トーキョーを出発して二時間と少し。かつての鉄道大国から引き継いだ新幹線に揺られ、ついにあたしは夢にまで見た土地にやってきた。
どうせなら秋に来て紅葉を見たかったけど、今回は所詮お仕事。土を踏めただけでも良しとしよう。さもないと罰が当たってしまう。
「あ、暑い」
それが例え立っているだけで汗が噴出し、温度計の表示がおかしなことになっている真夏日、カンカン照りの灼熱地獄だろうと、トーキョーの政庁で書類に埋もれるより余程マシ。
服装だってキャミソールに、日焼け対策のカーディガン。蒸し暑さを想定したショートパンツと、普段着ている軍服に比べれば天国の涼しさ。
どうせ神に祈ろうが、皇帝陛下に賛辞を送ろうが、状況が好転しないことは天気予報が太鼓判を押している。
なら、後は気合で乗り切るしかないじゃない。
仕事も遊びも全力全開。与えられたチャンスは徹底的に活かさないとね!
「さーて、手始めに清水寺から回りますか!」
日本文化大好きのあたしは、悪条件でもテンション高め。
太陽に負けじと声を上げ、自分を奮い立たせたけれど―――
「予定を変更し、このまま部屋で待っていても構わないかな?」
宿へのチェックインを済ませ、冷房の効いたロビーから外に一歩踏み出した瞬間だった。
駅舎からここまで、外気に触れていなかった殿下の心はあっさり折れる。
「では、護衛の私も失礼して」
「待ちなさい。殿下はともかく、ファンナちゃんの赴任先は中東だった筈。この程度の気温で辛そうな顔を浮かべているのは何故かしら?」
「湿度が全然違うからです」
「あ、そっか」
「向こうのカラッとした空気と比べ、この低温サウナの様な蒸し暑さは完全に別物。正式な軍務ならともかく、半分私用でこの炎天下を練り歩くのはちょっと……」
「神社仏閣に興味が無いと厳しいかー」
うーん、この同行人達とのモチベーション差。
実は楽しみにしてたのって、あたしと先輩だけ?
「体調を崩されても一大事ですし、殿下は無理を為さらない方が宜しいかと」
「夜はもう少し涼しいと聞く。日が落ちて気温が下がったら散策に付き合うさ」
「久方ぶりの供回り、楽しみにしております」
「そして、護衛は私にお任せです。兄さん達は予定通り観光地を巡って、交渉の為の布石作りを頑張って下さい」
「……過去に陛下が利用されたこともある宿の警備体制に不備は無いと思うが、仮にもこの地はテロリストの総本山。如何なる時も気を抜かず、護衛の任を全うしろ。これはナイトオブラウンズとしての命令だ。出来るな、愚妹」
「くっ、まだ愚妹扱いが終りませんか」
「この旅で汚名をすすぎ、騎士としての価値を見せるんだな。さもなくば殿下が許そうと、私は断固として認めない。断固として許さん」
「イエス、マイ・ロード」
とか何とか言いつつ、結局この兄は妹に甘いと思う。
どうせ荒事の発生確率が極めて低いお忍び旅行なんだし、活躍のチャンスなんて最初から無い。
にも関わらず何事も無く終えるだけで許す、と暗に示すとか在り得なくない?。
「それでは不肖このアンヌ・レスキュール。殿下の命に従い、全力で羽を伸ばしてまいります。何かお望みの戦利品とか御座いましたら、是非一報を!」
「心遣いご苦労。僕のことは気にせず、たまのデートを楽しんでおいで」
「イエス、ユア・ハイネス」
こうやって粋な心遣いを見せてくれる殿下は凄い。
どうせ観光に出ないのも、ファンナちゃんへの気遣い。
アウェーの地で裏切り者とバッシングされる前に、遠回しの予防線を張ったんですよね?
