【完結】ソードアート・オンライン ━傷だらけの獅子━ 作:針鼠
一仕事ならぬ今日一日の攻略を終えて七十四層の迷宮区を抜けてきたキリトは街への帰り道の道中、もはや癖となっている索敵スキャンを発動する。すると索敵可能範囲に二つの反応をキャッチした。一つはグリーンカラーのプレイヤー、もう一方はモンスターだった。どうやらソロプレイヤーの戦闘中らしい。そう理解してから彼は迷った。ここは現在の最前線。ここで戦闘をしているということはイコール相手は自分と同じ攻略組と呼ばれる歴戦の猛者で間違いない。だとしたら下手なお節介は感謝より迷惑だと思われるかもしれない。しかも場所が迷宮区ならまだしも、ここは迷宮内よりレベルの落ちるフィールド。攻略組である以上そう手こずることもないだろう。
「………………」
ここは黙って素通りが正解。そう理解しながらキリトはカーソルの示す方向に歩き出す。たとえ向こうのプライドがあろうと、有難迷惑な行為だとわかっていても、万一すら許されないのがこの世界なのだ。一度失ったものは二度と返ってこない。彼はそのことを痛いほどに理解していたから。
――――結論を先にいえば、やはり素通りが正解だった。
そしてもう一方のプレイヤー。グリズリーと戦う長身の青年は巨大な敵を真正面から見据えていた。逃げるつもりも隠れるつもりもないといわんばかりに堂々と対峙している。その言葉の通り彼は逃げるつもりは一切なかった。そう言い切れる理由は青年の防具である神々しい輝きを放つ黄金の板金鎧。あれは圧倒的な防御力と金属鎧には珍しい腐食に対する耐性が高いというかなり性能の良い防具なのだが、致命的なまでの欠陥を持っている。
まずは見た目通り隠蔽系のスキルの一切の無効化。さらに鎧は《挑発》スキルと同じ効果を常に発生していて、何もせずとも敵モンスターの
もしこれが普通のゲームだったのならそれでも
よってあの防具を使っているのはキリトが知る中でも彼ただ一人だ。自分と同じソロでありながらそんな馬鹿げた防具を使う大馬鹿者。
開戦の合図はグリズリー。大きく振り上げた腕の一撃は本来あのモンスターを攻略するうえで躱すことが必須。回避して隙のできた間に攻撃。これの単純な繰り返しがグリズリーの攻略法だ。
それなのに青年は躱すどころか彼の武器であるメイスを大きく振りかぶる。斜め下から半円を描く青年のメイスとグリズリーの鋭い爪が激突。響き渡る轟音と火花めいたライトエフェクト。光が収まったときにはグリズリーは体を大きく仰け反らせており、対照的に青年のメイスは正しく振り切られていた。
初めて見たわけではないが相変わらず無茶苦茶だ。彼がやったのはパリィと呼ばれる防御法なのだが、驚くべきはボスを除いて現在パワー随一であるあのグリズリーを相手にやってのけたことだ。そんな真似ができるのは彼のパラメーターが筋力値優先であること、加えて彼の武器が一撃の威力が高いメイスであることだが、それはあくまで前提条件に過ぎない。メイスの有効打突部分を的確にグリズリーの攻撃に合わせた彼自身の技術と勘の良さ、そしてそれを冷静にこなした胆力だ。
結果としてグリズリーは
「相変わらず荒っぽい戦い方してるなー」
戦闘終了を見計らってキリトは木陰から身を晒して青年に声をかける。
これもまたあり得ない話のだが彼はソロでありながら索敵スキルを持たない。故に隠蔽で身を隠していたこちらの存在には気付いていなかっただろうが、彼は驚きもなく淡々とこちらを振り返る。
黄金の鎧に包まれた青年のがたいは良い。身長が高く決して細身ではないが太っているわけでもない。バスケットやサッカー、スポーツマンとしてならとても恵まれた体格といえるだろう。唯一鎧で覆われていない頭部。そこに彼が着る黄金鎧以上に、彼をこのゲーム内で異質たらしめる理由が存在する。
黒髪のオールバックの下には威圧的な三白眼がこちらに睨みをきかせている。ただしそれは――――右眼だけだった。左目はまるで海賊のような黒い眼帯で覆われている。彼は、レオンという名のプレイヤーはこの世界で確実に一人であろう隻眼のプレイヤーだった。
「毎度無茶するお前には言われたかねえよ、生意気キリト」
そしてこのアインクラッド一の口の悪さ(キリト談)。
★
「毎度無茶するお前には言われたかねえよ、生意気キリト」
