では、104話となります。
104
遠野志貴が山瀬明美という少女を知ったのは、ある日の昼食の事であった。
親友である乾有彦の提案で、最近席が隣になった弓塚さつきを誘い食堂へと向かった志貴。吸血鬼との闘いから少しは身体は丈夫になったかと思ったが、主治医からは相変わらず刺激物の摂取は厳禁と言われおり、仕方なしにきつねうどんの職権を購入する。
先に席を確保していてくれた有彦とさつきが揃ってカレーライスを確保していたことに、少し口元が緩んでしまったのは、2人には内緒だ。
他愛のない事を大げさに語る有彦の話にクスクスと口元を抑えて笑うさつきと共に破顔する志貴であったが、彼の背後の席を陣取っていた女子グループの会話が耳に入ってきてしまった。
「じゃあ、明美のお姉さんまだ見つかってないの?」
「うん…」
「最近センチュリーホテルで起きた集団失踪と関係がなければいいんだけど…」
身に覚えがあり過ぎる、そんな会話が聞こえてしまった。
「ごめん、私もう教室に戻るね」
「あ、山瀬!」
友人の呼び止めも聞かずに食器の盆を返却に向かった山瀬明美は亜麻色の髪をポニーテールにした大人しそうな印象を与える少女だ。この時の志貴は知らなかったが、本来彼女はしっかり者で笑顔の良く似合う生徒であり友人の間では大のお姉さん子で有名であったようだ。
「遠野くん。山瀬さんが、どうかしたの?」
「え…?いや、なんでもないよ」
急ぎ顔を戻した志貴は食事を続けようとうどんに箸を伸ばすが、箸を丼へつ突き立てるが、茶色の水面に映る自身の顔がそうではないと告げてしまっている。
「……………………………」
「あ、えっと…」
「ま、お前がなんでもないってんならそうなんだろうよ」
向かいの席から無言で睨みつける有彦だったが、もう話は終わったと言わんばかりにスプーンを口に運ぶ。彼のこういったところは、本当にありがたいと志貴は思う。
昼休み、午後の授業と順当に時間が過ぎていく中、志貴は板書をノートに書き写しながらも意識は山瀬明美…正確には、行方不明である彼女の姉へと向けていた。うどんをすすりながらも、席に残って話を続けていた明美の友人達の声に耳を傾けていた志貴は断片ながらも山瀬姉妹の情報を得る。
明美の姉は教師であり、行方不明となる直前は残業で遅い時間に職場を離れた。
母子家庭という事もなり、働いている母親に代わり面倒を見ていた姉を慕っていたが、そんな姉が行方不明となった直後は精神は不安定となり、数日学校を休んでいた程。それほど姉を慕っていたのだろう。
山瀬明美の事情を知ってしまった志貴は願う。
どうが、彼女の姉が吸血鬼の、死徒の餌食となっていないことを。
それ以上に、自分が殺したグールの中に、彼女の姉が含まれていない事を強く願った。
そして志貴は思い知る。嫌な予感は、嫌な現実を引き起こしてしまうのだと。
「…っ!?」
真夜中。
自室で目を覚ました志貴は意識はハッキリしているというのに身体が異様な程に重く、倦怠感に飲まれていた。全身から汗が吹き出し、呼吸もしずらい。ベットで横になっているというのに、身体は常に動いているかのように体力が抜け落ちていくような感覚。まるで身体の一部が肉体から離れ、どこかで動いているような…
(なん、何だ…それに、無性に腹が減って…)
昨日の夕食もそれほど食べたという訳でもないのに、飢餓感に陥る志貴は腹部を片手で押さえながら枕元にある眼鏡を取ろうと手を伸ばすが、真っ暗闇の中て探りをするまでもなく、眼鏡は志貴の手の中へと納まった。
「はい、志貴」
「ああ、助かった――――」
言い切る前に眼鏡を誰かによって受け取った志貴は固まる。この部屋には自分しかいないはずだし、起床の知らせに部屋へと入る使用人の翡翠が来るにもまだ早すぎる。
眼鏡をゆっくりとかけ、自分に手渡した相手は、何事もないかのように、笑顔でベットの隅に腰掛けていた。
「ヤッホー志貴。おはよう…でもないか。まだこんばんは?」
「あ、アルクェイド…」
「顔色悪いわね。まぁ大体予想通りだけど」
「あのなぁ、窓から勝手に入って来るなんてあれほど…」
人差し指を口元に当てて何か不穏な言葉を口にするアルクェイド・ブリュンスタッドの登場に志貴はどうにか大声を出さぬよう抑えながら窓へと目を向ける。アルクェイドと折り合いの悪い妹の秋葉によって象が踏んでも壊れない窓(琥珀さんプロデュース)だったのだが、丁寧に鍵のみ破壊して入室したらしい。
