【完結】ソードアート・オンライン ━傷だらけの獅子━ 作:針鼠
伝説の男、聖騎士ヒースクリフの正体が俺達を地獄に叩き落とした張本人茅場であったこと。その真実はこの場の全員……いやこのアインクラッドに生きる全プレイヤーの希望をへし折るに充分な告白だった。彼こそが最も多く集めていたのだ。脱出不可能だと半ば諦めていたこのゲームで、自分達を解放出来る人間だという信頼を誰よりも勝ち得ていた。
「……なぜ気付いたのか参考までに教えてもらえるかな?」
ヒースクリフはもう否定しなかった。
それからのキリトと奴の会話はろくに耳に入ってこなかった。
この男が茅場。俺達をこのゲームに閉じ込め、デスゲームなどという無茶な運命を強いて――――そしてセルシアを殺した元凶。
その事実が頭の中で何度も反芻する。
「貴様が」
今までキリト以外誰一人凍りついたように動けなかったが、一人が動いた。レイだ。誰より奴を信じ行動し続けた男が、憤怒の表情と共に巨大なハルバードを振り上げた。
「貴様が……。俺達の忠誠――――希望を……よくも…………よくも………………よくもッ!!」
「ふん」
つまらなそうに茅場は鼻を鳴らしてハルバードを剣で撃ち落した。空中で体勢を崩されるレイ。その背中を蹴り飛ばす。あらかじめ接近していた俺はレイを足場に跳ぶと茅場目掛けてメイスを振り下ろす。
――――不意に全身の力が抜けた。意志とは違う唐突の脱力に空中にいた俺は大きくバランスを崩す。受け身もとれずに茅場の足元に無様に落ちた。
「な、なにが……」
視界の端にあるHPバーがグリーン色に点滅する枠に囲まれてた。これは状態異常、麻痺毒を示す表示。原因を探る必要もない。
傍らに立つ茅場は俺達のものとは違う、管理者権限を持つ者のみが開けるであろうウインドウを操作していた。次々と俺同様に強制麻痺にやられてプレイヤーが倒れていく。ただ一人、キリトを除いて。
「キリト君、君には私の正体を看破した
「……いいだろう、決着をつけよう」
「キリト君っ!」
応じたキリトはアスナに微笑みかける。茅場も満足そうに笑っていた。
「ふざ、けんな」
俺は起き上がろうと足掻いていた。首から下が切り離されたかのようにまるでいうことをきかない。腕が動かないので額を支えにして強引に体を起こそうと試みるが仰向けになるのが精一杯だった。それでも足掻くことはやめない。唯一自由に動く口を動かす。
「ふざけんなよヒース! 俺と戦え!」
昔の愛称を叫ぶほど俺は激情に駆られていた。
絶対に許さない。言いたいことは山ほどある。
しかし奴は視線すらこちらに寄越さなかった。まるで俺との会話に意味はないというように、価値はないというように。それはこれ以上ない侮辱だった。怒りが心を砕く。
頭に浮かぶのは彼女の最期。
「セルシアを……てめえはあいつを見捨てたのか!? あいつは仲間じゃなかったのか!!?」
キリトと茅場の距離が縮まる。
「答えろ! 答えろぉぉぉぉ!!」
茅場は最後まで俺を見なかった。
――――そして、ゲームはキリトの手によってクリアされた。
★
『ゲームはクリアされました』
無機質な機械調の声は頭の中に響くようにそう言葉を繰り返した。
ゲームはクリアされた。二年に及ぶデスゲームはその幕を閉じた。最後の瞬間を俺はまるで覚えちゃいないが、キリトが……キリトとアスナがやってくれたのだということぐらいは覚えておいてもいいかもしれない。 ゲームがクリアされたなら俺が目覚める場所はダイブした自室か、どこかの病院のベットの上でなければならない。ここはそのどちらでもなかった。
