目が覚めると既に日は高く昇っていて、外からは走り回る子供の声とダムッダムッとバスケットボールをつく音が響いていた。
机の上の時計の短針は既に11の数字を指していて、長く眠りすぎたことを伝えている。
灼はそんな確認をしてもう一度天井を見て瞼を閉じると、さっきまでは聞こえなかったが、隣から「はぁはぁ」と荒い息遣いが聞こえてきた。
隣に目を向けると、私には背中を向けていて表情は見えないが、発声主がそこにいた。
茶色がかった黒色の髪は肩にかかる程度で、華奢な体つきは抱きしめたら、きっと腕の内にすっぽり収まってしまうだろう。
そんな少女の名前は葉子という。
葉子は背中を見せているためどんな様子なのかはわからないが、その息遣いは少し苦しそうで、いつもの葉子なら「すぅすぅ」と規則的に健康な寝息を静かにたてるはずなのだが、今日は体調が悪いらしい。
「葉子?」
灼は小さく呟いて呼んだが、まだ彼女は寝ているらしい。反応をしなかった。
葉子が困っている時は私が全力で支える。
それはもう何年も前に葉子が家族を失った話を灼にしていたとき、勝手に灼が決めたルールだ。
葉子の体に異常があるのはわかったが、顔色をうかがって対処しなければならない。
そう思って灼はベッドから降り、窓側の葉子の前まで移動した。
覗き込んだ葉子の頬は桃色に染め上がっており、苦しそうに口で呼吸している。
そんな葉子の目の前に腰を下ろして頭を撫でてあげると、その瞼が少し開いてその黒い瞳が灼を見据えてきた。
「・・・灼?・・・なんだか、頭がボーっとして・・・」
葉子はしんどそうな声でそう言い終わる前に、灼が葉子の口に人差し指を当てて「喋らなくていいよ」と言った。
「たぶん昨日のせいだね。今日はゆっくり休んでていいよ。おじい様のお手伝いもちゃんとやっておくから、ね」
最後の「ね」はしっかり笑顔もつけて言ってあげた。
「灼・・・ありがと・・・ふぅ・・・ん・・・」
葉子は少し安心したように無理やり笑顔を作ってそう言った。
そんな葉子の前髪を灼は右手でまとめて上げ、葉子の額を晒した。灼も左手で自分の前髪をどけて額を晒すと、そのまま近づけて接触させようとした。
「ん」
葉子は変な声を漏らしたが灼の応対に抵抗はせず、受け入れる体制を作った。
ピトッと触れてみると葉子の額はやっぱり少し熱く、おそらく熱だ。たぶん昨日二人で出かけた時に、雨にうたれながら帰ってきたせいだろう。ちゃんと休養を取れば治るはずだ。
葉子から離れようと、立ち上がった時だった。
灼は葉子の右手に袖を申し訳程度に掴まれて行かせてもらえなかった。
葉子を振り向けば、少し寂しそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
おそらく体調不良の影響で精神的に弱っているのだろう。灼にだってこのくらい経験したことがある。熱や風邪で寝込んでいる時はとても寂しさと孤独感に駆られてしまうのだ。
「ちょっと・・・だけでいいから・・・いてほしいの・・・」
葉子の目はとても弱っている感じを思わせるのには十分だった。
「いいよ。私はどこにもいかないから安心して」
灼はそう言って、葉子の右手の指に自分の右手の指を絡めて握ってあげ、もう一度横に座ってあげた。もちろん左手で頭も撫ぜてあげる。
数分たったか。
葉子は「すぅ・・・すぅ・・・」とさっきより落ち着いたらしく、いつもより長めに息を吸い込んで吐き出し始めた。
「落ち着いたかな?」
灼はそう呟いてベッドから離れようとした。
しかし葉子の右手がさっきよりも強く握られていて、振りほどくのは無理そうだった。
仕方なく葉子の隣で突っ伏する形で、灼も上半身だけ添い寝することになってしまったのだった。
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目が覚めたとき、目の前には葉子の安心した寝顔があった。
体を起こして机の上の時計を見れば13時15分で、お腹が鳴り始める頃合だ。
ゆっくりと握られた手を引いてみると、既に意識を失って力が抜けているのか楽にほどけた。
灼は葉子に布団を深くかけなおし、部屋をあとにした。
今日は日曜日でカフェは休業日だ。
だから一階のカフェには人はいないわけで、一郎がグラスを磨いて暇つぶしをしているはずなんだが、灼達が寝ている間に出かけてしまったらしい。カフェにもリビングにもおらず、小さい字で書置きだけがおいてあった。
