【完結】ソードアート・オンライン ━傷だらけの獅子━   作:針鼠

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終わりなき綱渡り

 ――――なーによアンタ辛気臭い顔しちゃって……って、こんな状況なら当たり前か。だからってアンタ男でしょうが。悩んだってしょうがないんだからシャキッとしなさいシャキッと。…………えーと? ところでアンタ名前なんていうの?

 

 

 

 

 

 

 

 昨日は散々だった。メシを奢るってだけでも納得いかないのに、勝手に酒を頼んで酔っ払ったリズベットに――――あくまでゲーム内なので本当にアルコールが入ってるわけでは無いはずなのだが――――暴れられるわ愚痴を聞かされるわ。挙句眠ってしまった彼女の頭をぶん殴って起こして彼女の店まで連れて行くのにどれだけ苦労したことか。あれなら徹夜で迷宮にこもってモンスターを相手にした方がまだ有意義だった。

 釈然としない疲労感に苛まれながら根城にしている《アルゲート》の宿屋に帰り着くなりアラームのセットも忘れてベットに倒れ込むように寝てしまった。結果、俺はあるまじき大寝坊を果たす。

 

 

「クソ……」

 

 

 ウインドウ端の九時五分という時間を見て舌をうつ。勤勉な攻略組ならばすでにダンジョンにもぐり始めている。俺は特別勤勉というわけではないが、出発が出遅れればそれだけ攻略にかけられる時間は減ってしまう。ソロプレイヤーの俺が寝坊したからといって誰に迷惑をかけるわけでもないが、それでも朝一番から予定が狂うのは気が滅入る。

 今日は副業の予定も無いし、出来ればレベル上げがてらにそろそろ七十四層のボス部屋を発見しておきたいところだ。頃合いをみるに今日明日には誰かしらが見つけるだろうが、先に俺が見つけられれば情報屋に売るマップデータの値も高くなる。臨時報酬には最適だ。

 

 ゲートから七十四層に跳ぶと広場がなにやら騒がしい。朝から眩暈のする人の塊は、どうやらどこぞの誰かがこの広場でデュエルをおっぱじめたことが原因らしい。ここからではよく見えない。とりあえず人垣の一人に声をかける。

 

 

「誰がやりあってんだ?」

 

「KoBのメンバーとソロのキリトだってよ……うわ!?」

 

 

 男は答えながら俺を見るなり驚いて身を引いた。初対面の奴の反応は大抵こんなものなので別段気にしない。――――それよりも、キリトか。ふと思い出される童顔の剣士。相変わらず厄介事の中心には頻繁にあの男がいる。ちなみにKoBとはアスナも所属するアインクラッド最強ギルド《血盟騎士団》の略称である。

 最強ギルドのメンバーと決闘とは。アスナを巡って昨日殺気立ってた護衛辺りだろうか。

 俺の見てくれに勝手に空いていく野次馬の壁。せっかくなので前にいって観戦しようと思う。攻略組最強ギルドのメンバーと最強のプレイヤー候補の男のデュエル。興味が無いと言えば嘘になる。

 

 

「どうせなら手の内の一つでも見せてくれるとありがたいんだけどな」

 

 

 情報はこの世界において最も重要な生命線。モンスターやアイテムだけでなく他プレイヤーのスキル、そいつの性格等々。いつ何時、どんな状況で役に立つかはわからなくても知って損ということはない。特にキリトはそういった情報を易々と与えてくれない。

 

 一番前まで辿り着いたところでちょうどデュエルは始まった。先に動いたのはキリト。やや遅れて騎士団のユニフォームを纏った細身の男が両手用大剣を振り上げて駆けた。予想通り男は昨日のアスナの護衛だった奴だ。

 男が繰り出したのは上段ダッシュ技、《アバンラッシュ》。対してキリトは開始直前こそ下段構えだったが、発動させたソードスキルは同じく上段技、《ソニックリープ》。剣の特性もあって技の威力はKoBの男が上だろう。武器そのものの差はわざわざ語る必要もない。そして意外にも――――否さすが最強ギルドのメンバーというべきか、男の技の発生速度は速い。このままかち合えば総体的に威力負けしているキリトの敗北は確定だ。

 だけどもまあ、キリトの狙いはそこじゃない。

 

 結末は呆気なかった。空中で交錯し、開始直後とは立ち位置を入れ替えた彼らのHPはどちらも一ドットだって減っていない。ただ、男の両手剣が半ばからへし折れていた。二人の着地から僅かに遅れて剣の上半分が地面に突き刺さった。やがて男の持つ柄部分と突き刺さった剣はポリゴン片となって消えてしまう。

 《武器破壊》。これはソードスキルやましてや隠蔽や索敵といったスキル名ではない。本来システムに組み込まれていない、しかし条件さえ揃えれば実行可能なシステムに頼らないプレイヤー個人による技術――――通称システム外スキル。《武器破壊》はこれの一つ。本来なら偶然が重なってようやく起こりうる現象なのだが、どうやら彼の顔を見るにそれを意図的にやってのけたらしい。ソードスキルが発動する前か発動し終えた直後、どちらかのタイミングでその武器の脆弱部分にソードスキルかそれに準ずる威力を叩き込めば武器は耐え切れずに折れる――――と、理屈だけならこの場のほぼ全員がわかっている。が、実際それを狙って出来る者はおそらくいない。常に動く標的相手に、それもピンポイントに武器を狙ってソードスキルを当てるのは至難の業だ。ステータス的なレベルや努力以上に、生まれ持ったセンスが問われる。

 

 

「武器を替えてもう一回でも構わないけど、もういいんじゃないかな?」

 

 

 剣を突きつけるキリトに男は砕かんばかりに歯を喰いしばり『アイ・リザイン』と告げる。訳すると降参、だ。

 レベルが違う。スキルやステータスという意味ではなくプレイヤーとしてのレベルが。

 敗北した男はいつまでもキリトに憎悪に満ちた目を向けていたが、男に近付いた同じくKoBのユニフォームを着たアスナがそんな彼に命令を下す。

 

 

「クラディール。本日を以てわたしの護衛役を解任。別名あるまで本部待機。以上」

 

「なん……な、この」

 

「やめとけよ」

 

 

 男が腰に差し直した予備の剣に手をかけるのを見て思わず声をあげてしまう。野次馬を含めキリト達の視線までもがさっと集まった。しまった、と思いつつ今更なので言葉を続ける。

 

 

「これ以上醜態晒すと取り返しがつかなくなるぞ」

 

「このガキ!」

 

「クラディール!」

 

 

