瞬刻の大空 ―Wing of the moment―   作:七海香波

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第九話 新機開発の日々へ

 編入生、凰鈴音と出会って数分後。

 ただ事務室へ向かうだけだと少し物足りなかったので、俺達はそれほど遠回りにならないように気をつけながら彼女に校内を案内していた。

 学年別の寮生活や校内の基本的なルールなどの細かい内容を鷹月が語り、どの建物が何をするところか等の大雑把な説明を俺が行う。が、それでもやはり女子は女子同士が気が合うらしく、自然と鷹月と鳳の会話から俺が外れていった。……別に構わないのだが、アンタラ隣に俺がいるって事すら忘れかけてないか?

 

 適当に校舎の周りを進んでいくと、やがて一際巨大な建物であるアリーナ群の近くへと辿り着いた。ここまで来れば、後もう少しで事務室に辿り着く。

 そう思った矢先。

 

「――一夏、お前は何時になったらイメージが掴めるのだ。先週からずっと同じ所で詰まっているぞ!」

「あのなぁ。お前の説明が独特すぎるんだよ。なんだよ、くいっとする感じって」

「そんなの、くいっとする感じに決まっているだろう?」

「そうじゃねぇ!だから、それ自体が訳分からないんだっての……あ、待てよ箒!」

 

 織斑と、普段その周囲にいる篠ノ之の言い争うような声が出口から聞こえてきた。

 同時に鳳が会話をパタッとしなくなり、進んでいた足を止めた。

 不自然なその反応に顔を覗いてみると、その顔はなにやら苦虫を噛み潰したような表情になっている。……なんか、理由が大体分かるような気がする。

 俺と鷹月は互いに答えを確かめ合うように、少しだけ鳳から離れて顔を近づけ、小声で話す。

 

「なぁ、鷹月」

「うん。多分凰さん、織斑君の事が好きなんじゃないのかな」

 

 やっぱりか。今のは大方、久しぶりに会う好きな相手が早速女子と仲が良さそうにしていたから、といったところだろう。

 

「……ねぇ」

 

 俺達はしばらくその場に留まり、やがて織斑達の声が聞こえなくなったところで、鳳が急に俺達の方へと振り向いた。その顔は不機嫌そのものである。正直、なんで女子は恋愛沙汰でここまで恐ろしい雰囲気を漂わせるのか――そう心の中で呟かずには居られない表情だった。

 

「織斑一夏って何組なの?」

「……誠に遺憾ながら、俺達と同じ一年一組だ。ちなみに一ヶ月前に決闘騒ぎとか色々あって、今はクラス代表でもあるな」

「ふーん、なるほど……。ねぇ、他のクラスの代表ってやっぱり、もう決まってるのよね?」

「そうだと思うけど。で、それがどうかしたの?」

「ふん、そんなの、決まってるじゃない!もしアタシが一組以外だったら、そいつからクラス代表の座を奪うのよ!」

 

 ハッキリと言い切った少女の額には、十字の血管がくっきりと浮かび上がっていた。

 なんで織斑の周りってこうも際だった女子が集まるのだろうか。

 

「あー、そう言えばクラス代表対抗戦があるもんね。そこでなら織斑君と全力で戦える、ってことだよね?」

「そうよ!ギッタンギッタンにしてやるんだから!」

 

 ……なんとなく後で織斑がボコボコにされるイメージが頭に浮かんだので、とりあえず心の中で親指を下に向けておいた。別に鳳を応援するわけでもないが、何となく鬱陶しいアイツはとりあえず殴られてしまえばいい。

 

 その後五分程度で俺達は事務室へと彼女を送り届けたのだが、鳳は終始怒りのオーラを纏っていた。それでも俺達には結局関係のないことだったので、こちらから余計な口を挟むなんて事は無かったが。

 強いて言うなら、織斑の仲良くしている女子の特徴を一つ二つ話しただけだ。篠ノ之とかオルコットとかの、女子から見ても目立つであろう特徴を。

 

 ――全く、恋愛に人の挟まる余地はないとはよく言ったものだ、うん。

 

 

 ■

 

 

 さて、普段通りの昼食を済ませた後で、俺達はアリーナ近くの整備室へと足を運んでいた。

 というのも、俺の専用機の装備を作るためだった。

 

 もちろん先日のようなことでもなければISを動かすのは最低限に留めているし、正直、特別なことでもない限りはISに乗ることを控えている。とは言え、今のところはこの腕の十字架は俺の専用機だ。そこまでのこだわりはないのだが、ただ既存の機体(ラファール)を扱うだけというのももったいない。