書置きには”今日は少し遅くなるから、昼はあるもので、夜はこれで済ませてくれ”と書いてあって、紙の重りのしたには千円札が2枚一緒に挟んであった。
「病人食なら何がいいかな」
独り言をこぼしつつ自分の記憶内にある病人食のレシピを思い出す。
ご飯と卵のお粥にチーズを乗せたもの、りんごをすりつぶしてココアと一緒に並べるもの、さっきのメニューのお粥に梅干を乗せたもの、みかんやグレープフルーツの果実類を中心としたしたビタミン系のメニューのもの、たくさん出てくるのはそうだが、なかなか選ぶに選べない。
仕方ないのでリビングと繋がったキッチンの冷蔵庫をパカッと開いてみた。
パッと見た感じゴチャゴチャしていることもないのは、一郎がちゃんと整えているからだろう。そんな中でも目に付いたのはりんごの数とチーズの量だ。
一応カフェ用の大きな保冷庫というものは存在していて、日常用の食品類とは別に保管しているため、通常の家庭で言うと結構な量がそこにはあった。
「どうせなら・・・」
たくさんあるのなら使っても構わないだろう。そう思って灼は冷蔵庫からりんご3個とチーズ2枚と梅干も1個取り出し、キッチン前についた。
さっそく使い慣れた薄いピンク色のエプロンを掛けて調理を始めた。
葉子につくるのは、お粥とりんごのすりつぶしだ。
まずつくるのはお粥だ。今回はご飯がまだいっぱい余ってるので、ご飯を使って作ることにした。
お粥は蒸らす際にチーズを入れて溶かし、食べる前に梅干を盛り付ける形で作るつもりだ。
まずはご飯と水を1対2の割合で鍋に入れて、軽くまぜてほぐし蓋をして火にかけた。次は沸騰するまで待ち、沸騰したら弱火で吹きこぼれに注意しながら20分程度炊き、最後に5分程度蒸らすのだがその時にチーズを入れる。
そんなレシピを反復しながら、りんごの皮をやり慣れた手付きで包丁を使って皮を剥いていった。皮が剥かれたりんごは綺麗な色で、一部に不規則な形をした模様がたくさんついていた。とても良いりんごだ。これはりんごの果汁が集中している証でもあって、これにかぶりつけばとっても甘いだろうと思わせる。
3つのりんごを剥き終わると、鍋の中が「グツグツ」と沸騰する音が聞こえてきたので、火を弱火に設定し、すぐ下の棚からおろし器を引っ張りだした。おろし器は白い陶器のもので、ギザギザとしたすりおろし部分は意外と結構尖っていて、軽く指を押し付けるだけでも痛い。
そんなおろし器を一度水で洗い、さっき剥いたばかりのりんごを灼はすり始めた。
キッチンにはズリズリという音が響き、自分以外誰もいないことを思わせるように、音が跳ね返ってきていて少し寂しさが見え隠れしていた。
ホルンを4年も吹き続けているためか、腕は全然疲れた感じがしない上に、あと10個はすりおろしをできるかもしれない。
そんなことを思いながら灼は最後のすりおろしたりんごの末路をガラスの器に流し込み、お盆の上に乗せ、熱でやけどをしてしまわないように木のスプーンを添えて置いた。
りんごのすりおろしは出来上がったので、次はお粥に目をやると少し吹き出しかけていた。少し火を緩めて時計を見る。弱火にかけてから21分程度になっていた。時間的には十分のはずだ。
そう思って火を止め、鍋の蓋を開けてみた。いい感じの色合いと柔らかそうなご飯はとても美味しそうだ。そう思いながらも、お粥に塩を少しふってチーズを乗せて蓋を閉じた。
あと5分程度だ。
少し待つのもよかったが早く葉子の食べている顔がみたいためじっとしていられず、また冷蔵庫を開いた。そういえば飲み物と言えるメニューがなかったのを思いだし、牛乳と純度の高い蜂蜜を手にとった。
牛乳は商品と一緒に直接牧場から仕入れた物で、日が置かれずに届いているため新鮮な物だ。純度の高い蜂蜜は一郎のカフェの常連さんの知り合いを仲介して、カナダから仕入れた高価なものだ。
そんな贅沢なものを使って作る飲み物は、牛乳に蜂蜜を溶かした温かい飲み物だ。牛乳をマグカップに入れ、電子レンジに入れた。すぐにチンッと音がして、取り出すと少し膜が張っていたが、近くにあった爪楊枝ですくい上げ捨てた。次に蜂蜜を滅菌用の入れ物に入ったスプーンで一杯取り出し、牛乳にそのままポチャンとつけてかき混ぜた。すぐに牛乳内で広がる感じが見て取れて、甘さが分散されるのがわかった。