燃えるような夕焼け空。広がる雲海の上に俺は立っていた。足元はアクリル板のように透明な地面で、目を凝らしてみても端がわからないそこを足場にしていた。透明な地面の下では遠く離れた空にポツンと浮かぶ城が今まさに崩壊を始めていた。
アインクラッド。俺達に恐怖と、喜びと、出会いと、別れを与え続けた世界。
二年を過ごした城が崩れ去る様を見ても、今の俺にはなんの感慨も湧いてはこなかった。それよりも自身の姿に目を向ける。胸を覆う金色の鎧。右手には慣れ親しんだ柄の細い感触がある。
俺はまだ隻眼のメイサー《レオン》のままだった。おかしい。ゲームがクリアされればプレイヤーは全員解放されるはずだった。これはつまり最初の茅場の言葉が嘘だったのか。
そもそも、一万人を虐殺する覚悟をした狂人の言葉を信じること自体おかしかったのかもしれないが。
しかし俺は感謝していた。俺がまだ《レオン》であることに安堵した。
崩壊する世界も、解放の約束も、今は何もかもどうでもいい。今はこの仮想の肉体と武器と――――殺したいほど憎い男が目の前にいればそれで充分だった。
「なかなか絶景だろう?」
赤地のサーコートを羽織り動きを阻害しない程度に最低限身に着けられた鎧。
「比喩的表現に過ぎないが、あの城の崩壊と共にもう間もなくデータの完全消去が完了する」
うなじの辺りで束ねられた鉄灰色の髪。
「さてレオン君。キリト君同様、君にも七十五層の活躍、それとラストアタックのボーナスを与えなくては不平等だと思ってね」
金属的な瞳まで何もかもあのゲームの中と同じまま、奴は目の前にいた。
「何が望みかね?」
返答は問答無用の一撃だった。この展開が予想通りだというように茅場は聖騎士を演じていた頃には浮かべなかったような微笑をたたえ、俺の攻撃を純白の十字盾で防いだ。
「殺してやる」
「わかった。望むままに相手しよう」
メイスと盾が拮抗する最中、視界にデュエル開始のウインドウが現れる。視界の左端に復活するHPバー。見覚えのある数字は俺の最期の瞬間でのHPがフルまで回復されていた。
それが消えるのも待たず一旦メイスを引き戻し、その場でコマのように体を回転させてスイングする。
茅場はそれは受けず、身軽なバックステップで間合い外に逃げた。
「ルールはアインクラッドのものと同様だ。しかしレオン君も中途半端な結末は望むところではないだろうから《全損決着モード》にさせてもらった。構わないだろう?」茅場は盾の後ろから剣を抜きながら「だが安心したまえ。たとえここで君がHPを全損しようと君が死ぬことはない。もうゲームはクリアされているのだから当然だ。これはあくまでも私から、最後のボス戦を戦い抜いてくれたプレイヤーへの――――」
「黙れ。それ以上喋るなっ!!」
振り下ろした鉄塊を茅場はこともなげに撃ち落す。流れる体を左足で踏ん張り、返す要領でメイスをすくいあげる。軌道にあった茅場の頭を吹き飛ばす――――ことはなかった。茅場は十字盾を巧みに操り止めるのではなく受け流した。
自然、不用意に武器を振り切った無防備な体勢を晒す。そこに茅場は冷静に長剣を横に薙いだ。
腹部に衝撃が走り視界端でグッとHPバーが減少する。今更そんなものを気にする神経を持ち合わせちゃいない。減少するHPも不快なフィードバックも関係ない。
この男を殺す。絶対に殺す。それだけが頭を支配する。