 そんなわけで俺は今、オリジナルの装備を作る資料を集めているのだった。

 ……素人が思い立ってすぐに製作できるものじゃないからな。知識及び経験の不足はいなめない。たまに鷹月に助言を貰ったり、細かい修正ポイントをPCでチェックして、設計の分野も学びつつ、基本設計を自分でやってみている。設計と言ってもにわか知識に加えて本当におおまかな形だけだが。例えて言うなら、ガンダムを作るのに外見だけ格好良く書いてみよう、ついでに細かいところも少しだけ付け加えておこうか――といっただけに過ぎない。

 

 持っているゲームをほとんどクリアしたことだし、空いた時間を埋めるには丁度良い暇つぶしになるだろう。そう思って始めた事だったが、予想以上にこれが面白く、そして何より役に立つ。これまで散々読んできたファンタジーが実現できるかと思うと勉強も苦にならないし、定着させた知識はそのまま成績に反映されてくる。こんな美味しい暇つぶしはない。

 

 

 ちなみに現在の装備は、ラファールの既存のカスタム品を使用して機動戦特化にしている。代償に装甲を薄くしたため、軽く攻撃を喰らうだけで著しくシールドエネルギーを消耗するが、どうせISの実戦に使う気は無い。本来の用途たる自衛用には十分だ。以前の上級生相手の戦闘の時はまだマシだったが、それに加えて更に極端な機体になっている。

 そして上記の改造でギリギリまで空けた拡張領域には、ラファール用散弾銃……名称は忘れたが、それが二つ。面で相手を捉えることの出来る散弾銃は変に弾道理論などを勉強する気も無い俺に取って都合が良い。

 それでもって残った領域に詰めるだけ打金用近接ブレード“葵”が収納されている。“葵”は斬撃に加えて投擲と遠近両用に使えるし、加えて変な機構も無い分、多く収納できるのが強みだ。

 

 しかし、そこまで自分好みに改造したとしても不満は残った。フランスの第二世代とは言え、世界中で信頼されており、配備されている数は多いのだが……俺としてはどことなく気が合わない部分もある。理論ではなく、感覚的に微妙な意識のズレがあるとでも言えば良いのだろうか。

 

 

 ぶっちゃけ、機体全体のデザインが今一つ気にくわない。

 

 第一に、そもそも女性が乗る機体であり、女性の好みに合わせた物であるため、雰囲気が気にくわない。見た目が機械だからそこまで気付かないだろうが、ハッキリ言って、これは女性向けに開発された物だ。そのまま着ることは、すなわち女装していることだろう?何を好んで女装姿をしなければならないんだ。

 

 加えて、ゲームにおいて『見た目か防御力か』で言えば『見た目』を取る俺に取って、改造したとしても周囲と余り違いの見えない機体は余り好きではない。何というか、汎用性に優れた分際だった特色がない。いくつかは既存の技術の流用で俺個人のカスタマイズが可能であるのだが、どうしてもラファールのOSとは合わないものもある。

 そう言う点で、自由に開発がしたかった。

 

 

 いずれ組み上げるであろう機体の事を考えながら資料を漁り続けていると、やがて気がつけば丁度午後の授業の予鈴が鳴った。友人と約束があったらしい鷹月がいつの間にかいなくなっていたことに気づき、俺は慌てて出していた本を片付けて教室へと戻ったのだった。

 一応、最近の俺の日常は、大体こんな感じで過ぎている。

 

 

 廊下を走るか走らないかギリギリの速度で走り、何とか授業開始数秒前に座席に着席する。運動になれていないせいか開発室と教室との間をちょっと小走りに移動しただけで若干汗が浮かんできていた。

 

 それを制服の袖で拭ってから教科書を引っ張り出す――と、痛っ。

 机の中に差し込んだ指の先にふと何かが刺さったかのような感触がして、咄嗟に手を引っ込める。一体何だったんだろう。そう思い痛みを感じた中指の腹を覗くと、丁度そこに血がうっすらと出てきていた。

 とりあえずポケットのティッシュでそこを抑え、ゆっくりと机の中をのぞき見る。

 

「――何をしている。結城、起立しろ」

 

 すると、丁度そのタイミングで授業担当である織斑先生が入って来る。

 ふと見れば、周囲の人間は全員が起立を済ませており、後は挨拶するだけになっていた。俺だけが不自然にしゃがみ込んで机の中を覗き込んでいる。……こんな些細なことでも失笑を隠さないクラスメイト共のことを考えると、本当に馬鹿馬鹿しくなってくる。

