間桐家当主トキヤ   作:アイニ

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 シリアス時々ギャグ回。
 今回は遠坂母と娘が登場です。


003

 桜が間桐に来てから一か月くらい経った、とある休日。朝を少し過ぎ、昼へと傾き始める時間帯だ。公園では少年少女たちが元気に遊び、母親たちは怪我の心配をしつつも微笑を浮かべて我が子を見守っている。

 そんな場所に、場に似合わな過ぎて悪目立ちしている人物が佇んでいた。

「九時五十五分……待ち合わせ時間あと少しだな」

 懐から取り出した懐中時計で時刻を確認し、鴇哉は呟く。番傘を差した彼女の隣では、鴇哉が着ている羽織の裾を握りしめる桜が何か……もしくは誰かを探すように辺りを見渡している。

 妹というには顔が似ていない幼女を連れた、聊か時代外れな出で立ちの少女。当然保護者たちの視線は二人に集中し、ひそひそと小声でどういう関係だろうかと勘繰り始める。

 なぜか注目を浴びていることに萎縮する桜とは裏腹に、こういった反応に慣れ切っている鴇哉は表情一つ変えない。ただ公園の入り口と懐中時計、そして傍に侍る桜を順々に見比べる。その繰り返しだった。

 少しして時計の針が十時を示した、その時。

 

「――――桜っ!」

 

 明るく弾んだ声音が鼓膜に響く。

「あ……!」

 一か月ぶりに聞く家族の声に、桜は不安げにしていた顔を喜びで緩ませ、声の主へと顔を向ける。

 そうすれば目を凝らさずとも視認出来る。こちらへと駆け寄って来るツインテールの少女と、その後ろを歩いて追う御淑やかな空気を纏う女性――――遠坂凛とその母である葵の姿が。

「お母さん、お姉ちゃん!」

 養子に出て以降初の顔合わせとなる家族の方へと、桜は早足で向かう。

 葵は両手を広げ抱き付こうとする娘を受け止め、凛は妹の両手を取ってやや興奮気味に応対する。

「桜、久しぶりね! 元気にしてた?」

「うんっ。ちょっと寂しいけど、でも大丈夫!」

「そっか。良かったぁ」

 そう言って、共に笑みを零す姉妹。二人の母である女性は、微笑ましそうに娘たちのやり取りを見守っている。

 そんな葵へと、鴇哉は歩み寄る。

「こんにちは、葵さん」

「えっ、ええ。こんにちは」

 声を掛けられた葵の反応は、困惑が三割に怪訝が七割といったところだろうか。優しげな印象の瞳は、彼女とそう背丈の変わりない鴇哉に向けられる。

「えぇと、あなたは……」

「父より当主を継ぎました、間桐鴇哉です」

「あら、そうなの……あなたが……?」

 鴇哉の受け答えに相槌を打つ彼女の声に、驚きの色が強く滲み出る。

 夫から間桐の当主が若いと聞いてはいたが、まさか高校生くらいだとは思っていなかったのだろう。彼女の表情からそれが手に取る様に分かる。

「そういえば葵さんは、僕のこと知らないんでしたっけ? 僕の方は次兄から聞いていたから大体知ってはいるんですけど」

「私も雁夜くんに、弟がいることを聞いてはいたのだけど……」

 尻すぼみになっていく葵の視線が下がり、鴇哉の顔から体へと移る。

 邪魔な胸を晒しで潰し、重ね着で体の線を分かりにくくしているとはいえ、男の身体ではないことは一目瞭然だ。

 

 ――――どう見ても、女の子としか……?

 

 そう言いたげな眼差しを向けられるのは慣れているが、快くはない。

「僕、こんな体だけど男ですよ」

「あら、そうなの?」

「ええ、まぁ……ちょっと身体を間違えて生まれちゃったみたいで」

「あ……その、ごめんなさいね」

「いえ、構いませんよ」

 何かを察したのか謝り始める葵を、鴇哉は苦笑いしながら制止する。

 彼女の反応は極々一般的なものであり、普通だ。それを理解しているが、だからこそ――――好ましくない。

(次兄はこの人の、こういう普通なとこを好きになったんだろうなぁ……)