体勢を整えることも基本的な足捌きも無視して無茶苦茶にソードスキルを連発する。それはただ子供が木の枝を振り回しているのとなんら変わりなかった。自分でも気付いていた。このままでは茅場を倒すどころか、一撃当てることもままならないと。
茅場はたしかに自身のステータスに《不死存在》などというプレイヤーから逸脱した設定を自らに施していた。加えてこの世界の全てをデザインした奴にはプレイヤーが知りえない膨大な情報を初めから有していた。
けれどそれらはあくまで保険でしかなかったはずだ。本来の奴自身の実力はたとえ卑怯な手段を使わなくともキリトに勝るとも劣らない。何より、茅場の強さの根源は鋼の精神力。それだけは正しく奴自身の力だ。
事実、今茅場はほとんどHPを減らしていない。俺が不甲斐ないというのもあるが、それでもシステムアシストされた攻撃を最初の一撃以外
手足の如く自在に操る剣術、冷静な判断力と洞察力、鋼の精神。この男はその全てを兼ね備えている。間違いなく最強のプレイヤーだ。
そこまでわかっていても体は止まってくれなかった。俺にあるのはひたすらの殺意だけ。
「哀れだな」
ぼそりと、だが俺に聞こえるようにヒースクリフは呟いた。幾度目となるメイスを剣で上に跳ね上げ、十字盾を前に突き出したタックルをかましてくる。あまりの衝撃に意志とは関係なく二人の距離が開く。
ちらりと見た俺のHPはすでに半分を切っていた。
「……なんでだ」
一旦間を置いたことで僅かに冷静な思考が戻ってくる。口を突いてでたのはこの期に及んで疑問だった。
「なんでお前はあのときセルシアを助けなかった。お前なら救えたはずだ! あのとき、一人残ったあいつを……」
今でも忘れられない。セルシアの顔を。言葉を。その日のことをはっきりと思い出せる。
迷宮を探索していた俺達を囲む五十人近いレッドプレイヤー。俺達を逃がす為に自らトラップを発動させたセルシア。……誘い込んだ五十人のレッドプレーヤー達と共に。
俺は、諦めるしかなかった。
五十人のレッドプレイヤー。夥しい数のモンスター。
閉じられた空間で、彼女の味方は誰一人いなかった。決して開かない扉を前に、俺は何も出来なかった。あの状況で彼女を救うことはたとえ誰であっても不可能だったと今でも思う。
しかしこいつには出来たのだ。この世界において神であるこいつには。
「仕方がなかった」
茅場は言う。
「たんなるプレイヤーに過ぎない者ではあの状況で彼女を救うことは出来ない。そして私はそれを演じる必要があった」淡々と事務的に言葉を連ねる「彼女は救われてはならなかった」
「救われては、ならないだと……?」
愕然とした。同時に怒りが再燃する。より大きなものとなって。
「イカレてんのかてめえは!」
「世間は私をそう呼ぶかもしれないな」
俺の攻撃を剣であしらいながら至近距離にある茅場は全てを受け入れるように微笑む。
救えてはならない。そんなことあるはずがない。彼女が救われてはならない理由なんてあっていいはずがない。俺はそんなもの絶対に認めはしない。
それなのに……それなのにどうして。
――――レオン。あの人のこと、助けてやって
セルシアは最期にそう言って笑った。似合わない穏やかな表情を浮かべていた。
「わかるか? あいつは頼むって言ったんだよ。お前のことを……俺より強いお前のことを……あいつより強かったお前のことを助けてやってくれって俺に頼んだんだよ! その意味がわかるか!? セルシアが……あいつがお前のことをどう思ってたのかわかってんのか!!?」
「ああ、だが私には関係ないことだ」
言葉と共に茅場は煩わしそうに剣で払い、強攻撃を加えて俺を硬直に追いやる。