言いたい事は山ほどある志貴であるがアルクェイドの笑顔を見てどこか落ち着いた事も事実だ。
「なにか、あったのか?」
最近は諦めて玄関から尋ねるようになったアルクェイドが窓から侵入して自分に会いに来るとはよほどの事態と考える志貴に、アルクェイドは頷いて見せると、白く細い指で突然志貴の服を捲ってしまう。
「なっ――」
「ちょっと確認するだけ」
「いや、だか…」
捲られた腹部にアルクェイドの冷たい指でなぞられ妙な声を出してしまう志貴だったが、彼女の表情は真剣そのもの。1人妙な事を思い浮かべてしまった志貴は羞恥心から眼を逸らす。
(無自覚でこんな事するんだもんな…いや、勘違いする俺も俺だけど)
「やっぱり、『抜けて』いるわね」
「ん?なんの話だ?」
「志貴。貴方が以前死にかけた時、私がどう応急処置したか覚えている?」
1人納得している様子であるアルクェイドへ尋ねてみるが、アルクェイドは鋭い眼付きで質問を返してきた。
もちろん、忘れるはずがない。
志貴が初めて契約をした時…志貴に一度殺され、肉体の再生の為に力が枯渇した状態の時に現れた吸血鬼と戦った頃の話だ。
志貴は吸血鬼を殺したまではいいものの、戦いで受けた傷で致命傷を負ってしまう。そこで死にかけた志貴に断った上でアルクェイドが敵の残滓ともいうべき方向性のない命を志貴の肉体に寄生させ、一命を取り止めたのだ。
「…それが、どうかしたのか?」
志貴にとっては良い過去ではないため、そっけなく返事をしてしまう。身体を貫かれ、無数の獣に全身を少しずつかじられていく感覚は今でも忘れられない。
それに―――自分の目の前で食い殺されてしまった名も知らない女性の最期が目に焼き付いている。
『逃げろおぉぉぉぉぉぉぉッ!!!』
アルクェイドの動きが封じられ、黒い獣の大群に囲まれていた志貴は、思わず叫んだ。通りすがりの女性を巻き込まぬよう声を張ったつもりが、逆に尋常ではない事態とみて助けようと接近させてしまった。
そして、敵は不用意に近づいた獲物を見逃すはずがなかった。
『ちょうど良い。切り裂かれて養分が足りなくなっていたところだ』
無慈悲に告げられた黒い死神の言葉に従って、黒い波となった獣が女性を文字通り飲み込んだ。
女性の悲鳴は、聞こえなかった。
ガリ、ゴリ、グチャという本来なら人体から聞こえてはいけない音が、志貴の耳へと響き渡る。
そして次の獲物を志貴へと定められた時、志貴の瞳に、『死の線』だけでなく『点』がはっきりと視認できるようになってしまった志貴は分解した獣の血の雨を浴び、狂ったように笑うと告げる。
『さぁ、殺しあおうかネロ・カオス』
敵の身体から次々と湧いて出る猛禽類や爬虫類。そして幻想種すら顕現したが次々と『死の点』を突く志貴の敵ではなかった。
本能が敵わぬと言いながらも人間に恐怖する事を認めなかった敵…ネロ・カオスは肉体を戦闘向けに変形させ、渾身の一撃を志貴に向けるも、志貴にネロ・カオスの『存在』という点を突かれ、消滅した。
『お前が、私の死か』
不敵な笑みを浮かべ、黒い獣を総ていた存在は消滅した。
「ええ。確かに貴方にとっていい記憶とは呼べないものとは理解している」
「…………」
「あの時、志貴の身体を補強する為に寄生させた混沌の一部…それが志貴の身体から抜け出したわ」
あまりにも突拍子のない言葉に、志貴の頭は理解に追いつかない。暗い表情から一変し、驚愕した志貴はアルクェイドへと問い詰める。
「なっ…ちょっとまってくれアルクェイド。あれって確か宿主を失ってもう俺の身体に溶け込んだんじゃなかったのか!?」
「私もそう思ったんだけどね。けど、さっき会ったの。黒いコートを着た志貴そっくりに化けたソイツを」
「俺…そっくり?」
「ええ。最初は私も間違えて話しかけちゃったんだけど…」
一時間ほど前。
公園のベンチに腰を下ろす志貴の姿を見たアルクェイドは嬉々として近づいたが、自分を見てどこかよそよそしい態度を取りながら名を呼ぶ志貴を見て確信した。
彼は遠野志貴ではない。
判断した直後に爪を伸ばした志貴の顔をした『誰か』は身に纏った黒いコートを翻し、跳躍。アルクェイドと30メートル以上の距離を取るが、アルクェイドに取って一息で詰められる距離。