 そう感じながら、鴇哉は葵を改めて見つめる。

 穏やかな気性、淑やかな雰囲気、滲み出る母性。今時珍しい、良妻賢母の鑑とでも言うべき女。一人の女性としてとても好ましい人柄である。

 だが次男と違い鴇哉がそれ以上に重要視するのは、彼女が持つ遺伝特質だ。

 間桐当主の視線は葵から、一か月ぶりの再会に喜ぶ少女たちへと移る。その眼差しは冷淡、その一言であった。

 葵は魔術師の母胎として非常に優秀だ。

 それは彼女の胎からアベレージ・ワンの凛、架空元素属性の桜が産まれたことからも分かる。

 葵の実家――――禅城に代々伝わる特質。これを知っていたからこそ、臓硯は彼女を雁夜に宛がおうとしたのだろう。

 ……まぁ、遠坂当主が割り入ったことで目論見は潰えたが。

(僕だったら、割り込まれた程度で身を引いたりしないけどなぁ。むしろ徹底的に潰して、彼女をものにする。二人が婚約しようが知ったこっちゃない、確実に略奪愛の道へ走るな。次兄は攻める気概がなさ過ぎる)

 これほど優れた母胎を前にして、尻尾を巻くなど考えられない。大方、彼女を蟲蔵に入れたくなくて身を引いたのだろう。次男は間桐の魔術を忌み、出奔までしたくらいだから。

 本当に馬鹿な兄だと思う。葵は没落したとはいえ魔術師の血筋だ。魔術の神秘が血に流れていたものは、どうあっても神秘……あるいは異端に惹かれる。それが魔術を秘める家の人間なのだ。

 ――禅城葵なら魔術師の異常性を理解しつつ、受け入れてくれた筈なのに。

 結局のところ、雁夜の優しさと臆病さが己の恋路を潰してしまったのだ。それで時臣に対し複雑な思いの抱く羽目になってるのだから、同情の余地はない。

(確かに、娘じゃなく妻として間桐に籍を入れるなら蔵で調練する必要はあるけどさ。でもその時は気絶させて、魔術で無痛処理すれば良い話じゃん。実際、僕が蔵で調練受ける時は自分で無痛処理したし……)

 そこまで考えて、鴇哉はクスリと笑った。自嘲の笑みである。つくづく自分が魔術師であることを実感したからだ。

(僕が長兄たちと、本当の意味で分かり合える日はこないだろうなぁ)

 魔術という異常を恐れ、普通を大事にする兄二人。それに対し、精神構造が『異常』だと自覚している鴇哉にとって『普通』は苦痛にしかならない。

 互いの意見はどこまでも平行線を行き、決して交わることはないのだ。

「えっと、鴇哉……くん? どうしたの?」

 と――――思考にふけっていた鴇哉の脳を軽く揺する、訝しげな女性の声。

 ふと我に返って視線を戻せば、眼前には遠坂葵。彼女は眉尻を下げ、心配そうにこちらを見ていた。

「ん? いや、二人とも嬉しそうだから。ついつい見ちゃって」

「そうね。でも、当然だと思うわ。私も、もう桜とは面と向かって会えないと思っていたもの」

 誤魔化すために口走った鴇哉の言葉にそう返しながら、彼女は二人の娘を一瞥する。

 優しさの中に憂いを秘めた、悲しい眼差しで。

「私ね……覚悟していたの」

 胸元に手を当てながら、葵は静かに語る。

「遠坂に嫁ぐ時、魔術師の妻になると決めた時、こういうことになる可能性があることを。ごく普通の家庭のような幸せを、求めてはいけないんだって……」

 語るごとに、涙声になっていく葵。微笑を湛える彼女の目尻には涙が浮かび、今にも流れ落ちそうだった。

 彼女はきっと、諦めていたのだろう。

 間桐と遠坂、両家の間で結ばれた養子縁組。そのことについて葵は素直に受け入れたわけではなく、諦観による納得だった。腹を痛めて生んだ娘を手放すことを良しとするほど、彼女の心は強靭ではなかったのだ。

「……養子に出てから、初めての再会でしたね」

 そのことを『人』として踏まえた鴇哉は袖口からハンカチを取り出し、涙を堪える女性へと差し出す。

「午後六時にまた、此処で待ち合せましょう。それまで親子水入らずで、桜と一緒に過ごしてあげてください」

「っ……」

 続けざまの言葉に感情を抑えきれなくなったのか、葵は顔を僅かに歪めて涙を零す。けれど、ハンカチを受け取って目元を拭う彼女の表情には、悲しみの中にも確かな喜びの色があった。