奴の剣と盾が眩い純白のエフェクトに包まれる。繰り出される連撃全てを目で追うことは出来なかった。
十を超えた辺りで豪快に斬り下ろされる長剣。まだ最後の一撃が残っていた。腰だめに据えられていた盾に、より一層強い光が集まる。構えた盾をまるで空手の正拳突きのように前に突きだした。直撃した俺の体は情けなく吹き飛んで、背中から透明な地面に墜落した。
「つまらなかったなレオン君。残念だ」
茅場の声が遠い。もう起き上がる気力が無かった。夕焼け空が視界を埋める。
投げ出された右手の上にひらりと黒い布が落ちた。左目を覆っていたはずの眼帯。どうやら衝撃で外れてしまったらしい。そんな所まで再現するこのゲームの細かさに呆れながら、ゆっくりと瞼を閉じる。
茅場には勝てない。奴の実力は俺の遥か上だ。仮に勝ったところでセルシアが帰ってくるわけでもない。こんな勝負、始めから意味なんてなかった。俺の身勝手な復讐。茅場に裏切られた怒りを吐き出したかっただけだ。もう抗う気力はない。あれだけ激しく狂うように燃えていた憎しみすら、今は虚しく透けていく。
もういい。たとえ約束を果たしてもあいつは俺のことなんて――――。
――――ああ、そうか。この期に及んでようやく俺はわかったのだった。
★
「なーによアンタ辛気臭い顔しちゃって……って、こんな状況なら当たり前か。だからってアンタ男でしょうが。悩んだってしょうがないんだからシャキッとしなさいシャキッと。…………えーと? ところでアンタ名前なんていうの?」
初めて会った彼女は誰よりも逞しく俺の前に現れた。
「レオン? なんだか名前負けねぇ。今も腰抜かしてるし。アタシはセルシアよ。そうね、うん。アンタ、アタシと一緒にきなさい。アタシがアンタを守ってあげる」
初めてのボス戦で俺のHPが危険域のレッドに突入してしまった。それを颯爽と救ったのが彼女だった。
「アンタは弱いんだから大人しくしてなさい。アタシがぱぱっと片づけてあげるわよん」ボスと向かい合った彼女はこちらを見ずに「でもま、意外と根性あるじゃない」
正直、悔しかった。
「なんか左側の反応遅いわよねー、アンタ。ああ……現実じゃ見えないんだっけ? ならさ『これ』で塞いじゃえば?」
言われるまま着けると彼女は満足そうに大きく頷いた。
「うん! 似合うじゃない」
彼女は自分がベータテスト生だと告白した。一度は他のベータ生ら同様スタートダッシュを決めたのだが、すぐに戻ってきてしまったのだという。そのとき森でモンスターに襲われていた俺を偶然見つけたのだと。
「償いがしたかったんだと思う。アタシがもっと早く……初めからみんなに情報を分け与えてたらこんなに人が死ななくても済んだかもしれない。だからアタシはそれを償いたくてアンタを助けたの。最低よね」
そう言って悲しそうに笑う。俺はそれを否定してやりたかった。それでも俺を救ってくれたのはあんたなんだと。
「この世界を壊す? アンタバカじゃないの? システム壊したらアタシ達も死んじゃうじゃない。……でも、まあそうね。製作者に一泡吹かせてやるっていうのは同感ね。とりあえず一発殴ってやるわ。絶対」
彼女は『えい』と拳を突きだして、楽しそうに笑った。
「噂の聖騎士様がアタシを勧誘? そりゃ光栄ね。……いいわよ。ただし、アタシに勝てたらね」
彼女は愛剣を抜きながら勝気な笑みをつくった。
「一つだけ忠告してあげるわ。そうやって他人のこと見透かした顔ばっかしてるといつか痛い目みるわよ。具体的には――――今っ!」