そんな蜂蜜牛乳をお盆に乗せ、お粥の蓋を開けてみた。良い感じに溶けたチーズが食欲を掻き立てるので良い出来だろう。と思いながら蓋をシンクに乗せ、タオルで鍋を包み下敷き代わりにタオルもそのままお盆に乗せ、葉子のための病人食が完成した。
「うん、いい感じだ」
そんな一言が漏れたが、きっと達成感の表れだろう。
そう思いながらお盆を持ち上げると、少し重たく感じたがきっと葉子は食べてくれるはずだ。
お盆を持ってキッチンを出てカフェを経由して二階へ上がった。エプロンをつけたままだが別にいいだろう。
部屋に入ると葉子は仰向けで眠っていて、現在は落ち着いている様子だった。
「葉子?起きてる?」
灼の問いかけに葉子は顔だけこっちに向けて反応してくれた。黒い瞳が灼を見つめてきている。
「ご飯作ったからね。食べれる?」
葉子が断っても最終的には理由をつけて無理やり食べさせるが、葉子はお腹がすいているらしく自分から上半身だけ起こして、頷いてくれた。
そんな葉子のとなりに長方形の小さい物置用の机を置いて、葉子の前に灼は座った。灼から見れば、目の前に葉子がいて隣にお盆を置いた机がある状態だ。
「灼?大丈夫だよ。自分で食べれるよ?」
葉子は笑って言ってくるが、朝私に「いてほしい」と言ったくらいだ。葉子が嫌がろうとも今日は葉子には病人でいてもらう。
「ダメ、今日は葉子は病人でベッドの上でじっとしているの」
葉子は微妙な笑顔に変わってしまったが、それでも全然構わない。葉子がちゃんと体調を取り戻すまでは、絶対に決して隣を離れないつもりだ。
「ほら葉子、あーん」
そう言って葉子の口元にお粥を運ぶ、葉子もそれを嫌がらずに軽く目を閉じて口を開けてくれた。そんな葉子の口にはお粥を運ばずに、冷蔵庫からつまんできた赤い塩気に満ちた実を放り込んであげた。
口の中に入ってきた物が全く違う物だったため、葉子は灼を軽くにらみながらしょっぱさを我慢して、それを食べてくれた。そんな葉子の視線を受けながら灼はお粥を軽く混ぜてチーズをほぐし、スプーンで一口掬って「フーフー」してあげた。
赤い種をティッシュに丸め、お盆の上に葉子は置いて、灼が目の前に押し付けてくるスプーンを口を開けて待った。
そんな葉子の口に今度こそお粥を運びいれ、灼は反応をうかがってみた。
葉子は口にお粥が入るとすぐに、美味しそうな顔を浮かべてくれた。
「どう?今日はチーズを入れたんだけど・・・」
葉子はお粥を飲み込んで、口を開いた。
「うん、とっても美味しい。灼が作るお料理はいつもすごく美味しいよ」
嬉しそうに葉子はそう言ってくれた。それは灼にとってとても嬉しいことだった。
「よかった。今日は少し柔らかめに作ったからちょっと心配だったの」
灼の言葉に葉子は「そうなんだ」と笑ってくれた。
「ところで灼、そのマグカップはなに?」
お盆のマグカップを指差して言ってきた。
「牛乳だよ。冷蔵庫にこの間おじい様が買ってくれたのがあったから使ったの」
葉子は無言で「飲ませて」っと手を差した。
灼はそれを了承し「はい」とマグカップを渡した。
マグカップは葉子の名前が入った物で、両手に包んでも火傷しないような設計になっている。
葉子は中の牛乳を口に含み、ゆっくり味わうように飲んで言った。
「蜂蜜の味?とってもスッキリしていて甘いわ」
また笑顔を作って言った。灼もそれに「それはよかった」と言っておいた。
すると、葉子は急に笑顔を消したと思ったらこんな疑問を投げかけてきた。
「灼?灼はご飯食べないの?」
そんなこと葉子のご飯について考えていたから忘れていた。葉子のためなら別に抜いても全然大丈夫だろう。
「作ってないよ?どうせお腹空いてないし、気にしなくていいよ」
灼にとってはさほど問題でもないため、気にしなくても全然問題ないのだが、葉子にとってはあまり気に召さないらしい。灼にマグカップを押し付けて言った。
「それ飲んで、りんご半分食べなさい。私の事病人扱いするのはそのあとだよ」
葉子の目は真剣だ。自分が体調不良なのに灼を気遣ってくれているらしい。
葉子が真剣な目をしているときは、灼のようにワガママになることを灼は知っているため、葉子の意見は聞かざるおえない。
仕方なく葉子のマグカップに口をつけて、一口中身を含むと、ほんのりとした甘さが上品に口のなかに広がった。自分で混ぜたものだがそれは確かに美味しい。
灼は葉子の笑顔に見られながら、りんごのすりおろしを少しかきこむのだった。