そう言ってやるとキリトは笑った。口の端が震えているとこを見ると苦笑いのようだ。
まるで少女のような顔立ちでいて上から下まで辛気臭い黒服を纏っているのは、はたして彼なりのポリシーなのかはたまた過去にそんな誓いでもたてたのか……まあ、そんなことは俺の知るところではないが。
そんなこの男の正体は外見はほど生易しいものではないことを多くの者が知っている。攻略組と呼ばれるこの世界における最強集団の一人……。それどころかそのトップ集団の中でもさらに上位の存在。言いたくはないが俺が思う最強のプレイヤー候補に上る本物のゲーム攻略者だ。
「そっちも迷宮の帰りか?」
人懐っこく、悪くいえば馴れ馴れしくキリトが喋りかけてくる。無視をするには些か関わりがありすぎる人物に俺は情報収集もかねて応えることにする。
「まあな。ボス部屋は見つかったか?」
「まだ。まぁ、もうほとんどマッピングも済んでるし、次辺りには見つかるだろ」
キリトはそういって視線を上にやる。つられて視線をやると、夕暮れに染まった迷宮区が遥か上空、正確には次層の底まで伸びているのが見えた。
ここが七十四層。次が七十五層。それを一層から繰り返しておよそ百度目にようやくこのゲームは終わるのだ。残り二十六。これをはたして『あと』と思うか『まだ』と思うか、それは人それぞれだろうが。
「お前も街まで戻るんだろう?」
「なんだ、一緒していいのか?」
「モンスターがでたらお前に任せて精々楽させてもらうさ」
「敏捷力じゃレオンより俺のが上だけどな」
「逃げたら叩き潰す」
黒の剣士は無邪気に笑いながら横に並んだ。
しばらくそうして歩きながらぼんやりと考える。キリトは不思議な奴だ。見た目だけなら少女のようにか弱いくせにその力は誰もが認めるほど高い。その強さは決してレベル的な強さではなく、死に面して湧き上がる恐怖に対抗する勇気だったり、機転の早さ、反射速度、そしてなによりこの理不尽な世界であってただ一人本気で生きようとする強さだ。
たとえこの世界がどんなにリアリティをもっていようとも所詮は仮想現実。実際の俺はこんなハンマーを振り回せはしないし巨大な熊も倒せない。むしろ現状二年も寝たきりである現実の体はこうしている今も刻一刻と弱っていることだろう。このゲームが終われば残るものは何もない。失うばかりである。
俺を含めそう考える者が多いなか、キリトだけは違った。この世界の時間を現実の時間にしようと、されど忘却し没頭するのではなく全てに向かい合おうとしている。だからこそキリトの周りには人が集まる。強いだけではない彼に寄り添うように、時には隣りに立つように。そうありたいと思わせる磁力のような不思議な力を彼は持っていた。
「――――止まれ」
俺が小声で素早く告げる。キリトも幾分か表情を引き締めて立ち止まる。
「なんかいるな。スキャンしてくれ」
頼む前にはすでに実行していたらしくキリトはうろん気な目つきを向けてきた。
「ほんと、索敵スキルも持ってないのにどうやって気付くんだよ」
「勘」
「今度《超感覚》否定派の連中にあんたを紹介してやりたいよ――――そこの樹の上、《ラグー・ラビット》がいる」
視線で示してくるが残念ながら索敵スキルをもたない俺には影すら見えない。だがそのモンスターの名前には思わず唸る。
「ほー、レアモンスターだ。そりゃ見逃す手はないな」
「レオン、投擲スキル鍛えてたよな?」
息をひそめて訊いてくるキリトに頷いて返す。
「鍛えてるが見えなきゃさすがに無理だ。お前が当てろ」
「外れても文句言うなよ?」
「三万コルってとこか」
キリトは怪訝そうに首を傾ぐ。俺の発言の意味がわからなかったのだろう。
「運良くアイテムをゲット出来たときは発見した分の報酬で三万コル貰う。肉はお前が食うなり売るなり好きにしろ」
「レオンは食わないのか?」
「食欲満たすぐらいなら新しい装備でも買った方がいい」
「……もっと楽しめばいいのに」
「楽しんでるさ。俺なりに」
その数秒後、枝かげに潜んでいたラグーの悲鳴があがった。
★
《アルゲート》の街を並んで歩くキリトは不貞腐れた子供のように唇をつきだして歩いている。目当てであった《ラグー・ラビットの肉》は無事彼のアイテムストレージに並んでいるのだが、今現在俺達は馴染みの買い取り屋へと向かっていた。