その日、初めて彼女の敗北を見た。
「なーによ、文句あるってのヒース? アンタのギルドに入ってやる代わりに数日こっちのダンジョン散策に付き合いなさいってだけでしょ」
次に彼女は俺の額にデコピンを当てた。
「アンタもなに絶好調に不機嫌なのよ。――――あ、ちょっとヒース! アンタ今鼻で笑ったでしょ」
今までで一番彼女は楽しそうだった。面白くない。
「逃げて」
彼女は俺の顔を見るなり怪訝な顔つきになる。
「ヘタレのアンタがアタシを心配しようなんて超生意気。ヒース、引きずってでも街まで連れていくのよ?」
彼女は俺の体を突き飛ばして部屋から追い出した。
「アンタこの世界ぶっ壊しちゃうんでしょ? ほんと、パワーならアタシより上だもんね。出来るわよ、アンタならいつか。アタシが保障するんだから間違いない。だからアンタは約束しなさい。これから先、絶対に誰にも負けないって」
部屋のトラップがセットされた床を、彼女はわざと踏んだ。
扉が閉じる寸前、彼女はこちらを振り返る。
「レオン……あの人のこと、助けてやってね」
直後、彼女は壁の向こうに消えた。似合いもしない穏やかな笑顔がいつまでも頭から消えなかった。
★
「――――いつまでそうやって寝っ転がってるつもりよ。アタシとの約束破るつもり? アタシを嘘つきにするわけ?」
相も変わらず容赦のない、懐かしい声が聞こえた気がした。
★
左手を振って茅場は管理者権限メニューを開く。フェイズ進行八十五パーセント終了。データ処理完了まで残りおよそ二分といったところだ。眼下の城も、すでにそのほとんどが崩れている。もうじきこの仮初の空も白紙に返る。
二年、僅か七十五層で彼にとって夢の結晶でもあったこのゲームがクリアされたことは想定外であったが、茅場は特に後悔はなかった。むしろ満足すらしている。
「さて」
メニューを閉じて、茅場は振り返る。
「何故君は立てるのかな?」
茅場の視線の先で黄金の鎧を纏った青年は立ち上がった。
妙だ、と茅場は改めてレオンを見る。正確にはレオンの頭上に表示されたゲージバー。この世界によって数値化、視覚化された彼の命の残量。彼のそれは今やそのほとんどが失われており、よく見れば端っこが僅かに赤く点滅している。
別に立ち上がったことそれ自体は不思議な話ではない。現実とは違い、たとえ腕を切られようと首を切られようと、プレイヤーはHPが残ってさえいれば生きていられる。だからおかしいのはレオンが立ち上がったことではない。彼のHPがまだ残ってることが茅場には納得がいかなかった。
この世界を文字通り創りあげた茅場は誰よりもこの世界に精通している。基本的なシステムは勿論のこと、情報として詳しくは公開されていない与ダメージ量、被ダメージ量をコントロールし相手と自分のHPを調節して戦闘を終わらせることも可能だ。だからこそ納得出来ない。さっきの一撃は彼の残りHPをゼロにするのに充分な威力があったはずなのに。
けれど今この瞬間、たしかに彼のHPは僅かとはいえ残っている。
(読み違えたのか……?)
思ったよりもレオンのHPが残っていたのか。それとも計算が狂ったのか。攻撃が甘かったのか。
「く」
幽鬼のように音もなく立ち上がってから俯いて沈黙を保っていたレオンの肩がピクリと動く。やがてそれは大きく跳ねあがった。
「――――ぷっ、あっはっはっはっは!!」
笑っていた。空を仰ぎ、体を後ろに反らすほど声をあげて笑いだした。
その様子をきょとんとした、彼にして非常に貴重な表情で見ている茅場。