夜なら人気も抑えられるし、昼間よりは外も出歩ける。気温を口実にする紳士っぷりが堪りません。
割と高慢―――じゃなかった、上から目線―――でもなく、唯我独尊に下々を使い捨てることの多い皇族とは、どー考えても毛並みが違う。
似たようなジャンルに超フランクなオデュッセウス殿下が居るけど、あの人は毒にも薬にもならない中庸な御方。本気で皇帝の椅子を狙うべく、被った羊の皮の下で虎視眈々と牙を磨くセリエル殿下と同列に扱うのは可哀想よね。
「さーて、行きますよマイロード……じゃなかった先輩っ!」
「そうだな。作戦終了予定時刻迄に予定されたプランを網羅する為には、可及的速やかに行動する必要がある。第一目標到達後、次は境内の地主神社だ。遅れるな」
そう、あたしの日本かぶれのルーツは先輩にある。
産みの母に負けず劣らず義理の母を敬愛する先輩は、ブリタニア文化を根底に置きつつも、育ての親の文化も自然と吸収して育ったらしい。
お陰で生粋のブリタニア人の癖に、舌のベースは鰹出汁と醤油。好物は肉じゃがで、パン以上に米を愛する不思議な人間に育ってしまったとのこと。
ぶっちゃけブリタニア生まれ、ブリタニア育ちのあたしは、日本のことをサクラダイトの宝庫くらい程度しか知らず、興味を抱いたことさえ無かった。
そんなあたしがこうなった理由は、とっても不純。
最初は憧れの人の好みを探っただけ。
共通の話題が欲しくて、好きでもない分野に手を出しただけのこと。
「アンヌ?」
「ごめん、暑さでちょっと脳が熱暴走を。もう大丈夫だから、レッツゴー!」
だけど、不思議と和の心は肌にあった。特に神社仏閣のオリエンタルなデザインには心を引かれ、先輩の信奉する醤油教にも入信する染まりっぷり。大豆神を崇めよー。
我ながら、どうしてこうなったのか良く分からないわ。
「何時も通りナビはあたしにお任せ。運転の方をお願い」
「妥当な判断だ。ラウンズの作戦に失敗は無い。最速の走りを見せてやろう」
始まりがなんであれ、共通の趣味を持てて本当に良かったと思う。
レンタカーに颯爽と乗り込んだ愛しい人に遅れまいと助手席に飛び乗ったあたしは、偶然が幾つも重なって生まれた幸せに感謝するのだった。
第十二話「キョウトへの使者」
セリエルが宿泊するのは、一見様お断りな純和風の最高級ホテルである。
敷地の中には様式の違う庭園が散りばめられている他、茶室を始めとする様々な施設を網羅。
保津川沿いに設けられた茶寮で涼を取り、嵐山の絶景ポイントで足を止める等、存分に楽しみながら回ったにしろ、一通りを見終える頃にはすっかり日も暮れる広さ。
和の空気を存分に堪能したセリエルとファンナは、木刀やら饅頭を抱えて戻ってきた騎士コンビに負けず劣らず避暑地での逢引を楽しんだのだった。
「さて、行こうか」
「御意」
合流し、ほっと一息ついたのも束の間。白の騎士服に身を包んだ従者だけを伴い、セリエルは本来の目的を果たすべく出発する。
幾ら第一の騎士でも、ファンナでは駄目。
供はテファルでなければ意味を為さない。
何故ならこれから向かう場所は、肩書きと口先だけが意味を持つ政治の世界だ。
必要となるものはラウンズの名。こればかりは如何に二つ名持ちだろうと、一介の騎士では果たせない役割なのである。
隣に少女が居ない手持ち無沙汰を流れる景色で誤魔化し、セリエルは舌戦と言うか恫喝の流れを頭の中で再チェック。
特に不備が無いことを確認して時間を潰していると、気づけば目的地も目の前だ。
厳重なセキュリティに守られた京屋敷と呼ばれる歴史的建造物の門を顔パスで潜り、アポを取った正式なゲストとして堂々と先へ。
案内役に導かれるまま奥へ奥へと誘われた先、そこに目的の人物が居る。
「遠いところから、良くぞおいでなされました。この桐原、高貴なる御方を我が家に招くことが出来て光栄の至り。ささ、上座へどうぞお座り下さいませ」
「下座で結構」
「そ、そうですか」
「お互い、外では出来ない話をする為に時間を設けたんだ。面従腹背の世辞は結構。早速本題に入ろうじゃないか」
セリエルが対峙する老人の名は桐原泰三。かつては旧日本を裏から牛耳っていたフィクサーだったが、敗戦と同時にブリタニアへ鞍替えを果たした勝ち組だ。
植民地人の管理は植民地人に。そんなブリタニアの政策を上手く利用し、サクラダイト利権を一手に牛耳るのは序の口。汚職の蔓延していたクロヴィス統治下においては豊富な資金力を武器に、軍部の深いところまで触手を張り巡らせたと噂の妖怪である。
しかしこの手の人間は表向き従順で、結果を残しながらも悪事の証拠を残さない。お陰で裏で暗躍していることを確信しているコーネリアすら安易に手が出せず、事実上の野放しが今も続く有様だ。
