「ふわぁぁ・・・」
大きな欠伸をし、硬い木の椅子の上で伸びをして目を覚ました。
まだ若干角砂糖の甘味が口に残っている。
どうやら、頭を休めるために軽く目をつぶったまま眠ってしまったらしい。
カウンターの内側でヤクがせっせと接客に勤しんでる姿が目にうつった。
「あ、ヨウコ、おはよー」
また陽気なその声は、昼前だからだろうか元気そうだ。
いや、いつものことだろう。
ヨウコはそんなヤクに軽く手をあげて返事として返しといた。
目を擦れば30分程度の睡眠の眠気など消えるだろう。と思い擦っておいた。
ヨウコは硬い椅子から立ち上がりカウンターの内側へ行った。
一郎はせっせと珈琲を淹れる準備を慣れた手つきで行っている。
「おじい様、なにかやれることはないでしょうか?」
一郎は視線だけ向けて言った。
「では、2番のテーブルと3番のカウンターの注文を聞いてくれないか?」
仕事をもらいすぐに、取り掛かろうと伝票版とペンを持って、カウンターより出た。
まずは、テーブル席に注文を聞きに行く。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
早めのお昼を軽く取りに来ているのか、中年の男性だ。
「サンドイッチセットを一つ 飲み物はスペシャルブレンドで」
夕凪カフェのセットメニューは基本的に、食べ物+飲み物のセットとなっていて、お手柄に食べて、飲んで、ゆっくりすることができる。さらに、お値段は500円で原価計算すると、ちょっとばかし高い気もするが一郎おじい様の腕の良さのおかげで、頼んでくれる人がたくさんいる。
「かしこまりました」
丁寧に言葉を並べ愛想笑いの一つでもすればカフェでの接客は万点だと聞いた。
しっかり、中年男性の顔に満面の笑顔を貼り付けさせることに成功した達成感を胸にカウンター席に注文を取りに行った。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
そこにはなにやら、教材に使う資料のようなものを並べた女性が座っていて、ヨウコの声を聞くとぼんやりした声で答えた。
「夕凪セットを一つ ダージリンの紅茶でいいわ」
夕凪セットは夕凪カフェで作れるサンドイッチやサンドの詰め合わせのものだ。
値段は変わらないものの、一つの皿の上で、全てのお料理を楽しめるセットの一つ。
「かしこまりました。紅茶はホットかアイスどちでしょうか?」
「ホットでいいわ」
「かしこまりました。失礼ですが、ミルクはお付けしましょうか?」
「いいえ、ストレートでかまわないわ」
「かしこまりました」
飲み物が紅茶の時ほど何回もしつこく聞かないといけないことはない。
ミルクかレモンかとか、ホットかアイスかとか、たくさん聞かなければならない。
少しそんな不満を心に宿しながらヨウコは、カウンターの内側に回ったのだった。
「おじい様、ご注文承ってまいりました」
一郎は少し忙しそうに紅茶のポットに葉を詰めながら言った。
「では、ヨウコは2番テーブルのお客様のお料理をお作りしなさい」
次の指示を聞きヨウコはすぐに作業に取り掛かった。
サンドイッチサンドはとても手軽に作りやすい料理だ。
薄くスライスした食パンの耳を丁寧に落とし、それにチーズとキャベツとハムとスクランブルした卵を少し挟んで長方形に切れば出来上がるのだからだ。
そんな決まったレシピを頭の隅から引っ張りだして、作業にかかりサンドイッチは作り終えた。
「おじい様、スペシャルブレンドはどのようにすれば・・・?」
一郎はスペシャルブレンドは日替わりに変えてしまうのだから、ヨウコやヤクにはそのブレンド方法はわからない。