 アスナの制止も構わず予備の剣を抜いたクラディールは俺に向かって斬りかかってくる。俺としては親切心で言ったつもりだったのだが火に油だったようだ。ここは圏内で、いくら彼が俺を斬ろうと数値的なHPは減らない。しかし単純な衝撃は突き抜けてくる。それはごめんだ。

 男の剣を鎧で守られた腕で受けようとするが視界の端でクラディールの眼がいやらしく笑うのを見た。クラディールは横に跳んだ。俺の死角――――眼帯がしてある左側に回ったのだ。なかなか容赦がなくて結構である。だが、

 

 

「バカ、な……」

 

「生憎死角(こっち)から攻められんのは慣れてんだよ」

 

 

 掲げた俺の左腕はしかとクラディールの剣を受け止めていた。

 

 

「テメェ、本当は見えてやがるのか!?」

 

「だったら? 見えてても見えてなくてもお前には関係ねえだろう」

 

 

 クラディールは憤怒に体を震わせる。ふとその顔色が俺の顔を見るなり変わった。

 

 

「その鎧に眼帯……もしかしてテメェ《金獅子》か?」

 

 

 その名に辺りがざわめく。といってもこの層の人間にはあまり聞き慣れないだろうけど。俺を知っている人間は一部を除いて大抵ここよりずっと下の層のプレイヤーか、リズベットやエギルのような職人達ぐらいだ。

 俺の沈黙を肯定と受け取ったのかクラディールは一層顔を嘲りに歪めた。

 

 

「中層プレイヤーや職人共の護衛引き受けて下じゃ随分大きな顔してやがんだってなぁ」

 

「だったらなんだよ。それだってお前には関係ねえだろうが」

 

「ヒーロー気取りで満足かってんだ! ノコノコこんな前線に顔だしやがって。勘違いしてんじゃねえのか? ここはお前がいつもお守りしてる中層プレイヤーや職人のお荷物共がいる場所とはわけが違うんだよ!」

 

 

 ピクンと今の言葉に引っかかる。

 

 

「……お荷物、だと?」

 

 

 クラディールは気付かない。怨念と嘲笑の入り混じった目で声高々に言葉を吐き出し続ける。

 

 

「実際その通りじゃねえか。あんな奴等、安全な街か下層でうだうだしてるだけで攻略の役にも立たないただの荷物だ。…………いや、荷物の方がまだ役に立つ。害虫だよ、害虫。どうせならボス戦のとき盾にでもなってくれりゃあそれなりに使い道も――――」

 

 

 クラディールの言葉は最後まで続かなかった。クラディールの発言にいい加減怒りを露わにしていたアスナやキリト。それよりも先に、クラディールの横っ面を俺のメイスが殴り飛ばしていたからだ。

 圏内なので障壁に阻まれながら、しかしノックバックというにはあまりにも激しい衝撃にクラディールは突き飛ばされたように地面に倒れ込んだ。俺はさらに倒れたままのクラディールの足と足の間に思い切りメイスを叩きつける。――――再びの轟音。それはやはりシステムの障壁に阻まれる。

 

 

「もう一度同じこと言ってみろ。今度はお前をこの城から放り投げる」

 

「ひ、あ……」

 

 

 クラディールは小さく悲鳴を発しながら尻をついたまま俺から距離を取る。マントの中から転移結晶を取り出すと口早に『グランザム!』とKoB本部のある階層の名を叫んでその場から消えてしまった。

 メイスを叩きつけた体勢のまましばらく周囲の沈黙と視線にさらされて、ようやく冷静になって今の状況を振り返る。

 

 

「やっちまった……」

 

 

 誰にも聞こえない小さな声で言いながら額に手をあてる。見物の目的はキリトとKoB幹部の情報収集のはずだったのに思わず血がのぼって目立ち過ぎた。ふと見てみれば離れたところで童顔剣士と美人細剣士がそろって親指を立てていた。本当に、今日は厄日だ。

 

 

 

 

 

 

 

「なんでこうなる……」

 

 

 本当に今日は厄日ではなかろうか。一体何がどうなれば一傭兵の俺が攻略組トップクラスの二人を引きつれて迷宮を散策せねばならないのか。そもそも傭兵としての仕事以外パーティーなどほとんど組まないのだが。

 

 

「あの、迷惑でしたか?」

 

 

 隣の美人がそんなことを言いながら不安げに見上げてくれば男としてクラッときてしまうのは決して罪ではない。かといってデレデレ鼻の下を伸ばすほどお気楽な人間でもないので自然と仏頂面で押し黙ってしまう。それに益々不安そうな顔を浮かべる彼女を助けるように高性能レーダー兼切り込み隊長の黒髪剣士が口を挟む。

 

 

「大丈夫大丈夫。レオンは人相悪いけど、実はお人好しで女の子には男より優しいから」

 

「そういうお前はなんでアスナと組んでるんだよ。パーティーはデメリットしかないから組まないんじゃなかったのか?」

 

「うっ……」

 

「このスケベ」

 

 

 一通り口撃を浴びせると幾分すっきりした。まあ仕方ない。考え方を変えよう。パーティーを組むと経験値は分配されてしまうのでレベル上げは今日は諦めて、探索をメインに攻略していこう。キリトの索敵スキルはそういった方面ではとても役に立つし、戦闘に関しても今日はアスナもいるのだ。

 実は、彼女とこうしてパーティーを組むのは初めてだった。ボス戦でこそ何度か会っているものの向こうはトップギルドの副団長、たかが傭兵風情の俺と彼女に接点があること自体奇跡といっていい。知っているのは《閃光》と呼ばれるほど凄まじい細剣使いであること。美人であること。あとは、どうやらキリトが好きらしいということぐらいか。今日はキリト共々、精々その腕前を見物させてもらおう。――――それにしても、

 

 

(やっぱり俺邪魔なんじゃねえか?)