 

「はい」

 

 とは言えそれを織斑先生にぶつけるのもお門違いである。

 逆らうのも意味が無いことなので素直に立ち上がり、そのまま周囲と一緒に挨拶をすます。

 

「よろしい。それでは教科書三二七ページを開け」

 

 そんな彼女の声とは裏腹に、姿勢を崩すわけには行かなかったので、なんとか先ほど痛みを感じた地点をゆっくりともう片方の手で見ないで探る。すると、机の奥になにやら引っかかる物を感じ取った。

 それを刺さらないように何とか取り出すと、銀色の物体が姿を現した。よくよく見ると、なんて事は無い、一〇〇円ショップで売られていそうな画鋲だった。針を通す形でテープで貼られていたらしく、一緒になって教科書も出てきた。

 

 ……なんともまあ、下らないな。小学生レベルの悪戯だぞ、これ。いずれはあると思っていたが、案外せこい……というか、やることが小さいぞ女子共……。こんなのだったらあってもなくても大して変わらんだろう。

 とりあえず貼ってあった画鋲を丁寧に外し、針の部分を曲げて床に払い落とす。指はそのまま放っておくことにして、俺は教科書を開くのだった。

 

 そのまま授業内容も聞くことなく、俺は結局午後の授業の間ずっと、手元の端末で閲覧できる資料を書き取り続けていた。……この間、俺の考えていたものと同じ開発コンセプトの機体を発見できたのは本当に運が良かった。ここ一月ほど使って立てた大体の目標は、ISを俺自身のサイズへと縮小することだ。そして似たような機体を探した結果、最も予想に近いのが、なんと日本の機体の中に存在していたのだ。

 それが良いことのか悪いことのかは分からないが、とにかく参考に出来るものがあったのは良かった。

 

「――であるが故に、――」

 

 彼女の声が響く中、俺は資料集や教科書などを捲って今日も機体に関する情報をノートに書き込んでいく。本来なら授業中にする自習も、最近は放課後に纏めてやっている。

 時折当たる質問にも注意しながらそんなことを繰り返していると、今日もいつのまにか授業は終わっていた。

 最後に織斑先生が立ち上がり、号令をかける。

 

「では、各自励むように。解散!」

 

 普段なら俺はさっさと部屋に戻るのだが、今日は少しばかり違った。

 背を向けて去っていく彼女を、慌ててノートやらを鞄に押し込んで追いかける。

 途中ですれ違い様に足を引っかけてこようとする女子の足を逆に蹴り、一年生のクラスを抜け、職員室近くになってようやく彼女を捕まえる。

 

「ちょっと、すいません。少し良いですか?」

「……なんだ結城?」

「いえ、実は俺のISについてちょっとばかり相談があるので」

 

 彼女は軽く目を吊り上げた後、「……いいだろう」と近くの生徒指導室へと目を向けた。

 入って内側から鍵を閉めた後、彼女の勧めるがままに中央の机に互いに向き合って腰掛けた。同時に俺の手元にあるノートが奪い取られ、彼女がパラパラとページを捲って内容を目に通していく。

 

「ふむ、これが私の授業を聞かずに書き上げたお前の案か?」

 

 ギク。

 

「……気付いてたんですか」

「私を誰だと思っている。それくらい簡単に気付くに決まっているだろう。山田先生も少しばかり疑っている様子だったが、質問には徐々に答えられるようになっているから、恐らく気のせいですましているんだろう。精々気をつけておくんだな。……私としてはその分勉強しているのであればそれで構わないが」

 

 そう言いながら、彼女は一気に俺のノートを読み進めていった。

 やがて全て読み終わると、彼女はこちらへ顔を上げ――俺が何を言われるかと思った瞬間、パンッ!