一郎は手元にある豆挽きに、それぞれ違う袋からとった豆を数粒ずつ入れて、ゴリゴリと豆挽きを回した。
挽かれて出てきた粉を下のカップに受け取ると、手早くコーヒーカップの上へ載せて、お湯を回しながら流し込んだ。
型にはまったその手際はとても見ていて清々しいものだと思った。
気づけば一郎はヨウコの目の前にスペシャルブレンドの淹れられたコーヒーカップを置いていて、すでに違う作業を実行している。
ヨウコは遅れて出てきた「ありがとうございます」の言葉を呟いて、サンドイッチと共にコーヒーカップをお盆に載せて、2番のテーブル席に運んだのだった。
「お待たせしました。サンドイッチセットのスペシャルブレンドでございます」
接客業では、食事を運んだ時ほど笑顔を見せる場面はないだろう。
料理を並べた後にお盆を両手で抱え笑顔と共に深々と頭を下げて、下がれば十分な成果を得られるはずだ。
「ん・・・ありがと」
中年男性は短い返事をあとにコーヒーカップに口をつけて、目を見開いていた。
相当美味しいものだったのかもしれない。
そして、そんなほのぼのしたカフェのお仕事は3時間ほど続いた。
休日のカフェは午後2時頃に閉めることになっている。
「ありがとうございました!」
最後まで残ったお客様が出て行く時には、しっかりと出入り口までお迎えし、満面の笑顔と大きな返事で送り出すのが流儀だ。
また来るよ。とばかりに、最後に出て行ったサラリーマン風の男性に深々と頭を下げていた頭を上げた頃には、眩しい日差しはカフェの中を照らしていた。
「おじい様、今日のお仕事はこれで終わりでしょうか?」
ヨウコとヤクは入口に入り、カウンター越しに一郎に聞いてみた。
一郎は残った洗い物を手に視線だけヨウコらに向けて言った。
「ああ、今日の仕事はこれでお終い、夕飯の買い出しは昨日の分で足りるから、お前達の勉強に付き合ってあげよう」
勉強といっても小学生達がするような勉強とは違って、一郎がヨウコらに対して言う勉強はホルンのレッスンのことだ。
「では、楽器を出してきます、今日はどこで教えていただけるのですか」
一郎は視線を目の前に戻し、洗った皿をタオルで拭きながらヨウコらに言った。
「今日はそうだな。ここでしよう」
いつもならヨウコらの部屋でレッスンはやるのだが、今日はとても気分が良いのかカフェのなかでやることになった。
「わかりました。では行ってきます」
ヨウコはヤクの手を取って自室に足を進めた。
年代を感じる階段を上り扉を開けると、いつもの質素さを匂わせる四角い、隅にベッドが二つ並んだ部屋に入る。
窓は大きく、ベッドに面していて窓側のベッドは朝には日差しの的になって眩しくなる。
そんないつもの光景を無視し、ヨウコとヤクはそれぞれのベッドの下に手を突っ込み、四角い箱を取り出す。楽器ケースだ。
ホルンと言われれば想像するのは、あのカタツムリのようにグルグル巻いた菅に、トランペットの二倍はあるだろう開いた向日葵のようなベルが特徴で、箱はユニークな形になってしまうのではないかと思うだろう。しかし、ヨウコらが所有するそのホルンは、大きく開いたベルの部分を取り外せるようになっていてとてもコンパクトに収まるものだ。
そんな四角い箱を開けると巨大なベルの下に、丸く収まった本体に長く使われたことを印象づけるくすみにくすんだその金色の楽器は姿を見せた。
おじい様が若い頃に吹いていたというそれは、もう60年以上も前から存在しているものだ。くすんでいるが金色のボディはヘコみが少なく、垢がついた跡もほとんどなくおじい様が大切に扱っていたのが伺える品物だった。
「デタッチャブルを慎重に締めてね」