 

 

 クラディールの件はイレギュラーのようだったが二人はどうやら待ち合わせていたようだったし。今日は仲良く二人で迷宮デートだったのではないだろうか。俺を誘ってきたのはキリトではなく彼女の方だったのだが。

 

 

「待った」

 

 

 先頭を歩いていたキリトが足を止める。倣って俺とアスナも足を止め、互いに武器を掴む。

 

 

「モンスターか?」と尋ねる。

 

「違う。プレイヤーだ……けどこれは」

 

 

 キリトがマップを呼び出し俺達にも見えるよう可視モードにする。覗いてみるとプレイヤーを示す緑色カーソルがマップを移動している。それだけなら大した問題にはならないのだが……。

 

 

「多いな」

 

「それにこの並び方……フィールドでこんなしっかり隊列を組むなんて」

 

 

 その通り、問題なのはキリトも指摘したこと。迷宮内ならいざ知らず、たいしたモンスターもでないフィールドでこうもきっちり隊列を維持する意味はあまりない。油断しているのがいいとはいわないが、人間の集中力はそう長く持続するものではない。常に気を張っていてはいざというときに素早く動けなくなる。熟練したプレイヤーほどそういったメリハリを弁えているものだ。

 

 

「キリトとアスナはそこらへんで隠れてろ」

 

「でもレオンさんは?」

 

「俺の防具じゃ隠れても効果はない。かといってこんな場所で武装解除するつもりもない。ここでソロを装って接触する」

 

 

 俺の黄金鎧は防御面に関しては高性能だが隠れるには適さない。

 二人は不安げな顔を浮かべる。確かにキリトの示すカーソルは犯罪者カラーであるオレンジを示してはいないが、それでもまだ百パーセントそうでないとはいいきれない。グリーンカラーを囮にする犯罪者連中も存在する。どちらにしろ奇妙で不気味な集団であるのは間違いないのだ。

 

 

「お前ら俺を馬鹿にしてんのか? いざとなりゃ、お前ら見捨てて転移結晶で俺は逃げるぞ」

 

 

 割と本気の発言だったのだが、冗談のように聞こえたのかキリト達は少し安心した様子で了承した。二人は道を外れた土手を這い登り茂みに身をひそめる。さすが高レベルの隠蔽スキル。すぐにその姿は消えてしまう。

 

 

「さて……」

 

 

 しばらくすると足音を耳が拾う。俺の姿はすでに向こうの索敵スキルにひっかかっているらしく音は一直線にこちらに向かってきた。やがて薄暗い木々の向こうから現れた集団。数は事前にマップで確認した通り十二。全員が揃いの鎧と戦闘服を着込んでいる。

 ――――やはり、と俺は自身の予想が当たったのを感じた。強制的な意思を感じさせるほどまったく揃いのユニフォーム。最前線とはいえフィールドでの徹底した行軍。そして目の当たりにしてわかる殺伐とした雰囲気。決定的なのは彼らの装備に施された城のエンブレムだ。

 この集団の正体は《軍》だ。ギルドという分類も怪しいが、超大型ギルドにして、この世界の治安を守ることを目的に動く武力組織。…………なのだが、近頃はとある理由のもと攻略には一切参加していない。

 

 

「あんた達、軍か?」

 

「如何にも」

 

 

 集団の一人、他の十一人とは少し違う高レベルの装備に身を包んだ男が前に出る。このパーティーのリーダーだろう。

 

 

「私はアインクラッド解放軍所属、コーバッツ中佐だ」

 

「また仰々しいこって」

 

 

 茶化したような物言いにコーバッツは僅かに眉をひそめる。そうして辺りを見回してから、

 

 

「君は一人かね?」

 

「ああ。軍がこんな最前線になんの用だ?」

 

「我々は常にこの死のゲームを終わらせる為に行動している。こうして戦場に立つことに何か不自然なことがあるかね?」

 

「よく言ったもんだな。ここ一年攻略から外れて縮こまっていたくせに」

 

「貴様……、我々を侮辱するつもりか」

 

 

 一瞬コーバッツが殺気立つが、年の功なのかどうにか自制した。あくまでも表面上は、だが。

 

 

「まあいい。君は迷宮内の攻略は済んでいるのか?」

 

「一通りは」

 

「うむ。ならそのマップデータを提供してもらおう」

 

 

 その発言には一瞬呆気にとられた。未踏破である最前線のマップデータはS級アイテム以上に貴重なものだ。その意味がわからないでもないだろうに。

 

 

「…………別にいいぜ」

 

 

 俺の返答に感謝どころか当然だというように頷くコーバッツ。そんな男に俺は片手を突きだす。五本の指全てを立てて。

 

 

「五万コルでどうだ?」

 

 

 今度はコーバッツの方が意味を理解出来なかったようだった。時間をかけてようやく理解するとヘルメットの中の眼光をきつく光らせる。

 

 

「貴様! 我々は全てのプレイヤーの為に戦っているんだぞ!」

 

「だから? だから苦労して埋めたマップをタダで寄越せってのか? おいおいおっさん冗談言うなよ。一体ここまでマップを埋めるのに俺がどれだけ神経すり減らして時間をかけてると思ってんだ。それをほいほいやるほどお人好しじゃねえよ。――――少なくとも、俺から情報買いてえなら相応の見返りをだしな」

 

「……展開」

 

 

 重い声でコーバッツが指示を出す。後ろの面々がそれぞれ武器を構えて囲んでくる。

 

 

「一つ教えてやる。俺の防具は見ての通り隠蔽スキルの無効化ともう一つ、挑発スキルが常時発動してる。こうしてグダグダしてると一気にモンスターに囲まれるぞ?」

 

 

 コーバッツの視線を受けてパーティーの男が頷く。おそらく索敵スキルで辺りをスキャンしたのだ。

 こいつらは最前線の地図すらろくに用意していなかった。となれば、ここら一帯のモンスターについての情報も満足に集められていないのだろう。彼らのレベルや装備は充分この最前線でも通用するだろうが、それはあくまでステータス的な話であってそれだけでは安全な攻略は望めない。よってここで無駄な消耗は避けたいはずだ。

 

 

「行くぞ」

 

 

 コーバッツは再び指示をだし隊列を組み直す。そのまま立ち去るかと思いきやふと足を止める。

 

 

「思い出した。貴様はたしか《金獅子》だったかな?」

 

 

 それはキリトの《黒の剣士》やアスナの《閃光》と同じ俺の二つ名。この二つ名は主に中層以下で広まっている。軍の拠点は一層なので知られていたとしても不思議はない。ちなみに二つ名の由来は金は見たまんま鎧を示し、獅子はレオンという名前から取って《金獅子》。一体誰が言い始めたんだか。

 

 

「自分で名乗ったつもりはないけどな」

 

「噂は聞いているよ。か弱い中層プレイヤーや職人にたかる薄汚い傭兵だろう」フン、と嘲るように鼻で笑い「気を付けることだ。もし貴様が我々のプレイヤー解放という崇高な目的の邪魔だと判断されたなら、我々は躊躇いなく貴様を処断する」

 

「忠告どうも。礼代わりに教えてやるよ。――――最前線は危ないから気を付けな」

 

 

