切嗣さん、頼む……間桐に属してる人間にだけは手を出さないでくれ。人質に使うのも駄目だ。魔術関連で怒らせて殺されかねなかった俺が言うのも何だが、身内に当てはまる奴を狙うのはアイツにとって地雷なんだよ」
そこまで言われては、切嗣も頷くほかなかった。
間桐鴇哉の、とぼけている様でいて冷静な、けれど非常に苛烈な一面。それは書類で理解していたが、身内関連ではそれほどとは思ってもいなかった。
隣に座るアイリスフィールも、青褪めた顔で口元を手で覆っている。
正直、彼の方から宣告してくれて良かったと思う。でなければ、まず切嗣は間桐鴇哉への対抗策として、間桐家の人間を攫って人質に使っていただろう。鴇哉の『身内に甘い』という情報は得ていたから。
切嗣は危うく、間桐の鬼才児を怒り狂わせるところだった。
「了解した、間桐側のマスターとその身内には決して手を出さない。……つまり君たちは、正攻法のみで向こうを撃破するつもりなんだな?」
「あぁ。だから同盟を組みたいんだ。あいつがどんな英霊を召喚するのかは分からないが、上位の英霊を呼ぶのは確実だからな。相手によってはキャスターだけじゃ厳しい。どうしても、別陣営のサーヴァントの力が欲しかったんだ」
「あとは私の方から『間桐雁夜の身の安全』を求める。敵側に殺されたというのなら仕方ないが、仲間側が裏切って、サーヴァントを奪うということがあっては困るからな」
「それもそうか。分かった、互いに出す条件は二つ。これで契約成立だ、が……」
キャスター陣営の条件も書いて証文を完成させた後、切嗣はもう一つの交渉に打って出ることにした。
「これは自己強制証明とは別なんだが、一つ相談だ。――――こちらのセイバーとそちらのキャスター、互いのサーヴァントを交換しないか?」
「……何だって?」
この交渉は全くの予想外だったのだろう。雁夜は目を丸くし、呆然としている。対照的にキャスターはそんな彼の背中を叩き我に返らせた後、鋭い視線で射貫くように切嗣を見返す。
「どういうつもりだ魔術師殺し。貴様が引いたのは最優のセイバーだぞ? それをわざわざ、キャスターである私と替えようという意図が分からん。見た感じあの娘の戦闘力は相当なものだ、取り換える必要性が見いだせない」
「謙遜が過ぎるんじゃないか、キャスター。総合戦力的に言えば、君と彼女は同じくらいだろう。……それと率直に言えば、僕とセイバーは不仲だ。性格云々もそうだが、互いの戦闘スタイルが合わないんだ」
そう、全くもって合わない。
片や身を潜め、卑劣な手段を持ってして敵を殲滅する切嗣。
片や身を晒し、正々堂々と眼前の敵と剣交え戦うセイバー。
あまりにも方針や志、戦いに対する認識が違い過ぎるがゆえに、背中を預け合う関係でありながら二人の仲は最悪だった。
ただそれは、キャスター陣営側もそうではないかと切嗣は思っている。
「正直、交換した方が互いのためになるんじゃないか? 君のマスターは素直で欲がないし、優しすぎる。対する君は知恵と交渉に長け、清だけでなく濁の部分も併せ持っている。今は上手く回っているが、いつ亀裂が入るか分からない。その前に、相性の良い方とペアになった得策だろう?」
「ふん、確かに理には適っているな――――だが断る」
「……それはまた、どうしてだい?」
「もちろん理由はあるぞ、まずは貴様とカリヤとのスペック差だ。カリヤ曰くあの娘も魔力放出を持っているが、それは貴様の魔力を使い増幅させての物じゃないか?」
「まぁ確かにそうだが、一応彼女自身の魔力の割合の方が多いが」
「なら駄目だ。私の魔力放出は全て、私自身の魔力を使っている。カリヤの魔力を使って放出したら、正直カリヤが魔力枯渇で死にかねん」
確かにそれは駄目だな、と切嗣は得心する。うなだれている彼には悪いが、そんなスペック差が出ている者をセイバーのマスターにしたら、確実にセイバーの戦闘力が減退する。
「もう一つは、サーヴァントを交換したらそちらにも不利益が出るだろうからだ。……そこの女、アインツベルンのホムンクルスと見るが良いか?」
と、急に話を振られたアイリスフィールは面くらいつつも頷く。
「体内に聖遺物を入れている気配がする。それはセイバーの宝具じゃないか?」
「……っ、その通りよ」