デタッチャブルはホルンのベルと本体を繋いでいる部分、ベルをデタッチャブルに差込グルグルと回すことでネジがナットに入るようにそれは締まり、響きを繋ぐ場所になる。
そんな場所はとても重要で、ベルの端っこを持って回すと力のバランス的にデタッチャブルを破損したり、うまくはまらなかったりする。おじい様に教えてもらったとおりにベルの内側に手を入れ真っ直ぐ回せば素人でも綺麗にハマる。最後に注意するべきは締めすぎないこと、ある程度締めてガタガタと音を出さなければ十分な状態だ。
そんな過去の3年以上前の復習をしながらヨウコとヤクはゆっくりと慎重に丁寧に大切にそれを行った。
「できた?」
そんな言葉をヤクに投げかけるとふんふんと頷いている。
ヤクは習い始めた頃ホルンのデタッチャブルがうまくはまらなくイライラしたことがあり、ヨウコによくお姉さん面で締め方を何度も教えてもらっていた。
「今日はうまくいったよー」
そんないつものやり取りにいつもの返事をしてヤクは綺麗にはまったそれを掲げて見せている。
ヤクの掲げるそれもおじい様が使っていたお下がりだ。ヨウコの物とは品種も製造元も細かいところも全く同じで、ヨウコの物ほど古くはない。しかしそのレバーには長い事使われていた跡が残っている。
「うん、今日はうまくいったね。じゃあ練習の譜面とチューナーを持って行きましょう」
練習の譜面は音階と指使いが書いてある。チューナーは四角い音を測る機械で、おじい様が行きつけだった楽器店から特殊に仕入れたもので、ピアノの88鍵全てを測ることができる代物だ。もちろん値段なんてそんな怖い話を聞いたことなんて一度もない。
「譜面台も忘れちゃだめだよ~」
陽気な声はいつも通り楽しそうだ。もちろんホルン自体を二人とも大好きだから、毎日午後におじい様がしてくれるレッスンは日課で楽しみにしている。
ホルンは深みのある音色に優しいぬくもりを秘めている。それでいて曲の盛り上がる場面の瞬間にはグリッサンドと言った技法でテンションを最大限にまで高める楽器だ。
さらに言えば、ある曲には悲しさや陽気な感情までも表現するらしい。非常に感情豊かでカッコイイ楽器だ。
しかも、ホルンは楽器の中でも歴史が非常に濃いのだ。発展元が角笛だと聞いた時は、かなりビックリしたものだ。かつて狩りに使い獲物の場所を知らせるために使われたそれが、こんな感情豊かで深みのある音色を奏でる楽器になったと思うと世の中何があるかわからないものだ。としみじみヨウコは思っていた。
そんな思いをよそにヤクは小さい譜面台を片手に早く行こうとばかりに、ヨウコの背中を軽く押すように当たってきている。
わかったわかったばかりにヤクを肩ごしにチラ見してヨウコは空いてる右手でドアを引いたのだった。
カフェに行くと既にカウンター作業を終えてテーブル席に着いていた一郎が、珈琲を片手に新しい譜面なのか紙を並べて読んでいた。
「おじい様準備ができました」
ヨウコはヤクから譜面台を受け取り、座った時の目線に合わせて足を伸ばしながら言った。
幸いヨウコとヤクは慎重がほぼ同じなので使うときにいちいち合わせなおす必要がない。
「よし、じゃあまずは唇でもほぐしていなさい。飲み物は何がいい?」
いつものやり取りだ。レッスン中はおじい様が飲み物を用意してくれる。
「あたしはオレンジジュースがいいなぁー」
子供っぽく陽気な声をわざとらしくだしてヤクは言った。
「私もヤクと同じでおねがいます」
ヨウコは別になにかというものはないので、ヤクに便乗して場をやりすごした。