「君がそうやって声をだして笑うのは初めて見るな」
レオンはあまり笑う人間ではなかった。彼が慕うセルシアと共にいた頃でさえ、密やかに微笑むことはあっても声をあげて笑う場面は覚えがない。
「…………ああ、今やっとわかった」
ひとしきり笑い終えたレオンは呟く。口の形はまだ片端をつりあげたまま、手にしていた黒い布を左目にあてる。布の両端を後ろで縛ると彼の代名詞ともいえる隻眼で茅場を見た。
その瞬間、茅場は奇妙な感覚に襲われる。背筋が泡立つような錯覚を覚えた。
「ヒース」彼はあえてそう呼んだようだった「俺はお前が、嫌いだ」
言葉は合図を兼ねていた。
茅場の目が見開かれる。今までにないスピードでレオンが間合いを詰める。敏捷値が極端に低い彼では決してありない。無論、世界の創造主たる茅場はその方法に気付いていた。答えは跳躍。
跳躍は敏捷値ではなく筋力値に影響される。筋力が高ければ、助走がなくとも遠くまで跳ぶことが出来る。レオンは最終的に全プレイヤー中、最も筋力値が高かった。それはつまり、彼は誰よりも高く遠く跳ぶことが出来たという意味だ。それを利用した走法。いや、正確には走っていないので移動法か。
彼は跳んでいる。ただし上ではなく地面と水平に。滑空という表現が一番しっくりくるだろう。誰よりも遠く跳ぶことの出来る推進力を前にのみ向けたのだ。
しかし茅場が驚いた本当の理由は、彼が今更こんな浅はかな方法を取ってきたことに対してだった。
たしかにこの方法は敏捷値が低い者にとって魅力的なスピードが得られる。しかしそれは所詮、単純なAIに動かされるモンスター相手ならばの話だ。AIが及ぶべくもない知能を有する対人戦においてこんな直線的な動きはカウンターの格好の餌食となる。そんなことを攻略組として名を連ねていたこの青年が知らないはずもない。
だが虚を突かれたこともまた事実。すでに茅場はレオンの武器の間合いに入ってしまっていた。受け流す余裕はない。
真正面から鉄塊の一撃をその場で踏ん張って受ける。防御されたとはいえ初めてレオンの攻撃が茅場にヒットした。
「っ……重いな。さすがというところか」
素早く視界端のHPの減少を確認しながら、盾越しにレオンと視線を合わせる。
「私が嫌い、か。自分で言うのもなんだが、てっきり初めからそうだと思っていたが」
「ああ、俺は初めからお前が大嫌いだった!」
レオンは長く競り合わず、受けられたとみるや即座に右足を視点に体を回転させて遠心力のついた一撃を放つ。
「好きになれるわけがない! 惚れた女が惚れた男なんて、好きになれるわけねえだろうが!」
動きの流れを乱さぬ瞬間に左右の手を持ち替えて今度は逆モーションで左から強襲。
攻撃を受けた瞬間、茅場の体がふわりと一瞬浮き上がった。茅場の表情が歪む。
(何故だ?)
反撃の隙が見つからないほど嵐のように激しい猛攻。受ける度にガードを抜けてダメージがHPを削る。
《神聖剣》。ボス仕様でもあるこのスキルは破壊不能オブジェクトにこそカテゴライズされていないものの、それにもっとも近いレベルの防御力を誇る。防御力は間違いなくゲーム内最高クラス。とはいえ筋力値に特化し、さらに《必中》スキルの恩赦を得たレオンの一撃をまともに受ければこれは当然の結果。問題なのは突然彼の攻撃が捌けなくなったことだ。
必中スキルはまともに当たれば途方もない威力を発揮する反面、僅かでもポイントをずらしてやれば一切の威力が消失する。故に完全な回避は必要ない。当たる瞬間にほんのちょっと体をずらしてやればいい。ただそれだけでいいはずなのに……。