 最後の挑発には乗ってこず、コーバッツ達は迷宮に向けて森の奥に消えていった。

 茂みからキリトとアスナが出てくる。その顔色は優れない。

 

 

「心臓に悪いわ」

 

「同じく」

 

 

 どうやら心配させてしまったらしい。謝るつもりはないが。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――アンタは弱いんだから大人しくしてなさい。アタシがぱぱっと片づけてあげるわよん。でもま、意外と根性あるじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

「ほんとごめん! 悪かったって」

 

 

 アスナは必死に頭を下げていた。その隣ではキリトも両手を合わせて何度も頭を下げている。彼女達が頭を下げる先では不機嫌オーラ丸出しの隻眼メイサーレオンが、アスナとしては非常に居たたまれない刺すような視線を向けている。

 遡ること数分前、遂にアスナ達はボス部屋に辿り着いた。回廊の先に佇む二枚扉。当然、見つけたといってもたった三人で攻略など出来るはずもない。ボス戦は幾度かの偵察と綿密な作戦、そして選び抜かれたメンバーで万全をもってあたる。とはいってもこのまま帰るのもなんだと、せめて姿だけでも見て行くかという話に落ち着き三人は扉を開いた。

 扉の先にいたのは数多のモンスターを見てきたアスナにとっても初めてとなる悪魔の姿をしたモンスターだった。名を《ザ・グリームアイズ》。巨大な体躯に山羊のような頭をもつそれは、対峙しただけで根源的な恐怖を呼び起こさせる圧倒的な圧力を発していた。そのボスモンスターが、入り口で固まっていた自分達を見て走り出してきた時といったらもう……。

 アスナとキリトは鍛え上げた敏捷値を全開にして絶叫と共に逃げ出した。――――筋力値優先の重戦士であるレオンを置いてけぼりにして。

 

 

「よーーーーーーっくわかった。わかったとも。お前らがどれだけ薄情なのかも、お前らがMPK(モンスター・プレイヤー・キル)紛いをする奴等だってことも。いやぁ、天下の副団長様と悪名轟くソロプレイヤーはやっぱ違うわ。へー、そうかそうか」

 

「「本当に申し訳ありませんでした!!」」

 

 

 全力で頭を下げて、特製弁当をおすそ分けするのを条件になんとか許してもらえた。

 

 

「レオンさんの左目って……」

 

 

 サンドイッチにかぶりつくレオンの右目と目が合う。

 

 

「いえ、その……見えてるんですか?」

 

 

 彼はおもむろにグイッと眼帯をずらす。そこには暗い眼窩も、痛々しい傷も、ましてや色違いの瞳やシンボルの入った瞳でもない。右目と同じ茶色の瞳が普通に収まっていた。

 

 

「残念ながら眼帯を取っても都合よくパワーアップなんてしないぞ」

 

 

 答えながら眼帯を元に戻した。

 正直アスナは驚いていた。あの眼帯はファッションか何かで、実際には見えているのかと思っていた。

 しかし今見せてくれた眼帯の裏には何の細工もなかった。つまり本当にあれは彼の視界の片方を封じているのだ。

 

 

「その、なんでわざわざそんなもの着けてるんですか?」

 

「大した理由はねえよ。現実の俺は本当に左目が見えないんだ」

 

「でもそれなら、この世界ならたとえ現実世界で見えなくても見えるんじゃないですか?」

 

 

 ここは仮想現実だ。たとえ現実で足が一切動かない人物であろうと仮想の肉体が与えられるこの世界なら自らの足で立つことも歩くことも、跳んだり走ったりすることだって可能となる。この世界で肉体を動かすのはあくまで脳であって、言ってしまえばどんな重病人であろうと脳さえ機能していればこの世界では自由に動くことが出来る。それは五感についても同じ。現実世界にあるレオンの左眼が見えなくともここでなら確かに見えているはずなのだ。

 

 

「なんでわざわざ視界を塞ぐなんて……」

 

「メリットはないな」彼はきっぱりと言って「単純に違和感に耐えられなかっただけだ」

 

「違和感?」

 

「生まれたときから俺の左側は暗闇だった。最初にダイブした時こそ感動もしたが、どうにも見えすぎることに慣れなかった。バランスも取りづらい遠近感も掴めない。だからいっそのこと塞いだんだよ」

 

 

 レオンはつまらなそうに言う。その気持ちを、生まれたときから体に不自由のないアスナにはわからなかったが。

 

 アスナはレオンとはキリト以上に接点がない。彼がボス攻略に参加した時か、もしくは彼が何度か騎士団本部にやってきた時に見かけた程度だ。この世界唯一の隻眼プレイヤーにして攻略組の一人。それもキリトのようなベータテスト生でないプレイヤーにしてはかなり珍しいソロプレイヤー。これだけ話題が揃っていてその名があまり広まっていないのは、彼の主な活動が最前線より中層以下の傭兵屋だからだろう。アスナ自身も詳しくは知らないが、なんでも凄腕である代わりに法外な料金を請求されるらしい。ハイレベルプレイヤーが、ましてや攻略組級のプレイヤーが下層エリアをうろつくのは本来褒められた行為ではない。いくら仕事とはいえ高額の報酬を請求するとなれば尚更。

 故に前線組でその噂を知る者は彼をよく思っていない。《金獅子》という二つ名も、元々は彼の鎧から名付けられたが中には蔑みをこめて《金漁りの獅子》と呼ぶ者もいるぐらいなのだ。

 アスナも正直よくわからなかった。何故レオンがわざわざ下層に出向いてまでそんな真似をしているのか。こうしてパーティーを組んでみても彼ほどの実力なら前線の攻略に専念すればそれより多くの利益を得ることも充分可能だ。死のリスクを恐れているなら、そもそもこうして最前線になど出張らずに傭兵一本で生活していればいいだけだ。

 しかし彼はそのどちらも選ばない。

 

 わからないといえば彼のスキル構成もわからない。自分も全て知っているわけではないが、攻略を目指すソロプレイヤーのほとんどはキリトのような回避を基本にした高い攻撃力構成のダメージディーラー。理由は語る必要も無いが、たとえばソロで壁役のようなスキルを構成したところでほとんど何の意味も持たない。敏捷値を上げるのは状況によって逃走を考えて。ただし、自然としてそれは防御力が薄くなるというリスクを伴う。それを補う為に彼らはあらゆる情報を集め、不意打ちや罠を見抜く《索敵》や逆に奇襲及び逃走時に役立つ《隠蔽》といってスキルを優先して鍛える。

