「失礼。目障りな物を見つけて、ついつい足が出てしまいました。ですが、わたくしは寛容な女です。何か言いたいことがありましたら、聞く耳は持ち合わせていますよ?」
髪から浴びせられた水を滴らせ、膝を付くファンナは困惑していた。
ファンナも、マリーカも、そして、この場の全員が名を知る天上人こそ襲撃者。
朱色の髪を小さなサイドテールに括った愛らしく物腰柔らかな雰囲気の少女の正体は、おさげの騎士を従える皇位継承権第八十八位、マリーベル・メル・ブリタニアその人である。
「何も御座いません、皇女殿下」
「結構。立場を弁える人間は好きよ」
しかし、だからこそ解せない。
諸々の事情で後援貴族を持たないマリーベルの地位は低く、次期皇帝の座を賭けたレースでも空気のような扱いを受けている弱小皇族だ。
そんな皇女様が属する派閥は公式にもエル家。その証拠として彼女が主導して進めている対テロリスト特化型遊撃騎士団の設立において、全面的な支援を約束しているのはシュナイゼルである。
常識的に考えてスポンサーの顔色を伺ななければマズイ子会社の人間が、親会社の幹部候補に喧嘩を売るだろうか?
意図が理解出来ない、解明の糸口さえ見つけられない。
混乱するファンナは傍らで真っ青な親友に助けを求めるが、彼女もまた現状を脳が処理しきれずフリーズの真っ最中。手助けは無理だった。
「恐れながら皇女殿下、下賎の騎士にどのようなご用件でしょうか」
「綺麗に剪定された花畑に雑草を一房見つけたの」
「……え?」
「わたくしは庭を管理する一族の端くれとして、目障りな黄色と黒の外来種を取り除く義務があるのです。これ以上の説明は必要かしら?」
何とも単純な物言いに、疑問が氷解した。
ファンナはマリーベルの名前と簡単なプロフィール以外を把握していないが、過去に激昂して皇帝へと剣を向けたと言う有名な逸話だけは知っている。
やはり噂どおり、皇女殿下は感情の人。
損得勘定を考えない目先の利益優先型だったのか、と納得する少女だった。
「御座いません」
「ならば結構。今後は身の丈に合わない暴挙を控え、ナイトオブファイブの顔に泥を塗らないよう慎ましく生きなさい」
「イエス、ユア・ハイネス」
「それでは御機嫌よう、イレブンの成り上がりさん。お帰りはあちらよ」
「温情措置に感謝致します」
どうせ感情論相手に何を言っても時間の無駄だと分かっているし、周囲に人が集まりつつある状況でこれ以上の悪目立ちもマズイ。
昔から似た手合いに絡まれることの多かった移民の子にとって、テンプレートの嫌がらせは慣れたものだ。
ここは何時もと同じく、スマートに解決してしまおう。
そう決めたファンナは皇女殿下の自尊心を満たすため、粛々と命令に従うことにする。
「……ごめん」
友人達に祝辞を後れず心残りだが、これもまた運命と踵を返した瞬間だった。
耳に入ったのは、小さくか細い罪悪感に満ちた声である。
懺悔の主はマリーベルの筆頭騎士を勤めるオルドリン・ジヴォン。
姫の背後で彫像の様に固まっていた少女が突然零した一言の真意は分からないが、彼女もまたファンナと同世代の若手騎士だ。
心情的に同情する部分があったのだろうとファンナは心の中で合掌。
いつか互いに主の看板を掲げずに話が出来れば、と夢想しながら一歩を踏み出したところで、形成されていた人の壁に動揺の色が広がっていることに気付く。
「誰が騒いでいるかと思えば、やはり洗濯板か」
「おいおい。久しぶりの仲間にそれは無いんじゃないか?」
「ふん、顔も出さずに逃げ帰る奴は知らん」
「薄情ってのは同感だな」
揉め事を察して集まっていた人込みを掻き分け、しれっと姿を現したのは純白の騎士達だ。
え、と思うのも束の間。
片割れのジノは戸惑うファンナの肩を抱き、親密さをアピールしながら言った。
「マリーベル殿下、申し訳ありませんが彼女は俺達の友人でしてね。身柄はこちらで引き取らせて貰っても宜しいですか?」
「陛下ならぬわたくしには、止める権利がありません」
「寛大な処置に感謝致します」
「……やれやら、無駄な時間を浪費しました。行きますよ、オズ」
「イエス、ユア・ハイネス」
さすがの赤の皇姫も、無為にラウンズとことを構えては唯ではすまない。
そのことを弁えるマリーベルの損切りは速かった。
向かい風には逆らわずに乗るもの。傍目には逃げ出した少女の姿は不思議と敗者に見えず、予定調和の流れに従ったかのような余裕さえ見え隠れするから不思議だ。
やはりこれは何か裏がある。