「食うんじゃなかったのか?」
「食いたくても料理スキルが足りないんだよ」
未練がましくため息を吐き出すキリト。高ランクのアイテムというのは大抵それを加工する場合、相応のスキルを求められる。この場合S級の食材アイテムであるラグーの肉は同等の料理スキル、それと道具が必要となる。無くても料理自体は可能だがグレードは数段落ちる。
しかし料理スキルなんて戦闘には文字通りなんの役にも立たないもの、攻略組でなおかつソロプレイヤーの俺やキリトが鍛えているはずもない。結果これでは文字通り宝の持ち腐れとなってしまう。
しかしまぁ、キリトはそう言ったが実は心当たりは一人あるだろうに。頼むのが面倒なのか気恥ずかしいのか。多分後者だろう。
そうこうしていると目的の店が見えてくる。先を行くキリトはノックも無しに扉を開けて中へ。俺もそれに続く。
猥雑なこの街に似つかわしい猥雑な店内。その店主は俺達を見つけるなりニカッっと白い歯をみせて笑う。
「よぉ、キリトにレオン。こりゃまた珍しい組み合わせだな。コンビでも始めたのか?」
「相変わらず面白くもない冗談だな、エギル」
がっはっは、と豪快に笑う黒人の男こそこの店の主、エギル。俺はこの世界で様々なプレイヤーに会ってきたがこの男ほどキャラクターががっちりハマる者はいない。
茅場の計らいによって現実とほぼ実寸大のアバターを与えられた俺達だが、着ている服が張り裂けそうな肉体に悪役レスラーさながらのエギルの強面は道ですれ違えば本能的に道を譲ってしまいそうだ。もしこの世界でレベルを均一化しての殴り合いがあったならほぼ確実に最強はこの男だろう。
そんな外見とは裏腹にエギルは愛嬌のある男で、あくどい商売をしてると言われながら客の入りが上々なのは彼の人徳のなせるわざ。実は儲けのほとんどを中層プレイヤーの育成にあてていることもこの店の常連は皆知っている。彼自身は隠しているつもりらしいが。
「おいおい、S級のレアアイテムじゃねえか」
さっそくキリトが例のアイテムを見せている。交渉が終わるまで二階でも行ってようかと思った辺りで再び扉が開かれる。入ってきた人物は一直線に店主と話している黒髪の少年に向かう。
「キリト君」
本人的には普通に呼んだつもりだろうがその声は他人から、少なくとも俺からすれば妙に弾んだものだった。それが意味することは推して知るべし。知らぬは当人達ぐらいだ。
「シェフ捕獲」
「な……なによ」
「売却は無しになりそうだな」
「あ、レオンさん……え? 売却?」
話についてこれない少女。プレイヤー名をアスナという彼女は、この世界においてもっとも知名度の高いプレイヤーといって間違いないだろう。攻略組最強ギルド、《血盟騎士団》の副団長にして個としてもキリトに並ぶほど高い実力を持つトッププレイヤー。それでいて美人なのだから有名にならない方がおかしい。
可愛らしいまん丸の目をさらに丸くしている彼女へ、俺は挨拶もすっ飛ばして右手を差し出す。
「キリトと割り勘だから一万五千コル」
天下の副団長様だろうとアインクラッド一の美人だろうと容赦はない。貰う物を貰った俺はキリト達と別れると四十八層、《リンダース》へと足を運んでいた。すでに攻略された層に基本的に用はないが用事があるのはふと見えてきた水車の家。
★
四十八層、《リンダース》。その街の一角にある水車が印象的な店を構えるのはリズベットという名の少女。ふわふわショートヘアの髪型にベイビーピンクというファンタスティックな髪色ではあるが、本来の容姿でありながら不思議と似合ってしまっている少女。付け加えるなら、この世界で僅かな数の鍛冶職人プレイヤーである。
この世界において生命線ともいえるスキルのいくつかを非戦闘系に埋められてしまう為、彼女のような職人プレイヤーになる者は少ない。だからこそ高レベルの鍛冶職人であるリズベットの店は大抵いつも忙しいのだがどうにも今は暇だった。
今日の分の依頼は全て終え、予約も含め急ぎの仕事は無い。もう夜になろうかというこの時間帯に素材集めをする意味もないし別段必要もない。机に突っ伏しながら隣に目をやると、NPCの店員が張り付けたような笑顔のまま固まっている。彼女もまた客が来なければやる事がない。かと言って彼女にはこんな時でも世間話は出来ない。――――暇だった。