「シャァ!」
わかっていながら茅場は体を強張らせて盾を構え、結果衝撃をまともに受ける。僅かではあるがまたHPが減る。
視界の端でそれを確認している間にもう次の攻撃が迫っていた。仕方なく茅場はそのままの体勢を維持。スカルリーパーの突進を押し返した一撃が体を再び茅場の体を圧した。耐え終えた時にはすでにレオンは次の攻撃動作に入っている。
――――速い。先程とは一変した動き。さっきまでの怒りが先走ってただソードスキルを連発していただけのとは違う。一撃の威力よりも回転力を重視したそれは無限ループのように途切れず茅場に反撃どころか回避する隙も与えない。
一見単調に見える連撃はレオン自身が茅場の動きを先読みし、適切な技を選択し繰り出している。だからこそ茅場ほどのプレイヤーが攻撃をそらすことすら出来ないでいる。
彼のスタイルに隙の大きい強攻撃はめったに必要とならない。弱攻撃であっても敏捷値特化されたプレイヤーの強攻撃レベルの威力を有しているのだから――――……。
――――そもそも君の目指すスタイルならば隙の大きい強攻撃を出す必要は無い。それよりも弱攻撃や隙の小さいソードスキルを自在に使いこなせるようになれば、君はもっと強くなるだろう
――――うっせ
忘れていたはずの遠い記憶を思い出して、茅場は盾の裏で隠れるように小さく笑った。
(……そうだったな)
きっとあの日から、彼は血の滲むような努力を続けたのだろう。迷宮にこもり経験値を稼ぎ、スキルを鍛え、嫌いだった男の助言をも取り入れて彼は独り戦い続けた。強くなる為に。
「だが私も、そう何度も負けるわけにはいかない!」
一方で遂に世界が崩壊を始めた。すでに浮遊城は跡形もなく崩れ去り、演出として広がっていた赤い空に亀裂が走る。メッキのように剥がれ落ちた空の向こうは白。それがたんなる白い壁なのか、それとも宇宙のように果てのないものなのかはわからない。上下の概念もない無が、世界を覆っていく。
しかし、二人は止まらない。
茅場が身を守ることに精一杯だと感じたのかレオンが一転、大きな挙動を取る。身に纏う光は間違いなくソードスキル。メイスの先を地面に寝かせ背中を完全にこちらに向けてしまうほど大きく上体を捻る構えから、茅場はレオンが放つ技が《ボルケーノ・ストライク》だと確信する。単発攻撃における威力ならば全武器中最上位。たとえ防いでも看過できない量のダメージが抜けるだろう。
これを止める。
無論、まともにかち合えば押し負けるのは茅場だ。だが茅場には止められる確信があった。技の出始め、ソードスキルが発動する間際には実は知られざる硬直時間が存在する。システムがプレイヤーの構えから該当する技を出力するその瞬間だけはあらゆる動きも受け付けない。いわば技前硬直。その刹那の時間にこちらが先に剣を当てる。レオンのHPは残り僅か。剣の切っ先を届かせるだけでいい。
レオンの纏うエフェクトが一層強いものとなる。その瞬間、茅場の剣が動いた。単なる単発突き。システムに頼らない動きは刹那の硬直もなくレオンの胸に吸い込まれ――――弾かれた。
「なっ……」
驚愕したのはまたしても茅場の方だった。対照的にレオンには獰猛な笑み。
メイスは振り抜かれていた。その軌跡にソードスキルの証たるライトエフェクトの残滓はない。
レオンは《ボルケーノ・ストライク》どころかソードスキルそのものを出していなかった。茅場の単発突きに、レオンもまたシステムに頼らない単発技で返したのだ。
(フェイント!?)