逃走を図ろうとする『誰か』の動きを封じようとしたアルクェイドだったが、コートから飛び出した数頭の獣に動揺し、逃がしてしまう。
獣は一秒もせず塵へと返したアルクェイドならばすぐに追いつけるが、その前に志貴の容態を確認しなければならない。
そして現在に至るという訳だ。
「じゃあ、俺の身体から…アイツの一部が抜け出したって事なのか」
「そうなんだけど…志貴。身体に何か異変みたいな事はない?」
「ああ、さっきまでは妙に身体が重かったんだけど、それも段々薄れてきたな」
「…動いてないのに、まるで身体を動かした後みたいな感覚は?」
「…それも、確かにあった。けど、どうしてアルクェイドが知ってるんだ?」
「う~ん。どうも事態は面倒な方向に動いてるみたい」
腕を組み、唸るアルクェイドはどう説明すればいいかを悩む。当初は志貴の身体に関わる事であったので慌ててきてみれば、本人は最初こそ苦しんでいたものの体調を取り戻しつつあった。
理由の察してはいるが、どうも『奴』の事を認めてしまうようで癪にさわるが、説明を求める志貴に話さないわけにはいかず、観念して重々しく口を開く。
「…本当なら、今回の件は志貴の命に関わるはずだったのよ」
「関わるはず…だった?」
「それはそうよ。志貴の肉体と化したはずの生命が自我を持って行動を始めたとしても、結局は志貴の身体である事には変わりないの。だからアイツが行動する度に志貴の体力は奪われ、下手をすれば寿命そのものも吸われる可能性だってあったんだから」
聞けば背筋が凍り付くような内容だった。志貴の身体から分離したにも拘わらず繋がったネロ・カオスの一部に自分の命が吸われてしまう。最悪、死んでいてもおかしくない状況だったというのに、なぜ志貴は最初こそ不調であったものの回復しつつある。
アルクェイドはどうやらその原因に心当たりがあるようだが、どうにもそれを口にしずらいようだ。
「アルクェイド…何かしってるのか?」
「……………」
「知ってるんだな?」
「むぅ…」
口を尖らすアルクェイドは志貴の視線に耐え切れず、恐らく今回の原因となったであろう事柄を説明した。
「月影さんの力?」
「そうよ。ロアとの戦いで志貴は魔術に『線』と『点』が見えるまでに至って脳に多大な負荷をかけたでしょ?その魔眼殺しでも抑えられないくらいに」
「ああ。でも、月影さんが俺にキングストーンの力を送ってくれて助かったけど…」
「その力の行き先が、志貴の眼だけではなかったとしたら…?」
「あ…」
早朝
まだ周囲は暗く、ようやく日が昇ろうとする時間。
志貴は因縁深いあの公園にアルクェイドと共に訪れていた。途中で合流したシエルとアルクェイドの口論をどうにか仲裁しつつも到着した公園のベンチに、その者はいた。
「っ…」
息を飲む。
恰好だけであればネロ・カオス同様に黒いコートで身を包み、その中は漆黒でどうにか人の形を保っているに過ぎない。
問題は、その顔だ。
アルクェイドとシエルの話では、初見は志貴と同じ顔であったらしい。だが、今は違った。志貴の肉体の一部であった事から分裂した最初こそ志貴と同じ顔と記憶を持ち合わせていたが、時間が経つに連れ志貴から完全に独立した存在となり、主核とも言うべき顔と意識を取り戻したのであろう。
だが、その顔は過去にフォアブロ・ロワインと呼ばれ、永遠という命題に縛られた魔術師でもなかった。
アルクェイドから、ネロという存在を一度殺している為に666の因子は死ぬ直前に取り込んだ生物を新しい主人核へと置き換えようとしていると聞かされた。
「だからって、なんで…」
志貴は強く手を握る。
ネロ・カオスが殺される直前に取り込んだ生物は、志貴の目の前で捕食された顔も名前も知らない女性だった。
確かに、今志貴達の目に映る黒いコードを纏った人物は、あの女性なのだろう。
しかし、志貴は女性の顔に最近知った人物の面影を重ねてしまう。
彼女とお揃いの髪型であるポニーテールに、色違いのリボン。彼女が成長したのなら、同じような顔つきなるのではないだろうか。
そう。ネロ・カオスの後継者となり混沌を引き継ぐ者は、志貴と同じ高校に通う山瀬明美の姉、山瀬舞子なのだから。
嫌な予感が、嫌な現実を引き起こしてしまった。
キャラがマイナー過ぎる内容となりました。そして信彦さんたちは次回登場!
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