 そのセオリーからレオンは逸脱している。ソロでありながら索敵を一切鍛えず、隠蔽に関しては鍛えるどころか身に着けた黄金の防具でその逆の《挑発》スキルを常時発動してしまっている。防御手段に関しては回避ではなくパリィによる防御しかしない。ノーダメージで敵を仕留めるキリトのようなソロとは違う。回避や逃走を度外視して、ある程度のダメージ覚悟でそれ以上のダメージを相手に叩き込む超攻撃型。それは本来なら自殺行為だ。たとえ耐性を上げていても万が一ソロで麻痺にでもなれば終わりだし、大量のモンスターに囲まれてしまえばそれまでだ。

 なぜ彼はこんなスタイルを貫いているのか。いくら考えたところでアスナにわかろうはずがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「おお、キリト!」

 

 

 迷宮の入り口方面から現れたのは六人組のパーティーだった。その一人、今しがた声をあげたバンダナを額に巻いた刀使いはキリトの次にこちらを見るなり首を傾げた。

 

 

「レオン? なんでおめぇがキリトと一緒にいんだよ」

 

 

 喧しい奴が来たと隠しもせず舌をうつ俺に対しキリトとアスナは興味深そうにしている。

 

 

「クラインってレオンと知り合いだったのか?」

 

「知り合いもなにもおめぇ……、なんてったってこのギルドを作るのにレオンの――――」

 

「クライン」

 

 

 思いっきり低い声で名を呼ぶと彼はビクンと体を硬直させる。

 

 

「約束、忘れてないだろうな?」

 

「……あー、まあ知り合いだ。とにかく」

 

 

 途端に態度を変えて説明を拒むクラインにますます首を傾げる二人だった。まったく、口の軽さは相変わらずだ。知らない所で勝手に喋ってしまっている可能性を否定しきれない。今は遅まきながらアスナの存在に気付いたクライン含め《風林火山》のメンバーが騒いでいる。

 いくら安全エリアだといってもここが最前線のダンジョン内であることを忘れさせるお気楽ぶりだった。思わずため息がこぼれた。

 

 

「!」

 

 

 クライン達がやってきた方向から新たな足音が聞こえてくる。さすが攻略組の面々とでもいうべきか、キリト達もすぐさま備える。現れたのはほんの数時間前出会った軍のパーティーだった。

 軍には関わるな。今更それを確認する必要のない俺達は自然とエリアの端に下がる。相も変わらず鉄の鎖でも繋がれたように揃った行進を止めて彼らは俺達とは反対側のスペースに腰を下ろす。

 するとその一人――――たしかコーバッツと名乗ったプレイヤーがキリトに近付いてくる。その途中、彼は俺を見るなり鋭い目つきで睨んでくるが俺が取り合わないと見るや彼も視線を切った。

 

 

「私はアインクラッド解放軍所属、コーバッツ中佐だ」

 

「キリト。ソロだ」

 

「君はこの先まで攻略しているのか?」

 

 

 頷くキリト。その先の言葉は俺には予想出来るものだった。

 

 

「ならばマップデータを提供してもらいたい」

 

 

 『まさか』と続けてコーバッツは俺を睨む。

 

 

「君もあの男同様に私欲の為に我々の邪魔をするか?」

 

 

 先の一件を知らないクラインや、知っていても納得出来ないアスナは視線で噛み付いたが、キリトは二人を宥めるとあっさりデータを渡してしまう。どうせキリトは街に帰ればデータを情報屋に格安で皆に売る条件にタダで渡してしまうだろうから、すでに俺はデータ引き渡しの臨時収入は諦めていた。とはいえマッピングの苦労を知らないわけでもないだろう彼の相変わらずの甘さには少し頭にくるところがあるが。

 

 

「協力感謝する」

 

 

 感謝の気持ちなど一切感じられない言葉を並べるコーバッツ。

 

 

「随分お疲れみたいだな」前を横切る彼に俺は「ボス戦だけは避けた方がいいぞ」

 

「貴様の指図は受けん! 貴様等さっさと立たんか!」

 

 

 コーバッツが叱咤すると鎧以上に重たそうな体を引きずって彼らは先のエリアへと消えていく。その背に不安を感じていたのは俺だけではないだろう。特にアスナの瞳はその色が強かった。

 

 

「ねえ……」

 

 

 アスナが言いたいことは皆に伝わっていた。キリトが後頭部を掻きながら仕方ないといった様子で頷く。

 

 

「様子だけでも見に行くか」

 

 

 クラインやそのメンバーも同時に頷く。俺を除いて。

 

 

「本当にお人好しだな」

 

 

 少なからず俺の性格を知っているキリトやクラインはその言葉に苦笑する。

 

 

「来てくれるんだろ?」

 

「俺にタダ働きしろってのか?」

 

「さっきアスナの料理食べたよな」

 

「………………」

 

 

 クラインが『なに!?』と悔しがっていた。中々痛いところを突いてくる。アスナの料理は報酬としても充分な価値ある代物だった。けれどあれはそもそも彼女達が俺を置いてけぼりにした詫びだった気がしないでもない。

 俺は大きく肩を落とし、かゆくもない後頭部を掻く。

 

 

「ったく、高くついた」

 

 

 

 

 

 

 

 予想は的中した。ただし悪い方の予想が、だ。

 回廊に響き渡る悲鳴。全員の体が強張る。

 

 

「バカッ!」

 

 

 弾かれたようにアスナが加速する。キリトがそれを追おうとして一瞬迷ったようにこちらを振り返る。

 キリト達の疾走には攻略組といえど俺達では追いつけない。特に筋力値にステータスを振っている俺は。置いていくことに躊躇ったのだろうが、むしろ今危険なのは一人走り出してしまったアスナの方だ。

 

 

「行け!」

 

 

 俺が鋭く叫ぶとキリトは一つ頷き駆け出す。こんな状況でなければそのスピードに見蕩れてしまいそうだった。

 

 

「俺も行く」

 

「俺もって……おめぇ」

 

 

 クラインは困惑したようだった。装備の通り俺は筋力値を一極とはいえないまでもかなり偏って上げている。敏捷値で決まる走力ではおそらく彼のギルドメンバーの壁役の男より負けるだろう――――が、一つだけ筋力優先のプレイヤーが速く走る方法がある。否、速く進む方法が。

 俺は地面を強く蹴りつける。表現ではなく回廊の床を踏み砕く勢いで蹴りつけた。体はやや斜め上に向かってグンッと飛び出した。数メートルを上に進み、やがてシステムに従った重力にひかれて体は降下。地面に着く瞬間、再び床を強く踏みつけて斜めに跳ぶ。