「セイバーをカリヤのサーヴァントにすれば、必然的にセイバーはカリヤ側にいなければいけない。そうすれば、その聖遺物はどんなものだか知らんが、その効果を為さない可能性が高いが良いのか?」
「…………っ!!」
盲点だった。
だが、確かにそうだ。マスターを替えれば、必然的にサーヴァントはそちらのマスターを優先せねばならない。アイリスフィールの傍にセイバーが居られないのであれば、アイリスフィールの体内に『全て遠き理想郷』を納めた意味がなくなってしまう。
「そして最後の理由だが――――魔術師殺し、貴様のサーヴァントになりたくないからだ。この一点に尽きる」
「……随分と、きっぱり言うね」
「濁すと都合よく考えられたり、歪曲される可能性があるからな。……ちなみに先ほどのたまっていたな、今は上手く回っているがいつ亀裂が入るか分からないと」
そこまで言った後、キャスターは小馬鹿にするように鼻で嗤う。
「すまんが、その予想は大外れだ」
「大外れ?」
「亀裂はとっくの昔に入った」
「…………」
「まず会って、軽く話し合って喧嘩になった。その後も大喧嘩になった。しばらく顔を合わすたびに罵り合いだ。最終的には殴り合いに発展したぞ。分かるか? この隣の阿呆、キャスターで耐久値がEランクはいえ、サーヴァントの私に殴りかかったんだぞ。そして筋力Dの私もそれに応じたわけだが」
堂々と言うことだろうか、それ。
切嗣たちがそう思うのも構わず、キャスターは続ける。
「最終的にカリヤの奴、泣きおった。私は困ったぞ、そして何故か慰めなければいけなくなった」
隣のマスターが顔を真っ赤にして相棒の口を塞ごうとしているのだが、それを制しながらなおキャスターは語る。
「その後にいくらか落ち着いて、互いのことをまた話し合った。そして今の関係にある。……魔術師殺し、貴様はセイバーに視線すらやらなかったが、こういった状況にまで陥って、今の関係にあるのか?」
「…………それ、は」
「ないだろう? おそらく貴様は、召喚してすぐに見切りをつけたはずだ。それは何故だ?」
それは、何故?
許せなかったからだ。王という重荷を一人の少女に背負わせた周囲の人間たち、そしてそれを受け入れたセイバー。それを許容できなかった。
だが口にはしなかった。言うだけ無駄だと感じたからだ。
それをなぜか、キャスターに対しては正直に言ってしまった。
すると漆黒の美男子は深く蒼い瞳をすぼめ、「馬鹿め」と切嗣を罵る。
「セイバーの生きた時代を考えろ。父なる王は既におらず、娘以外に正当な後継者はいない。女の王は侮られかねない。ならば少女を少年として育てなければならないのは、当然のことだ。――――そして本人もそれを理解している。それだけのことだろう。貴様が文句を言う筋合いもなければ、あの娘を無視する理由にもならない」
「そうはいうが、納得は出来ないんだよ! あんな少女に国一つ押し付けて、重荷を負わせるなんて! おかしいだろう!!」
「考えが堅いぞ魔術師殺し。王としての在り方を押し付けた、それは否定できない。だがそれだけではないだろう。周りの者がいたからこそセイバーは王になれたのだ……セイバーは王を押し付けられただけじゃない。多くの騎士たちに助けられ、支えられたとも考えられるだろう。周りにいる者の協力、彼らの彼女に対する信頼があってこそ、セイバーは王としてあれたのだとな」
そう言われ、ハッとした。今まで考えもしなかったからだ。
だが切嗣の反応には気も富めず、キャスターは呆れたように告げる。
「そのことに関しては、まぁ今の時代との差もあって納得出来んのは無理もない。だがその点で口論し衝突したというのならまだしも、端から諦めてそれすらせん輩を私はマスターにしたくない。人形扱いされかねないからな。セイバーには悪いが、鞍替えするつもりはないぞ。例え未熟者であっても、行動に出ず早々にサーヴァントに見切りをつける貴様より、カリヤの方が好ましい」
ぐぅの音も、出なかった。
「確かに、そう……だね」
弱弱しい声で、相槌を打つしか、切嗣は出来なかった。
なるほど、確かに切嗣が彼を自分のサーヴァントに出来そうにない。理解力はあっても、性格面で駄目だ。何せ彼は……痛い所を突いて来る。しかも正論だから反論できない。反論したらそれはもう逆切れか、子供みたいな癇癪だ。
切嗣は、そんな彼のマスターである雁夜に憐憫と尊敬を覚えた。
そうして、二つの陣営は正式に同盟を組んだのだった。