気付いた時にはもう遅い。弾かれた剣に引きずられて茅場の体が大きく仰け反る。パリィによるノックバック。訪れる無防備な硬直時間。今度こそレオンは大きく上体を捻る。
地面に下したメイスが炎のように赤く激しいライトエフェクトを纏う。戦槌最終技、《ボルケーノ・ストライク》。
それははたして、常に計算と確信でのみ行動する茅場にとって初めて取った無意識の行動だった。
ノックバックはスキルディレイ同様、システムによって体を強制的な硬直に追いやる。この間は何をしようとプレイヤーは身動きが取れない。そんなことは誰よりも理解しているはずの茅場がシステムに抗った。
盾を持つ左手が動いた。動くはずのない腕を動かした。炎を纏ったように猛々しいライトエフェクトを放つメイスを阻む形で。
メイスと盾が激突し巨大な閃光と衝撃音が周囲に炸裂する。視界が回復するより先にそれは聞こえた。最初は小さな音だった。次第に音は大きくなり、広がっていく。一瞬音が止まり、両者の視界が回復したのと同時にレオンのメイスがガラスが割れるような甲高な音をたてて砕け散った。
★
ようやくわかった。というより、今までそんなことに気付いていなかったことに我ながら呆れる。呆れすぎて思わず笑いが込み上げてきた。
「ヒース」
茅場ではなく、無意識に当時の名で呼んでいた。
「俺は、お前が嫌いだ」
そうだった。俺はこの男が嫌いだ。そして、俺はセルシアが好きだったんだ。
一体いつからだったかと問われれば、多分最初から。彼女が俺を救い、守ると言ったあのときから。
彼女が好きだった。馬鹿みたいに笑う彼女が、子供みたいに怒る彼女が、粗暴で乱暴者で口が悪い……そんな彼女の全てが俺は大好きだった。だから、俺はこの男が嫌いだった。彼女が好きになったこの男のことが。
潔く身を退いて応援しようとか、笑って二人を見守ってやろうと思えるほど俺は器のデカい人間ではない。かといって、奪ってやろうと彼女に告白する度胸もなかった
――――けれど、俺は決してこの男を憎んではいなかった。
好きじゃない。嫌いだ。けど憎んじゃいなかった。こいつが俺達をこの世界に閉じ込めた張本人であると知った今でさえそれは変わらなかった。そのことに気付いた瞬間、俺の体は軽くなった。
何故俺はこの男を憎むことが出来なかったのか。こいつは俺からセルシアを奪った男だ。あらゆる意味で奪った。
それでも憎めなかったのはきっと、憧れていたから。
――――システムを壊す? それは大それた目標だ
――――お前絶対馬鹿にしてんだろ
この男の強さに。この男の在り方に。
――――そんなことはないさ。……そうだね。どうせならそれぐらいになってもらわなくては困る
そしてきっと、
――――なになになんの話してんのよ? アタシだけのけ者なんて許さないわよ!
――――なんでもねえよ
――――男同志の話しさ
――――エロい話し?
――――違えよ!!
きっと、俺はあの瞬間が凄く楽しかったのだと思う。三人で過ごしたあの日々が。
★
小さな罅だった。罅は次第に大きくなり、遂にメイスは俺の手の中で甲高い音と共に砕け散った。
――――しかし同時にヒースの持つ十字盾も砕け散った。
二つの武具が砕け散り、まるで雪のようにキラキラとポリゴンの欠片が降り注ぐ。場違いにも素直に綺麗だと思った。
感傷に浸ったのも一瞬。もはやこの手に武器はない。ソードスキルを放つことも出来ない。
それでもまだ終わってない。俺にはこの体がある。二年間、誰よりも長い時間連れ添ったこの《レオン》の肉体が。
拳を握る。五指を強く握り締め、全力で拳を突きだした。
「………………」
俺の拳はたしかにヒースの頬に届いた。ソードスキルに関するプログラムも完全に崩壊したのか《体術》スキルも発動しないただの殴打。崩壊から逃れている部分のシステムが正しくその威力を計算し、ヒースのHPバーが減少する。
それでようやく奴のHPは半分を僅かに割り表示がイエローとなった。同時に視界の端の俺のHPがゼロになった。殴られながらもヒースの右手に握られた長剣が俺の胸を貫いていた。
宙空にウィナー表示が出ることは無かった。見渡せば世界の崩壊は完了していた。上下左右が白に埋め尽くされている。俺達の足場だった透明な床にも亀裂が入る。やがてこの仮初の肉体もこの世界同様に消去されてしまうだろう。
ヒースは目を閉じて大人しく最期の瞬間を待っている。
「……俺の、勝ちだ」
俺の負け惜しみにヒースは目を開いて一瞬呆けた後、フッと笑った。
「いいや。私の勝ちだ」
最後まで、気に食わない奴だった。
次話で物語は完結ですが、特別篇を一話だけ掲載します。おまけ気分で読める話です。
ここまでお付き合いくださった皆々様ありがとうございます。