そんなやり取りのあとにヨウコらはおじい様に言われたとおり唇をほぐす運動を始めた。基本的には保育園児がブルルルとお風呂場でやっているような動きだが、これが楽器を扱う上でとても良い運動になる。
ホルンの発音はマウスピースと呼ばれる。金管楽器の中では最小の鉄の塊のカップを使って行うもので、唇に軽く当ててそれに息を吹き込むとカップのなかで唇が細かく振動して音となり、菅を伝って音が出る仕組みとなっている。
唇の振動の音自体はそんなに大きくないかもしれないけど、いわゆるメガホンのようなものだと思えばわからなくもない。小さな口から音を入れると大きな口のほうから増音して放出されるようなものなのだ。
おじい様が言うに、音が出にくいなどと言う人は大抵唇が硬い人か、振動についての理解が浅い人だっと言っていた。しかし、これを理解して子供っぽいけどこの唇をブルルとする運動を毎日すれば、なるほど・・・悩みは解決してしまうかもしれない。
そんなことを言っていたおじい様は今でも綺麗で深みのある音をホルンから出せる人間だ。もしかしたら自分自身が良い例だと表してるようにも見えなくもない。
そんな昔に考えていた思いを思い直しながらヨウコはヤクと一緒に子供っぽくブルブル唇を震わせてほぐしていた。
「そろそろいいですか。お二方?」
30秒程度の運動だが、1分なくても十分なくらいの運動だ。
ヤクと一緒にうなずいてからヨウコは、軽く自分の唇を撫でて再度頷いたのだった。
一郎はヨウコとヤクの前に一杯のオレンジジュースを置き、ヨウコらとは反対側の席に着き言った。
「よし二人共、明日は入学式だったよな?」
そう、ヨウコとヤクは明日8日に夕紅島中学校に入学予定なのだ。
もちろん、公立の学校だから制服と指定カバンだ。
そんなもろもろのものは既に購入済みでしっかりと部屋の片隅に掛けて置いてある。
「はい、おかげさまで私達も明日から晴れて中学生になります。おじい様には感謝の気持ちでいっぱいです」
ヨウコはニッコリと笑顔で言って一郎の顔を見ながら言った。
ヤクも隣でニッコリしている。
「お前達が来てもう4年だな。中学校でのクラブは吹奏楽をやっぱり志望するんだな?」
「うん、おじい様が教えてくれるホルンは大好きだから、しっかり小さな場所からその教えを生かしていこうと思うのです!」
ヤクはいつもの調子で元気良く言ってくれた。
一郎は微笑みかけて「そうか」と言って、一枚の紙をヨウコとヤクに差し出して来た。
ヨウコらはそれを受け取って目を通してみると、さして難しもない構成でタイトルのまだ書かれていない曲の序章の一部の譜面だった。
「おじい様これは・・・?」
一郎は珈琲を一口含んでから、ゆっくりと飲み干してから言った。
「ホルン2重奏だ。二人のために私が書いたのだ。お前達は私のレッスンに4年間もついてきてくれている。しかも、二人は私の大切な娘だ。特別なもので二人を飾りたいと思うのだよ。それに・・・」
一郎は一旦言葉切ってから続けた。
「二人が小学校を卒業して中学校に入学するという記念だ。せっかく新品で二人のためだけのホルンを用意したんだ。新しい曲を一番最初に自分の楽器で吹きたいだろう?」
ヨウコとヤクは目を合わせて二人仲良く?の文字を浮かべていた。
「おじい様・・・それってどういう・・・」
意味?と言う前に一郎はテーブルの上に二つの四角い箱を置いた。
トランペットを2本以上しまえるくらいのその箱はヨウコとヤクの名前がそれぞれローマ字で綴って縫い合わせてあった。
「え・・・?おじい様・・・?これって・・・」
ヤクは目を点にして固まってしまっている始末で、ヨウコは状況の整理がつかなくなってしまって迷っていた。
それもそのはずだ。サプライズにしてはドが過ぎるレベルのサプライズだ。