騒ぎを起こして株を下げただけの筈なのに、何故かそんな確信がファンナにはあった。
果たして最終的には誰に、どんな益がもたらされるのやら。
降って沸いた難題に難しい顔をしていると、落ちてきたのは物理的な拳骨だった。
「貴様のせいで余計な手間を取らされた。この代償は高く付くぞ」
「頼んでませんし、暴力もノーサンキュー。そして勝手な口出しはプライスレス」
「ケチくさい奴め」
「まぁまぁ、せっかく懐かしい顔ぶれが揃ったんだ。面倒なお偉方へのご挨拶も終らせたし、場所を変えて呑もうぜ? 何で居るのか知らんけど、ファンナも祝ってくれるよな?」
「イエス、マイ・ロード」
「おいおい、友人として祝ってくれよ」
「では、昔と同じくフランクな感じで行きます」
「ジノと私で露骨に態度違うなぁ!? 私も敬え! ナイトオブテン様だぞ!?」
「あーあー聞こえない聞こえない」
「貴様ぁっ!」
耳に手を当てるポーズでルキアーノを挑発しながらファンナは考える。
どうせマリーベルは分離主義者。如何なる手を尽くそうが純潔の日本人と手を取り合うことが不可能である以上、虎の威を借りた力技は最善と言っても良い解決策だ。
当初の予定とは違うが、これもまた穏便な決着。
出世しても関係を変えようとしない友人達には、本当に頭が上がらないと思う。
しかし、ファンナは一つ失念していた。
それはジノとルキアーノに、公式の場で友人と公言させたことの意味。
様子を伺っていた上流階級の認識が
”実質的にナンバーズだが、ナイトオブファイブの義妹なので手が出せない腫れ物”
から
”複数のラウンズに太いパイプを持つ、忌々しいが利用価値の高い騎士”
へと変わった事実を。
「おーい、そこで見つけた弟分とその許婚を混ぜてもいいよな?」
「私はクソ女弄りで忙しい。好きにしろ」
「って、シュタイナー卿とソレイシィ卿?」
「ど、どうもファンナさん。戻ったところを捕まりました……」
「ご迷惑かとは思いますが、断れない立場の私達です……」
「大歓迎で―――いつもいつも頬を引っ張って乙女の柔肌をなんだとっ!」
「男女が吠え―――下ろしたてのマントが穢れる! 踏むな蹴るな!」
「お前達の騒がしさは本当に変わらないねぇ」
「「うるさい!」」
「ま、こんな感じが俺達だ。ようこそ、問題児の巣窟へ」
低レベルのいがみ合いを続ける二人を腕力で引き離し、茶目っ気たっぷりのウインクを夫に送りつけてくる天上人に開いた口が塞がらない嫁だった。
しかし悩み事を忘却せざるを得ない状況は、マリーカにとって不幸中の幸いだ。
仮面を纏う余裕を持たない少女が浮かべるのは、本来の快活で明るい素顔。
取り繕った淑女の顔より余程魅力的な、歳相応の可愛らしい表情である。
「ヴァインベルグ卿に、きちんと紹介してくれますか?」
「確かに良い機会ですね。あ、それと」
「はい?」
「僕は大人しいマリーカさんより、何時も通りの少し怒りっぽい元気なマリーカさんの方が好きです」
「へぅ!?」
「誰に何を吹き込まれたのかは知りませんが、無理な背伸びをせず普段通り……よりは少し険の無い態度でいて欲しい。って言ったら怒ります?」
「お、夫の要求には最大限応えるのが妻の務め。少しだけカチンと来る箇所には目を瞑り、円満な家庭を守るためにも精一杯努力しますっ!」
「やっぱり僕には勿体無い女性だなぁ」
「そんなことはっ!」
レオンハルトの胸をポコポコと叩くマリーカの姿は、微笑ましい青春の一ページ。
当人達は楽しいのかもしれないが、見守る側は違う感想である。
「……そろそろ血糖値が上がり過ぎて、糖尿病のカウントダウンが聞こえる」
「……甘いものは大好きですが、糖分のオーバードーズはNGです」
「……生ハムやサラミの塩分が恋しいなぁ」
「……わたしはナッツ類を所望します」
「……一通り運ばせるか」
隣で銃撃戦が起きようが、足元に不発弾が転がっていようが平気で居眠り出来る叩き上げの騎士も、胸焼けしそうな砂糖吐きには耐えられなかった。
シュタイナー夫妻がイチャイチャのレベルを上げるのに比例して、もう一組の男女のテンションは下降線を描いてマイナスへと突入。
スイーツ(笑)焼けを起こしたファンナとルキアーノの間に、速やかな停戦が成立するのも必然の流れと言えよう。
「どっちも大団円を向かえたな? 引率の背中にちゃんと付いて来いよー?」
一人だけ冷静なジノの言葉に反論の声は上がらない。
色々と見世物を披露してしまった少年少女たちは、俯いたまま会場を後にするのだった。