 先程も述べたようにこの世界の走力は敏捷値によって左右される。

 けれどここで一つ面白いのが跳躍に限っては敏捷値ではなく筋力値が大きく関わってくるのだ。それを利用したのがこのジャンプ移動。だがまあ、速いといってもさすがにキリトやアスナに追いつくほど出鱈目なスピードではなく、鈍足ステータスの俺が普通に走るのよりはといった具合だ。ならば筋力値優先のプレイヤーは皆この走法を使っていそうだが実はそうでもない。まずこの移動法は未開のダンジョンや迷宮ではまず使えない。跳んでしまえば着地しなくてはならない以上その着地地点に猛毒の落とし穴があっても為す術もないからだ。使用条件としてまずマップのコンプリートが前提。それともう一つ、

 

 

「レオン!」

 

 

 三度目のジャンプをした直後クラインが後方より叫ぶ。前方に影。先に通ったキリト達を追って湧いた(ポップした)迷宮のモンスター、《リザードマン》の背中だ。後ろからやってくる俺に気付いて反転して片刃曲刀(シミター)を構える。

 これがこの移動法のもう一つの欠点。トラップと似たような理由だが、跳んでいては突然現れたモンスターを避けることなど出来ようはずもない。俺の体も今まさに空中。もはや戦闘は避けられない。

 俺は空中にいるままメイスを構える。通常、このような重量武器は踏ん張りのきかない空中で振れるものではない。しかしそれもやり方次第だ。

 その間にも地上のリザードマンは明らかに俺を狙って上を見上げて剣を引き絞る。ソードスキルの光を放つ剣は俺の胸目掛けて突き出された。

 その切っ先を俺のメイスが強引に上から叩き伏せる。威力は純粋な落下の勢いだけだが、元々が重量級の武器というのもあって剣の軌道をずらすには充分。リザードマンの剣は本来の軌道を通らず足下に抜けていく。同時にようやく俺の足が地面を捉える。

 先の一撃はソードスキルではないので俺に硬直時間はない。着地した足を止めずに一歩前に。逆の足を交差させて一瞬とはいえ敵に大胆に背中を見せるように回転。それに応じて一回転したどんぐり型のメイスの突起部分がリザードマンの腹に突き刺さった。遠心力と俺の筋力値による渾身の一撃だ。

 相手のHPの二割以上ががっつり削られる。これすらもまだソードスキルは使っていない。システムアシストを使っていれば本来訪れるはずの硬直時間はこない。

 薙ぎ払ったメイスを引き戻し追撃――――はせずに再び跳躍。リザードマンを置いてけぼりにする。

 今は呑気にトカゲの相手をしていられる時じゃない。背後から怒りめいたトカゲ男の咆哮が聞こえるが無視。クライン達の喧しい称賛も無視する。

 

 幾度かの跳躍を経てついさっき訪れた二枚扉が見えて来た。先ほどとの違いは扉が大きく左右に開け放たれていたことだ。その奥に見える青白い炎。扉の前で必死に声を張り上げているキリト。事態は最悪だった。

 やがてクライン達も追いついてきたが俺達は動けない。さっきは気付かなかったが、この部屋はどうやら結晶無効化空間だった。結晶とは、効果に時間のかかる他のポッドアイテムとは違う即時的な効果をもたらすマジックアイテム。そして唯一、ゲートを通らず他の場所に一瞬で移動することの出来る転移アイテムが存在する。このゲームにおいて最後の命綱ともいえる物だ。それがこの部屋では使えない。

 すでに戦っているコーバッツ達の人数は十人。二人足りない。逃走を封じられたこの部屋で人数が足りないということは、つまりすでに二人死んだということだ。

 

 

「我々解放軍に撤退の文字は無い! 戦え!!」

 

 

 コーバッツの声だった。この期に及んであの男は一体何を言っているのか。恐怖による混乱か。怒りによる暴走か。それとも、このゲームおけるコーバッツというキャラクターになりきってしまったが故の陶酔なのか。キリトの叫びは届かず、コーバッツの一団は木の葉のように悪魔の巨剣に薙ぎ払われる。その内の一人が俺達の目の前に落ちた。コーバッツだった。

 最後まで彼は現実を見ていなかった。本当の現実も、この仮想の現実も。只々彼は妄想の世界に囚われていた。

 ――――あり得ない。声にならない言葉はあまりにも虚しかった。コーバッツの体がその通り虚しく砕け散る。後にはなにも残らない。鎧も、体も、血も。コーバッツという男はこの世界から跡形もなく退場した。

 

 

「だめ……だめよ」

 

 

 アスナは震えていた。俺が慌てて手を伸ばすより速く彼女の体は境界線を越えて部屋に入ってしまう。

 

 

「アスナ!」

 

 

 それを追って堪らずキリトも跳び込む。クライン達、《風林火山》のメンバーも残された軍の連中を助けだそうと突入する。

 あまりにも無謀だった。この空間は結晶無効化空間。緊急脱出も瞬間的なHPの回復もままならない。そんな状況で、まだ多く残っている軍の連中を庇いながら未知数のフロアボスと対峙するなんてリスクが高すぎる。最悪こちらが死ぬ。

 

 ――――わかっている。わかっていても、俺はその場から立ち去ることが出来なかった。彼らの背がかつての『彼女』にダブって見えてしまったから。

 

 

「本当に割に合わねえな、今日は」

 

 

 独りごちる。前に足を踏み出す。あのとき踏み出せなかった一歩を、かつて救えなかったあの背中を救う為に。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――なんか左側の反応遅いわよねー、アンタ。ああ……現実じゃ見えないんだっけ? ならさ『これ』で塞いじゃえば?