「ああ、そうだ。二人のためにホルンを用意したんだ。二人が音楽を学ぶ上でホルンを愛してくれると言ってくれたから、今私は本当に嬉しくて仕方がないのだ」
一郎は笑顔になって、ふーっとため息のような安堵の息を吐いて、また珈琲に口をつけはじめた。
ヨウコは少しずつ思考が追いついてきて、ヤクの方に視線を向けると、ヤクは点になった目がちょっとずついつもの目に戻ってきて、戻ったかと思うと、その綺麗な黒色の瞳の下にはちょっとずつ涙が溜まってきていた。
ヨウコは状況の整理がついた瞬間に涙が溢れ出して、幾筋も顔に涙伝った。おそらくヤクはヨウコよりも頭が回るようだ。ちょっとずつ溜まる涙の訳は泣くのを我慢していたからかもしれない。
少しずつ溜まっていた涙はいつか溢れ出しヤクの顔にも何筋か涙が伝った。
「おじい様・・・ありがと・・・エグっ・・・ございます・・・」
えずきながらヨウコは感謝の言葉を述べていた。
ヤクは少しずつの涙が故障中の蛇口のようになってしまったのか、言葉すらままにならないくらいに涙をぬぐい続けて俯いてしまっている。
ヨウコとヤクはホルンをテーブルの上に置いて一郎に抱きついてた。
二人共に嬉しさのあまりそんな行動に意識などなかった。
「二人の可愛い娘だ。この先重要な事などない余生だ。お前達二人の成長を見るのが私のわずかながらの楽しみなのだ。どうかここは笑ってくれないか?」
ヨウコとヤクは無理やり涙を拭って一郎を見上げる形で、無理やり笑顔を作って一郎の顔を仰いだ。しかしそんな笑顔も瞬く間に涙で濡れて、その顔はまた崩れてしまった。
一郎はそんな二人を軽く抱きしめてから言った。
「二人の笑顔はいつ見ても元気になるな。ありがと。ところで楽器を吹いてみてくれないか?」
ヨウコとヤクは流れる涙を乱暴にまた拭って一郎のホルンをカウンターの上に置いて、さっそくその分厚い四角い箱を軽く持ち上げて、横に倒す。その時感じた重量は一郎のホルンよりも重たいものだった。
ヨウコとヤクはどんなものが出るのか期待に溢れんばかりの胸を抑えながら、蓋を開けた。
中に見えたのは眩いばかりの金色を放つベルと本体とマウスピースが入っていた。
ベルは一郎のものより少し大きく、本体は4重に菅が連なっている。
ヨウコとヤクは、最高で3重のトリプルホルンしか見たことがなくその箱の中にある4重のそれを何度も目をこすって見た。
確かにその箱の中には4重の本体をが入っていし、マウスピースもまた変わった形をしている。形状自体は変わらないのに、唇をあてがうその部分は本体のボディのように輝く金色でできている。
しかも、ヨウコとヤクの本体を交互に見れば左右対称になっていた。
ヨウコのは右利きでヤクは左利きだ。
「二人の体の利き手と唇の形にも合わせてもらったからきっと二人のお気に召すはず」
と一郎は珈琲を片手に言っている。
ホルンはデタッチャブルでバルブが6つもついていて、レバーももちろん6つあって5本の指で操れるように、小指の来るところに2つ分のレバーがついている。
しかもベルには遠目に見るとわかるくらいの、綺麗な夕凪カフェのマークが半分装飾されていて、おそらくヤクのベルと鏡合わせに合わせたときに、その形が完成するように装飾されている。文字通り2つで1つのホルンのようだ。
そんな感嘆の気持ちを胸いっぱいに溢れんばかりに浮かべながら、ヨウコとヤクはベルと本体を丁寧にくっつけて、マウスピースをはめた。
そのホルンは一郎のホルンの1.5倍くらい重くて、立って吹くにはあまりにも重すぎるそんなホルンを抱えてヨウコとヤクは椅子に座り、マウスピースに口をつけた。