 ノートを丸めてこちらの頭を軽く叩いた。そのまま溜息をついて、彼女は呆れを隠さないまま腕を組み、口を開いた。

 

「言いたいことは多いが、まずこれを言っておこう――お前は何にでも喧嘩を売らなければすまないのか?」

「あ、あはは……。まあ、俺としてはこっちの方が良いと思うんで」

 

 具体的な内容に触れないまま、互いに同じ所を頭に思い浮かべる。

 彼女はもう一つ溜息をついて、俺のノートの内容を機器で横の壁に映し出した。

 

「現行のISは大半が手足の延長装甲を装備しているが胸部装甲はなく、加えて個々の第三世代兵器の開発を重んじている。だというのに、お前の案はこうだ」

 

 俺の“ぼくのかんがえたさいきょうのIS”というふざけたタイトルの機体図案が壁に表示され、そこを彼女が手元のレーザーポインターで叩くように示す。

 

「比較的人間に近いままの形状を維持し、武装は数個の銃器にありったけの刀剣類だけ。……どこまで馬鹿なんだお前は」

「何か問題でも?」

「色々あるわ……まず、どうやってこんなものを作るつもりだ。こんな限定的な機体の参考資料なぞほとんど残っていないぞ」

「あ、それならこないだ見つけましたし。……それに無い部分は自分で考えて作っていけば良いだけじゃないですか?何から何まで参考資料があるとは思ってませんし」

「よくもそういけしゃあしゃあと……!」

 

 ゴスッ。今度は机越しに拳骨が一発入った。

 

「そう簡単にISが作れるなら誰も苦労はしない。IS一機作るのにどれだけの苦労が積み重なっているのか本当に理解しているのか」

「そりゃまあ、分かってますよ」

 

 俺は痛む頭を片手で抑えながら捻くれた口調で話す。

 織斑先生の目を見つめながら、その鬼のように鋭い瞳から視線をそらさないように努力して。

 

「でも俺はこれから三年間どうせ暇なんですし、一個ぐらい楽しめる物があっても良いじゃないですか。本も漫画もろくにない上に、出来る事はISの勉強くらいの生活ですよ?だったらISを作るのは知識の実戦と考えれば丁度良いじゃないですか。篠ノ之博士みたいに世界を変えるほどのものを作るわけでもないですし。――それに、ただ三年間を送るだけじゃ、この先がないって事くらいは分かりますから」

「む……」

 

 そう、誰も言わないが、碌に実績も残さないままだったら自分の末路がどうなるかなんて大体想像が付く。

 まず良くて男性用の実験に使われる、最悪ともなれば俺の存在自体がなかったことになる。多分戸籍ごと操作されて消えるんじゃないだろうか。現に小耳に挟んだことだが、俺から日本国籍を剥奪しようという動きもあったらしい。

 だから俺はここを卒業するまでの間に自分の身を守れるくらいにはなっておかなければならない。

 その一環として、世間に認められる程度の実績をなにか残す必要が有る。……もちろんそれは二の次であって、あくまで俺は自分が楽しむことが一番なのだが。

 最悪逃亡生活だって考えていないわけではない。

 

「……まあ、いいだろう」

 

 俺の思っていることをそのまま伝えると、彼女は何故かそうアッサリと許可を出した。

 ……てっきり否定されると思ったのだが。

 

「あれ、いいんですか?反対されるか握りつぶされるかと思ってたんですけど」

「阿呆。当然何も考えずにただ目標だけ立てる馬鹿ならそうするが、お前は少なくともその過程で努力の姿も実績も出しているからな。見ろ」

 

 そう言った先生は手元の端末を叩き、ついでに複数のグラフを映し出す。

 

「ここ最近の小テストにおける学年全体のグラフだ。学年平均は六割程度となっている。恐らくここに合格してまだ一ヶ月、気の弛みが現れ始めている証だろうな。例年通りの結果だ」

「はぁ……それが何か?」

「しかし、お前の点数はこうだ――そうだ、この赤い点がお前の点数だ――ムラはあるものの、一応は学年上位に食い込んでいる。……入学前の参考書は紙飛行機にして飛ばした、などと言ったお前がな。――ああ、別に構わん。それに、そんなことをやったとしても一応こうやって努力の成果を出している以上、これからの学園生活にも期待は持てるんだよ。……入学しただけで色恋沙汰にうつつを抜かしている大馬鹿共に比べれば、遥かにな」

 

 俺の頭に、真っ先に織斑の顔が思い浮かぶ。

 続いて篠ノ之、オルコット、そしてクラスの女子達。そして時々顔をすれ違う同級生、先輩方、果ては教員までもが浮かんでくる。

 そんな顔を見て、彼女はわかっているようだな、と小さく言葉を漏らした。

 

「大体お前の想像通りだ……あの愚弟のお陰で学園全体の雰囲気が緩んでいる。生徒は碌に自習の様子をみせない上に、山田先生はまだ仕事をしてくれているから良いのだが、一部の教員は毎日のように私に食事の誘いをふっかけてくるような奴らばかりだ。相手をする私の身にもなってみろ、お前のように周囲との雰囲気を壊すわけにも行かないから実に苦労が絶えない」