「……アスナの家にごはん食べに行こうかしら」
ふと思い出すのは友人の顔か、それとも以前にふるまってもらった忘れられない料理の味か。リズベットがゴクリと生唾を呑み込む今この時、その友人はとある少年とこの世界で最高級の肉を頬張っていたことを彼女は知らない。
本気で早めの店じまいを考え始めたとき店の扉が軽やかな鈴の音と共に開かれる。リズベットは慌てて体を起こすと一瞬で商人としての笑顔をつくる。
「いらっしゃいませ! ……ってなんだレオンか」
「客で態度を変えるってのは商売人失格だな」
「客で態度を変えてんじゃなくて、あんたに対してだけ変えてんのよ」
扉をくぐってきたのはリズベットの見知った長身の男だった。目が痛くなるような黄金の鎧。それとなにより印象的なのは左目を覆った黒い眼帯。顔立ちは良いのだが、眼帯の異様さとデフォルトの不機嫌そうな表情によって第一印象が格段に悪い。実際性格も悪いが。
今更気を遣う間柄でもないリズベットは砕けた口調のまま応対を始める。
「仕事?」とリズベットが問う。
「研磨」
ぶっきらぼうに彼はそう言うと無造作にストレージからメイスを手渡してくる。差し出されたそれを不服そうに唇を尖らせながらも受け取るリズベット。簡単なやりとりだが、だからこそその不用心なやりとりが彼女達の付き合いの長さをあらわしていた。
「あ、ちょっと待ってて」
リズベットは店の外にでて木札をひっくり返す。閉店にはまだ幾分か早いが今日はこの仕事で店じまいだ。
店内に戻り改めてレオンのメイスを持つ。同じメイサーでもあるリズベットにしてズシリと重く感じるそれは相変わらず馬鹿げたほど高い筋力値要求値の代物だ。カテゴリー《メイス/ダブルハンド》。固有名、《ギノロプス》。銘がないのはこれがリズベットのようなプレイヤー及びNPCの手によって作られたものではなく、モンスタードロップによるものだからだ。長い柄の先にはどんぐりのように片側が尖り反対側は平面の形をした槌。槌部分が通常のメイスより小さいのはヒットポイントが狭い代わりに的確に当てさえすればダメージ&あらゆる破壊可能オブジェクトに対する破壊値にボーナスが付くというものだ。その攻撃力は目を見張るものなのだが、無論当てられなければなんの意味もない。相手が大きければ問題ないが小型の、しかも動きが速いタイプにはろくに当てられない。それをレオンは自在に扱う。
「防具も頼む」
そう言うなりレオンは黄金の鎧も外す。ガチャガチャと一式を外し終えるとこちらに伺いもたてず勝手に店の椅子に腰掛ける。
注意したところで仕方ないのはわかっている。リズベットはNPCの店員に防具一式を持ってくるよう頼んでから一足先に工房に引っ込む。
リズベットがレオンと出会ったのはこの四十八層が解放され、街開きが行われて大体二ヵ月経った辺りだ。当時彼女は資金集めに奔走していた。というのも、今現在構えているこの店を得る為に莫大な資金が必要だったのだ。明確には三百万コル。鍛冶職人として働きまくり、モンスターを倒し、アイテムを売りなんとかかき集めたもののあと三十万がどうしても足りなかった。同様にホーム獲得を狙っていたプレイヤーがあともう少しで資金が貯まるという情報を聞きつけていよいよ焦ったリズベットだったが、必要最低限の物以外すべてを売って現状の彼女には今すぐ三十万を稼ぐ方法など思い浮かばなかった。
――――諦めるか。これから先、あのホーム以上に気に入る場所が現れるとは思えなかったがそうする以外になかった。そんなときに現れたのがレオンだった。当時は彼が攻略組であることすら知らなかったリズベットは人相の悪い隻眼の青年に正直怯えた。
それに気付かないのか、それとも気付いていて気にしていないのか、彼は一切雰囲気を和らげることもせず用件を口にする。どこぞで彼女の事情を知っていた彼はこう言ったのだ。『足りない分の資金を貸してやってもいい』と。
青年への警戒心が吹き飛ぶほどリズベットは驚いた。三十万なんて大金、おいそれと他人に貸せる金額ではない。しかも初対面の人間に。
怪しくはある。――――がこの方法以外彼女には店を手に入れる手段は残されていなかった。
彼は続ける。『条件がある』と。このセリフは当然とはいえリズベットはこの時点でおおいに顔をしかめていた。『金を倍にして返せ』ぐらいだったら呑むが、もし『代わりにお前の体を』とか言われたら愛用のメイスで頭吹っ飛ばしてやろうぐらいには思っていた。だから彼の言葉は意外だった。