「はてさて……この爺には、何を仰りたいのか検討も付きませんな」
そう、桐原は侮っていた。
エリアの最高権力者すら裁けない自分を、ぽっと出がどうこう出来る訳が無いと。
「基礎設計を、インドのラクシャータ・チャウラー博士」
「な、何のお話でしょうか」
「OS担当はNAC系列の五菱システム。製造は富士工場と言ったところかな?」
セリエルが桐原に放ったのは一冊の本だった。
表紙のタイトルは ”紅蓮弐式取扱説明書” 。ナリタで鹵獲した紅蓮のコクピットに残されていた、操作及び整備マニュアルである。
「それに付いていた指紋の照合は終えている。そして最高峰のスタッフが実機も分析済み。既にアレの出自は丸裸だ。素直に認めないなら、君たちの根城である富士鉱山に捜査のメスを入れようか? 罪状は確定済みだから、言い逃れも出来ないよ?」
開いた口が塞がらなかった。ナリタで紅蓮が失われた件については黒の騎士団の扇より報告を受けていたが、鹵獲されている話は初耳だった。
アレには多くの人間が関与し、至るところに日本独自技術が多く用いられている。
マニュアルに至っては、誰が触れたのかも分からないレベル。
下手をすれば、幹部クラスの指紋が残っていてもおかしくない悪魔の書だ。
「鼻薬の効かない査察団を、率先して迎え入れたいと言うなら止めはしない。果たして無頼とか言うコピーグラスゴー製造ラインが見つかるのか。それとも軍の横流し品が見つかるのか。何か一つでも見つけ次第、連座制でNAC及び関連グループ全てを処罰だねえ」
「……何処まで掴んでおられる」
「さーて?」
日本が反ブリタニアの旗機として生み出した紅蓮弐式。今やその存在そのものが自らの喉元に迫る刃に成り果てるとは、如何なる皮肉だろうか。
桐原は思う。やはり皇の小娘はお飾りで十分だったと。
エリア11における最大の反ブリタニア結社であるNACは、旧財閥を中心とした六家による合議制で意思決定を行う組織である。
しかし合議と言いつつ、家格や資本力で力の大小が発生するのは世の常。
最大の発言力を持つのはサクラダイト利権を手中に収める自分だが、最も家格の高い家柄は皇家。例え年端も行かな小娘が当主だろうと組織の長は皇家が勤めると決められている以上、多少の我侭は全て承認されてしまう体制が全て悪い。
桐原は反対したのだ。正体も分からぬ怪人が采配を振るう新興勢力に、代えの効かないワンオフの最新鋭機を与えるなど言語道断。
日ノ本最強の武人である藤堂に与えてこそ、紅蓮の炎は日輪となって昇るのだと。
にも関わらず、軽い気持ちでゼロを押した皇神楽耶の一存が通ってしまった。
だからこうなる。こうなってしまう。
どうせ小娘は、何時もと同じく責任を取らない。
結局、尻を拭うのはいつも他の誰かなのだ。
「……殿下のお望みは?」
「腹を割って話そうじゃないか」
「どうせわしは、まな板の鯉。何でもお答えいたしましょう」
「なら、単刀直入に要求を伝えようか」
「何なりと」
可能であれば口を封じたいところではあるが、対人戦においても最強無比であることが義務付けられているラウンズだけでなく、敷地の傍にはKMF輸送車が控えている報告も受けている。
つまり、武力制圧は不可能。そもそも掠り傷一つで一族郎党死刑になる相手を害す程、桐原は短絡的な男ではない。
それに、焦る必要もおそらく無いだろう。
あえて非公式の会談を打診してきたのは、セリエルの側だ。
この件を表沙汰にする可能性は低いと踏んでいる。
「他の幹部に気づかれないように僕に協力しろ。具体的には日本製KMFの設計データと、NACが掴んでいる黒の騎士団関連の情報を全て寄越せ」
「わしに祖国を裏切れと!?」
「どうせ売国奴の桐原だろ? 今更罪状が一つ増えたところで何が変わる」
「しかしっ!」
「僕に与すれば、過去の罪状も未来の所業も全て黙認する。NACは従来通りテロへの支援を続けても構わないし、各々が持つ利権についてもメスを入れないことを約束しよう。この条件に不満があるのなら交渉は決裂だ。ブリタニアの流儀に従い、欲しい物は力ずくで奪わせて貰う」
最強の手札をオープンした上で、逃げられない勝負に挑めとセリエルは告げる。
「ブリタニアの皇子が、テロを容認すると仰るか?」
「余計な詮索は無用。ついでに少しだけ背中を押してやろう。もしもエル家から皇帝を輩出した場合、僕の権限でエリア11に対する段階的な優遇政策の施行を考えている。口約束で確約は出来ないが、君たちの頑張り次第で日本の名を再び名乗ることさえ許そうじゃないか」