 

 

 

 

 

 

 

 グリームアイズの振るう大剣が脇腹をかすめていく。決して低くない俺の防御力をもってしてもHPは目に見えて減少する。

 俺達の役目はクラインの仲間が軍の連中を部屋の外に脱出させるまでの時間稼ぎ。しかし実際はそれさえもままならない。

 理由の一つはこのボスの剣技がボス仕様とあって微妙なカスタマイズを施されていて先読みが出来ない。そもフロアボスをたった四人で相手するというのが無茶なのだ。一瞬の判断ミスが許されるほど、このモンスターの攻撃力は低くない。加えてこの部屋は結晶無効化空間。瞬間的な回復手段が存在しないのでポッドアイテムを使うしかないのだが、人数が足りなくてろくに満足にローテーションも回せない。このままではメンバーの誰かが遅からず殺される。巨大な刃がアバターを切り裂き視界端のHPバーを削りきる。アバターはシステムに従って粉々に砕かれる。血も流れない。死体も残らない。それでもその瞬間、その人物は死ぬ。アバターのHPと連動したナーブギアのプログラムが現実世界にあるプレイヤーの脳を焼き切る。現実の、死だ。

 

 

「少しでいい!」

 

 

 この絶望的な状況でキリトが叫んだ。

 

 

「少しの間でいい! 時間を稼いでくれ」

 

 

 キリトほどの男がこの状況を理解していないはずがない。その上でなにかを決意したのだろう。自分にしか出来ないことを、やるべきことを見極めたのだ。

 アスナとクラインが頷く。絶体絶命のこの状況で自分でない誰かのことを信じて。彼女達だって今まさに迫りくる死を意識しているだろうに。それでも決して逃げようとはせずにキリトの言葉を信じて剣を構える。

 

 

「退け」

 

「レオンさん!?」

 

 

 二人を押し退けて前にでる。

 

 

「正面は俺一人で充分だ」

 

「無茶よ! あのボス相手に一人で壁役をするだなんて……」

 

「長物振り回すのに周りをチョロチョロされてたら邪魔なんだよ。元々俺の戦い方はこういう多対一には向いてない」

 

 

 長い得物を振り回す俺の場合、近くに仲間がいれば満足に武器を振り回せない。それならいっそボスのタゲを引き受けて一人で相手をしていた方がマシだ。

 

 

「それにお前らの軽装備じゃ一撃でも直撃すれば最悪死ぬ。俺ならまず一撃死は無い」

 

「素直じゃねえな、レオン」クラインはニヤリと笑って「素直に心配だから下がってろって言いやがれ」

 

「誰かが死んで、それで残った奴にパニックになられたら迷惑なだけだ。俺はこんな所で無駄死にするつもりはない」

 

 

 彼女達を追い払うようにメイスを横合いに振る。

 

 

「報酬の分だけきっちり働くさ」

 

 

 アスナはまだ納得いかなそうな顔だったがクラインに説得されて下がる。それでもいつでも助けに入れるようにある程度の間合いをあけた位置でこちらを見ているようだ。

 

 さて、邪魔者はいなくなった。誰かと一緒に戦えば、否が応にもそいつが気になってしまう。気遣えば動きが鈍り判断が遅れる。結末は死だ。一人の方がずっと気楽に戦える。――――なにより、もう二度と俺のせいで誰かを目の前で失うだなんてごめんだ。

 

 

「ゴアアアアアアアアア!!」

 

 

 巨大な悪魔を睨みつける。何もせずとも黄金鎧の特殊効果でグリームアイズのターゲットは俺に定められている。大剣が雄叫びと共に振り上げられ、まるで断首刀のように振り下ろされる。その軌道を見極めて振りかぶったメイスで大剣を迎え撃った。

 

 

「グッ……」

 

 

 メイスを握った両腕が弾き飛ばされる。衝撃に二、三歩後ろによろめくも武器は手放さない。しかし生じたノックバックの影響で俺に硬直時間が課せられる。致命的な隙。ただし、それはグリームアイズも同様だった。

 

 

「マジかよ……」

 

 

 横合いから見ていたクラインが思わず息を呑む。眼前で、まるで鏡のように俺と同じく万歳の体勢で硬直しているグリームアイズ。奴にもまたノックバックによる致命的な硬直時間が課せられていた。

 

 

「クラインさん!」

 

 

 呆けていたアスナが我に返る。無防備な悪魔に攻撃を入れた。慌ててクラインも攻撃を撃ちこむ。

 永遠と思えるほど長く感じた数瞬の停止から体が自由を取り戻す。それはやはり敵も同じ。今度は薙ぎ払うようにグリームアイズが剣を構える。それを見て俺も同様に横に振りかぶる。再びの衝突。轟音。そして鏡合わせのように弾かれ、一人と一匹の動きが止まる。

 アスナはボスの動きが止まる度に着実に攻撃を加えているが、しかし繰り返される光景を前に声を、体を震わせていた。

 

 

「無茶よこんなの……」

 

 

 俺がやっているのはカウンタースキルによる相打ち。正直いえば押し勝つつもりでいたのだが、如何せん敵の攻撃が予想よりずっと重かった。さすがフロアボスというべきか。それに常に敵が先手で、俺はその攻撃に合わせて攻撃を行うわけだから自然後手となる。その差も押されてしまう理由の一つだろう。

 

 

「レオンさんやめてください! こんなのいつまでも続けられるわけありません! それにカウンターに失敗したら……」

 

 

 アスナの言葉には取り合わず、再び構えるグリームアイズと示し合わせたように武器を構える。

 カウンターの失敗。タイミングが遅れれば、攻撃を読み違えれば、パワーで押し負ければ……。いずれかの要因でカウンターが失敗した場合、おそらく俺のHPは一発でレッドにまで削られる――――いや、最悪死ぬだろう。ハイリスクハイリターン、それがこのスキルの特性なのだ。

 つまり俺は一度の失敗でも、たとえ相打ちであってもあの剣が当たればそこで終わる。HP総量が違う相手はその限りではないが。

 そんな理不尽な我慢比べ、死の綱渡りをやり切るには極限の集中力を要する。周囲の音を遮断し、景色も、敵の姿すら意識から消し去る。無の世界で見えるのは敵の武器である大剣。それとただメイスを振り続ける俺だけだ。

 構え、激突し、弾かれ、また構える。永遠と繰り返される連鎖。一撃一撃に、この世界にやって来てから唯一持ち続ける願い――――いや、彼女への誓いを込めて。

 

 

(壊してみせる。俺はこの世界を、壊してみせるっ!)