「鴇哉くん……ありがとう……っ。また凛と……桜が、一緒に笑える機会を作ってくれて……っ。遠くに行ってしまったけどっ……娘と……会える切っ掛けをくれて……っ」

「お構いなく。親と子が切り離されたら悲しく思うのは、『普通』のことですから」

 泣いている彼女の背を宥めるように撫でた後、踵を返して鴇哉は公園から立ち去る。

(魔術師なのに、普通とか……変だよなぁ。絶対)

 先ほどの自分の言葉に、苦笑いを浮かべながら。

 

  ◇◇◇

 

「おばちゃん、たい焼き三つ。餡子二つにクリーム一つね」

「あいよ」

 帰りの途中、行きつけの店で買い食いするべく注文する。

 屋台のおばちゃんは、既に焼きあがっていた魚を模した焼き菓子を手早く紙袋に放り込み、袋の口端を織り込んで渡してくる。鴇哉は小銭入れから三個分の料金とたい焼き入りの紙袋を交換し、屋台から離れる。

 鴇哉は紙袋から早速たい焼きを一つ取り出し、頭の方から噛り付く。

「あー、美味ぁ。粒も食感が良いけど、やっぱ餡子は漉し餡だよなーっ」

 などと言いながら、行儀悪く食べ歩く間桐当主。

 和洋折衷な少女がたい焼きを頬張り闊歩する姿は当然人目を惹くが、そんなことを気にする鴇哉ではない。むしろ良い宣伝になるだろう、と店側のものである筈の考えが浮かぶくらいだ。

 定時での食事もままならないような激戦地にも赴くせいか、鴇哉には買い食い癖が身に付いていた。もちろん日本育ちだから、席に腰を下ろして用意された食事に舌鼓を打つのが一番だ。しかし道先の屋台に立ち寄り、小腹を満たすのも悪くない。庶民派料理も中々のものである。

 そのまま屋敷まで戻り、玄関口で番傘を閉じて傘立てに差す。それからブーツの編み上げ紐を解き、靴を脱いでリビングへと向かった。

「長兄、ただいまー」

「あぁ、おかえり……」

 帰宅からの挨拶を口にすれば、気怠げな鶴野の声が台所の方から聞こえる。

 鴇哉が長兄とその子を養うようになってから、鶴野は間桐邸の家事を担うようになった。

 家事くらい家政婦を雇えば良いと鴇哉は思うのだが、兄曰く「何もせず末っ子のヒモになるのは、長男としての沽券に関わる」らしい。かなり真剣な面持ちでそう言うので、鴇哉は長兄がしたいようにさせることにした。

「長兄、今日の昼なに?」

「チキンカレーとサラダ。昨日、鳥の胸肉が安かったから多めに買ったんだ」

「カレーか。食うの久しぶり、ウチは基本和食がメインだし」

「慎二が食いたがったからな」

「あー。子供って好きだもんな、カレー」

 僕も昔そうだった、と台所にいる鶴野へ続ける。

「そういや、次兄は? 今日は来てないの?」

「あぁ。……帰国して以来、ほぼ毎日押しかけ来るってのに。今日はどうしたんだか」

「ははっ。事故に遭ってないか心配?」

「んなわけあるか。何の前触れか分かんねぇから、気味悪いだけだ」

「はいはい。ちょいと視蟲で様子見てみるよ」

「違うっつってんだろ!!」

 からかうように言えば怒鳴り声が返って来るので、クツクツと笑う。笑いつつ認識阻害を掛けた蟲へと回路を通し、雁夜の姿を探した。

 捜索すること五分。ようやく次男を見つけると、一瞬鴇哉は硬直した。

「……長兄。ちょっとまた出掛けて来るわ」

「は? どうしたんだ、急にそんな深刻そうな声出して」

 先ほどまで聞こえた笑い声が消えて気味悪く思ったのか、ひょいとリビングに顔を出して鶴野が尋ねてくる。

 鴇哉はしばし押し黙った後、兄へと告げた。

「次兄ってば……葵さんたち、絶賛ストーキング中だわ」

「よし、ぶん殴って家まで引き摺って来い! 説教してやる!!」

 妻子持ちだった者として許せなかったのか、鶴野は怒声を上げた。

 


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