「……それはまた、ご愁傷様です?」

「全くだ。――そんな奴らよりお前に時間を費やす方が、有意義に決まっている」

 

 そこで彼女は壁などに映った資料を全て消し、改めて俺に向き合った。

 

「結城。お前が現在、どれほどの考えを溜め込んでいるかは知らん。その中身は勝手に嘲笑してくる奴らへの怨みか、それともそんな周囲に目もくれない上昇心かは私には想像は付かない。――だが、お前がこの一ヶ月で私に見せた側面は、この案を進めることに対して、十分に信頼に値する内容だ。いいだろう、この方面で自らのISを組み上げて見せろ。話は私が通しておいてやる。協力も私と山田先生くらいならどうにかなるだろう」

「ど、どうも……。あ、それでも先生、山田先生は少し心配というか……ハッキリ言って俺としては信頼できる相手じゃないです」

「む。あれでも元日本代表候補生だ、情報はそう簡単に漏らすことはないが?」

「織斑先生からしたらそうかもしれませんけど、それでも俺からしたらこの一ヶ月間ではまだ信頼できません。出来れば織斑先生と鷹月だけに協力を仰ぎます。生意気言うようで悪いですが、俺はここじゃあ二人以外、先生も先輩も同級生も、果ては用務員に至るまで一切が信用できませんので。――とりあえずは有り難うございます、織斑先生」

「……そうか。まあそれはそれでもいいだろう。だが、礼なら完成した後にでもしろ。それにお前の事だ。どうせ鷹月にも手を貸して貰うのだろう、アイツにも礼はしておけ。実質的に苦労するのは、最もお前の近くにいる鷹月だろうからな」

「そんくらい分かってますって。――あ、先生、それについてなんですけど。一体何時のなったら俺の外出許可は出るんですか。さすがにそろそろどこかへ出かけたり新しい物を仕入れたりしたいんですけど、全然そんな素振りすらないじゃないですか。俺だっていい加減欲しい物もあるんですよ」

「む……悪かったな。後でそれについても話をしておこう。ついでに他に何か伝えておきたいことはあるか?」

「特にないですよ。だって、この空気どうにかしろって言っても無理でしょう?女尊男卑ここに極まれりってくらい澱んでますよ、外と同じで。今は未だ構わないですけど、今日だって、机に画鋲とか入ってましたし」

「なに?」

 

 俺の話を聞いて、僅かに顔を顰める。

 

「別にまだこれくらいだったらいいんですけど、面倒な事に発展するくらいなら俺だって実力行使に踏み切りますよ。普段は無かったことにしてますけど、あからさまにやられるとなると俺としても容赦はしませんから。――ま、他の奴らのことはどうでもいいとして、これからよろしくお願いしますね、先生」

 

 俺は机の上のノートを取って立ち上がり、彼女がこれ以上口を開く前に部屋を出て、駆けるようにしてその場を立ち去った。

 彼女としてはこんな危険な発言をした俺に対して言いたいこともあったろうが、それでも幾ら先生の話を聞いたところで俺の考えは変わらない。

 人の根幹は揺れ動いたとしても、結局は元通りに落ち着く物なのだ。

 ならば最初から揺れ動くことがなければ、双方にとって時間の無駄はなくなる。

 どうせ今彼女に話したところで、周囲が変わるわけでもないし。それどころか、より酷くなる可能性だってある。恐らく言い分としてはこうだろう、『千冬様に庇われるなんて……』『男のくせに女に下ってのうのうと過ごすなんて……』――もはや殺害動機にすらなりそうだ。

 結果が見えている過程が無駄だと分かっているのなら、そんな物は実行する必要は無い。

 良く変わらないのなら、今のままでも構わない。

 変わらない物を変えようとするな。自ら変わろうと動く者が変わればいい。

 

 

 

 ……さて。とりあえず、いくら織斑先生が言っても意味が無いだろうとはいえ。

 見せしめくらいはやっておくか。

 

 

 

 

 ――翌朝。

 一人のクラスメイトが、片手を傷だらけにして教室にいたことをここに記しておく。

 ついでに仕掛けておいた俺の机の中のカッターの刃に赤い物が付着していたが、恐らく偶然なのだろう。手が傷ついていた女子も何も言ってこなかったし。

 

 

 




 次回から一巻後半へと入っていきます。
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