 

 

 俺は振り続ける。

 

 

「ゴアアアアアアアアアアア!!」

 

「シャラアッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

(こんなの、無茶よ)

 

 

 無防備になるグリームアイズに一撃を加え離脱するアスナ。彼女の手はずっと震えていた。それは決して自身の死に対する恐怖からではない。――――いや、きっとそれもあるだろが、最大の理由は目の前で無謀な攻撃を繰り返す隻眼のメイサーにだ。

 ボス級モンスターの攻撃を真正面から受けることは大盾を持った重戦士の壁仕様(タンク)にしか許されない。理由は言わずもがな。そんな彼等でさえ複数人で行うのだ。

 レオンのレベルは常に最前線にいる自分やキリトにはやや劣るものの、ボスの中でも明らかにパワータイプに属するグリームアイズに対して正面から互角でやり合っている。そんな彼は間違いなくこのアインクラッドで最強のパワーをもっているといえるだろう。

 それでも無謀すぎる。一度どころか一瞬の判断ミスさえ命取りのやり取りを、そう何度も連続で続けられるわけがない。人の集中力は決して無限ではない。少しでもタイミングが遅れれば、メイスのヒットポイントが僅かでもズレてしまったら……、集中が切れたその瞬間彼は大剣の餌食となりそのHPを食らい尽くされるだろう。プレイヤーの死ではなく現実の死へレオンを誘う。

 レオン自身それを自覚している。自覚しながら、その恐怖と戦い武器を振り続ける彼には今どれほどのプレッシャーが圧し掛かっているのか。アスナには想像もつかない。

 けれどこれだけは言える。こんなものいつまでも続くはずがない。

 

 繰り返していた大剣の攻撃を一旦止めたグリームアイズは雄叫びと共に眩い噴気を口から吐き出す。軍との戦闘でもみせたブレス攻撃だ。

 驚くべきことにレオンはブレスに対して一切対処をしなかった。ブレスは眼前のレオンを包み込む。僅かだが確実に彼のHPが減少する。ブレスに晒されながらレオンは回避も防御もせずにジッと構えを取り続ける。グリームアイズの剣にだけ、己のメイスにだけ意識を集中させているようだった。

 この世界で自分のHPが減ることほど恐ろしいことはない。普通のゲームなら多少の犠牲を覚悟出来ても、ライフポイントが真に自分の命であるここでは違う。たとえ僅かであっても、己の命の残量がこうして目に見えているからこそ無視出来ない。

 しかし彼は一切構わなかった。事前に見た情報からブレスに一撃死が無いと判断し、多少HPを削られるのも構わず剣のみに注意を払っていた。強靭な精神力だと称賛すべきことなのかもしれない。――――が、アスナには怖気しか湧いてこなかった。グリームアイズにではない。味方であるレオンに対して。

 

 平等でない条件下のカウンター勝負。数度と繰り返した今、敵のHPはアスナとクラインによって着実に減ってきてはいる。それでもまだ半分にも届いていない。あと何度繰り返せばいいのか、考えただけで気が遠くなる。なによりも敵のHPがゼロになるより先に確実にレオンの集中が切れる。そのとき彼は――――、

 

 

「アスナさん!」

 

「っ!!」

 

 

 クラインの声でアスナは我に返った。今まで一心にレオンと対峙していた悪魔の青白い眼が、今はしかとこちらを捉えていた。幾度かの攻撃でアスナがレオンの憎悪値を上回ってしまったのだ。

 剣を振りかぶるグリームアイズを前にアスナは見上げたまま硬直してしまった。自分の敏捷値をもってすれば躱せたはずなのに、まるで金縛りの特殊攻撃を受けたように足が根を張って動かない。

 鈍色の光を放つ刃が無情にも振り下ろされる。

 

 

「オオオオオオォォッ!!」

 

 

 獣の如き咆哮に大気が震える。グリームアイズは不自然に動作を止めた。アスナは思わずその場にへたり込んでしまいそうだった。

 今のは単なる雄叫びではなく《挑発》スキルの派生、《威嚇(ハウル)》。威嚇は熟練度が高ければ憎悪値を上げるだけでなく相手の動きを止めることも出来る。

 咆哮を当てられ一瞬動きが止まったグリームアイズ。のそりと、アスナに背を向けて威嚇を放ったレオンを見下ろす。

 

 

「余所見すんなよ木偶の坊。お前の相手は俺だろうが」

 

「グォォォォ!!」

 

 

 それははたして怒りの雄叫びか。威嚇スキルで再び憎悪値がレオンへ逆転した。そうしてまた繰り返される途方もない激突の連続。まるで終わりなき曲で死神と永遠に踊らされるような光景に、レオンより先にアスナの心の方が砕けてしまいそうだった。

 

 

(お願い……)

 

 

 彼女は願う。

 

 

(誰か、助けてよ)

 

 

 その願いははっきりとした形となって聞き届けられる。

 

 

「お待たせ!!」

 

 

 声があがる。アスナが俯かせていた顔を上げると、目の前には一人の少年が立っていた。小柄のはずの彼の背中はアスナには今とても大きく見えた。かつて自分にこの世界で『生きる術』を教えてくれた彼は、再びアスナの前に立つ。

 その手に、二本の剣を携えて。

 

 

 

 

 

 

 

 天を仰いで吠えるグリームアイズ。その絶叫を呑み込むように奴の体は膨大な数のポリゴンとなって爆散した。

 ――――勝った。クライン達は揃って大きな安堵の息を吐くと同時に腰を下ろし、アスナはすぐさま駆け出した。彼女の向かう先に寝そべる黒衣の少年。すでに彼のHPは僅か数ドットを残しているだけだった。彼こそがグリームアイズを倒した張本人である。

 エクストラスキル、《二刀流》。いや、未だ誰も発現させていないそれはユニークスキルと呼ぶべきだろう。キリトはその切り札を使ってグリームアイズを見事撃破した。

 

 

 

「おーいレオン」

 

 

 キリトと話していたクラインが手を挙げて呼んでいる。

 

 

「オレたちはこのまま転移門を使うけど、おめぇどうする?」

 

「……ああ、俺も戻る。面倒臭いのはお前に任せる」

 

 

 メイスを担ぎ、一度だけ倒れたままのキリトを見た。するとキリトではなく彼を介抱していたアスナと目があった。彼女は何か言いたそうにしていたが、今は喋る気分でなかったので無視した。

 

 

「どうした?」

 

 

 俺の様子に気付いたクラインが声をかけてきたがそれさえも無視して転移門に向かう。

 

 《二刀流》。アインクラッドにおける二年において俺でさえ聞いたことのないスキル。それこそがキリトの隠し玉だった。

 実際にこの眼で見た圧倒的な手数と威力は壮絶の一言。キリトの潜在的な反射速度が合わさった今、火力という意味では間違いなくアインクラッド最強だろう。――――否、火力だけではない。今キリトは現アインクラッドで最強のプレイヤーたる『あの男』と肩を並べたといっていい。

 気付けばメイスを握る手に力が籠っていた。グリームアイズと互角でしかなかった俺と、それを見事倒したキリト。力の差は明白だ。

 

 俺はいつかこの世界をぶち壊す。その為に最強にならなくちゃならないならなってやると『あの日』彼女に誓った。そのときのことはまるで昨日のことのように思い出すことが出来る。

 ――――しかし、その誓いを果たすには今の俺はあまりにも力が足りなかった。

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