「甘言は止めぃ!」
「本気さ。だって僕らはこの国が大好き。そうだろ、我が騎士よ」
「はい、殿下。全力で観光に明け暮れた私の姿は、尾行していた者達が理解しているかと。監視の報告は如何でしたかな? 」
「むぅ」
テファル・レストレス。日本人の義母と妹を持ち、第十位皇子セリエル・エル・ブリタニアを全面的に支持するナイトオブラウンズ第五席の騎士。
ブリタニア人には珍しい否差別主義者であり、質実剛健な人柄には定評がある。
と言うのが、桐原の持つテファルのプロファイルだ。
確かに日本を憎からず思う下地はある。報告でも日本人顔負けで箸を使いこなしていたとも聞いているし、好意的である可能性は高い。
百歩譲ってテファルは認めよう。
しかし、思想を含めて不明点の多いセリエルは違う。
「殿下が、我らの祖国を復活させようとする理由を伺っても?」
「半分は打算。対中華連邦の橋頭堡として自立できる属国を作り上げられれば、膨らみ続ける我が国の軍事費削減に大きく貢献出来る。つまりこれは、遠くない未来に訪れる軍縮のモデルケースってところかな」
「残り半分とは」
「妻の故郷を厚遇するのは当然だろ?」
「は?」
「僕の非公式婚約者はナイトオブファイブの妹で、純潔の日本人 ”不破・杏奈・レストレス” こと、ファンナ・レストレス。感情論を抜きにしても、僕がどれだけこの国に期待しているのか一目瞭然だと思わないか?」
「……正気とは思えませんな」
皇族がナンバーズを妻に迎える? 在り得ない、一考の余地すら無い選択だ。
それが例えラウンズの血縁だろうと、周囲の反発は必死。
そんな真似が適うとすれば、それは絶対の権力を握った場合だけ。
果たしてセリエルの言が真実なのか、桐原には判断が難しい。
しかし傍らに控える騎士が
”殿下には不相応な愚妹ではありますが、相思相愛ですな”
と相槌を打つ辺り、おそらく本気なのだろうとは思う。
「富裕層が料理を捨てる行為を貧困層が狂気と称するなら、貧困層がゴミ箱を漁って食材を拾うことも富裕層にとっての狂気。正気の定義は、人それぞれじゃないかと僕は思う」
「……面白いお方だ」
「そう思うなら我が軍門に下れ。日本に有益な僕が天下を取る手助けに奔走し、粉骨砕身の働きを見せてみろ。これこそが君達が目指す未来に続く最短ルートだ」
「姉を蹴落とし、兄を見殺し、修羅の道を行くと仰いますか」
「当然さ。それこそが弱肉強食のブリタニア皇族に生まれた義務だとも」
これは分の悪い賭けだ。
しかも張る金額は全財産。如何に国益の為とは言え身内を謀る以上、小さなミスが我が身の破滅に即繋がる一世一代の博打である。
担いだ……と言うか担ぐことを強要されている神輿に乗るのは、状況次第で担ぎ手の首を何時でも挿げ替える冷徹な神様だ。
しかしリスクに見合うリターンが期待出来るなら、冒険する価値は十分。
どうせ日本解放戦線が壊滅した以上、最後の頼みは黒の騎士団だけ。
組織を窮地に追い込んだ集団に注力するくらいなら、総督に情報を隠すリスクを負ってまで直接交渉を持ちかけてきたブリタニアの皇子の方がまだマシとさえ感じる。
「一つだけ条件が御座います」
「聞こう」
「殿下が実権を握った暁には、是非ともキョウト六家から側室を娶って頂きたい。さすれば桐原家は当然として、他の家門も揃って恭順を果たしましょうぞ」
「妥当な落とし所かな。但し、全ては口約束。まさかとは思うけど、この会話を録音するような真似はしていないだろうね」
「この奥の間は、互いに記録を残さぬ為の部屋。ご安心を」
「テファル、真実か?」
「マンチェスタ謹製の探知機に、電子機器の反応はありません」
「ならば結構。一先ずはこれにて商談成立。ここからは細部に踏み込んで、詳細を詰めようじゃないか」
「勿論で御座います、殿下。コーネリアの名を貶める悪巧みを致しましょうぞ」
「さすが妖怪、僕の言わんとしている事を理解してくれていて何よりだ。最初の議題は、対黒の騎士団のカウンターとなる白の騎士団設立について―――」
かくして、他の四家が与り知らぬ所で離反者が一人生まれることとなる。
ユダの名は桐原泰三。信奉する神の名はセリエル・エル・ブリタニア。
彼らが抱く当座の願いは二つ。
一つ、黒の騎士団を活用し、コーネリアを失脚させること。
二つ、役目を終えた際に、黒の騎士団を後腐れなく滅ぼすこと。
新しい日本を牛耳るのは六家。決して黒の騎士団ではないと考える桐原。
反乱分子である黒の騎士団を、最終的には野放しに出来ないセリエル。
利害の一致を見た二人の居る東屋の光は、夜通し消えることが無かった。