まずはウォーミングアップから、Fの音階を一郎の小さなメトロノームに合わせて吹く。
一音ずつしっかり、真っ直ぐに2拍ごとに上がっていく練習だ。
「じゃ、まずは100のテンポで始めようか」
カチっカチっとメトロノームは揺れ始める4拍目が開始の合図だ。
フォーンと聞こえるその音はトランペットと比べると高く聞こえガチだ。
FからはじまりGAB♭CDEに来てFで終わるワンフレーズこれを吹かないと始まらないものだ。
新しいマウスピースは初めてのわりにはうまく口に馴染んでとても吹きやすく感じた。本体のボディのような金色の吹口はいつものマウスピースより暗い音が出るらしい、ヨウコが好むダーク色の音が出ていた。
1フレーズ吹き終わると一郎は珈琲をまた一口飲み言った。
「うん、二人共だいぶ音に対して集中できるようになったな。1年前まで音を合わせることすらかなわなかったのにな・・・とても良い成長だ。ヤクはCの音が少し高くなるようだな少しだけ1番菅を抜いておくといい」
そう、1フレーズ吹く事の重要なポイントは、音を合わせるのではなく現在の揺れの無い真っ直ぐな息で吹いて音がずれてないかを確かめるもの。
いちいち合わせているような状態では絶対音感を身につけるまで吹けたようなものではない。
だから一度や二度何度も吹いては調節を繰り返して万全な状態にしなければならない。
「よし、では今日は二人の初見力を見てみたい。さっき渡した譜面を二人で話し合って、パートを決めて吹いてくれるか?」
さっきの譜面を見てみると、片方のパートはヘ音記号でもう片方はト音記号という形だ。メロディーを吹くのはもちろんト音記号の方で、難しくないフレーズが続いてる。かといってヘ音記号のフレーズは難しいと言われればそうでもなく、息継ぎの場所が少ないだけだ。
「じゃあ、ヤクはメロディー吹いて?私はダークな音だし、支える役にピッタリだよ!」
ヨウコはヤクに提案してみた。
「分かった。うまく表現してみるよ!」
パート分けは決まった。
「では、おじい様合図をください」
一郎は頷いてメトロノームを合わせて4拍目からっと言ってくれた。
吹き始めは下パートのヨウコからだ。
譜面にはピアノの記号とメッゾ・フォルテに続くクレッシェンドの記号が見える。
小さな音でブルルと低い音で、吹き始めだんだんと音を大きしていき、メッゾ・フォルテのフレーズに入るとヨウコがすかさずフォーンとホルンらしい深みのある音を入れてくれる。
一瞬のばしたかと思うフレーズの次は短く区切られたフレーズはとても陽気で、2重奏にしては面白いフレーズだ。ヨウコのほうは音が低いから少し暗い曲かと思ったが、ヤクの吹くフレーズはそんなヨウコの思いを裏切るように、小刻みよくテンポの良いフレーズを刻んだ。
序章の短いフレーズしかないその曲は一瞬の内に終わってしまって、ヨウコとヤクは曲の続きが早く吹きたくてたまらなかった。
吹き終わって唇から楽器を離すと一郎は口を開いた。
「うん、とても良かった。二人共今日はありがと」
一郎は満足したように言って、今日のレッスンの終わり言った。
「おじい様、この曲続きが気になるのですが・・・」
「すまないなヨウコ本当はまだそれだけしかできてないんだ。もう少し待ってくれるか?」
ヨウコとヤクは少し残念そうな顔を浮かべてから、すぐに笑顔に戻して、楽器のことと譜面についての感謝の言葉を述べたのだった。
「おじい様ありがとうござます」
今はまだ、午後4時を回ったばかりだが、ヨウコとヤクは疲れてしまい。
楽器を手早く解体して片付けて自分の部屋に戻ると、ベッドで二人仲良くそのまま倒れて寝込んでしまったのだった。