――――金は返さなくていい。その代わり、これから先俺の装備を無料でメンテナンスをしろ。
リズベットは条件を呑んだ。同時にこの《リズベット武具店》が誕生した。それだけではない。レオンは店を構えた後の最低限の設備や道具、素材の調達まで面倒をみてくれた。
感謝はしている。しきれないほどに。
けれど解せない。今でこそリズベットはそれなりに名の通った鍛冶職人だが、当時鍛冶屋としてそれほど優秀であるとはいえない彼女に、それこそそのまま鍛冶職人として大成するのかもわからない人物に大金を渡すのははっきりいって馬鹿だ。
以前彼にそう言ってやったら『そうしたらお前の根性無しを見抜く目のなかった俺が馬鹿だっただけだ』とか言っていた。今もこうして鍛冶職人を続けているのはもしかしたらその言葉に対する意地もあったかもしれない。
(違う、か……)
研磨具の前に腰を下ろしながらリズベットは考える。自分は信じているのだ。いつか彼――――否、彼等が言った言葉を。それを信じているから、今も自分は心折れずにこの世界で生きていられるのだ。
★
二年前、このゲームが始まり……正確には茅場 晶彦によってこのゲームが脱出不能のデスゲームになって俺が最初にやった事は穴を掘ることだった。
圏内の地面は破壊不能オブジェクトに指定されている。手でかこうが剣で掘り返そうが一ミリたりとも削れはしない。それでも俺が続けたのは、システムによって俺達がここに閉じ込められたのならこのシステムに守られたものを破壊することが出来れば、それはつまりこのゲームから脱出できる希望になるのではと思ったからだ。
まあ、そう思えたのも地面を叩いていた初期装備の剣の耐久値が無くなり、粉々のポリゴンとなるのを眺めているまでだったが。
このままでは駄目だ。力が足りない。この世界で生きるには、この世界を壊すには今のままでは力が足りない。俺が筋力値優先の、それもオブジェクト破壊に秀でた
今思い返しても馬鹿な話だ。この世界が仮想現実で、この肉体はデータの集合体で、システムの一部である俺がいくら足掻こうとシステムそのものを壊せることなどでき出来はしない。もし万が一壊せたのなら、それはつまりこの世界の崩壊……俺自身の崩壊を意味しているというのに。
「研磨終わったわよ」
声に振り向くと両腕で抱えるようにメイスを持ったリズベットが工房からでてきた。それを受け取って耐久値を確認。しっかりゲージは一番端まで戻っていた。
「防具も持ってくるわ」
そう言ってリズベットは再び工房に引っ込む。
俺はふと建物の壁を見やる。たったいま手渡されたメイスを思い切り振りかぶった。――――轟音と共に、手に残る感触。メイスは壁を突き破ることは出来ず、壁の寸前で紫色の障壁に阻まれていた。視界には建物が破壊不能オブジェクトであることを伝えるシステムタグ。
レベルが八十を超え、《魔剣》と呼ばれる武器を得て、かつての自分とは比べ物にならない威力の一撃でもってしても結果は以前と何一つ変わらない。あの頃とまるで変わらない。俺は、
(俺は本当に、強くなっているのか?)
疑問に答える者は、いない。
「このバカ!」
ガツン、と視界が揺れる。振り返ると、先ほど俺の一撃から壁を守った障壁が今度は背後からのリズベットの拳から俺を守っていた。
「なんだよ?」
「なんだよじゃないわよ! 店壊すつもり!?」
がーがー吠える彼女はどうやらさっきの轟音を聞きつけてやってきたらしい。
「喚かなくても建物は破壊不能オブジェクトだろう」
「あんたの場合ほんとに壊しそうなのよ! 壊したら弁償よ? べ・ん・しょ・う!!」
一通り喚き立てると、はぁーとため息を吐く。不意に尋ねてきた。
「あんたこれから暇でしょ?」
「断定的だな」
「ご飯食べに行きましょ。てゆーか奢りなさい」
「………………」
「なによその顔。美人の女の子が一緒にご飯に食べてあげるって言ってんのよ? むしろ感謝されたいぐらいよ」
「目と鼻と口と眉毛と輪郭と、あと胸と背とついでに性格も良くなれば美人なのにな」
再び視界がぶれる。もしかしたらシステムを壊すのは俺より先に彼女が達成してしまうのではないだろうかという威力で。